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<ノベル>
じりじりじりじり。
沢渡 ラクシュミは、祖母と対峙していた。互いに一歩も引く事は無い。睨み合う目と目は鋭く光っており、間にいるハヌマーンだけがほのぼのとその様子を眺めていた。何が起こっているのか、良く分かってないようだ。
「いい加減、言う事を聞きな」
「ヤダ!」
「前は、あんなにもあたしに賛同したじゃないか」
「それは、お祖母ちゃんが銀幕市に残りたいって言ったからよ」
ラクシュミは断固として譲らない。
ここで譲ってしまっては、中央ででんぐり返し(様子を眺めるのに飽きたらしい)をしているハヌマーンと、離れ離れになってしまう。
それだけは、なんとしても避けなければならないのだ。
「あたし、ヤダ。絶対、ハヌマーンと離れたくないんだからね」
「本当は、あたしだって離れたくないさ。何しろ、ここには旦那の墓があるからねぇ」
「だったらいいじゃない! これからもここに住めば」
言い放つラクシュミに、祖母は大きなため息をつく。
「そうは言っても、今の状況を考えれば仕方ないだろう」
祖母はそう言って、じろりとラクシュミを睨みつける。過去の経歴を彷彿と思わせるような、鋭い睨みだ。
ラクシュミは思わずびくりと体を震わせてしまうが、ぐっと手を握り締めて「ヤダ」と再び言う。
「聞き訳が無いねぇ。この銀幕市は、今や何が起こってもおかしくない場所になってしまっているだろう?」
ここ最近、確かに銀幕市は騒然としている。対策課からは毎日のように市内で起こっている出来事を知らせてくるが、そのどれもが妙にきな臭い。少し前までは、思わず笑みこぼすような穏やかなものが多かったというのに。
ラクシュミは「そうだけど」と俯く。
「分かるなら、あたしと一緒に疎開を……」
「いや!」
「ラクシュミ!」
強い語気に押されそうになるが、ラクシュミはぶんぶんと頭を横に振る。
「あたし、ハヌマーンとは絶対離れたくない。絶対に、いや!」
ようやく訪れた春休みに入ったばかりだった。
学校が休みだから、毎日のようにハヌマーンと遊べると喜んでいた。いつもよりもたくさん遊べるね、とハヌマーンに話しかけていたのだ。ハヌマーン自体は分かっているのか分かっていないのか、ラクシュミに楽しそうに話しかけてもらえること自体に喜んでいたが。
「いいから、一緒に来な」
「いやよ!」
祖母とラクシュミは、再び睨み合う。火花でも出ていそうな状況である。
暫く二人はにらみ合い、ふと視線を感じた。ゆるりと感じた視線の方に二人同時に顔を向けると、玄関にスーツを着込んだ女性が立っていた。
色黒の肌に、灰色のショートカット。
彼女はただじっと、ラクシュミと祖母がにらみ合っている様子を眺めていた。
「……いつから、いたんだい?」
祖母が尋ねると、彼女は「先程から」と答え、祖母とラクシュミに向かって、封書を差し出した。
「神凪 華(カンナギ ハナ)と言う。沢渡さんから紹介されて、ここに来た」
「お父さんの?」
ラクシュミは訝しげにしつつ、華を見つめる。がっちりした体格が、妙に威圧感がある。
「どうやら、本当みたいだね」
祖母はそう言い、便箋をラクシュミに手渡す。手紙の内容は、華を沢渡家の居候とするというものだった。
「居候って……ええ?」
銀幕市に残るか、祖母の言う疎開地に行くか、という喧嘩の真っ最中だというのに。
「丁度いいね。あたしの故郷に一緒に行くかい? のんびりして、いいところだよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! あたし、銀幕市から離れないからね」
「いい加減、お前もしつこいね。あたしの故郷に文句があるっていうのかい?」
「そういうんじゃないってば。あたしはただ、ハヌマーンと離れたくないの」
再び言い合いを始める二人に、華は「やれやれ」と肩をすくめる。そして、まず祖母の方に向き直る。
