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<ノベル>
夕暮れ。
広がる茜色の空には、段々とまだら雲が伸びていた。
ふと見上げた空が余りに鮮やかなそれだったので、コレットは視線を下ろすタイミングを失ったまま、ゆっくりと帰り道を歩いていた。
視界の手前では電線が黒く伸び、歩幅に合わせて電柱の頭が近づいてくる。標識、古い看板……廃工場の屋根。
コレットは、そこで視線を少し下ろし、廃工場の方を何となく覗きながら、その前を歩いて過ぎていく。
夕焼けの光に圧されて、ガラスを失った工場の窓や入り口の奥はぽっかりと暗い。
何の工場なのかは知らない。ただ、初めて知った時からそれは廃工場だった。それなりに広い敷地に佇む、少し怖くて、どこか秘密を持っていそうな場所。
そういえば、とコレットは思い出す。
(……最近、妙な事が起こるって、あそこの事よね?)
近所に住む友人から、これまた近所の方の目撃談を聞いたばかりだ。ここ三、四日の出来事という新鮮な噂話。
工場の前を過ぎて暫く行った所で、足を止める。
んー、と頬に指を当てて考えた後、ててっと道を少し戻って工場を改めて覗き込んでみる。
妙な事。
誰も居ない筈なのに、工場の中に光が灯っていたり、何かの鳴き声が聴こえてきたり、誰かの笑い声らしいものがあったりするのだという。それで、若者が溜まっている、というわけではないらしい。
工場の敷地内の荒れ草や、壁に這う雑草やヒビ、傾いた屋根。全部が打ち捨てられてからの長さを物語る。
幽霊話の一つ、二つあってもおかしくないとは思う、が……最近になって急に、というのはちょっと変だ。
うーん、と、つい考え込んでしまっていると。
「コレットさん?」
「ひゃあ!?」
急に後ろから声を掛けられて、コレットは肩を竦めた。
体を強張らせながら、あれ? と、よくよく声を思い返してみる。
「ファレル……さん?」
そろっと振り向くと、予想通りの表情の無い顔がそこに有って、不思議そうに傾いていた。
「こんな所で何をしてるんですか?」
ファレルに問われる。
えっと、とコレットは置いて。
「帰る途中だったのだけれど……」
そこから何と言っていいやら、少し迷う。
コレットは、相変わらずボゥとした表情でこちらを見ているファレルの方を見遣り、首を傾げる。
「ファレルさん。この工場の噂って聞いたこと、ある?」
ファレルは少し視線を上げて、コレット越しに工場の方へと視線を向けた。
「誰も居ないのに、明かりが灯ったり、鳴き声や笑い声が聞こえたり……ですか?」
言われてしまう。
コレットは、ぱちくりと瞬きをしてから、ファレルの顔をまじまじと見上げた。
「知ってたんだ……? ちょっと意外。ファレルさん、こういうのに疎いんだって思ってた」
「確かに……普段なら、余り知らないでしょうね」
ファレルが素直に頷く。
こちらはきょとんとしてしまう。
「普段なら?」
「……ともあれ、ここはそんな噂のある所です。早く去ってしまうに越した事はありません。日も、だいぶ傾いてしまいました。もうじき暗くなる。急がれた方が」
「あ……」
言われて、はたと空を見上げる。
空の色はもうかなり紫を呑んでいる。
道沿いの街灯はいつの間にか灯っており、明かりの外には薄闇が広がっていた。
「気をつけて」
ファレルに言われる。
「うん……ファレルさんも。それじゃあ、またね」
「ええ、また」
笑顔で軽く手を振ってから、ファレルを残し帰路を歩く。
暫く行った所で、ふと思い出す。
(あ、そうだ……この前の、映画の約束)
メリーポピンズ。
振り返る。
「……あれ?」
そこにファレルの姿は無かった。
また、来た道を戻る。
向こうの道には誰も居ない。
(どこに……?)
廃工場の前。
街灯の明かりをキラリと返す物があり、しゃがみ込んで見てみると、それはライターだった。
さっきは気付かなかった。
(もしかして、ファレルさんの? でも……ファレルさん、煙草吸ってたかしら?)
