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<ノベル>
「外食したい」
同居人であるチェスター・シェフィールドがボソリと言ったのが事の始まりである。
ウィレム・ギュンターはエプロンに伸ばしかけた手を止めた。見ると、チェスターは同じ事を何度も言わせるな、と言いたげな眼で、
「外食したい」
と言った。
「僕のご飯は飽きましたか?」
「飽きた」
さめざめと言ってみるが、即答である。
ウィレムは小さく息を吐き、チェスターに向き直る。
「どうして僕が自炊をしているか、わかってます?」
「知らねぇ」
即答。
ウィレムの中で何かがぷつーんと切れた。
「僕が自炊をするのは、僕の給料がチェスターのゲーム代に消えていくからですよ。楽しいのはわかります。ええ、あれだけ楽しそうにゲームセンターへ通いテレビにかじりついているのを見て、このゲームセンターの戦利品に囲まれればね。でもですね、家事をほとんど手伝いもせずにいる君には、その選択すらないことがわかりますか?」
「たまにはいいじゃねぇか。作らなくていいんだし」
そうじゃなくて、と言いかけて、ウィレムは口を噤んだ。
こうまで言って聞かなければ、テコでも動かない。もしくは、一人でさっさと行ってしまい、自分は一人寂しく自分で作った夕飯を食べるハメになるのだ。そう、わざわざチェスターが「外食をしたい」と言うことは、自分も一緒に、ということだ。でなければ、さっさと一人で出掛けてしまっているに違いない。
ウィレムは大きく息を吐くと、ふと笑った。
「……わかりました。それじゃ、今日はお言葉に甘えましょうか」
チェスターの無愛想な顔がほんの少しだけ微笑んだのを、ウィレムは見逃さなかった。
◆
銀幕市の空は、爽やかな青から夕暮れのオレンジへと色を変えている。
夕飯には少し早いが、込み合う前に入るのが一番だ。
「チェスター、なにが食べたいんですか?」
聖林通りに向かって歩きながら聞くと、チェスターは首を傾げた。
「なんでもいい。外で食いたかっただけだから」
鼻歌でも唄い出しそうなチェスターは、ウィレムの半歩後ろを歩いている。完全に着いて来ているだけである。ウィレムは小さく息を吐き、視線を上げた。
そこには瑞々しい緑の木々が並んでいた。ウィレムは見回し、さて何がよいかと思案する。がっくりしたせいか、急に湿気が増したように思う。足元も歩き難くなり、見ればシダ類が生い茂っている。
ウィレムは瞬きをした。
「なんだこのハザード」
チェスターがため息を吐いた。
ウィレムは顔を上げた。空は暗い。それは樹木の枝葉で覆われた樹冠と呼ばれる高さ三十メートルから五十メートルの木々が生い茂っているからである。さらにつる植物や着生植物、低木、つる植物の豊富ないわゆるジャングルの様相を呈している。どこか遠くで奇妙な鳥の声。
その時、二人の耳に不吉な音がした。
振り返る。
「なぁ、ウィレム」
「なんですか、チェスター」
二人はゆっくりと後退った。
「木の周りをぐるぐる回れば、虎って本当にバターになるか」
「さぁ……やってみますか」
緑の下生えの葉の隙間。視界は非常に悪いが、その殺気に満ちあふれたそれに感付かぬはずがない。黄褐色に黒い横縞。縞模様は輪郭を不明瞭にするのではっきりとはわからないが、体長二メートルはあろうかという虎だ。ライオンと並ぶ、大型の猛獣である。
がさ、とシダ類の葉擦れがして。
二人は目配せもなく同時に走りだした。
「なんだこれマジいい加減にしてほしいし!」
「ハザードに巻き込まれたのですから、これくらい仕方ありませんね」
「なに冷静になってんだよっ!」
