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ACT.0★峠の我が家
それは、銀幕市上空にマスティマが現れる前の、物語。
銀幕ベイサイドホテルの見慣れた威容がベイエリアに溶け込み、ひとつの風景をなし、大女優や富豪令嬢が高層階のスイートルームを定宿としており――
ACT.1★ロシア大富豪令嬢の『家出』
別にムービーハザードに見舞われなくとも、ただでさえ季節変動や景気動向の影響を強く受けるホテル業界は、未曾有の不況の中、軒並み大打撃の模様である。
しかしこのご時勢においてさえ、銀幕ベイサイドホテルの人事は、新規採用や中途採用を控えるということをしなかった。新しい視点が新たなサービスを生み、未来への礎を築くという観点から――というのはまあ、嘘ではないが表向きで、実は決算書の数字が良好だったからである。多くの一流ホテルは株式公開をしておらず、ベイサイドホテルもその例にもれない。従って経営事情はあまりオープンにはなされないのだが、それでもわかる人にはわかるものだ。
かくしてエントリーシートは殺到し、実質倍率は300倍とも500倍とも言われ、山積みの履歴書に人事課長が確認のチェックを入れるだけで指を痛めた、などの伝説が飛び交った。
そんな困難を勝ち抜いて入社した新人ホテルマンを待っているのは、3ヵ月から半年に至る研修である。ハウスキーパーやレストランでの接客、ベルパーソンなどの仕事を行いながら基本的なホテルのサービスを学び、各職種へと配属になるのだ。
研修中の新人Aくんは、プレジデンシャルスイートの長期宿泊客向けサービスを担当することになった。それも、ロシアの大富豪リゲイル・ジブリールお嬢様専用のルームサービス要員である。
ホテルマンに求められる素養は、人から好印象を持たれる笑顔と物腰であるそうだ。熱意だけが空回りして筆記試験が散々だったAくんは、しかし面接試験時にその素晴らしい笑顔で支配人の高評価を得、いきなり、上客中の上客をまかされた。ある意味エリートコースに乗ったと言えよう。
Aくん、それはそれは張り切って日々の業務に勤しんでいたのだが。
試練は突然、訪れた。
朝のルームサービスの食器をいつものように回収しようとしたAくんは、テーブルの上にとんでもないものを発見したのである。
それは、かわいらしい花模様の便箋に記された伝言……。
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しばらく旅に出ます。探さないでください。
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リゲイル・ジブリール
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「…………!」
Aくんは、しばし硬直した。
まさか……!
………これは書き置き。
……………つまり、いわゆるひとつの家出………!!!
当然ながら、リゲイルお嬢様のお姿は見あたらない。
慌ててフロントに確認したところ、普通に外出なさっており、いつもと変わらぬご様子だったと言うが……。
(……もしや新人の私に何かご不満が……。いや私の評価などどうでもいい。何といってもリゲイル様はまだ10代の多感な女の子じゃないか。周りの大人が気をつけて差し上げなくてどうするんだ……!)
