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<ノベル>
祭り囃子がこだまする。
雑踏の中、相原は浴衣姿で散策していた。もちろん、一人で。かといって友達がいないわけじゃない。いないのは「彼女」だった。友達の誰もが恋人と二人で祭りに出向いたのだ。銀幕市で最大の秋祭り、そう言われればそれ以外の選択肢など無いように思える。
そんなわけで、やや寂しさを背中に背負いながら、相原は参道を歩いていく。
「おっ?」
並び立つ屋台の中でハート状の何かが目につく。
「へえ、鍵売ってる屋台か」
それはたくさんの箱が並んだ屋台だった。その上にはプラスチック製の網が張られており、色んな種類の南京錠が架けられていた。
「そこの嬢ちゃん、坊ちゃん、見ていきや?」
屋台の中では煙草をくゆらせた女性が道行く人々に声をかけていた。
「このハートの南京錠とか良いなぁ。いつかのために今買っておくのも良いか」
「お買い上げありがとさん」
屋台の女主人、針上小瑠璃が相原の言葉を耳にして声をかけた。
「……って、独り言っす、独り言。ハハハ」
慌てて否定する。小瑠璃はそんな相原に笑いかける。
「そう言わんといてや。どうや、この箱に付いとる錠の鍵を一分以内に開けれたら箱の中身をプレゼントするで」
屋台の前に並んだ箱、赤い箱や青い箱、大きい箱から小さい箱まで。相原はそれらをじっくりと眺めていく。
「へえ、中身は何だろ。気になるなぁ」
「中身は、とってもええものや」
小瑠璃が含みを持たせた笑みを漏らす。
「どれを選んでも百円や。豪華な賞品が詰まってるんもあるで?」
他の祭りじゃ、見かけない屋台だな。相原はそう思った。一回くらい、やってみるか。
「あの、すいません。オレ、チャレンジしたいっす。え〜と、んじゃ、この箱で」
相原が指したのは白くて平たい箱だった。
「ええで、これで開けてやぁ」
小瑠璃が出したのは鍵の束だった。小さな鍵が、輪にぶら下がっている。
「よーし、行くぜ」
張り切って鍵の束を受け取る。
一個目、開かない。
二個目、開かない。
「なかなか開かんなぁ」
ニヤニヤと小瑠璃が笑っていると、
「開いた!」
なんと三個目で成功した。
「やるなぁ、兄やん」
「えへへ」
「中身はまるぎんの五百円割引券や」
相原は割引券を両手に持って掲げた。周りから拍手が零れる。
「ども、どもっす」
律儀な相原はペコペコと頭を下げて回っていた。
「おめでと、これ、うちがポイント貯めて、もろたやつなんよ〜」
「へえ、そうなんすか。嬉しいです」
ニッコリと歯を見せる相原に、小瑠璃も笑みを返した。
「兄やん、可愛い浴衣着て、微笑ましいわぁ」
小瑠璃がそんな相原を見て言った。
「へへ、照れるっす。オレの浴衣姿、可愛いっすか? いやぁ、お姉さんみたいな綺麗な人に言われると嬉しいっすね」
「お世辞が上手いなぁ、兄やん」
「いや、ホントっすよ。オレよりお姉さんの方がオレより浴衣姿が似合いそうな感じがするなぁ」
真っ赤になりながらそう話す相原を、小瑠璃が見つめる。そして、ふとさっき相原が見ていたハートの南京錠に目を止める。
「ハートの気になるんやないの? 彼女にプレゼントしたらええやん」
すると相原が手を振って頭を掻いた。
「いや、彼女……まだ居ないんすよ、ハハハ」
そして、その照れを隠すように言った。
「あ、そうだ。自己紹介がまだだったっすね。オレ、相原圭って言います。お姉さんのお名前は?」
「圭、か。これまた可愛い名前やね。うちは、針上小瑠璃いうんや。鍵屋やっとるから、いつでも来たらええよ」
小瑠璃から握手を求める。相原も手を握り返す。それから、まるぎんの割引券を見て言う。
「これ、お姉さんがポイント貯めたんすか。お姉さんって堅実な方なんすねぇ」
「まあ堅実っちゅうか、そりゃまぁ、まるぎん贔屓にしとるもん。あんたも口が上手いなぁ。そない言うても飴ちゃんしかでぇへんよ?」
