|
|
|
|
<ノベル>
Jun06.2008
○9:40−
「違う! その箱、三つ向こうの島の」
「ぃやあああああ! 搬入事故? 事故って何ー!」
「サークルチケット ヲ ナクシマシタ。スペースナンバー ハ ほ−36 デス」
会場はすでに――戦場だった。
銀幕市は、こんなに同人密度が高かったのか。いやいや、ある種の閉鎖領域で、些細なきっかけをもとに爆発が起こっただけなのかもしれない。
「マジ怖」
「恐ろしいわね、ヒオウ」
スタッフとして会場中を駆け巡っていた二人は、すれ違いざまに頷きあった。
「追加椅子ないんですけど」
「人がパネルの下敷きになったぞ! 衛生兵、衛生兵ー!」
「「はーい」」
同じ声で返事をし、それぞれ対応に急ぐ。
○10:10−
「いい、気合い入れていくわよ!」
「おー!」
「ぷぎゅ!」
白い毛並みにルビーレッドの肉球、茶色の毛並みにピンクの肉球、そして素材不明のむにむにした闇色の手(?)。
三つが同時に掲げられた瞬間、周囲で数名が卒倒した。
会場の西端、平たく言えば壁際、わかりやすく言えば人が沢山集まる場所に、『聖なるうさぎ様と小さいものFAN』のスペースが用意されていた。
ねじり鉢巻きに半被、ハリセンを装備しつつゴスロリを忘れないレモン。
勝負服の、唐草模様の風呂敷マントをまとった太助。
腕……に人間用は無理だったので、腹に『非売品』と書かれた腕章をチャンピオンベルトよろしく巻いた使い魔。
以上のメンツが、売り子として準備していた。気合いと闘魂は刻々と高まっている。
「売って売って売りまくるわよ!」
「おー!」
「ぶぎゅ!」
繰り出される三つのおてて。拡大する被害の輪。
説明しよう。
銀幕市には、小さいものクラブという名のめんこい生き物サークルが存在している。そのファンの数は着々と増えている最中で、ご当地アイドルもかくやという勢いだ。
今回のイベントではプチオンリーと言って、小さいものFANのサークルが集結する予定だった。その企画中、有志の一人がふと思い出した。夏の折の黒木さん(匿名・要英訳)効果を。嗚呼、売り子とはなんと強大な力か。
そこで有志の代表は、隊長の太助に売り子を依頼したのだ。バイト代はあったかスイーツで。彼は二つ返事で了承し、現在に至る。
――ちなみに、有志の中には心が清くないメンバーも含まれていた。むしろ大半が(以下略
○10:30−
開場時間、となった瞬間。
目に沁みるベビーピンクの人影が、先陣を切って突入していった。
ふわん、とひるがえるスカート。そこから覗く鍛えられた太腿。たなびく金髪の縦ロール。
誰もが既視感に襲われるが、――違う。フリル満載のその姿は、本家本元ほど完成度が高くない。あれは森の娘達と漢気の絶妙なるコラボレーションの末に発生するものであり、おいそれと転がっているものではない。
しかし、誰もが目を奪われる。本物とか偽物とかどうでもいい次元のインパクトだ。
彼は颯爽と、壁際のスペースへ走り去る。
人々の記憶にはただ、斜め掛けにしたタスキのスローガンが残った。
墨跡も鮮やかな、『くるたんと呼ぼう』という文字が。
○11:00−
「ありがとうございます、お嬢様」
李白月は微笑んで、客に本を手渡した。
執事喫茶という亜空間が仕事場だから、女性が萌えだのツボ属性だのと目を血走らせる理由はよくわかる。が、しかし。
いくら店長の頼みとはいえ、制服着用で仕事用の接客態度で売り子をしている現状に疑問を抱いてしまうのは当然の帰結だった。
直接尋ねたところ、スペースの主である彼女は『ひとりは萌えのために、萌えはみんなのために』とのたまい、両隣から拍手が巻き起こった。そうなると白月の疑問がおかしいような雰囲気になる。ここはひとつ、空気を読むしかなかった。
売り物に、自分を使った掛け算本がないからいいとする。
