★ 探偵ヲ待ツ死者 ★
<オープニング>

 銀幕市の郊外に、緑に囲まれる形でひっそりと佇む白塗りの小さなペンション。
 とある自主製作映画のロケに使われ、対策課の植村を通じて訪れたその場所で、待っていたのは蒼白の死者だった。
 白いシャツに黒のパンツ、まるで演奏者のような出で立ちの、青年の口の端からは糸のような血が一筋流れている。
 おそらく、触れた肌に温度はないだろう。
 けれど、それでも彼は言葉を綴ることが出来る。
「僕は殺された。でも……何故殺されなければならなかったのか、どうやって殺されたのか、誰に殺されたのか、なにひとつわからない……」
 冷たい唇から、溜息のようにこぼれるのは、切々とした痛みだった。
 彼の背景では、カタカタと動く映写機によって、白い壁に件の映画とおぼしきモノが投じられている。
 はじまりは、悲劇的な少女の死。
 そして場面は、和気藹々とした大学生男女6人からなる、演劇同好会の面面がこのペンションに訪れるシーンに切り替わる。
 新入生歓迎会をかねた合宿メンバーの中には、いままさに目の前で語る青年の姿もあった。
 彼等は楽しいひとときを過ごす。
 だが、ペンションでの過去の事件から怪談が持ち上がり、深夜の幽霊騒動を皮切りにして、後に続くのは細切れのカットで作られた陰惨な映像群ばかり。
 ひとり、またひとりと、仲間たちは不連続なフィルムの中で『Who killed me?』のメモを加えさせられて死んでいく。
 合間で伺えるのは膨れ上がる恐怖に押し潰された表情と、疑惑と疑念、そして混乱。
 けしてプロのように洗練されているわけではないが、だからこそ生々しく、真に迫るものがある。
「僕は『彼女』を愛していた……『彼女』を全力で守りたかった……そして、彼女に告白する。ただ、それだけを願っていたんだ」 
 けれど彼の想いは果たされず、白い部屋で静かに死を迎えていた。
 壁に映し出された『横たわる蒼白の青年』と、目の前にいる彼とが重なる。
 そして。
 何を伝える為の映画だったのか、ここからどうする決着をつけるつもりだったのか、語られないままフツ……と映像は途切れてしまった。
 差し込まれたワンシーンで探偵の登場をほのめかしたまま、謎を残して、終わってしまったのだ。
「見ていただける映像はこれで全てです……」
 製作者側にどういった事情があったのかは分からないが、ともかく、物語は正式なタイトルを与えられることなく完結しないままに取り残されてしまったということだ。
 カタカタと空虚に響く映写機の音に被せて、死者は願う。
「僕はこのままでは宙に浮いた存在です。そして、この作品も。だから、僕と仲間たちの死の原因を、犯人を、そして真相を解明してください」
 彼の不安定な視線が揺れる。
「どんな形でもいいんです。例え用意された結末とは違っていたのだとしても、それでも決着さえつけてくれるなら、納得できるなら、それできっと……だから、お願いします」
 深々と頭を下げる、彼の正面で映写機がひとりでに動きを止めた。

種別名シナリオ 管理番号63
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
クリエイターコメント 彼の死の原因と事件の真相をあらゆる手段を用いて推理・解明し、探偵宣言をお願いします。
 なお、今シナリオは傾向としてミステリではありますが、結末はアプローチ次第でいかようにも変化いたします。

参加者
犬神警部(cshm8352) ムービースター 男 46歳 警視庁捜査一課警部
マックス・ウォーケン(cnhs4742) ムービースター 男 30歳 特別捜査官
杉崎 景護(cxxp2808) ムービーファン 男 23歳 小説家
明智 京子(chzp1285) ムービーファン 女 21歳 大学生
<ノベル>