そう言って飴を渡す。
「アハハ、オレ本当のことしか言ってないっすよ? って、ありがとうございます。やっぱ小瑠璃さんは優しいっすね」
飴を受け取った相原はもう一度ゲームに挑戦した。その合間に、相原は話しかける。
「小瑠璃さんって鍵屋さんなんすね。だから、屋台も鍵を扱ってるっすね。まるぎん贔屓で家事も得意、いいなぁ、家庭的なお姉さんって…………ってもう時間がねぇ!」
今度は焦れば焦るほど時間が過ぎていき、震え、汗ばむ。開きそうでなかなか開かない。とうとうタイムアップとなってしまった。
「あ〜。残念! そう何度も運良く当たらんちゅうことやねぇ。でも、ようやったようやった」
小瑠璃はそう言いながら相原の頭を撫でる。すっかり意気投合してしまった。
「エヘヘ、照れるっすよ、小瑠璃さん。そうっすよね、そう何度も開けられないっすよね、アハハ」
そう言いながらももう一回、と百円を小瑠璃に手渡した。三回目の挑戦とあって、周囲も注目しているようだ。その視線を感じつつ、彼は小瑠璃の渡す鍵束を手にする。
「兄やん、そんなおべんちゃら、つこてもなんもでぇへんよ。ほんま、あんた可愛い子やなぁ」
それから、ニンマリと笑って、
「それとも、うちにおべんちゃらつこて、何かしてもらいたいんか?」
つんつん、と頬を突く。その瞬間、鍵が開いた。
「エヘヘ、そんな……やった、開いた!」
「おっと、おめでと、CDデッキが出てきたやんか。これは今年の運、使い果たしたんとちゃう〜?」
すっかり仲良くなってしまった二人だった。
★★★
数日後の事だった。小瑠璃の予言が当たったのか、相原は自転車の鍵が壊れてしまい、困っていた。学校の帰り道だった。
「ついてねぇなぁ」
カン、と軽く自転車のタイヤを蹴る。
「圭、なにやってんだよ」
友達がからかって通り過ぎる。
「鍵が開かねんだよ」
拳を振り上げる。
「頑張れよ」
友人はそう言って帰って行った。
「ったく、ちっとは手伝えよな」
そう言いながら鍵に目を向ける。鍵は刺さっているのに錠が下りないのだ。
抜き差ししてみる。動かない。次に鍵を石で小突いてみる。やっぱり動かなかった。
「自転車屋にでも持って行くかなぁ」
諦めかけたその時だった。彼の脳裏に秋祭りの事が思い浮かんだ。
「そういえば、小瑠璃さん……鍵屋さんだっけ」
あの時にもらったチラシには、店の場所も載っていた。そんなに離れてはいない。
「よし、行ってみっか」
自転車を抱えて持って行く。重さの割りに、心は軽い。修理は、半ば口実だった。
「自転車も直って、小瑠璃さんとも話せる。一石二鳥だぜ」
いつしか鼻歌まで歌っていた。道行く人々は、そんな相原を訝しげに見ていた。
「こんにちは〜」
ようやく鍵屋カミワザに着いた時には汗だくになっていた。
「なんやぁ? 祭りん時の兄やんやない」
出てきた小瑠璃は彼の汗を見てびっくりする。そして、いったん店の中に入るとタオルを持って出てきた。
「ほれ、これで汗ふきぃや」
相原はタオルを受け取り、顔を埋める。石鹸の香りがした。
「ぷはっ、小瑠璃さん、ありがとっす」
「どないしたんや、いったい?」
相原は置いた自転車を指差して言った。
「見てくださいよ。鍵、壊れちゃったんすよ」
「ああ、自転車の鍵かぁ。そりゃ難儀やったなぁ」
小瑠璃は彼の汗のわけをようやく察して、頷いた。
彼女はゆったりとした動作で自転車に近付くと、腰を屈めて鍵の部分を見る。
「ほな、修理しよか?」
「はいっ」
元気よく返事をして、相原はその場にへたり込んだ。やはり、きつかったのだ。
それを見て小瑠璃が笑う。相原も照れたように笑い返した。
「ちょい時間ちょうだいな。一回分解せんとあかんみたいやから」
カチャカチャとドライバーを動かしている。相原はそれに乗じて話題を振る。
「小瑠璃さんは知ってるっすか?」
「何をや?」
振り返らずに小瑠璃は聞いた。
「最近の事件」
