★ 空色クレパス ★
クリエイター西尾遊戯(wzyd7536)
管理番号151-4800 オファー日2008-09-27(土) 19:47
オファーPC 成瀬 沙紀(crsd9518) エキストラ 女 7歳 小学生
<ノベル>

 二〇〇八年七月十三日、早朝。
 太陽が昇るにはまだ早く、辺りが宵闇に包まれている時刻。
 闇を切り裂くように移動する、一筋の光があった。

 銀幕市外へと続く道を、一台の乗用車が走り抜けていく。
 早朝とはいえ銀幕市は夜闇に包まれており、静寂に満ちた市内に、エンジン音が唸るように響く。
「あ、もしもしおかあさん? 朝早くにごめんなさい。……そう、今出たところなの」
 助手席に座っていた母親が、携帯電話を手に声を潜めるように会話をしている。
 いつもより固い硬い、緊張した声。
 電話の相手は祖母だ。
 運転席の父親。助手席の母親。そして、後部座席の沙紀。
 レヴィアタン討伐作戦の、今日。
 車は成瀬家の家族三人を乗せ、市外に住む祖父母のもとへ向かっていた。
「午後にはそっちに着くと思うけど……。ええ。車の中で食べてしまうし、お昼は用意しなくても大丈夫」
 母親の声を聞きながら、沙紀は背もたれにしがみつくようにして、後方へと流れていく景色を見送っていた。
 レヴィアタン。
 最近起きていた物騒な事件に関わる、おぞましい怪物。
 銀幕市は今日、その怪物を退治する大々的な作戦を展開する予定だった。
 成瀬家はその作戦に供え、一時的に市外へと疎開するのだ。
 同じように一時疎開をする友達もいたが、ムービーファンやスターの知り合いの中には、作戦に参加する者も多くいる。
 皆が戦っている時、沙紀は銀幕市にはいない。
 考えれば考えるほど悪い予感が思い起こされ、昨晩は一睡もできなかった。
「沙紀。シートベルトをして、ちゃんと前を向いて座りなさい」
 ハンドルを握る父親が声をかけ、沙紀は頷いて後部座席から離れた。
 息を潜めたかのような町の様子に、知らず唇をかみしめる。
 家を出た時から抱いていた問いを口に出そうとして、声にすることができずにいた。
 問いかけたところで両親を困らせ、間に合わせの慰めの言葉を並べられるだけだろう。
 悪い予感を否定するだけの絶対的な希望が、どこにも見つからない。
 そして何より、その問いを否定されることが、今は恐ろしくてたまらなかった。
――またここに、戻ってこれるよね。
 拭っても消えない不安を抱えながら、沙紀は胸の中で、何度も何度も、その言葉を繰り返し続けた。

 沙紀の父親はサービスエリアで何度か休憩を入れたものの、それ以外の時間はすべて、車を走らせ続けた。
 沙紀はというと、前日の不眠と緊張がたたり、すっかり車内で眠り込んでしまっていた。
 気がついたときには陽が高く昇っており、車窓の外にどことも知れない土地の青空が広がっている。
 まるで家族で旅行にでも出かけたかのような状況に、疎開しているという事実が何かの間違いのように思えてくる。
 しかし、今日はまごうことなく二〇〇八年の七月十三日で、銀幕市内では、今、この瞬間も壮絶な戦いが行われているのだ。
 あらかじめ通達されていた作戦内容では、今の時刻は銀幕市での迎撃作戦が行われているはずだ。
 市を挙げての作戦ならば、報道されていても不思議ではない。
 銀幕市の様子を伝えるニュースをやっていないか調べて欲しいと父親にせがむものの、ラジオもニュースもそれらしい情報を流してはいなかった。
 魔法のかかった特殊な市の出来事とあって、報道管制が敷かれているのかもしれない。
 募る沙紀の気持ちとは裏腹に、車窓の外に広がる景色は清々しくのどかで美しい。
「沙紀。もう少しで着くからね」
 週末とはいえ、観光地とは無縁の土地へ向かう道だ。
 車は渋滞に巻き込まれることもなく、母親の言葉通り、昼過ぎには祖父母の家へと到着した。


