★ 牡丹の花は氷雨に濡れて ★
クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号364-6050 オファー日2008-12-22(月) 20:56
オファーPC サエキ(cyas7129) エキストラ 男 21歳 映研所属の理系大学生
ゲストPC1 鷹司 千歳(cmxt9291) エキストラ 女 21歳 教育学部の三回生
<ノベル>

 恋、秘密、悩み。乙女を構成する三大元素である。
 恋は女を輝かせる。秘密を抱える女はミステリアスな魅力に満ちている。悩みもまた、愁いを帯びた美しさを女に与えるものだ。
 果たして、今の鷹司千歳はそのうちのどれに当てはまるのだろうか。


 期末試験を控えた学生食堂はいつもより混み合う。飲食のために訪れる学生の他に、講義の空き時間を利用して学食で試験勉強に励む者も多い。
 勉強なら静かな図書室ですれば良いなどと言うことなかれ。適度な喧噪の中で、目の前で勉強する友人の姿に刺激を受けながらの試験準備もまた身が入るものだ。試験期間が近付くとドリンクバーだけでファミレスに居座る学生が現れるのもこのためである。もっとも、飲食店での長時間の試験勉強は店側にとっては多大な迷惑行為であるから、実際には慎むべきであろうが。
 そんな前置きはどうでも良い。
 千歳が食堂を訪れたのは、張り詰めた静けさの中よりも音のある空間のほうが試験勉強がはかどるから――というわけではなく、単に恋人との待ち合わせのためであった。
 教育学部生の千歳と、理工学部に所属する彼。同じ大学とはいえ、文系の学部棟と理系の学部棟は離れている。おまけに文系エリアにも理系エリアにもそれぞれ売店や食堂が設置されているため、待ち合わせでもしない限り、学内で顔を合わせる機会はそれほど多くない。
 窓際のカウンター席で待っていると、恋人のサエキはほどなくして現れた。
 「わざわざこっちに来なくても。俺がそっちまで行ったのに」
 二人分の飲み物をトレイに乗せた恋人は相変わらず無表情だった。いつものことだ。特に気に留めず、千歳はにこりと微笑を返す。
 「サエキくん、忙しいだろうと思って」
 「別に。こっちからあっちの食堂に行くくらい、大した距離じゃない」
 サエキはやはり愛想がない。だがこれが彼のデフォルトだ。千歳はそんなサエキが大好きだ。
 だけど。
 彼の人柄を知っていても、複雑な乙女心はほんの少し軋んだ音を立てる。特に、今は。
 「どうした?」
 愛しい彼の声でふと我に返る。知らず、ぼんやりと彼の横顔を見つめてしまっていたらしい。
 赤いフレームの眼鏡の奥、黒い瞳がかすかに揺れる。
 開きかけた牡丹のような唇が物言いたげに震えたのはほんの刹那のこと。
 「……ううん。何でもない」
 しかし愁いを孕んだ牡丹は開くことなくそっと閉ざされる。複雑に入り組んだ花弁のような感情をごまかし、千歳は温かい紅茶に口をつけた。
 試験が待ち構えている上に、今の千歳には教育実習も控えている。試験勉強は手を抜けないし、かといって実習の準備や手続きを疎かにすることはできない。一方、理工学部の三回生である彼のほうも毎日専門科目漬けで実験や研究に勤しんでいる。同じ大学に通っている二人であったが、互いにせわしない毎日を送り、二人きりの時間というものをなかなか取れなくなっているのが現状だった。
 そんな中、千歳が受けている講義が講師の都合でたまたま休みになった。その機を逃さず彼にメールを送り、理系側の学食まで行く旨を告げて待ち合わせをすることにしたのだった。
 千歳に許された空き時間は講義一コマ分の九十分。たかだかそれだけの時間だが、恋人の顔を見て過ごす九十分は貴く、有意義だ。
 だから……その大切な時間を台無しにしてしまいたくない。
 忙しいのはお互い様。その合間を縫ってサエキは自分に会いに来てくれた。今はそれでいい。
 テーブル席ではなくカウンター席を選んだのもそのせいかも知れない。正面から顔を覗き込まれたら見透かされてしまいそうで、怖かった。
 安い紅茶から立ち上る湯気はまるで生糸をより合わせたかのよう。眼鏡のレンズをぼんやりと染めて千歳の表情を押し隠し、静かにほどけて、消えていく。
 「眼鏡、曇ってるぞ」
 恋人の手が伸びて来て赤い眼鏡を外す。
 白く曇った眼鏡の下、静かな瞳を染め上げるのは紛れもない不安の色。変人の彼氏は果たしてそれに気付いただろうか。
 恋、秘密、悩み。乙女を形成する三大元素。
 恋は女にきらめきを。秘密は女にミステリアスな魅力を。
 悩みは――愁いに満ちた美しさと、切なる苦悶を。 


