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<ノベル>
「気になるなら行ってくればいいじゃねえか」
そう後押ししてくれたのは、Sora (ソラ)と親しい医師だった。
「お前ロクに学校行ったことねぇだろ。見物がてら行ってこいよ。なあに、体調は無理しなけりゃ大丈夫だから」
血圧と体温の数値を確認し、そう太鼓判を押してくれた医師は、Soraの出身映画『ソラハナ』の原作の大ファンだという。
Soraの入院費の全てを支払い、入院生活や病院の外での活動まで何かとを気に掛けてくれるその男は、彼女がこの街で心を開く数少ない人間の1人だ。
おらよ、と白いベッドの上放られたのは紙袋。
乱暴な口調とは裏腹、優しい眼差しの少女の足長おじさんは、わざわざSoraの為に対策課に出向き、依頼内容の詳細資料と必要な衣装まで借りてきてくれたらしい。
ここまでお膳立てされてしまえば、初め渋っていたSoraとて首を横に振るのは難しかった。
彼女自身、事件と、事件現場に少なからず興味があったのは確かだったから。
「あの子、早く元気になればいいけど……」
渡された紙袋を抱きしめながら、Soraは数日前見かけた少年の顔を思い出し僅かに眉を寄せた。
しきりに震えていたあの子。
学校の更衣室で誰かに見られている気配がすると怯え、ノイローゼ気味となり、しまいには体調を崩し入院してきた。
心の傷は、目に見えない分厄介だ。
それまで元気だった少年が暗く塞ぎこむ姿は、Soraの胸を痛くする。
それが病魔によるものではない、外因的な理由であるなら尚更だった。
「男子、更衣室の、盗撮……」
プリンタより打ち出された資料の活字を、指でなぞりながら、Soraは歌うように呟いた。
彼女の今にも散ってしまいそうな花のような儚げな雰囲気とはまるで相容れぬ、どこか俗な猥褻的な感じさえするそのワード。
次いで紙袋から取り出したその衣装を目の前で広げ、Soraはどこか嬉しそうな戸惑うようなそんな複雑な表情を浮かべ、最後に口許に薄い笑みを小さく結んだ。
その時ベルはヒマを持て余していた。
好奇心旺盛な性格は時として、平穏な日常に耐えられなくなる時がある。
かつての、実体化する前の頃を思い返せば、今の暮らしは見慣れぬ物、珍しい物ばかりで、人間の生活も銀幕市の街並も、どこもかしこもベルの知りたがりの性質を存分に満たしてはくれる。
満たしてはくれるのだけれども、それでも慣れという瞬間はどうしても訪れる。
そうそう毎日楽しいことばかりではないし、ベルがツンデレと呼ぶ居候先の少女はコンクールが近いとかで最近あまり構ってくれない。
だからと、暇つぶしに訪れたのは市役所だった。
「――な、に、か、お、も、し、ろ、い、こ〜〜〜、とっと! ふうん、これかぁ」
対策課の壁に張り出された依頼を順に指し、最後に指が止まったその内容に内心面白くなさそうと思いながらも、ベルは詳細を聞く為カウンターに走る。
突然の不自然な位表情の動かぬムービースターの少年の来訪に、一瞬怯みはしたが職員は丁寧に依頼の詳細を教えてくれた。
ベル自身、そんな態度を取られる事など慣れていたから、今更気にせず依頼に耳を傾ける。
聞けば聞くほど、やっぱり面白くなさそうな事件。学校周辺に出没した不審者の排除。
今日一日位は暇つぶしになるかなぁ、と話を聞いていたベルは、途中職員が発したその言葉にピクリと頭部の犬耳を動かし、勢いよく顔を上げた。
「え、カツラ? カツラってホントにカツラ?」
「え? あ、はい。ええと、その男の特徴は、黒縁のメガネ、中肉中背で、丈の長いコートを着用。カツラの様な不自然な髪型、と……」
ムクムクと湧き上がりベルの中で弾けたのは好奇心だ。
「見たい! そのカツラ、僕見たい!!」
目的が、暇つぶしの依頼請負いから、カツラ男見物にキレイにすり替わった。
ただカツラが見たいというだけの不純な動機に、本来ならたしなめるべき職員は、ベルの勢いに気圧されそのまま流れで依頼に必要な衣装を手渡してしまう。
「ようし、やるぞ〜」
やっと楽しめそうなことを見つけたと、ぶんぶんと紙袋を振り回しながら、ベルは意気揚々と現場へ向かったのだった。
時を同じくして、対策課から市役所の奥に入った更衣室。
「まったく、何だかナァ……」
今日も清々しいまでのにこやかな笑顔で、さも当然と言わんばかりに渡された紙袋とその中身に、薄野 鎮 (ススキノ マモル)は苦笑交じりに小さく息をついた。