「おじいちゃん、パソコン! インターネットを使わせて!」
 車から降りるなり開口一番そう叫んだ沙紀は、祖父のノートパソコンを借りると、すぐに銀幕市の情報を集め始めた。
 ラジオもテレビもだめとなれば、あとはインターネットしかない。
 しかしそのインターネットでも、情報はほとんど流れていなかった。
 市の公式サイトはサーバーがダウンしてしまったのか、「Not Found」と表示されるばかりで一向に回復の気配がない。
 市民が個人で運営しているブログなども辿ってみたが、どれも前日や、それ以前の書き込みで止まっているものばかりだ。
 市内の様子をインターネット中継しているサイトも見つけたが、ここ数時間の更新がかかっておらず、市内の「今」の様子はうかがい知れない。
 情報がつかめないほど気は焦った。
 悪い予感がふくらむばかりで、いてもたってもいられない。
 インターネットがだめならばと、沙紀は携帯電話を手に取った。
 これは緊急連絡用の電話だから、あんまり無駄なおしゃべりに使っちゃだめよと母親に釘を刺されているものだ。
 しかし、今こそがその緊急事態なのだと胸中で言い訳をし、住所録から友達の電話番号を選び、応答を待つ。

 プルルル…… プルルル…… プルルル……

 眼前に広がる青空を前にしながら、沙紀はどれだけこの無情な音を聞き続けただろう。
 電話さえすれば、すぐに誰かが声を聞かせてくれると思っていた。
 しかし応答してくれた者は数名に留まった。
 その数名も、ろくに会話ができないまますぐに回線が途切れてしまう。
 何度かけ直しても繋がらないのだ。
 祖父母の家周辺の電波状態が悪いのか。
 銀幕市の電波状態が悪いのか。
 もしかしたら他にも同じように電話をする者が多数いて、銀幕市内の電話が混線しているのかもしれない。
 そろそろ市内での迎撃作戦が行われている時間だ。
 現地に残った友人達の身が気にかかる。
 大好きな町が。
 大好きな人が。
 昨日まで身近で聞くことのできた声が、今はこんなにも遠い。
 それでも、何もできないと諦めるわけにはいかない。
 沙紀は祖父母が家族三人が寝泊まりするために用意したふすま仕立ての和室で、ノートパソコンから離れずに情報収集を続けた。
 ふいに、ふすまの向こうから足音が聞こえた。
「沙紀。おばあちゃんが折り紙を買ってきてくれたよ」
 ふさぎこんでいる沙紀を気にかけ、父親が部屋を訪れたのだ。
 手には色鮮やかな千代紙を持っている。
「ほら、このあいだパパにも教えてくれただろう。一緒に鶴を折って、皆の無事をお祈りしよう」
 父親は部屋に置かれた座卓の上に色とりどりの千代紙を取り出し、「綺麗だろう」と並べて見せた。
 古典柄の模様が入ったそれは、以前千羽鶴を折った無地の折り紙とは違い、折るのがもったいないほどの美しさだった。
 何かをしていないと心の中が不安で満たされてしまいそうで、沙紀は父親と二人、黙々と折鶴を織り続けた。
 朝方口に出来なかった問いが、再び胸中に浮かぶ。
「パパ……」
「ん。なんだい」
 優しく応える声に、沙紀はやはり、その先を告げることができなかった。
 たとえ父親が優しい嘘で護ってくれたとしても、携帯電話がまるで繋がらなかったように、現実は沙紀を慰めてはくれない。
「……なんでもない」
 思い直して口を閉ざすと、そのまま折り鶴に没頭する。
 父親はそんな娘の様子を見て取り、努めて明るい声を出した。
「そういえば、沙紀とこうやって過ごすのは久しぶりだな。夕飯は皆で美味しいものを食べに行こうか。沙紀は何を食べたい?」
 沙紀だけではない。
 父親も母親も、同じように不安を感じている。
 それくらいの感情の変化は、沙紀にも読み取ることができた。
 しかし、沙紀はまだ小学生だ。
 頭ではそうとわかっても、彼らに気を回すだけの余裕を持つことができない。
 ただ胸に抱くかすかな希望を信じ、決して、現実から目をそらすまいと思う。
 今はただ、抱き続けた想いだけが、自分をもういちど銀幕市へ導くのだと信じるしかない。
 ひと折り、ひと折り、不安を祈りに変えながら、沙紀は胸中の不安と向き合い、鶴を折り続けた。