「じゃあ、ダイノランドにでも飛ばされちゃいましたかね」
「その方がよっぽどマシだっ!!」
本物と思うような恐竜たちが闊歩するダイノランドならば、走っていれば必ず沿岸に出る。また、ダイノランドの恐竜たちも本物と紛うような精密さだ。
しかし今追ってくるのは、腹を空かせたと思しき虎である。この息遣い、殺気。とても機械では有り得ない生々しさ。それは幾つもの死線を越えて来た二人だからこそわかるものだ。
「うわ……っ」
ずるりと足を滑らせた先は、池だ。瞬間、チェスターはぞっとした。ウィレムも同じだったろう、チェスターの腕を一気に引き上げる。飛沫を上げて巨大な何かが池に落ちた。ウィレムもチェスターもそれを確かめようとは思わなかった。警鐘が鳴っている。ただでさえ、虎に追われているのだ。しかしそれは叶わない。チェスターが前のめりに倒れた。その足には十メートルはあろうかというアナコンダが巻き付いている。アナコンダは毒を持たない蛇だが、その巨体はクロコダイルでさえ絞め殺す。
「マジふざけんなっ……!」
チェスターは拳銃を引き抜いた。同時にウィレムの氷魔法が飛び、アナコンダを凍り付かせる。瞬間、チェスターが引き金を引き、凍ったアナコンダは粉々に砕ける。そこに追いついて来た虎が飛び掛かってくる。迫り来る牙と爪が届く直前、ウィレムの氷がその胸を貫いた。虎の口から赤い泡が溢れ、どうと音を立てて倒れた。
それをしばらく見て。
二人は盛大な溜息とともに座り込んだ。急に疲れがやってきたみたいだ。
「俺の足まで凍ったらどうすんだよ」
ぜーはーと天を仰ぎながらチェスター。
「そんなヘマはしません」
ぐったりと俯きながらウィレム。どこかで奇妙な鳥が鳴いている。
「腹減ったな」
「虎を食べる気ですか? お腹壊しますよ」
「ばっか。こんなハザードさっさと出て飯喰いに行くぞ、飯」
「はいはい」
軽口を叩きながら、二人は立ち上がった。
その耳にはまたもや不吉な音。
そろりと振り返って。
光る眼を見る。
「いい加減にしてくれ、マジで!」
「それは同感です」
バサバサと鳥たちが飛んでいく。
◆
襲い来る虎を退け、牙をむき出すクロコダイルを撃退し、沼を越え、凶暴な鳥の群れに突つかれながら、二人はどうにかジャングルを抜けた。下生えの植物に棘があるものがあったのか、二人は見た目にはボロボロである。
「なんだこりゃ」
チェスターは肩で息をしながらそれを見上げた。
開けたそこに現れたのは、太古のものと思わせるような遺跡だ。蔓植物が伝い、苔が生え、しかし威風堂々と鎮座している。
「ジャングルの奥地に遺跡とは……まるでマヤですね」
「まや?」
チェスターが聞くと、ウィレムは肩をすくめる。
「銀幕市の図書館で読んだんですよ。熱帯雨林を中心とした地域に、マヤという文明があったそうです。高度な建築技術、現代科学に匹敵する天文学技術、複雑な絵文字の体系を持っていた民族だそうですよ」
ふぅん、とチェスターは気のない返事をする。しかしその眼は明らかに輝いていた。これは遺跡に興味を持ったということだ。
ゲームの影響もあるだろう、なんせ遺跡にはお宝が眠っている事が多いのだから。しかもここは、ムービーハザード。映画の中でこうした遺跡が出て来て、お宝がないということはまず有り得ないであろう。
……と、思っていることは明らかである。
「行くか」
ウィレムは小さく首を振って、楽しそうな背中を追った。
遺跡は真っ暗な口を開いている。
ドドンッ。
遺跡に踏み込んだその瞬間、びぃんと音を立てて矢が地面に突き立つ。矢羽根はボロボロのくせに、鏃は石の床に突き立つ鋭利さ。まったく都合の良い矢である。チェスターが一瞬、足を引くのが遅ければ、それは足を貫通して床に縫い止めたであろう。