 死者は静かに顔を上げ、そこに並ぶ三人の『探偵』たちに向かって問いかけた。
「僕と、そして終われなかった映画に、解答という名の結末を下さいますか?」
 そうして、瞳孔が開き切っているせいでうまく定まらない視線でもって彼等を順に見つめていく。トレンチコートのスマートな青年を、モノトーンでまとめた服の胸ポケットにミッドナイトカラーのバッキーを潜ませた若者を、そして、野暮ったいスーツ姿の中年を。
 そして、全ての音が不意に途絶えた。
 だが。
「よぅし、わかった!」
 沈黙は一瞬で破られる。
 おそらく彼を見た全員が『いわゆる探偵映画に出てくる、ダメなワトソン役』代表と認識するだろう――ステロタイプの犬神警部がポンっと自分の手を打った。
「……え、もうお分かりですか?」
 当然死者は驚きの声を上げる。
「うむ、自分には斯様な不可能事件にて探偵役を務めることはできん。だが、相応しい人物ならば当てがある!」
 ムービースターではないが、との言葉が続くと同時に、
「しばらく待っていろ」
 そう言って慌しく部屋を飛び出すと、彼は乗りつけていた車でいずこかへと走り去っていった。
 口を挟む余裕もなく、そんなワトソンの後ろ姿を死者と二人の青年が見送る。
 そして。
 数分もしない内に、静寂の森には不釣合いなエンジン音が遠退いていく。
 疾風のごとき退場、と言えないこともない。
 半ば毒気を抜かれる形で沈黙していたのだが、それでも気を取り直し、最初に口を開いたのはマックス・ウォーケンだった。
「ふむ、すごい行動力だ」
 あちらが日本警察を代表するワトソン警部なら、こちらはアメリカを代表するFBI特別捜査官である。ただし、その肩書きには『超常現象をも担当する』という一文もつくのだが。
「さて、こちらはこちらで解決の糸口を探るとしようか。ところでキミは今までのやり取りで何か閃いたかな?」
「……あ、いえ、まだ……」
 期待を込めた二人の目から控えめに視線を逸らせて、杉崎景護は首を横に振った。
 小説家の卵である彼の頭には、死者の話を聞いてから既にひとつの仮説が浮かんではいた。しかし、それを口にはしない。
 死者の望む『真相』に辿り着くまでに、自分たちがやるべきことは多い。知らなくてはいけないこと、考えるべきことも山ほどある。
 なにより自分の思いつきが他のモノの推理を邪魔することになっては本末転倒だ。
「じゃあ、犬神警部が戻ってくるまで、僕と一緒に捜査といこうじゃないか」
 言葉少なな青年に頷き、マックスは景気よく彼の肩を叩いた。
「安心しろ、僕はこの手の事件のプロだ」
「はい」
 素直に頷き、景護は愛用のメモ帳とペンをごく自然な動作で鞄から引っ張り出した。
「というわけで、事件解決のために必要なデータを揃えよう。そこで」
 キッと、マックスの目が鋭く死者を射抜く。
「何より雄弁に語る死体! そう、つまりキミだ! さあ、調べさせろ。服を脱いで……ちょうどいい、そこの長テーブルに横になって」
「ええと……構いませんが、その……」
「構わないなら尚良。死因の特定だ。死亡時間や殺害現場からの移動がなかったか、不審な傷や何かのあとがないか、じっくりきっちり調べさせてもらう」
 強引に話を進めていく彼に、従順な青年は半ば押し倒されるようにして長テーブルで『まな板の鯉』になる。
「ざっと見た所、目立つ外傷はないようだが」
「……ええと、刺し傷も擦り傷も打撲痕もないということですか?」
「その通り。内出血の痕も骨折した形跡も見られない。杉崎クン、検死結果をメモしておいてくれないか」
「あ……はい、もちろんですが……」
「よし、じゃあ続きだ」
 だが、法医学にも詳しいと豪語した捜査官の表情は見る見る険しくなり、その目には焦りが見えはじめた。
「む、どういうことだ、死斑がない! いや、そもそも歩きまわっているんだから移動してしまうかもしれない。なんだ、眼球の混濁も怪しいじゃないか。こうなったらいっそ詳しい検死結果は解剖で、胃の内容物から状況を――」
「……ま、待ってください」
「ん?」
 控えめな小説家の制止と、ポケットの隙間から覗くバッキー・ヴェルスーズの瞳、そしてどこか恐怖に駆られた死者の視線を受けて、はたと手を止める。
「たぶん……その……ムービースターとして蘇ってしまった彼に、死亡推定時刻とかはあんまり意味はないんじゃないでしょうか?」
 しごくもっともな意見だ。
 改めて、マックスは死者と向き合う。
 顔を近づけ、その口元に鼻先を寄せて、かの有名なアーモンド臭が漂ってくることを期待したが適わなかった。これでいわゆる『ミステリの常套・青酸カリによる毒殺』の線は一応消えたことになるだろう。
「よし、捜査方法を切り替えよう」
 検死はとりあえずやめたらしい。
 潔い宣言に、死者と景護どちらからともなく安堵に似た溜息がもれた。
「殺人犯は一体どんな人物だったのか、それぞれの死の状況確認も含めて、もう一回映画を見てデータをピックアップしてみるのがいいだろう」
「……ソレがいいと、思う。俺も、人間関係とか整理してみたいし……」
「ああ、ではもう一度フィルムを見直しますか? 待っていてください。すぐに用意しますから」
 そう言って、いそいそと剥ぎ取られた服を着込んで、死者は探偵たちのための準備に掛かった。



「待っておったぞ、明智京子!」
 爽やかで健康的な明るさに満ちた大学のキャンパスに、これでもかと言わんばかりの威圧感で仁王立ちする男。
「げ、犬神警部……!」
 待たれていたのは、友達と二人で放課後どこに行こうかと相談していたごく普通の大学生にして、華やかな可愛らしさを眼鏡の奥に隠す元アイドルだった。
 引きつった顔も魅力的だ。
「さあ、名探偵におあつらえ向きの舞台が待っている。連続殺人事件だ。四の五の言わずにその推理を披露しろ!」
 有無を言わさずガシリと腕を掴まれた。
「え、ちょ、わたし、別に名探偵なんかじゃ……」
「京子、そのヒト誰?」
「えっと」
「うむ、自分は警視庁捜査一課警部、犬神だ。コイツの力を借りに来た」
「へえ……警察からお呼びが掛かるなんてすごいわね、京子」
「へえ、じゃないわよ、ちょっと。警部も離してってば。わたしに推理能力なんて皆無よ皆無! いやぁ! 助けて、おまわりさーん!」
「自分がまさにそのおまわりさんだ。いいから、来い!」
 ぐいぐいと、どんどん友人から引き離されていく。
「京子、また明日ね〜」
 のん気な友人に笑顔で手を振られる中、名探偵としてもアイドルとしてもしっかり引退したはずの彼女は問答無用で車の中へと押し込められた。
 誘拐、に見えないこともないシチュエーションでありながら、京子を助けるものはいなかった。
 なぜなら、彼女は名探偵として、警部に招集を掛けられたのだから。
 映画と現実の垣根がほとんどなくなっている今、彼女に贈られるのは、活躍を望むファンからのあたたかな声援のみだった。
 理不尽な厄災を嘆いても、もう遅い。
 犬神に見込まれてしまった彼女の、今日これからの予定はどうにも変更不可能となってしまった。



