★ 【カレー屋GORO】映画は雄弁に ★
クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号364-6004 オファー日2008-12-20(土) 23:35
オファーPC 槌谷 悟郎(cwyb8654) ムービーファン 男 45歳 カレー屋店主
<ノベル>

 その日カレー店『GORO』が休業していたのは、店主の腰痛のせいでも店の設備が故障したせいでもなく、単に年末であるからだった。
 個人が趣味で営んでいる小さな店とはいえ、店舗は店舗、客商売は客商売である。ましてや飲食店ともなれば衛生状態を保つためにも念入りな清掃は欠かせない。その上今日は大晦日。今年一年頑張ってくれた店を労うためにも念入りに大掃除を行おうと腕まくりをした……までは良かったのだが。
 「む……! 少し厳しいか……!」
 冷蔵庫とがっぷり四つに組んだ店主の額には汗の玉が浮かんでいる。とうに体力のピークを越えた四十代――とはいえ、腕の筋肉は同年代の男性に比べれば張り詰めているほうであろうが――がどれだけ食らいついても、仁王立ちの冷蔵庫はそうやすやすとは動いてはくれない。
 冷蔵庫の下や裏はゴミや埃が溜まりやすいスポットだ。平素から手入れはしているが、やはり時には冷蔵庫そのものをどかして掃除せねばならない。業務用の大仰なものではなく、かつて自宅で使っていた少し大きめの家庭用なのだが、それでも冷蔵庫は冷蔵庫だ。店主の顔は天狗もかくやというほど赤く染まっているのに、腰の重い冷蔵庫は数センチずつのったりと移動するだけである。
 だが、何も持ち上げたいわけではないし、このスペースから完全にどかす必要もない。要は掃除ができるくらいのスペースが出来れば良いのだ。
 ずりずりずり。ぬりかべのような冷蔵庫がすり足で動く。
 あと五十センチ。四十センチ。三十センチ――までこぎつけたと思ったその瞬間。
 眼の中で稲光のようなものがスパークし、嫌な痛みが腰から脊髄へと駆け抜けた。
 「ぐ……!」
 思わず腰に手を当てて膝をつく。夏の浜辺で痛めた古傷が再発したのかと恐る恐る腰をさする店主を、聳え立つ冷蔵庫が無言で見下ろしている。
 槌谷悟郎四十五歳。さあ大掃除だと気合を入れたはいいが、気持ちに体が追い付かないお年頃だ。
 (あら……大丈夫?)
 不意に、誰かが好意的な苦笑をさざめかせた気がした。
 (しょうがないわね)
 聞き覚えのあるその声は空耳に決まっている。だが、苦いような甘いような感覚を呼び起こされて、思わず視線を巡らせてしまったことも確かだった。
 もちろん、そこには何の変哲もない冷蔵庫が静かに佇んでいるだけである。


 新年早々『店主腰痛のため休業』という貼り紙を出す羽目になっては幸先が悪すぎる。腰に負荷をかけぬようにと慎重に慎重を期して冷蔵庫を動かした結果、大掃除を終えて店を後にする頃には外はすっかり暗闇に覆われていた。
 吹きつける風は耳がちぎれそうなほどに冷たい。通りを行き交う人々の姿は少なく、わずかに見受けられる市民もみな足早に通り過ぎていく。
 上着の襟を立てる悟郎の手の中でビニール袋ががさごそとこすれ合う。店の冷蔵庫から持ち出して来た食材である。柔らかくなり始めた肉や少ししなびた野菜は店で使うわけにはいかないが、自宅に持ち帰って食べる分には問題ない。
 (ああ……そういえば、家のほうの大掃除は全然してなかったっけ)
 今日が終われば明日はもう正月だ。男やもめは大掃除どころか正月を迎える準備すらしていない。さすがに餅くらいは買ってある筈だが……。
 (……でも、積みDVDでも見ながらゆっくりしたいなぁ)
 こまごまとした雑事が次々に頭をよぎるが、白い溜息をひとつ吐けば“やるべきこと”の数々はあえなく吹き飛んでしまうのだった。
 帰宅して明かりをつけても冷えた部屋が迎えるだけだ。エアコンのスイッチを入れつつ、冷蔵庫と戸棚の中を覗き込むと日々作り置きしているグロッサリーの類が控え目に顔を覗かせる。ついでに餅の在庫も確認した。店から持ち帰った食材もあるし、正月の間の食事くらいどうにでもなるだろう。
 「じゃあ……もう、いいか」
 従って、掃除も正月の準備もあっさり諦めた。独り身とは時に気楽なものだ。おせちがなくても誰も困りやしないし、大掃除もまた同じである。
 「……はあ」
 誰にともなくこぼした溜息は何ともけだるげな色に染まっている。
 寄る歳波のせいで何もする気力が起きないなどとは思いたくはないが。
 「寒い寒い」とぼやきながら風呂の準備を始めるバツイチ男の背中にかつての鬼プロデューサーの面影を見出すことは難しい。


