★ Healing of the dream ★
<オープニング>

「もし……」
 会社帰りのサラリーマンは声を掛けられ振り向いた。そこに居たのは人好きのする初老の男。
「何でしょうか?」
 だが、サラリーマンはうんざりした顔で答えた。彼は疲れていた……とても。早く家に帰って休みたかったのだ。
 彼の表情に頓着せずに初老の男はにこにことしていた。
「お疲れのようですね? 貴方のような人にぴったりの商品が御座います。なに、御代は要りません。不要と思えばゴミ捨て場に置いて頂ければ回収に伺います。」
 そう言って差し出されたものを、サラリーマンは反射的に受け取っていた。要らないと言ってしつこく勧められるのも面倒だったし、要らなければ捨てていいとも言っている。
 サラリーマンは一つ溜息をつき
「本当に捨ててもいいんですね?」
 と初老の男に確認をとった。
「もちろんで御座います。どうぞお好きなようになさって下さい」
「わかりました。では貰って帰ります」
 彼は疲れていた、とても。初老の男が何者なのかも聞き忘れる程に。早く家に帰って休みたい……その思いだけが心を占めていた。
 ……だから、彼が踵を返した後、ニヤリと笑ったのにも気付かない。

「はあ、ご主人様が部屋に閉じこもって出てこない? あの、そういう相談事は対策課では承ってないのですが……」
 植村直紀は困った顔で返す。
「それが、数日前に何かを持って帰ってからおかしくなったので、もしかしてムービーハザードとかそういうのではないかと思い、こちらに伺ったのですが」
 植村はポンと手を叩く。
「ああ、そういう事でしたか。でも、ご主人の部屋には入って確認されなかったんですか?」
「それが、入ろうとすると物凄い剣幕で怒鳴られて、怖くて……」
 植村は苦笑と共に溜息を一つついた。
「わかりました。こちらで何とかしましょう」
 こちらに向き直った植村が言う。
「――そういうわけで皆さん、どうかご協力下さい。」
「お願いします。多少強引な方法を使っても構いません。家が全壊するような事は困りますが、ドアを壊すくらいなら構いませんので……」
 相談に来た女性も頭を下げた。

種別名シナリオ 管理番号208
クリエイター摘木 遠音夜(wcbf9173)
クリエイターコメント初老の男から何かを貰ったサラリーマンが、仕事にも行かず部屋に閉じこもっているようです。
彼の目を覚まさせて、奥さんを安心させてあげて下さい。
なお、同様の事が数件起こっている様子です。
そちらにも向かって頂く事になるかと思います。
いずれも人好きのする初老の男から貰ったものが原因のようです。
どうぞ事件解決にご協力下さいませ。

参加者
梛織(czne7359) ムービースター 男 19歳 万事屋
神月 枢(crcn8294) ムービーファン 男 26歳 自由業(医師)
鴣取 虹(cbfz3736) ムービーファン 男 17歳 アルバイター
香我美 真名実(ctuv3476) ムービーファン 女 18歳 学生
<ノベル>

「ふう、やーっと今日の仕事も終わったぜ。あー、これからあいつ等の飯を作んなきゃあな」
 陽も暮れかかった夕刻、本日の仕事を終えた鴣取虹(コトリ・コウ)が、溜息と共に盛大な独り言を言いながら家路を急いでいた。家には腹を空かせて待っている居候がいる。彼等に生活能力がない事は重々承知していたし、あっても働く気が更々ないようなので諦めている。
 自然、一家の家計は虹が全て支える事になってしまった。目下の悩みは滞納されている家賃。他は何とかやりくり出来ているのだが、家賃だけは毎月まともに払えていない。
 そろそろ……というか、とっくの昔に大家が催促に来てもおかしくないのだが、何故か音沙汰がない。これ幸いと黙っているのだが、大家の前を通る時は見つからないように、足音を潜めてしまう。さすがに後ろめたいのだ。
「んーっと、今日は買わなきゃなんねーモンはないよな?」
 と、冷蔵庫の中身を思い出しながら呟いていると、目の前を初老の男が横切った。
「うわっ……っと!」

 キキーッ、ザザッ!