 白い壁をスクリーン代わりに上映されるブツ切れの殺人劇は、何度巻き戻してみても陰惨なシーンばかりが目に付く。
 そう、例えるなら……
「なんだか……途中からスナップフィルムを見ているような……そんな気になってきますね」
「同感だ」
 思わず感想をもらす景護に、マックスも頷く。
「映画という括りである以上すべて作り物であると思うんだが、それにしてもひどい殺された方をしている。猟奇的と言っても差し支えないだろう」
 真っ赤な水で満たされた浴槽に、ナイフで首を掻き切られた状態で着衣のまま浸かる女。
 砕け散ったガラスの破片と一緒に、額をぱっくりと割られて倒れる男。
 うつ伏せで倒れ、体中を衣類もろとも無残に引き裂かれている男。
 暖炉に首を突っ込み、どうやら上半身を焼かれてしまったらしいと推測できる男。
 ざっと見ただけでも、ずいぶんな懲り様だ。
 しかも大半は顔の判別すら出来ない。
「ミステリと言うんだから、当然犯人はこの中にいるはずだが、それもアヤシイな」
 死んでいるふりをしてるヤツがいてもおかしくない。
 あるいは自分の身代わりに、別人を死体に仕立て上げるという方法だって可能だ。
 疑って掛かれば全てがあやしく思えてきて、つい唸り声を上げるマックス。
「……でも、キミには目立った外傷がない、ね……」
「ええ、どうやらそのようです」
 自信なさげな表情ながらも、青年は景護の言葉により、すでに体温を失って久しい自分の体を見下ろした。
 コレは、先程の『検死』で判明している事実だ。
「どうにもキミだけは毒物によって訪れた死、という印象なんだ。これは明らかに他と浮いている」
 マックスは目を細めて彼を見る。
「キミのその殺され方にはなんというか……激しさの代わりに静謐で特別な空気を感じる」
「つまり、犯人は女だな!」
 突然、断定的な台詞が飛び込んできた。
「警部、いきなり決めつけちゃダメじゃない……あ、でもありえるかしら」
 更に彼をたしなめるもうひとつの声。
「キミは?」
「ええと……はじめまして、明智京子です」
 戸惑いながらも、京子はマックスたちにきっちり頭を下げて、よろしくお願いしますとアイサツする。
 そんな彼女の鞄からチョコンと顔を出したバッキーも、同じく頭を下げた。
「あなたが,僕のために犬神さんが呼んできてくれたという名探偵ですか」
 青年が立ち上がり、期待を込めた瞳で彼女を見つめる。
 その純粋で縋るような視線を受けてしまっては、今さら誘拐まがいで連れてこられた普通の女子大生だとは言えない。
 しかも道中ですでに充分過ぎるほどの情報を犬神から話されてしまっているのだ。
 だから京子は笑う。
「できる限りのことをさせてもらうわ」
 にっこりと、アイドル時代に鍛えた完璧な笑顔で。
「ちょうどいい。探偵役が全員そろったところでちょっと見てまわろうか」
 マックスはにこやかに、ただしその眼光に捜査官としての鋭さを光らせて言った。
「殺人現場はこのペンションだ。ちょうど、それぞれの死の状況も出し終えたところだから、一度現場を実際に見るのがいいだろう」
 彼に促がされ、『では僕が案内を……』と依頼主たる青年が先頭に立って扉を押し開いた瞬間、
「あ」
「あら、どうしたの?」
 ふいに飼い主のもとから2匹のバッキーが駆けだした。ミッドナイトとシトラスの可愛らしい小さな生き物は、この広く白く、けれど薄暗いペンション内を一直線に走っていく。
「待って」
「コラ、待たんか! ええい、まだ自分の推理は終わっとらんぞ」
 バッキーたちは飼い主や探偵が『現場』と認識している場所ではない、地下のボイラー室に辿り着いていた。
 最初にソレに気がついたのは、真っ先にバッキーに追いついた京子だ。
「ね、コレって撮影のあとに掃除しなかったのかしら?」
 続いて、彼女の背後から目を細めて景護もソレを確認する。
「……黒い、シミ……」
 廊下に伸びる、なにか重く大きなモノを引き摺ったらしい痕。
 壁に飛び散る、ペンキをぶちまけたような痕。
 視線を上げれば、天井近くにまで何かソレらしきものが窺えた。
 時間によって変色したと思しき汚れ、不吉なカタチに飛び散ったどす黒いシミは、当然あるものを連想させる。
 何かは分からない、だが確実にここで何かが起きている。
「そもそもこの部屋は、さっき見たフィルムには映っていなかった場所だ。ソレがこうして現場として存在しているということは」
「間違いなく、殺人はあと数回繰り返されていると見ていいだろうな」
 本職ということになっているマックスと犬神の2人が眉を顰めるその姿を見、途端に不吉な予感がザワリと景護の肌を駆け巡った。
「なるほど……よぉし、わかった!」
 犬神の声と同時に、突如、緑に囲まれたペンションが『吹雪』の山荘へと一変する。
 吹きすさぶ暴風雪の叫びが窓の外から聞こえてくる。
「自分には事件の全てが見えたのだ!」
 ガタガタと揺れる窓にも負けない大声で、自らロケーションエリアを展開して俄然やる気を出した彼は、得意満面に言い切った。
「犯人は杉崎景護、お前だ! お前はそ知らぬ顔をしているが、こいつらと年齢が近い。実は研究会メンバーのひとりで、ここにも足を運んでいた。だから我々をここまで誘導できたんだな!」
「……俺は、初めてここに来たんだけど……」
 それに、ここまで全員を引っ張ってきたのはバッキーだ。
「あの、僕も杉崎さんとははじめてお会いするんですが……」
「むむ、貴様、犯人を庇うつもりか」
「そうだ。意外な犯人を気取るなら……むしろ、考えられる犯人はカメラマンだ!」
 いきなりマックスから横やりが入る。
「カメラマンは全ての現場に居合わせ、なおかつ、観客からその姿を認識されない。それは小説の語り手であっても同様の、心理トリックだ」
「むむ? 明らかに他人へ罪の転嫁するという思考、自分の安全性を強調したお前こそ犯人か!」
 びしっと、今度はマックスに指を突き出す。
「僕はこの方たちとは初めて会いますし……そもそも映っていないじゃないですか」
 カメラマンを真犯人だと言って見せた自説は棚に上げられたらしい。
「とりあえず、警部、待って。杉崎さんもマックスさんも探偵としてここに来たんだから、犯人なワケがないでしょう?」
「何を言っておるか。探偵役はヒトリと決まっている。つまり他の探偵志願者は軒並み犯人であり、推理を誘導するべく画策するのだぞ」
 何故ソレが分からないのだと、不満顔だ。
「…ということは、なんということだ、京子。まさか、ここに来て貴様が犯人という禁じ手を――っ」
「いや、むしろこれは政府の陰謀だ! 間違いない。キミたちのグループは知られざる世界に触れ、ソレを隠蔽しようとした組織に消されたんだ」
 ビシィッ。
 こちらも自信満々な顔で指摘する。
「何故ならここには超常現象が起こっている。幽霊目撃談が見間違いやトリックではなかったとしたらどうだ?」
「ええと、どうだと言われましても……その……」
「もう、アレだ。いっそ全員自殺というのはどうだ? この世にも凄惨なフィルムを作るがために、ヤツラは集団自殺をはかったのだ! どうだ、これならいいだろう!」
「え……自殺、ですか……ええと……」
 戸惑い、不安そうに死者は他の2人に視線で救いを求める。
「……」
 だが、死者の視線と景護のソレが交わることはなかった。
 彼はこれまでのやり取り全てを、鞄から取り出したメモに記録し続けていた。
 例え警部と捜査官の展開する推理がどんなに荒唐無稽であり、言い掛かりに近いものだったとしても、そこから見えてくるモノがあるはずなのだ。
 真実に繋がる閃きの材料だと言えばいいだろうか。
 物書きとしての勘が、今目の前に提示されている全ての事象に対し、何事かを訴えかけてきている。
 その正体がなんなのか、景護は沈黙の中で必死に探っていた。
 だが、京子はしっかりと相手のSOSを受け止めてしまった。
 確かに、彼女の目にも、事態は混迷を極めてきたとしか映らない。
 だとしたら、止めるのが筋というものだろう。
「ああ、もう、いい加減にして!」
 手当たり次第に犯人呼ばわりする犬神と、彼とは違った視点から物事を複雑化させるマックスに、思い切りよく『待った』を掛ける。
 同時に、30分間の犬神ロケーションエリアの効果も消え失せたらしい。
 吹雪の山荘から、白亜のペンションに戻ることの許された部屋で、京子は思わず頭痛を覚えていた。
 ここまで来ると、捜査能力値が高いと思しきFBI捜査官も犬神警部と同じレベルかもしれない、などと失礼なことを考えながら。
 それでも彼女はにっこり笑う。
「推理合戦もいいけど、この際だから、真相解明もかねてここのいるメンバーで演じてみたらどうかなって思うのよ」
 だがその笑顔には、どこか有無を言わせぬ迫力があった。
「ね、いっそタイトルも決めちゃって、作品に昇華させちゃいましょうよ。役者が揃ったのなら、解決編だって作れると思う」
「……情報の整理と検討…だね……提示された情報を繋ぎあわせて、矛盾のないラストシーンにできればいいワケだ」
「そ。だってね、彼が望んでいることは、物語に決着をつけることなんだもの」
 にっこりと、京子は理解を示して頷く景護に笑顔を向ける。
 例え用意されていた結末ではなかったとしても、納得できればそれでいい。
 確かに青年はそう言ったのだから。
「なるほど、推理劇ってヤツか。これで新たな発見が出来るだろうし、僕も異存はない」
「即興というには、荷が重すぎんか? それともアレか? 不意打ちで質問を繰り出し、ここで安穏としている犯人の失言を誘い、化けの皮を剥ぐという魂胆か!」
 乗り気になったプロファイラーの横で、ギラリと犬神の目が光る。
「……どうしてそういう発想になるのよ」
 例え20歳以上年上だろうと、京子は容赦なく犬神にツッコミを入れる。
「なら俺が……ええと、俺ので良かったらだけど……整理してみたから、使ってもらえるかな?」
 差し出されたメモには、大まかな登場人物とともに、ブツ切れの中から拾い上げたシーンを流れに添って繋げたものが記されていた。
「すごい、ちゃんと登場人物の一覧表まで作ってくれてるのね」