「……やめますか?」
一応、聞いてみる。
「バカ言え。障害があるからこそ、燃えるんじゃねぇか」
思った通りの台詞。
ウィレムはふと笑み、顔を上げた。そこには、矢の発射台と思しき弓が固定されている。矢は既に放たれているので、それの心配はしなくていいだろう。遺跡はすぐに折れ曲がっているようだ。侵入者が駆け込んで来られぬように工夫されている。要塞の役割もあったのだろう。
これは一筋縄ではいかない。
ウィレムはそう思った。実際、踏み込んだ瞬間に矢が放たれたのだ。足元に糸があったとは思えない。どうしたカラクリかまで見ている場合ではない。さっさとこのハザードから出たいのはウィレムも同じである。
「先はすぐ行き止まりのようですが、あそこを曲がれば灯りがありますね」
「見りゃわかる。最初は暗ぇからな、罠にだけは注意する」
チェスターは何度か、遺跡のようなダンジョンのようなハザードに巻き込まれている。ジャングルの中では猛獣が襲って来て、その疲れも少しあったのだろう、入り口にまさか罠が仕掛けられているとは思わなかった。注意力が散漫になっている。軽く頬を叩いて、チェスターは改めて遺跡に踏み込んだ。
突き当たりまでは難なく来られた。罠らしい罠も見当たらない。突き当たりは左右に道が延びている。左手に灯り。
中は暗い。灯りの確保は必須だ。チェスターは壁により、そっと覗いてみる。そこには松明が赤々と燃え、覗いたチェスターを照らし濃い影を作る。そのまま右手も見回した。暗くてよく見えないが、すぐ壁になっているようだ。チェスターはもう一度灯りの方を天井から床まで見回して、踏み出した。灯りを手に取って見る。何も起こらない。ふう、と小さく息を吐いた。
「灯りは私が持ちますよ。チェスターは銃を使うでしょう」
松明をひょいと取って、ウィレムは笑った。
チェスターは肩をすくめ、右手にスプリングフィールドXDモデルを構え、進んでいった。その後ろにウィレムが続く。
ゆらゆらと松明が燃える。
苔むした匂い。じっとりとした湿気。罠がわんさか出て来てくれれば多少気も紛れるというものだ。何度目かの曲がり角を行くが、何もない。二人の足音と松明の燃える音だけがする。それはチェスターのやる気を少しずつ奪っていった。
「なんだよ、何にもねぇのかよ」
明らかな落胆。
それは一瞬の隙にもなる。
「チェスターッ!」
ウィレムの声が鋭く飛んで、チェスターはびくりと肩を震わせる。拍子に、足は一歩前へ。脛に、いつだったか感じた事のある感触。
チェスターは反射的に前へ転がった。ガガガガッと石の壁を削るような音。すぐに体勢を直して振り返った。ウィレムの持つ松明が照らしたのは、頭二つ分もあるほどの大きな岩だ。糸を切ると、上から落下する仕組みになっていたらしい。
ウィレムが小さく息を吐きながら、その岩を越えてくる。
「何事もないことにこそ注意を向けなくてどうします」
「……悪ぃ」
素直に謝り俯くチェスターの肩を叩いて、ウィレムは先を見た。
どうやらこの遺跡は、外側からぐるぐると回って中枢へと行くようになっているようだ。
「もうしばらく、こういった道が続くでしょうが……気を引き締めていきましょう。でないと、僕たちもああなる可能性があります」
ウィレムが松明で照らす先を見る。チェスターは眼を細めた。
そこには、錆びた大刀が剥き出しになっている。その下には、白骨が転がっている。頭蓋骨だけが、遠くに飛ばされていた。
ごくりと唾を呑み込む。
知っている筈だった。わかっている筈だった。けれど、こうしたものを改めて見ると、ざわざわとした感覚が戻ってくる。