 仕事で料理をする男性は家では電子レンジに触れることすら厭う場合があるという。勤務中にうんざりするほど料理を作っているから、家の中では一切調理に携わりたくないというのが理由だそうである。
 しかし悟郎はそれには当てはまらない。というよりも自分で炊事しなければ食事が出てこない環境にあるのだから仕方ないといったところか。
 そんなわけで――元日の、朝には遅いが昼には早いこの時間。ひとりきりの家の中でひとりキッチンに立った悟郎は何か食べる物を作ることにした。
 昨夜は除夜の鐘を聞くことも大晦日恒例の歌番組や格闘技を観ることもなく床に就き、今日は今日で陽がだいぶ高くなった時分になってからようやくのそのそと起き出した。独り身の男の年越しなどそんなものだ。
 『あはははは、何ですかその顔ー! ちょっとこれ生放――』
 バラエティ系の新春特番だろうか。わざとらしく大口を開けて笑い転げる女子アナの顔に辟易したわけではないが格別興味も持てず、BGM代わりにとつけたテレビは3秒で消してしまった。
 「さて、何を作ろうか」
 家の中をしんと満たす無音の中、アームバンドで億劫そうに裾をたくし上げた悟郎はひとりで調理に取り掛かった。半分寝ぼけた横顔には覇気がない。とはいえ腹は減っている。本格的なものを作る気にはなれないが、せめて雑煮くらいは欲しいところだ。
 面倒であっても、仕事柄、料理は慣れている。いざ準備を始めれば後はそれなりにてきぱきと進んだ。
 餅は煮たりゆでたりするのではなくコンロの上に乗せた網の上で焼くことにした。固いままの餅を煮て柔らかくすればドロドロに溶けて形が崩れ、歯ごたえも失われてしまうからだ。焦げ目がつかぬよう網の下の炎を小さく調節し、餅が焼けるのを待つ間に雑煮の汁作りに着手する。
 雑煮は地方によって風習が異なるものだが、悟郎が厳格にそれを踏襲する必要はないだろう。とりあえずありあわせの材料で作ってしまえば良い。大根と人参を千切りにし、小さな鍋に入れて水から火にかける。食べやすい大きさに切り分けた鶏肉を加えるのは沸騰してからだ。味付けは鰹だしで。昆布も良いが、鶏肉には鰹の風味もよく合うものである。
 鶏モモ肉のブロックの半分は適当なこま切れに、もう半分はぶつ切りに。前者は雑煮の具に回る。後者はフライパンで焼き色をつけ、醤油と酒を加えて軽く煮詰めれば即席の照り焼きの出来上がりだ。臭み消しに長ネギを添えることも忘れない。つけあわせはナスやパプリカのカラフルなグリル。肉も野菜も昨晩店から持ち帰って来たものである。
 普段なら鶏肉はバジルやコリアンダーを振ってハーブ焼きにでもするところだが、今日は雑煮に合わせて和風の味付けにしておく。起きてすぐに肉料理とは何ともエネルギッシュな四十代だが、酒の肴として少量をつまむ分には構わないだろう。
 昼間から飲酒する気か、と眉を顰めることなかれ。今日は元日。お屠蘇という名の酒を昼間から堂々と口にできる日である。
 「確かこの辺に日本酒があった筈なんだけど……」
 ウイスキーを嗜む悟郎だが、正月くらいは日本酒が飲みたくなるものだ。徳利と猪口もあった筈と、戸棚の中、床下の保管庫、シンクの上の棚……と探してもなかなか見つからない。
 (滅多に使わないからなあ。どこに行ったんだか)
 食器類に限らず、一年のうちの限られた日しか使わない物を片付けておくのは女性のほうが上手なのかも知れない。ことに几帳面な女性であればきちんと箱に詰めた上でラベリングでもしておくのだろう。
 ふとそんなことを考えて唇に苦笑を乗せた悟郎であったが、焦げくさいにおいで慌てて我に返る。
 「ああ、しまった」
 網の上に乗せっぱなしにしていた餅にこんがりと黒い焼き目がついていた。
 食べる分にはどうということはないだろう。しかし雑煮に入れたのでは汁が黒ずんでしまいそうだ。
 (まあ……自分で食べるんだから、少しくらい見た目が悪くてもいいけれど)
 独り身はこういう時には気楽なものだと、思わずまた微苦笑がこぼれた。
 
