★ Nightmare Paradise! ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-4183 オファー日2008-08-16(土) 19:40
オファーPC 須哉 逢柝(ctuy7199) ムービーファン 女 17歳 高校生
ゲストPC1 レイド(cafu8089) ムービースター 男 35歳 悪魔
ゲストPC2 ルシファ(cuhh9000) ムービースター 女 16歳 天使
ゲストPC3 南雲 新(ctdf7451) ムービーファン 男 20歳 大学生
<ノベル>

 1.珍客と椿事

「はァ? 何を言うとるんやお前、あんまりいちびっとったらホンマに捻り潰すぞ?」
 南雲新(なぐも・あらた)の、不思議な色合いをした胡乱な視線は、この場にいる全員を通り越して、ダイニングの隅の天井付近に張り付いている。先刻までは、四人が囲むテーブルの、空席部分に向けられていたのだが、どうやら別の何かを見ているらしい。
「あぁ、そんなとこにもいるんだ?」
「みたいだねぇ。でもどうしてあんな窮屈そうなところにいるのかな。つかれないのかなぁ?」
「さあなぁ。まぁ、もう死んでるなら疲れるもクソもないんじゃねぇ?」
「ふえ……あ、そっか。でも、死んじゃってたら、ごはんも食べられないし、可哀想だね」
「んー、食欲の秋だしな、確かにそうだよなぁ」
 箸とごはん茶碗を手に、須哉逢柝(まつや・あいき)とルシファが顔を見合わせる。
「やっぱ、秋刀魚最高。頑張って七輪で焼いた甲斐があったな」
「うん、おさかなおいしいねー」
 丸々と太った秋刀魚を上手にほぐし、大きな身を口に入れて逢柝が顔をほころばせると、ほかほかの白米の上に秋刀魚のほぐし身を載せてもらったルシファがにこにこと笑う。
 食欲をそそる匂いの立ちのぼる、幸せな日常の光景だった。
 ――時刻は午後七時を半分ほどまわった辺り。
 今日のメニューは和食だった。
 コメはもちろん採れ立ての新米。おかずは秋刀魚の塩焼き、ニラと豚細切れ肉の卵とじ、大根葉とじゃこの胡麻油炒め、南瓜の甘辛煮、きのこと大根と揚げの味噌汁、デザートは大きな柿と蒸かしたさつまいも。
 四人の前に広がるのは、素朴だが贅沢な、生命の息吹を感じさせる食卓だった。
 食べる楽しみをそのまま表現したかのようなメニューは、食べ盛りの子どもたちでも、食べ盛りではない大人たちでも関係なく彼らの舌を楽しませる。脂の乗った秋刀魚と、瑞々しい大根おろしと、しっとりした白米のハーモニーと来たら反則だ。
 ……しかし。
「あァ? せやから、判った言うとるやろが! 今メシ時なんや、ちょっとは空気読めやボケが!」
 部屋の隅の天井に向かって新が吐き捨て、大袈裟な溜め息をついたあと、ひとり硬直しているレイドの背後へ――明らかに、レイドを見ているわけではないと判る――鉄錆色の視線を向け、打って変わって穏やかに微笑む。
「ん……あァ、アンタは心配せんでいい、あとでちゃんと願いは叶えてやるから。――そこの、レイドって人が」
 新に名指しされて、レイドは思わず椅子から飛び上がるかと思った。
 手に持った味噌汁椀と端を放り出しそうになる。
「お、おおお俺がってななななな何をだよ……!?」
 緊張で台詞は噛みまくりだし、口から心臓が飛び出しそうだ。
 美味な夕食も、和やかな団欒も、この恐怖の前には無力だった。
 出来ることなら今すぐ頭から布団を引っ被って寝室に引きこもりたい。
 そんな切実な願いを抱きながらちょっぴりプルプルしているレイドを見て、逢柝とルシファが笑う。
「レイドはロリコンの変態のくせに怖がりなんだからなぁ」
「俺はロリコンでも変態でもねぇ……っつーか、それと怖がりってのは1ミリも関係ないだろうが!?」
「あ、レイド、おみそ汁こぼれたよ。机、きれいにしなきゃ駄目だよ? もう、ホント子どもなんだから、レイドは……」