そして開場から二十分で、通路を歩く人々に「執事がいる!」と指さされるのに慣れた。写真撮影は丁重にお断りしている。
段々、悟りが開けそうな気になってくる。
全種類一冊ずつお買いあげのお嬢様が、意を決したように白月に話しかけた。
「さささサインお願いしていいですか……!?」
「お嬢様、そのように難しいことをおっしゃって、私を困らせないでください」
悲しそうに、それでも精一杯笑みを浮かべようと頑張って。という困惑の表情を見せると、一瞬意識を飛ばしたお嬢様は謝り倒してダッシュで逃げていった。
四回目ともなれば、あしらうコツも掴めてくる。
店の客とは違った(血の気の多い)乙女達が、なんだか新鮮だった。
○11:20−
「すごいね、シオン」
話しかけると、るぅ、と答えが来る。
バッキーを抱えた七海遥は、きょろきょろと場内を見回した。ヒオウや緋桜と一緒に巡りたかったが、スタッフだから駄目絶対そんな余裕コンマ一秒たりともないのごめんね、とノンブレスステレオで謝られては無理は言えない。
事前購入したパンフレットは、付箋と蛍光マーカーでよれよれだ。映画関係の二次サイトをチェックしたら、行きたいスペースがかなりの数になった。
それにノーマークだったサイトに、ちらほら見知った人が座っている。いっぱい楽しく話したいな、と遥は浮き足立っていた。
隠れ同人屋にとって、一般人(だと思っていた)知り合いから声をかけられるのが、どんなに心臓に悪いかなどつゆ知らず。
一番大切なスペースにまず寄ろうか、と思って、けれど勇気が出なくて、会場を一周することにした。
○11:45−
ところで、使い魔のご主人のブラックウッドもイベントに参加していた。
だが、彼の現在地は会場の東端、つまり反対側、でもやっぱり壁際、そんなポジションだ。向こうの果てが気になっても、そうそう会いに行けない。
代表者は一般入場が始まる前に「ちょっと買い物に」行ったきり戻ってこないので、どこかで萌えているのだろう。タナトス兵が襲来した際、別の意味で鼻息が荒くなっていた。以来、テンションは右肩上がりで急上昇を続け、一週間前のお台場でゲージをぶっちぎった。
本日は他に売り子もなく、彼は行列の出来る大手サークルの売り子を一手に担っていた。
加えて、コスプレ参加だった。ぶっちゃけムービースターが作中での私服を着ているだけだが、煩悩アンテナが反応しないはずがない。いや、反応しなかったらそこに煩悩は存在ない。
入場行列に匹敵する人の群れを優雅にさばいていたブラックウッドは、順番を無視して近寄ってくる人物に目を細めた。
「おや……ルイス君」
「やほ、おじさまン」
挨拶してからふと我に返り、ルイス・キリングは衣装に見合った言動をしてみた。
「よう。いいもの持ってきたんだ」
左半身に刺青の入った、腹チラを忘れてはいけない格好だ。筋肉がすべてを語っている。ポニーテールになった黒髪がさやりと揺れる。どこかの青狼将軍のコスプレだ。
ちなみに『くるたんと呼ぼう』タスキは健在だが、腹チラのため鉢巻きにして後ろをたなびかせている。
「チラシ配り、手伝ってくれねぇか?」
懐っこく笑って、巨大な紙袋からビラの束を取り出す。ブラックウッドは書かれた文字を読んだ。
「『くるたんと呼ぼう』……?」
「普及委員会の、広報やってんだ。な、頼む」
「構わないよ。ただ……」
「ん?」
「在庫僅少の新刊の上に置くのは――。残念だったね……」
意味が掴めなかったルイスは、ブラックウッドの人差し指をたどって振り返った。
殺る気満々の猛獣(数秒前まで乙女)が、じりじりと包囲網を狭めていた。
注意一秒、怪我一生。
悲鳴を聞いたスタッフが駆けつけた時には、すべてが終わっていた。
――ルイス・キリング、ここに眠る――
(漢)(じゃない完)
○13:10−