 試験前でも教育実習を控えていても通常通りアルバイトはある。家庭教師のバイトを終えた千歳が帰宅する頃にはすっかり夜も更けていた。
 自室に入ってハート型のクッションを抱き締めると、思わず小さな溜息がこぼれた。
 手帳を開いてみる。予定の管理の他に、ごくごく短い日記のようなものを書き留めるためにも用いているものだ。
 だが、明日の予定をチェックするでも今日の出来事を記すでもなく、華奢な指先は先月の暦が印刷されたページを求める。
 記された事実は何度見ても変わらない。ある日付からある日付まで引っ張られた矢印と記号は、今月のページにも同じように記入される筈だった。
 だが、今月の暦は未だ白いまま。日々の小さな出来事は変わらず記されてはいるけれど。
 腕の中の柔らかなハートに顔をうずめ、かすかに震える吐息を漏らす。
 今の段階でははっきりさせることすらできやしない。ましてや相談することなんて……。今はただ、時期が来るのを待つしかない。
 自分一人のせいだとは思わない。だがサエキに打ち明ければ彼をも不安にさせてしまうだろう、動揺させてしまうだろう。彼に告げるのは事の顛末が判明してからで良い。
 いや――違う。
 打ち明けることが怖いのかも知れない。彼がどんな顔をするのか、どんな言葉を口にするのか、心のどこかで恐れているのかも知れない。
 そもそも、顛末が判明して、それでどうなる。自分もサエキもまだ学生だ。出すべき答えは、とるべき行動は、もしかすると初めから決まっているのではないのか?
 (サエキくん)
 心を占めるのは彼の顔。頭の中をぐるぐると回るのは彼の名前。
 倒れそうだ。受け止めてほしい。だけど、受け止めてもらえるのか。
 ……あの彼は、この不安を受け止めてくれるほど自分のことを好いているのだろうか。
 千歳に思いを告げたのはサエキのほうだった。彼の仲間内で語り草にされるようなやけに捻った告白方法だったが、元から彼を好いていた千歳はそれをすんなり受け入れた。
 ベタベタすることこそないものの、内心は彼のことが好きで好きでたまらない。だがサエキのほうはどうなのだろう。彼はノリと勢いで構成されているような男だ。唐突な行動や勢いで突っ走る所も好きなのだが、もし、自分への告白もいつもの『ノリと勢い』に過ぎなかったのだとしたら。あたかもコンパの席でのゲームに負けた学生が一気飲みを強制されるように……。
 乙女の悩みはまるで爆弾低気圧。ひとつの苦悩はその周囲の小さな不安までをも巻き込み、渦を巻きながら爆発的に膨らんでいく。
 ゲームセンターで恋人がとってくれたクッションを抱き締めながら、小さな肩がかすかに震える。
 入り組んだ苦悩は牡丹のよう。薄く脆い花びらを何枚も重ねる花のごとく。
 「サエキくん……」
 どうすればいい?
 静かに流れる涙の雨は、折り重なった心のひだをくまなく濡らして滑り落ちた。