「お前にそれ言われる俺の立場とか立つ瀬って……」
 お姉さんぶったルシファに言われ、遠い目をするレイドである。
 そんな三人を見つめ、新がふと微笑んだ。
「……仲ええんやな、アンタら。すんませんね、団欒の場に乱入した挙げ句、おまけに夕食までご馳走になって。まぁ、これが終わったら出て行くんで、勘弁してください」
 生真面目に頭を下げる新。
 逢柝とルシファが顔を見合わせ、笑って首を横に振る。
「ごはんはね、みんなで食べるほうが美味しいんだよ!」
「まぁ、あんたはあんたなりの事情があってここに来てるんだろ? ルシファも喜んでるし、あたしは別に構わねぇぜ。それに、師匠が急に出かけちまって、魚が余ってたしな、ちょうどよかったよ」
「そうか……そんならよかった、ありがとう」
 目元を和ませて礼を言い、新が茶碗を手に取った。
「ん、このメシ、美味いな。そうか……新米の季節なんやな、もう」
「うん、美味いだろ。友達のムービースターが作ってるのを分けてもらったんだ、この辺の野菜もそうなんだけど、精魂込めて作られた、ってのが判るよな、こういうのって。すげぇ味が濃いんだ」
「ああ、せやな。植物にも、愛情っつーのは伝わってるんかも知れんな」
「新さん新さん、こっちの、かぼちゃの煮たのも美味しいよ! お姉ちゃんが、一生懸命作ってくれたんだ!」
「へェ……うん、確かに美味い。美味いメシが作れるってスゲェよな、尊敬するわ」
「はは、まぁ、あたしの場合必要に駆られて、だけどな。でも、褒められんのは悪い気がしねぇな、うん」
 ほのぼのと、和気藹々と食卓を囲む若人三人。
 レイドは溜め息をついた。
 何故この状況で普通に食事が出来るのか、不思議で不思議で仕方がない。
「姿の見えない、挨拶も出来ないお客さんと一緒にメシは食いたくねぇぞ、俺は……」
 誰にも聴こえないように呟いて、がっくりと肩を落とす。
 不自然なほどに霊が集まっている、と新がここへ乗り込んで来て、三時間、いや四時間は経っただろうか。
 レイドには、新の言う何か、彼には見えているらしいものを、かたちある存在として捉えることは出来ないが、確かに、いつもと違う不穏な、胡乱な気配が、この須哉道場周辺を渦巻いていることは判る。
「で、これは一体、何が原因なんだよ? ここにはよく来るが……こんなのは初めてだ」
 多少なりと事情、理由が判れば、恐怖感も薄らぐかと、尋ねてみるのだが、
「いや……それが、なんやよぉ判らんのですよ」
 新の方も、首をかしげている。
 使えねぇ、とレイドは心底思った。
 げっそりした、でもいい。
「……どういうことだよ?」
「この街の霊、まぁ残留思念の塊でもええんやけど、そいつらは、なんとかいうムービースターの影響でエラくくっきりしとるんやが……ホンマやったらこないなとこに吹き溜まるはずのないタイプの霊までがこの辺りに集まっとる。おまけに、妙にそわそわしとるみたいやし……こんなん、初めてや」
 不思議そうに目を細め、周囲を見遣った新が、
「あ」
 またリビングの片隅に視線を留めて声を上げたので、レイドは真剣に泣きそうになった。
 叶うならば、今すぐにでも逃げ出して自室の布団に潜り込みたい気分だが、ルシファを置いては帰れないし、ふたりが帰った場合この須哉道場にひとり残されることになる逢柝が心配だしで、それは不可能だ。
「な、ななな、何だよ……!?」
「……いや。さっきまでそこに立ってた奴が、知らん間におらんなっとる。なんや、これは……?」
 ひどく訝しげな新に、そんなこと言われても知らねぇよと突っ込みたかったが、口を開いたら泣きそうだったので、レイドは口を噤んだ。逢柝が腕を揮ってくれた、せっかくの夕飯が徐々に冷めていくのが判っていても、この状態では、とてもではないが咽喉を通らない。
 落ち着いてから食べよう、と箸を下ろし、レイドは、楽しいはずのお泊り会が何故こんなことに……と遠い目で思った。



