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<ノベル>
●日常に仕掛けられたトラップを打破せよ!
梛織とクライシスはぶらりと対策課に立ち寄った。その日は妙に穏やかで、閑散としていた。
暇なのか、職員の側から声をかけてくる。
「面白い依頼があるのか?」
尊大に尋ねたクライシスに、邑瀬文は力強く頷いた。
「常夏の島でバカンスしませんか? 旅費は対策課が負担します」
スマイル〇円、利子二千パーセント。笑顔の成分が表示されている。
バカンスという単語に惹かれたものの、梛織は直感に従った。
「嫌な予感がするんだけど? 他の依頼ってあ――」
「へぇ。経費もそっち持ちだよな?」
梛織の意志を無視して、クライシスが興味を示す。
「もちろん、必要経費で落とします」
「ふぅん。詳細を聞かせてもらおうか」
にやりと笑い、クライシスは頬杖をついた。梛織の後頭部を肘置きにして。
邑瀬は何事もないかのように話を進める。
「ダイノランドで異変が起きているとの報告があり、調査をお願いしたい次第です」
「それで――」
「お姑さん、そこ俺の頭! 文さんも流さないで! 止めて!」
梛織は必死に抵抗した。だが、クライシスはびくともしない。逆に、動きを封じるように肘をねじ込んでくる。
「わかってやってるに決まってんだろ」
「仲良しですね」
「性質の悪いボケはやめて! イジメだよDVだよパワハラだよ!」
「で、続きは?」
「すみません、話の腰を折ってしまって」
ツッコミの声など聞こえていないような対応に、梛織は項垂れた。ガツ、と額がカウンターにぶつかる。
邑瀬はファイルに目を落として、説明を続ける。
「怪獣島ダイノランドの一角に、多数のトラップが仕掛けられているのが確認されました。このままでは危険ですので、撤去する予定です」
「面倒臭そうな依頼だな」
「いえ、お願いしたいのは撤去作業ではありません。仕掛けた犯人を探していただきたいのです。そして、捕まえてください」
「悪い子にはおしおきが必要だナ! いいぜ、引き受けた」
クライシスは請け負った。梛織の意見は必要ない。
「ありがとうございます。早速で申し訳ありませんが、今すぐ出発していただけますか? 今日を逃すと、船の手配が厳しいもので」
「急いだ分、俺にもイイことあるんだろうナ?」
クライシスの要求に、邑瀬は目を細める。
「もちろん『感謝の気持ち』をお伝えするつもりです」
悪役が交わすようなやりとりに、梛織は全力で跳ね起きた。邑瀬に人差し指をつきつける。
「あんた公務員でしょ! 公衆の面前で不正取引するなよ!」
「ささやかな冗談ですよ……ぶッ」
邑瀬は途中で、ポーカーフェイスを崩壊させてうずくまった。カウンターの内側から、押し殺した笑い声が響いてくる。
おかしな態度に疑問符を浮かべつつ、梛織はクライシスに向き直った。
「お姑さんもいい加減にしてよね!」
「…………」
目があった瞬間、クライシスは口元を覆って顔をそらす。肩が小刻みに震えている。
珍しい反応に、梛織は動揺した。助けを求めて周囲を見回すが、誰の反応も似たり寄ったりだった。
「どうしたんだよ! 俺が何かした?」
敬遠する雰囲気が痛い。心で泣きながら、梛織は最後の砦にすがった。
「お姑さん、はっきり言ってよ!」
「顔」
横を向いたまま、クライシスが鏡を差し出した。梛織は受け取り、見て、叫んだ。
「ななななんだコレぇ!」
誰かのペン跡が、カウンターに残っていたのだろう。
梛織の額の中央に『肉』の文字が転写されていた。
●未開の土地に仕掛けられた罠に注意せよ!