「リゲイルさんが家出なさった……?」
「はい、そうなんです支配人! お部屋に書き置きが残ってました」
便箋を渡された支配人が文面を追っている間も、Aくんは額に手を当て天井を仰ぎ、おろおろしていた。
「どうしましょう? リゲイル様が銀幕市にお知り合いが多くいらっしゃるのは存じてますし、無事にどなたかと合流できるのであればそれに越したことはないのですが……。あのとおり人目を惹く綺麗な少女が無防備にひとりで街を歩くなんて、私はもう心配でいてもたってもいられませんっ」
「落ち着きたまえAくん。リゲイルさんは大丈夫だ。……ときに君は、ロシア語ができるかね?」
「いえ、面接でも申し上げましたが全然。只今勉強中です」
「……そうだった。なら見落とすのも無理はないが……。これに気づかなかったようだな」
支配人の指さす先、「探さないでください」と書かれたすぐ下にもう1行、細かな走り書きがなされていた。
ロシア語で書かれたそれは、意訳するなら「気が済んだら戻るから心配しないでね♪」であった。
「……あ」
支配人は便箋をたたみ、Aくんを見る。
「サービスの本質はマニュアルを越えたところに存在する。お客様の個性は十人十色で、求められるサービスもおひとりおひとり違ってくる。ご満足いただけるサービスを提供するのはとても難しいことだが、それこそがホテルマンのやりがいでもあるのだ」
「……申し訳ありません、私はどうすれば……」
「君はそのままでいい。心配性の過保護な兄のようにリゲイルさんの行方をひたすら案じている君は、すでにホスピタリティとは何であるかをわかっている。……そうか、リゲイルさんはとうとう『家出』をなさったか。このホテルを『家』のように思ってくださっているのだな、うんうん」
「あの、支配人?」
「そういえば今朝の連続テレビドラマで、旧家でなに不自由なく育った少女が『家にばかり頼って甘えてはいられない。自立しなくては』と、家族の庇護から旅立つさまが描写されていたが、おそらくあれをごらんになって感化されたのだろう。なんていじらしい」
娘の成長を喜ぶ父みたく目頭押さえてる支配人のほうを、むしろAくん、心配しかけたが。
「……とはいえ、大富豪のご令嬢のひとり歩きが無防備に過ぎるというのは、同意見だ」
「では、警察に協力願いを?」
「いや、そこまで大ごとにはしたくない。だが――そうだな、銀幕署の流鏑馬明日刑事になら」
言って支配人は手帳を取り出し、明日の携帯ナンバーをプッシュする。
「えっ? 支配人、流鏑馬刑事の携帯番号、ご存じなんですか? ああああの、後で私にも教えていただければあのその、そうそう業務上必要なときもあろうかと思いましていえ決して前々からものすごく憧れていてお近づきになりたいとか思っていたわけではありませんから……!」
「もしもし、流鏑馬明日刑事でいらっしゃいますか? 私、銀幕ベイサイドホテルの……、はい、そうです、いつもお世話になっております。実は当ホテルにご滞在くださっているリゲイル・ジブリール様が――」
とりあえず支配人は、新人ホテルマンの純情を華麗にスルーすることにした。
ACT.2★乙女たちの恋バナ、そして衝撃の……!?
ベイサイドホテルの支配人から連絡を受けた明日は、リゲイルを保護するため、銀幕ふれあい通り商店街に向かった。
なぜふれあい通りにお嬢様探索のポイントを定めたかというと、そこは刑事の勘というか……、ある女子高生――リゲイルと仲良しで、明日の《恋の相談相手》でもある彼女と放課後に待ち合わせて遊びにいったことを、それは楽しげに聞かせてもらったことがあったからだ。
――案の定。
リゲイルはあっさり見つかった。
スーパーまるぎんの近くに屋台のクレープ屋が出ていて、その前にいたのだ。
【神々のパティシエ、ローエングリンの店 〜108種類のクレープをどうぞ】というポップな書体の看板を、明日は初めて見る。が、リゲイルは、クレープ屋の店主ローエングリンとおぼしき、シルクハットにタキシード、黒いマントに身を包んだ金髪碧眼の青年と打ち解けた会話をしている。どうやらふたりは知己であるらしかった。
「こんにちはー。ローエングリンさん。白桃とバナナのチョコがけアイスクレープください!」
「おお? これはこれはリゲイルお嬢さん。今日はおひとりですか? ホテルのレストラン以外の場所でお会いするのは久方ぶりですね」
「今ね、家出中なの」
「それは奇遇だ! 人生には寄り道も必要です。実は私も、ホテルの厨房の洗練された手順に少々疲れて息抜き中なんですよ。たまには青空の下でクレープを売りませんとね。はいどうぞ、美少女限定大サービス料金、消費税込みで570円です」
「じゃあ1万円で。おつりいりませんー」
