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<ノベル>
○2006年8月
未知の物体が空を飛び、馬に乗った騎士が駆け抜ける。ギャングが銃撃戦を繰り広げ、狩衣の公達が蹴鞠に興じている。
店先に立って、針上小瑠璃(しんじょうこるり)は眺めていた。
撮影ないのはわかる。編集で作られるシーンまで、彼らは生き生きと演じていたから。
では、何が起こったのか。理解出来ないまま推測を諦めて、バージニア・スリム・ロゼ・メンソールを取りだした。
澄ましたパッケージから煙草とスリムライターを抜き、いつものように火をつける――つもりが、指先の感触に結果が伴わなかった。
オイル切れだ。補充する気にも諦める気にもなれず、唇に挟んだまま持て余していると声がかかった。
「小瑠璃ちゃん、使いな」
隣の駄菓子屋で、婆さんが手招きをしている。
「ありがとう」
百円ライターを貰い、お礼にヴァージニアスリムをおごる。使うと、オイルの匂いが鼻に残った。
日常が残っていることに、少しだけ安心する。
「あれ『全米最恐映画』の殺人鬼だ! なんか投げた!」
興奮した声に顔を上げると、鍵屋の二階から下宿人が身を乗り出している。
「流れ弾に当たらんようにな」
小瑠璃は言って、短くなった煙草を灰皿に押しつけた。
驚きっぱなしだけれども、少し慣れた。
パレードか祭りか、まるで陽気な百鬼夜行を見ているかのようだった。
○2007年9月
日常のほつれ目に指をひっかけて裏返したような、非日常が始まって。
一年後も、リオネの魔法は続いていた。
鍵屋『カミワザ』の店舗は、ガタが来ているがとにかく頑丈だ。代替わりしても心配はいらないだろう。
小瑠璃は頬杖をつきながら思った。『次代』の影も形もないのは横に置くことにする。
瓦屋根の二階屋は、明治時代に建てられたと聞く。西洋建築を手本にした日本家屋で、知らない人は文化遺産かセットだと思うような貫禄だ。
初めて見た小瑠璃も例外ではなかった。今は、申請すれば遺産に認定されると確信している。
煙草盆に煙管の灰を落として、これまた年代物の柱時計に目をやる。三時を回った頃だ。
「しまいにしよか」
小瑠璃は立ち上がった。午前中に一人
表へ出て準備中の札を下げる。秋を感じさせる日差しの中、通りは閑散としていた。
魔法以前の住人は、ほとんど残っていない。
最後まで粘っていた駄菓子屋の婆さんも、タナトス兵の襲来がこたえたようだ。孫夫婦のところへ越していった。その前から下宿人が離れていったこともあり、小瑠璃の周囲はうら寂しいものだった。
雨戸を閉めていると、背後で轟音がした。
振り返ると、斜向かいの空き家が大破している。使用不能になった玄関と居間の境目に、人が立っている。
と思ったのもつかの間、倒れた。舞い上がったほこりが落ち着いても、その人物はぴくりともしない。
小瑠璃は駆け寄り、。
相手は三十前後の男性で、金属光沢を放つ髪をしていた。和風のファンタジー衣装といい、きっとスターだろう。
腕が妙な角度に曲がり、体の下からじわじわと血溜まりが広がっている。放っておいては寝覚めが悪い。
「仕方ないなぁ」
ぼやいたが、心はすでに決まっていた。
小瑠璃は彼を引きずるようにして、下宿へ連れ帰った。
魔法やハザードは好きになれないが、ムービースターだからと差別するほど偏見はない。彼らも、つきつめてみればただの人なのだから。
* * *
近くに住む医者に往診を頼み、怪我の手当てをしてもらった。命に別状はないと保証していた。
男は二日後に目を覚ました。一服中の小瑠璃は、そのまま相手の警戒が解けるのを待つ。
彼は部屋中を見回し、小瑠璃に尋ねた。
「ここは安全か?」
「あほやなぁ」
うっかり呟いた本音に、男のまなじりが吊り上る。
「あんたの敵のこと、うちは知らん。せやから、あんたにとって安全かどうかなんてわかるわけない」
「それもそうだ」
彼は神妙な顔で頷いた。世話になった、と頭を下げて、立つべく腰を浮かす。すぐにうめいて尻餅をついた。
忌々しげに顔を歪め、添え木を当てた左腕をさする。