 ソースケ:尊大で、その場で全ての決定権を持つ演劇研究会会長。6年(留年2回)。
 シズカ:てきぱきと動く、姐御肌の副会長。才色兼備の見本。4年。
 マサカズ:どこかしら気弱げで、終始おどおどしている会計担当。3年。
 ヒロヒコ:せわしなくて、いつも何かしら大袈裟に騒ぎ立てるトラブルメーカー。2年。
 トオル(語り手):好奇心を内に秘め、いつか脚本も担当してみたいと望み、入会。2年。
 ミカ:明るく、様々な提案で場を盛り上げる、研究会のマスコット的存在。1年。
 あの子:悲劇に見舞われた、『あの子』とだけ表現される名前のない少女。
 探偵:トオルが頼りにしている遠方の友人。名前のみ登場。

 景護自身の印象で多少の味付けもなされているのだろうが、このキャスト表のおかげで大まかな背景も想像しやすくなる。
「……誰が生きて、誰が殺されて、今残っているのはだれなのか……もしかするとソレも分かるかもしれないから……」
 演じることで、登場人物たちの内面や、発言の矛盾も見えてくるかもしれない。ずっと感じていた違和感や、ストーリーの繋がりのなさも解消されるかもしれない。
「すみません、よろしくおねがいします」
 遠慮がちな死者は、次々と提案して話を進めてくれる『探偵』たちに申し訳なさそうな顔をしつつ深々と頭を下げた。
「それじゃそれぞれのキャストを振り分けなくちゃ……と、そう言えば、あなたに名前はないの?」
「え、あ……」
「そう言えば僕としたことが検死に夢中で、うっかりキミの名前を聞いてなかった」
「なんということだ、自分たちは目の前にいる被害者の名を知らんままだったとは!」
 今まで誰ひとりとして問いかけられなかった死者は、いきなり集めてしまった注目にどぎまぎする。
「あ、ええと……僕は、トオルと申します。演劇研究会に入ったばかりの、ミステリ好きの大学2年という役回りでした」
 改めての自己紹介は、ほんの少し間が抜けて、ほんの少し照れくさそうだった。