「嗚呼! それはいけませんよお嬢さん。さ、9430円のお返しになります。私がおつりを間違えてないかどうか、10円単位でしっかり数えてください」
(リガ……)
遠巻きに様子を見ていた明日は、しばらく声を掛けずにいた。
……感動したのだ。
(リガが……。現金を持ち歩いているわ……。普通の女の子みたいにクレープ屋さんで買い食いなんかして……。1万円札出しておつりももらって、偉いわ……。家出するだけあって、ひとつ大人になったのね)
何だか明日たん、過保護な姉モード。
ここに桑島さんがいたら、おいおいおいメイヒ、突っ込みどころはそこじゃねぇだろうが、もっといろいろ、さあさあここに突っ込め! って大盤振る舞いしてるってのになぜそんな凝った角度をピンポイントで狙うかなあ、うがあああああー! とか何とか言ったはずだが、残念ながら桑島パパ、ここんとこ大挙して押し寄せているヴィランズさんのお相手に手一杯で、同行してないのであった。
「……おや? あちらにも美少女がひとり、いらっしゃるようですね」
街路樹の陰から見守っているクールビューティーに、ローエングリンは気づく。
「あっ! ほんとだ。明日さーん!」
そしてリゲイルは、思わぬ邂逅に大喜びで手を振り、駆け寄ってきたのである。
結局、リゲイルに腕を引かれるままに、明日もクレープをおごってもらった。
ご注文は? と聞かれ、思わず「苺のチーズタルト味」と言ったらさすが108種類のラインナップを誇るだけあり、あっさり出てきて吃驚だったが。
焼きたてを渡す際に、ローエングリンは「おまけ」をつけた。
シルクのリボンで結ばれた半透明の袋の中には、一輪の薔薇を象った何かが入っている。
「思わぬ邂逅の記念に、これを差し上げましょう。とある妖精のムービースターが作った入浴剤です。Double Delight(ダブル・デライト:二重の喜び)という、紅白の花びらを持つ薔薇を素材にしておりましてね。1枚1枚花びらをちぎって、湯船に浮かべてみてください。細やかな泡と、フルーツシャーベットのような甘い香りが楽しめるかと思います」
――おふたりがお互いの理解を深め、一層、良い友人となれますように。
そのときローエングリンは、かなり意味深なことを言ったのだが、少女たちがそれに気づくのはもうしばらく先のことになる。
クレープを食べた後は、プリクラを一緒に撮ったり、カフェでお茶をしたりなどして――
家出少女と刑事というより、偶然街で出会った友人同士のひとときを過ごすうちに日は落ちたのだった。
★ ★ ★
「わたし、今夜は『家』に帰りたくないの」
目をうるうるさせ、鋭意家出続行中のリゲイルお嬢様は仰る。
「じゃあ、ウチに泊まる?」
とうにそのつもりだった明日は、あっさりそう言った。
「パジャマも、用意してあるし……」
それは本当だった。実はリゲイルを迎えに行く前に、ニコニコデパートで購入していたのだ。
シャーリングをたっぷり寄せた胸元にチェリーのような真っ赤なポンポンがついていて、肌触りの良い生地にみずみずしいフルーツ柄がプリントされた――自分ではあまり着ないタイプの、とても可愛らしいデザインのパジャマを。
「えっ? いいの? ホント? ホントに? うれしい。ばんざーーーい!」
リゲイルの喜びようといったらなかった。
向かう途中では「うれしい」と「ばんざーい」を繰り返し、明日の部屋に着いたら着いたで、慎ましい暮らしぶりを「あったかい感じのお部屋。落ち着くね」と評し、パジャマを見せられて、また「うれしい」と「ばんざーい」を繰り返して。
明日は明日で、愛用の『きみょかわ柄&星柄パジャマ』に着替え、お泊まり会(?)の準備は万端である。
バッキーの銀ちゃんとパルは、テーブルの上に広げてある銀幕ジャーナルのページを、その前脚でめくろうとして大苦戦し、二匹揃ってテーブルから雑誌ごとぽてっと落ちたりなどしている。
その様子を見、ひとしきり笑い合いながら、少女たちは他愛もないおしゃべりを――
――そう、他愛もないおしゃべりを、楽しんだ。
日々、さまざまな出来事に遭遇するけれど。
ときには心を引きちぎられるような思いもするけれど。
それでも、いや……、だからこそ。
「ねえねえ。ドクターとデートしたんだよね?」
「い、一緒に映画に行っただけ……よ?」
「あ、顔赤くなった」
「リガこそ、その、えっと、綺麗ね、プレゼントでしょ? 蓮とアメジストのペンダント」
「うふふ。いつもつけてるんだー。明日さんだってほら、携帯の、その素敵なストラップ」
「これは」
「見せて。ねっ?」
「い、いいわよ」
「わあ。バラの指輪のチャームだぁ」
……再び。もし、ここに桑島さんがいたら。
いや、乙女のお泊まり会は男子禁制。おじさんが呼ばれるはずないんだけど。
もし、いたら。
うがああああーーー! あの天然タラシがぁぁぁ!!!