ふ、と小瑠璃は空を見た。何かを思い出すように。それからようやく相原を振り向いて、「どれや?」と問い直した。
銀幕市には事件が多すぎる。
「例えば、こんな話知ってるっすか」
相原が話し始めたのは赤い本の話しだった。
「赤い本、あったなぁ、そないな話し」
「なんでもそこには銀幕市に実在する人物の悪い話しが書かれてるって話しっすよ。気味が悪いっすよね」
小瑠璃はあまり深く立ち入らないようにした。赤い本の噂は彼女も聞いていた。
「そうなんやてなぁ。でもな、うちがもしその本拾うても、見いへんと思うわ」
「気にならないんすか?」
「なんや、怖いしなぁ」
「そうっすね。小瑠璃さんは見ない方がいいっす」
「兄やんは見るんか?」
「オレっすか? オレはたぶん見ますね」
「なんでや?」
「何か、見ない方が怖いから、かな」
そう言って相原が笑うと、小瑠璃の肩が揺れているのが分かった。
「恐がりなんやな」
「小瑠璃さんは強いっすね」
見ないことは、それを拒絶する強さなのだ。そんな芯の強い小瑠璃に、相原は感心した。
「でも、最近は物騒な話しが多くないっすか? この前も、サーカスで誘拐事件が起きたそうじゃないすか」
「ああ、そうやてなぁ。なんや、ウサギ、とかさらわれたらしいで」
「ウサギ? そうなんすか」
なんだか情報が錯綜しているようだ。
「あれも、結局市民の努力で解決されたらしいすよ。犯人はスターだったって聞いてます」
「スターかぁ。事件が多いなぁ」
ここ数年、銀幕市ではムービースターによる事件が頻発している。小瑠璃のお隣さんだった老夫婦も、タナトス兵団の襲来によって逃げ出してしまった。そうやって一般の市民が犠牲になることを、小瑠璃は快くは思っていなかった。
「小瑠璃さんは、嫌いっすか?」
「何をや?」
「銀幕市の魔法つうか、ムービースターとか……」
小瑠璃の表情と受け答えを見たからだろう、相原がおずおずと質問する。
それを受け止めて、小瑠璃は微笑んだ。
「人としては嫌いや無いよ。事件は起こらん方がええと思うとるけどね」
それを聞いて相原はホッとする。少なくとも嫌悪してはいないようだ。
「兄やんも、彼女が事件に巻き込まれたりしたら嫌やろ?」
同情するような瞳で、小瑠璃は言った。
「あ、オレ、彼女いないんすよ」
相原が頭を掻く。
「ああ、そない言うとったな」
「こ、小瑠璃さんはどうなんすか?」
相原がそう問いかけた瞬間、小瑠璃はしゃっくりをしたような表情をした。
「う、うち?」
「はい。恋人とか、いるんすか?」
「敵わんなぁ相原には。そないにうちの話しが聞きたいんか?」
そう言って、小瑠璃はドライバーとラジペンを床に置く。
「うちかて若い頃は淡い恋もしたんや」
「そ、そうなんすか?」
相原が驚いた様子で身を乗り出す。
「そうやなぁ、例えば、うちの初恋や」
初恋、その言葉に相原の喉が鳴った。別にいやらしい思いではない。純粋に気になったのだ。
「うちの初恋は、ちょうど相原と同じか、もうちょい若いくらいやった。遅咲きやったんやね」
小瑠璃は目を瞑り、口の端を少しだけ引く。微かな笑みは懐かしんでいるようでもあり、恥ずかしがっているようでもあった。
「その子はなぁ、格好良くはなかったんや」
ぽつり、と呟く。
静寂が訪れる。小瑠璃は言葉をつながない。相原は問いかけようとしたが、我慢した。小瑠璃は思い出に浸っているのだ、と分かったからだ。
「……陸上部、やった」
ようやく小瑠璃が目を開いた。相原はその瞳を、少女のようだと思った。
「速くはなかったんよ。短距離走でな。選手には選ばれん人間やった」
小瑠璃の脳裏に、駆け抜ける彼の姿が思い浮かんだ。タッタッタッタ、リズムの良い足音が心を揺らす。
学校の帰り道だった。叱責の声で小瑠璃は振り向いた。
「何度言ったら分かる。フォームが崩れてるんだ腕は真っ直ぐに、足は高く、だ」
その男の子は、その場で短距離走のフォームを何度もやらされていた。小瑠璃は首を傾げて通り過ぎた。