梛織は額をこすり続けたが、結論から言えば無駄だった。
「磨けば磨くほど目立つナ!」
クライシスが笑顔で駄目押しをした。それが邑瀬のツボに入ったらしく、彼は腹を抱えて二つ折りになっている。
照りつける太陽、青と白の砂浜、むせかえるような緑の匂いに怪獣の咆吼。
ミッションコンビに腹黒公務員を加えたパーティは、ダイノランドにいた。目的地までの中間点で、小休止している。
梛織は鏡で確認した。市役所を(不自然な)笑顔で送り出された時と変わらず、いやむしろ黒々とした『肉』の文字が額の中央に鎮座している。
濡れタオルを地面に叩きつけ、梛織は吠えた。
「どうしてくれんのさ! 一生残ったらどうすんの!」
「梛織さんなら永久就職先には困りませんよ。クライシスさんを筆頭に、貧乏籤カルテットの方々。それに将来有望な弟さん達。選びたい放題じゃありませんか。独身時代でしたら、私も名乗りを上げていたところです」
「全員男だよ!」
真顔で惜しむ邑瀬につっこみを入れ、梛織は木にもたれかかった。表情を変えない相手なので、本気と冗談の境目が読めない。
「モテモテだな。けど、俺はお婿さん候補に入れるなよ」
優しくも毅然としたクライシスの言葉に、梛織は安堵を覚えた。
「クライ……」
「だって家政夫だからナ!」
「そこなの!?」
邑瀬は腑に落ちた顔で頷いた。
「嫁と姑でしたね。すみません、なさぬ仲だということを忘れていました」
「文さんも悪ノリしない! ツッコミが追いつかないとカオスになるから!」
梛織は頑張ったが、熟練のいじめっ子二人が相手では分が悪い。数分で負けた。
ため息を吐いて沈黙するのを見て、俺様女王様と陰険腹黒はアイコンタクトで紳士協定を結んだ。ツッコミは貴重な人材、生かさず殺さず弄ぶ。
「梛織」
クライシスは声をかけ、絆創膏を放った。梛織は反射的に受け取る。大きめサイズの肌色だ。
「気になるんなら貼っとけ。それなら目立たないだろ」
「ありがと」
梛織は常にない優しさに戸惑いながら、額に絆創膏を貼った。直後にクライシスが付け足す。
「それ粘着力強いから、生え際とか眉毛とか注意しろよ」
「遅いよ! 絶対わざとだ!」
「剥がしてやるよ。痛いのは一瞬だからナ」
「抜けるよ! 逆マロ眉になるよ!」
玄人の域に達している掛け合いを記録すべく、邑瀬はメモ帳を取りだした。
息切れしかけた梛織だが、ツッコミの手を休めるわけにはいかない。
「文さん、そのマル秘ネタ帳って何!」
「ただのマル秘ネタ帳です」
「会話になってないよ。何に使うのさ」
「人生の勝ち組でいるために使います」
「ツッコミきれないよ!」
梛織は匙を投げた。
ツッコミはボケの三倍働かなければいけない。ボケの二乗で九倍の労働を要求されても、梛織一人では限界がある。
「さ、出発するぞ」
クライシスの合図で休憩を終え、行動を再開する。
獣道すらない未開のジャングルは、快適な室内で頭脳労働をする公務員にはきついらしい。じきに邑瀬がバテだした。
マイペースに突き進むクライシスから離れて、梛織は邑瀬に並んだ。
「ボートに戻って待ってる? 俺とクライシスで犯人を捕まえてくるからさ」
「ですが、ここで帰っては調査が……っていうか植村さんが怖い」
「植村さんが?」
梛織はきょとんとした。彼は優しそうな責任者に見える。時にキレるが。
「しまった。怖いとか瞬間腹黒度では負けてる気がするとか意外に大物だとか、その他諸々。私が言っていたこと、オフレコでお願いします」
余計な本音まで明かして口止めを迫る。
梛織は戸惑った。性格が違うように感じる。慣れない屋外活動で、余裕がないせいか。
「文さんが思ってることじゃないの? なんで秘密にしとくわけ?」
「いえ……いつもよからぬことを考えているので、つい」
邑瀬は相手の反応に注意するあまり、靴底の違和感に気づかなかった。カチリ、と彼の足下で音がする。梛織は反射的に、襟首を掴んで引き倒す。
瞬間、邑瀬のいた場所に竹槍が降り注いだ。梛織がいなければ串刺しだ。