バラの指輪のチャームがついた携帯ストラップだとぉ? そんな小じゃれたもんメイヒに渡しやがって許さんーーー!
てなことをジェラシーいっぱいに叫ぶはずだが、幻想の桑島さんの声が乙女たちに届くはずもなく夜は更けて。
「お風呂沸いたから、お先にどうぞ」
「えー? 一緒に入ろうよ」
「そう……? でも、うちのお風呂の湯船、狭いわよ……」
リゲイルの無邪気な提案に、明日は小首を傾げる。
プレジデンシャルスイートのバスルームならば、女子ふたりが同時に入ってもゆったりしたバスタイムが過ごせよう。しかしながらここは、一公務員の月給でまかなえる範囲の賃貸住宅であって。
「平気平気。背中流しっこしようね。決まりー!」
明日の手首を引っ張ってバスルームに向かったリゲイルは、そのささやかなスペースに歓声を上げる。
「うわぁ、かわいいお風呂」
「………ありがとう……?」
たぶんほめられたのだろうと解釈し、明日はふと思い出す。
「そう言えば、ローエングリンさんからもらった入浴剤……」
「使ってみようよ」
「そうね。せっかくだし」
かくして、妖精の作った薔薇は、乙女たちの手で花吹雪となり、浴槽に浮かんでは溶けていく。
驚くほどきめ細かな泡と、酩酊感さえもたらしそうな、甘くフルーティーな香りが満ちる。
「いい匂い……」
「わ? 何だかいきなりお肌すべすべ」
「リガはスリムで羨ましいわね」
「明日さんだって、スタイルいいよぅ」
そして少女たちは、はしゃぎながら、楽しいバスタイムを過ごしたのだった。
★ ★ ★
時間が経つのは早い。
髪を乾かし、お肌の手入れも済ませると、すでに深夜もいいところだった。リゲイルは疲れているだろうしそろそろ休ませなければと、明日は、布団を二組、並べて敷く。
こうして誰かと一緒に眠るのは、祖母が遊びにきたとき以来だと思いながら。
窓の外は春の嵐。神経が高揚して、明日は寝返りを打つ。
「……明日さん。起きてる?」
「ええ。リガも?」
「うん。何だか楽しくて、眠るの勿体なくて」
「眠くなるまで、お話しましょうか?」
「わーい。じゃあね、明日さんの恋バナの続き!」
「恋バナ……」
「それで、ドクターにはもう告白したの?」
「……/////(絶句して布団の中で真っ赤)」
「明日さん?」
「……あ、あら……。どうしたのかしら……。急に眠く……」
「あー! ずるーい!」
なんだかんだで健康な乙女たちは、ほどなくふたりとも、すうすうと寝息を立て始め……。
★ ★ ★
そして、次の朝。
布団から身を起こすなり、ふたりは同時に、我が身の変化に気づく。
異変が、それも唐突な異変が、訪れたのだ。
明日は、前髪の鮮やかな赤に目を見張る。見下ろせばフルーツ柄の可愛らしいパジャマ。袖口からのぞく、華奢な、日本人ではあり得ない白さの手首。
リゲイルがふと手ですいた黒髪は、しなやかに流れる絹のような感触。すっきり伸びた腕と足を包んでいるのは、きみょかわ柄のパジャマで……。
「リガ……」
「明日さん……」
目の前で、驚きの表情を見せているのは、まぎれもなく自分だ。
と、すると。
「あたしたち」
「入れ替わっちゃったーー!?」
ACT.3★刑事とお嬢様の非日常
何というトンデモ事態。
これが銀幕市以外に住む、世間一般の女の子であれば、もっと悩んだり狼狽えたりしていたことだろう。
しかし、明日もリゲイルも、神からバッキーを与えられたくらいには選ばれた存在である。しかもそれぞれ、過酷な事件を乗り越えてきた身であり、度胸もついている。
で。
入れ替わったメイヒたんとリガたんがどうしたかと言うと。