次の日、小瑠璃が帰ろうとすると、また彼が怒鳴られていた。
「できないなら辞めちまえ!」
可哀相に、小瑠璃は少し同情した。
だが、それを覆す表情を彼はしていた。
「嫌です! 絶対に辞めません!」
彼は涙を流しながら叫んでいた。周りを気にすることなく、全力で叫んでいた。
「なんやあれ……はっずかしいわ」
小瑠璃の隣を、クラスメイトが通っていった。だが、小瑠璃は通り過ぎることが出来なかった。何より彼の表情が、彼女を捉えて離さなかった。
「その人が、初恋の人、っすか?」
「そうや。おかしいか?」
相原が首を振る。でも、分からなかったのだ。なぜそんな情けない人間に惹かれたのか。
「どうしてっすか? 小瑠璃さんだったら他にも良い人が……」
ピト、小瑠璃の人差し指が、相原の唇に触れる。
「うちにとって、格好良かったんよ。だって、あの子は一生懸命やったもん」
その日から、小瑠璃の帰宅時間が少しだけ遅くなった。彼の走る姿を見るために。
その男の子は、決して一番にはならなかった。部でも遅い方だった。だが、彼は走った。何度も、叱られても、汗まみれに、泥まみれになっても。
「うちはいっつも端っこで見てるだけやった。でも嬉しかったんや。あの子が一生懸命走ってる。それだけでうちも元気になれたんや」
相原は小瑠璃の輝く目を、嬉しそうに眺めている。
「気付いて、もらえなかったんすか?」
いつの間にか、相原も笑顔を見せていた。
「どれくらい経った頃やったかな。うち、いつもタオルをバッグに入れるようになっとった」
「その人に渡すためっすね」
「そうやぁ。でも渡せんのやねぇ。こういうの、乙女心、ちうんかな?」
「そうっすねぇ」
ほんの少し頬を赤らめる小瑠璃を見て、相原は可愛い、と思った。
「じゃあ、結局渡せなかったんすか?」
「それがやね、渡せたんよ」
その日はなぜか、いつもより遅くまで練習を見ていた。練習する人間が一人減り、二人減っていってもその男の子は走ることを止めなかった。
風がフッと走る。その風が誘ったのか、彼の目が小瑠璃の方に向く。そして、彼は走るのを止めた。
え、と小瑠璃は息を呑んだ。彼が歩いてくる。ゆっくりと、それはコマ送りのように彼女には思えた。見回すと、この空間には二人しかいなかった。
彼は肩で息をしていた。走りすぎて、汗が塩に変わっていた。
「はあ、はあ。こんにちは」
「こ、こんにちはぁ」
「誰を待ってるん? もう、皆帰ったよ」
小瑠璃は鼓動が耳を打つのを感じていた。それほど大きく、高鳴っていた。
小瑠璃は、もう一度息を呑んで、それから指をスッと上げた。それは真っ直ぐに彼を指差す。
「え?」
「あ、あんた見てたんや」
そう言って、プイとそっぽを向く。すぐにごそごそとバッグを漁り、タオルを取り出した。
「これ!」
「え? え?」
彼は訳が分からず、自分を指差して周囲を見回した。
「俺?」
「そうや! これ!」
おずおずとタオルを受け取る。彼はまだ事情を理解していなかった。
「へえ、何か可愛いすね」
相原が笑った。
「彼やろ?」
小瑠璃もにこやかにしている。
「まあそっちもっすけど、小瑠璃さんっすよ」
その相原の言葉に、小瑠璃の頬が真っ赤になった。
「それっすよそれ、かーわいいなぁ」
「相原、大人をからかうんや無いよ」
そう言って小瑠璃は相原を羽交い締めにした。
「あはは、痛いっすよ」
相原も満更ではなさそうだ。小瑠璃は腕を解いて相原の頭を小突く。
「まあ若い頃なんてそんなもんや。ついでに最近の話しもしてやろか?」
最近、と聞いて相原の動きが止まる。
「最近っすか?」
「そうや。うちのやっかいな居候のことや」
彼女はそれから、一人のムービースターの話をし始めた。
「あいつは、怪我をしてたんや」
医者に連れて行ったこと、それから居候することになったことを話す。
「危ない、って思わなかったんすか?」
相原が問う。
「うちかて怖かったわぁ。そやけどな、それ以上に可哀相やと思ったんよ」