『僕は……僕はただ本当のことが知りたいんです。会長……教えてください、彼女のこと』
『おい、トオル、お前は誰のことを言ってるんだ?』
『彼女……です。マサカズ先輩を殺したのは、その幽霊じゃないんですか』
『悪い冗談はやめろよ。夢でも見たんじゃないか?』
『だって、本当にいたんですよ? ミカちゃんだって、それから、その……』
 マサカズも死の間際に言ったのだ。
 あの子が殺しに来たと。
『……アイツの幽霊が復讐してるとでも?』
 トオル、そしてミカを見つめ、ソースケは口元を歪ませた。
『くだらんな。誰がどうなろうとどうでもいいんだ。おい、さっさと稽古に戻るぞ』
『先輩、いいんですか? 人が、人が死んでいるのに?』
『ミカ、わかっていると思うがどうせこの嵐じゃ俺たちは外に出られない。だったらもっと建設的に考えるべきじゃねえか』



 気になるシーンごとに演技を止め、探偵兼キャストたちは各々の印象を語りあう。
 2匹のバッキーが次に見つけてきたのは、ずらりと洋服が並ぶクローゼットだった。
 そこに掛けられていた服を引っ張り出し、それぞれが割り振られたキャストのイメージに合わせて彼等は着替えを完了していた。
 足りない部分はパントマイムや台詞でカヴァーし、美少女名探偵の演技力に助けられながら即興劇は進む。
 そして、小説家はすらすらと、そこから更に脚本の土台となるべきモノを創っていく。
 そこには、普段から文章を書き、物語を想像することに親しんだ者独特のスピード感と慣れが窺えた。
 即興劇のための、死者である青年に答えを与えるための、大切な作業。
 彼は考える。
 自分ならどんな物語にするだろうか、と。
「……事件の核になっているのは、やっぱり『彼女』……だね」
 観察者側に回った景護の一言によって、頭に浮かんだのは映画フィルムの冒頭で見せられた少女の死だ。
 過去の悲劇。
 少女の死は、舞台から奈落への転落。事故、のはずだった。事故でなければならなかった。誰もいない、本番前の舞台の上で、どうしてそんなことが起きたのかという謎に目を瞑りさえすれば。
「Who killed me……誰が私を殺したの、なんて意味深だものね」
 大体は男女間のドロドロ愛憎劇に端を発してそうなものだが、という言葉を飲み込みつつ京子が同意する。
「だが、その真相を真っ先に話してくれそうなマサカズは、どうやら一番最初に死んでいる。つまり」
「仲間割れ……でなければ、最初の犠牲者だ。こういう気弱なヤツはそうそう秘密を守れんからな」
 年齢という壁の前に、ラストシーンにしか出番のない犬神の独断と偏見がマックスの台詞を引き継ぐ。
「コイツが襲われたせいで事件は幽霊騒ぎから殺人なんてモンになったんだ。間違いない!」
「あ、なるほど……」
「トオルくんまで……」
「……でも、だとしたら……ここのシーンの解釈をちょっと、変えて……あとはこっちの事件をこう繋げれば……」



 既に夜も更けている。風によってガタガタと鳴り続ける窓の音を聞きながら、トオルは自分に割り当てられた部屋でじっと考え事をしていた。
 だが、そこへ不意に、来訪者を告げるノックが。
 それがあまりにも遠慮がちで、つい、トオルは扉を開けてしまう。と、そこに立っていたのは――
『ミカちゃん、どうしたの?』
『……トオル先輩、ゴメンナサイ……でも、あたし……あたし、怖くて怖くて……』
 寒さにか、それとも恐怖にか、小さな体を震わせながら自分を見上げるかわいい後輩の姿があった。
 扉から顔を出して廊下を確認すると、トオルは戸惑いながらも彼女を招き入れる。
『……あたし、前にこの演劇部で有名な劇団にスカウトされた生徒がひとり、亡くなったって聞いたんです……ヒロヒコ先輩、もしかしたら、先輩たちの言う『彼女』って、その人のことじゃないかなって言って……』
 だが、2人でその話を確認しようと口を開いた途端、会長にものすごい怒気を孕んだ目で睨まれ、それ以上聞けなかったのだという。
『……あの、優しいシズカ先輩まですごく怖いカオして……一体、会長たち、何を隠してるんだろうって……』
 何も知らないまま、次は自分が殺されるかもしれないと、彼女は怯え、訴える。
『大丈夫。僕じゃ頼りにならないかもしれないけど、ちゃんとキミは』
『まただ! またやられた!』
 トオルの伝れるはずだった告白は、ソースケが放つ別の大音量によって断ち切られた。
『シズカが――っ』



「僕……というか、ソースケだけどね、たぶんコイツは絶対犯罪者タイプだね。しかも、シズカは意外と裏じゃ女王さまタイプだった可能性もある」
 マックスが腕組みをして、断言してみせる。
「これはプロファイラーとしての分析結果でもある」
「あ、ならコレとかこの会話が伏線じゃないかしら? ね、考えられるパターンのひとつじゃない?」
 触発されたように京子がそれに続く。
 大抜擢された少女への羨望と嫉妬。女王の怒り。その怒りを受けて、手を下すことを決めた下僕がいて。
「じゃあ、これとここのエピソードを繋げて……」
 だが。
 物語のラストを決めるそのワンシーンで、景護の言葉も、ペンを走らせる手も止まってしまった。
 どうやってみても、ラストがハッピーエンドになることは難しそうだ。
 自分のカラーが出てしまっているのかもしれないと不安になって死者を振り返ると、彼は静かに笑みを返した。
「ハッピーエンドじゃなくても、僕は構いません」
 はじめから、そんな終わりを迎えられるなんて思ってもいないからと告げる。
「トオルくんもいいって言うなら、ちょっと……面白い、かもしれない……うん、なんとなくアリかもしれないわ」
 何かを閃いた京子と景護の視線がカチリと合い、そしてほぼ同時に紙面に落とされた。
 物語の着地点が、鮮やかに浮かび上がる。
「それじゃ、これでいきましょ?」
 京子の決定に、意義を唱えるものはいなかった。