拾い上げて、それからもう一度、道を確認する。
やはりファレルの姿は見当たらない。
だとすれば。
(ここに、入っていた……という事よね)
薄闇の中に佇む廃工場へと視線は巡る。
背景の空からは茜色が消え、端に僅かな白が残っていた。
暗くなり行く中、その廃墟の暗がりは一層底知れないものを持ち始めていた。
ぽつ、と明かりが灯る。
その明かりは、ひんやりとした錆とカビの匂いとを連れて通る細い風に揺れた。ライターに灯る火。
「……ファレルさーん」
弱い光が砂利ついた地面と、すぐそこに並べ置かれるドラム缶とを照らす中、コレットは心持ち潜めた声で彼を呼んでみた。
廃墟とはいえ、勝手に他人の敷地に入り込んでいるというのが何となく後ろめたい。
工場の中は外見から想像していたよりもずっと複雑に入り組んでいた。機材の撤去されたがらんどうを想像していたのだが、そこには未だに朽ちた様々な機材や、クレーン、パイプや炉らしきものが残されており、管理され無くなって久しいそれらが乱雑に置かれっぱなしになっていた。
まるで、迷路のようなそこをライターの燈火を頼りに、そろりそろりと進んでいく。
そぅ、と触れた鉄の表面が錆でざらざらとしている。
「あの……ファレル、さーん?」
返る声は無い。
本当にこっちの方に来たのだろうか、と不安になる。
同時に、聞いた噂話の事を思い出してきてしまい、途端に恐怖がにじり寄った。
(……ああ)
ほう、と溜め息を付いて天井の方を見上げる。
遠く、小さな四角い窓から外の月が半分ほど見えた。
やはり彼の言う通りに大人しく家路に付いていた方が良かったかもしれない。
ライターだってまた会った時に返してあげれば良かったし、メリーポピンズの話だって、また何時だって出来る。
何時だって。
(本当に、そう……?)
と。
トターン、と何か鉄の棒のようなものが倒れる音。
びくりと肩を震わせて立ち止まる。
それから、そろそろと辺りの気配を伺いながら、ファレルの名を呼ぼうとして、止めた。
大きなパイプが並ぶ隙間の向こうに、光が見える。
ライターの火を消して、そっと隙間から向こうを覗き見てみる。
「あきまへんなぁ、ネズミくらいしかおまへんでぇ」
ダミ声。
(……ウサギ?)
ピンク色の長い耳が揺れている。細い長身の人間っぽい体付きの兎がそこに居た。出ッ歯の先でぽりぽりっと人参を齧りながら、不満そうな顔でドラム缶の上に座っている。光は、彼(?)の横にちょこんと置かれたランタンから洩れていた。
「博士も人使い、いや、ウサギ使いの荒い人でっせ。こりゃ訴えたら勝てまっせ。法廷に立ったら皆、涙流して諸手を挙げてわての味方やで。この哀れなウサギの味方や。確実に獲れるわ、勝訴。てぇ、あんさん、聞いてまっか?」
兎人間がぶんっと齧りかけの人参を向けた先を見てみると、甲羅を背負った全身緑タイツの……じゃない、やっぱり人間のような格好をした亀が、面倒くさそうにウサギの方を見ていた。
「聞いてっけど、何一つ興味ねぇよ。つか、その妙な喋り方やめろや、へたれウサギ。てめぇ、博士の前ではおべんちゃらばっか言いやがって、このやろう。大体、こんなとこ探したって何か居るわけねぇだろが。外に出ねぇとよ、外に」
「そんなん言ったかて。なあ……わてら、この格好やんか。外、出てみぃ? わてなんて、一瞬でっせ。一瞬で若い女の子らに囲まれて、わーきゃーされて、にっちもさっちもどうにも動けなくなるっちゅーねん」
「なるかスカタン」
「なるわボケェ。このピンクのぷりちぃバディやで。それで喋るウサギて、女子の心をくすぐり過ぎやろ? 卒倒するモンが続出やって」
(ないと、思うな……)
コレットは心の中で、ひっそり突っ込んでしまってから、んー、と眉根を寄せた。
(……これが、この工場の噂の正体? どうしよう。悪い人(?)たちじゃ……なさそう、な気もするし)
出て行って声を掛けて、ファレルを見なかったか聞いてみようか迷う。
そこで。
コレットの意識は唐突に消えた。
こつん、と床に落ちるライター。
◇
廃工場の奥。
自然の物とは違う白い光が、コゥと辺りを照らしていた。
ファレルは、その光を片手に浮かせながら床に残された足跡を確認するために、そこにしゃがみ込んでいた。
その光は適当な電子をコントロールして発光させたもの。本来、照明に使おうと思っていたライターを何処かで落としてしまったための代用だった。