鎮を取り巻く環境で、『女装のエキスパート』の称号と共に、もはや名物ともなっている対策課で手渡される『謎の紙袋』。その中身はもちろん女物の衣装である。
もはやいつもの事で今更なんの感慨も浮かばないと思っていたが、今回のコレは流石にどうかと突っ込まずにはいられず、鎮は馴染みの職員をやんわりと睨めつけた。
「どうして下着泥棒を捕まえるのに、僕がこの格好をしなければいけないんですか?」
「犯人が学園に逃げ込んだ、という目撃情報が寄せられています。犯人を逃がさない為にも、生徒を混乱させない為にも、違和感のない格好ということで、これは必要な衣装なんですよ」
果してそうだろうか、と鎮は首を傾げずにはいられない。
好きな方を着て下さい、と言われ2つ渡された紙袋の内一方から出てきたのは、綺羅星学園の中等部の制服だった。黒い詰襟、いわゆる学ランである。
幾ら鎮が童顔で、女性と見紛う程整った顔立ちをしているとは言え、彼の21歳という年齢を考えれば流石に男子中学生では無理が生じるだろう。
対策課の指定は、違和感なく学園に潜入できる格好、である。ならば……。
「結局こうなる訳ね」
もう仕組まれていたとしか思えない程の見事なミスリードだ。
職員の趣味なのか、それとも誰かから熱烈な要望でもあるのだろうか。
「ま、しょうがないか」
さほど抵抗もみせず、鎮はすっぱり割り切った表情でもう一着の衣装に袖を通した。
白い開襟シャツ。サイドにスリット入りのタイトなスカート。上品なラメ入りパンストのつま先を沈めるのは、黒のエナメルヒールのパンプス。スカートと同色の濃紺のジャケットを羽織り、前のボタンを1つだけとめる。
そして、鏡の前。
まるで役を静かにその身に下ろすように、厳かに。
両目を瞑り頭部に被るのは、それは見事な光沢のある黒のロングストレートのウィッグだ。
鎮の家の居候である殺し屋の彼が見れば、悲鳴を上げただろう。
それは現在共に住まう彼の師匠と瓜二つ、むしろそのものだった。
「似すぎ……って、同じ顔なんだから当たり前か」
楽しげに笑みを零しながら、髪を結い上げる。
会うこともないだろうが、せめてもの情けと彼女とは違うアップのまとめ髪で。
そうして最後にメガネを掛けなおせば、どこからどう見ても女性としか見えない、女教師の姿が鏡の中、誕生した。
「いざ潜入、ってね」
まだまだ肌寒い季節にあわせて対策課が用意してくれたのであろう。ベージュのスプリングコートを肩に掛け、ヒールで床を打ち鳴らしながら、鎮は彼の戦闘服を身にまとい戦いの場へ颯爽と出陣した。
歩くたび、胸元の白いリボンが上下に弾む。
大きめな動作で上体ごと捻り周囲を見渡せばスカートのプリーツがふわりと揺れた。
初めて着る綺羅星学園中等部の制服に、Soraは高揚する気持ちを隠せなかった。
訪れたのは放課後の校舎だった。
既に授業は終わり、部活以外のほとんどの生徒は帰宅している為、校内にあまり人影はない。
パタリ、パタリとゴム特有の真新しい上履きが奏でる音を、わざと大きめに響かせながら、Soraは初めて訪れる学校という空間を無作為に巡っていった。
そこは何処もかしこも、これまでSoraの中には存在しない世界だった。
薬と消毒液の充満した病院とは、まず匂いからして違う。
学校の匂い。書物の紙の匂い。埃臭さと、人が活発に活動する際発する汗のような湿った匂い。
でも決してそれは不快ではなく、どこか郷愁さえ覚える胸が切なく苦しくなるような、そんな懐かしい匂い。
(変なの。学校になんか、ほとんど通ったことないのに……)
周囲から与えられる膨大な情報と刺激の前に、彼女の柔らかな外見を裏切るシニカルな笑みも、しかしこの時ばかりは湖に落とした一滴の墨のように薄く瞬く間に消えていく。
(あ、吹奏楽…ふふ、音程ズレている。チューニング合ってないみたい。これは……、野球の金属バット? 凄い、グランドからこんなに遠いのに、ここまで聞こえるんだわ)
Soraの中に吸い込まれるように集まってくる、学校という空間が発する音の数々。
そのほとんどは雑音。重なり合えば、不協和音にしかなりえないそれらをSoraは愛おしげにひとつひとつ耳の奥で拾い上げ、それらを丁寧に心の中にしまっていく。
(生きている、音。活動している、音。『生』と『動』の息吹……)
意識が勝手にメロディーと言葉を紡ぎ始めた。
そんなSoraの中、一番奥底に宿るのは羨望と僅かな戸惑いだ。それでもSoraの音楽家としての本能は、貪欲に未知の外界の刺激を搾取し続ける。
本来ここに来た目的も忘れ、Soraは初めて対する学校という場に圧倒され、その行為に熱中した。