 2.悪魔の悪夢

 レイドはお化けとか幽霊とかいう存在が怖い。
 恩人であり育ての親であり師匠でもある人物に、ずっと、悪い子のところにはお化けが来る、と言われて育ったからだ。
 それはほとんどの子どもたちが、少なからず投与される『薬』であるはずなのだが、レイドは少々その薬が効きすぎたようで、逢柝に騙されてホラー映画を見せられたときは真剣に失神するかと思ったし、その日の夜はひとりで寝られなかったという締まらない伝説を持つくらいだ。
 血塗れだが無害な幽霊と腹を空かせた人食いオーガ、どちらかとふたりきりで一晩過ごせと言われたら、一も二もなく人食いオーガを選ぶだろう。
 そのくらい苦手なものが、須哉道場近辺に不自然に集まっている、と言って、南雲新が駆け込んできたのは、逢柝が友人に焼いてもらったというさつまいもとメープルシロップのタルトを、午後のおやつに三人でいただいていた辺りだったと思う。
「怪しまれんのは重々承知してるけど、放ってもおけんから」
 鋭利な印象を持つ若者は、そう言って須哉家に上がり込み――レイドのビビりっぷりを面白がった逢柝が上げてしまった、というのが正しいのだが――、敷地内にわだかまる重苦しい気配、確かに先日まではなかったモノたちを、塩と清められた水、そして簡潔で明快な言葉で持って浄化していった。
「で、ど……どうなんだよ……?」
 しかし、残念ながらすべては浄化しきれず、新を交えて夕食を摂ったあとも、須哉家における除霊・浄霊は続行されていた。
 現在の時刻は午後十時。
 場所は、須哉邸を一望出来る広い庭先。
 今宵は生憎のくもりで、月も星も出ておらず、風は妙に生暖かくて、肝試しのロケーションとしては最高だが、悪い意味でも、幽霊+暗闇のコンボと言ったら最強で、レイド的には、「いい子はもう寝る時間だ!」と布団を引っ被りたかった。
 しかし、非情な現実がそうはさせてくれず、レイドは、くじ引きで当てて水族館に遊びに行ったときにルシファたちからもらったシロイルカのユウちゃんのぬいぐるみを拠りどころのように抱き締めながら、霊の浄化とやらに駆り出されている。
「んー……どうやらその人は、以前、この辺りで何か大切なものをなくしたみたいやな。うん……ああ、友達にもらったキーホルダー? 金色の鈴と、銀色の月のモチーフがついた? ――え、見つけてくれんと、レイドさんを取って食う?」
「……ッ!? ヴェルガンダ、頼む!」
 何で巻き込まれただけなのに取って食われなきゃならねぇんだ、と胸中に悲鳴を飲み込み、忠実で親愛なる使い魔、ケルベロスのヴェルガンダに頼む。
 やれやれといった風情で風のように駆け出して行くヴェルガンダの尻尾を見送り、レイドは重苦しい息を吐いた。
 正直、一晩中こんなのが続いたらもたない、などと思う。
「しかし……」
 ぐるり、と、周囲を見渡し、新が鉄錆色の目を細める。
 それだけで、まだ何かあるのか、と身構えてしまうレイドである。
「妙やな、やっぱ。集まっとる霊に、整合性がなさすぎる」
 新が、指を頤に当てた。
 新の視線は、ふたりの少女を見つめている。
「よし、上手に成仏しろよー、来世では幸せになー?」
「うん……またね、また会えたら、そのときは声をかけてね!」
 寂しさから自ら命を絶ち、結果浮かばれることが出来ずに長い間亡羊と此岸を彷徨っていたという青年の魂に、逢柝とルシファが手を振る。
 彼は、逢柝が差し出したお握りと、嘘偽りのない純粋なルシファの眼差し、ふたりの言葉、心によって、救われることができたのだ。
「あのお兄ちゃんも」
「うん、どした、ルシファ?」
「レイドや、お姉ちゃんみたいな人がいたら、違ってたのかな」
「……ああ、そうだな」
「さびしいね、それって。とっても、さびしい」
「ああ……でも、あいつはもう、解放されただろ? 次は、絶対、たくさんの友達に囲まれて、毎日笑顔でいられるよ」
「……うん……」
 哀しげなルシファの肩を逢柝が叩く。
「次に会ったら、あたしたちも、元気でやってんのか、って言ってやればいい。それだけで、もう、友達だろ?」
「うん、そうだね」
 逢柝の言葉にルシファが笑顔になる。
 レイドはそれを、思う存分腰が引けた体勢ながら、安堵に近い感情とともに見ていた。
 そこへ、ちりりん、という鈴の音がして、キーホルダーを口に咥えたヴェルガンダが戻って来る。
「ああ、それか」
 長い時間、どこかに紛れ込んでいたからか、キーホルダーは、少し錆びついてしまっていたが、まだ、綺麗な輝きと音色と、キーホルダーに込められた感情の残滓を残して、新の手の中に収まった。
 そのキーホルダーを見てか、レイドの近くで、目に見えない、しかし確かに在ると判る何かが、はしゃいだ、華やいだ気配をにじませるのが判り、レイドはまた逃げ腰になる。
 無害だろうが何だろうがお化けはお化けだし幽霊は幽霊だ。
 つまり、怖いものは怖い。
「ん、ああ……ほな、そこに供えてやったらええねんな、判った。ああ、俺は約束は守る、心配せんでいい」
 レイドの胸中などそっちのけで、彼の背後を見つめ、新が微笑む。
 そこにいんのかよ、とレイドは飛んで逃げたかったのだが、――事実、跳び退こうとしたのだが、彼がそれをするよりも早く、新の表情が変わった。
「何や、どうした……ッおい!? どないした、どこへ……!?」
 弾かれたように顔を上げ、周囲を見渡す。
 目的のものが見つからなかったのか、小さく舌打ちをした。
 レイドもまた、異質なものを感じ取って、意識を研ぎ澄ませていた。
「道場、か……?」
 何かが顕れた、それが判った。
 そこへ聞こえて来る、