チェスターは銃を構え直し、踏み出した。
道は相変わらず一本道だ。
トカゲだろうか、そうしたものが灯りを避けて暗がりへと潜り込んでいくのを見る。ドアらしいものもなく、右へ右へと角を曲がっていく。その時、チェスターの耳に違う音が紛れ、足を止めた。ウィレムが何事かと肩を叩く。チェスターは唇に指を当てる。じっと耳を傾ける。ジジ、と松明が音を立てた。
「……何か居る」
頷き合って、そろりと覗く。覗いた瞬間、チェスターはすぐに顔を引っ込めた。
「ちょ、なんだアレ、マジ待てって」
ぞわぞわと鳥肌が立つ。ウィレムは思わず頬を掻いた。
「蜘蛛ですね」
「うるせぇ、何で冷静なんだテメェこのやろう」
通路一杯に張り巡らされた、白い糸。その中央に、しゅうしゅうと音を立てて八本の足を広げた蜘蛛がどんと構えている。その巣に絡まっているのは、明らかな人骨と衣服である。
「肉食の蜘蛛とかマジありえねぇだろ」
「ムービーハザードですから」
「うるせぇっ! どうすんだよ、このままじゃ通れねぇ」
ウィレムは少し考えて、それから通路をつかつかと曲がった。
「ってオイ、ウィレム……」
チェスターが慌ててみたそこには。
ぶんっと松明を蜘蛛に向けて投げているウィレムの姿が。
「うおおおおいいいいい!」
ぼうっ、と勢いよく蜘蛛の巣が燃え上がる。
「蜘蛛の巣は焼き払うのが一番なんですよ」
「そういう問題じゃねぇええええっ!!」
巨大な蜘蛛が奇声を上げながら、二人の方へ向かってくる。
「ほらバカ野郎、こっち来たじゃねぇかっ!」
「どうせ倒さなきゃ先へ進めませんよ」
「うるせぇ!」
チェスターはスプリングフィールドを撃った。体が大きい分、着弾率は百パーセント。しかし体が巨大な分だけ、生命力もまた強い。どろどろと黒い体液を流しながら、蜘蛛が何か吐き出した。ウィレムの氷がそれを阻むが、じゅう、という音ともにあっという間に溶ける。
「酸ですか、面倒ですね」
「だから冷静にしてんじゃねぇって!」
さらに迫ってくる蜘蛛に、ウィレムはぱちんと指を鳴らした。瞬間、氷の矢が通路一杯に蜘蛛へ向かって飛んでいく。それは巨大蜘蛛を跡形もなく消し飛ばし、巣を燃やし通路一杯に広がっていた火をも消した。
チェスターはぽかんとそれを見て、ウィレムを見上げる。
「……おまえの魔法って、時々反則だよな」
「通路が狭くてよかったですね」
ウィレムはにっこりと微笑んで、落ちている松明を拾った。妙に器用なのがウィレムという男である。今度はチェスターが息を吐く番だ。
「ほら、行きますよ」
「わーってるよ」
絶対敵には回すまい。
チェスターは密かに思うのであった。
その後は順調に罠が待っていた。
あんまりにも解りやすい押しボタンのような罠はなかったが、突然壁が開いて剣を持ったミイラが襲いかかってきたり、明らかに巨大化しているカサカサいう黒い大群が押し寄せて来たり、大の大人が数人でようやく囲めるような太い木がハンマーのように振り降りて来たりした。
長年コンビを組んで来たチェスターとウィレムには、そんな罠は通用しない。
しかし。
「だからどうしてそんな解りやすい罠に引っかかるんですか」
「わっかんねぇよ、明らかに普通の床だったろ!」
「ちょっと注意して見ていればわかることじゃないですか」
「だったら踏む前に注意するとかしろよ!」
「そんなもの解っているものだと思っているでしょう」
「だったらなんで一緒に落ちてんだよ!」
「貴方が踏んだプレートのお陰で、前後数メートルの床が落盤したからですよ」