そうして校内を巡り歩いていた時だった。
「……アレ、君は――」
廊下の曲がり角を曲がった瞬間、すぐ間近から声がした。
慌てて顔を上げ、ぶつかりそうな程の接近にスミマセンと距離を取りながら、Soraは内心しまったと思った。
目の前に現れたのは、黒いスーツの線の細い年若い女教師だった。
当然、綺羅星学園の、この中等部の教師だろう。
今更ながらこれが対策課の依頼で、男子更衣室の盗撮犯を調べる為に潜入していた事実を思い出したSoraは、表面上取り繕った微笑の下顔を顰めた。
教師なら、Soraがこの学園の生徒ではない事など一発で見抜く。
依頼は対策課から出された正式な物だったから、事情を説明すれば分かっては貰えるだろう。
人当たりは良いし、幼く見える外見の割りに大人びた対応も出来るから、きっと失敗などしない。
しかし何よりSoraにとって、あまり慣れぬ人間に対し順序だてて多くの事を語るその作業は苦痛以外の何物でもなかった。
「考え事をしていて、あの、スミマセン。急いでいるので、これで失礼します」
何とかやり過ごせないだろうかと、Soraは急いで頭を下げるとその場を足早に立ち去りかけた。
しかし、教師の口から飛び出したのは思い掛けない名前だった。
「君、『ソラハナ』の歌手の、千葉 空音さん、だよね?」
まるで足が急に石になったかのように、ピタリと止まり動かなくなった。
背を向けたまま、Soraはゆっくりと虚空から微笑へと、表情を変化させ、それから振り返り首を横に振る。
「いいえ、違うわ」
「え?」
あまりにも強い否定に、目の前の女教師……鎮はメガネの奥の瞳を僅かに見張り、驚きの声を漏らした。
問い掛けと、更なる強い拒絶を発しようと互いに口を開きかけたその時。
「あー、カツラ男みーっけ!」
「うわっ!」
「え、何!?」
突然の謎の叫びと共に突進してきたベルの猛攻に、2人はあっという間に捕まってしまった。
こうして期せずして、同じ時期、同じ場所で違う事件の依頼に関わっていた3人は、一堂に会した。
空き教室をこっそり借りて、3人は互いの依頼内容とこれまで調べた情報を開示しあっていた。
中央の一番前の席に腰掛けるのはSora。
窓側の席の椅子を引っ張り出し、背もたれに覆いかぶさるよう逆向きに座ったベルは足と共に、中身のない学ランの右袖をブラブラ振っている。
そして黒板の前、教卓にもたれ2人の顔を交互に見やりながら話す鎮。
制服の少年少女と、スーツ姿の鎮の取り合わせは、どこから見ても授業風景そのものだった。
「それにしても、僕を不審者と間違えるなんてどうかしているよ」
「だって、言われていた男の特徴そのものだったからぁー。でもヨカッタ、オニーネーサンがそのカツラ男じゃなくって。もっとスゴイの想像していたし、こんなにアッサリ片付いちゃつまらないもん」
硬い表情に明るい声音で、ベルはあははと陽気に笑った。
謎の呼称に、何ソレ、と鎮が苦笑交じりに肩をすくめる。
どうやらベルは、鎮を見るなり一発で彼の姿が女装であり、本来は男性だと見抜いたらしい。
流石は作り上げられた兵器、鋭い観察眼と本能を兼ね備えた獣、というべきだろうか。
鎮の真の性別を聞かされ驚き目を見張るSoraの横で、ベルは何でもない風にゆらゆらとピンク色の大きな尾をその背で揺らした。
「…・・・にしても。カツラ男の他に、下着泥棒に、盗撮犯、ね」
「盛りだくさんだねぇー」
場違いなほど明るいベルの声は、どこか軽くまるで楽しんでいるように聞こえる。
「全部同じ犯人の仕業なのかしら……?」
ポツリと漏らしたSoraの独り言のような問い掛けに、顎に手を当て鎮はうーんと首を傾げた。
「盗まれた下着は女性もので、覗かれたのは男子更衣室。どちらかが学校の周囲に出没するという不審者かもしれないけど、この2つが同じとはあまり考えられないんじゃないかな」
答えが返ってくるとは思っていなかったのか、驚いたようにSoraは視線を上げた。
そのどこか儚げな、周囲の全てを拒絶したような少女のまとう雰囲気に、鎮は違和感を覚えずにはいられなかった。
以前スクリーンで対面した映画の中の彼女は、懸命に病と向き合い命ある限り歌を紡ぐ快活な印象の主人公だった。
それが今は別人のように影を背負い、深い絶望と悲しみを抱えているようにさえ見える。
初対面となった先程も、彼女はキッパリと否定し、拒絶したのだ。
それは確かに、映画の中の彼女の本当の名前だった筈なのに。
この街の何がそこまで少女を変えさせたのだろう。
(一体、何が――?)