『……どうして、キミが……』
 ぼたり。
 青年の唇から滴り落ちた赤。
 急速に失われていくチカラと、揺らいだ視界に苦しみながら、彼はゆっくりと椅子から床に崩れ落ちた。
『アナタといたかった。アナタの傍に、アナタのために、生きてみたかった……でも、アナタは知りすぎてしまった』
 哀しい声がそっと頭上から降って来る。
『あたしはやらなくちゃいけないことがあるの。そのためには、どんなことにも心を動かされちゃいけないし、誰にも邪魔されちゃダメなの……』
 そして、彼女の手がテーブルの端に置かれた小瓶を取り上げ、ゆっくりと部屋を出る足音がそれに続く。
『あたしは姉さんの復讐を果たさなくちゃいけないの……あいつらに、奈落へと突き落とされ、閉じ込められた姉さんの恐怖を、せめて同じだけ味合わせてやらなくちゃ』
 だって、そうしてくれって泣いて頼むんだもの。
 姉さんが、ずっとずっとあたしの傍で、あいつらを殺してくれって泣くんだもの。
『アナタには、こんなアタシを見られたくなかった』
 ごめんなさい。
 ごめんなさい、ごめんなさいと彼女は繰り返す。
『あたし、アナタのこと、好きだった』
『僕も……僕も、キミのことが……』
 彼女の足音が止まる。
 沈黙。
 痛々しく切ない、どうしようもない静けさが胸に刺さる。
『その台詞、もっと早くに聞きたかった……』
 そして、扉は閉ざされる。
 残りの時間を、罪人の裁きに使うために。
 だが。
 最後の最後、彼女が自分自身に向けて振り上げた刃は、男の声によって遮られた。
『アンタが死んではいけない』
 ソレは、待ち望んでいた探偵の到着を告げるもの。
『自分は間に合わなかったのかもしれない……でも、せめてアンタの死だけは止めなくちゃいけないんだ』
 穏やかだが力強いその言葉に、彼女はそっと泣き崩れ。
 窓からは、長かった嵐が終わりを告げ、やわらかな朝の陽光がそっと静かに差し込んできた。



 そして。
 悲劇の余韻を残してゆっくりと、物語は完結する。
「タイトルは……『弔いの鐘をならすモノ』……で……」
 名も与えられないままだった物語が、ひとつの終焉を見る。
「どう、かな?」
「どうかしら?」
 演出と脚本を主に担当した景護と、そして全ての進行を引き受けてくれた京子の、ほんの少し緊張気味な視線がトオルを見る。
 蒼白の死者は穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと頭を下げた。
「ありがとう、ございました」
 その言葉に、全ての想いと答えが詰まっていた。
 死者の求めた『真相』は、4人の探偵と、2匹の相棒によって解明されたということだ。
 だから。
 だからもう、彼は、終わらない世界で探偵を待ち続けなくてもいい。彼女に想いを告げ、彼女の命を守り、その達成感と幸福を抱いて眠りにつける。
「……よかった……」
「おやすみなさい、トオルくん」
「ゆっくり眠るがいいよ」
「ご苦労だったな!」
「はい……」
 蒼白の死者は静かに頷いた。
 だが、すでに死者となっている彼がもう一度眠るためには、バッキーのチカラが必要だ。
「……ヴェル……」
 飼い主に促がされ、きょろりと周囲を見回してから、夜色のバッキーは蒼白の死者をその口に含んだ。
 そして。

 カラン……

 見届け役となった彼等の目の前で、トオルは、満腹なヴェルスーズの口から小さく控えめな金属音を響かせ、プレミアフィルムへと姿を変えた。
 夢から醒めるように、目の前からひとつの世界が消える。
 後に残るのは、寂寥感と、そして――
「うむ、これにて一件落着! よくやった、京子! さすがは名探偵だ」
 誰もが言葉を失う中、実に清々しい宣言が犬神警部によってなされた。
 ソレはもう、細かな疑問やささやかな感傷など一瞬で吹き飛ばす勢いで。
「わたしはほとんど推理なんかしてないわ。一番の功労者は」
「僕か!」
「…………ええと、できる限り否定はしないつもりでいるわ」
 にこやかに笑顔で交わし、視線を逸らせ。
 その逸らした先に、景護の沈んだ表情を認めてしまう。
「えっと、どうしたの?」
 京子にまっすぐ見つめられ、景護は戸惑うように視線を外す。
 哀しげに伏した彼の目は、ようやく迎えた物語の余韻にひたり、喜んでいるようには見えない。
 むしろ、ここにはあらざる過去を覗きこんでいるようだった。
 どうしたの。
 言葉ではなく問いを重ねるのは、景護に頬に鼻先を寄せるヴェルスーズだ。
「ヴェル……」
「ね、ほら、自分の中にだけ溜め込んでると体壊すから。その子も心配してるし、どう、ちょこっと話してみない?」
 そう言われ、逡巡の末にようやく景護は、ヴェルスーズの額を人差し指で撫でながら口を開く。
「……あの、さ……どこからどこまでが虚構なのか、キミは考えた?」
「ソレは……たった今までやってきた即興劇と関係する問いかしら?」
「……思ったんだ……芝居を作る、そのためのメンバーが集められる、そして起こる惨劇……だけど作り手の映画研究会のメンバーにも、秘密があったとしたら……」
 どこからどこまでが『お話』だったんだろう、と。
「ソレ、考えはじめちゃうと怖くなると思うけど」
 ありきたりな物語となっても、死者は笑顔でそれを受け取り、そして眠りについた。
 けれど、全ての筋書きをまとめた功労者は、本当に考えていた結末をただ回避してしまっただけなのだ。
 回避、したかったのだと思う。
 優しい死者こそが悲劇の殺人鬼なのだと、そんな結末を綴るには、この舞台はあまりにも血に汚れすぎている。
「おや、こんな所にテープが……さっきまではなかったぞ」
 マックスが手にとったのは、どう見てもフィルムではなく、家庭用ビデオカメラのテープだ。
「む、あのテレビで再生してみようか」
 その提案を聞いた瞬間、ほぼ同時に、京子と景護の胸に予感めいた不安が去来した。
 そんな2人の思いに気付く様子もなく、マックスは犬神にせっつかれるまま、ビデオをセットし、ボタンを押した。



