★ 【Sol lucet omnibus】アンフィニッシュド・テイルズ ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-8438 オファー日2009-06-27(土) 02:35
オファーPC ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
<ノベル>

 静かな別れの日々のあと。
 彼が去って、一ヶ月ほど経った。
 銀幕市はまだ、夢の余韻を残したまま、それでも『普通の日常』によって忙しなく営まれている。
 ――人々は、そして街のすべては、三年という時間を懐かしみいとおしみながらも、ゆっくりと夢から醒め始めている。
 旧橘侯爵邸もまた、夢から醒め現実を歩み始めたもののひとつだった。
 『黒木』の表札が外され、再び銀幕市の指定文化財に戻った瀟洒な建物は、魔法がかかる以前と同じく、誰でも訪れることの出来る街の財産のひとつだが、ここの三年間の住民たちが大層丁寧に使ったお陰で風格や味わいというものが増し、今後、ロケ地や観光スポットとして利用されることが決まっている。
 それが、自分がここを去ることを見越して、レヴィアタン戦が終わった辺りから、すでに屋敷を手放す手続き及び文化財に戻ったここが末永く人とともに在る手配をしていた主人の願いでもあったので。
 ここの主人やその使い魔、彼を愛し彼に愛された人々が憩った拾い庭園は、レストスペースとして提供されており、木陰と一時の安らぎとを、訪問者たちに与えてくれるだろう。
 更にその奥にある植物園には喫茶スペースが設けられている。
 探索に疲れた人々に、レストスペースで涼んだのち、ここで更にお茶を楽しんでもらおうという趣向であるらしい。
 思い出を懐かしんでこの邸宅を訪れる人々に共感の笑顔を向けながら、喫茶スペースで忙しく立ち働く美しい女性は、喫茶部を取り仕切るスタッフ長だが、黒木邸の主人の『協力者』でもあったとかで、この場所に対する思い入れは並ではないのだそうだ。
 主人が書庫に残した、数万冊にも及ぶ膨大な蔵書は、『黒木文庫』と銘打たれ、私設図書館として整備され無料開放されており、訪れる人々の知識欲を満たしてくれる。
 思わず地震の心配をしてしまうほどみっしりと本が詰め込まれた重厚な書庫の入口には、万年筆の流麗な筆跡で、「知識と智慧を愛し、また書を愛するすべての者たちへ」という書き出しの、来館者へのメッセージが額装されている。

 ――何もかもが、深く貴い思い出を孕みながらも、魔法がかかる以前の通りの日々の中へと戻って行く。
 ゆっくりと、しかし確実に。
 人々は魔法を懐かしみ、去った人々を惜しみいとおしみつつ、今を愛し懸命に未来を創っている。
 街はすぐに、あの活気と賑わいを取り戻すだろう。
 悼みも哀しみも寂しさも、いつしか緩やかな慈しみに変わって行くだろう。
 だからこそ人間は、したたかに生きていくことが出来るのだろう。



 ――ところで。
 書庫の中には、コピー機が置いてある。
 資料をコピーするためにと提供されている、丁寧に使い込まれた風情のあるそのコピー機が、実は、少し前まで18禁コピー本製作のためにフル稼働していた事実を知るものは、少ない。
 どこかに消し忘れたクレヨンの落書きが、ひしゃげたメガネが、湿った墓土の匂いが、ひっそりと残っていることも。
 ――彼らは確かに、ここにいた。
 ここにいて、生きて、笑って、愛して、自分の心に従って走り抜けた。
 彼女はそれを知っている。
 この黒木邸で、三年間に渡ってたくさんのものを見てきた彼女には、彼が――彼の愛した人々が銀幕市を去っても、凹んでいる暇はない。
「最近どう?」
 それでも、彼女が、同じ黒木邸でメイドをしていた黒髪の少女にそう尋ねたのは、同じ場所で同じ時間を共有した同胞と、思いを分かち合いたかったから……なのだろう。
「もう……一ヶ月も経ったのよね」
 買出しに出た先で、偶然出会ったのだ。
「ええ……不思議な感覚ね」
 夢が終わってから、何となく疎遠になっていた一ヶ月を感じさせぬいつもの調子で、黒髪の娘はクールに答えた。
「寂しいけど……寂しがる必要はないって、あの人も言ってたし。私、あんまり悲観はしないことにしているの」
「うん」
 目を細めた元同僚が言い、彼女はかすかに笑って頷いた。
「それに、まだ、終わったわけじゃないでしょ」
「……そうかしら」
「うん。あたしたちの世界でも、ブラックウッドさんの世界でも、物語はまだ続いてる、って信じてるから」
 彼女が笑うと、黒髪の娘は、クールな唇にほんのわずか笑みを載せ、小さく頷いた。
「そうね、そういう考えは、素敵だわ」
「でしょ」
「……それに、あんたには、まだ蛍光ピンクの妄想ワールドが残されてるし」
「アウチ! 事実だけに何も申し上げられません!」
 大袈裟に仰け反りつつ、彼女は笑っている。
 黒髪の同僚も、鉄面皮の彼女には珍しく、楽しそうに笑った。
 ――そう、彼女の世界はまだ終わっていない。
 夏コミに出す本の締め切りは間近に迫っているのだから。
 ジャンルはもちろん、映画『Blue Blood』。
 メインカップリングは、当然ながら黒木攻だ。
 掛け算の右側には、『Blue Blood』の登場人物もいれば、この銀幕市で彼が出会ったあの人やこの人もいる。擬人化ももちろんアリだし、触手ネタならどんぶり飯三杯は軽くイケる。
 寂しがって泣いてはいられない。
 泣いたら、大事な原稿を汚してしまう。
 締め切りまで間がないこの忙しい時期にリテイクは勘弁だ。
 ――だから、泣かない。
「後日談とか描きたいんだよね」
「後日談?」
「そう。ブラックウッドさんが、元の世界に帰ってから……みたいな話」
「スターは消えた、じゃなくて?」
「うん、その方が、なんか……ホッとするし、続きがあるじゃない。だから、あたしはそう信じるんだ」
「ああ……あんたらしいわ、それ」
 黒髪の同僚の、どこかしみじみとした言葉に笑い、彼女は手を振って別れた。
 あの、優雅で穏やかな、腹黒で冷酷な、どうしようもなく魅力的な魔性の美壮年は、今頃どうしているのだろうか。
 そんな妄想で脳内を薔薇色に――当然一部は蛍光色だ――しながら、彼女は帰途を急ぐ。