「んじゃ、行こうか」
「え?」
ギギギと椅子で床を引きずり立ち上がったベルより向けられた言葉に、Soraは怪訝そうに振り返った。
「依頼、一緒に調べよう? 全部同一犯って事はないかもしれないけど、僕のとはどっちかは関わっていそうだし。だったら一緒に行動して、調べた方が効率的でしょ? ね、違う?」
「そんな…あたしは1人で……!」
慌てて立ち上がるSoraの言を、ベルはあっさり遮った。
「えー、でも。『男子』更衣室だよ? きみが1人で調べるのは、無理なんじゃない?」
「あ……」
正論だった。どこか悔しそうに俯きSoraは押し黙った。
そんな彼女の様を、ベルは不思議そうに、鎮はただ黙って見詰める。
答えがないのを了承と取ったのか、元気にベルは頷いた。
「うん、じゃあ決まりね。オニーネーサンもそれでいいでしょ?」
「さっきから言ってる、ソレ何」
「だって男なんだか女なんだかハッキリしないからさぁー」
「あのね、僕の名前はまーもーる。薄野 鎮。分かった?」
「うん。僕はベルだよ、未完成のベル。よろしくねぇー」
そして、2人の視線は少女へ。Soraの元へと自然と集まった。
犯人を調べたらそれだけで帰るつもりだった。ここまで深く関わるつもりはなかった。
それなのに、突然出来た2人の同行者のお陰で後には引けなくなってしまったようだ。
これではまるで、朝病院であの医師に制服を渡された時を同じではないか。
自分の意思とは反対に、流される自分に自嘲の笑みが浮かぶ。
でも、『コレ』は自分で決めた事。
「あたしは……」
あの雨の日、あの教会で、あの人に出会って。
その名で呼ばれてから、そう名乗ると決めた。決めたのは、あたし。
それは決して届かない、渇望のような叫びだったのかもしれない。
「――Soraよ」
やはりスクリーンの記憶とは名乗る名も笑顔さえも違う少女に、鎮は胸に宿る違和感を深くした。
まずは不審者探しの手掛かりを見つけようと、3人はそろって校舎を出た。
丁度夕方から夜半にかけ、学校周辺に出没するという不審者。
寄せられた目撃情報は、確かに聞けば聞くほど今回の鎮の衣装と合致したが、お門違いもいいとこだよ、と鎮は苦笑しきりで控え目に苦言を主張する。
「大体僕のこの格好で、どうして見た人が不審者、なんて思うの。怪しい事していたから不審者と思われた訳だろう?」
「怪しい事ってどんなぁ?」
間延びした口調でベルが聞き返す。
ぐるりとフェンスの回った中等部敷地の周囲を3人は歩いていた。
前に並んで黒い詰襟に身を包むベルと、セーラー服のSora。その後ろをどこからどう見ても完璧に女性、な鎮が続く。
頭部の獣耳や巨大な尾を差し引けば、年相応の13歳の外見のベル。制服姿の少年は、十分に綺羅星学園の生徒に見える。
また、17歳とベルより4つ程年が上なSoraであるが、彼女の儚げで線の細い体型は実年齢よりも歌姫を幼く見せていた。
並んで歩けば、ベルより数センチは背が高い筈のSora。しかしそれも彼女のまとう雰囲気と、顔の小ささから同じような身長に見える。
指摘すれば存外プライドの高いSoraの事、気分を害するかもしれないが、2人は同学年の中学生でも十分通る容姿だった。
そこに教師姿の鎮が加われば尚のこと。
傍から見れば、引率の教師と生徒にしか見えない3人である。
「依頼内容にはなんて?」
「んー、覚えてないや。カツラの事で頭いっぱいで、忘れちゃった」
「あのねぇ……」
「だって! カツラの不審者だよ!? 『カツラに見える程、不自然な髪型』だって言うんだよ。もうすっごい気になっちゃって! どんなかな。駅前でよく見掛けるスーツの人間達のようなピッチリ頭かなぁ。それとも、チョットしか頭に毛が無くて、しかもそれが思いっきりズレちゃってるヤツかなぁ」
