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<ノベル>
──私と家族にならない?
そう言ったのは、とても美しい女性だった。
色白の肌にふわふわと揺れる金の髪。真っ直ぐに見つめる瞳は穏やかでおっとりとしたアイスグリーン。淡いピンクのドレスに、薔薇のコサージュと指輪。
何より目を惹いたのは、その穏やかで優しく甘い微笑み。
行くところも住む家もない少年は、銀の瞳を数回瞬かせ、それからこっくりと頷いた。
少年は石版を抱きしめて、紫の瞳をさ迷わせた。
柔らかい声の中に、ふんわりとした笑顔の中に、自分への悪意があるのではないかと怯えた。
その後ろからひょこりと顔を出した銀色の瞳にびっくりする。幼い少年の眉間に刻まれた皺が消えた。すぐに視線を反らし様子をうかがう。銀色の少年はやわらかい笑みに懐いているようだ。
少年は石版を抱きしめて、やがて青い髪がさらりと揺れる。
青年はどうしようもない当惑と不安の中に居た。
優しく掛けられた声に、ほんの少しだけ期待を帯びたがそれもすぐに打ち消される。金色の瞳が落胆の色を表しただろうか、女性は一層華やかな笑みを浮かべる。その女性の後ろから、ひょっこりと、おずおずと姿を現す少年たち。
青年は少年たちと女性とを何度も交互に見やって、それからやがて静かに頷いた。
◆ ◆ ◆
「トリシャ、早く早く!」
「……」
声高に、静かにはしゃぐ、ガルム・カラムとシオンティード・ディアードに、トリシャ・ホイットニーは花のように微笑んだ。その三歩ほど後ろから流紗が少しばかり落ち着かないような顔で付いてくる。
トリシャが振り返る。流紗はびくりと肩をすくめた。しかし緑の瞳は穏やかに微笑んだ。
「流紗、ほら行きましょう」
「リューシャも早くー!」
ガルムがぶんぶんと手を振っている。
「……ルーシャ、だよ」
人形のような顔がわずかに動く。不愉快に歪んだのか笑ったのか、それはわからなかった。ガルムを見るに、どうやら笑ったと思ったらしい。シオンティードはガルムに隠れて視線を合わせないのでよくわからない。いつも怯えているようで、それは自分のせいだろうかと流紗は少し申し訳なく思う。それでも、この二人がトリシャに懐いているのを見ても、流紗は馴染めなかった。
拾ってもらった恩は、ある。
けれど、所詮は他人。
金の瞳が俯くと、トリシャはその肩に手をやった。流紗が馴染めずにいることは、わかっている。ガルムの人懐っこい性質のおかげでどうにか輪には入っていたが、心までは開こうとしない。
だから、どうにか仲良くなろうとデパートまで来たのだ。
「行きましょう」
振り返る金の瞳に微笑んで、その肩を押した。
ガルムとシオンは自動ドアに驚き遊んでいる。
◆
初めてのデパートに、三人は眼を丸くした。
まず、人の多さ。この四角い箱の中にどれだけの人間がいるのかと思うと、目が回りそうだ。
次に、品物の多さ。衣類から食料から、どうやって使うのかわからないものまである。
何もかもが新鮮で、あっちへこっちへとトリシャを引っ張って行く。
「……?」
ふいに流紗は振り返った。それにシオンとガルムが首を傾げる。
それとほぼ同時、ドンという腹に響く音。瞬間、トリシャは洋服が大量に掛かったハンガーの下へ三人を引き込む。
その、一瞬。
流紗はとても信じられなかった。
流紗のその眼に映ったのは。
懐かしい、人。
愛おしい、人。
「──ぁ」
悲鳴。
動揺した空気の波紋が一瞬にして広がり、入り口の方からまるで津波のように人が叫びながら駆けてくる。
「きゃあああああっ!」
「逃げろ!」
「ヴィランズだ!」
流紗には何も聞こえなかった。その眼は、すべてをスローモーションにして見せる。駆けてくる人たちも、何もかもを。ただ彼女の姿だけが鮮明で、他は全てモノクロだ。近くで何かが叫んでいる。関係ない。だって、そこには、彼女が──……
「おや、かわいいボーヤじゃないか」
彼女が、こちらを見て。
笑って、る。
「はははっ、今すぐ楽にしてやるよ」
黒い。
黒い、筒?
