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<ノベル>
知ってるのよ
あなたがここにいるのは
わたしのためじゃない
あなたのため あなた自身のためだって
知ってるの よ
「ユモリカナデ?」
声を掛けられ、少女は振り返る。腰まで編まれた二房の三つ編みが蛇のようにうねくった。
少女の灰色の瞳には、人当たりの良さそうな好青年が映った。見たこともない知らない青年に軽く小首を傾げれば、青年は慌てたように笑顔を繕う。
「俺、あんたの大ファンなんだ。実体化してたんだ」
ファン。
そう言われて、少女は目を眇めた。
振り上げていた手を下ろして、手に掴んでいたそれを放った。小さな呻きと共に、ごつ、とこぶし大の石がアスファルトとぶつかる音。
湯森奏。
それは少女の名前である。
少女は丁度、下卑た笑みで声を掛けてきた男二人に「お仕置き中」であった。その背中に掛けられた声。奏は急速に興味を失ったように、路地を抜けて青年の脇を通り抜けた。
「あ、ちょっと……」
青年の声にも振り返らず、奏は賑やかな町へと繰り出した。
特別な目的はない。
強いて言うならば、どこかに面白いことが無いかを探している。
銀幕市に実体化して、どれだけが経ったろう。
しかし、それすらも奏には意味もない事であった。
魔法のことを聞いたが、特別な驚きもない。
いつもと、同じ。
むなしさが心の中で疼き、復讐の為に振り上げられる腕。
この街も、同じ。
奏が探す面白いこと、それはもめ事のような、醜い姿だ。
他人が他人に向ける悪意。
それは、どこであろうが同じだ。
「足音、足音、おんなじ早さで足音足音」
黄昏時の中を、奏はいつもの寝床へと戻ってきた。本日の散策は、下卑た男二人の「お仕置き」で終わった。不満のまま段ボール新聞紙を捲る。
「いつまで? いつまで付いてくるの」
言いながら、振り返った。そこには、変わらず微笑む青年。
「言っただろ、俺あんたの大ファンなんだって」
「ファン? ファンだって、あは。ファンだから? それからねぇ、どうしたいの?」
青年は視線を空へ投げた。奏は金切り声を上げる。
「わたしの事可哀相だとか、自分が寂しいから紛らわすために付いてきてるの知ってるよ!」
手近に落ちていた石を投げつけて、奏は布団に潜り込む。
目が覚めて、そこにはやっぱり青年が居た。
「あ、目が覚めた? お腹空いてるんじゃないかと思って」
青年はコンビニ袋を差し出した。
「心配したの?」
「うん」
にこやかに頷く青年に、奏はふっと真顔になる。
「心配、ホントは、してないくせに。心配なんかホントはしてないくせに、心配してるふりしないで。お腹空いてないよ。ホントは心配したくないくせに、してない、してないくせに、きゃはは、あは、ふふふ」
段ボール新聞紙の布団をはね除けて、奏は街へと繰り出した。
後ろからは足音、足音。
お仕置き中も、お仕置き中も、足音足音足音足音。
「心配してなくても、心配するふりする人はいっぱいいるんだよ。あなたもそう、あは、わかってるよ。ねえ、それとも「お仕置き」されたい? きゃは、あはは」
青年は微笑みながら、ついてくる。
それがどれだけ続いたろう。
奏はそれを見た。
その日は青年がついてくるようになってから初めて、青年の姿がなかった。
足取りも軽やかに街をふらついていた。
面白いこと、ないかしら?
醜いやり取り、ないかしら?