 天井近くの棚上と思しき場所からの隠し撮りとしか思えないアングルからの撮影風景。
 和やかな団欒……とはお世辞にも言えない。
 ぴりぴりとした緊張感が張り巡らされ、撮影の合間なのか、映画の中で見知った顔以外にスタッフらしき人物が映りこんでいる。
 テーブルを囲んでいるのは計4名。
『まさかホントに真奈美の幽霊の仕業だなんて言うんじゃないよな』
『やめて。思い出しちゃう!』
『冬木が死んだのは事故じゃないんですか? 幽霊にとり殺されたなんて、そんな』
『くそ! 誰だ、幽霊騒ぎ何ざ仕掛けたヤツぁ。ぜってぇ、シメテヤル!』
 殺気立つ彼等の表情は、醜く歪んでいる。
『それともアレかしら? ひき逃げを知った真奈美を倉庫に閉じ込め殺した、ソレを更に目撃した人がいるって言うことなの?』
 忌々しげに言い放つ、そこに罪の意識はなく、ただひたすら冷酷な響きだけが存在していた。
 そこへ。
『会長、どうやら無線が繋がったみたいなんですが』
 ノックとともに、声を掛けながら扉が押し開かれた。



「あら」
 思わず京子が目をしばたく。
 先程まで一緒だったトオルが、ゆっくりとカメラのフレーム内に入ってくる。
「……もしかして、これ……」
 景護も思わず呟きをもらすが、その先を言葉にすることができない。
 テレビ画面の中では、嫌な予感がじわじわと現実になりかけていた――



『コーヒーでも淹れますよ』
 なにごとか声を掛けてきた仲間たちに淡い笑みを返し、手を振って見せた彼がカメラ正面を向いた瞬間、その表情は一変する。
『……これで終わり、だ』
 画面に映しだされるカオは、たった今まで自分たちが接していた、痛みと戸惑いを抱えながらも穏やかだった彼じゃない。
 険しく、冷たく、その瞳にはどうしようもなく昏い憎悪の炎が揺れている。
『これで、終わらせてやる』
 仲間たちには完全に死角になる場所で、彼はコーヒーサーバーから注いだカップの中に、砂糖と、そして何かの粉末をさらさらと流し入れた。
 どう好意的に見ても、おいしいコーヒーを提供するフレーバーを使ったのだとは思えない。
 何を混ぜたのか。
 別のことに気を取られていた彼等は、青年から提供されたコーヒーを迷うことなく口にして。
 目を、見開いた。
 悶え苦しむ仲間たちを睥睨し、彼は……トオルを演じていた彼は呟く。
『あんた達は僕の恋人を殺した……僕の大切な人を、僕のたったひとつの生きる希望を、僕を絶望から救ってくれた彼女を……くだらない理由で奪った』
 どこまでもどこまでも深く暗く重く落ちていく言葉。
『だから、ソレは当然の報いだね。苦しいでしょ? だって、砒素入りコーヒーだもん』
 だけど、致死量にはほんの少し足りない。
 そう告げて。
『もうすぐ彼女の兄貴がここに来る。……そう、真奈美の幽霊役は『彼』だよ……』
 名演技だったでしょ、と小さく付け加え。
『それで終わりだ。あんたたちは切り刻まれる。それまでの時間、たっぷりと苦しんでいなよ』
 酷薄な死刑宣告。
 冷たい沈黙。
 だが、そこにポツリとこぼれるものは――
『……だけど……一番罪深いのは……真奈美、キミを守れなかった僕かもしれない……』
 そうして彼は自分のコーヒーを手に、ゆっくりと部屋を出て行った。
 自分に用意されていた役を全うするために。
 テープは一端そこで途切れ、黒い画面を数秒映し、別の室内に切り替えた。
 撮影用のカメラを自らセットし、位置を確かめ、目を閉じて深呼吸。
 そして。
『……幽霊騒ぎに、ホンモノの殺人……ソースケ先輩たち、何を隠してるんだろう……』
 彼の表情が違う。
『でも、彼女だけは守らなくちゃ……ミカ……キミだけは……』
 彼の中身が、純真な演劇同好会の青年・トオルに切り替わっている証拠だ。
 もの思いに耽りながら、ふと手にするコーヒーカップ。ごく自然な動作で、彼はそれを口に運び、一気に飲み干して。
『……え』
 ごぼり。
 青年は血を吐き、驚愕に目を見開き、床に崩れ落ちた。