 決して気性の激しい女ではない。むしろおとなしいタイプだと思う。だが、サエキの恋人は自分の言いたいことすらろくに口にしないような女だっただろうか。
 女心の機微に決して敏いとはいえぬサエキであるが、少し前から彼女の様子が少しおかしいことには気付いていた。逆を言えば、サエキですら不審を抱くほど千歳の表情は物憂げな色に染まり、何か言おうとしては口をつぐむことを繰り返していた。
 「顔が見たかったから。いけない?」
 今日もそうだった。なぜわざわざ理系エリアの食堂まで来たのかと問えば、曖昧な笑みとともにそんな答えが返って来ただけだった。
 だが、何か言いかけて思いとどまったあの唇がどうしても瞼の裏から離れない。
 美しくも楚々とした牡丹のような唇はやや褪せ、乾いていた。
 開くことなく、自重に耐えかねてぽとりと落ちてしまうつぼみの姿がふと脳裏に浮かぶ。
 『ノリでお知らせするアル〜。メール、メール〜。新着メール一件アルよ〜』
 パソコンのデスクトップマスコット――海賊帽をかぶった妖精の姿をしている――がメールの受信を告げるが、妖精の生みの親はどこか上の空だ。
 深夜、古いアパートの一室。万年床の上に胡坐をかいたサエキの口許で、短くなったタバコがちりちりと音を立てる。表情の動かない顔からその心情をうかがうことは難しい。
 有り体に言えば千歳は不安そうだった。試験前の疲れや進路に直結する教育実習というビッグイベントを目前に控えているせいだろうと思っていたが、どうもそれだけではないようだ。
 何を考えているか分からないだの変人だのと言われるサエキであるが、交際相手のこととなれば人並に心配もする。
 そこで分析を試みた。最近の千歳の言動や表情、交わしたメールの履歴などを事細かに記憶から呼び出しては並べ、整理し、あらゆる角度から考察する。
 (……だいぶ忙しそうだしな。寝不足で肌が荒れてるとか?)
 だが、変わり者と評されるだけあって、はじき出した仮説はどこかずれているのだった。
 (それとも、ストレス食いで少し太ったとか)
 女心は分からない。言葉にしてもらえなければ尚更分からない。
 不意に、古めかしい玄関チャイムの音が深更の静寂を震わせた。


 相手を確かめることもせずに玄関を開けたのは何かしらの直感があったからだろう。
 予想通り、ドアの向こうには小さな彼女の姿があった。
 「……ごめんなさい」
 伏し目がちの千歳が真っ先に口にしたのは詫びだった。何を謝っているのかと考えて、夜更けに連絡もなしに突然部屋を訪れたことを気にしているのかも知れないと思い至る。千歳はそういう女なのだ。
 気にするなと告げ、外は寒いからと部屋の中に招き入れた。

 万年床を慌てて畳むサエキを見つめながら千歳は黙っている。黙ったまま、煙草のにおいがしみついたクッションを膝の上に乗せる。
 ハート型のそれは、千歳の部屋のクッションと色違いの品だ。サエキがとったふたつのうちひとつを千歳が持って帰り、もうひとつは千歳がサエキの部屋に置いて行った。
 おそろいねと言った後で、自分が発した言葉に照れたように頬を染めた千歳の顔をふと思い出す。
 「入ったらどうだ?」
 炬燵布団を軽く手で叩いて勧めるが、クッションを抱いた千歳は部屋の隅にちょこんと座ったままだ。涼しげな目許が少し腫れぼったく見えるようだが……。
 「風邪引くぞ」
 「……うん」
 「冷えは女の大敵なんだろ? よく分からんが」
 何気なく発した筈の一言だった。だがその台詞はまるで電流のように彼女を貫き、小さな体を震わせたのだ。
 「……おい。どうした、本当に」
 千歳は相変わらずうつむいたままだ。だが、長い睫毛はかすかに震え、唇はきつく噛み締められている。
 沈黙が流れる。
 ペアクッションの片割れを唯一のよりどころのように抱き締め、小さな牡丹は恐る恐る花弁を開いていく。
 「……あのね、サエキくん」
 震える声は消え入りそうなほどに小さい。
 浅い呼吸を幾度か繰り返した後で千歳は言葉を継ぐ。
 「アレが……来ないの」
 「アレ?」
 サエキは軽く首を傾けて聞き返した。
 アレ。アレとは何だ。
 怪訝そうなサエキの視線の前で、彼女は小さな体をますます小さくしてしまう。
 「……アレっていうのは、その」
 「ん」
 「……月の、ものなんだけど」
 「ツキノモノ? ……あぁ、月な。クレーターか何かか?」
 相変わらず無表情なままずれたコメントを返すサエキに千歳は泣きそうな顔で眉を寄せる。茶化しているわけでもふざけているわけでもないと知っているから尚つらいのだろう。
 「違うの。月のものっていうのはね」
 「ん」
 「……セイリのこと」
 その単語は、男性であるサエキの思考回路においては真っ先に“整理”と変換された。
 だが、ひどく言いにくそうに続く千歳の一言でようやく事の重大さを思い知る。
 「生理が……来ないの」
 蚊の鳴くような声は、脳天をかち割るような衝撃をもってサエキを揺さぶった。