ファレルは物質の分子を組み替える能力を持つ。これは、その力の応用だ。
(やはり、何かが居ますね……)
彼がしゃがみ込んで見ていた足跡は、床に積もった厚い埃にぽかりと残されていた。
人間のものではない。何か、大きめの動物のような。
しかし、動物の足跡だとしても、少しおかしい。
(この足跡は……二足歩行? だとすれば考えられるのは、何かしらのスターか……ヴィランズが)
ファレルが廃工場の話を聞いたのは、銀幕市の市役所にある対策課だった。
対策課にこの工場の調査依頼があった時に、偶然居合わせたのだ。
手も空いていたし、やはり聞いてしまったものだから、自分が調査を買って出た、というわけだった。
コレットと別れてから、先にぐるっと外観を回ってみたが何者かが外から出入りしている気配は無かった。
となれば、この中に何かが潜んでいる。
ファレルは立ち上がって、足跡を追った。
(……廃棄された風景、か)
鉄と錆びと埃に塗れている。
錆びたタンクの傍を巡り、鉄骨の折れて曲がった所を超える。
とうにガラスを失った窓から吹き込む風に、どこかでキィキィと細く金属音が鳴っている。
片手に浮かせた白い光によって、自分の影が傍を通るパイプラインを曲がりくねった格好で滑っていく。
やがて、奇妙な足跡は壁の目の前で唐突に終わっていた。
ファレルは光を持った手を壁に近づけて、目を細め、確かめる。
(この部分だけ、新しい……)
光を持っていた手を振り、光を霧散させて、壁に掌を触れる。
ひんやりとした壁の感触。頭の中に展開する分子配列。その式をザ、とばら撒き、再構築する。燈る手元。
そして、ファレルの手を中心として細い網目のような光が壁に人一人分程の長方形を描き出す。
次の瞬間には、その部分の壁が粒となって音も無く足元に崩れた。
現れた空間の天井には明かりが燈されていた。
空間に立ち入って、まず目の前にあったのは巨大なタンクだった。
そのタンクの端に行って、こっそりと周囲を見回す。
白い壁に囲まれた近代的な大きな部屋だ。外を回った時はまるで気付けなかった。何か特殊な細工がされているのかもしれない。
部屋の中には、タンクの他に幾つか円筒形の大きく背の高いカプセルのようなものが並べられていた。
カプセルには幾つものパイプとチューブが取り付けられており、そのどれがどこに繋がっているのか皆目検討も付かない。
その間には見た事も無い機械が置かれており、それらはキチキチと稼動しているようだった。
「……久々だな」
静やかに響く、喜びを含んだ老人の声。
ファレルは反射的にタンクの影に身を潜める。
そうしてから、そぅと声の方を窺う。
(――コレットさん!?)
コレットが居た。
白衣を纏った老人の覗き込んでいるカプセルの中に。
彼女はカプセルの底にぐったりと倒れ込んでいる。
(どうして……帰った筈じゃ……)
「やはり、実験は人間に、限る……」
にわかに混乱するファレルを他所に、老人は一人言のように言葉を続けていた。彼の傍では、ウサギ人間のようなものと亀人間のようなものがおり、ウサギの方が彼の言葉にいちいち頷いたりしている。
「大事に使ってやろう、な。すぐに壊してしまっては、勿体無い。もう、野良猫だの兎だ亀だの実験は、飽きた」
「や、めでたいッ! わてらも精出した甲斐がありましたわぁ!」
「とっ捕まえたのは博士だろ? ……なんもしてねぇぜ、俺ら」
「黙らんかい亀ぇ!! こんなもんはそれっぽく言っといたら、それっぽくなるもんや! 言うたもん勝ちじゃ! わてに任せとけばええねん! 大人しくしとらんと、わての十八口径の出ッ歯が火を噴くでぇ!」
「……本音がてんで隠れてないぞ、お前」
と、なにやら聴こえてくる会話はすっとんきょうだが、状況は恐らく深刻だ。
ファレルは、身を屈めてカプセルや機械の陰に身を潜めつつ、コレットのカプセルを目指していく。
(……マッドサイエンティスト系のヴィランズ、か)
つまり、夜な夜な実験の検体を求めて、あの博士だとかウサギだとかが工場をうろついていたわけだ。
ファレルはうねったパイプを、そろりとまたいでコレットのカプセルの根元に触れる。
こっそりと覗いたカプセルの中、コレットの様子を確かめる。
呼吸の動きがある。