無表情のまま、弾んだ声がベルの口から上がる。
ねえ、と話を振られ、Soraは静かに首を横に振った。
「さあ、あたしに聞かれても……」
「じゃあ不審者って具体的にはどんな感じだと思う?」
「どんなって……。よく、分からないけど。盗撮犯と同一人物なら、やっぱりこそこそしていたり覗いたり、とそういうのかしら」
「へぇー。ああ、あんなの?」
「え? ええ、そうね。あんな感じ…………って、え!?」
ベルの指差す方に顔を向け、Soraは驚き声を上げた。
男が、フェンスにへばりついていた。ジッと見据える先は金網の向こうのグランド。
突如男は何かを決意したかのように、ガシャンガシャンとフェンスを登り始めた。
男の外見は黒縁メガネに丈の長いコート。
それに、
「カツラってアレ!?」
ボリューム満点に膨らんだ、アフロヘアーだった。
「うわー…確かにアレは思いっきり不審者かも……」
呆然と呟く鎮に、あまりの出来事に動けないSora。
そして念願のカツラ男と遭遇したベルは、
「カツラだぁー!!」
フェンスをよじ登る不審者に突進した。
その魔女をも狩る物凄いスピードで突っ込んでくる少年に、カツラ男は悲鳴を上げた。
フェンスの半分までのぼってしがみ付いていた男に、当然逃げ場はない。
まるで弾丸のような勢いで、金網のひし形を足場とし蹴り上げ、男のいる高さまで軽々と飛んだベルは、
「ねえ、ソレ僕にも触らせて。被らせて!」
頭部の3倍はあろうかという程弾け膨らんだアフロを、ガシッと思いっきりわし掴んだ。
もちろんこの時ベルは、そのまま素直に引力に従い、落ちる勢いで男からカツラを剥ぎ取るつもりだった。
問題は、フェンスによじ登るそのアフロの男が、本当に不審者で、本当にカツラだったかという点だ。
「アレ?」
「ギヤアアァァァァァァッ!!!」
まるで断末魔のような叫びが、綺羅星学園の通り沿いに響き渡った。
根元から、ごっそり地毛を引き抜かれ、アスファルトの上のた打ち回るアフロ…否、旧アフロ男。
ベルにより力任せに毛髪をむしり取られ、頭部にかつての面影はない。
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄る鎮とSoraの横、むしり取った頭髪を興味なさそうにポイッと道の端に捨てたベルは、まるで状況も空気も読まない発言を堂々と言い放った。
「えー? オジサン、カツラじゃないのぉー?」
結局のところ、そのアフロの男性は不審者ではなかった。
実体化したばかりのムービースターで、グランドを走り回る中学生と同じ年頃の息子を探していたらしい。
先程は、その息子によく似た少年を見かけ、思わずフェンスをよじ登ってしまったそうだ。
自分の家族が実体化したかどうか調べるなら市役所の対策課に行った方がいいですよ、と鎮が告げれば、突然飛び掛られ頭髪を毟られるという凶行を受けながらも、男は感謝して頭を下げながら対策課に向かっていった。
「これで一応学校周辺を徘徊するという、不審者の依頼は解決、かな?」
「ええー? カツラはぁー?」
いつまでもベルは不満そうだった。
「時代はボサボサ頭だと思うんだよねぇ!」
「あのさ、ベル君。君もう少し反省するとか、懲りるとか、そういう事出来ないのかな?」
鎮の言葉を右から左に、ベルはボサボサーと効果音のような言葉を繰り返し、左手を空で開閉し声だけで笑った。
フェンス周りから、再び校舎に向かう途中である。
先程の出来事があって以来、Soraはベルと大きく距離を取っていた。あまり視線を合わせてもくれない。
変わりに何かと嗜める言葉をくれる鎮に、ベルは大いに懐いていた。