「何やってんだ?」
だいぶ先行していたクライシスが戻ってくる。
「トラップを踏んだ」
「報告によると、トラップゾーンはまだ先のはずですが」
「勢力を拡大してるんだろ。未熟者だなア?」
「……足が本調子ではありませんので」
邑瀬の反論がワンテンポ遅れた。クライシスはニヤリと笑い、遠慮なく傷口をえぐる。
「実はトロいんだナ!」
「もしかして、文さん運動音痴?」
うかつに尋ねた梛織の肩に、邑瀬は手を置く。余裕ぶった笑みを浮かべて。
「あまりお喋りが過ぎると、実力行使で口をふさぎますよ」
「負けないよ」
「艶っぽい意味で?」
不自然に顔が近い。鼻先に吐息をかけられて、梛織は危険に気づいた。
「おおおお姑さん! この変態どうにかして!」
クライシスは腕を組んでふんぞり返る。
「それが人に物を頼む態度か?」
「ただの親愛表現ですよ。若干、捨て身でしたが」
「相手しきれないよこの人達!」
プリンス・オブ・ツッコミは匙を投げた。
クライシスは槍を調べる。
「原始的な罠のくせに、尖らせ方が本気だな」
「誰の仕業でしょうね。高度な知能を持った怪獣はいないはずですから」
「進化したんじゃないか? このふつつかな嫁にも学習能力があるんだから、怪獣が宇宙に行く日も来るだろ」
「褒めてるの? けなしてるの?」
矛先を向けられた梛織は、期待を込めて尋ねる。
クライシスは肩をすくめた。
「俺様がおまえを褒めるなんて、思い上がりもいいところだナ」
「そうじゃないかと思ったよ!」
いきり立つ梛織の頭を、邑瀬はよしよしと撫でた。
思案して、クライシスは万事屋の相方に命令する。
「梛織、先頭を歩け」
「無茶言わないでよ、お姑さん」
梛織はまだ、『背後に立った人を蹴ってしまう』という癖が克服できない。
「おまえごときに倒される俺じゃないさ」
「はいはい」
自信満々なクライシスに対し、梛織は適当に相槌を打った。配置交代となる。
歩き出した梛織の背中を見ながら、邑瀬はクライシスに囁いた。
「囮ですか?」
「梛織なら死なないだろ。たぶん。……梛織、左に一歩」
「ん? こっち?」
言われるままに動く。
梛織の足首にテンションがかかった。ワイヤートラップだ、と理解する前に体が動く。
爆発が起こった。巻き起こった風を利用して、梛織は後ろへ跳んだ。
「地雷なんて、なかなか本格的な犯人ですね」
「感心してる場合じゃない、で、しょッ!」
着地すると網が降ってきた。
「連続!?」
転がって逃れる。
しばらく構えていたが、次はないようだった。と同時に。
避難して作戦を練りましょうか、それがいいナ、などと話す人達に怒りを覚える。
「クライシス……お前、俺を囮にしやがったな!?」
怒りすぎて、梛織は次の罠にまんまとひっかかった。縄に足首をとられ、逆さ吊りになる。
邑瀬はマル秘ネタ帳を取りだし、何かをメモしていた。
「見事な連続トラップですね。素人ではないでしょう」
「腕が鳴るナ!」
「ちょっとは俺の心配もして!」
吐血する勢いで叫んで、梛織は悟った。ボケは人類を滅ぼす。ナイフを出そうともがいたが、あれこれ不安定で手が届かない。
さすがに見かねて、邑瀬が動く。
「今、助けに行きま、あ」
手前で落ちた。同時に鳴子板が盛大に音を立てる。
「文さーん!」
梛織は叫ぶしかない。邑瀬は三メートルほどの深さがある落とし穴にひっかかり、途中で手足をつっぱっていた。底には木の杭が並んでいる。
クライシスは渋面を作った。梛織が罠に掛かるのは愛嬌として、邑瀬がここまで戦力外だとは思わなかった。
「使え」
梛織にナイフを放って常識的な苦情を無視し、クライシスは穴の縁から邑瀬を見下ろした。腕が震えているが、今助ける余裕はない。限界までまだありそうだし、悪役はなかなか死なないのがお約束だ。
「トラップを見てると、殺人は二の次だな。獲物を捕まえるのが」
クライシスの分析に、邑瀬は遠い目になった。