「でも、それだけで?」
「それだけや無いよ? ちょっとね、似てたんよ……」
あ、と相原も気付く。
「……初恋の人に?」
相原の言葉に、頷いた。
「うちは、特別やと思うとらんやった」
「それはどういうことっすか?」
小瑠璃は話した。彼との日々を。外泊の多い下宿人とのささやかで楽しい日々を。
それは相原には少し難しい問題だった。彼にとって、愛とは形があり、言葉と言葉で交わされるものだった。好き、という一言があり、抱擁があり、笑顔がある。それが彼の思う愛だった。
だが、小瑠璃の語る一コマ一コマは、何でもない日常の出来事だったのだ。
それでも、少しずつ彼には分かってきた。愛とは特別ではないのだと。それは表情だった。小瑠璃のちょっと上気した頬と、ほっとした眼差しと、赤く濡れた唇……。その全てが「特別でないことが特別」なのだと教えてくれていた。
「小瑠璃さん、嬉しかったんすね。分かるっすよ、オレにも」
小瑠璃ははにかんで相原を小突く。
「子供が何言うとるの」
「オレ、子供じゃないっすよ」
彼の表情は真剣だ。それを見て、また小瑠璃は微笑んだ。弟を見るような、愛おしげな笑みだった。
「それで、その人はどうしたんすか?」
相原の言葉で、小瑠璃の顔にフッと影が差した。
「それやけどな……亡うなってしもうてん」
その言葉はあまりにあっさりで、すぐには意味が分からなかった。
「亡うなって……?」
オウム返しに言葉を繰り返す相原に、小瑠璃はもう一度言った。
「フィルムに戻ってしもうたんよ」
それがどういうことか、相原はゆっくりと受け止めた。
しんと静まりかえる屋内で、小瑠璃は作業に戻った。ピンセットとドライバーを持ち、何やら鍵に向かっていた。その背中を、相原はじっと眺めていた。少し丸めた後ろ姿は、寂しそうだったが凜としていた。
「小瑠璃さんてすごい人なんだなぁ」
小さく声に出して言ってみた。
「ありがとさん」
同じく小さく、小瑠璃が返す。それを聞いて、相原は小瑠璃を可愛い人だなぁ、と思う。しかし、それを口には出来なかった。何だか恥ずかしかったのだ。
「さあ、できたで」
小瑠璃が振り返る。その顔はもう笑っていた。先程の憐憫など微塵も残されていない。
「あ、ありがとうございます」
「せっかく来てくれたんやからな。お代はまけとくわ」
そう言って、小瑠璃は代金を受け取らなかった。
★★★
それから数日。
「小瑠璃さ〜ん」
「どないしたん相原? また自転車か?」
「違うっすよ。小瑠璃さんにこの前のお礼しようと思って」
彼の手にはケーキの箱が提げられていた。
「なんやぁ、そないなこと、せえへんでも良かったのに」
そう言いながらも、席を用意する。
「お茶煎れような」
そそくさと台所に向かう小瑠璃は、嬉しそうだった。その姿を見て、相原も嬉しくなってしまう。
「小瑠璃さん、マロンとチーズケーキ、どっちが良いっすか?」
「うち、マロン」
「じゃあオレがチーズケーキもらうっすね」
紅茶を手にして、お喋りに花を咲かせる。
「美味いなぁ」
「美味いっすね」
小瑠璃が笑い、相原が笑った。
二人の笑顔は、そっくりだった。
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クリエイターコメント | お待たせしました、プライベートノベル納品です。 今回は楽しくて深みのある話しをご依頼いただき、ありがとうございました。 かなり捏造してしまった部分がありますが、良かったんでしょうか? 私自身も感慨深くなりながら執筆させていただきました。
キャラクターの行動などに問題がある場合はいつでもお申し付けください。
それでは、またの機会をお待ちしています。 |
公開日時 | 2008-11-05(水) 22:50 |
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