「これでは飛べない。巣に帰ることも、群れと合流も出来ない……!」
「治るまで、うちに下宿していったらどうやろうか?」
小瑠璃はとっさに申し出ていた。事情はわからないが、怪我人を放ってはおけない。それに空き部屋ならいくつもあるし。
男は逡巡して、それが良策だと判断した。
「世話になる。おれは灰鋼(はいはがね)だ」
「うちは針上小瑠璃や。ちなみに、お金は持ってるんか?」
「いや」
一呼吸置いて、小瑠璃は笑顔に凄みを加える。
「そうか。うちはスター難民にも厳しいで。ちゃんと宿賃、働いて稼いでもらうからな」
「……世話になる」
繰り返して、灰鋼は深々とお辞儀をした。
○2007年10月
千草(ちぐさ)が診察するのを、灰鋼と小瑠璃は息を殺して見守った。
「もういいよ。動かしてごらん」
四十過ぎの女医は、泣く子も気絶する厳しさで有名だ。
灰鋼は神妙に頷いて、腕を動かしてみる。最初こそぎこちなかったが、繰り返すほどに滑らかさが戻っていった。
「これで医者は用済みだね。カミワザさんに栄養のあるものを食べさせてもらいなさい」
屋号で呼ばれて、小瑠璃は苦笑を噛み殺した。
「ありがとうなぁ、先生。またおかず持ってくわ」
「期待している」
「小瑠璃の作る食事は美味い」
灰鋼が口を挟むと、千草はぷっと噴き出した。
「カミワザさんもたまらないね。こんなのと一緒だと」
「慣れるしかないわぁ」
小瑠璃は肩をすくめてみせる。千草はくしゃっと笑い、慌ただしく帰っていった。二つ先の角にある医院は、いつも患者であふれかえっている。
灰鋼が庭へ出るのに、小瑠璃はついていった。
両腕を太陽へと掲げると、鈍色の金属めいた羽毛が表面を覆う。
小瑠璃はヴァージニアスリムをくわえて、人から鳥へと変わる様子を見ていた。
「飛べるんか?」
「ああ。飛べる」
「なら、帰れるなぁ」
小瑠璃の言葉に、灰鋼が動きを止めた。
苛立ちの混じった寂しさが、胸をよぎった。治るまでだと、最初に確かめたはずなのに。
「仲間もきっと、探してるやろなぁ。はよ安心させてあげ」
言い重ねる。
灰鋼の、鉤状の嘴が動いた。
「群れを探してくる。夕飯はカボチャの煮物が食べたい」
「わかったわ。けど、遅くなったら、先生の胃袋に収まっているやろなぁ」
小瑠璃は意地悪くうそぶく。
鳥はガァと鳴いて、茜色の空へと飛び立った。
お裾分けに行く前に、灰鋼は帰ってきた。
以来、鍵屋には外泊の多い下宿人が住んでいる。
○2008年1月
無事――ではないが、年を越した。三年目にも入れば、魔法に慣れてくる。
のんびりと正月休みを満喫していると、千草がやって来た。
「先生、おめでとうございます」
「明けましておめでとう」
土産の餅を渡されて、小瑠璃は台所へ向かう。雑煮を作って戻ると、千草はこたつでぬくぬくとテレビを見ていた。
たっぷりと野菜を入れて白味噌で仕立てたお椀を、黙々と食べる。
「初詣は行ったか?」
「まだや。先生は?」
「自宅待機だ」
「色気がないなぁ」
「カミワザさんこそ。下宿人は?」
小瑠璃の箸が止まった。
「……大晦日から戻らんでなぁ。リクエストされたおせち料理、冷蔵庫で眠ってるわ」
「ではいただこう」
止めるべきか迷っているうちに、重箱と缶ビールがこたつの上に並ぶ。
千草は商売繁盛に乾杯して、嬉々としてつつき始める。まあいいや、という気になった。帰りが遅いのが悪い。
それでも気づけば、一人分を取り分けていた。
ほろ酔い加減でたわいない話をしていると、玄関で物音がした。
小瑠璃が駆けつけると、灰鋼がいた。泥と埃と雪にまみれて、鼻水を垂らしながら小刻みに震えている。
「寒い」
「毛布持ってくるから、待っててな」
「小瑠璃」
きびすを返したところを、呼び止められる。
灰鋼は服の下から、札束を取りだした。外側はよれよれだが、帯封がついたままだ。
「お年玉は間に合っとるで?」
言ってから、怪しい金ではないと確認すべきだったと反省した。灰鋼はぐいぐいと金を押しつける。
「巣にあった宝物を現金に換えてきた。先月分の家賃だ。足りるか?」
「今年分を払ったとしても、お釣りが来るわ」
否応なく受け取ると、灰鋼は深々と頭を下げた。