どうやら眠らされているだけだと知って、ひとまず安心した。
カプセルからタンクの方へと伸びるチューブに目が行く。
「では、我が高貴なる実験を始めようでは、ないか。なあ、諸君」
博士と呼ばれた老人が、大仰にバッと白衣を払いながら両腕を広げて、やたらスイッチだらけの機械の前に立つ。
「始まるでぇ、博士の世紀の大実験がぁ」
博士がゆっくりと噛み締めるようにボタンを押そうとした、その時。
パァアン、とコレットの入っていたカプセルが内側から外に向かって砕けて散った。
「―――なっ!?」
破片がカラカラと床に飛び散る。
博士、以下三名は三者三様に呆然と砕け散ったカプセルの方を見ていた。
そこで、コレットの傍らに立ったファレルと三人の目が合う。
「……」
目が合ったが、ファレルはそれはそれとして、しゃがみ込んで、コレットを抱えようとする。
「って、誰やねんっ!」
ウサギのツッコミが空間に小気味良く響き渡る。
ファレルは、嘆息してコレットに掛けた手を離し、三人の方を見遣った。
「……ファレル・クロスといいます」
言って。
それきり、またコレットを助け起こそうとする。
「いや、名前言われても判んねーし」
亀から困った調子で言葉が零れる。
と、博士がカラリとガラス片を蹴って一歩踏み出した音。
「今……その、実験プラントを、破壊したのは、君か? あれは、ちょっとやそっとでは、壊れないように設計して、あったのだが……」
驚きと興味との入り混じった調子で博士は問い掛けてくる。
ファレルは溜め息を零し、再び、コレットから手を離し博士の方へと顔を向けた。
「中の空気を部分的に膨張させました。彼女を傷付けたくはなかったので」
「ふむ……妙な力を持っている」
博士は己の顎を撫でながら頷き、それから、その手をすぅと横に掲げ。
「大変興味が、ある。捕らえろ」
ぱちん、と指を鳴らした。
と、同時にウサギ人間とカメ人間がザァと構えを取ってファレルの方へと駆けた。
ファレルは短く息を零してから、カプセルの底に掌を滑らせ、分子配列を変換、手元にボウリング玉大の塊を取り、それをウサギの足元へ目掛けて投げ付けた。
ファレルの手を離れるまでの間に、その塊は手錠のような形となって、空を飛ぶ。それは回転しながらウサギの足首を、カシャ、カシャン、と拘束する。
「の、わ、ぉおおお!?」
ウサギは成すすべなく、ごちんと地面に倒れて、己の勢いのままに地面を滑った。
「痛ッ、熱ッ!! 歯がッ、歯がッ、摩擦ッ、熱ッ!!」
それはもう放っておいて、ファレルはコレットを抱えて跳躍する。飛び掛ってきたカメの腕がファレルの残像を掻く。
そして。
「むぎゅッ!?」
と、亀の頭をファレルの足裏が踏む。それを踏み台に、もう一つ跳ぶ。
「頭上注意、です」
亀が昏倒して甲羅が床に鳴るのと同時に、博士の前へとファレルは着地した。
「役に立たん奴らだ……」
冷めた声だった。
博士は他人事のようにウサギと亀を見遣っていたが、つぅと目の前のファレルへと視線を移し、傍の機械に手を伸ばした。
彼の手の伸びた所にレバーがある。
自信を帯びた表情を浮かべながら、博士はレバーを握った。
「我が研究の成果が……あのようなものだけとは、思わないで、頂きたい、な」
ガチン、とレバーが上げられる。
カラカラと鎖の巻かれる音。
それと共に、博士の後方の壁の一部が持ち上がっていく。
ゆっくりと、空気が変わっていく。細く地を這う様な唸り声。
上がりいく壁の奥の闇に、明かりが差して、暗闇の中で赤い眼が光った。
「危険な、ヤツだよ……我が最高傑作ともいえる、が、あまりに、強力であるがゆえに、最大の失敗作とも、言える」
ふふ、はは、はははははははは、と老人の哄笑が響き渡る。
ファレルはコレットを床に寝かせ、そして、つかつかと博士の目の前まで歩み寄って行く。
闇の中からは唸り声と共に、巨大な体躯の獣が姿を現し始めていた。
「普段なら、相手をしてあげても良いのですが」
ファレルの手が博士の持っているレバーに伸びる。
「今は、コレットさんがいらっしゃいますから」
言って、がちゃん、とレバーを下げた。
鎖が解かれる音と共に壁は降りて行き、獣の姿は壁の向こうへと消えていった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
