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<ノベル>
○
「夕陽も見納めだねぇ」
空を見て、エンリオウ・イーブンシェンはほんわかと笑顔になった。世界を赤く染める太陽は、もうじき沈み終わろうとしている。
十二月三十一日。
今年最後の夕陽に目を向けたまま、エンリオウはまた歩き出した。
青い髪が寒風に揺れる。長身の彼は、人の群れから頭一つ飛び出していた。せかせかと気ぜわしなく歩く人々の中にあって、その足取りは非常にゆっくりしていた。
家へ帰る途中でもデートの待ち合わせへ向かうのでもなく、散歩をしているからだ。目的は歩くこと自体、焦る必要は何もない。歩き回れる範囲は銀幕市内。狭いように聞こえてなかなか広い。あちこちへ出向いたが、踏破にはまだ遠く及ばなかった。
地平線の下に光が隠れると、辺りは急に冷え始めた。
「帰ろうかなぁ」
一人、呟く。天気はよくても寒かったから、手袋で防御した指先はかじかんでいる。どこかの店で暖まろうにも、似たようなことを考えた人達で満員だ。
「うん、帰ろう」
決めて、次の角を曲がった。少し細い、今からのれんを出すような店ばかりが連なる通りだ。
そこを抜けるとまた太い通りに――
「んべぇーぇ!」
出るはずが、一瞬にして視界は白く塗りつぶされた。
○
どどどどどど。
土煙をあげて、羊の軍団は年の瀬も迫った銀幕市を駆け抜けていた。
遠目に見たなら、縁日の綿菓子を想像するような物体が群れている。
進行方向にいる人達は驚き、とまどい、とりあえず逃げる。秋津戒斗も、そんな通行人の一人だ。
「な……なんだってんだよ。なあ、山吹」
肩に乗せた、パステルオレンジと白のバッキーに話しかける。山吹はすでに羊達に興味津々で、今にも綿菓子の海にダイブしそうな勢いで身を乗り出している。
戒斗の脳裏には、修学旅行で行った宮島の風景を思い出した。うかつに餌を買ったら最後、鹿の大群が血走った目でおしよせて、食べ物を強奪し尽くすまでターゲットを襲うのだ。
鹿ほどの大きさはないが、勢いでいったら勝るとも劣らないものがあった。
「あ、あれ、思い出した。『マリーさんの羊』の三百匹大行進」
「何それ」
「ラストの羊レースで、主役のメー君を勝たせないためにライバルのベートーベンの手下がレースに乱入するの」
戒斗と同じようにビルの壁に貼り付いていたカップルが、言葉を交わすのをなんとなく聞いてしまった。数秒前の記憶を掘り起こしてみれば、確かに先頭を走るのはそんな凶悪な形相をした羊だった。
だが、さらにその先を行くという主役の姿はなかった。
「何をするんだよ、あの集団で」
想像がつかない。と、カップルの女の方が戒斗に教えてくれた。
「映画だと、メー君がぶっちぎりトップでハッピーエンド。でもいなかったから……何するんだろ。あと覚えてるのは、トイレットペーパー食べるところかな。羊なのにね、山羊じゃないのにね、紙が主食なんだよ、あいつら」
羊の群れが駆け抜けた方角を見て、一つの可能性を思い付く。
「紙って、葉書も食べるのか?」
「たぶんね」
戒斗は走り出した。対策課への報告は、もう誰かが行っているだろう。彼にできるのは、なるべく早く、ハザードを解決することだ。
○
戒斗が到着すると、銀幕郵便局はすでに喧噪の中にあった。べーべーと鳴く羊達が、ぐるりと局を取り囲んでいる。
例年のことながら、この時期の郵便局には大量の年賀状が元旦の配達を待っている。加えて、今年からは様々なムービースターが銀幕市に住んでいるのだ。量が増えないわけがない。
「折角書いた年賀状を羊なんかに食わせてたまるかよ!」
戒斗は途中のコンビニで買ってきた、コピー用紙をばらまいた。
「ほら、餌だぞっ!」
後方の何匹かが振り向き、目の色を変えた。舞い落ちる紙を求めて殺到する。やはり餌を求めての大行進だったらしい。ついでに、人間がごろりとその中から転がり落ちた。
「わあ、びっくりしたなぁ」
「こっちのがびっくりだ」
どこまでもマイペースなエンリオウに、戒斗がつっこむ。
「俺、秋津戒斗。おまえは?」
「わたしはエンリオウ・イーブンシェン。『テンクウの宴』っていうファンタジー映画の脇役だよ」
「じゃ、エンリ。この状況をなんとかしようぜ」
「そうだねぇ。でも、お腹が一杯になったら満足するんじゃないかな?」
「郵便局で紙を食べる羊を腹一杯にしたら、永遠に年賀状が届かないぞ。送る側も貰うはずだった側も迷惑するだろ」
「困ったねぇ」
エンリオウは優しく微笑んで、上着のポケットからティッシュを取り出した。
「これを食べるかい?」
コピー用紙にありつけなかった羊が、んべーと鳴きながら餌付けされる。
心温まる光景に、なぜか戒斗は疲労を覚えた。
「んなの、何匹分になるんだよ。三百匹いるって言うんだぞ」
「大勢だねぇ」
「いったん退却して、作戦を立てるぞ」
五百枚をまき終わった戒斗は、エンリオウを引きずるように連れて駐車場へ避難した。