白月は店長と交代でスペースを離れた。後は撤収までフリーだ。彼が抜けた後、店長がキャリーカートの二重底を開けて禁断の新刊を取り出したことは記すまでもない。
匂いに惹かれてふらふらと、レストスペースへ向かう。
ギラギラした欲望を受け取りすぎたせいで、疲れた。休みたい。
会場を出て、喫茶店かファーストフード店で時間を潰しつつ暖まって――
などと考えていたものだから、襲われた。
「イケメン執事キタァ!」
低い雄叫びにびくっとなったのが、運命の分岐点だった。
そして嵐のように何かが通り過ぎていった。
その一瞬について考えるのは、パニーニとコーヒーを買ってベンチに座ってからにした。
ぼんやり、ロココ風のドレスを見た気がする。
ぼんやり、首に腕を回されて頬ずりされたような感触がある。
ぼんやり、腕が成人男性をお姫様抱っこしたような重みを覚えている。
ぼんやり、すげぇ数のフラッシュの残像が網膜に焼き付いている。
「MOE、ゴチになりました!」
とか拝まれた記憶があるようなないようなないことにしておこう。
総合すると、女装した男をお姫様抱っこしていちゃついてる(風の)写真を、かなりの人数に撮影されたことになる。
そんなはずはない。物理的にありえない。肖像権的にありえない。ツッコミ損ねたなんて、ツッコミ的にありえない。
だから、何もなかった。という結論に達する。
白月はパニーニを両手で包んでかぶりついた。鶏の肉汁がスライスした玉ねぎに絡まって、甘い。
遠くに目をやり、無心で二個を完食する。
砂糖もミルクも入れないコーヒーは、ただ苦かった。
○13:55−
レモンが「トゥルー・ラーズの名に誓い、すべての不義に鉄槌を」と呟いてひらりとテーブルを飛び越えていった瞬間から、雲行きが怪しくなってきた。
まず現れたのは、高い位置で髪を結った眼帯の女性だった。チャイナドレスのスリットは、もちろんきわどいところまで。一応、本人ではない。
「た、たすー隊長!」
「ぽよんす?」
もじもじしている彼女に、周囲はぴんときた。英雄が生まれるか敗残の将となるか、刮目して見る以外にどんな選択肢があるというのだ。
黙りこくっている彼女に、使い魔はてとてとと歩み寄って見上げた。
「ぷきゅ?」
その一声に、彼女は意を決した。
「女一匹、いっきまーす! たすー隊長、『生者のために施しを、死者のためには花束を』」
漢だ……漢が現れた……
ざわざわと感動が広がる。万が一事情を知らなくても、なんか雰囲気でエラい場面に出会った錯覚に陥る。
太助はおう、と頷いた。
「『例のアレ』ってやつだな。千円だぞ」
合言葉を太助に言うと、とある本を売ってくれる。それだけの話だ。
出てきたシークレット売り物は、黒いビニールで真空パックされた上にクラフト紙で二重に包装されエアパッキンで梱包され、仕上げに「水濡れ厳禁」のシールが貼られていた。
中身は同人誌一冊なのでそこまでする必要はない。だが太助に、中を見てはいけない&取り扱いに注意すべきもの、という暗示をかけるために必要な仕掛けだった。
野口英世お一人様と、プリーズプリーズ交換される。
それを受け取った彼女は、太助と使い魔を交互に見て、瞳を潤ませる。
「お……」
今にも泣きそうな顔に、太助は何か言いかけた。が、それが届く前に、彼女は走り去った。勇退の花道を乙女達が覆い尽くし、追跡を不可能にする。
「なんなんだ、あれ?」
困惑した太助が、近くにいた男性に聞いてみる。彼はしばし思案した後、右手の人差し指を口元に当てた。
「それは秘密です」
「なー……?」
連れの男性に矛先を向けると、彼は悲しげに首を振る。
「それを言ったら言えない内容を言ったも同然なので、やはり言えない。言わないんじゃなく言えない」
太助の頭には、クエスチョンマークが残った。
その新刊自体は、ブラックウッドが売り子をやっているスペースでも手に入る。というかそこが主催したアンソロジーだ。