「そういえば、動物性タンパク質が大好きなスターが住み着いていましたね」
噂をすれば、茂みから小さな影が飛び出してくる。
「肉ー!」
エメラルド・レイウッドは、罠の成果に無邪気な笑みを浮かべた。梛織とクライシスを見比べ、目を輝かせヨダレを垂らしている。
その手には、手斧。
クライシスはゆっくりと向き直り、迎撃の態勢を取った。
「攻撃力上がってるー!」
梛織の声に、邑瀬はしみじみと言った。
「カレーCMの撮影後、備品が減っていたとノーマン小隊から届け出がありましたねえ」
「早く言ってよ!」
一方、クライシスは尊大に斜め四十五度から野生児を見下ろす。
「俺らを食肉と一緒にするなよナ? それに、スターは死んだらフィルムになるんだぜ」
「フィルムになる、違うの肉、ある。食べるの肉」
「怪獣島でも鹿が繁殖しているという話も聞きました」
「後出し多いよ、文さん」
梛織のつっこみもキレがなくなってきた。
エメラルドは腕を振り回して力説する。
「罠を使う、肉を捕まえる、らくちん! スコット言ってた」
ノーマン小隊の上等兵と野生の少女が、どんな会話をしたかはさておき。
「肉!」
エメラルドは素早く的確な一撃を、クライシスに見舞った。
「ぬるいナ!」
馬鹿にした笑みを浮かべ、クライシスは独特のステップでかわす。
密集したトラップを避けているだけだが、エメラルドも同じ法則で動くため新手の舞踏かと思えるような戦闘だ。
エメラルドが空振りした時、クライシスは手斧の柄を掴んだ。もう片方の手で頭を鷲掴みにする。指に力を入れて、失礼千万な小娘にメンチを切る。
「俺様のどこが肉だ? 言ってみろ、あぁん?」
言ったら自分が肉になる。エメラルドはそう直感した。逃れようとあがいていたが、腰のホルスターを見て大人しくなった。銃を使われてはひとたまりもない。
その間に梛織は縄を切断し、自由の身となった。そしてトラップに使われていた縄を手に、穴へ向かう。
「文さん、掴まって!」
「ありがとうございます」
邑瀬は垂らされた縄を握った。梛織は近くの木を支点に、てこの要領で引き上げる。
救出を横目で見て、クライシスは指の力を抜いた。
「素直に従っていれば痛いことしないからナ? 言うこと聞くんだぞ?」
エメラルドは縦方向に首を振りまくる。
逃げられては困るから、クライシスはそのままのポーズで救出劇の終わりを待った。
穴の縁で疲れ果てている邑瀬に、梛織は手を貸した。それで脱出完了だ。
邑瀬は着地の時によろめいて、大きく腕を振った。その手が梛織の顔に当たり、指が額をかすめた。さらに運悪く、爪が絆創膏にひっかかる。
「……っ!」
火花が散るような衝撃だった。
梛織は目尻に涙を浮かべ、額をさすった。マロも生え際後退もまぬがれたようだ。
「よかった」
「よくないみたいです」
邑瀬は苦笑を浮かべ、エメラルドを指した。彼女は目を見開き、感動に打ち震えている。
梛織は顔が青ざめていくのを感じた。絆創膏が剥がれたことで、隠していた文字も暴かれた。しかも、相性最悪というか最高というかジャストミートな相手だ。
「肉……! わし、漢字知る。それ、肉……!」
「スイッチ入ったナ」
クライシスの手を逃れ、エメラルドは身を低くして走った。完全に狩猟者の目だ。
「肉だけど肉じゃないからッ!」
必死の弁明もむなしく、赤い疾風が迫る。手斧がクレーターを作った。
クライシスは腰に手を当て、巻き込まれてばっかりの相手に言う。
「お前が勘違いさせたんだ、責任取れよ」
「梛織さんとエメラルドさんがお互いに責任を取れば、丸く収まると。予想外の結末ですね」
「アウェー!? チーム内でアウェー扱い!?」
「肉ー!」
ひゅうんと手斧が梛織を襲う。
ツッコミながら戦うのは至難の業だ。梛織は目の前の敵に集中した。
ふと見ると、クライシスと邑瀬は雑談しながらこちらの様子を見ている。観戦モードだ。
「傍観主義な奴なんか嫌いだー!」
梛織の絶叫が、怪獣島にこだました。
●人を襲う野生の猛獣を退治せよ!