 虹は慌てて、自転車のブレーキを踏み、ハンドルを初老の男から逸らした。
「大丈夫ですか?」
 驚いて尻餅をついてしまった初老の男へと声を掛ける。
「ええ、大丈夫です。少し驚いてしまって……。こちらこそ申し訳御座いません」
 初老の男は散らばった自身の荷物を拾い、丁寧に頭を下げた。
「ご迷惑を掛けたお詫びにこれを……」
 そう言って、初老の男は長方形の箱のような物を虹に差し出す。
「何ですか? これは」
「……ヒーリングマシーンです。疲れたと思われた時に使って頂ければ、効果を発揮します。勿論、肉体的疲労・精神的疲労のどちらにも効きくようになっております。」
「え?! じゃあ、高いんじゃないんすか? そんなの貰えませんよ!」
 虹は高価な物では、と驚いて辞退しようとした。
「いえいえ、こちらは試作品でして、大した価値は御座いません。ですが、性能は保証しますので安心して使って下さい。もし、ご不要になられましたら、ゴミ捨て場にでも置いて頂ければ、回収致しますので……」
 にこりと笑って初老の男が言う。なんとも人好きのする笑顔で、虹は思わずそれを受け取ってしまった。
「んじゃあ、遠慮なく。代金は、いらないんすよね?」
 後で金をくれと言われても困るので、一応尋ねてみる。
「勿論ですとも! こちらはお詫びの品ですし、商品になる前の試作品ですのでお気になさらないで下さい」
 初老の男は満面の笑みを浮かべて答えた。
「それを聞いて安心した。じゃあ、もらって行きます」
 虹は貰った物を籠へと入れ、再び家路へと急いだ。
「お気を付けて。……貴方の心によい癒しと安らぎを」
 初老の男は虹を見送りながら呟いた。





 ポト……ポト……ポト……

 規則正しく落ちる点滴の先を辿ってみれば、働き盛りの三十代と思しき男性が、白いベッドに横たわっていた。彼はかれこれ一週間この状態だという。
 ここは小さな個人病院。何でも親戚がやっているとかで、入院が長引きそうだと判明した折に、最初に運ばれた病院から転院させたという事であった。
「それで、何か心当たりはないんですか?」
 普段は砕けた口調で喋る彼だが、今は依頼人の前なので丁寧に喋るよう心がけていた。この度の依頼を持ちかけたのは、この男性の母親である。
「ええ、特には……。このところずっと仕事が忙しかったらしくて、“疲れた”とよく言ってましたが……」
「うーん、過労としても一週間も目覚めないというのはおかしいですね。他には何か……ん?」
 その時梛織(ナオ)の視界に四角い物が映った。
「アレは何ですか?」
「え? ああ、あれはこの子が病院に運ばれる時も離さなかった物で……」
 あんな怪しい物がありながら気付かないなんてっ!と梛織は脱力する。思いっきり突っ込みたかったのだが、相手は依頼人。我慢、我慢。と自分に言い聞かせる。
「……ちょっと見せてもらっていいですか?」
「ええ、どうぞ」
 許可を得てそれを手に取り、色々な角度から観察してみる。

 ブゥ……ン

 耳をあててみると微かに音がする。それはどうやら稼働しているようだった。
 側面にはスイッチらしきものとつまみ。電源は乾電池とコンセント、両方使用可能になっているようだ。よく見ると電池を入れる場所とコンセントを収納する場所があるのがわかる。
 スイッチのある面には、レッド・イエロー・グリーン三色のランプが複数ついており、チカチカと不規則に明滅を繰り返している。その光を見つめていると、頭がぼうっとしてくる。

 意識、が……

「あの、どうしました?」
 不意に動かなくなった梛織をいぶかしんで、女性が声を掛ける。ビクンッと我に返った梛織は、思わずその装置から手を離してしまった。
「うわ、わわっと! あっ……!」

 ゴッ、ガシャン!

