★ 【鳥籠の追想】祈りの灯、空白の時 ★
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
管理番号156-7376 オファー日2009-04-10(金) 00:00
オファーPC ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
<ノベル>

 そこは、銀色の鳥籠。
 そこは、鳥籠を模した温室。
 咲き誇る花もなく、辺りは闇に包まれ、銀のテーブルと銀のイスが置かれているだけの場所。
 けれどそこには、一羽の小鳥が囚われているという。
 歌も忘れ、飛ぶことも忘れ、眠り続けるその小鳥にまつわるひとつの噂。
 それは――


「《夢》を求め、《夢》を見せる小鳥とは、ずいぶんと興味深いものだねぇ」
 磨きこまれた美しい大理石の床を、足音も立てずにブラックウッドはゆったりと歩く。
 ランプもロウソクもないけれど蒼白の静かな光に満ちたこの空間、鳥籠そのものが自ら冷光を放っているかのように錯覚させる銀色の格子、そこに嵌め込まれたガラスの壁のどこにも、本来映るはずの彼の姿はない。
 しかし彼は確かにそこにいる。
 そうしてこの世界でただひとつの存在である銀のテーブルにそっと手を伸ばした。
 薔薇の透かし彫りが施されたアンティークは、漆黒をまとう吸血鬼の長老にはひどく似合いの調度品だ。
「……はたして、私の望むものが描き出されるのか、ひとつの賭けになるかな」
 不死者の眠りに夢はない。
 けれど、求めないわけではないのだ。
 長い長い、長すぎるほどに長い膨大な時間の中を、旅人のようにしてブラックウッドは過ごしてきた。
 幾千もの出会いと別れを繰り返し、幾億もの想いを抱くことにも慣れた。
 しかし、たとえほんの一瞬の、本当に儚く脆い夢の中でもよいからもう一度だけ会いたいと願う相手もいるのだ。
 ブラックウッドは、ゆったりと椅子へその背をもたれた。
 闇の中であってもなお魅惑的に閃く金の瞳が、そっと閉じられ――

 *

 城壁で囲まれた町を一望できる小さな教会で、壮年の神父はただひとり、ひっそりと祈りをささげていた。
 礼拝堂に豪奢な飾りはなく、神の像を照らすようにはめ込まれたバラ窓のステンドグラスのほかは、ささやかな祭壇と信者席、そして小さな年代物のパイプオルガンだけがこの教会のすべてだった。
 彼は長くここに仕えていた。
 今はただひとりきりでここにいる。
 けれど、ここにはかつて、《聖女》がいた。
 凶悪にして強大なる《夜を歩くもの》が振りまいた災厄から街を救った、不死者殺しの聖女。
 一度は魔女の烙印を押されながら、ある占い師がもたらした予言――“城の地下牢に繋がれた魔女が、不死者を殺す聖女となる”――その言葉を成就すべく、悪しき吸血鬼を銀の杭と聖なる力で打倒したのだ。
 それだけではない。
 戦いに勝利をおさめた彼女は、ここで、この場所で、多くの迷えるもの、苦しむもの、嘆き悲しむものへと惜しむことなくその手を差し伸べた。
 癒しの手。
 慈しみの瞳。
 彼女にまつわる《物語》はまさしく、神の寵愛を受けたものにふさわしい、神が与えた奇跡であり慈悲深い癒しと赦しに満ちたものだった。
 神父は神に祈り、すべての人々の幸福を願いながら、聖女が自分に託してくれたものを想い、彼女が抱いていた慈愛を反芻する。
 反芻し。
 崇高なる存在を地上に遣わした神の慈悲に感謝し。
 そうして平穏なる今日という日を閉じようとしたその時。