 あ、ああ、ァ、あああァア――――…………!

 悲痛な悲鳴。
 ――恐らくは、レイドの背後で、戻ってきた宝物に歓喜をにじませていた、あの霊の。
 その『声』に、恐怖と絶望が含まれていたように思ったのは、レイドの気の所為だっただろうか。
 ルシファと顔を見合わせ、逢柝が、ルシファを守るように少女の肩を抱く。
「なんだ、何があったんだ?」
「うん……なんだろうね、心臓がぎゅってなる悲鳴だった……」
 不安げなルシファを見たあと、レイドは難しい顔をしている新を呼ぶ。
「どうした、新」
「……消えた」
「それは、どういう、」
「俺にも判らん。ただ……」
「ただ?」
「なんや、よくねぇことが起きとる。それだけ判る」
「……」
「……」
 しばしの沈黙。
 ややあって、新が、無言のままで踵を返し、道場の方へと歩き出す。
 レイドは溜め息をついてそのあとに続いた。
 逢柝にしがみつくようにして、ルシファがついてくる。
「お前たちは戻っておけ、何があるか判らねぇぞ」
「やだ、レイド、私も一緒に行く!」
「……あのなぁ。おい逢柝、お前も何か言ってやってくれ」
「レイドや新さんに何かあったら、いやだもん!」
「だってさ、レイド。ああ、ちなみにあたしは、問答無用でついていくつもりだけどな」
 にやり、と笑う逢柝に、レイドは溜め息をつく。
 ――それでも、自分が気遣われている、案じられていることが判るから、胸の奥が、くすぐったい。



