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<ノベル>
「あっ、サエキっちー! 久しぶりー!」
「は?」
土曜の午後。突如後ろから声を掛けられ、サエキは平素動きのない表情の中珍しく眉を寄せた。
銀幕広場に程近い駅前の本屋である。
午前中、銀幕市外の大学でサエキが所属する映画研究会に顔を出した帰りだった。
何気なく立ち寄ったその店で、何気なく手に取ったのは漫画雑誌。
さて午後は何をしようか。映画でも見ようか、久しぶりにパソコンをバラして組み直すのも悪くない。そんな風にぼんやりと、雑誌の荒い紙を捲りながらこの後の予定について考えていた時だった。
ポンと背を叩かれ、その気安さに変わらない表情の下驚く。
パーカーにジーンズというラフな格好の目の前の男は、多分サエキと同年代か少し下位だろう。手に持つ青の袋から、男がここの2階にあるレンタルDVD店に来た客である事が分かる。
しかし、その顔にどことなく覚えはあるものの、一切名前が出てこなかった。
(大学の後輩? いや、もっと昔のクラスメイト、か……?)
頭の中、顔と名前のファイルを大急ぎで検索するも、エラーメッセージは『該当者ナシ』。
馴れ馴れしく、何読んでるの? と手の中を覗きこまれ、突如弾けた答えにサエキは声を上げた。
「ああ。対策課の……! ……えーと、誰だっけ?」
「ゲッ、ひっでぇ! 何で覚えてないんだよ。あんなにバッキー運動会、一緒に頑張ったのに!」
「あー、いつもと格好が違うから」
こうして、サエキと対策課職員の山西 賢児 (ヤマニシ ケンジ)は久々の再会を果たした。
「今日はスーツじゃないんだ」
「休みだし、当たり前じゃん」
植村さんなんかは休みの日でも家でスーツ着てそうなイメージだけど、と笑う山西は仕事モードが抜け完全に砕けた口調である。
以前共に裏方として活躍したバッキー運動会以来久しぶりに顔を合わせる2人だが、準備会の時からサエキと山西は年が近い事もあって既に気安く会話する間柄になっていた。
「俺スーツってあんまり好きじゃないんだよね、いまだにネクタイ上手く結べな……あっ! この漫画続き出たんだ! 買わなきゃ!」
共に店内を歩きながら不意に山西が手に取った単行本に視線を落とし、サエキは小さく声を上げた。
表紙はサエキもたまに立ち読みで読んでいる、青年誌連載の麻雀漫画だ。
「ああ、ヤマケンもソレ読んでるんだ?」
「誰だよ、ヤマケンって」
「ヤマニシケンジ、略してヤマケン」
「ヤだよ、それ。なんかナミりんがいっちんの事『くろいち』って呼ぶみたいだから」
「友人も『友人』だから、その法則に乗っ取って」
「サエキっちの友達とか、俺知らないし。逆に俺それなら音読みの方がイイ! 『サンセイ』とか、世紀の大泥棒っぽくて良くない?」
「じゃ、俺『スナイパー』な。煙草吸ってるから」
主語も説明も補足もなしに、ノリと勢いで続けられる掛け合い。それでも何故か会話が成立してしまうのは、2人の波長が意外に合っているからかもしれない。
「麻雀」
「うん?」
「やるのか?」
話が、戻った。
戻した、と思っているのはサエキだけで、振られた方にとっては唐突な問いだったが、特に気にせず山西は頷く。