「作中では、鉄パイプを持ったヤンキーより弱かったんです」
邑瀬は昔を懐かしんだ。
「まさか、電柱サイズの棍棒を振り回したり、アクション映画のスターと立ち回るなんて……我々のアイドル『エミー』から成長したんですね」
「あれで成長したのか? 無駄な動きが多くて隙だらけ。梛織が焦ってなければ楽勝だナ!」
「手加減しているようですしね。少女相手で遠慮しているのでしょう」
時刻は夕方、場所は砂浜に移る。
クライシスと邑瀬はレジャーシートを敷いて、ドリンク片手に観戦していた。
梛織とエメラルドの死闘を。
本人同士は真剣だが、傍目にはそうでもない。例えばクライシスが仲裁に出れば、一発で片がつく。
「ミンチー!」
「鬼姑も腐れ公務員も嫌いだー!」
方向がずれた梛織の絶叫に、大人達は無言で生温い眼差しを向ける。
砂浜は山あり谷ありの一大パノラマになっていた。ここにはトラップがないらしく、のびのびと手合わせをしている。
邑瀬は腕時計に目を落とした。
「終業時間ですね」
「そうだな。夕飯の時間だ」
クライシスは立ち上がり、波打ち際の相方に声をかけた。
「梛織、帰るぞ! 今日の晩飯は何だ?」
「今日はハンバーグ……って待って!」
条件反射で答えた梛織に、手斧が迫る。
がら空きのボディに蹴りをくれた。エメラルドの体は軽く、放物線を描いて海に落ちる。
豪快な水しぶきが上がった。
じきに浮かんできたものの、背中を上にしてぴくりともしない。
「メディーック!」
梛織は海に飛び込んだ。波を割るような泳ぎっぷりで突き進む。引き潮にさらわれていくエメラルドをとらえ、岸に戻ってきた。
「若いっていいですね」
「……喧嘩なら買ってやってもいいぞ?」
邑瀬二十五歳、クライシス二十八歳。同じ思いでも、共感するのが難しい年の差だった。
咳き込むエメラルドの背中を叩き、梛織は言い含める。
「俺は肉じゃないからな。きちんと区別がつくまで、二度と狩りなんかするなよ」
「うん。あれ?」
エメラルドは梛織を見上げ、クライシスを見て、梛織を見た。困った顔で二人の額を指す。
「肉、どっち……?」
誘いボケや確信犯ボケより、天然ボケは凶悪だった。どこから訂正すべきかわからない。
クライシスは梛織の顔をしげしげと見た。
「額の文字消えてるナ」
「え?」
「ええ、綺麗なものですよ」
邑瀬も重ねて肯定する。梛織は自分の額を撫でた。海で洗い流されたのだろう。どっと疲れが押し寄せてきた。
「全力使った……」
「夕飯を用意すれば倒れていいぞ! 片付けの時間まで見逃してやる」
理不尽なクライシスの許可にめげて、梛織はその場にしゃがんだ。
邑瀬はエメラルドの肩を掴み、肝心の質問をした。
「ところで、トラップは何ヶ所仕掛けましたか?」
「う……? え……む……」
エメラルドは指を折りながら考えていたが、十を超えると固まった。
動きを停止させて、十秒後。
「忘れる、した!」
無邪気な笑顔に、どす黒い笑みが応じる。
「それでは仕方ありませんね。ご自身でトラップを解除していただきましょうか」
「文さん、ほどほどにしなよ」
梛織は呆れ気味にいさめた。理想と違うからという理由で、アイドルを全否定したいファンにそっくりだ。
恐怖に怯えたエメラルドは、邑瀬の手から逃れると梛織の背中を目指した。疲労困憊の梛織には、自制する余裕がない。