チェスターが踏んだのは、少しばかり切れ込みの深い床だった。口では「普通の床だった」と言うものの、好奇心に負けて踏んでみた、というのが事実であり、それは期待を裏切らない落とし穴であった。
下が剣山ではなかったのが救いだったが、まさか通路ごと落ちる罠だとは思わなかった。落ちた先が白骨で埋め尽くされた床であるのも幸いした。痛みはあるがクッションになってくれたことも確かなのである。蛇やらトカゲやらムカデやらが一斉に灯りから遠ざかっていくのは、音だけでわかった。その音の大きさに、思わず身震いするほどだった。白骨を踏み越えていくのは心が痛んだが、とにかく外へでない事には仕方無い。上へ戻ろうにも、天井までの高さだけでゆうに十メートルはあるのだ。
がちゃがちゃと音を立てながら、二人は白骨を越えていく。松明しか灯りのない中では、その白骨は不気味に見える。
「それにしても、すごい数ですね。戦争でもしたんでしょうか」
ウィレムが呟く。
答える声は、ない。
軽率な行動を反省しているのか。
そう思って、少しチェスターが可愛く思えた。突っ張ってみせたりしても、やはりまだ子供なのだ。
それは銀幕市に来てから、特に感じたことでもあった。ゲームに熱中したり、そして友人が出来たのも……。
同年代の友人ができたこと、それはウィレムにとっても喜ばしい事であった。
「出口だ」
チェスターがぶっきらぼうに言って、ウィレムは顔を上げた。
そこには確かに、真っ白な入り口が口を開いている。
「チェスター」
ウィレムが言うと、チェスターはバツが悪そうに顔を背けた。
「わかってるよ」
そして踏み出した瞬間。
後ろから殺気を感じ、二人は振り返った。
松明の灯りが届かないギリギリの距離。しかし、それはたかだか五メートル程度のことだ。すぐそこに、何か獰猛なものがいる。
チェスターは瞬間、銃を撃ち放っていた。全身から汗が噴き出している。
恐怖。
忘れかけていた、死の匂い。
チェスターは撃ちまくっていた。ウィレムがタックルをするまで、ずっと暗闇に向かって撃ち続けた。感触はない。ただ、そこには恐怖があった。
忘れかけていた。
ゲームのような感覚で楽しんでいたはずだった。
友人と巻き込まれた時も、化物と対峙した時も、こんなにも恐怖は感じなかったはずだ。
それが、なぜ、今さら。
考えている余裕などなかった。
ただ恐ろしいものが、そこにある。
そして、その恐ろしいものが自分を捕食しようとしている。
そのもっとも原始的な何かが、チェスターの心をざわめき立てた。
いくつもの死線をくぐり抜けて来た。
生き残って来た。
それなのに、この原始的な何かはすべての死線を凌駕した。
それは生けるものの本能であったかもしれない。
「──チェスターッ!!」
ウィレムは思い切りチェスターの頬をひっぱたいた。正気を失っている。それは明らかだった。一体何がそうさせたのかは、わからない。しかし、なんとなく思い当たる事はあった。
魔物狩り。
ウィレムとチェスターはその名の通り、魔物を狩る職業にあった。ウィレムは人間の気の流れを読む事ができる。エージェントとして、魔物狩り足りうる人物を発見、スカウトすることが役目だった。そして偶然にも、魔物に襲われていたチェスターを助けた。そのチェスターは、魔物狩り足りうる素養を持った人物。
もしやその時の恐怖がフラッシュバックしたのか。
いや、チェスターはそんなに弱い人間ではない。年相応の無邪気さと、ある種の諦観と、……それは彼のサポートとして魔物狩りの任をしてきたウィレムには悲しい事でもあった。多くの修羅場を駆け抜けて来た。任務続で、碌に遊びにも行けなかった。
そんな彼をずっとサポートをして来て、そして銀幕市に来たからこそ余計に強く思う。