 3.悪魔の大切なもの

 道場の重たい扉を開け放ったら、身体の半分透けた男が、もがきながら、道場の真ん中に陣取った黒い影に飲み込まれていくところだった。
 広い道場は、半透明の、血塗れだったり身体のどこかが欠けていたりひどく青褪めていたりする元人間たちで埋め尽くされていて、レイドはそのまま失神するかと思ったが、覚えのある気配――そう、先ほど喜びをあふれさせていたあの霊と同じものだ――が、声なく泣き叫びながら黒い影に飲み込まれて行ったのを感じ取り、眉根を寄せた。
「……なんだ、あいつは……?」
 影は、影としか言えない『何か』だった。
 影は、確かなかたちを持ってはいなかったが、何故か、レイドには、霊たちを貪り、際限なく飲み込んでいくそいつが、げらげらと、声高に嗤っているのが判ったし、そいつを放っておいては危険だということもまた、何故か、判った。
「こいつは……ムービースター、か……?」
 鉄錆色の目を細め、新が細身の刀を鞘から引き抜く。
 レイドは、新が着ているパーカーのフードに小さなバッキーが入っていることは知っていたが、ムービーファンなのに何故、という問いは、恐らく、この銀幕市においては無粋だし、無意味だ。
 ムービーファンやエキストラなのに、下手なムービースターよりそれらしい人間たちを、レイドは多数、知っている。
「ムービースター? じゃあ……」
 黒い影の持つ悪意を感じ取ったのだろう、逢柝がルシファを背後に庇いながら身構える。
「ああ、多分、こいつの所為や。こいつが、霊を食うために、集めとったんや」
 触手のように伸びた黒い影が、ふわふわと漂っている霊を捕らえ、引き摺り寄せては飲み込んでいき、霊を飲み込む度に、影の気配は大きく、強くなり、重々しい邪悪さと悪意とを増大させていく。
「蠱毒(こどく)、みてぇなもんか……」
「こどく? って何だ?」
「強い力を持つ虫を何種類か捕まえてな、壷の中に入れておくと、一番強い虫が残るんや。それを、呪詛に使う」
「……じゃあ」
「放っといたら、周りの霊を全部食うて、あいつが最強になる。……いや、そうあるように定められて、その通りの行動を取ってるだけなんかもしれんが」
「そんなもんに、ウチに居座られちゃ迷惑だ。師匠にどやされる」
「そうやな、最強になったあいつが、霊以外のもんを食うようになっても困る」
「……それに」
 いつでも突っ込んでいける態勢で様子を伺う新と逢柝は、ぎゅっと眉根を寄せたルシファの、
「霊さんたち、可哀想だよ。苦しんでここに残って、ようやく楽になれるかと思ったら、食べられちゃうなんて。助けてあげなきゃ」
 そんな言葉に顔を見合わせ、苦笑した。
「何をしてくるか未知数や、充分に気ィつけろよ」
「――ああ」
 交互にルシファの頭を撫でたあと、まず新が床を蹴る。
 一瞬遅れて逢柝が走り出した。
「レイド! 怖いんなら、あんたはルシファと一緒にいろ!」
 わずかに視線を寄越し、にやり、と逢柝が笑う。
「いつも助けてもらってるからな、たまにはあたしが守ってやるよ」
 少し照れ臭げなそれにレイドは目を見開いた。
 実際、今でも恐怖心はMAXで、出来ることなら腰を抜かして引っ繰り返っていたいほどだが、逢柝に、娘や妹のようにすら感じている人間にそんなことを言われて敵前逃亡できるほど腰抜けでもなかった。
「無茶はするんじゃねぇぞ、逢柝……!」
 ルシファを守らなくてはいけないのも事実なので、――そういう大義名分を逢柝が残してくれたのも確かで、レイドは心配そうなルシファにしがみつかれながら、そう怒鳴った。
 黒い影から哄笑が聞こえて来る。
 胸が悪くなるような、いやらしい嗤いだった。
 影の懐へ飛び込んだ新が刀を一閃すると、黒い影の一部がぱっと千切れて飛んだ。
「……実体がある。斬れる」
 ぼそり、と新が言うと、
「なら……話は、簡単だ」
 数秒の後、突っ込んで来た逢柝が、見事としか言えない華麗な回し蹴りで、黒い影を強かに打ち据え、吹き飛ばした。
 影は道場の壁に叩きつけられ、ぐちゃり、とわだかまる。
 だが、それで滅びる様子はない。
「……何をどうすりゃ、ダメージを与えられる……?」
 胡乱な眼差しで逢柝が呟く。