 * * * * *

「……おはよう」
 目が醒めると、《城(ルーク)》アウグストが覗き込んでいた。
 訊けば、三日ほど眠っていたという。
「ずいぶんよく眠っていたな。あなたには、めずらしいことだ」
 不思議そうなアウグストに微笑みかけ、ブラックウッドは居心地のいい長椅子からゆっくりと身体を起こした。
「長い……夢を見ていたよ」
 ブラックウッドがそう言うと、彼は怪訝そうな顔をした。
 不死者の眠りに夢はない。
 夢を見るとするなら、外部から霊的な働きかけがあった時のみ。
「……一体誰からの……?」
 吸血鬼に、しかも長きを生きた『長老』に夢を見せるなど一体、というニュアンスを含んだアウグストの物言いに、ブラックウッドはどう答えるべきか思案して、左手を頤に添え――……そして、中指に輝く、太陽の石を見た。
「その指輪……いつの間に?」
「ああ……そうだねぇ、どこから、どう説明しようか……?」
 細部まで鮮明に思い出せる、あまりにも彩り豊かな愛しい夢の日々。
 否――夢ではない。
 左手中指で輝く、インペリアル・トパーズを抱く蛇をモチーフにしたアンティークの指輪が、彼に、あの夢が真実であったことを教えてくれる。
「君も今頃、同じことを感じているのかな」
 くす、と笑って、トパーズに口づけた。
 漆黒の青年の、はにかんだような笑みが脳裏を過ぎり、愛しさが溢れる。
 彼もまた、銀時計を手に、同じような仕草をしているのかと、同じような気持ちでいるのかと思うと、それだけで、満たされる。
「……ルキウス?」
 不思議そうなアウグストの眼差し。
 ブラックウッドはかすかに笑い、頷いた。
「ああ、説明するよ、今。とても長い物語になると思うけれどね」
 時間ならばある。
 そしてあの日々は、時間をかけて語るに相応しい。
 ――さて、旧き友を前に、千一夜の物語をどこから話そうか。
 胸中に呟いて、ブラックウッドはひっそりと……穏やかに、微笑んだ。

クリエイターコメントオファー、どうもありがとうございました。
銀幕市での思い出を描くプラノベ群【Sol lucet omnibus】をお届けいたします。

夢が醒め、夢の住人たちが去ってからの物語、ということで、平和で静かで淡々としつつ、失われたものへの哀惜を滲ませつつも、確実に前を見据えて歩く人々の現在を書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。

夢が醒めても夢や未来を失うことのない『彼女』らの、過去を想う気持ちと未来を見つめる眼差し、その双方を描けていれば幸いです。


なお、ラストシーンのあれが、真実なのか、それとも『彼女』の新刊のワンシーンなのかは、読者様のご想像にお任せする、ということで。


それでは、オファー、どうもありがとうございました。
もうあとわずかな期間ではありますが、またご縁がありましたら、是非に。
公開日時2009-06-27(土) 20:50
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