「今年もよろしくお願いしま……へぶしッ」
けじめの台詞が台無しになった。
小瑠璃は腹を抱えて笑った。半分は酔っているせいだ。
にじんだ涙を指で拭い、お辞儀を返す。
「こちらこそ、よろしゅうな。風呂沸かすから、風邪引かんよう待っとってなぁ」
小瑠璃は熟睡した酔っぱらいに毛布をかけ、下宿人を風呂場に閉じこめて着替えを用意した。
一段落してため息をつく。まったく世話が焼ける。
けれど今の暮らしにまんざらでもない笑みを浮かべ、煙草に火をつけた。
いつまでも続けばいいと思っていた。
○2008年2月
次に変化が訪れたのは、不意のことだった。
「いつまで寝てるんや?」
起きてこない灰鋼にしびれを切らして、部屋へ向かう。戸を叩いても返事はない。
叩いても、呼んでも、何をしても。
すとんと確信した。解錠の時、ピッキングの道具がシリンダーを捉えた瞬間に煮ていた。
「入るで……」
引き戸をずらす。
室内は記憶のままの和室に、灰鋼の生活感が混ざっていた。
畳の上に足跡が点々と残っている。その先にフィルムが一巻、転がっていた。
小瑠璃は柱にもたれてそれを見つめた。
あるべき死の形を、受け入れようとした。
* * *
午後は鍵屋を臨時休業にして、市役所へ向かった。
仕事以外で対策課を訪れるのは初めてだった。あふれる活気と熱気が、いつもと違った風に見える。
しばらく傍観していた。
依頼を受けた一行を送り出した植村が、小瑠璃に気づいてどうしましたかと声をかける。
「あほな下宿人が今朝、フィルムになっとってん」
案外、普通に言えた。
フィルムを植村に渡し、簡単に説明して逃げるように去る。
休憩スペースの喫煙コーナーに寄り、雑多な人の流れから離れる。
胸ポケットから煙草を出した。今はピース・スーパーライト・ボックスを吸っている。
「ほんま、あほやわぁ」
明るく呟いてみた。
通夜を行おうと思った。知り合いを集めて、灰鋼のことを話すだけの簡単な。悼むぐらいだったら、懐かしむ方がいい。
区切りのための儀式だ。
○2008年3月
銀幕市は穴やまだらの蜂で騒がしいけれど、小瑠璃の生活にさしたる影響はなかった。
関わっている人達と、面識がないからかもしれない。大変だと思う一方で、他人事だという意識があったのは確かだ。
いつも通りの日、店にいると引っ越しトラックが店の前を通った。隣の元駄菓子屋で停まる。
荷下ろしのかけ声。業者に指示をする女性の声。時折挟まる男性の声。新しい隣人のようだ。
騒ぎに耳を傾けながら、小瑠璃は煙管をふかした。
閉店前に、隣人は『カミワザ』にやって来た。どこにでもいるような中年の夫婦だ。
「こんにちわぁ、挨拶が遅くなってすみませんねぇ。隣に越してきましたぁ」
「これ、つまらないものですが。お世話になります」
にこにこと妻が言い、優しそうな夫が引っ越し蕎麦を差し出す。
「鍵屋『カミワザ』の店主、針上小瑠璃です。よろしくお願いします」
蕎麦を受け取って、世間話をする。
魔法とスターの話になると、妻が声をひそめた。
「バッキーっていうんですか? あれ、襲ってきたりしませんか?」
「こいつ、食べられるんじゃないかって怯えてるんですよ。私も怖いですけどねえ。死んだらフィルムになるなんて、実感が湧きませんよ」
不安げなムービースターの夫婦に笑いかける。
小瑠璃がスターに対して持っていた疑念と同じだ。
「無闇に襲ってくるバッキーなんて、滅多にいないです。もし万が一、そういうのと会ったら逃げてください」
憤って泣いた後は、嬉しくて笑う時が来る。だから、この暮らしが愛しい。
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クリエイターコメント | このたびは、オファーありがとうございました。
お言葉に甘えて、色々と捏造・アレンジさせていただきました。 お気に召していただければ幸いです。 |
公開日時 | 2008-07-14(月) 17:50 |
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