 サエキの口元からトレードマークの煙草がぽとりと落ちる。彼の顔がこわばり、体が硬直するのが千歳にも分かった。
 独身、殊に学生のカップルにとってはひどくデリケートな問題だ。もし産むにしろ学校はどうする。中退か。休学するにしても、子育てをしながら大学に通えるのか。双方の親の説得は。目前に控えた教育実習はどうする……。
 それより何より、学生の彼氏は学生の彼女の妊娠をどう思うのか。
 嫌な顔をして、「金を出してやるから堕ろせ」とでも言うのではないか?
 それに、サエキが自分のことをそれほど好いてはいないのかも知れないという思いが拭えないから――やはり怖い。好いてくれていたとしても、妊娠という難しい問題を手放しで喜んでくれるとは思えないけれど。
 もちろん避妊には気を遣っていた。だがこの世に“絶対”はない。予定日を一週間過ぎて尚月経がない今、不安にならないほうがおかしいというものだ。
 薬局で検査薬を買うことも考えた。だが、前回の月経と交わりのタイミングを考えれば、仮に妊娠していたとしてもせいぜいまだ3週といったところだ。そんな初期に検査薬を用いても反応など出ない。
 病院で検査を受けるにしても同じことが言える。一人で病院に行く勇気などないが。
 だが――それもこれも、現時点ではまだ分からない。今はまだ検査を受けることもできない。月経の遅れが妊娠のせいであるのかそうでないのかを確かめる術すらないのだ。
 それでも……検査を受けられる時期が来るのを座して待つには、千歳は多感で、繊細すぎた。クールな一面を持つ千歳であっても、親にも言えぬ悩みを抱えたまま日々をやり過ごすことなどできなかった。
 サエキの口から落ちた煙草が炬燵布団を焦がすのを見てとり、のろのろと吸殻を拾い上げて灰皿に押しつける。そんな千歳の姿もサエキの視界には入っていないだろう。彼は煙草を落としたことにすら気付かず、蒼白な顔でその場に凍りついているだけだ。
 「……こ」
 「え?」
 「こ、こ……こ」
 壊れたラジオのように同じ音を繰り返す彼氏の前で千歳は言葉なくうつむいた。
 子供。そう、子供。
 『子供ができたのか』。
 そんな問いの後に、愛しい恋人はどんな言葉を発するのだろう。
 「……こ、こここ」
 狼狽したサエキの前で、千歳は審判を待つかのようにぎゅっと眼を閉じる。耳を塞いでしまいたかった。この場から逃げ出してしまいたかった。
 だけど、きちんと聞き届けなければ始まらない。
 しかし――
 「米俵アル!」
 サエキが甲高く発したのは、思いもよらぬ一言だった。
 「こめ、だわら?」
 「米俵! 米俵買ってくる!」
 叫び、つんのめりながら玄関へと走る恋人の背中を千歳は呆気に取られて見送っていた。


 「米俵米俵……とにかく米俵アル」
 呪文のようにぶつぶつと繰り返しながらスニーカーをつっかける。こんな時間に米俵など買えるはずがないのだが――そもそも米俵を販売している店などそうそうないのだが――、そんなことは頭から消し飛んでいた。
 (もしおめでただったとして、赤ん坊抱いて落っことしちまったらどうする。今から練習だ! ちょうどいいのは米俵か!?)
 混乱した思考回路でそんなことを考えながらスニーカーの紐を結ぶサエキであったが、千歳の声に気付いてはっと背後を振り返った。
 冷たい雨に打たれる花のようだった。
 複雑に重なった脆い花びらを次々と散らしてしまう牡丹のようだった。
 ペアのハート型クッションを抱き締めながら、千歳は声もなくぽろぽろと涙をこぼしていたのだ。
 「……どうして米俵なのよ」
 かすかにしゃくり上げながら押し出した言葉は抗議らしい抗議にもならず、涙に呑み込まれて消えていく。
 サエキの突拍子もない行動はいつものことだ。千歳はサエキのそんな所も大好きだ。
 だが、今だけは。頭がパンクしてしまいそうな今だけは。
 唐突過ぎる言動が理解できなくて、愛しい彼が何を意図してそんなことを言ったのか分からなくて、どうにか抑え込もうとしてきた不安が一気に衝き上げて……思わず、涙がこぼれていた。
 百の言葉より一の涙。女の涙は、いつの時代も男の胸を抉るもの。
 ましてやそれが思いを寄せる女であれば、動揺しない男がいようか。
 「あ……と」
 油の切れたブリキ人形のようにぎくしゃくと歩み寄ったサエキは、すすり泣く彼女の前で言葉を失う。
 米俵などと口走るほどに混乱したのも、恋人の涙の前で目に見えて狼狽しているのも、無表情を常とする彼にしては稀有なことであった。
 「なんだ、その……ごめん。ごめん、ほんとにごめん。動揺しちまって……」
 泣かせてしまった彼女に繰り返し謝る姿は普通の男と変わらなかった。