小さいもの達が擬人化された……R指定の花園本だ。
それを、何も知らない当事者から手渡してもらえる背徳の快楽。千円では安すぎる。
○14:30−
何度も、何度も。その通路に入ろうとして足がすくんで、何を見るでもなく周囲をうろついた。
七回目にしてようやく、突入する。
段々と重くなっていく両足を叱咤して、何度もパンフレットでチェックしたスペースにたどり着く。
「遥? 来ないかと思った」
内側の人が驚いて、次いで笑う。ぎこちなく笑い返して、遥は机の上を見渡した。
隣のスペースも一応確かめて、改めて端から端まで確認する。
――ない。
委託を頼んだはずなのに、机の上にない。
愛情をたっぷり込めて書いて、初めて本の形にした映画の感想。一種類しかないし無料配布だし、……いきなりサークル参加はハードルが高かったから、委託という形で加わりたかったのに。
遥は視線を落とした。
主が慌てる。
「泣きそうな顔しない。早とちりもしない。遥の本なら、とっくに配布終了したんだから」
時間をかけて、じわじわと言葉がしみ通る。
顔も知らない誰かが、遥の書いた本を貰ってくれた。出来はつたないかもしれないが、あの愛が誰かに伝わったならいい。
「……や、ったあ」
嬉しくて、顔がふやける。
シオンを抱きしめてうずくまっていると、客が訪れた。
「すみません。これ、こちらで配布してましたよね」
「はい、……ええ。うちの委託です」
主の声が笑いを含む。相手は息せき切ったように喋った。
「作者さんに伝えてください。趣味とか似てて、楽しかったですって。知らない映画観てみますって。お願いします」
驚いた遥が立ち上がった時、すでにその人は立ち去った後だった。
胸の高鳴りを感じていると、先輩からアドバイスが来た。
「遥。本を作った時は奥付に、メールアドレスぐらい書いておきなよ。そしたら、いいことあるから」
「うん! 次からそうする!」
○14:45−
「ちょぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!」
レモンは危機を感じて、鉄槌を下すためにハリセンを片手にチェイスしている。羞恥プレイ2ndステージは、是非とも阻止せねばならない。
「あはははは、つかまえてごらーん?」
ロココドレスの男が、笑いながら逃げていく。先ほど、白月と記念撮影をした者だ。
彼の名前はアンジェラ・モーガン、職業:危険な仕事、経歴:エメラルドの中の人、所持品:同人ゲームのCD−R。
ふとしたことから彼と出会って、市中引きずり回しの刑もしくはデートをした。なんて過去があった。
「そんなの売るんじゃないわよ!」
「だって、作っちゃったんだもん」
アンジェラのターン・木の葉隠れの術。小脇に抱えた宣伝用のビラがばらまかれる。
そこにはゲーム『うさ☆メモ』の詳細が描かれていた。ジャンル:恋愛シミュレーション。内容:うさぎ様がイケメンに囲まれてウハウハな逆ハー。CEROだとCぐらいの愛の形。
人々は何事かと、落ちたビラを拾って見てレモンに目をやる。そして納得する。
うっかり見てしまったレモンは重度のダメージを負った。相手は知り合いの男性ばかりだった。普通に東博士が攻略対象なのはなんでだろう。
「罪深きものは全て、等しく灰に還るがいい!」
レモンはMy杖を振って、ビラを燃やした。周囲の被害なんて関係ねぇ。
アンジェラは、捨てられた子犬のようにしょげた。前方不注意で逃げていたので、曲がり角で誰かにぶつかる。
「きゃ!」
「ぐ」
一緒に倒れる。相手のみぞおちにCDケースの角をめり込ませてしまったが、事故だから仕方がない。
「いたたた……」
アンジェラは身を起こし、下敷きにした男を見て息を止めた。
落ち着いたフォーマルに秘められた、魅惑的な体。一度は手で梳いてみたいと願う、丁寧に撫でつけられた灰色の髪。