 何とか落とすまいと足掻いた梛織だったが、抵抗空しくそれは床へと落ち、嫌な音を立てて壊れてしまった。
「あっちゃ〜……」
 顔に手をやり、天を仰ぐ。
 やばい、壊してしまった。弁償だろうか? これ。幾らぐらいするんだろうかと青くなる。そっと依頼人の顔を窺うと
「ああ、いいんですよ。今のは私が驚かせてしまったようなものですから……」
 との言葉。
「す、すみません」
 梛織は申し訳なく頭を下げる。その一方で先ほどの言葉に安堵した。
 と、その時
「う……ん……」
 微かに声が聞こえる。ハッとした二人は眠っている男性の方へと顔を向ける。
 注意深く見守っていると、ピクピクと瞼が動き、次いでゆっくりと男性の目が開いていった。
「あ……あ……!」
 安堵した母親の瞳にみるみる涙があふれていく。
「……母さん?」
 目を覚ました息子に取りすがって泣く母親に、男性は戸惑っている様子だ。
「あれ? 俺、部屋で寝てたはずなのに……。ここ、どこだ?」
 呑気な台詞に梛織はあきれて答える。
「あんたなぁ、一週間眠りっぱなしだったんだぞ? ……何にも覚えてないのか?」
「んな事言ったって、俺はいつも通りに普通に眠っただけなんだぜ? って言うか、あんた誰?」
 男性は少しムッとして反論する。
「こちらは万事屋の梛織さんよ。お前が目を覚まさないから、母さんが呼んだの。失礼な事言わないでちょうだい」
 涙を拭いながら、険悪な雰囲気になりかけた二人に割って入る。
「……ごめん」
 男性が素直に母親へ謝罪する。梛織は溜息を一つつき、尋ねた。
「普通に? じゃあこれは何だ?」
 と、先ほど自分が壊してしまった謎の装置を、迂闊にも掲げて問う。
「あー! お前、それ、触んなよ!」
 彼の掲げた装置を指差して男性が叫ぶ。バッと梛織の手からそれを取り返して更に悲鳴を上げた。
「ぎゃああああああ! 壊れてる! お前がやったのか?!」
 男性が装置を振ると、ガチャガチャと嫌な音がする。壊れる前はそんな音などしなかったのに。
「あー、いや、悪かったよ。うん、すまん。……でもそれ、何か変だぞ? スイッチ入れると頭がぼんやりするというか……。あんたはなんともなかったのか?」
 昏睡状態に陥っていた男性に“なんともなかったのか?”とは妙ではあるが、梛織はそう尋ねていた。
「ん? いや別に? これ使うと前の日の疲れが取れて、次の日スッキリしてるんだけど……あれ? これ、つまみがMAXになってるぞ。俺、真ん中にしてたはずなんだけどなぁ」
 よく見るとつまみの部位にはMINとMAXと表示がしてあり、今は矢印がMAXを指していた。
「つまりあれか、今回の騒動はこの装置が原因で、誤って使用強度がMAXに入っていた為に起きたって事か?」
 ガックリと肩を落とし、梛織が呟く。
「ま、いいや。ちょっと聞くんだが、それ、どこで購入したんだ?」
「あ、いや、これは貰ったんだ。会社帰りに声を掛けられて」
「ハァ? あんた、こんな怪しげな物よく貰ったな。ってか、使うなよ」
「いや、だって、悪い人には見えなかったし、疲れが取れるって言ってたから、ものは試しと思って……」
「風貌は?」
「60歳くらいのじいさんだったぜ。なんていうか、人当たりの良さそうな、好々爺? っていう感じの」
 少し梛織は思案していたが、
「ふーん、貰い物か……。なら似たような事がなかったか、対策課に聞いてみるかな? これ、借りてくぞ。いいよな?」
 と男性に言う。男性は抗議しかけたが、母親に止められる。
「ありがとうございました。貴方が来て下さらなかったら、この子が目覚めたかどうか……。どうぞ、そんなものでよかったらお持ち下さい。勿論返す必要はございません。他にもこの子のような方がいたら心配ですし」
 男性が目覚めたのは偶然のようなものだったが、母親は頓着しなかった。彼女にとって息子が目覚めた、という事実が一番喜ぶべき事だったのだから。勿論、洞察力の鋭い梛織の事だ。このようなハプニングが起こらなくても自力で解決しただろう。
「いや、感謝されるほどの事は何もしてないですよ。じゃあこれ、貰っていきます」
 時折素が出て口が悪くなった梛織だが、最後は丁寧に挨拶をする。
 母親と息子は病院の玄関まで梛織を見送った。始終、上品な感じをうかがわせていた婦人だったが、梛織が背を向け対策課へと足を向けたのを確認して、息子の頭にパンチを一発見舞っていた。
「痛っ! 何すんだよ〜」
「お前が心配かけるからよ」
 そんな二人のやり取りを背後に感じながら、梛織は少し羨ましく思う。





 カタカタ、カタ、カタタ……

「ふむ……」
 対策課からこの度の騒動の依頼を受けた神月枢(コウヅキ・カナメ)は、自身のパソコンを操作しながら、会得したような声を漏らす。頭にはバッキーのソールが乗っており、時折うにゅうにゅと足を動かしている。
「なるほどね」
 パソコン画面には初老の男性の顔写真とプロフィールなどが映し出されている。ハッキングをしたわけではない。普通に検索をしてヒットしたのがとある会社のHP(ホームページ)で、そこに目的の男性が載っていたのだ。
 騒動に関係している初老の男性とは、おそらく彼で間違いないだろう。知り得た情報を対策課の植村直紀にメールで送り、枢はいつもの鞄を持って立ち上がった。
「さて、と。行きますかね」
 何処へ? とは愚問である。直接対策課へ赴き、新たな情報が入ってないか、この度の事件解決に協力する者が来ていないか確認する為である。