ひとまずは、身体が属しているほうの日常に戻ることにしたのだ。
原因の究明と、元に戻る方法の模索は、その中で行うことに決めたのである。
――もっとも。
明日は、困惑しつつ。
リゲイルは驚いてはいたが嬉しそうに、という違いはあったにせよ。
★ ★ ★
流鏑馬明日刑事は、銀幕署に元気に出勤した。
……元気すぎるくらいに。
「おはようございます、桑島さん! 今日も頑張ろうね!」
「……おう。やる気満々だな」
「もっちろん。だって警察は正義の味方でしょ? 戦隊だったらレッドだよね!」
「レッドって……? メイヒ、おまえ」
「あー、でも、特撮映画の世界にも警察はあるんだっけ。でもいいの。とにかく銀幕市の公式レッドは銀幕署だもんね」
「公式レッド……」
当然ながら桑島平刑事は、相棒の中の人が違っちゃってるとは夢にも思わない。
むう、と、腕を組み、考え込む。
(……いつものメイヒと違うぞ。何かあったのか……? 自分を押さえて無理してる感じがする。……精神的ストレスがたまってるとか? しんどい仕事が続いてて過労気味なのかも知れんなァ。それに、……そうだドクターD。あいつも原因かも知れん。なんてこった)
「どうしたの、桑島さん?」
「……おまえ、疲れてるんじゃないのか」
「そんなことないよ」
「しばらく休め。そうだ、その方がいい。課長には俺から言っておく。今日はもう帰れ」
「え〜〜? こんなに元気なのに」
「帰らないのならそこの椅子に座ってろ。昼飯は俺がおごってやる。奮発して九十九軒の【大満足セット】でどうだ?」
「……九十九軒! すごい、九十九軒のラーメンをルームサービスしてもらえるの?」
「ルームサービスってなんだそりゃ。普通に出前だ出前」
「遠くまで届けてくれるルームサービスを出前っていうのね? 桑島さんて物知りね。ね、パル?」
「お? おう……?」
桑島パパ、またも首を捻る。
ヒップバックから顔を覗かせたパルだけが、心得顔でこっくり頷いた。
★ ★ ★
一方。
中の人が明日になってるリゲイルお嬢様は、涙目のAくんにより出迎えられた。
「あの、ただいま。あたし……、いえ、わたし」
「何も仰らないでください。こうして無事なお姿を拝見できさえすれば、私どもは満足なのですから。……家出の首尾は如何でございましたか?」
「楽しかった……わ」
「それはようこざいました。そういえば少し、大人っぽくなられたような……」
なんとなくまぶしげなAくんの視線に、明日はうろたえる。
「そ、そんなことないわよ……。わたし別に変わってないわ。今日はちょっとその疲れ、そう、疲れてるだけだと思うの」
その腕に抱かれている銀ちゃんも、そうそう、そうだよね、と、ばかりに前脚を上げ、お嬢様の肩をぽんぽん叩く。
「これは……! 気が利きませんで。どうぞごゆっくりお休みください」
少し名残惜しそうに、それでも一礼をしてAくんは去ったが、すぐに戻ってきた。彼はまだサービスをまっとうしていないことに気づいたのである。
「お留守の間に、聖ユダ教会の神父様よりお届けものがありました。さる大女優のオーダーで作った特製ラベンダーティーですが、多めに出来てしまったので、失礼でなければおためしくださいとのことでした」
小さな包みをテーブルに置き、Aくんは今度こそ退出する。
何か御用がございましたら、いつでもお申し付けください、と、言い置いて。
(ご要望があれば、ラベンダーティーを入れて差し上げたいが……。おひとりでゆっくりなさりたいだろうし)
そんな心の呟きが、聞こえたわけではなかった。
しかしその背を、明日は呼び止める。