 と、その目の前で、黒い影から触手めいた影が無数に伸ばされ、ぼんやりと宙を漂う霊を、次々に飲み込んで行った。声なき断末魔の絶叫が、空間を震わせる。
 危険だ、と、悪魔の本能のようなものが告げ、レイドはシロイルカのぬいぐるみをルシファに持たせて彼女の前に一歩踏み出した。
「危ねぇぞ、一旦退け、逢柝、新!」
 異世界人であるレイドは蠱毒なるものを知らないが、負のエネルギーが蓄積した邪悪な存在の危険性は判る。
 それゆえの警告だったが、レイドの言葉にふたりが避難するより早く、黒い影から伸びた触手が、目にも止まらぬ速さで新と逢柝を絡め取り、
「ち……ッ」
「う、わ……この……ッ」
 もがくふたりを、壁に向けて、恐ろしい勢いで投げ飛ばす。
 もちろん、ふたりは、なすすべもなく叩きつけられて潰れてくれるような可愛い連中ではないが、逢柝も新も、何とか受身を取りつつも、着地自体は成功とは言えず、身体のあちこちをぶつけてダメージを負ったようだった。
 とはいえ、新は、顔をしかめつつもすぐに跳ね起き、刀を構えて、追撃してくる触手影を斬り払ったが、逢柝は酷く背中を打ちつけたらしく、立ち上がれずにいる。
「おい、大丈夫か、逢柝!」
 レイドが駆け寄ると、逢柝は、
「みっともねぇとこ見られちゃったな……」
 暢気なこと言ってる場合か、と顔をしかめたレイドに抱き起こされつつ苦笑したが、一瞬あとに、顔色を変えた。
「どうした、あい……」
「馬鹿、レイド、危ねぇッ!」
 レイドが眉をひそめるより早く、逢柝の手が、レイドを突き飛ばす。
「な、逢柝、」
 たたらを踏んで振り向いたレイドの脇を、恐ろしい速度で太い触手影が奔り抜けて行き、逢柝の身体を勢いよく打ち据え、軽々と吹き飛ばした。
「ぐ……ッ!」
 咄嗟のことで受身も取れず、道場の固い壁に叩きつけられて、苦悶の表情を浮かべながら、逢柝はずるずると壁を伝って床に崩れ落ちる。
 起き上がれないのは、意識を失ったからか。
「お姉ちゃん!」
 ルシファが悲痛な悲鳴を上げて逢柝を呼ぶ。
「あい、」
 レイドもまた逢柝の名を呼びかけて、ふと口を噤んだ。
 ――自分を庇って傷ついたのだ、彼女は。
 我が身よりもまず、レイドを気遣った、そんな逢柝を、あの黒い影が、傷つけた。
「……」
 それは、レイドを激怒させるに充分だった。
 ぞわり。
 彼の周囲の空気が変わる。
「……?」
 ふたりを守って触手影を斬り続けていた新が訝しげな顔をする。
「……おい、新」
 レイドはぐったりとした逢柝を抱き上げ、新に歩み寄った。
 ばちん!
 という音がして、彼らを襲おうとした触手影が弾け飛ぶ。
「なんや、レイドさん、どうし……」
「こいつとルシファをつれて、外へ出ておけ」
「はァ? 一体なんの……」
「いいから、出ろ」
「……」
 新はあくまで訝しげだったが、断固としたレイドの口調、先ほどの彼とは違う雰囲気に、何かしらを察したらしく、刀を鞘に納めると、逢柝を抱き取って、頷いた。
「心配は、しませんよ」
「要らねぇよ、そんなもん」
 新が、泣きそうなルシファの元へ歩いて行くのを、そして彼女を促して外へ出て行くのを気配だけで確認し、レイドは黒い影を睨み据えた。
 ――そこには、巨大な、醜悪な顔が浮き出ている。
 ぐぐぐ、と嗤うそれが抱く、巨大な負のエネルギーを感じることが出来る。
 だが、そんなものは、
「貴様は俺を怒らせた」
 今のレイドには、無関係だった。
 指が、右目を覆う眼帯に伸ばされる。
 ――敬愛する師匠がくれた、形見の品だ。
 それはレイドが、いつものレイドから、戦うための自分へと意識を切り替える、スイッチでもあった。
「後悔して、恐怖して、絶望して、消えろ。――滑稽なダンスを踊ればいい」
 冷ややかな言葉とともに、眼帯が、取り外される。
 ぐぐぐ、と嗤い、影が飛びかかってきた。
 醜悪ではあれ、確かに知性を感じさせながら、その素早い動きは、ひどく獣じみている。
 それは早くて、常人ならばなすすべもなく飲み込まれていただろうが、レイドは、真紅の右目を輝かせて、鼻で嗤っただけだった。
「はッ」
 ――次の瞬間、レイドの周囲に閃く純白の炎。
 竜のようなかたちをしたそれは、嬉々として身体をくねらせ、レイドの敵に向かって超高温の牙を剥く。