 夕食を祖父母とともに外食で済ませた沙紀は、一日中緊張していたせいもあって、すぐに寝入ってしまった。
 どれくらい眠り込んだだろう。
 ふすまの向こうから聞こえるくぐもった声に気づき、夜中に目を覚ました。
 薄暗い部屋をぐるりと眺めるも、両親の姿は見えない。
 声は両親のものらしい。
 子どもにとっては遅い時間だが、まだ深夜という時間ではなさそうだ。
 おおかた、大人だけで何か話をしているのだろう。
 ふたたびまぶたを閉じるものの、聞こえてくる声が気になり、眠りは訪れなかった。
 漏れ聞こえる両親の会話は、沙紀の睡魔を吹き飛ばすのに十分な内容だったのだ。
「この作戦が終わったって、スターはまだ他にもいるのよ。これを機会に、やっぱり市外へ引っ越しましょうよ」
「対策課からも通達がきていただろう。事件を起こしたスターは、あの穴に入ったからああなったんだ。スターの誰もが同じわけじゃない」
 そんなの映画好きのひいき目よ、と母親が一蹴する。
「スターが凶悪化する要因が市内にあるなんて、それこそ恐ろしい話だわ。悠長なことを言っていて、あの子にもしものことがあったらどうするの」
「だからこうして、一時的に疎開しているじゃないか。市を挙げた作戦も行われている。事態はきっと良くなるよ」
「今だけの話じゃないわ。今後の話をしているの。家も買ったばかりなのに、これからどうするのよ……」
 布団の中でその言葉を聞きながら、沙紀は自分の心臓の音を聞いていた。
 恐ろしかった。
 自分がこどもで、何の力もないことが。
 すべてがこうやって、大人の選択によって左右されてしまうことが。
 母親が沙紀を大切に想う気持ちを知っている。
 父親がいつも、家族を一番に想っていることを知っている。
 ただでさえ物騒な世の中で、それに輪をかけておぞましい事件が市内で起こったことを知っている。