そうしてふっと顔を上げた時。
何かが見えた。
そこは、大通りを外れた所にある、今はもう使われていないビルの上。
追い詰める人。
追い詰められる人。
あれは。
「あ」
灰色の瞳の中で、それは引っかかり。
引っかかっているそれを、その人はただ見下ろしている。
それは。
それは、どこかで。
引っかかっているそれは、やがて剥がれ。
ゆっくりゆっくり、落ちてきた。
落ちて、落ちて。
奏の足下で、血肉をはね散らかした。
灰色の瞳に、見下ろす顔が映る。
それは驚いたような、顔をして。
それは。
それは、あの。
「ああーあ」
うっすらとその口元に笑みが浮かぶ。
瞬間、そこは湯森奏のテリトリーとなった。
「ふふ、うふふあはははは、ふふ」
悲鳴が響いている。
奏はとんとんとん、と階段を上った。
上って、上って、上りきったところで。
それはまるでウサギのように震えていた。
「どうしてだ、どうしてなんだ、ああ、お前の為に俺は!」
それには何が見えているのか。
血の海の中に、愛した女でもいるのか。
「ふふ、やぁっぱり嘘。心配なんかしてない、してないしてないうふふ、あは、ははは」
奏は楽しげに笑う。それに振り返ったのは、あの青年。
その眼にはただ怯えがある。
「ねーえ、言った通りでしょ? ふふ、自分のためじゃない、やっぱりね。知ってたよ」
鞄をまさぐり、割れた手鏡を取り出す。
青年は喉の奥で悲鳴を上げた。
「あなたファンなんでしょ、ファンでしょ、知ってるのよ、だから怖い。きゃは、怖いのね」
青年が目を見開く。
次にはその視界は真っ赤に染まった。
奏の高い笑い声。
「ガツンってやったらおしまい? おしまいじゃないよぉ、まだ大丈夫。人って案外頑丈なんだから、きゃはは、知ってるよぉ」
灰色の瞳を大きく開いて、奏はその手を振り上げ、振り下ろす。
ガツンガツン。
「あれ?」
やがて動かなくなった青年に、奏は目を眇めてしゃがみ込む。
つんつんと突っついて、小首を傾げる。
途端。
視界がぐるんと回って、強かに背中を打ち付けた。
驚いて顔を上げれば、青年があの笑みを浮かべていた。
「いい気になって、殴りやがって。お前なんかのファンいるかよ。狂った女が実体化して、嬉しいかよ」
吐き捨てる声に、奏は目を眇める。
「知ってたよ、おまえこの辺りにすぐ来るだろう。丁の良いスケープゴートだよ、ぴったりだ」
青年は奏の首を掴んだまま、フェンスのない屋上を端まで行く。
「丁度良いよね、誰もいない。残るは気狂い女一人だ」
ひょおひょおと風が吹く。
青年はその顔を歪めた。
「じゃあね、カナデちゃん」
落ちる。
落ちていく。
その顔が、小さくなっていく。
その眼が。
あの時の視線と重なって。
目の前が真っ黒になった。
青年は赤いシミ二つを眺めて、踵を返した。
思い切り殴られた頭が痛い。
目眩と吐き気。
先ほど見せられた幻は、奏を突き飛ばしたところで消えた。
まったく、趣味の悪い。
ああ、頭がぐらぐらする。
殴られた場所に手をやれば、生温い赤がべったりと張り付いた。
これは病院に行かないと不味いかもしれない。
階段を下りて、降りて、降りきって。
青年は目を見開いた。
シミが、一つ。
一つしか、ない。
もう一つは。
もう一つは、どこへ。
全身が震えた。
喉がカラカラに渇いた。
脂汗が滲む。
瞬きも出来なかった。
呼吸が荒くなる。
喉が焼けるように痛い。
何処だ、何処へ行った。
どこへ。
「あはははは! 何でもないよぉ」
ひた、と冷たい手が首に触れて。
全身から汗が噴き出した。
「ねーぇ、他人が谷へ向ける悪意って、面白いよねぇ。醜いそれって見てると楽しいよねぇ」
くつくつと笑う声が聞こえる。
それは、後ろから。
「ねーぇ、でもねぇ、落ちるのって怖いんだよぉ。わたしでもねぇ、うふあははは」
冷たい手が、徐々に力を増していく。
青年の膝は経っているのがやっと。
さあさ、大変。
ここにはだぁれもたすけてくれる人は、いないんだよぉ。
「ねーぇ、あなたも落ちてみる? きゃははははは!」
やがて警察の赤灯がその廃ビルを照らす。
そこには真っ赤なシミが、一つ、二つ、さて幾つ?
奏は足取り軽やかに、三つ編み揺らして街を歩く。
「楽しいことはないかしら?」
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クリエイターコメント | お待たせ致しました。 木原雨月です。
「付いてくる人間」をどのような人物にしようかとあれこれ考えた末、このようになりましたが、いかがでしょうか。 お気に召していただければ、幸いです。 何かお気づきの点などがございましたら、どうぞ遠慮無くご連絡くださいませ。 この度はオファーをありがとうございました! |
公開日時 | 2009-04-06(月) 18:20 |
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