「流紗!」
ぐいと強い力で引かれ、その白い頬を熱い何かが掠って行った。視界が真っ白になり、ただ棒のようになった足を動かす。背中に彼女の声だけが耳に響いた。
「チッ、あと5センチで殺せたのに……運の良いボーヤだ」
「リューシャ……だいじょ、ぶ……っ?」
今にも泣きそうな顔でガルムが覗き込んでくる。流紗はただこっくりと頷いて、トリシャが頬の傷を手当てするのを呆然と受けていた。
「傷は深くないから、一週間くらいで治るでしょう。……問題はどうやってここから出るかだけれど」
トリシャは美しい顔を難しそうに歪める。
自分一人ならば、どうにか出来る自信があった。それは彼女が女優という職業を通じて体得したアクションスキルによる。しかし、今は一人ではない。守るべき家族が共にいるのだ。逃げるにしても戦うにしても、あの武装集団をどうにかしなければならない。
「トリシャ、……あの、ボク……頑張る、よ」
ガルムは銀の瞳を真直ぐに向ける。その手は小刻みに震えているが、きゅっと結ばれた口元からも決意の色が見える。
その隣りで、シオンはトリシャの裾を掴んでいた。目は合わせぬものの、いつも抱いている石盤を抱きしめ、ただこくりと頷いてみせる。
トリシャは顔を歪ませた。それぞれの生い立ちを知っているが故に。ただ平凡で暖かな家族になりたかったのに。トリシャは二人を抱きしめた。
「お別れの挨拶はすんだかい?」
声に、流紗はハッと顔を上げた。そこには愛しい彼女の顔。
トリシャは二人を庇うように前へ出る。女はくつと笑った。肩にライフルのような大型の銃を担ぐ。ジャラジャラと弾が音を立てた。
「『キマイラ』のキド・グローズンと相見えるとは、思ってもいませんでしたよ」
トリシャが言うと、女は面白そうに顎をしゃくった。
「へぇ。組織名だけじゃなく、あたしを知ってるのかい。こいつは生かしておけないねぇ」
キド・グローズン。
流砂は金の瞳を瞬いた。
彼女じゃ、ない。
キドが左手を掲げると、後ろに並んだ屈強な男たち──『キマイラ』のメンバーだろう──がコンバットナイフを構える。キドは動くつもりはないらしい。
トリシャは駆け出した。それに薄笑いをしてキドが手を振り下ろす。男たちもまた下卑た笑みを浮かべてトリシャに迫る。しかし通路は狭い。ナイフを振り回そうと思うなら、一人がやっとだ。
「ははっ、剛毅なレディだ!」
キドの声。
トリシャは地を蹴り、ナイフを振り上げた男の顎先を強打した。巨体がぐらりと後ろに傾き、真後ろにいた男を巻き込んで倒れる。飛び掛かってくる男の腹部右上を打ち、低姿勢から切り掛かってくるものは耳の後ろに回し蹴りを見舞った。打たれた方は呻き声を上げて蹲る。
大の男が華奢な女一人の前に倒れて行くのに、キドは驚きと高揚を隠さない。
「こ……のクソアマがぁっ!」
倒れた男に足場を取られ、トリシャはしゃがみ込んでそれを回避する。長い金髪がひらと舞う。
ガルムとシオンはハラハラしながらそれを見守っていた。トリシャが前へ出た。隠れていなさいと言うように、そっと柱の方へと押されたからだ。
流紗はただぼんやりとキドを見ていた。キドは奮戦するトリシャと男たちを面白そうに眺めている。
キドと、流砂が思うただ一人の人と。
違うのは、わかった。わかって、いるのだ。最初から。しかしそれでも同じ顔、同じ声。
流砂は俯く。
それでも、もしかしてと思う、願う、自分は。
「トリシャ……っ!」
ガルムの小さな悲鳴。トリシャが転倒したのだ。しかしトリシャはまったく落ち着いていた。男の下腹を蹴り上げ、そのまま投げ飛ばす! 男が小さくうめき声を上げて流砂の足元に崩れた。トリシャは全身をバネのようにして飛び上がるとガルムたちの前に立った。
さすがに大の男を何人も相手にするのは骨が折れる。トリシャは肩で息をし、緑の瞳でキドを見据えた。
「貴女は、なにもしないのかしら」
キドは薄く笑う。
「ボスってのは、黙ってても従われるもんさ。そして、優秀な部下は黙ってても任務を遂行するもんさ」
ぴんと張り詰めた気配。トリシャは振り返った。流紗。足元には先ほど投げ飛ばした男。コンバットナイフを振り上げている。トリシャは流砂に飛び掛かった。流砂の頭を庇い、腕に熱い痛みが走る。