地上からさらった子供達のパーツを組み合わせ、戦争の兵器として作り上げられた合成獣のベル。
顔の表面の筋肉は、硬直している為表情が作れない。ベルは常に無表情だ。
しかし他の感情を抹消された少年兵達と違い、ベルには感情があった。中身は普通の13歳の子供らしさを残す少年だ。
この顔の所為で、奇異の目で見られた事はこれまで数知れない。
大概がこちらを凝視してくるか、戸惑ったような不審そうな顔で対してくる。
映画の中でも、実体化してからもそうだった。
今日もそう、ムービースターに慣れている対策課の職員でも、ぎこちない対応をされる事の方が多いベルである。
ベル自身、いつもの事なのであまり気にしてはいない。
気にしてはいないが、やはりどこか釈然とせず面倒に思う事も事実だった。
彼を普通に扱ってくれるのは、彼の周りのごく一部の人達だけ。
それが今日、どうやらもう1人増えたようだ。
「何企んでるのかな?」
「うん、なのね。流行ヘアーにしてあげようと思って」
「流行って……」
「もちろん、ぼさぼさ髪だよ。僕がわしわししてあげればすぐだから、ね?」
「いいです、遠慮しときます」
苦笑しつつもやんわりと拒否する鎮は、ベルと初めて会って数時間で、いち早く彼の中身が普通の子供と変わらない事を見抜き、受け入れていた。
彼の家にはベル以上に個性的でクセの強いムービースターばかりが多く同居している。これも鎮の肝の据わった性格ゆえだろう。
腫れ物のように扱われるのは慣れていたけれど、普通に笑顔で接してくれればやはりベルとしても嬉しいものである。
「流行ってるっていうけど、ベル君の周りはそんなに皆ぼさぼさ髪なの?」
「うん。周りっていうか、セバンだけ」
「それ流行ってないよ、1人だけじゃないか」
「あはは、そうかもぉー」
嬉しくて、もっと構われたくて、ベルは鎮に積極的にじゃれにいく。ベルが懐いた証拠だった。
そんな仲の良い2人の間に入れないのはSoraである。
人付き合いは苦手だった。病院にいる医師や看護師は皆大人だった。だから表面上、大人と変わらない落ち着きで上手く会話する事は自然に出来た。
でもそれ以上の会話、特にノリや冗談の入る若い世代特有のテンションの高い会話となるとSoraはとてもついていけない。
だからあえて2人とは距離を取り、離れて歩いた。
別に1人でいることには慣れていたから、寂しさもない。
ただ、学校という大勢の人間が活動する場所が、残留する人の熱が、より一層Soraの孤独を際立たせた。
辿り着いたのは、事件のあった男子更衣室の外。
中に入り調べるのはやはり躊躇われたから、そこはあの2人に任せ、Soraは窓の外から更衣室を伺う。
体調を崩し入院してきた被害者の少年は言っていた。
いつもどこかで見られているような気がする、視線を感じる、と。
直接的に見る、とするならば、やはりこの唯一更衣室に取り付けられた窓からだろう。
どこか不審なところはないか、何らかの痕跡はないか。中庭とその窓の周辺を丹念にSoraは当てもなく探した。
しばらく10分はそうしてその場で探し続けていただろうか。
「……え?」
ジィー、ガシャ、と。音がした。
それは確かにカメラのシャッター音だった。
本当に微かな小さな音。耳の良い、Soraだからこそ拾えた音量かもしれない。
その音源目掛け、Soraは駆け出した。
校舎の中に飛び込み、途中鎮達とすれ違い、彼らも引きつれ2階へと駆け上がる。
耳に届いたシャッター音。その音が確かに聞こえてきたのは、
「……ここ?」
理科室だった。
そこは、ちょうど男子更衣室の真上に位置する教室だった。
この向こうに、盗撮の犯人が潜んでいるのだろうか……?