「故郷に帰るという事だが、ラクシュミの言葉に耳を貸さないのはどうなのだ? そんなに強固だと、上手くいくものも行かないだろうが」
ぐっと祖母が言葉を詰まらせる。それに対し、ラクシュミが嬉しそうな顔をして「そうでしょう!」と言うが、華はくるりとラクシュミの方を見る。
「おまえもおまえだ。どうしてこの銀幕市に拘る? おまえ一人で生きている訳ではないだろう」
今度は、ぐっとラクシュミが言葉を詰まらせる。
暫くの沈黙の後、祖母とラクシュミはほぼ同時に口を開く。
「仕方ないね……」
「でも、やっぱりヤダ!」
同時に発せられた言葉に、祖母とラクシュミは顔を見合わせる。祖母は華の言葉に諦めを感じ、ラクシュミはそれでも断った。
華は「よし」と頷き、祖母の方を見る。
「では、私がここにラクシュミと共に残るというのはどうだろう。それで、全ては解決すると思うのだが」
華の申し出に、祖母はじろりと華を見る。
「あんたが?」
「ああ」
「あの子と共に?」
「そうだ」
力強く頷く華に、祖母は息を吐き出しながら「分かった」と頷いた。
「なら、頼むよ。ラクシュミを、よろしく頼む」
祖母の言葉に、再び華は頷いた。
ラクシュミは銀幕市に残れる事を喜び、ハヌマーンに報告に行く。またこれからも、一緒に居られる、と。
「あの子を、頼んだよ」
ラクシュミに聞こえぬ程小さな声で、祖母が言う。華は再び力強く、こくり、と頷くのだった。
話が決まった途端、ばたばたと騒がしくなった。アパートの部屋に、大勢の引越し業者の人間がやってきたのだ。
「何事だい?」
驚く祖母に、華は「呼んでおいた」と答える。どうやら、居候の件が決定する前から、引越し業者に連絡を入れていたらしい。
引越し業者は手際よく荷物をまとめる。祖母のもの、ラクシュミのもの、家具、電化製品など、物に応じてまとめていく。
そうしてあっという間に、アパートの中は空になっていた。
「綺麗になったねぇ。じゃあ、あたしは行こうかね」
祖母はそう言い、ひらひらと手を振ってアパートを去っていく。ラクシュミはそれを見送り、次に空になったアパートを見る。
「……なんで、空なの?」
「引越し業者が、纏めていったからだ」
さらりと返す華に、ラクシュミは「そうじゃなくて!」と突っ込む。
「引っ越すのは、おばあちゃんだけでしょ?」
ラクシュミの言葉に、華は「ふん」と鼻で笑う。
「こんなしみったれた場所に、住めるか」
「しみ……」
華の言葉に、思わずラクシュミは言葉を失う。今まで住んでいたアパートは、正確には二軒目だけど、それはそれで楽しく暮らしていたのだ。
「では、行くぞ」
「何処に?」
くるりと踵を返す華に、ラクシュミは尋ねる。華は「決まっている」と言い、つかつかと歩き出す。
「新しい住居だ」
「新しい住居……」
ラクシュミはハヌマーンを抱え、慌てて華についていく。ハヌマーンは良く分かっていないらしく、遊びに行くのだと勘違いして妙に楽しそうにしている。
途中でタクシーを拾い、辿り着いたのは出来たばかりと思われる、綺麗なマンションだった。
「こ、ここ?」
呆気に取られるラクシュミに、華は「いいところだろう」と言って自動ドアをくぐる。
「セキュリティが良好だ。今までとは比べ物にならない」
「ええと、因みに家賃は……?」
恐る恐る尋ねると、華はさらりと家賃の額を教えた。今までの五倍だ。
「た、高っ!」
ラクシュミは声をあげ、改めてマンション内を見回す。
ゴミ一つ落ちていないマンション内は、常に綺麗な状態に保たれるよう清掃業者に頼んでいるようだ。玄関ホールに飾ってある壷や絵画は妙に高そうだし、さりげなく綺麗な花が飾られていたりする。心地よいクラシック音楽も流れているし、マットなんて足が沈むのではないかと思うほど、ふかふかだ。
「す、凄い……」
「こっちだ、行くぞ」
華について、ラクシュミは部屋へと向かう。既に引越し業者が作業を終えているようで、ついた部屋のドアを開けると見慣れた家具がちらほら置いてあった。