赤が散って。
ガルムの中で何かがぷつりと音を立てて切れた。
「……猟犬」
小さな声が聞こえるか否か。ガルムの掌につぅと黒い液体が流れ、一瞬にして形を為すそれは、言葉の通り獲物に食らい付く猟犬だ。トリシャを斬りつけた男の喉笛を食いちぎる。と、その足元に亀裂が走る。シオンの能力……破壊のための力だ。
その亀裂に数人が呑み込まれ、さすがのキドも顔を歪ませ飛び退る。シオンの石盤がうっすらと光を帯びているのを見ると、銃を構えた。
「烏」
ガルムが再び呟けば、無数の黒い鳥がキドを目掛けて一斉に飛び掛かる。
流砂は信じられない思いで目を見開いた。目の前には、トリシャの白い腕。その白い腕から、真っ赤な血が溢れ出ている。
「……ぁ……血、が」
「今はいいの、立って走るのよ」
トリシャの声に、ガルムとシオンが続く。トリシャに腕を引かれて、流砂は走った。赤から、目が離せなかった。
ガルムがぐすぐすと鼻をすすりながら泣いている。
「は、はや……く、……病院、行かない、と」
シオンも今にも泣きそうな顔でトリシャの腕を見つめる。破壊の力しかないことが、悔しかった。トリシャは服の裾を引き千切って脇の下で強く結ぶ。傷口はガルムがハンカチで縛った。白いハンカチがみるみる染まって、また涙が溢れた。
「大丈夫」
トリシャの優しい甘い声が降る。
「大丈夫よ」
ふわりとトリシャの手が二人の頭を撫でる。顔を上げれば、優しい、優しい微笑み。
流砂は拳を握った。
「あ、れ」
ガルムがきょろきょろと辺りを見渡す。
「リューシャ、は……?」
皆、声を潜め息を殺し、じっと隠れているのだろう。自分の息遣いだけがやけに大きく聞こえた。ものがたくさんあるのに、足音だけが響く。それはどこか不気味に思えた。
階段を駆け下りたところで、足音がした。怒声も聞こえる。
流紗は拳を握る。目を閉じ、そしてゆっくりと開く。
「おや、ボーヤ」
キドが、立っていた。
氷細工のように美しく整った容姿。ひっつめられた髪は白く、炎のように激しく燃える青い瞳。
ああ、なんて似ているのだろう。
「一人で戻って、何をする気だい?」
そう、似ている。
それだけ、なのに。
流紗はただ真直ぐに金の瞳で、青の瞳を見つめた。
キドは目を細め、銃を構える。
「さよならだ、ボーヤ」
銃声。
連続してそれは響き、煙幕が視界を奪う。
「ボス、やりすぎじゃねぇか」
「あたしのやり方に不満があるってのかい?」
「まさか。ただなぁ、美形だったじゃねぇか。なぁ?」
「つまらないこと言うじゃないよ、下衆が」
そう言って、キドは視線を煙幕に向ける。その中にチラチラと光るものを見て、目を細めた。煙幕の中、それはひらひらと舞っていた。
それは一匹や二匹ではない。
「なんだこりゃあ?」
それは、漆黒の翅に青く輝く模様の入った美しい揚羽蝶。
男が声を上げる。
美しい揚羽蝶はひらひら、ひらひらと集まり、やがて一つの形を作り出す。
『キマイラ』に動揺が走る。
「ばっ……化物……っ!!」
誰かが叫ぶ。
流紗はゆっくりと黄金の瞳を開いた。
無数の揚羽蝶。
それは、流砂だ。
ただ人の命令に応じて動き、その体を蝶と化し、美しく散らせることで人々の目を楽しませる存在。ただの愛玩人形。
それが、流紗だった。
だが、何の因果か彼は魂を得て、生物と化した。
ただの愛玩人形でなければならない『胡蝶』が、意思と魂を持った。
それは、世界の禁忌。
少年はその瞬間、大罪人と罵られた。
大罪人となった彼に待っていたのは、漆黒の茨に拘束され、煉獄の青い炎でじわじわと責められるというものだった。死に至るまえには長い、それは気の遠くなるような長い時間と、それに見合うだけの苦痛を有し、最期には魂まで消滅させられる。
意思と魂。
しかし彼には、死を待つということしかできなかった。
そんな時である。
死を待つ少年に、戯れとちょっかいを掛けて来た者がいた。
優雅な肢体を白銀の鱗で包んだ、燃え盛る煉獄の炎と同じ色の青い瞳を持つ狼のような姿を持つ者。
煉獄の門番・アヌビス。
体をじわじわと焼かれながら、流砂はアヌビスと対話を続けた。