極限まで張り詰めた緊張に、冷えた指先が引き戸の金具に触れたその時。
「――う、ゴホッ、ゴホゴホゴホッ!!」
発作的にSoraを襲ったのは激しい咳の衝動だった。
立っていられなくなり、堪らずその場に蹲るSoraの小さなその背を、駆けつけた鎮が優しくさする。
どうやら急な全力疾走が祟ったらしい。今更ながらスポンサーである医師の、無理をしなければ大丈夫、という言葉が甦る。
Soraを鎮に任せ、ベルは理科室に飛び込んだ。
いつでも盗撮犯を捕まえられるよう身構え、左腕の刃を大きく広げながら。
しかし、その先にあった物は――……。
「ねえ。コレ、カメラだよね?」
そこに、人はいなかった。
あったのは窓の外、グランドに向けレンズの固定された、インターバルタイマー付きのフィルムカメラだった。
窓から差し込むのは、銀幕市の彼方で今日一日の命の陽を今まさに落とそうとしている橙色の灯り。
静かに沈み行く夕日に向け、再びカメラがシャッターを刻んだ。
その音を鼓膜に残しながら、Soraの意識は暗い闇へと沈んだ。
「……ここは?」
「ああ、気が付いた? まだ学校だよ。保健室。倒れてからもずっと咳き込んでいたけど、良かったようやく止まったみたいだね。起き上がれる?」
「……ええ」
全身に重く残る倦怠感と軽い眩暈に頭を振りながら、Soraはゆっくりと起き上がった。
薄いカーテンの向こう、もう日は落ちたのかすっかり暗くなっている。
「結局ね、あのカメラは理科実験部って部活のグループが、日の出と日没の移り変わりを季節ごと記録する為に行っていた、実験だったんだって」
「え……?」
突然鎮の口から語られるシャッター音の正体に、Soraは俯いたまま視線だけ鎮に向けた。
見れば見るほど同性にしか見えない、完璧な女教師。
優しい笑みを浮かべながら、鎮はSoraに向け真相を話す。
「丁度更衣室の真上にあったよね。日の落ちる時間、一定の間隔を空けて連射されるようになっていたんだ、あのカメラ。だから……」
「その音を、盗撮と間違えた?」
「たぶん、ね」
でも、と鎮は少し明るめな口調で続けた。
「その実験も、今日でオシマイ。もう誰かの視線に怯える事もなくなると思うよ」
良かったね、と鎮は笑った。
Soraは、今自分がどんな表情をしているのか分からなかった。
ふと、思い出し尋ねてみる。
同じ場所で起こった違う事件。それぞれの依頼。
この女教師の、鎮が引き受けた依頼はどうなったのだろう?
「そっちはね、実は元々予想はついていたんだ」
鎮の言葉を合図とするかのように、突如保健室の扉が開き泥まみれのベルと、何故か薄汚い犬が一緒に入ってきた。
「え、犬……?」
「鎮、あったよー」
「もう、犬まで校舎の中に連れてくる事なかったのに。ああ、ドロドロだよ。どうするの」
「大丈夫大丈夫、きっと誰かが掃除するって」
「それこのままにして帰るって事だろ? 駄目だよ、そんな」
「えー」
不満げな声を上げるベルが片腕に抱えるのは、これまた制服と同じくらいドロドロに汚れたかつては華やかな色彩であっただろう布切れの数々だった。
「もしかして、その子が犯人?」
「うん、結構有名な脱走犬で、下着どころか何でも持ってきちゃう泥棒の常習なんだって。ね、チロ?」
パシパシと右袖の端を頭部に当てられ、それに応えるかのように迷い犬はウォンと高らかに鳴き声を上げた。
どうやら下着泥棒は、学校の中庭に盗んだ下着を埋め隠したこの犬の仕業だったらしい。
「さて、事件はこれで全て解決だね。僕は掃除用具を借りてくるから、ベル君はチロを外に出して。ああ、君はそのまま休んでいていいよ。さっき病院に連絡したから。担当医さんかな? 迎えに来てくれるって言っていたよ」
「……ありがとう」
柔らかく笑い礼を述べながら、やはりどうしても曇る顔にSoraはベッドの上腰掛けたまま俯いた。
途中、倒れてしまった事が悔しいのではない。
自分の手で全て解決出来なかった事が残念なのではない。
(もう、おしまいなんだ……)
この制服とも。この学校とも。
仮初めの学生気分はあっという間に終わってしまった。
それが少し、寂しいだけ。
「なんか結局事件っぽい事件、なかったよねぇー」
「君はそれでいいんじゃないの? ヒマも潰せたんだし」
「んー。やっぱりカツラ男見たかったぁー」
「自分で毟っちゃったクセに」
「あーあ。明日からまたヒマぁー」
「ハイハイ。とりあえず僕達は対策課に報告、ね」
鎮は意気揚々と。
ベルは愚痴を零しながら。
soraは少し名残惜しそうに校舎に視線を送りながら。