「きゃ……!」
クライシスが腰を抱いて、放たれた回し蹴りからエメラルドを救った。
「梛織の背後に立つのは危険だからナ。二度とやるなよ」
「ごめん、怪我させるつもりはなかったんだ」
ばつが悪い。梛織は謝った。
エメラルドはクライシスを見て、梛織を見て、クライシスを見て、抱きついた。
「肉じゃないのヒト! 強い、助ける、素敵!」
「ハハハ、クライシス様と呼ぶんなら、もっと褒め称えてもいいぞ!」
「負けたライバルが、ヒーローの強さに惚れて仲間になる……王道ですね」
ツッコミどころが多すぎて、梛織は言葉に詰まった。
この場にはボケが三人。ボケの三乗に対応するには、二十七ツッコミが必要だ。明らかに人手不足だった。
「犯人も捕まえたし、帰る?」
そう提案して話題転換に努める。
「今夜はハンバーグだったな。エメラルドも食うか?」
「食う! ミンチミンチミンチ!」
「万事屋さんに預かっていただけるのでしたら、非常に助かります」
突っ込む隙が見あたらないまま、そこまで話が進む。梛織が呆然としていると、エメラルドがジャケットの裾を引いた。
「肉、ごはん食べる、一緒?」
「俺は梛織。名前があるから、名前で呼んで」
エメラルドは神妙な顔で頷いた。
「なお。なお。なお。覚える、した。肉じゃないのヒトは、名前あるか?」
「あいつはクライシス。もう一人は文さん、邑瀬文」
お姑さんとか無駄美形とか、そういう余計な知識は必ず身につくから後回しにする。
「なお!」
エメラルドは梛織を呼び止めた。人を、名前で呼んだ。
邑瀬は驚き、変化をもたらした梛織を見る。
ちなみに、彼女の発言内容はろくでもなかった。
「わしのハンバーグ、でかい二番にする! でかい一番はクライシス! なおは、でかい違うの大きさ!」
梛織は首を横に振った。
「差別しないからね。平等な大きさで作るよ」
「うー……」
エメラルドは渋る。が、ボートは二人が乗れば出発できる状態だった。クライシスが叫ぶ。
「帰るぞ、食事当番!」
「かれこれ三ヶ月ぐらい、俺が作ってない?」
「気にするな」
ツッコミを入れると、そこからいつものやりとりになる。海に怯えるエメラルドを抱えて乗せ、帰路についた。
ボートの運転以外まったくの役立たずだった邑瀬が、不意に姿勢を正す。
「梛織さん、クライシスさん」
「何?」
「ん?」
「エメラルドさんは現代の生活に馴染みがありませんので、教育よろしくお願いします」
「だってさ。嫁も母親一年生だナ!」
「母親ッ!?」
「なお、ママ?」
「ナオミママと呼んで差し上げてください」
「『楽園』の外で不吉な名前で呼ばないで!」
梛織は必死の抵抗したが、ボケ三人にツッコミ一人では敵わない。
エメラルドは梛織を『なおみママ』と認識し、銀幕市での現代化特訓に励むこととなる。
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クリエイターコメント | 大変長らくお待たせしました。
ツッコミの供給不足に悶絶した記録者でした。 嫁姑……じゃないミッションコンビの活躍、描かせてくださってありがとうございました! |
公開日時 | 2008-09-26(金) 19:10 |
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