何を話したのか、それはもう覚えていない。
しかし、アヌビスはなんとなく流砂を気に入り、気まぐれに流砂を生かした。
それは、彼にとって幸せだったのか、不幸だったのか。
だが流砂は答えよう。
それは、幸せの始まりだったのだと。
解放されてから、流砂は今一度アヌビスと邂逅する為に、旅立った。
そして、一人の女と共に旅をすることになった。
アイラ。
それが愛する女の名前である。
氷細工のように整った、温度の無い美貌。水のようにさらりとこぼれる、白い髪。炎のように燃え盛る、青い瞳。
彼女こそが煉獄の門番・アヌビスであった。
気まぐれで流砂を生かしたアヌビスは、しかしやがて流砂に惹かれた。傍に居たいと願い、正体を隠して流砂に近づき、共に旅をした。
終ることの無い、アヌビスを探す旅に。
そうして二人は、愛し合ったのだ。
キドは目を見張って流砂を見た。自分は何を見ているのだろうと、不思議な気分になった。
流砂にとっての魂、本体とも言える赤い蝶は煉獄の炎から解放されるおり、アヌビスに奪われた。それをアヌビスが持つ限り、流砂は死ぬことは無い。
そして、そのアヌビスはこの銀幕市に実体化していない。
また、たとえ傷を負っても、その体から蝶を散らし、戻ることで傷は消える。
だからキドの前に立つのは、まったくの無傷の、宵闇に似た群青の髪、黄金の瞳をした、儚い少年。
流砂の前に立つのは、アヌビス……アイラによく似た容姿の、女である。
「化物めっ!」
男が切り掛かる。流砂はするりと体を反転させ、その手を掴む。青い炎が男を包み、男は絶叫する。
煉獄の門番アヌビスから加護という深い寵愛を受けた流砂は、非常に温度の高い青い炎を操ることができる。それは、まさしく煉獄の炎だ。
それに恐れを為したか、男たちは後ずさる。ただ、キドだけが面白そうに口角を持ち上げ笑った。
「かわいいだけのボーヤかと思ったら、意外とやるじゃないか」
再び銃を構え、乱射する。流砂の前に一列の銃痕。
流砂は真直ぐにキドを見つめる。
「たとえば、夢のように」
口を開く。キドは眉を軽くあげた。
「あるいは、影のように。月のように。おれは、彼女が居なければ……」
それは詩を口ずさんでいるような。
「存在することさえ、敵わない」
だから逢いたい。
アイラは流紗の魂。
魂が無い体は、まるで抜け殻。
実体のない影だけのような存在で。
だけれど。
その抜け殻に、優しい笑顔を、声を、かけてくれた人が、いて。
「おれは、」
「ゴチャゴチャと煩いんだよ!」
キドが銃口を流砂に向け、引き金を引く。容赦のない乱射。薬莢が床に跳ねる音。
煙幕。
その合間を、きらきら、ひらひらと舞う、揚羽蝶。
「このっ……」
瞬間、キドは動けなくなった。
後ろ。
自分の後ろに、そう、そして肩に。
それの、手、が。
「大切、なんだよ」
静かな。
それはとても静かな、声だった。
◆
「流砂!」
自分を探し回ったのだろうか。
汗に髪を張り付かせたトリシャと、泣きそうな顔のガルムとシオンティードが駆けてくる。
流砂は俯いた。
何が正しいのかなんて、わからなかった。
「無事だったのね、良かった。怪我は? 怪我はしていない?」
でも。
「どっちも」
ぽつりと落とした声は、トリシャには聞こえたようだ。緑の瞳に、自分の姿が映っている。
「かぞ、く……も、彼女も……大事だったんだ」
家族。
トリシャは微笑んだ。
その言葉が、嬉しかった。
「決めることなんてないわ」
声に、顔を上げた。
その声は、どこまでも優しくて。
「どっちも大事なら、それでいいじゃない」
ふわりと、トリシャは穏やかで優しく微笑み、その微笑みと同じようにそっと、流紗を抱きしめた。
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クリエイターコメント | お届けが大変に遅くなり、本当に本当に申し訳ありません。 ただひたすらにお気に召していただけることを祈るばかりです。 |
公開日時 | 2009-05-21(木) 19:20 |
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