小さなうめきが、形のよい唇から生まれる。豊かなまつげが隠していた瞳は、金色。
セオリーにのっとって、二人は恋に落ち――なかった。
「ルイスも来てたの? ってか……」
追いついたレモンが、呆れ声を出す。振り上げたハリセンを、どちらに振り下ろすべきか迷っている。
アンジェラはそのゲームで撲殺決定として、ルイスのブラックウッド氏コスが渾身の力作すぎるところと『くるたんと呼ぼう』タスキとの合体技もツッコミに値する。
乙女達にSATSUGAIされたルイスは、パッヘルベルのカノン一曲分で再生した。そして地道に布教活動を続けていた。SATSUGAIされて絶賛再生してSATSUGAIされてという行程をエンドレスループしながら。
ルイスは(ろくでもない)天啓を得た。目の前にレモン、そして今は『魔性の美壮年』の威を借りている。アンジェラをおしのけ、静かに熱い瞳をレモンに向ける。
「憤るのはおやめ……愛しい人」
「なに口説いてんのよ!」
「成り行き上の必然性、というものだよ」
KYを装ってアンジェラが割り込む。
「レーモン、HENTAIの頭文字しよ?」
「便乗しないソコ!」
力の限り、レモンは叫ぶ。
ルイスとアンジェラは互いを見て、火花を散らした。敵に向かって唇を歪めたのは一瞬、次々と愛を言葉にする。
「その手の甲に、愛を告げてもいいだろうか。許されるのならば、頬に、肩に。……他の誰にも見せたことのない場所に」
「うさぎさんは俺の嫁!」
「何かを捧げたかったが――今更捧げるものなど何もない。私の全ては、君の思うがままだ」
「あ・い・し・て・るぅぅぅぅ」
「今宵、共に踊ろう。月の光を素肌に纏って、二人で」
「私のドキドキの正体はわかったわ。それはあなたよ!」
いくらテラカオスな会場でも、ヴァンパイアとロココドレスの男が熾烈な争奪戦を繰り広げていれば注目の的となる。三角関係の頂点は、ゴスロリで半被なウサギ。
人垣の中心で、何の公開処刑だろう、とレモンは魂を吐いた。
○15:00−
一方、小さいものクラブにもピンチが訪れていた。
「お? おお? 百円玉が七枚と……?」
価格設定はわかりやすいものにしてあるが、同時にいくつも買ってもらうと混乱する。品物の種類と個数が人によって違うから、毎回計算しなければならない。
「……千三百円だ!」
「二千七百円、だと思うな」
客はにっこり笑顔で訂正する。
周囲はこのサディスト、と思いつつ、うろたえる太助の愛らしさに鼻血をこらえている。
そんな風に、もたもたしているから行列は伸びるばかり。売り子の姿も見えない後尾になると、いらだちがつのる。
飴の缶を持った使い魔が、『これ、たべるです』と場を和ませに行ったら飲み込まれた。
「つっちー!」
太助は白目を剥いて、顔に縦線を浮かべた。仲間のピンチだ、いざ行かん。
ひらりと机を飛び越え、走り出した瞬間に転んだ。顔面から着地したのは偶然ではなく必然だ。
「お釣り……」
風呂敷マントの裾を、客がしっかりと握りしめている。小さいものストラップ(五百円)とぬいぐるみ(大)(千円)をお買いあげで、五千円札を渡した。差額は大きい。
「ちょ、ま、待ってくれ! つっちーが! つっちーが!」
しかし彼女は、涙目で首を振る。周囲は、どちらに協力すべきか揺れていた。
使い魔の身の安全は、確かに大切だ。だが、終了まであと一時間。有志が夜なべして作った(比喩ではない)グッズを、小さいものクラブのメンバーから直に受け取れる時間はそれだけしか残っていない。
貞操オアBonnou。究極の命題だ。
ぱさ、と『非売品』の腕章が床に落ちる。切れ切れに「ぶぎゅ」と助けを呼ぶ声が聞こえる。
「つっちー! かむばーっく!」
太助はぷるぷると手を伸ばした。ああ、使い魔はもう……
と、息絶えかけたその瞬間。
「待ってろ!」
李 白月 が あらわれた !