「大学時代はよくやってたんだけど、就職してからは中々ね。時間もないし、人数も……」
言いかけ、山西は口を噤んだ。
どこか薄っすらと笑みを浮かべたように見えるサエキが、自分を指差し、次いで山西にその人差し指を向けた。
そして2人の頭に同時に浮かんだのは、準備会で共に走り回ったピンク色の彼。
「いいねー!」
山西は破顔した。
こうして、当人の全く知らない所で、2人の悪巧みはスタートしたのだった。
秋晴れの、澄んだ青を湛える高い空を見上げ、冬野 那海 (フユノ ナミ)は小さく息をついた。
ついこの間までハロウィンのオレンジ色が溢れていた筈の銀幕広場は、12月はまだ先だというのに既に所々気の早い赤と緑のクリスマスカラーに彩られていた。
駆け足で訪れるイベントの予兆に賑わう駅前のターミナル。
しかしそんな街の様子とは反対に、那海の表情は暗く冴えない。
(あー真白ー……)
最愛の妹が今日は家にいないのだ。
綺羅星学園大学部に通う那海は、大学1年より実家を出てこの銀幕市で1人暮らしをしていた。
家を出る時は身が切られる思いだった。ずっと共に暮らしてきた妹と離れ離れになる。
しかし進学の為、週末は帰れると自分を納得させ家を出た那海だったが、この街に自ら飛び込んできたのは妹の方だった。
銀幕市で生活したい、と両親を説得し、転校してきた妹。
兄としては危険もある街だから近付かせたくなかったが、一緒に生活出来るのは正直嬉しくて堪らない。
喜びと心配とで複雑な気持ちになりながら、それでも那海は妹との2人暮らしに日々幸せを感じていた。
それ程まで愛し、いつも一緒だった妹が、折角ゆっくり2人で過ごせる週末だというのに今日は家にいない。
銀幕市に越して来てから出来た友達と遊びに行ってしまったのだ。
楽しそうに着ていく服を選ぶ妹に、まさか寂しいから行くなと言える筈もなく、那海はいい兄ぶって笑顔で妹を送り出した。
1人でいても退屈な家。ならば気晴らしにと街に出てみたが、思い出すのは妹の顔ばかり。
気付けば手は無意識に、妹とお揃いの右手のイルカのピンキーリングをなぞる始末。
「ハァ〜……」
今日何度目かのため息を、椰子の木越しの空を見上げながら那海は深く吐き出した。
目的もなく歩き出しながら、耳に入ってきたのは陽気なクリスマスソング。
不意に閃く。今年のクリスマスプレゼントはどうしようか。もちろん、贈る相手は妹だ。
(真白がお気に入りのブランドのショップ、確かこの先の通りだったな……。よし、今からチェック入れておくか)
現金なもので、途端気分が浮上する。
黙っていれば、眉目秀麗、頭脳明晰、物腰も柔らかく優しく、その上スポーツ万能。まるで漫画の主人公のような那海である。
しかしその行動理念は、彼の世界は、全て最愛の妹を中心に回っていた。
目的が決まれば那海の行動は早い。軽い足取りで、聖林通りを進む。
(あ…そういえばこの通り……)
突如脳裏に浮かんだのは、知り合いの顔だった。
友人ではない。友達なんて、そんな言葉で括るのも腹立たしい。小学校から中学校までの9年間、ずっとクラスが一緒だった腐れ縁の天敵。
犬猿の仲である奴が働くバイト先のバイクショップは、目的の店のちょうど手前にあった。
「まさかいないだろうな、アイツ」
鼻の頭にシワを寄せ、整った顔立ちが崩れるのにも構わず口からこぼれ出た嫌悪感。
