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<ノベル>
静かな部屋に、カタカタと映写機の回る音が流れている。
真っ暗な部屋の壁には、四角く白い光が切り取られていた。
レイはぼんやりとそれを眺める。
カタカタと映写機は回り続けている。
ふいに身じろぎする気配がして、レイは視線を下ろした。
白いシーツに黒い豊かな髪が流れ、その上ではハーブ色のバッキー、アオタケが丸くなっている。そして黒い髪の主──静かな寝息を立てている、ティモネがいる。胸元からは、グリーンオニキスをあしらったネックレスが映写機の光を弾いている。それは去年のクリスマスに、レイがプレゼントしたものだ。
あの時は、想い合う恋人として。
しかし今その胸に輝くのは恋人ではなく、……妻として。
そう。
レイとティモネは、先日巻き込まれたムービーハザードで図らずも、しかし必然だったろうか、ボロボロの教会で、女スパイただ一人の参列と元ギャングの神父による結婚の口上を受け、永遠の愛を誓い合った。
恋愛と結婚は全く違う次元の問題。
レイはそう考えていた。
ムービースターは、いつか消える。ただの夢には、終わりがあるものだ。だから、「普通の人」であるムービーファンやエキストラとあまり深く関わるべきではないと考えていた。
だから、深く関わるべきではないと思っていた。
少しばかり気になる、からかい甲斐のある人。
その程度で留めておくべきだった。
けれど、そうでなくなってしまった。
そのままではいられなくなった人が、できてしまった。
レイは誓った。
「ワタクシはティモネを妻とし、健やかなる時も病める時も、たとえこの身が消えようと、この先何があろうと、たとえどんな結末を迎えようと、傍に居て、愛し続けることを誓います」
ハザードに巻き込まれた時は、結婚するなど思いもしなかったのだけれど。
確かに。
そう、誓った。
そして今。
レイは穏やかな顔で寝入っているティモネの艶やかな髪を、優しくなでる。軽く身じろぎするティモネの寝顔を愛おし気に見つめ、静かにベッドから降りた。カレンダーを見る。
5月20日。
二人が愛を誓い合った、次の日……そして、マスティマとの決戦を行った日の、深夜である。
──あの時、言葉にしたことに、嘘偽りは無い。
もう一度、ティモネを振り返る。規則正しい、穏やかな寝息と表情。
小さく微笑んで、レイは洗面所へと向かった。
電気を付ける。鏡に自分の姿が映る。いつもかけているミラーシェイドは、今は無い。だから、左目には大きく裂かれた醜い傷が露出している。白目も瞳孔もない黒い瞳にはカメラが入っており、望遠、赤外線、サーモグラフィー、暗視などが可能だ。その周りにはコードが浮きいで、マーキングなどが施されている。
レイは、ムービースターだ。出生時に遺伝子操作をされ、身体の60%以上をサイバー化した。
鏡に確かに自分の顔が映っているのを確認して、レイはそれをじっと見つめた。
いや、見つめているのは、もっと先のものだ。
いつかこれを見るであろう人へ向けてのものだ。
「……ティモネ」
話しかけるのは、鏡に映る自分ではない。
見つめる先の、いつか自分のプレミアフィルムを見ているであろう、最愛の人へ。
「この街に来て……ティモネに会えて、俺は幸せだったと思う」
こうやって言葉を残すのは、自分がきちんと言葉を伝えきれなかった時のために。
いつか夢が終る、その時までに。
「だから、ティモネにも幸せでいてほしい。もし、自分のせいで笑う事も忘れてしまうような気持ちになるようだったら、忘れてくれて構わない」
視線を反らさずに言い切って、ふと目を伏せた。
「あー」と頭を掻いて、レイは溜息を漏らす。
「……それは嘘、だな」
右の美しい青の瞳と、左の黒いレンズが真直ぐに鏡の向こうを見つめる。
「覚えていてくれるといい。我儘で悪い。だから、せめて俺が君にとって幸せな夢で終れるといいと思う。俺らの映画はいろんなところで見られているし、続編とかいうのも出るだろう。でも、この街で君を愛していたのは、此処にいる俺だけだから」
ひどい言葉を投げた事がある。
ひどく傷付けた事も。
性質の悪い男にひっかかってひどい目にあったと思えば、さっさと忘れてくれるだろうと。
それはまるで自分に言い聞かせるように、独り呟いた事もあった。
中途半端にした言葉でわざと嫌がる事をし、怒らせて。
挙句に、泣かせて。
それが辛くて、泣くなと言った。
泣かせたのは自分なのに、自分勝手だ。
泣いていると辛いと。
好きだと、言った。
そう言った後で。
──覚悟は出来ているのか。
そう、問うた。
ずるいと思った。
どちらにしても、傷付ける。