「おや」
「よう」
 枢が対策課の植村と話していると、見知った顔が入って来た。手に例の装置を持った梛織である。
「あなたは確か、梛織さん、でしたね?」
「ああ、あんたと会うのは二回目だな」
 ゴトリと持ってきた物をカウンターに置きながら梛織が答える。
「それは?」
「ああ、さっき解決した事件のお土産だ。何でも疲れを取るとか言ってたぜ?」
「疲れを取る……。ふむ、俺が今調べている事件ともしかしたら関係があるかも知れませんね。見せてもらっていいですか?」
「いいぜ、ちょっと壊れちまったがな」
「壊れて? でもなんか、赤いランプが点滅していますよ?」
 置かれた装置を興味深そうに見ていた枢が言う。
「あん? 本当だ、気付かなかったな。」
「何でしょうね? 分解してもいいですか?」
 と、植村と梛織に向かって問う。
「俺はかまわねぇぜ。もともと対策課に提供する為に持って来たんだし」
「私もかまいませんよ。分解して何かわかれば、その方がいいですし……」
「では、遠慮なく」
 にっこりと微笑した枢が分解を始める。どことなく楽しそうだ。

 ネジを全て外し、外装を取ってみると散々たる有様だった。中の部品は壊れ、あるべき位置から外れ、残骸を撒き散らしている。その中で一つだけ無傷と思われる部品があった。どうやらそれは独立しているらしく、どの部品とも配線が繋がっていなかった。しっかりと固定されたそれを慎重に外し、検分すると、どうやらそれは発信機であるようだった。
「なるほど、これでこの装置の場所を確認し、回収していたという訳ですか」
「でも、回収するって事は何か裏がありそうだよな」
「そうですね……。おや、これは……?」
「ん? 何だ?」
 取り出した発信機を眺めていた枢が、差し込まれたカード状の物を発見する。枢の台詞に梛織も覗き込む。ピンを差し込むとカード状の記録媒体が出てきた。それはこの世界でごく一般的に流通しているもので、この装置が映画から実体化した物でない事を物語っている。
「……SDカードのようですね。ふむ、これは発信機としてだけでなく、記録装置としても機能してたようです」
「じゃあ、ここ――対策課のパソコンで中が見れる?」
「ええ、見る事ができますね。植村さん、パソコンをお借りします」
 植村の返事を待たずにカードを差し込む。返事を聞かなくても否、という言葉が返ってくるとは思わなかったし、事実、植村も拒否するつもりはなかった。
「これは……被験者のデータ、ですね」
 カードのファイルを開くと、体温や心拍数、脳波などのデータがグラフや数値などで示されていた。
「……もう少し、この装置を調べる必要がありそうです」
「まだ、仕掛けがあるって事か」
「ええ、この発信機状の物だけではここまでのデータは取れませんから」
 そこまで言ってから、何かを思い出したように枢は植村に向き直った。
「ところで植村さん。先ほどお送りしたメールは読まれましたか?」
「ああ、これですね」
 植村はプリントアウトしたメールと資料を二人の前に出した。
「これ、この装置を配って回ってるじいさんか?」
「ええ、多分彼で間違いないと思いますが、実際に会っている人に見てもらわないと確証は取れませんね」
「あれ? そのじいさん……」
 三人が話していると脇から声が掛かる。
「よう! ココじゃねーか。このじいさん知ってるのか?」
 梛織は親しみを込めて虹の事を“ココ”と呼んでいる。実は虹のところの居候の一人と仲がいいのだ。
「うん。先日仕事帰りに自転車で轢きそうになってね。そのじいさんがどうかしたのか?」
「んー、ちょっとな。このじいさんが配って回っている装置が問題になってるんだよ」
「装置?」
「おう、疲れを取るとかで配ってるらしいんだが、使い方を誤ると昏睡状態になったりするんだよなぁ」
 梛織の台詞を聞いた虹はギョッとする。
「ええ?! お、俺、そんなの貰っちゃってるんすけど……?!」
「おまえなぁ、そんなん貰うなよ」
「いや、だって、タダだって言うし……」
 梛織のあきれの混じった台詞に、虹の声は尻つぼみになる。
 そこへ枢が助け舟を出す。
「それ、使えるかもしれませんね。お借りしてもいいですか?」
 微笑して尋ねる枢に、虹はホッとして息を抜く。
「あ、うん、どうぞ。貰ってから家に置きっぱなしだから新品同然だぜ。つっても試作品とか言ってたなぁ」
「ほう、試作品ね」
 意味深に枢が呟く。どうやら彼の脳内では事件の概要が――いや、真相と言った方がいいか――掴めてきたようだった。
「取り敢えず、当初の目的を果たしましょうか」
 腰を上げた枢に、植村がお願いしますと頭を下げる。
「当初の目的?」
 梛織と虹が異口同音に尋ねる。それには植村が答えた。
「数日前から仕事にも行かず部屋に閉じこもっている男性がいましてね、奥さんが心配なさって相談に来られたんですよ」
 植村の言葉を引き継いで枢が言う。
「その後、似たような相談が対策課に数件寄せられて、調査していたという訳ですよ」
「へえ、仕事にも行かなく、ってあのじーさん許せねー!! 俺が仕事に行かなくなったら誰が生活費稼いでくれるつーんだ!!! 俺も全面的に協力するぜ!」
 いつの間にか虹の背中に張り付いていたバッキーの蒼拿(ソーダ)が、虹の意気込みに呼応してしゅわわと鳴いた。
「あの……」
 今までの話を傍で聞いていた香我美真名実(カガミ・マナミ)がおずおずと声を掛ける。
「私も協力させてもらっていいですか? 知り合いが被害に会うのは嫌なので……」
 真名実は白い肌に長くのばした艶やかな黒髪に、ロングスカートという出で立ちも相まって、見る者に清楚な印象を抱かせる。
 タイプかも……! 心持ち虹の心臓が高まる。
「でも、危なくないっすか? 相手はおっさんだろ?」
 庇護欲をかられた虹が反対するが
「いえ、女性がいた方が油断するかもしれません。是非お願いします」
 と枢にあっさり却下された。枢の台詞を聞いた真名実が嬉しそうに自己紹介をする。
「初めまして、香我美真名実です。こっちはバッキーの聖です。宜しくお願いしますね」
「俺は神月枢。これはソール。宜しく、香我美さん」
「お、俺は鴣取虹です! こいつは蒼拿。俺の事は“ココ”って呼んで下さいっ」
「俺は梛織。ただの梛織、だ。今回、ムービースターは俺だけみたいだな」
 妙に真名実を意識している虹だけが力んでいる。そんな彼を見て真名実はくすくす笑っていた。