 コンコン、コン――

 弱々しくはあったが、神父は教会の扉が何者かによって叩かれたことを知る。
 このような夜更けに一体だれであるのか。
 訝しく思いながら、それでも、教会を訪れるものを神父はけっして拒まない。それは《聖女》の教えでもあったから。
「どなたですか?」
 小さなランプをひとつ掲げ、薄い木の扉を彼は静かに押し開く。
 扉は軋んだ音を立てながらゆっくりと外へ開かれ、そして訪問者の姿を神父の前に差し出した。
「おや、どうされました?」
 そこにいたのは、フードを目深にかぶった男だった。
 フードの端からわずかに覗く口元、そしてローブの袖から見える両手の肌はまるで死人を思わせるほどに枯れて青褪めている。
「……聖女に、会いに来たのです……どうか……せめて一目、聖女様に……」
 声もまたひどくうつろで、力もなく掠れ、長くしゃべることを禁じてきたかのようにしわがれていた。
 生気を感じさせない、危うげな存在感。
 頼りないランプの明かりでも、この男が大変な苦しみの中にあることは容易に見てとれた。
 フードに隠れた顔を見ずとも、これだけで相手が今にも倒れそうなほどに衰弱していることがわかる。
「あなたは、聖女様に……」
 どれほどの苦難を越えて、この男は来たのだろうか。
 どれほどの想いを抱えて、男はここに来たのだろうか。
 神父は神がこの男に与えた試練を思い、胸に痛みを感じながら、それでも静かに、厳かに、告げた。
「あの方は2年前、幸いのうちに神の御許へと旅立たれているのです……」
「……2年……」
 男は一瞬強く狼狽した。
「あ、ああ……」
 ぴくりと肩が動き、神父の言葉を受け止め損ねたかのようにわずかに顎が上がり、
「……ああ……間に、合わなかった……2年……2年の内に……」
 それから、自身の顔を青白い両手で覆い、がっくりと肩を落としてこうべを垂れた。
 今にもその場に崩れ落ちそうなほどに苦しげに言葉を漏らし、深い深い嘆きと哀しみを全身に滲ませていた。
 神父は何も言わず、男を見守った。
 男からあふれだす喪失の痛みを、胸を締め付ける痛切な声なき静かな慟哭を、ただ静かに受け止めていた。
 フードの男は、告げられた事実をなんとか受け止めようとしているようだった。
「……私は、あの方に、救われたのです……」
 神父の肩越しに見える教会の内部、神の像へと視線を投げて、ふぅっ…と、男は溜息のように言葉を紡ぎ出す。
「長い長い夜の中で傷つき、苦しんでいた私を、聖女様は救ってくださった……あたたかな両手を差し伸べ、私を……深く冷たく暗い闇の底から……」
 懐かしさだけではない、形容しきれぬほどに強い想いが込められた記憶を、言葉少なに男は語り、もうここにはいない相手へと想いを綴る。
「……ああ、一目、もう一度……できることなら、もう一度、声を……聞きたいと……願って……」
 男と聖女の間にどんな物語があったのか、そこでどんな感情の交流があったのか、どのような奇跡が行われたのか、神父には分からない。
 しかし、男がどれほど彼女の存在を大切に、かつ重く強く捉えているのかは十分すぎるほど伝わってきた。
 おそらく、男はもう長くはないのだろう。
 病魔にその身をむしばまれ、神に定めらえた生を終えるその前に、全てをなげうち、最期の時を彼女に会うことに費やそうとしたのかもしれない。
 食うものも食わず、飲むものも飲まず、彼女に会うためだけにここまで来たのだ。
「……せめて墓前で祈られますか?」
 彼女の姿を見ることも、彼女の声を聞くことも、もうけっして叶わないけれど、せめて、と。
 男はゆっくりとうなずきを返した。
 足取りのおぼつかない男に歩調を合わせながら、神父は教会の裏手へと回った。
 丘の上に建つ小さな教会。
 城壁に囲まれた街を一望できる場所。
 だからこそ、そこに広がる光景は地上にちりばめられた街の灯りと天空に輝く星の光とを同時に眺めることができる。
「美しい、実に素晴らしい眺めでしょう? この場所で眠りたいというのが聖女様の最期の願いだったのですよ」
 石で作った質素な十字架の前に、男は言葉もなくただ立ち尽くしていた。
 全身がかすかにふるえている。
「地上と天上の星々が混ざり合うこの場所を、聖女様は何より愛していらっしゃいました。なんでもずいぶんと昔、ある方に教えていただいた大切な思い出の場所だとか」
 銀の剣と銀の杭をふるってこの街を悪しき不死者から守り、人々に癒しを与え、この場所から穏やかに見守り続けた彼女が、それを語る時だけは少女のようなはにかみを見せていた。
「聖女様はよくおっしゃっていました」
 この場所で、教会を訪れた子供たちの頭をなで、やさしく肩を抱きながら、彼女は自分に向けても語ってくれた。
「自身の今あるすべての幸福、すべての時間は、あの日、《かの方》が与えてくれた無限の慈しみと深い愛情によるものだと……」
 神父はそれを《神の愛》だと捉えている。
 そして聖女をこの場所へと導いたのは、神が天より遣わした天使なのだろうとも。
 フードの男は静かに言葉を受け止めていた。
 左胸を掻き掴むようにして、静かに、静かに、告げられた言葉を刻んでいるようだった。
「……彼女は、幸せであったのか……」
「ええ、たしかに」
 それだけは確信を持って、神父は頷き、肯定した。
「……」
 男は十字架の前に膝を折った。
 左胸に青白い手を添えて、こうべを垂れる。
 あふれだしていた悲しみ、崩れ落ちるほどの嘆き、滲み出ていた苦しみのすべてが、男からゆるやかに解かれていくような気がした。
 神父はわずかの間男の背を眺め、そして踵を返した。
 祈りの邪魔をしてはいけない。
 男が聖女にささげる想いを、他者が聞いてはいけないとも思った。
 しかし、彼はどうするのだろう。
 これほど夜更けに訪れたのだ。よければ今夜は教会で休んでもらうべきではないか。
 そう思い直し、足を止め、神父は男を振り返る。
「ああ、ところで今夜は……、……?」
 だが、振り返ったそこには、誰の姿もなかった。
 フードをかぶり、命の陽が消えかけているとしか思えなかったあの男の姿は、まるで夜の中に溶けてしまったかのようにどこにもない。
 だが、かの者の訪問はけっして夢ではない。
 その証拠に、聖女の墓には可憐な白い野花が添えられていたのだから。
 野花はほのかな燐光をまとっているかと思うほどに鮮やかでありながら、それでいて深く胸にしみる静謐さを湛えていた。
「……では彼は、魂だけで会いに来たのだろうか……」
 せめて一目。
 せめて一言。
 最期の別れを告げるために。
 神父は改めて、彼女の墓前に立った。
 見はるかす慈しみの地。
 街の灯りも、天上の光も、きらきらと瞬いていて、それはまるでひと時の夢のようだった。