 そんな大騒動の数日後。千歳の手帳に、月に一度のお客様の来訪を示す記号が書き込まれた。
 どんなに健康な女性でもサイクルがずれることはある。特にメンタル面の乱れは直に影響するものだ。多忙な日々を送る千歳は自分でも知らないうちにストレスを溜め込んでしまっていた。それが周期を乱れさせ、来るべきものが来ないことへの不安が遅れに拍車をかけてしまっていたのだろう。
 「そ、そうか、なんだ……」
 単に遅れていただけだったと知らされたサエキの胸に湧き上がったのは、落胆と安堵が入り混じったごく普通の感情だった。
 それでも結果を聞くまでは狼狽しっぱなしだった。日用品を買うために訪れたドラッグストアで紙おむつをまとめ買いしそうになったり(同行した友人に止められてどうにか思いとどまった)、漢和辞典をめくりながら珍妙な名前をぶつぶつと呟いていたり(どうやら子供につけるための名前を考えていたらしい)、サークルの部室の壁にがんがんと頭を打ちつけていたり(千歳の親に頭を下げるための練習をしていたそうだ)、いつもの奇行と暴走に拍車がかかった日々を送っていた。
 「あの時、どうして米俵なんて言ったの?」
 「あ、ああ。赤ん坊を抱っこする練習にちょうどいいかと思ってな」
 「抱っこ? 抱っこの練習に米俵?」
 眼をぱちくりさせる千歳の前で、サエキは「ん」と唇をへの字に曲げる。
 また泣かれてしまうだろうか。
 「もう……相変わらずなんだから」
 だが、千歳はくすくすと笑ってサエキを見上げた。
 「米俵みたいに大きい赤ちゃんがいたら大変よ」
 「ん、ああ、そうだな」
 「あんな時間にお店が開いてるわけないじゃない。そもそも、米俵なんて専門のお店に行かなきゃ売ってないわよ」
 「あ、ああ」
 さっきから同じような相槌を繰り返す彼氏は平素の彼らしくなく、千歳はまた小さく声を上げて笑った。
 妊娠の可能性を告げたら嫌な顔をされるのではないか、負担をかけるのではないかと不安だった。堕胎しろと言われてしまうのではないかとまで考えて、怖かった。
 だから、米俵の当否はともかくとして、赤ちゃんを抱く練習をすると言ってくれた彼の気持ちがとても嬉しい。
 「ごめんね、びっくりさせて……その上、いきなり泣いたりして」
 「いや。俺のほうこそ悪かった」
 「――ありがとう、サエキくん」
 「ありがとうって、何がだ?」
 「ううん。別に」
 ふふっと可憐な声を転がし、小ぶりな牡丹は晴れやかに綻んだ。


 恋、秘密、悩み。乙女を形作る三大元素の中でも、最もきらめきに満ちているのは恋だろう。
 相手への思いが更に深まった時、女は一層美しく咲き誇る。
 昼下がりのキャンパスを、今日も連れ立って歩く二人の姿があった。


 (了)

クリエイターコメントお初にお目にかかります、宮本ぽちと申します。この度はご指名ありがとうございました。
タイトルとキャッチコピーに落差があるのは仕様です。

ああ、もう、デリケートな問題ですよね。学生さんなら尚更。
女性自身の身はもちろん、お相手の男性の反応も気になるものだと思います。
にしても、サエキ様がごく普通の男性になってしまったような…(汗)。

所で牡丹の花言葉は「富貴」「壮麗」だそうですが、「誠実」という意味もあるそうです。
ちょっと変わったサエキ様と清楚な鷹司様をゴージャスな花と結びつけるのは難しいかとも思いましたが、この花言葉をお二人に。
公開日時2009-01-04(日) 12:50
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