どうか居ませんように、と心の中で祈りながら、那海は目的の店に向かい足を動かした。
「一夜君ゴメンネ、急に呼び出したりして。折角の休みだったのに。バイト代は弾むからさ」
「ははは、いいんですよ。どうせ実家に顔出す位しか予定なかったし。あ、毎週帰ってるんで、気にしないで下さい。じゃあ俺、表のウィンドウ拭いたら上がらせてもらいますね」
バケツを片手に、ショップのドアを押し開けた黒瀬 一夜 (クロセ イチヤ)は、看板を見上げ大きく伸びをした。
ここは彼が働くバイクショップである。
バイク好きが高じ、趣味でバイト先を選んだ結果だった。
平日は大学に通い放課後はバイト、土日は市外の実家に帰るのが専ら一夜の生活パターンだ。
今日は少しイレギュラー。急ぎの修理依頼が入り人手が足りなくなった為、一夜は急きょショップから応援に借り出されていた。
無事作業も終わり、臨時収入で懐も温かい。
午後は予定通り、実家に帰ろうか。さやの好きなケーキでもお土産に。
そんな風に、家で自分の帰りを待っている可愛い小さな妹に思いを馳せながら、頬を緩ませた時、その声は聞こえた。
「……なんで寄りによって、店の外に出てんだよ」
「てめぇ、何しに来やがった……!?」
店長への好青年振りとは打って変わり、柄の悪い言葉遣いと態度で一夜は声を荒げた。
聞きたくもないその声に振り返れば、そこには一夜とは犬猿の仲で腐れ縁で喧嘩上等の知り合いである、那海が苛立ちげに立っていた。
「誰がお前になんか会いに来るか。退け。俺はこの先の店に用があるんだ」
「だったらさっさと行けよ。目障りだ、このシスコン野郎」
「煩い、このロリコン野郎!」
「なんだと……!?」
「やるかっ!?」
人の流れの多い往来で、毎度お馴染みの一触即発の空気。
睨み合う2人のそれを突然ぶち壊したのは、間抜けな掛け声と共に登場した通りに響き渡る高笑いだった。
「とーうっ!」
「わはははははっ! バッキー団、参上!!」
シャキーン、と自ら効果音付きでヒーロー張りのポーズを取ったのは、シトラス色のバッキーのゴムマスクを被るパーカーの男。
そして、その後ろで腕を組んで仁王立ちしているのは、同じくミッドナイト色のマスクを被る黒シャツの男だった。
何事かと驚き視線を投げかけていく周囲の通行人とは反対に、至極冷静な声と顔で、一夜は両目を細めた。
「何やってるんですか、山西先輩」
「えー何で分かっちゃったの?」
「分からない訳ないでしょう……? そっちは…ああ、サエキか……」
どういう取り合わせだと呆れながら、一夜はしぶしぶマスクを脱いだ知り合い2人に深く息をついた。
一夜とサエキは顔見知りである。
星祭りの夜店で突如変な事に巻き込まれ、その後バッキー運動会では共に準備会として働いた。
大学は違うものの、同年代の、友人まではいかない知人の1人である。
そして山西は、一夜の高校時代の先輩だった。
同じ部活に所属し、当時から何かと問題を起こしては大騒ぎするこの男に一夜は振り回され続けてきた。
思い返せば、ノリの妖精の生みの親に、対策課一のトラブルメーカーである。
「あー! ナミりんもいる!」
「これは好都合」
揃ってシメシメと笑う2人の姿に、一夜は眉を寄せた。
悪い予感がする。これはメチャメチャ悪い予感がする!