部屋内も、マンション内と同じく綺麗だった。備え付けの家具はつややかに光っており、顔も映せるのではないかと思わせるほどだ。
「凄いね、ハヌマーン」
呆然としながら話しかけると、ハヌマーンは嬉しそうにした。相変わらず、遊びに来た感覚なのかもしれない。
リビングのソファに座り、一息つく。沈んでしまうかと思うほど、ふかふかのソファに。
「それで、ここでの私の身分だが」
「え?」
不思議そうな顔をするラクシュミに、華は苦笑する。
「赤の他人が一緒に住んでいる、と噂になってはいけないだろう?」
「それもそっか」
こっくりとラクシュミは頷く。
「私は『沢渡 霧江』と名乗る事にする」
「苗字が同じね。ということは……お母さん?」
「違う!」
華が即座に否定する。母親設定は、本気で嫌らしい。
「義理の姉、という事にする。義理の姉だ」
何度も確認するように、華はラクシュミに言う。ラクシュミは「分かった」と答え、頷く。
華は「義理の姉だぞ」と再び念を押してから、立ち上がってキッチンへと向かった。
(なんだか、苦手だな)
心の中で、ラクシュミは呟く。
最初の印象から良くなかった。威圧的な雰囲気に、脅すような口調。住む所は勝手に決めるし、前に住んでいた所を「しみったれた」なんて表現するし。
悶々とするラクシュミの前に、コト、と音がした。そちらを見ると、皿の上にでかいおにぎりが乗っかっている。
まん丸の大き玉に、ぺたぺたと黒い海苔が貼り付けられている様は、まるでバレーボール。
「どうした、お腹が空いているだろう?」
「あ、うん」
お茶を入れたグラスも隣に置かれる。華はと言うと、自分用に作ったと思われる網ひとつのバレーボールおにぎりを、豪快にかぶりついていた。
ラクシュミは小さく笑って、バレーボールおにぎりにかぶりつく。ご飯の中には、昆布が入っていた。他の所をかじると、梅が入っていた。
要するに、色んな具が至るところに入っているのだ。
ラクシュミは思わず笑う。ふふ、と。
(悪い人じゃ、ないのかもしれない)
それどころか、面白い人かもしれない、と。
がつがつと目の前で同じ大きなおにぎりを食べている華は、時折ちらちらとラクシュミの方を見ている。
「美味しい」
ラクシュミがそういうと、華は「そうか」と答えて、再びおにぎりに取り掛かる。
(仲良くしてみよう)
ラクシュミは、再び大きなバレーボールおにぎりにかぶりついた。
その夜、昼間バタバタした所為か、あっという間にラクシュミは眠ってしまった。
華は眠っているラクシュミを確認し、小さく呟く。
「なんとも、平和だな」
ラクシュミの父親から聞いていたのと違う、と華は思う。
最前線よりも危険な場所だ、と聞いていた。だからこそ、ラクシュミを守って欲しいと頼まれたのだ。
本人に気付かれぬように、身辺警護してくれ、と。
「危険か? ここは」
今一度呟き、華はラクシュミの部屋を後にした。
華が出て行った後、ハヌマーンが寝ぼけて、ぐるり、とでんぐり返しをしたのだった。
<奇妙な二人暮らしが始まり・了>
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クリエイターコメント | お待たせしました、こんにちは。霜月玲守です。 この度はプラノベオファーを有難うございます。再びお目にかかれて、嬉しいです。
今回は不思議な二人暮らしが始まる、という事で、バタバタした様子を中心に書かせていただきました。 バレーボールおにぎり、ほぼ想像で書いちゃいました。力強いおにぎりなんだろうな、と。
少しでも気に入ってくださると嬉しいです。 ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。 それではまたお会いできる、その時迄。 |
公開日時 | 2008-06-12(木) 19:50 |
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