「……あの。いただいたお茶を今、飲んでみたいのだけど。入れてくれるかしら……?」
「もちろんです! 神父様は、ラベンダーティーは癖が強いので、甘味付けに蜂蜜を少し入れるといいかも知れないと仰っていましたが、そうなさいますか?」
「そうね……。じゃあ、それで」
「はい! ではアカシアの蜂蜜をご用意します」
新人ホテルマンは溌剌とした笑顔で、ティーサーブに取り掛かった。
蜂蜜が入ったラベンダーティーは、薄い紫からピンク色に変わり、部屋を優しい香りで満たす。
ACT.4★ドクターDの推理
リゲイルは、元気いっぱい流鏑馬明日として銀幕署に待機し、明日は、ちょっと大人びたリゲイルお嬢様として、クローゼットの可愛らしい洋服を着たり買い物をしたりなどして、どきどきしながら時を過ごしていたが。
思いも寄らぬことに、明日の携帯が、鳴った。
ストラップ付きのほう――すなわちドクターD専用携帯が。
出たのはもちろん、リゲイルである。
「はいっ! お電話ありがとうございます。流鏑馬明日ですっ!」
「……まぎれもなく明日の声ですが、あなたは明日ではありませんね?」
「ええっ? どうしてわかるんですかっ?」
「響きの違い、とでも言いましょうか。……リゲイル・ジブリールさん?」
「当たりです。すごーい! どうやって推理したんですか?」
「推理というほどのものでは……。明日と親しくしている、おそらくは10代の少女というカテゴリから、該当しそうなかたを挙げてみただけですよ」
「あのー。わたしたち、入れ替わっちゃったんです」
「そのようですね。先ほど、桑島刑事から連絡をいただきました」
「桑島さん、気づいてたの? わたし完璧に明日さんの演技してたのにっ?」
「いいえ。桑島刑事のご用件は『明日がストレス続きで精神的にまいってるようだから何とかしろ。おまえに頼むのは心外だが、そのための精神科医だろう』ということでした」
「……そっか……。わたしね、最初、明日さんに『ドクターに連絡すれば?』って言ったのね。きっと力になってくれるからって。でも明日さん、ドクターは忙しいし迷惑かけたくないって、だからこの携帯もわたしが持ってて……」
「明日に、伝えていただけませんか? 『プロスケニオン』でお待ちしていますと」
「プロスケニオン?」
「そう仰ってくださればわかります。中央病院近くにあるカフェで、明日のお祖母さまがいらしたとき、ご案内したことがありますので」
★ ★ ★
店の構成を劇場に見立てたカフェの一角、精神科医は静かに座っていた。
照明を落とした店内で、そこだけが、ほのかにスポットライトを浴びているように見える。
どくんと跳ねる心臓を、明日は押さえた。
この身体はリゲイルのもの。それなのに動悸は鳴りやまない。
ほとんど同時に訪れた少女ふたりに自分の前の席を指し示し、ドクターDは美しい指をテーブルの上で組む。
「まず、これは本来、ありえないことだと認識ください」
「ありえないこと……」
明日は精神科医を見る。
いつもと変わりない、その姿。しかし、そこに自然にいる彼もまた、ありえない存在ではなかったか。
「記憶は脳に刻まれます。脳は身体の一部です。つまり、記憶と身体は分かつことが不可能なのです。ですから、明日とリゲイルさんの記憶が、そして人格も、身体を違えることはありえません」
「たしかにそうね。……でも」
「うん。……だけど銀幕市だから、こういうことも起きるんじゃないの?」
「仰るとおり、魔法が掛かる前の銀幕市であれば、おふたりが入れ替わることはなかったでしょう。本来ならありえない事象――ですがフィクションにおいては別ですので」