指をさされ、変なあだ名で呼びつけられた当の那海は、物凄く嫌そうな顔をしていた。
サエキは、前述の夜店で一夜共々騒ぎに巻き込まれた時に顔を合わせた。山西も、一夜経由で何かとちょっかいを掛けてくる。
2人とも、那海にとっては迷惑極まりない相手だった。
こんな事をしている場合ではない、妹のクリスマスプレゼント選びに行かなければ、と踵を返しかけた那海だったが、突如目の前にソレを突きつけられ、時を止めた。
「ハイ、ナミりん。これあげる」
「は?」
ぐいぐいっと山西が無理矢理押し付けてくるのは、先程彼らが被って登場したバッキーマスクのココア色バージョンだった。
「これで今日から君もバッキー団だ!」
全く意味が分からない。このノリには到底付いていけない。
そろってグッと親指を立てる2人の若者に、勝手にやってくれと那海は肩をすくめる。
「いらない」
「えー、なんで? ココア色だよ?」
「それが?」
「真白ちゃんが、自分のバッキーと間違えて可愛がってくれるかもー!」
「……っ!」
突然放たれたその倒錯的な誘惑に、一瞬くらりとよろめいた那海はうっかりバッキーマスクを受け取ってしまった。
「ハイ、入団」
パチパチと無表情でサエキが手を叩く。
我に返った時には、既に手遅れ。那海は訳の分からない組織に入団させられてしまっていた。
「お前ら全員エキストラだろ」
丁寧に突っ込みを入れてきたのは、この中では唯一バッキーを飼うムービーファンの一夜である。
観光客の多い銀幕市で便乗商売なのか、この手のバッキーグッズは至る所で売られている。
こんな悪ふざけの為にワザワザ買ってきたのか、と呆れる一夜に当然のように突きつけられたのはピーチ色のマスクだった。
「うん、だから団長はいっちんね」
「はぁっ?」
朗らかに笑いながら、先輩はとんでもない事を言い出した。
「んで、俺はナンバー2のシトラス! 実は影の支配者ー」
「俺参謀のミッドナイト。実はナンバー2をも傀儡とする真の影の支配者。皆我に跪くアル」
「はあぁーっ!?」
「って事で、これからバッキー団、秘密基地にて作戦会議だー!」
「ちょ、待って先輩! わっ、前見えない! コレ逆!!」
「うわ、何で俺まで!? コラ、離せーっ!」
突然逆向きにマスクを被せられ、一夜と那海は腕を取られ、揃って拉致られた。
それまでバケツの中を覗きこんでいた一夜のバッキー ルピナは、飼い主の一大事に慌ててその後を追ったのだった。
「麻雀、ねぇ……?」
4人揃って雪崩れ込む様にやって来たのは、サエキのアパートだ。
駅近く、というそれだけがただ唯一の利点である、サエキの1人暮らしのその部屋は、風呂トイレ共同の和室六畳一間という、今時考えられないくらい古いアパートだった。
「狭いけど、まあいいか」
改めて己の部屋の広さを見渡し、同行者を振り返り僅かに眉を寄せたサエキは、次の瞬間あっさり諦め万年床を畳みながら無理矢理場所を作り始めた。
「案外綺麗じゃん?」
「そうですか? 古い以前に物が多すぎ。……なんだコレ、ペットボトルロケット?」
「煙草臭い部屋だな……。真白が嫌がる、服に匂い移らないだろうな」
デスクトップパソコンに、埃を被りつつあるベース、古い扇風機。サエキの部屋は一見普通の大学生の1人暮らし部屋だったが、所々カオスに満ちていた。
無造作に積上げられた、サエキ監督作の自主映画『エレクトリックフェアリー(仮)』の絵コンテタワーを除け、襖に立てかけられっぱなしになっていたコタツらしき四脚卓を引っ張り出す。
「へへっ、俺麻雀久しぶり〜」
「お前ルール分かってるのか? コテンパンにのしてやるからな」
「フン。くろいちこそ、大負けして泣きをみるなよ?」
何だかんだで盛り上がる3人に、それまで押入れの中をゴソゴソしていたサエキは振り向き肩を下げた。
「スマン。麻雀牌、友人に貸しっぱなしだった」
「えーっ!?」