3人は、潜入していた綺羅星学園を後にした。
こうして、それぞれの、事件とも言えなかった騒動は解決した。
――そう、その時は。解決したかに見えたのだけれども……。
数日後、対策課から入った連絡に3人は再び中等部へと集結した。
全然、治まらないという。
カツラっぽい不審な男の徘徊も。アップタウン周辺で頻発している女性の下着泥棒も。男子更衣室に潜む盗撮の影も。
「そんな馬鹿な……」
その全ては未だ学園を中心に起こっており、未解決である、と。
慌てて駆けつけたその先で、彼らが見たモノは――……
「……うわぁ」
鎮は、心底嫌そうな声を上げた。
咄嗟に、これはこんな少年に見せてはいけないと、ベルのその目を後ろから両手で覆い塞ぐ。
「え? 何々、見えないよー」
「見ない方がいいよ、アレは」
「ヤダ、見せてってば」
そんな2人のやり取りの最中、遅れてその場に到着したSoraは、その目に映る衝撃的な光景に口の中悲鳴を上げた。
男がいた。
男はベージュ色のトレンチコートを着ていた。
裾から覗くスネは何故か肌色で、どうやら男はコートの下、ズボンを穿いていないようだった。
男は黒縁のメガネを掛けていた。
頭部の髪は薄く、不自然に斜めに傾いたまま張り付き、まるでカツラのように見える。
男は、カメラを構えていた。
レンズが向けられた先は、窓の中の更衣室。
そこは先日Sora自身不審な点はないかと捜索した、あの男子更衣室の窓の外の中庭だった。
男が、こちらに気付きカメラを持ったまま振り向いた。
男のコートの前は肌蹴ていた。
そのコートの下に見えたもの。
それは、胸元の真っ赤な総レースのブラジャーに、大きく膨らんだ股間のショーツ。タイツは無いのにしっかりと同色のガーターベルトまで着用した、男の貧相な下着姿だった。
そのカツラ疑惑の不審者で、女性ものばかり狙う下着泥棒で、男子更衣室の盗撮を企てる変質者は、後ろから目隠しをされる少年――ベルの姿に、ニタリとイヤらしい笑みを浮かべた。
その瞬間、誰よりも早くブチ切れたのは、Soraだった。
Soraが音にならない咆哮を発したと同時に、グニャリと空間が歪んだ。
気が付けば、変質者の姿は何処にもなかった。
「あれぇー、いないや。もうやっつけちゃったの? ちぇー、見たかったのになぁー」
「何をしたの?」
不貞腐れたような声を上げるベルを宥めながら、鎮は肩で荒い呼吸をくり返すSoraに向け静かに問い掛けた。
怒りの色にその瞳を染めながら、鎮に視線は向けず、男が消えたその一点を睨みつけながらSoraもまた静かに答える。
「ロケーションエリアで、あたしの病室に閉じ込めてやったわ……」
永遠に出ることの叶わない閉鎖された空間。そこはSoraの心の城だ。
後の、また体調が悪化してどうしてそんな無茶をした、と医師に問い詰められた時。
Soraは、怒りと羞恥と笑みに、僅かに頬を染めながら、小さくこう答えたという。
――憧れの場所を汚されたような気がしたから
初めて激しい感情を見せたSoraの様子に、場違いなほど陽気な反応を示したのはベルだった。
「あ、わかった。これがヤンデレだぁ!」
「は?」
耳慣れない単語に、鎮の表情からも何か良くない言葉であると瞬時に悟り、Soraにしては珍しく語調を強める。
「……変な呼び方しないで」
「だって病んでるから、ヤンデレでしょう? 合ってる合ってる。ね、ヤンデレー」
「ちょっと止めてよ!」
普段の大人しさはどこへやら、声を荒げるSoraに新しいあだ名の命名にはしゃぐベル。
怒り顔ではあるけれど、とても活き活きとしたSoraの表情に、やっと繋がるスクリーンの記憶の中の彼女の実物の彼女。
やっぱりそっちの方がいいんじゃない? と、やっと会えた歌姫に、鎮は密かに嬉しく思った。
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クリエイターコメント | お待たせいたしました。綺羅星学園潜入作戦、お届けいたします。 「捏造お任せ何でもあり」とありましたので、本当に自由に楽しんで書かせていただきました。 少しでも各PCさまのキャラクターらしさが出せていれば良いのですが…。 少しでも気に入っていただければ幸いです。 この度は、オファーありがとうございました! |
公開日時 | 2009-03-15(日) 09:00 |
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