 そこから先の映像は、ここに来て最初にトオルから見せてもらった不連続なシーンと一致する。
 ゆるやかな朝日の中で静謐な死を迎えた青年の姿。
 なのに、映画として作られたフィルムの中の死と、事実として記録されたビデオカメラの中の死では、決定的に意味が違ってしまう。
 そこに横たわるのは、トオルを演じた青年の死だ。
「なんてことだ。これは『犯人がカメラマン』以上の反則だ!」
 最初に声を上げたのはマックスだ。
「おい、これは一体どういうことだ! 京子、説明しろ!」
 続いて我に返った犬神の声に揺さぶられながら、京子は必死に今見た映像の解釈に頭をフル回転させる。
 答えはひとつ。
 理解できるか否か、認められるかどうかは別にして、読み取れる意味はひとつだけ。
「たぶん……たぶん現実の役者が、映画というカタチをとって自分を殺した……んだと思う」
「……現実と虚構の、境界が……」
 痛みに耐えるように、景護はそっと目を伏した。
「だから……」
 だから、彼は自分の死因を知らなかった。何故殺されたのかも、誰に殺されたのかも。
 分からなくて当然だ。
 映画の中に、彼の死は設定されていなかったのだから。物語の外側から、彼に死がもたらされたのだから。
「おや、次はなんだ?」
 一体どこの雑誌社なのか、誰か持ち込んだのかも分からない週刊誌が一冊、まるでタイミングを測っていたかのように、バサリとマックスの手の中に落ちてきた。
「真冬の殺人鬼――映画研究会メンバーを襲った白亜の惨劇!!」
 雑誌を裏返せば、発行年月日はちょうど20年前の今日になっている。
 偶然、というべきなのだろうか。
 マックスに与えられた『能力』から差し引いたとしても、コレはあまりにもできすぎた符丁だ。
「だから、あの映画は途中からコマ切れになり、製作も打ち切られたってわけね……」
「……打ち切らざるを得ないだろうさ」
 そして、バッキー達が見つけたあの場所も、撮影の為じゃない理由で穢され、そして放置された。
 おそらく、映っていた死体のいくつかはキャストではなくスタッフだったのだろう。
 もしかするとトオルの出演するフィルムは、映画としてではなく、猟奇的な趣味を満たすがためにアングラで流出したものかもしれない。
「……ヤツは自分の復讐を果たしたんだな? あの子、じゃない、真奈美のアニキと共に幽霊騒ぎまで引き起こして」
 あの死者に話を聞き、真っ先に思い浮かんだ『真相』と、これはきっとどこまでも近い回答なのだろう。
 トオルではなく、トオルを演じた青年がこちらに見せた答えがコレなのだ。
 現実に耐え切れなかった彼の、告白がここにカタチとなって存在している。
「でも、コレって小道具かもしれないじゃない」
 京子はかすかに笑みを浮かべて、言う。
「演劇研究会を襲った悲劇を作中作に据えた、映画研究会の悲劇……そういう映画をめざしていたのかもしれないじゃない」
 言葉を重ねる事で、本当にそれが真相なのだと自分自身に言い聞かせる。
 そんな彼女の想いを援護するように、景護も静かに頷いた。
「二重構造……メタミステリを目指した作品……そんなオチも、いいかな……」
 明るく華やかな物語を自分は好まない。だが、重く暗く切ない物語は、物語だからこそいいのだ。書き手としても読み手としても、虚構だからこそ面白いと思い、楽しめる。
 だから。
「ようし、分かった! 名探偵・明智京子がそうだというなら、ソレが間違いなく真相だ」
 駄目押し的な犬神の宣言。
「だけど安心は出来ないぞ。カメラや雑誌を寄越してきた何者か……証拠隠滅をたくらむ政府の陰謀に巻き込まれる前に退散しなくちゃいけないからな」
 マックスの言葉を不吉な予言と取ったワケではないが。
 現実と虚構の不安定な揺らぎと、染み付いた赤い記憶をそっとこの場所に置いて、4人はペンションを立ち去った。
 ひとたび探偵宣言がなされ、悲劇の舞台に幕を下ろしたのなら、探偵は長居すべきではないのだ。

 そして、数多の曰くを抱えたまま、訪れる者のいないペンションは再び『時間』という深い静寂の中に沈みこむ。


 ただし、数日後、たった数分だけその沈黙は破られる。
 ヴェルスーズとともにやってきた景護の、来訪の目的はただひとつ。
 トオルのための物語をトオルの為にだけ綴り、完成させた原稿――『弔いの鐘をならすモノ』を、このペンションの裏庭に埋めるため――

「……おやすみ、トオルさん……いい、夢を……」

 土まみれになったその姿で、彼等はそっと死者に黙祷を捧げた。


END

クリエイターコメント はじめまして、こんにちは。高槻ひかるです。
 この度は当シナリオにご参加くださり、まことに有難うございましたv
 頂いたアプローチによって『コミカルなテイストでダークな話が展開する』というカタチとなった本作品、お楽しみいただけましたでしょうか?
 ミステリを標榜した以上はと、色々ネタを仕込んだのですが、ラストのオチも含め、お気に召していただければ幸いです。

>犬神警部さま
 ついつい笑いが込みあげてくるような、情景までバッチリ浮かぶ楽しいプレイングを有難うございました。
 どこまでも暗く重くなりそうな話の中、ひたすらムードメイカーとして張り切って動いていただいちゃいました。
 特にこの手のジャンルの必需品とも言うべきロケーションエリア、ものすごいツボでした(笑)
 警部の、清々しいほどのワトソン役に脱帽でございます。

>マックス・ウォーケンさま
 非常にノリのよいプレイングで、冒頭から気持ちよく書かせていただきましたv
 FBI捜査官の視点と、飛躍する推理、更に『政府の陰謀』妄想のギャップがたまらなく素敵です。
 今シナリオでは警部とともに色々弾けて頂きましたが、イメージを損なってはおりませんでしょうか?(ドキドキ)
 なお、マックスさまのおかげで、今回、このようなオチを用意することができました。有難うございます。

>杉崎景護さま
 繊細かつ、とても優しさの伝わるアプローチを有難うございました。
 物語の背景や死者たる青年へと思いなども本当にあたたかくて、同時に切なさまで感じてしまい、物書き独特の視点からの考察に唸り。
 こういったアプローチもあるのかと、とても楽しませて頂きました。
 杉崎さまの持つ透明感ある空気を少しでも表現できていればよいのですが。

>明智京子さま
 完全な巻き込まれ探偵としての登場ながら、なぜかメインでツッコミ兼進行役まで担って頂きました。
 元アイドルの可愛らしさとたくましさの演出と考えていただければ幸いですv
 また、推理劇のご提案が面白く、シナリオ形式もこういったカタチとなりました。
 しかも、依頼人にとって一番大切なことをビシっと指摘できてしまうところがステキです。
 楽しいアイデアを本当に有難うございましたv

 それではまた、銀幕市のどこかで皆様と再会できる日を楽しみにしております。 
公開日時2007-02-18(日) 11:50
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