じゃあどうするんだよ、と色めく一夜に、しかしサエキの無表情は変わらない。
「代わりに、コレ出てきた」
「は? トランプ?」
「んじゃ、大貧民ー!」
突如山西が明るく叫んだ。
麻雀大会の筈が、いつの間にか気が付けばトランプ大会。
成人を迎えた若者が休日の昼間から揃って健全すぎる気もしたが、そこは精神年齢の若い学生達。プラス、社会人。
あっという間に、勝負は白熱した。
「大貧民とか、すっごい久しぶり。小学生以来かも! はい、トリプル3ー」
「げっ、イキナリですか? あったかなー……。ああ、ハイ。9、3枚ね。高校の時、先輩の学年クラスで流行りませんでした? 俺んトコ、一時期そればっかで」
「オイ、いきなり3から9か。んー……、ジャック。よし、3枚っと。なあ、ウチじゃ大富豪って言ってたんだけど。大貧民が普通か?」
「ド貧民とか、殺伐ゲームとか、転落ゲームとか。2、3枚アル。ハイ、次。7」
「気前いい〜。って、ちょ! なんで初っ端からそんな高いワケ!? えーと……、10。 あ、そうだ。革命有り?」
「有りでしょう。でも4人だから出易いかな……。えっと、んじゃクイーンで。8切りは?」
「8流し? あった方が盛り上がるだろ。実家じゃいつもやってた。エース。サエキ、次ある?」
「2。はい、次8。流して、ジャック2枚」
「サエキっち、なんでそんなに2持ってるワケ!? しかもまた高いし! 2枚とか無理だし!!」
第1回戦目の勝負は大富豪サエキ、富豪那海、貧民一夜、大貧民山西の結果に終わった。
当然このまま試合終了となる筈もなく、ゲームは長期戦へと雪崩れ込む。
「成績表つけるか。サエキ、紙とペン貸してくれ」
「ん。……コラ、ヤマケン。何人ん家のテレビ勝手に付けてるアル」
「コレ見ながらやってもいい?」
山西が取り出したのは、先程借りてきたDVDだった。
一瞬誰もが色っぽい系を期待するが、画面から大音量で流れてきたのは特撮モノのオープニングソング。3人揃ってげんなりする。
「先輩大貧民でしょう? カード配ってくださいよ!」
「んー……」
山西は既にテレビに釘付けだ。
仕方なく一夜がトランプを配る横で、那海は部屋の隅に置かれたハート型のクッションに気が付いた。
「ウチじゃ大富豪は座布団の上に座ったりしてたんだよな。それにしても、随分可愛らしい物が置いてあるな。サエキの趣味?」
手に取りクッションを膝の上に乗せながら、柔らかく笑う那海が問う。
「ああ。鷹司が置いていった」
「誰? 麻雀牌貸しっぱなしな友人?」
「や、彼女」
表情をひとつも変えず、サエキはサラリと言った。
その答えに、驚き声を上げたのは一夜と山西だ。
「サエキ、彼女いるのか!?」
「ウッソ、こんな変人と付き合える子いるの? すげぇ! ……って、コラ、サエキっち! 何俺と自分のカードすり替えてんだよ!」
「あ、バレた」
BGMに特撮の爆破音を流しながら、勝負は2回戦目に突入する。
「ん、年貢」
「えー? カード交換有り!? せめて税金とか、献上とか言ってよ。ハイ」
「人数少ないし、1位と最下位同士だけでいいよな?」
「いいんじゃないか」
「さてと。……あ、そうだ」
いざゲームを始める寸前になって、サエキが顔を上げた。
ぐるりと全員の顔を見渡し、乏しい表情の中僅かに笑みらしき物を見せる。
「賭けるか」
一番ゲームとしては盛り上がる展開に、真っ先に首を振ったのは那海だった。
「いや、金はちょっと。クリスマスが近いんで」
まっさきにソレが妹へのプレゼントだと気付いた一夜は、忌々しげに吐き捨てる。
「このシスコン」
「うるせぇロリコン」
「近親相姦」
「幼女趣味」
まるで漫才のようなテンポのよい掛け合い、山西がのんびりと感想を漏らした。
「いっちんとナミりんって、ホント仲良いよねー」
「「どこが!?」」
「え? そーゆートコ」
突っ込みの返しまで同時だ。
本人達は気付いていないのだろうか。
