★ 月隠り夜話 ★
クリエイター瀬島(wbec6581)
管理番号867-6332 オファー日2009-01-14(水) 19:23
オファーPC 柏木 ミイラ(cswf6852) ムービーファン 男 17歳 ゆとり
ゲストPC1 針上 小瑠璃(cncp3410) エキストラ 女 36歳 鍵師
<ノベル>

 しゅんしゅん。
 かたんかたん。
 しゅんしゅん。
 かたんかたん。

 古めかしい石油ストーブの上にかけられた薬缶が、湯気を吹き上げて蓋をリズミカルに揺らす。
 あくまで加湿が目的で沸かしていたはずの湯ではあるが、ミイラは勝手知ったるといった具合にそれで焙じ茶を淹れていた。

「おばちゃーん、今時マッチでつけるストーブとかねーよ……。いいかげんファンヒーター買おうぜ」
「あほ、使えるうちは使わなあかん。贅沢言わんと、あんたも手伝うてや?お客さんと違うねやろ!」
「へいへい」

 あと二時間で日付が変わる。
 あと二時間で今年が終わる。

 この家の中でそんな気配をかもし出しているのはテレビの特番くらいだけで、ミイラ自身は年の瀬の粛々とした雰囲気など何処吹く風であった。慌しく、けれど手際よく水仕事を片付ける小瑠璃の催促も耳に入っているのかいないのか、生返事の後で小さな欠伸をひとつ。
小瑠璃は小さく鼻で溜息をつき、いつものことやわ、と軽く笑って台所に戻った。

 いつものこと。
 いつもの会話。

 それはとても心地よくて、それが傍にあることは当たり前だけど当たり前ではない。当たり前を維持することは、実は結構難しい。カミワザの腕と名前を継いだ小瑠璃はそれを誰より分かっているつもりだけれど、時々遊びに来る昔馴染みの生意気な少年__そろそろ青年と呼んでもいいのだろうけれどそんな雰囲気は微塵も感じられない__が自分に対して持つ気持ちは、果たして当たり前と呼んでいいものだろうか。
小瑠璃がカミワザに弟子入りしてから十六年と少しが経っている。その間、ミイラはつかず離れず、正確に言えば時々妙に距離が近くて時々遠いところにいつも居た。銀幕市に魔法がかかってからもそれはあまり変わらなくて、小瑠璃はそれを喜ぶ反面、ほんの少しだけ不安を感じてもいる。
何に?と問われれば何になのかはよく分からない。分からないから不安なのかもしれない。たとえば中身の分からない箱に鍵がかかっていたとして、開ける術を持っていてもそれを開けるのは何となく気が引ける……そういう気分に近かった。

「ほら、お蕎麦出来たで。炬燵の上くらい片してや!」
「散らかしてんのおばちゃんじゃん」
「うっさいわ!」

 しぶしぶといった具合に、小瑠璃お手製のピックフックや愛用の紙鑢一束など、先週の新聞の上に置かれた仕事道具を炬燵の端に退けるミイラ。口ではぶーたれているものの、漂ってくる香りには抗えない。
 皮をぱりっと焼き上げた鴨の腿肉に、さらにその脂で焼いた白葱がのせられた鴨南蛮は本当に美味しそうだ。

「いただきまーす」
「ん、いただきます。あ、せや。チャンネル、変えてくれへん?」
「紅白?」
「うん」

 ぱんと手を合わせ、年越し蕎麦をすすり始める二人。ミイラが小瑠璃の提案で古いテレビのツマミをがちゃがちゃやると、大晦日の風物詩的歌番組がぼやんと映し出された。丁度、ニュースを挟んだ後半が始まったところらしく、今年連続出場五回目だというヒップホップグループの派手なステージが繰り広げられていた。

「紅白ゆうたら、演歌やろ」
「おばちゃん渋いなー」

 何気ない一言二言の合間に黙々と蕎麦をすすり、ミイラはぷはっと一息つく。鼻をかみ、ちり紙をバスケのシュートのようにフォームを決めてそれをゴミ箱に放り投げた……はいいが、華麗に外れた。鼻で溜息をついた小瑠璃に頭をゴチン★されたのは言うまでもない。