やがて、ズシン……、と壁の端が床に着く音。
博士は目と口とを開いて呆然としている。
ファレルはその顔を見上げて小首を傾げた。
「どうしました?」
「ど……どうしたも、こうしたも、あるか……! こ、こういう時のセオリー、というものが、あるだろうがっ!」
博士が本当に信じられないといった表情で見てくる。
ファレルは嘆息してから、後ろで眠るコレットを一瞥し、言った。
「言ったでしょう?」
拳を固めながら腰を落とす。
「彼女を傷付けたくないんですよ。どんな事があっても」
◇
心地の良いリズムで揺れている。
そして、暖かい。
(この感じ……なんだっけ)
コレットはゆらりと、目覚めた。
開いた視界の先、街灯に照らされた地面が人の歩くリズムで揺れている。
「ん……?」
コレットが首を傾げると、こつりと頭の先が誰かの頭に当たる。
「気付かれましたか」
とても近い所でファレルの声がして、コレットはどきりと瞬く。
「え、あ、私――」
おぶわれているのだ。
コレットはファレルの背におぶわれていた。
慌てて彼の頭から自分の顔を離しながら、しどろもどろと言葉に迷う。まず、まず、状況が判らない。
「あ、あの……私、どうして?」
「公園のベンチで眠ってらっしゃいました。もう暗くなっていましたし、声を掛けても起きなかったので……すいません、勝手におぶらせてもらいました」
あれ? 、と思う。
確かあの廃工場で……。
でも、記憶は途中、唐突に途切れている。
「でも……私、廃工場でファレルさんを追いかけて……」
「私を?」
「うん……あ、そうだ。ライター! ファレルさん、ライターを落としていったから、私、渡そうと思って」
どこにやったのかと片手で思い当たる節を探る。
が、見つからない。
「私は煙草をやりませんよ?」
言われて、コレットは、また首を傾げた。
ファレルが微かに笑んだ気配を見せる。
「夢を見たんですね」
夢。
(……そうかも)
確かに夢だったかも知れない。
なにせ変な記憶だ。
「……そうね。うん……変な夢だった。あのね、変な関西弁を喋るピンクのウサギが出てくるの、あと亀」
「面白そうですね」
「私は、ファレルさんにライターを返さなくちゃって、廃工場の中を彷徨っていて、そのウサギたちを見つけて……そこから先は、あまりもう覚えてないのだけれど。私は、誰かに捕まっていて……それで、やっぱりファレルさんに助けてもらって……」
コレットは、そこで力無く笑った。
「私……夢の中でまで助けてもらってる」
「ちゃんと助けられて良かったです」
ファレルの頭が頷くように揺れた。
コレットは瞬きをしてから、クスっと笑ってしまう。
「夢の中の事まで、責任を感じる必要はないわ」
微笑ながら、歩み合わせて揺れる彼の髪先を見詰め……と、気付く。
「あ、あの、ごめんなさいっ。えと……運んでくれて、ありがとう。私、もう起きたから降りるね?」
「いえ、大丈夫です」
「でも……」
その先を言おうとして、ふと、ファレルが少し困っているような気配を感じて、言葉を止める。
少し考えてから。
「じゃあ……もう少し。この道の端まで」
言って、彼の背に体を預けた。
心地の良いリズム。
彼の背中は暖かかった。
(そっか……私は、この温度を知っていた……)
夜、春の名残り風が花の香りを連れて甘く吹いていく。
「そういえば、ね。私……夢の中で、ファレルさんにメリーポピンズの話をしようとしていたの」
「一緒に映画を観る約束をした話ですね」
「そう。覚えてた?」
「ええ」
笑みが零れる。
「良かった。あ、それでね……――」
街灯に照らされるこの道は、まだ暫く続いていて。
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クリエイターコメント | この度はオファー有難う御座います。 三度目のご利用ありがとう御座います。 廃工場、廃墟はとても好きなシチュエーションで、うきうきと書かせて頂きました。
心理描写、言動などなどイメージと異なる部分があれば遠慮なくご連絡ください。本当に。 出来得る限り早急に対応させて頂きます。 |
公開日時 | 2009-05-19(火) 22:00 |
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