少し羨ましいなと思いながら、山西は突如立ち上がった一夜を見上げた。
「喉渇いた。水、貰うぞ」
「冷蔵庫にミネラルウォーター入ってるアルよ」
流しに向かう一夜にサエキが声を掛ける。
しばらくして、席に戻ってきた一夜の腕には数本のビールが抱えられていた。
「いい物発見ー」
「見つけたか」
「飲もうぜ。いいだろ?」
昼間っから、と苦笑する那海も満更でもない顔で缶を受け取りプルタブを開ける。
1人渋い顔なのは山西だ。
「えー俺ビール苦手。甘いのがいい」
カクテル派の主張に、賭けの中身はアッサリ決まった。
「んじゃ、今度負けた奴はコンビニに買出しって事で!」
2回戦目、やはり勝利を飾ったのは引き続き大富豪のサエキだった。大貧民も同じく山西。
格差がはっきりと浮き彫りになるこのゲーム、一度落ちた者は中々這い上がる事が出来ない。
階級闘争、人生ゲーム、等とも言われる所以だ。
賭けの結果、山西とやっぱり巻き込まれた一夜が買い出しに出かけた。
大量の酒とつまみを買い込んで戻り、ゲームはいよいよ本腰となる。
「次の賭けどうする?」
酒が入って多少テンションが上がってきたのか、一夜がいつもより陽気な声を上げた。
彼の後ろでは、コンビニの袋に頭を突っ込んだルピナが何やらガサガサやっている。
買出しも終了。金銭系はナシ。とくれば、後残されたのは罰ゲームの類になる。
「んー」
腕を組み、短く唸った後、サエキは3人に向け、ビシ、ビシ、ビシッ、と指を突きつけた。
「来週の週末、特撮断ち」
「げっ!」
「今度の週末は実家に帰らない」
「えっ!」
「1日家で妹と口利かない」
「なっ!」
当人達にとって、それは余りにも酷な罰だった。
全員が一斉に無言で涙目になる。
「じゃ、じゃじゃじゃ、じゃあ! サエキっちは彼女と会わないんだぞ!」
山西の焦った叫びに、サエキの返しはあくまでクールだ。
「や、そんな頻繁に会ってるわけじゃないし」
「むー」
ベースは埃を被っている。酒だってそんなに冷蔵庫の中に入っていた訳でもない。
慌てる山西の横で、一夜も必死にサエキのウィークポイントを考えるが、中々良い案は浮かばなかった。
「じゃあ、禁煙だな」
どこか険を含んだ、那海の流し目。視線の先には、サエキの指の間で紫煙を燻らす煙草があった。
「……じゃあ、それで」
僅かに苦味を増す、サエキの無表情。
いつでも止められるなんて言っている割には、どうやら効果あったようだ。
「よーし、いくぞ!」
「勝負だ」
「今度は負けないからなっ」
「返り討ちアル」
それぞれの大事な物を賭け、若者達は勝負に躍り出た。
「…あ…れ……?」
やたらとぼやける視界を擦りながら、一夜は顔を上げた。
一瞬ここはどこだろうと見渡し、甦る記憶と共に浮上した頭痛に顔を顰めた。
先輩とサエキに拉致られ、那海も巻き込まれ、突然始まったトランプ大会。
いつの間にか酒が入り飲み会になった。
隣で転がっているのは、こんなトコ絶対奴の妹には見せないであろう無防備な那海の寝顔。
おぼろげな記憶の中、いつものように互いに妹自慢をし、いつものように殴りあったような気がする。
仕舞いには女みたいな名前だと言った戯言がきっかけで、山西には「じゃあサエキっちは『サエちゃん』で、いっちんは『チヨちゃん』ね」なんて、変なあだ名までまた付けられてしまった。
「重…って、先輩……」
下を向けば、いつの間にか山西が勝手に一夜の膝を枕に寝息を立てていた。
一緒に飲むのは初めてだったが、酔ってもずっとヘラヘラ笑いっぱなしの山西の姿を思い出し、普段とあまり変わらなかったな、と一夜も小さく笑う。
いつの間に撮られていたのか、バッキー運動会の時の映像に皆で爆笑したり、閉めのダンスではつられてルピナが踊り出したり。
突然パソコンから聞こえてきたメールの着信音が『メールアルよ〜、ウィルスでもノリで開くアルよ〜』と、何やら怪しげだったり。