「ここ、か……」
 地図を片手にたどり着いたのは、極々普通の一軒家。住宅ローン三十年の建売住宅といったところだろうか。
 チャイムを鳴らすと、どこか憔悴した感じの若い女性が出てきた。にこりと枢が笑って言う。
「対策課からの依頼でこちらに参りました」
「……どうぞ」
 女性は安堵した様子で枢達を家の中へと招き入れる。枢達はそれぞれ挨拶をして家の奥へと進んで行った。
「ここが主人の部屋です。どうぞ宜しくお願いします。ドアは破ってもかまいませんので……」
「あの、旦那さんはどんな物を持ち帰ったのですか? この位の箱の様な物ですか?」
 真名実は、手で箱の大きさを形作りながら聞いた。
「ええ、そうです。ちょうどその位の大きさでした」
 女性の台詞に皆は顔を見合わせ頷く。一連の騒動は同一のものだと確信する。そうと分かればやる事は決まっている。部屋の中にさえ入れれば、こっちのものだ。
「よっしゃー、やるぜー! さくさく解決!!」
 やたらに張り切っているのは虹である。真名実に少しでもいいところを見せようとする心理が働いているのかもしれない。
「そんじゃー、まず俺がドアを蹴破って、ココと神月さんが旦那を取り押さえて、香我美嬢はその隙に装置を確保する、でいいかな?」
「まあ、大筋では異論はありませんが、わざわざドアを破らなくても方法はありますよ。俺に任せて下さい」
「……おう」
 ドアを蹴破る気満々だった梛織は少しばかり意気消沈する。
「では……」
 枢は扉の丁番部分を調べてニッと笑う。
「ああ、このタイプは簡単に外せますね。戸を外した後、中の彼が飛びかかって来たりした時の為に用心しておいて下さい。頼みましたよ、梛織さん、鴣取さん。……ああ、香我美さんは危ないですから、少し離れていて下さい」
 梛織と虹は身構える。真名実は女性の側まで下がった。そして枢は戸を外しにかかった。 扉と柱を留めてある丁番ははあっけに取られるほど簡単に外れた。
「え……?! もう外れたのか?」
 思わず声に出して確認してしまうほどあっけなかった。その問いに枢は無言で頷いた。そっと扉を外し、中の男性に声をかける。
「渡野辺(トノベ)さん? いらっしゃいますか?」
 いるのは分かっているのだが、一応そう尋ねる。中でうずくまっていた影がビクンと跳ねる。何かをその腕に抱え込んでいるようだった。――その何かは確かめるまでもなかったが。
「手に持っているのか……。厄介ですね」
 溜息を一つつき、枢は自分の鞄の中を漁る。枢の鞄の中は実に雑然としていた。医療器具からお菓子、工具など様々な物が入っている。虹が覗き込み、疑問を口にする。
「なあ、その中に爆発物なんて入ってないよな?」
「大丈夫、爆発物はないですよ。……多分、いえ、きっと」
 枢は笑顔で答える。虹は多分、という言葉引っ掛かりは感じたが、それ以上は突っ込まない事にした。いや、突っ込んではいけない気がする。梛織はそんな二人のやり取りを横目に男性へと近付いて行った。
「あんたさあ、何で引きこもってんの? 奥さん心配してるよ」
「お前に俺の気持ちがわかるもんか!」
「わかるわけねーだろ、他人なんだし。あんたが何を思っているかなんて、言わなきゃわかるわけねーっての」
 そこで初めて男性が梛織の方を向いた。
「……仕事に、疲れたんだよ。どいつもこいつも好き勝手言いやがって。何でも人に押し付ければいいと思ってやがる。クソが! もう知るもんか、俺がいなくて困るがいいさ。ハハハハハハハハハ!」