「……君は、幸せであったのかね……?」
 呟きがこぼれ、ブラックウッドはそっとまぶたを開けた。
「……最期の眠りをあの場所にと願うほどに、君と私が共に過ごした時間を大切だと人に語ってくれるほどに、君は確かに幸せであったと、……そう信じてよいのだろうかね」
 小鳥が見せるという《夢》の中でも、彼女には出会えなかった。
 2年、たった2年の差で、ほんの少し自分の目覚めが遅かっただけでまみえることの叶わなかった彼女との再会。
 不死者は生者ではない。
 当たり前のことだが、しかし、それは時にひどく苦しい現実を突きつける。
 どれほどの喪失にのたうち、どれほどの絶望に打ちのめされようと、心の底からの慟哭とともに流れるはずの涙がない。
 泣くことは、生者にのみ許された行為だ。
 だから、不死者たるブラックウッドはただ静かに微笑む。
 失われた時間で満ちた静謐に身を浸しながら、病みを湛えた鳥籠のいずこかで眠り続ける小鳥へ向けて。
「幸せを、感じても許されるだろうかね?」

 ちゅぴり。
 ちゅぴり、り、りりりりり……

 耳を打つ、それはかすかな小鳥のさえずりだ。ガラスのように澄んだ、透明な歌。透明すぎて儚い、遠い日の記憶のような旋律。
 そして。

 ――ルキウス……私は、幸せだったわ……あなたの愛を、いつも感じていたわ……

「――っ」
 いかなることが起ころうとも驚くことなどなくなった。
 なのに、今、ブラックウッドの止まったままの心臓は、凪いだ海のように穏やかであった心は、たしかに大きく揺さぶられた。
 耳元でささやく、それは彼女の声。
 かすかに頬に触れた、それは彼女の唇。
 空白の時を埋め、空白の時を飛び越えて、もたらされた奇跡の瞬間。
 返ってくるはずのない問いへの答えを乗せて。

 再び、小鳥のさえずりが満ちる。

 そうして気づけばブラックウッドは、あの銀のテーブルと銀の椅子だけが置かれた《鳥籠》ではなく、自身の館の書斎に座していた。
 まるですべてが夢であったと告げるように、それまで見ていたありとあらゆるものがブラックウッドの前から消え失せている。
 けれど、すべてが消えたわけではない。
 すべてが幻となったわけではない。
 視線の先、魔術書や歴史書が積まれた机の上に、小さな小さな青い卵がひとつ、そろりと横たわっていた。
 冬の月よりなお冴え冴えとしたソレは、よく見れば卵を模したターコイズであるらしい。
「……これを、私にくれるというのかね?」
 吸いつくように滑らかな石を覗き込めば、そこに《彼女》が宿した光、蒼穹の彩を見る。
「美しい贈り物だね……ありがとう……」
 こちらからの語りかけに応える声はもうない。
 それでも微笑み、礼を述べた時。
 どこか遠くで、あのガラス細工のように繊細で透明な小鳥のさえずりと彼女の笑う声とを聞いた気がした。



END

クリエイターコメント《鳥籠》の中にて語られるひとつ目の《夢》をお届けいたしました。
ずっと機会をお待ちくださっていたというお言葉がものすごく嬉しかったです。
《夢》の内容は、以前書かせていただいたエピソードと対を為せるよう、『視点≠主人公』にて設定させていただきました。
長老様、そして聖女が抱く相手への想い、見えないけれど確かに存在する愛を描写できていればと思います。
お待ち頂いていた分も含め、少しでもお気に召すモノとなっておりますように。

改めまして、小鳥が眠るこの鳥籠へとお立ち寄りくださり、ありがとうございました。
公開日時2009-04-18(土) 21:00
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