カンフースーツの裾をひるがえし、突入する。群がる魔手をなぎ倒し、倒し、かわし、スルーして、か弱きものに手を差し伸べる。
「大丈夫か?」
「ぷぎゅ〜」
はは、と笑って、白月は使い魔を肩に乗せた。
「見える……見えるぞ……」
太助はカッと目を見開いた。
その者は青き衣をまといて、金色の野(累々たる死体の上とひれ伏す人々)を歩いている。
「ぷ ぷっぷぎゅ ぷっぷっぎゅ ぷ ぷっぷぎゅぷ〜」
使い魔 は たのしそうだ 。
太助はマントを脱いで、走り出した。白月は使い魔をつつく。
両者は中間地点で落ち合い、ひしと抱き合った。
「つっちー! 」
「ぷぎゅ」
お待ちのお客様が、唐草風呂敷を両手で揉みしだきながら主張する。
「お釣り……」
「ん? ああ。三千五百円だな」
机の上を見て、白月は反射的に釣り銭を渡した。受け取った彼女は、なぜか恨めしそうに去っていく。
この時間になっても長蛇の列。無人のスペース。使い魔と太助はらんらんる〜と歓喜の舞踏を踊っている。
「異議あり!」
白月は二人の肩を掴んだ。
「アマチュアっても、商売してるんだぜ。せっかく来てくれた客を、おろそかにしたら駄目だろ」
言われて、太助は我に返る。
「お、おお。悪かった。つっちー、もうひとふんばりするぞ」
「ぷ!」
だがしかし、釣り銭の計算が(以下略
百円玉は裏と表で図柄が違う。五百円玉もそうだ。
お札になるとさらにハイレベルで、なんと金額によって大きさが違うのだ。
奮闘する二人の姿を見ていた白月は、目頭が熱くなった。接客業に携わる者として、誰かがやらねばならない使命を感じたからだ。
所要時間一分未満。
白月 が 売り子 に くわわった 。
○15:45−
「えー、絶対に受けよ?」
「他のカプならともかく、黒となら白は攻め。白黒ったら白黒。黒白なんて認めません」
会場の一角で、美少女がメンチを切りあっていた。
高度な専門用語は割愛する。主に年齢制限の意味で。
わずかな休憩時間を勝ち取った緋桜とヒオウは、白月の売り子タイムが終わったことにがっかりしつつ新刊をゲットした。
だがそこで、掛け算の左右という根本的かつ永遠の問題に遭遇した。そして意見の相違、口論、流血二分前に至る。
「でも緋桜、闇白派って言っていたわよね」
「闇白はあっても黒白はないわ」
「白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒」
「黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒白」
乙女の放つ言葉は永遠に尽きることなく、ただ、埋めがたい溝の深さを増すばかりだった。
両者の携帯電話が鳴って、中断を余儀なくされた。見なくてもわかる。この曲はエマージェンシー、つまりスタッフ足りないから戻ってこいよ、の号令だ。
――だが。
相手を見る。このまま終わって、打ち上げに気まずい空気を持ち込みたくない。
「肉体言語で語るか」
「上等だゴルァ」
色々と面影がない発言をして、ボキゴキと指を鳴らす。
実力は互角。勝負は一瞬で決まるだろう。
痛いほどの緊張は、通りがかった遥によって粉砕された。
「あ、二人ともいた」
「「ぶっは」」
盛大に噴いて、緋桜とヒオウは停戦した。
「遥、楽しんでいる?」
「遥、頑丈な紙袋とキャリーカートの有難みがわがふっ」
不適切な発言により、ちょっと緋桜が瞬殺された。
「うん、楽しんでる。お姉ちゃんが欲しがってた人の本も買えたし、バッキーグッズ作ってる人とお話しできたり、……あと、」
一瞬ためらって、続ける。
「本の感想をもらったの! 手伝ってくれて、ありがとう」
うれしさと恥ずかしさの混じった笑顔で、遥は去っていった。
「……ヒオウ」
「緋桜」