 
 そもそも屠蘇とは、正式には山椒、桔梗、肉桂などの薬草を調合した『屠蘇散』を酒に浸したものである。元旦に屠蘇酒を飲めば一年の邪気が払われ、寿命が延びるとされているのだが、そんないわれは問題ではない。明るいうちから酒を飲める立派な口実であるところに大いに意味があるのだ。
 大きなモニターの中ではさっきから爆発や炎上が繰り広げられている。女性の名前を叫び、鍛えた体から血を流しながら倉庫街を走り抜ける金髪男性の姿が映し出されているが、決死の救出劇を燗酒片手に鑑賞する悟郎は欠伸混じりだ。
 テレビはどこの局も正月特番だ。数時間単位、あるいは一日近くぶっ通しで放映される番組を見る気にもなれず、購入したはいいものの多忙にまぎれて開封すらできずにいたDVDをぼんやり眺めている。正月特有の静かでけだるい空気の中、適度に腹も膨れて酒も入れば眠くもなってくるというもので――有り体に言えば、カレー屋の店主は非常にだらけた寝正月を送っているのであった。
 (しまったなあ。つまみは別の物にするんだった)
 ずうんという擬音がぴったりくるような重い腹部をさすりながらげんなりする。野菜のグリルばかりが皿から消え、一口大の照り焼きはまだごろごろと器の中に居座っている。ありあわせの物で簡単に、スピーディーにできそうなものをと考えて雑煮に使った鶏肉を流用したが、餅の後の肉料理は四十代の胃袋には些かヘヴィーだったようだ。
 映画のほうはクライマックスを迎えたらしい。ひときわ派手なバックドラフトとともに主人公とヒロインが吹っ飛ぶ。命を賭して愛する者をひたすら守る主人公の姿にちらりと一瞥をくれ、テーブルの上に投げ出しておいた年賀状を手に取った。
 昔の職業のせいだろう。幅広の輪ゴムで二重に縛られた年賀状の束は今も重く、厚い。ソファに寝そべってのんびりと葉書をチェックする手がふと止まった。
 差出人を確かめるまでもない。筆跡だけで、それがかつての妻からのものであることを知る。