チェスターは、まだ十四歳の子供なのだ。
「チェスター」
声に、チェスターのぶれていた瞳がウィレムとかっちりと合う。
「僕がわかりますか」
青い瞳に、呆然としているチェスターが映っている。
チェスターはしばらくその青い瞳を見ていた。
「……ウィレム」
呟いた声に、ウィレムは微笑んで頷いた。
それを自覚したのか、チェスターは視線を泳がして眼を見開いた。
「ウィレム、血が」
「これくらい大したことありませんよ」
腕に鋭い爪痕。しかし派手に破れているのは服だけで、確かに深い傷ではない。それに、エージェントや魔物狩りには治癒の魔法を使うことができる。ウィレムの回復魔法は、かなり強力だ。もしや深い傷だったかもしれないが、もうほとんど塞がって、血も止まっている。
チェスターは唇を噛んで俯く。
また、助けられた。
「チェスター」
声に顔を上げる。
そこには穏やかながら強い光を放つ瞳で、いつもと同じように微笑むウィレムが居る。
「行きますよ」
チェスターは大きく息を吐き、真直ぐにウィレムを見た。
「おう」
バキバキと氷が割れていくような音。
チェスターは眼を凝らした。
それは大きく首を振って氷を払い落とす。どうやらウィレムの魔法で少しばかり凍らされていたらしい。
わずかな灯りに入り込んだそれは、虎に見えた。ジャングルで見た虎とは比較にもならないほどの大きさは、天井にも頭が届くのではないかと思った。
「まったく、何でも巨大化すれば良いというわけでもないでしょうに」
ウィレムは松明を床に放る。手に持っていては邪魔だし、灯りが動いては距離を取り辛くもなる。
「ランス持ってねぇのかよ」
「夕食を食べに出掛けるのに、ランスなんか持ってませんよ」
中折れ式で折り畳めるようになっているウィレムのランスだが、それを持ち歩くというのは稀だった。
チェスターは小さく息を吐き、巨大な虎と向き合う。虎の向こうに白い出口が見える。ならばこの虎は、番犬ならぬ番虎といったところか。
巨大な虎が、この遺跡がビリビリと震えるような咆哮をして。
二人は駆け出す。
ウィレムは地響きを立てて駆ける虎の足を目掛けて、氷柱を撃ち放つ。この巨体である、当てただけではとても倒せない。その意図はすぐにチェスターも察したのだろう。火を噴いて弾丸がその足に穴を開ける。しかしその筋肉は分厚く、とても貫通はしない。おまけにこの巨体である、あまり効いているようには見えなかった。
「まったく、これだから巨大生物というのは嫌ですね」
端正な顔を歪めて、ウィレムは第二撃を撃ち放つ。今度は頭を目掛けたものであったが、その太い前足に払われてしまった。
「どわっ?!」
氷の破片が飛んで、チェスターは後方へ転がった。
「気ぃつけろよ、てめぇ!」
「怪我はないですよね」
「そういう問題じゃねぇっ!!」
半ば八つ当たりに虎の足目掛けて銃を撃つ。それを後援するように、ウィレムの氷柱が同じ左前足を狙った。右前足で氷を払った巨虎は支えを失ったか、後ろ足で踏ん張るが顎から落ちる。が、すぐに頭を振って立ち上がり、飛び掛かってくる。一抱えもありそうな牙がすぐ横で打ち鳴る。チェスターはバックステップで躱しながら、その鼻面を目掛けて撃った。
それに少し怯んだか、頭を振ったそこにウィレムの氷柱が襲う。と、骨の山に足を取られ、その巨体が崩れた。それでもすぐに立ち上がるが、チェスターはぴんと思い立った。
「ウィレムっ!」
多少なりとも怪我を負わせている前足に照準を合わせながら、チェスターが叫ぶ。
「床、凍らせろ!」
それにウィレムは小さく笑んだ。
なるほど、いたずら小僧らしい発想だ。
「了解です」
巨虎が咆哮する。
その巨大さを今は恨むだろう。