一気に酔いが加速して、全員ベロベロになったのは、サエキが冷蔵庫から取り出してきた謎の酒を飲んだ辺りからだっただろうか。
結果いつの間にか全員雑魚寝で、寝てしまった……。
「まさかアレ、自作とか言わないだろうな……。……ん?」
そういえば、当の家主はどうしたのだろう。一夜は首を巡らせた。
不意に鼻腔をくすぐる外の匂い。
窓が、開いていた。外は既に暗い。つけた筈の電気は消され、部屋の中は真っ暗だった。
唯一の光源は空から差し込む月明かり。
そんな窓際で、縁にもたれかかる様に座っていたサエキは、何やら小さく呟いていた。
「0=44−44、1=44÷44、2=4÷4+4÷4、3=(4+4+4)÷4、4=4+(4−4)×4、5=(4×4+4)÷4……」
何かの数字の羅列か。数式だろうか。
1人顔色も変えず、まったく酔った素振りを見せなかったサエキだ。
しかし良く見れば、平素あまり感情を映さないその瞳はいつもより据わっているようにも見える。
そして、彼が呟く先には、トランプが握られていた。
4枚のキング達。彼らに向け、サエキは何やら呪文のような数字を語りかけていた。
「6=4+(4+4)÷4、7=44÷4−4、8=4+4+4−4、9=4+4+4÷4、10=(44−4)÷4……」
数字が、クルクル回る。酔いが、眠気が螺旋のように渦を巻く。
猛烈な眠気に誘われて、一夜はそのまま再びパタリと横になった。
意識を飛ばす寸前、掠り見た腕時計の数字は4:44:04。
でも不思議と不吉だとも思わなくて。
ああ帰り損ねたなんてぼやきながら。
こんな日もたまには悪くないと、一夜は瞳を閉じたのだった。
□ ■ □
ゲームをしましょう。数のゲーム。
使うのは4つの4と、数学記号。
そこから無限の数を作る、数学パズル。創生ゲーム。
例えば、【44=44+4−4】。
そんな感じ。
4つ揃えば、何でも出来る。
4つ揃えば、無限の可能性。
この街で、笑って、泣いて、怒って、また笑って。
生きる意味なんて探してもそれは無意味だ。
だって、答えはきっと∞(無限大)――
□ ■ □
翌朝、目覚め、一番に叫んだのは那海だった。
「なっ! 10時!?」
日曜日である。大学は休み、特に問題ない学生な筈なのに、那海の顔は青い。
「連絡入れてない…無断外泊…朝帰り……。うわあぁぁっ!!」
妹の心配そうな顔が脳裏に爆発して、那海は飛び起き、挨拶もそこそこ飛び出していった。
「くそ、頭痛ぇ……。じゃ、帰るわ」
「ゆっくりしていけばいいのに」
「いい。妹が待ってる。意地でも帰る」
一夜もまた盛大に顔を顰めながら、まるでこれから戦場にでも行くかのような兵士の顔でサエキの部屋を後にした。
「ヤマケンは?」
「俺今日休みだしー」
既に寝る態勢でゴロゴロしていた山西を、叩き起こしたのは携帯電話の着信音だった。
「ええーっ、休日出勤って今日でしたっけ!?」
電話の向こう怒鳴り声は対策課の植村だろうか。
半泣き状態で駆け出した山西は、扉の所で一瞬振り返り、またねと笑って出て行った。
後に残るのは、散らばったトランプと、大量の空き缶と、家主のサエキだけ。
「……44=44+4−4」
口の中、小さく欠伸を噛締めながら、44番目の答えを呟くと、サエキはそのまま1人寝直した。
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クリエイターコメント | この度はオファーありがとうございました。 そして、ゲストへのお招きありがとうございました! それぞれ個性的な4人の若者の日常を書かせて頂けて、とても楽しかったです。 少しでも気に入っていただければ幸いです。 |
公開日時 | 2008-11-09(日) 21:50 |
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