 ビキッ! 梛織のこめかみに青筋が浮かんだ。
「ハァ? 疲れただァ? ふざけんな! んな、くだらねぇ事言ってんじゃねぇよ! 俺だって疲れ溜まってんだ! 皆だって疲れを抱えて生きている。でもな、疲労のデカさで対策課の植村さんに敵う奴はいないんだよ!! 植村さんの疲労を知らず、疲れを語るんじゃねぇ!」
「はは、いい事言いますねぇ、梛織くんは。っと、あった」
 鞄の中を漁っていた枢は、ようやく目的の物を探し当てた。最終手段として使おうと思っているソレをポケットに突っ込み、立ち上がる。虹は梛織の剣幕に押されて出番がない。
 更に梛織が言い募ろうとしたところで、真名実が割って入った。
「待って、梛織さん。そんなに、その人を責めないであげて」
「真名実さん、優しいなぁ」
 じぃぃん、と虹が感動する。真名実に対するポイントがまた一つ上がったようだ。
 真名実は男性の側に寄り、できるだけ優しく語りかけた。
「渡野辺さん、お仕事が大変なのはわかります。でも、あなたには家庭があるでしょう? 守るべきものがあるのに、自分が辛いからと言って、責務を放棄していいのでしょうか? あなたが働かなければ奥さんが困りますよね。奥さんが働くと言ったって、どのくらいのお給料になるでしょうか? 女性が働く場合、男性と同じようなお給料を得るのはとても難しい事です。特別スキルがなければ、風俗関係にいくか、お仕事を複数掛け持ちしなければ、無理なんです。そうすると奥さんの疲労は、あなたの比ではないほど重いものになるんじゃないでしょうか? あなたはそんな苦労を奥さんにさせたいのですか?」
 真名実の言葉に男性は動揺を隠せない。
「お、俺は……、そんな……」
「あなた……」
 女性が男性の部屋の戸口まで来ていた。明らかにやつれた顔。そこで初めて男性は自分の愚かさに気が付いた。
「紗江(サエ)、俺が悪かった。俺が間違っていたんだな。心配かけて、すまない……」
 紗江と呼ばれた女性は、項垂れる男性の下に歩み寄り、膝を着く。
「いいのよ。今回の事は特別なお休みを頂いたと思えばいい事だもの。いつも、ありがとう、あなた……」
 二人は暫く見詰め合い、それから固く抱きしめ合った。
「……やれやれ、一件落着のようですね」
 使う必要のなくなった“最終兵器”を鞄に戻しながら枢は言う。
「出番なかったな」
 虹が苦笑しながら呟いた。
「なあに、あと数件同様の事件があるようだから、まだまだ出番はあるって!」
 梛織が思い切り虹の背中を叩きながら言う。
「げ、まだあるのかよ」
 少しうんざりする虹。
「でも、よかったわ、わかってくれて」
「そうですね。さて、渡野辺さん。これはもう必要ないですね? 貰って帰りますよ?」
 例の装置を掲げながら枢が言う。
「ああ、ソレはもういらんよ。そっちで処分して下さい。……ご迷惑をお掛けしました」
「いえいえ、かまいませんよ」
 微笑して枢が答える。仕事ですから、という言葉は口には出さない。
 四人は渡野辺夫妻に別れを告げ、歩き出す。残りの数件は対処法がわかっているので、問題にはしていない。多少、強引な方法で解決するのもアリだろう、と思っていた。
「……さて、もう一つの課題が残ってますね。そちらに取り掛かりましょうか」
 枢の言葉に緩みかけた気を引き締め、四人は次なる目的地へと向かった。