○
羊の大群は、狂乱したように騒ぎ続けていた。中で働いている人々にも異常は伝わったが、下手に動いては年賀状を危険にさらすことになる。配達が始まる明日まで、籠城して助けを待つしかない。
額に黒いV字を戴いたボス、ベートーベンはガラスドアに頭突きして突破を試みていたが、ふと異変に気づいた。
振り返れば、手下が減っている。半分まではいかないが、二百よりは少ないようだ。
「べぇー?」
後ろの方で、何匹かが特攻をやめる。そしてふらふらと駐車場へと向かっていく。鼻を澄ませれば、そちらからも年賀状ほどではないが魅力的な紙の匂いが漂ってくる。
「んべー!」
ベートーベンの号令で、軍団は攻城戦を一時諦めた。一丸となって、駐車場へ走る。
うんざりするほど大量の車がいて、その間は三匹が並んで歩ける程度しかない。鉄の塊など踏みつぶしていってもいいが、道に紙が落ちているとなると誰もがそちらへ向かってしまう。
結果、おしあいへしあいしながら二匹ずつ、三匹ずつの細い行列になる。
戒斗とエンリオウは、それを待っていた。
「よっしゃ、かかった!」
道にはエンリオウの魔法が置かれていた。薄水色の膜で、それに触れると動きが異様に鈍くなる。後から後からおしかけてくるので、前方の罠に気づいて足を止めても、押されて魔法にかかってしまう。
ベートーベンは状況の悪化を理解して、身を翻した。
「させるか!」
戒斗は追いかける。が、四つ足と二つ足では勝負にならない。
「これでもくらえっ!」
最後の手段、戒斗は封を開けていないコピー用紙の束を投げた。綺麗な放物線を描いて、角がベートーベンの頭に激突した。足の動きが止まり、どうと横倒しになる。
「人間側の勝利、だな」
悠々と歩み寄った戒斗は、山吹をベートーベンの上に置いた。興奮状態のバッキーは、喜び勇んでムービースターを食べていく。
処理が終わって駐車場に戻ると、微笑むエンリオウの前に、羊が山積みになっていた。
「眠りの風で眠らせたよ。……でも、三百匹も食べられるかなぁ」
戒斗は肩に目をやる。一匹食べただけで、山吹は満足しているようだった。
「……とりあえず、縛って転がしておくか」
「そうだねぇ。烏合の衆はまとまりがない分厄介だから」
魔法で束縛を始めるエンリオウを置いて、戒斗は通用口のインターホンを鳴らした。少しのやりとりがあって、紙紐を持った局員が駆けつける。彼は集配課長だと名乗った。
「羊を退治してくれてありがとう。お礼をしたいんだが、今はその余裕がないんだ。仕分けが終わればゆっくりできるんだが、それまで待ってくれないか? そうそう、ただぼんやりしているのでは時間の無駄だよね。せっぱ詰まった内務を助けてくれたりするとありがたいな。切実に」
頬はこけ隈が居座り、目だけが爛々と輝いている。
曖昧に言葉を濁して駐車場へ戻り、エンリオウと戒斗と課長の三人は羊をたぬきしばりにしていった。
「切実に、切実なんだ」
「はあ」
「とっても人手が足りなくてね、二人……いやいや一人の応援があるだけでどれだけ助かるか。どれだけ多くの年賀状が元旦に届けられるか」
端々から匂う要求を、戒斗は無視した。だが、エンリオウは優しい人だった。
「手伝わせてもらおうかなぁ」
途端に、課長が笑顔になる。
「ありがとう! 助かるよ、二人とも!」
「いや俺は……」
「大丈夫、初心者でもできる簡単な仕事だから。ただ、量が多いだけなんだ」
戒斗の主張は瞬殺された。
○
年も改まる頃、二人はようやく解放された。安い時給に、お礼という名のみかん一箱ずつをもらって。
「今年最後に、いい思い出ができたねぇ」
「いい……のか? 本当によかったのか?」
星々が輝く綺麗な夜だった。なんとなく、二人は並んであるく。
「そういえば、羊はどうなったんだろうねぇ」
「あんな大量のな」
興味本位で駐車場にいくと、そこには白い物体は一つもなかった。代わりに、老若男女様々なムービーファンが談笑している。
一人が気づいて、エンリオウと戒斗に手を振る。
「対策課から派遣されて来たが、すでに事件は解決済みで肩透かしをくらったよ。だが、お疲れ様」
「羊はねー、これだけのバッキーが集まってなんとか食べ終わることができました。めでたしめでたしです」
エンリオウと戒斗の顔に、疲れと笑みが浮かぶ。
遠くから、除夜の鐘が聞こえてきた。
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クリエイターコメント | あけましておめでとうございます(遅)。
なぜに羊なのかは自分でもよくわかりません。前日にジンギスカンを食べたから、というベタなオチもなく。 これからもシュールなコメディとたまにシリアスで頑張りたいと思います。 参加ありがとうございました。 |
公開日時 | 2007-01-13(土) 00:10 |
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