「じゃあ、こうなった原因は……」
「ムービーハザード? それとも」
「おふたりには心当たりがあるはずですよ。ごく最近、ムービースターから何かを――たぶん特殊効果のあるアイテムだと思うのですが――貰いませんでしたか? そのかたはおふたりが一緒にいる様子を見て、お節介なことをお考えになったのではと……」
「あ」
「あ」
明日とリゲイルは、顔を見合わせる。
「「Double Delightの、入浴剤……!」」
★ ★ ★
(おふたりがお互いの理解を深め、一層、良い友人となれますように。ローエングリンさんは、そう仰ったのですね? ならば、そのとおりなのでしょう)
――おふたりが、お互いへの理解を深めたと思った瞬間に、元に戻ると思いますよ。
ドクターDの言葉は正しかった。
その直後、銀幕署内で拘束していたヴィランズが、桑島刑事を人質に立てこもるという事件が発生したのだ。
駆けつけた明日は勝手知ったる裏口から侵入し――ヴィランズと格闘した。
ただ、身体が人さまの借りものなので、少々苦戦することになったが――
「気にしないで明日さん。わたし、少しの怪我ぐらい平気。いつもどおりにやっちゃっていいから! だって、銀幕署の刑事さんは公式レッドなんだよ!」
後を追ってきたリゲイルの声援により、体勢を持ち直したのだった。
隙を見て人質としての拘束から逃れた桑島刑事と、絶妙のコンビネーションでヴィランズを取り押さえる。
「おっ、お嬢ちゃん。いい動きじじゃねぇか。メイヒと同等のカポエラ習得してる女の子、初めてだぞ」
嬉しそうにいう桑島パパは、結局、何も気づいていない。
★ ★ ★
そして、ふたりの少女の記憶と人格は、元の身体へと帰還した。
★ ★ ★
ストラップを、明日は見つめる。
本当は――
リゲイルの姿で、ドクターに何も知らせぬまま、会いに行くことも考えたのだ。
明日ではなく、その友人としてなら聞けるかもしれないと思ったから。
――「明日ちゃんの事好き?」と。
聞かなくてよかったと、今は思う。
自分自身の姿で、まっすぐに向かい合うことにしよう。
いつか必ず、その機会は訪れるだろうから。
――Fin.
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クリエイターコメント | 大変お待たせいたしましたーーっ!!! この度は、乙女たちの胸キュン入れ替わりオファーをいただき、まことにありがとうございます。 てゆうかメイヒたんもリガたんもさぁ、あなたがた共闘して記録者を萌やし殺す気じゃねぇ? 一撃必殺だったぞなもし。 憧れの流鏑馬刑事にお茶入れてたとは気づかぬまま、Aくんはもしかしたら研修が明けてもリゲイルさま専用スタッフになるかも知れません。今後とも、びしばし試練に晒してくださればさいわい。
【コメント追記】 と、ここまで書き終えてから、集合ノベルを拝読しました。 銀幕ベイサイドホテルがーーー! (ということで急遽、当初の予定にはなかったACT.0を加えさせていただいた次第です。なくとも時系列的に全然問題はないのですけど、記録者の気持ちといいますか) 現時点では被害状況はまだわからないようですが、ホテルスタッフの人的被害が少ないことを祈るばかりです。 建物は、再建できますものね。ホテルのスピリッツを伝えていくのは、ひとなのだと思います。 |
公開日時 | 2009-05-29(金) 23:50 |
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