ウィレムは水のエレメントの加護を受けている。そして精神力に類稀なる強さを持つ彼は、その魔法を遺憾なく発揮することができる。
「一緒に凍らないようにしてくださいね」
「てめぇが気をつけろ!」
笑って、ウィレムの手から青い光が放たれる。大量の水が溢れ出し、洪水のような勢いで固まっていく。駆け出していた虎は何事かと足を止めようとするが、止まらない! 足を取られ、それは見事にすってんと転んだ。
そこへチェスターが一気に間合いを詰める。
立ち上がろうにも、氷漬けにされた床に触れたところからビキビキと凍っていく。吼える。メチャクチャに暴れる足が空を掻く。
その巨大な瞳に、チェスターが映る。
「じゃあな」
咆哮と銃声が響く。
◆
「おー、すげーっ!」
チェスターは目をキラキラと輝かせた。
白い出口は、白い巨大な扉だった。扉の守り主であった巨虎がフィルムになると、盛大な音を立ててそれが開いたのだ。
そこは宝物庫のようだった。金銀財宝というに相応しい、山のようなお宝の数々である。
「チェスター、そんなにがっつくものじゃありませんよ」
「……ウィレムに言われたくねぇ」
そう言うチェスターの白い目の先には、古そうな本やら高く売れそうな装飾品などを抱えたウィレムである。もちろん負けじとチェスターもお宝収集に夢中になるわけだが、そのとき。
虎の咆哮に似た地響き。
ぱらぱらと天井から砂が零れ落ち、やがてそれは立っていられなくなるほどの振動になる。
「今度はランプの精ですか……っ!」
揺れはガラガラと遺跡を崩壊させていく。
チェスターとウィレムは大きな亀裂に呑み込まれていった。
◆ ◆ ◆
遠くに金銀の煌めきが見え、暗闇に落ちていく。
ハッと正気に戻った時、二人は道端に立ち竦んでいた。
空はオレンジから群青へと変わっており、街には白い街灯が灯っている。
「とりあえず、解決できた、のでしょうね」
ウィレムは小さな金属の音に手を見た。
どうやら最後に掴んでいた翡翠のネックレス。これだけは離さなかったらしい。他のものは、どうやら亀裂に落ちた時に手放してしまったのだろう。
「なんだ、ウィレムそれだけかよ」
頬に土汚れを付けて、チェスターがにやりと笑った。そのポケットからはコインやら指輪やら宝石やらが出てくる。
「あの状況で、よくそれだけのものを持って来られましたね」
呆れ半分にため息を吐くと、チェスターはヒュウと口笛を鳴らす。それにもまた息を吐き、やれやれと首を振る。
「さ、ご飯を食べにいきましょうか」
そろそろ込み合ってくる時間だが、ジャングルを走り回ったりした体には、最高の夕食になるだろう。チェスターもコインを弾きながらその背を追ってくる。
「肉食いたい、肉」
「育ち盛りですからねぇ」
「……てめぇ、それ嫌味か?」
「え? 何がです?」
「ムカつく」
げしとその背中を殴りつけながら、二人の背中が雑踏に消えていく。
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クリエイターコメント | 大変お待たせ致しました、木原雨月です。 ジャングルで古代で遺跡とくれば、巨大生物しかない! ……という勝手な思い込みで、このようになりましたが、いかがでしたでしょうか。 楽しんで戴けたならば、幸いです。 口調や設定などでお気付きの点がありましたらば、どうぞお気軽にご連絡くださいませ。 この度はオファーをありがとうございました! |
公開日時 | 2009-06-23(火) 18:40 |
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