 四人がやって来たのはゴミ集積場。そこに例の装置――ヒーリングマシーンを置く。
「本当に、こんなんで来るのかな?」
「来るさ。大事なデータが詰まってるんだから」
「香我美さんは帰った方が良かったんじゃねぇ?」
「大丈夫です。例のご老人がどんな方か知りたいですし、事の顛末も気になりますもの」
 時折、ひそひそと言葉を交わしながら、初老の男性が現れるのを待った。

 カツ、カツ、コツ……

「来た……か?」
「しーっ」
 ごくりと誰かの喉が鳴る。
 街灯の灯りが、集積場に現れた人物の姿を浮かび上がらせる。そこに現れたのは目的の人物で間違いなかった。そして、あの写真の老人でもあり、一連の騒動の張本人が彼である事がはっきりとする。 
「さて、これはどんなデータを集めたのでしょうか? それともそのまま置かれたか……。まぁ、焦らずとも、部屋に戻って調べれば分かる事ですね。願わくば使われていますように……」
 初老の男はヒーリングマシーンを大事そうに抱え、また夜の闇へと消えて行った。
「行きますよ」
 枢の言葉に三人は頷き、尾行を開始する。

 初老の男を追って辿りついたのは古びたアパート。住人がいるのか分からないほど、その建物はひっそりと静かに佇んでいた。
「うう、まさかあの老人が幽霊でした、なんてオチはないよな?」
 虹がブルッと震えながら呟く。
「それはないでしょう。データにも住民簿にも“死亡”の文字はありませんでしたし、ほら、部屋の明かりが点きましたよ」
 枢の台詞に一同は明かりの点った一室を見上げる。
「どうやって踏み込むのさ」
 虹の疑問に梛織が答える。
「普通に訪問したんでかまわないんじゃねーかな? 驚いて逃げられても困るし」
「そうですね。普通にいきましょう。香我美さんにノックしてもらいましょうか。女性の方が警戒されないと思いますしね。お願いできますか? 香我美さん」
「ええ、もちろん。役に立てるのでしたら何でもします」
 ……いい心掛けだ。枢は心の中で独りごちる。

 コンコン……

 真名実は控え目に扉をノックした。呼び鈴はついていない。表札には男性の名前がしっかりと書いてある。“鈴原朔朗(スズハラ・サクオ)”それが彼の名前であった。
「鈴原さん、いらっしゃいますか?」
 程なくして、ギィと扉が開かれる。
「何でしょうか?」
「夜分遅くすみません。あの、あなたが作られている、ヒーリングマシーンを見せて貰いたくて……」
「そうですか、わざわざありがとう御座います。さあ、ここではなんですからお上がりになって下さい」
 初老の老人――鈴原が真名実を室内へと促したその時、ガッと梛織が扉を掴んだ。
「俺達にも聞かしてもらえねーかな? ヒーリングマシーンの事」
 鈴原は一瞬驚いたものの、快く全員を部屋の中へと招き入れた。

「どうぞ……。こんなものしかありませんが」
 そう言って全員の前に、お茶と皿に載せられた煎餅が配られる。
「どうやらこのマシーンの事を、あまり好く思われてはいないようですね」
 先に口を開いたのは意外にも鈴原本人であった。
「ええ、このマシーンが元で少しトラブルがありましてね。この装置を作られた切っ掛け、もしくは経緯などをお聞かせ願えないでしょうか?」
 鈴原はお茶を一口啜り、軽く息を吐いた後、静かに喋り始めた。
「私は、大手寝具店に勤めておりましてね。ええ、若い時分からずっと、同じ会社に勤めて参りました。営業や商品開発、それはもう色々な事に関わってまいりました。家で使っている寝具も全て会社の物で御座います。他社の物など使った事は御座いません」
 老人はそこで溜息をつき、話を続けた。
「会社の寝具は健康に良いと謳(うた)ってきた物でした。……しかし、妻が病に倒れ、一向に病状が良くならないまま他界してしまい、私が今までやってきたのは、信じてきたものは何だったのだろうかと、そう思うようになっていました。」
 老人は当時の事を思い出し、声を震わせた。だが、
「絶望に打ちひしがれ、失意のまま私は会社を去りました。ですが、私は彼女に出逢う事で変われたのです!」
 先ほどとは打って変わったように、生き生きとした様子で喋る。皆が皆、違和感を感じた。その時……

 コオォォォォ―――

 透き通った声のような音のようなものが部屋を包み込む。
 声と共に現れたのは、淡く自らを発光させている女性――いや、耳が尖っていることから、フェアリーと呼んだ方がいいだろうか――だった。
「ムービースター! いや、ヴィランズか?!」
 皆に緊張が走る。
「おや、どうされました? 皆さん。彼女は危害など加えませんよ。ただ、癒しを与えるだけです。そんなに怖い顔をなさらないで下さい」
 確かに彼女の声は心地よい。だが、心のどこかで警鐘が鳴っているのも事実。
「私は彼女の協力を得ましてねぇ、このヒーリングマシーンを完成させる事ができたんですよ」
 老人からは穏やかな笑みが消え、今は禍々しい笑顔を貼り付けている。
 部屋のには相変わらず、彼女の“声”が満ち、思考力を奪っていく。
「芙美子! あなたの奥さんの名前は芙美子(フミコ)だ!」
 こんな時に何を言っているのだろうかと、皆が思う。だが、かまわず枢は叫ぶ。
「確かに死因は病死だが、それは会社の製品のせいじゃない。心労からきたものだったはずだ。あなたが、無理を、心配を掛け過ぎたからじゃないのか?」
「私の、せい……?」
 老人が動揺する。
「残酷なようだが、それが真実だ。あなたはその女性によって記憶を塗り替えられている!」
 枢が発見したHP(ホームページ)。それは鈴原が勤めていた会社のものではなく、鈴原自身の会社のものだった。経歴を見ると確かに寝具会社に勤めていた時期もあった。だが今は、いや妻が存命の間は、様々な癒しを提供する会社の社長を務めていた。妻の死後、会社は閉鎖。今は細々と年金暮らしをしている。それが真実だった。
 心配そうに老人に駆け寄った女性型のフェアリーが、枢達に向かって大きく口を開ける。彼女が操るのは音波。つまり使いようによっては――。
 まずい! と思った。彼女の口から音が発せられる、間に合わない。
 