――市内を血で染めた事件は、どれだけ両親の心を苦しめただろう。

 父親が、悩み抜いた末に疎開を決めたことを知っている。
 母親も、市内に残りたい気持ちがあることを知っている。
 祖父母が家族を案じ、快く迎え入れてくれたことを知っている。
 いつだって誰かが、家族三人を、そして沙紀を想っている。
 普段は強く言わない父親が疎開を決めたのは、家族のことを何よりも一番に考えた結果だ。
 母親が銀幕市やスターのことを悪く言うようになったのも、全ては沙紀を護りたい一心からだ。
 それは、沙紀自身が良くわかっていた。
 けれど。
 それでも。
 わたしを想ってくれるのなら。
 この声を聞いて欲しい。
 涙をこらえるより前に、沙紀は布団から飛び出していた。
 すがりつくようにふすまを取り払い、叫ぶ。
「ママが好き。沙紀を好きでいてくれるママが大好き。……だけど!」
 突然顔を出した娘の姿に、両親はどちらも驚いたようだった。
 寝入っていたはずの娘がその場に現れたことを知り、母親は感情にまかせて口を開こうとする。
 しかし父親は手で制止するように合図し、自身の妻を見据える。
 母親は視線を受け、黙って沙紀と向かい合った。
 銀幕市が難しい情勢であることは誰の目にも明かで、万が一ともなれば、家族揃って移住を決断しなければならないだろう。
 けれど沙紀が危惧していることは、そうではない。
 恐ろしいのは、事件による不安から、母親が銀幕市の想い出を心から消してしまうこと。
 事件と一緒にして、銀幕市で過ごした想い出を黒くおそろしいものに変えてしまうこと。
 たとえ別の市に移住することになったとしても、家族が銀幕市を想っているなら、距離など関係ないはずなのだ。
「なのにママは、ずっと聞いてくれない! 心配心配って、そればっかりで、沙紀の声は全然ママに届いてない!」
 娘は叫んだ。
 届かなかった母親への想いを、その言葉に乗せて。
「大事に想う気持ちで、わたしの声をかき消さないで」
 まだこどもだから。
 何が大変なのかわからないから。
 そんな大人の基準で片付けて欲しくはない。
 自分がどれだけ銀幕市を愛しているかを伝えたい。
 そして、母親にも好きになってもらいたい。
 けれど母親の心は銀幕市から離れていくばかりで、伝わらないことが悲しくて仕方なかった。
 鶴を折って皆の無事を祈ったように、母親にこの気持ちが伝わることを願った。
「お願いママ。不安な気持ちで、想い出を黒く塗りつぶさないで……」
 自分を愛してくれるように、自分が想うものを愛して欲しい。
 言葉よりも何よりも、感情の波が沙紀の中から堰を切ったようにあふれ、こぼれ落ちていく。
 あとはもう、言葉にならなかった。
 娘の言葉を聞いていた母親は、何かを伝えようと口を開き、そのまま何も言わずに娘を抱きしめた。
 その時だ。
 父親の携帯電話が、着信を告げるメロディを奏でた。
 すぐさま電話に出た父親の顔に、晴れやかな笑顔が広がっていく。
「そうか……! 皆無事か!」
 それは、銀幕市内に残った同僚からの朗報だった。
 レヴィアタン討伐作戦、終了。
 作戦終了から銀幕市が落ち着きを取り戻し、一日も終わろうかという、深夜のことだった。



 次の日、家族は三人そろって銀幕市へ戻ることになった。
 祖父母はせっかくだからゆっくりしていけば良いのにと言うが、父親にも仕事があるため、そうもいかない。
 沙紀はそんな祖父母にあて、一枚の絵を残した。
 舞台は大好きな銀幕市。
 画用紙いっぱいの青空に、家族三人と祖父母が並んで手を繋いで歩いている絵だ。
 母親は完全に引っ越しを諦めたわけではないし、スターに対するわだかまりは、今も全てを拭いきれずに残っている。
 けれど、ずっと同じままではないと思う。
 この事件をきっかけに家族の絆が強く結びついたように、かたくなな感情も、いつか解きほぐしていけるのだと信じている。
 祖父母に手を振り、別れの挨拶を済ませる。
「沙紀。帰るわよ」
 さしのべられた母親の手を握り、沙紀は帰途へ着くため、父親の待つ車へと向かった。





クリエイターコメント この度はご依頼いただき、誠にありがとうございました。

 お祭りの際にいただいたプレイングの
 「疎開」という現実離れした単語は、
 拝見したときからずっと、印象に残っていました。

 今回、沙紀ちゃんやお父さん、お母さんの想いを通じて
 その情景を描く機会をいただけたこと、とても嬉しく思っています。
 少しでもご家族の想いが伝わる作品となっていれば幸いです。

 それでは、またの機会にお会いしましょう。
 銀幕市の平穏と、PCさまの幸いを祈って。

公開日時2008-10-05(日) 12:30
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