 『お元気ですか? お店のほうはどうですか。忙しいからといってあまり無理をしないでくださいね』

 たったそれだけのメッセージが風景の写真の下に手書きで添えられていた。
 北欧の、薄く雪をかぶった山脈を背景にした静かな湖の写真だ。旅行に出かけた際に撮影したものだという説明書きが印刷されている。自分の近影ではなく風景を賀状にして送ってくる辺りが彼女らしい。控え目にこちらの近況を案じる文面も。
 こういう律儀な女性なのだ、彼女は。
 「守ってくれたのはありがたいと思ってる。だけど、あなたのそういう一生懸命なところ……恋人にするには少し負担すぎるのよ」
 不意に耳に入ってきた女声に思わず息を詰める。それがテレビから流れてくる映画の台詞であるということに思い至ったのは数秒経ってからであった。
 つけっぱなしにしていた映画が終盤に差し掛かったようだ。ミッションを通してヒロインを守り、彼女に想いを募らせた主人公。死地から無事生還した彼はヒロインにとうとう想いを告げる。己が身を顧みず血まみれになってヒロインを守った主人公であるが、ヒロインのほうはその一途さを重荷と感じ、二人の間は結ばれることなく途絶えるのだ。
 (良かったじゃないか、くっつかずに終わって)
 女の身勝手だ、主人公が気の毒だという意見が大勢を占めるこの幕切れに対して、元プロデューサーは意外な視点からの感想を抱いた。
 (一旦ゴールインしてから破局するよりはよほど傷が浅くて済む。……お互いに)
 それに、ひたむきさは時に自分自身をも磨耗させるものだ。
 ヒロインの前で無理に笑顔を作ろうとする主人公の姿に軽く眼を眇め、もう一度妻の手蹟に目を落とす。
 メッセージの下には現在の住所と電話番号が記されていた。手書きではなく活字で刷られた連絡先に特別な意味はないに違いない。
 (……電話してみようかな)
 ふと降ってきたそんな感慨にも深い意味などありはしない。
 しかし結局は、鏡のような湖の写真を見ながら苦笑いをこぼしただけだった。
 電話してどうする。彼女の声を聞いて、他愛のない近況報告でも交わして、久闊を叙するのか。
 彼女が映した湖面はこんなにも凪いでいるというのに。
 (ああ……どうもいけないね)
 独り身はこういう時に困る。静かだから、隣に誰もいないから、いったん物思いに耽れば意識がどこまでも深く潜ってしまう。
 気分を変えようとしてふと思い浮かべたのは最近知り合った同世代の男友達の顔だった。
 夏の浜辺では彼らとひとつになって聳え立ち、汗と砂にまみれた挙句に腰まで痛めた。
 秋の山でのバーベキューの際は彼らが巨大なキノコと野菜を収穫して来て、受け取るのにも一苦労した。
 (二人ともものが大きかったからなぁ。腰を痛めなくて良かったよ)
 大きかったものというのは彼らが山で収穫したマツタケとサツマイモである。
 夏の出来事も、団体戦を勝ち抜く戦略として三人で肩車をした時に腰を痛めたというだけの話である。
 多少ありがたくないおまけはついたにしろ、総じて言えばどちらも楽しい思い出だ。
 彼らに電話してみようか。そのまま男三人で新年会というのも悪くないとふと思い立ったが、結局これもやめておくことにした。彼らには彼らの予定があるだろう。
 四十路男はもう一度大あくびをし、ソファの上で「うーん」と盛大に伸びをした。
 初詣に出かけて人波にもまれる気にはなれない。休みの間の食べ物と酒は充分あることだし、寒い屋外に出る理由と動機は見当たらなかった。
 「ああ、結局ひとりで寝正月かぁ」
 ココアカラーのバッキーがまるで抗議でもするかのように腹の上によじ登ってきた。おとなしいバッキーはあるじの腹の上にちょこんと座り、ひとりではないとでも言いたげにつぶらな瞳をぱちぱちと瞬かせている。
 愛くるしい様子に乾いた笑いを漏らし、悟郎は大きな手で小さなバッキーを抱き上げた。
 (そういえば……春に買ったあのDVD、まだ見てなかったっけ)
 男やもめの正月は溜め込んだDVDを消化するだけで終わりそうである。
 映画という人間ドラマを観ながら、時々は感慨に捉われることもあるかも知れないが。


 (了)

クリエイターコメントご指名ありがとうございます。まさか【カレー屋GORO】シリーズの一端をお任せいただけるとは夢にも思わず、終始挙動不審で作業していた宮本ぽちです。
タイトルも無理矢理雰囲気を揃えてみました。ええ、雰囲気だけでも…。

素敵すぎるオファー文に良い意味で笑いが止まらず、ひたすら「疲れ切った大晦日〜ダルいお正月」の様子を描写いたしました。
が、やっぱり少しは設定を生かしたいな…ということで。
夫婦や男女のことは他人にはもちろん、当事者二人にもなかなか分からないものだとは思いますけれども。

で、お雑煮のお餅は煮るのも美味しいですが、焼くのも良いものですよ。うっかり焦がすとどす黒い雑煮になりますが…。
公開日時2008-12-31(水) 21:00
感想メールはこちらから