 ゴ、ガガ、ヴ……、ブ、ブ……

 女性の姿が歪み、テレビのスイッチを切ったような唐突さで消える。
「間に合った、か?」
 梛織が箱を抱えて隣の部屋から出てきた。
「それは、ヒーリングマシーン?」
「ああ、だけどこれは本体。これを壊しちまえば、多分、全てが終わる」
 老人が失意の中で見た映画『Healing of the dream』実体化したのはこの箱。ホログラフィー付きのヒーリングマシーン。老人が作ったのはこれを模したもので、本体が壊れてしまえば人の精神にさして影響は与えないもの。消えてしまえば、ほんの少し加えられた魔法も解けてしまう。
「どうします? これ」
「壊しちゃえ!」
 虹が枢の鞄から金槌を見つけ出し、思い切りマシーン本体に振り下ろした。

 ガ、シャン……

「乱暴だな、君は」
 枢があきれて言う。
「バッキーに食べさせてもよかったのに……」
 真名実が至極まっとうな意見を言う。
「あああ、そんなぁ」
 大げさに項垂れる虹を見て皆が笑う。
 膝を着き、呆然としている老人に枢が声を掛けた。
「さあ、何時までも現実から目を逸らしてないで、今を生きたらどうですか?」
 ふらりと鈴原が枢の方を向く。
「あなたが手に入れたヒーリングマシーンがあっても、結局のところ、夢は夢に過ぎないですし、自分に都合のいい空間でしかない。人の居場所は現実でしょう? この街では夢も現実も随分曖昧になってますけどね。だからこそしっかりと前を見詰めなければ、己を見失ってしまう。違いますか?」
 ふっ、と鈴原が苦笑して言う。
「この老いぼれに鞭を打ってでも、現実を見据えて生きよ、とおっしゃいますか」
「当たり前だろ。命なんてものは、失ってしまえばそれで終わり。貪欲に生きなきゃもったいないぜ」
「そうよ、夢は生きていれば、いくらでも見れるもの」
「そして希望も見えてくるさ。きっとな」
 老人は顔を上げて言う。その顔に暗い翳りは見えなかった。
「そう……ですね。私が、甘えていたのですね」
「甘える事は悪い事ではないわ。でも、時と場合によりけりです。頑張りすぎても甘えすぎてもバランスは狂うもの」
「そうそう、何事も腹八分ってね」
「腹八分ねぇ」
 なんだよー、やったな、と、虹と梛織のどつきあいが始まる。
「ああ、もう、収集がつかなくなる前に帰った方が良さそうですね」
「え? 私はどうすればいいのでしょうか? たくさんの方に迷惑を掛けたようなのですが……」
「俺は裁判官ではありません。あなたに裁きを申し渡す事はできませんよ。……そうですね、ヒーリングマシーンを全て回収して、対策課まで持っていって下さいますか? あなたの処遇は対策課の方に聞いて下さい」
 それでは、と枢は梛織と虹を引きずって歩き出す。失礼します、と真名実が頭を下げて退出する。老人は一人、部屋で佇む。いや、独りではない。自分には子供や孫がいたではないか。独りぼっちじゃない。そんな事も自分は忘れていたのかと今更ながら自嘲する。項垂れている場合ではない。自分にはまだすべき事がある。やっと夢から覚めた、そんな気分だった。





 一つの事件が終わった。
 この銀幕市においては、ほんの些細な事でしかない。
 騒動なんて日常茶飯事。
 だってここは夢と現実が混在する銀幕市。
 今日もどこかで、どんちゃん騒ぎが起こってる。
 別に珍しい事じゃない。

 そう、いつだって―――


―了―

クリエイターコメントちょっと遅くなってしまいました。すみません。
今回は結構好き勝手やってしまったような気がします。
何か問題がございましたら、連絡頂けると助かります。
少しでもお気に召して頂けたら幸いです。
また、事件が起こった際には宜しくお願い致します。
公開日時2007-09-18(火) 18:50
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