それでも彼女は。
ティモネは。
迷いのない綺麗な瞳で、はっきりと答えてくれた。
いいに決まってます、と。
声は、決意に満ち、そして震えていた。
確かに残る幸せが、愛がある、と。
だから、いいに決まってます、と。
胸が打ち震えた。
言葉も出ないほど。
そんな幸福をくれた、彼女に。
レイは微笑みかける。
「どうか、全部終った後でも、君が幸せになってくれるように、笑って生きていけるように祈っている」
言い終えて、レイは不思議と満たされるような心地よさを感じた。
本当に不思議だ。
いま言葉にしたものは、別れの言葉でもあるのに。
けれど、わかっている。
本気で向かい合った女性など、レイにはティモネ一人しかいないのだ。
「レイさん? 何をしているんです?」
振り返ると、目を覚ましたティモネが小首を傾げている。いつも緩く束ねられている髪が今は解かれて、さらりと肩から零れ落ちる。サーモグラフィー機能を持つレイの左目は、その怪訝そうな顔を焼きつける。
「別に。何でも」
答えれば、少し拗ねた顔で。
そんな彼女が可愛くて、洗面所の電気を消し、ベッドに腰掛ける。
「……愛してるよ、ティモネ」
そっと額に口づけて。
「どうしたんですか、急に」
照れて目を逸らすティモネが、愛おしくてたまらなかった。
◆ ◆ ◆
銀幕市は、彼の5月20日。
マスティマと戦うことを選び、決戦を終え。
最後の日々を、過ごしていた。
リオネが神として成人し、銀幕市にかけられていた魔法に終焉が訪れたのだ。
それは、ムービースターが消えるということ。
そして。
最愛の人がいなくなる、時。
日付は、6月14日。
部屋にはカタカタと映写機の回る音が響いている。
前にそうしていた時には、ハーブ色のバッキー、アオタケがいた。
隣には、レイがいた。
今は、ティモネ一人がベッドに腰掛け、それを見ている。
真っ暗な部屋に、白い光が四角に切り取られているその中では、レイが見て来た銀幕市が映っている。
そう。
ティモネが見ているのは、プレミアフィルムとなったレイである。
始めは見る気などなかった。ころりと転がっていたレイを見つけて、どうすればいいかわからなくて。気が付けば、レイを握り締めて市役所に来ていた。市役所に来たはいいが、それからどうすればいいか、やはりわからなくて。
そうしている時に、一冊のノートを見つけた。閲覧自由、と書かれた、何の変哲もないノートだ。
ティモネはまるで吸い寄せられるように、そのノートを開いた。そこに書いてあったのは、要約すれば「ありがとう」である。
ぱらぱらとページをめくっているうちに、見覚えのある字を見つけた。
とくりと胸が鳴る。手が震えた。
君がまだ俺のフィルムを持っていてくれるなら。
5.20
このメッセージを見つけてくれることを祈る。
親愛なる我が妻、Tへ
Lより
ノートもそのままに、ティモネは踵を返した。手にはしっかりとレイを抱きしめて。
フィルムは回っていく。
オフィスビルに陣取ったテロリストを鎮圧した事。
森の女王が開いた盛大なお茶会。
星砂海岸での戦争のようなサッカー大会。
雨の中で、復讐を遂げたいと言ったある刑事の事件。
まだ恋とは呼べない頃のデート。
海辺で学園的なハザードに巻き込まれた事。
クリスマスに爆弾騒ぎに巻き込まれ、アフロヘアになった事。
その後、仕切り直してクリスマスデートをした事。
自分もその場にいた筈なのに、レイから見たそれらはまた違って見えた。自分より背の高いレイだから、余計にそう感じる。或いは、目まぐるしく変わるレイの視点。彼の左目は、機械仕掛けだ。そして、ほとんどの時、彼はミラーシェイドをしていたからだろうか。
やがて映し出されたのは、結婚式。
ああ、ティモネさんたらなんて格好をしているの。
そう思いもしたのだけれど。
レイの目線から見た自分が、何故かとても恥ずかしくなった。それはボロボロのドレスのせいではなく。
──こんな風に、自分を見ていてくれたのか。
そんな恥ずかしさと嬉しさが込み上げた。けれどそれは同時に寂しさも伴っていて、唇を噛んだ。
フィルムは回っていく。
選択の時、マスティマとの決戦。
そして。
映し出されたのは、自分の寝顔。
こんな顔で寝ていたのか。
額にキスをされて、思わず額に手をやった。
視線が移る。
カレンダーの日付は、5月20日。
ティモネは眼を見開いた。
心臓がどくんと鳴った。
レイの視線が動いて、世界が白くなる。洗面所の電気を付けたのだ。ミラーシェイドをしていないレイの顔が映る。
どきりとした。
レイは鏡を見ている。自分が映った鏡を。
それなのに、まるで自分が見つめられているようで──
『ティモネ』
どくん。
心臓が痛い。