作る楽しみ、買う喜び。そこにあるのは、伝えたい思いだけだ。互いの解釈を押しつけあっていがみあって、何になるというのだろう。人の数だけ意見があるのだから、違っているものの存在を否定するなんてナンセンスだ。
「「ごめんなさい」」
仲直りの握手をする。そして目で語り合った。
(遥を次のステージへ導きたいわね)
(同感。どのジャンルを勧めるか、が悩みどころね)
不良は更正できるが、オタクは一生治らない。
○15:58−
愛の言葉責めは、終盤にさしかかっていた。
ルイスはお色直しを挟んで、今は黒いコートに金髪碧眼になっている。ラブ・スナイパーからヴァンパイアハンターへ、華麗なる変身だ。
レモンは逃げられなかった。
親愛表現過剰な某セキュリティ会社社長が憑依しているルイスが、さりげなく二の腕を包み込んでいる。そしてアンジェラは、しゃがみこんで下からスカートの中を狙っている。
「……どいてくれないかな? レモンの隣は、僕の指定席なんだ」
「なんだ、嫉妬しているのか? 見苦しい奴だ」
ばちばちと火花を散らしてから、揃ってレモンの方を向く。
「「どっち。」」
異口同音に問いかけられると、コマンドが現れる。
『誰を選びますか?』
⇒ルイス アンジェラ 東栄三郎
「ゲーム違うわよ! そしてガチでどんだけー!」
特に最後の選択肢。
どれを選んでも全員の士気が−10、レモンの発言力が−500になり、ルイスとアンジェラは「焼きもち」状態になる結果は変わらない。が、別の意味で選ぶのが難しい。
この後アンジェラに、後ろから抱きつくように刺される気がする。
そうでなければルイスが、五本の指の間に四つの塩大福をはさんで向かい風に向かうスチルが表示される気がする。
はみ出た魂を提灯に、無明荒野をさまよっていたレモンを救ったのは、会場に響いたチャイムだった。
○16:00−
十二時の鐘でシンデレラの魔法が解けてしまうように、イベントも、終わりがある。
「……っと、締めないと、な」
ルイスはレモンから離れ、荷物一式の詰まった紙袋から、メガホンを取り出した。
『みんな、楽しんだかー!?』
キィンとハウリングを伴った声が、粛々と流れるアナウンスをぶった切る。
『老いも若きも男も女も、どうだっていいさ! 人生は楽しんだもの勝ちだからな! 愛があればすべてオッケー、ラブイズオール! ……ところで』
ルイスの声のトーンが一つ、落ちた。会場は聞き入りモードに入っている。
『話は変わるが、どうしても普及させたい名前があるんだ。みんなで呼べば怖くない。ムービースター疑惑のあいつを、小さいものクラブの凶悪なメンバーをバッキーと詐称して連れ歩いてるあいつを、みんなで呼べば怖くない!』
ひるがえるタスキ。そこに書かれた文字は、人々の脳裏に刻まれる。
『さーみんな、大きな声で呼ぼうね! 恥ずかしがっちゃ嫌だぞ。せーの、く・る・た』
パァン!
静まりかえった会場で、スタッフ達が異様な空気を纏っていた。
「悪ぃムービースターはいねがぁぁぁ!」
コスチュームBなのにおどろおどろしい、大晦日の秋田名物を連想させる迫力で横一列に並んでいる。
対策課からちょっぱやで借りてきて、ようやく反撃もとい鎮圧の準備が整ったのだ。
代表が叫ぶ。
「カラシニコフの裁きのもと、五.四五ミリ弾で奴らの顎を食いちぎれ!!」
――ルイス・キリング、眠れ眠れ、やすらかに眠れ永久に――
(finis)
次回開催時には、コスチュームBの貸与とストマライザー10争奪の関係で、大人の密談がありそうな予感がする。
|
クリエイターコメント | 合言葉はテラカオスで☆
このノベルはフィクションです。 実際にイベントに参加する際は、そこそこ世間体を保ち、節度ある態度をこころがけ、迷惑行為をしないようにしましょう。 |
公開日時 | 2008-01-27(日) 00:50 |
|
|
|
|
|