 聞き苦しい絶叫は、長くは、続かなかった。



 4.終幕、あるいはエンドレス

「んで、身体は大丈夫なのかよ?」
 二日後の、週末。
 家族連れでごった返す水族館で、レイドは、しつこいくらい逢柝を気遣っていた。
「だから、大丈夫だっつの。ルシファが癒してくれたんだから、当たり前だろ!」
 逢柝は呆れていたが、同時に、少し嬉しそうだったし、照れ臭そうだった。
 平素と変わりない逢柝の様子にレイドは安堵し、逢柝の髪をぐしゃぐしゃとかき回して溜め息をつく。
「バッ……なにすんだ、この変態ロリコンヘタレビビリ!」
「俺は変態でもロリコンでもねぇ……ってなんか増えてる!?」
 過剰に幽霊を怖がり続けた所為だろう、いつの間にか、不名誉な名称が増えてしまっている。
 このまま行くと更に増えていきそうで、レイドは少し胃が痛い。
 とはいえ、水族館は癒しスペースだ。
 色とりどり、大小さまざまな魚や、シロイルカの姿を見ていると、ささくれた気持ちが穏やかになる。
「……ありがとな」
 水槽に顔をくっつけんばかりの体勢で、目を輝かせながら魚たちを見つめているルシファの様子に苦笑しながら、ふと、逢柝が言ったので、レイドは首をかしげて逢柝を見下ろした。
「ん? なんか、礼を言われるようなこと、あったか?」
「……あたしのために、怒ってくれただろ」
「あー……」
 照れ臭そうな逢柝に、レイドも照れて頬を掻く。
「あれは、その、」
「なんか……すげぇ、嬉しかった。ありがとう」
「……それを言うなら、俺もだ」
「ん?」
「あの時、俺のこと、助けてくれただろ」
「ああ、あんなの、別に」
「……無茶はすんなよな、でも。俺のか弱い神経が磨り減っちまう」
 大袈裟な溜め息とともに言うと、逢柝がぷっと吹き出した。
 ばし、とレイドの肩を叩き、
「ま、気をつけるわ。あんたに心配してもらえんのは……うん、悪い気は、しねぇけどさ」
 そう言って、照れた、嬉しそうな笑みを見せた。
 少年のような、少女のような、ただ純粋な好意を含んだそれに、レイドは苦笑して頷く。
 こうやって、心配したり、されたりすることも、きっと幸せの一端なんだろう、と、思う。
 その時、逢柝が不思議そうに瞬きをして、水族館の奥の方を見遣った。
「ん、あれ、あいつ新じゃねぇ?」
 逢柝の指差す先には、鉄錆色の目をした青年の姿がある。
「ああ、本当だ。……あいつも、水族館に癒されに来たのかな?」
 レイドが首を傾げると同時に、新もまたこちらに気づいたようだった。
 直情的な眼差しが細められ、唇が笑みのかたちになる。
「よう、新。こないだは、どうも」
 逢柝が、歩み寄ってきた彼に手を挙げると、新は小さく頷いた。
「お前も水族館が好きなのか? 確かに、ここのシロイルカは犯罪級に可愛いけどな」
 レイドの言葉に、新が首を横に振り、鋭い目で周囲を見遣る。
「いや……ここに、霊が集まっとる気配がな……」
 新の口から発せられる、どこかで聞いたような台詞。

 ――面白いくらいの勢いで紙の顔色になったレイドが、脱兎のごとくに逃げ出したかどうかは、ご想像にお任せする。

クリエイターコメントオファー、どうもありがとうございました!
お届けが遅れまして、大変申し訳ありません。

仲良しさんたちの楽しい時間と、ちょっぴりホラーな事件と、青年の不思議な雰囲気、そしてやるときはやる『お父さん』の格好よさを描いたつもりですが、いかがでしたでしょうか。
記録者は、大変楽しく、微笑ましい思いで書かせていただいたので、この楽しさが、皆さんにも伝わればいいなぁ、と思いつつ。

ともあれ、素敵なオファー、どうもありがとうございました。これからも、強い絆で結ばれた皆さんが、楽しい、悔いのない銀幕ライフを送られるように祈ります。


それでは、また、ご縁があれば、どこかで。
公開日時2008-10-05(日) 20:30
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