レイの声が、自分の名前を呼んで。
『この街に来て……ティモネに会えて、俺は幸せだったと思う。だから、ティモネにも幸せでいてほしい。もし、自分のせいで笑う事も忘れてしまうような気持ちになるようだったら、忘れてくれて構わない』
ティモネは知らず、胸の前で手を握っていた。その中には、グリーンオニキスのネックレス。
何よ。
思った時、「あー」とため息のような声が聞こえた。
『……それは嘘、だな』
頭を掻いて、鏡に映るレイは、また真っ直ぐにティモネを見つめる。
『覚えていてくれるといい。我儘で悪い。だから、せめて俺が君にとって幸せな夢で終れるといいと思う。俺らの映画はいろんなところで見られているし、続編とかいうのも出るだろう。でも、この街で君を愛していたのは、此処にいる俺だけだから』
手に力を込める。
『どうか、全部終った後でも、君が幸せになってくれるように、笑って生きていけるように』
微笑んでいる。
レイが。
真っ直ぐに。
ティモネを。
『──祈っている』
満足そうな、それでいてどこか照れたような顔。自分の声が聞こえて。レイが「別に」とか言っている。
ティモネは唇を噛んだ。
いつかは終わると分かっていたし、覚悟もとっくに出来ているつもりだった。
誓った、あの日から。
「私はレイさんを夫とし、健やかなる時も辞める時も、たとえ明日に全てが消えようとも、離れ離れになろうとも、それを止められないのだとしても、私はレイさんを傍で愛すると、誓います」
そう誓った、あの日から。
わかっている。
わかっていた。
もう、レイはいない。
それもわかっている。
それなのに。
「最後まで、私を泣かせて終わるのね……酷い人」
映写機は回っている。
白い光が、ティモネの頬を照らした。
画面の中で、レイが『愛してるよ』と言った。画面の中のティモネは『どうしたんですか、急に』なんて言っている。
胸の中に降り積もった星の粉が、溢れ出て。
耐え切れずティモネは崩れ落ちた。
「レイさん、レイさん」
グリーンオニキスのネックレスを握り締めて、ティモネは繰り返した。
「レイさん……愛してる、愛してます……大好きです、レイさん…っ…レイさん」
愛しています。
レイさん。
大好きです。
レイさん。
レイさん。
涙が溢れて止まらなかった。
──自分の思いは、こんな風に伝えることが出来ただろうか。
彼の夢や彼の好きな物をもっと教えてほしかった。もっと傍に居たかった。彼の理想の女性に成長して、「綺麗だね」と言わせたかった。
過去に忌まわしい事件があった。それを塞いでしまいたくて、微笑みで取り繕って、他人を信用してこなかった。やがてひねくれ、天邪鬼になった。そんな自分でいいと思っていた。
レイのことも。
からかってからかって、からかわれて怒って、そんな繰り返しだったけれど、それは自分のせい。
そんな自分でいいと思っていた、自分のせい。
そんな自分に、レイは愛情の意味を教えてくれた。
いつの間にか大きくなっていた、彼の存在があったから。
少しずつ変わっていった。
変わっていったのだ。
レイが、いたから。
自分は。
なのに。
そのレイは。
もう、何処にもいない。
いない。
「レイさん」
ティモネが顔を上げた時、映写機はもう止まっていた。
部屋は照らすものもなく、真っ暗だ。
ティモネの声だけが、暗い部屋に響く。
「レイさん。ずっと愛してるから……忘れたりしないから」
涙は止まらない。
今も。
胸が潰れて死んでしまいそう。
けれど。
今は。
ただ今は、彼に出会えるきっかけになったこの街を愛していこう。
切なくて、レイの名を呼んで、崩れ落ちているだろうけれど。
彼と出会えたこの街を愛していこう。
夜が訪れるたびに涙を流しながら、それでも前向きに。
「レイさん」
グリーンオニキスのネックレスを握り締める。
「大好きです」
それは確かに、彼がいた証。
「愛しています」
レイとティモネが、出逢った証。
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クリエイターコメント | お待たせ致しました。 木原雨月です。 言いたいことはたくさんあったのですが、もう胸がいっぱいで。 ただただ、お二人を想うばかりです。
婚姻のお言葉を宮本ぽちWRより、L様からのメッセージを淀川WRのノベルより、それぞれ引用させていただきました。 この場をお借りして御礼申し上げます。
この度は木原をご指名いただき、誠にありがとうございました。 |
公開日時 | 2009-06-28(日) 12:50 |
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