「いってー!」
「当たり前や、散らかさんとき!」

 またもぶーたれて炬燵をのそのそと出、ゴミ箱の横に転がったちり紙屑をひょいとストライクしたミイラだったが、ふと思い出したように軽い足取りで台所へと向かった。訝しげに振り返る小瑠璃を気にする様子も無く、冷凍庫の引き出しを開けて大きめの白い容器を取り出し戻ってきた。

「おばちゃん、アイス食う?」
「はあ? いらんわ、こない寒いのに」
「ちぇー」
「そない、食べたいんやったら、お蕎麦の後にし! 食べかけやろ」

 はーいと素直に容器を冷凍庫に戻し、冷たくなった手を炬燵の中へ入れるミイラ。その様子を、箸を止めて見ていた小瑠璃はふと、少し前のことを思い出した。

「そうや……あんたなあ、秋祭りのアイス。あれは何やったん?」
「え? 普通のアイスじゃん」

 大きめな黒縁眼鏡の上からでもはっきりと分かるほど、小瑠璃が眉をしかめてミイラを見る。美味い鴨南蛮を食べているはずなのに、小瑠璃の舌の上によみがえるのは塩とカラメルの半々になった散々な味だった。思わずその記憶を打ち消すかのように鴨南蛮の出汁をずっとすすって深く溜息をつく。

「あれのどこが、普通やねん!」
「塩キャラメルじゃん。今年塩スイーツ流行ったし、いけるかなーって」
「あほ! あない、塩味のきっついキャラメルがあるか!」
「同じこと言わなくていーってば」
「あないなもん、他のお客さんに食べさせたらあかん。……まさか、今持ってきたんも塩キャラメル?」

 疑いと警戒の眼差しを向けた小瑠璃に、ミイラはふふんと笑って自信ありげに首を横へ振る。

「んなわけねーじゃん。ボクがおばちゃんに食べさせたいのはいつだって新作だぜ」
「その新作のおかげで秋祭りの思い出がしょっぱいねんけど」
「誰がうまいことを言えと」

 塩キャラメルフレーバーの酷評は堪えていない様子で、ミイラはもう一度食べかけの鴨南蛮に手を伸ばした。それを合図に、小瑠璃もまた蕎麦を手繰り始める。歌番組はいつしか大御所と呼ばれる歌手たちの時間帯に差し掛かっていた。

「……あ、この歌手。うち好きなんよ」
「おー、やっぱおばちゃん渋いな。ボクも好きだけどさ」

 しゅんしゅん。
 かたんかたん。

 つるつる、ずっ。
 ふー、ふー、きゅきゅっ。

 しゅんしゅん。
 かたんかたん。

 つるつる、ずっ。
 ふー、ふー、きゅっ。

 二人が蕎麦をすすり、葱を噛む音の合間に歌番組は進んでゆく。
 今年がもうすぐ、終わる。

「あー、美味かった。年越しはおばちゃんの鴨南蛮に限る」
「お粗末様やで。丼は自分で下げやなあかんよ?」

 手をぱん!と合わせ、ご馳走様の挨拶も忘れずに。

「そーだ、アイス。持ってくるー」
「なんや、ほんまに食べる気でおったん?」
「うん、だってこれはおばちゃんのアイスだから」

 しれっと笑ってミイラが再び持ってきた白い容器。
 おばちゃんのアイス、それは少しだけ可愛い響きでもって小瑠璃の耳に届いたが、塩キャラメルの教訓がそれを期待にまで押し上げることを止めた。それでも、その言葉の意味を知りたくて。小瑠璃は少し笑って容器に視線を注ぐ。

「うちは、そないに食べられへんよ?」
「いいよ、アイスは賞味期限ないからさ」

 ミイラはいつになく胸を張ったような返事とともに、白い蓋をそっと持ち上げる。

「あらぁ……」
「どうよ!」

 中から顔を出したのは、紫とも藍色ともつかない鮮やかな色に、すこしだけクリーム色の混じったマーブル模様のアイスだった。
 手馴れた様子でディッシャーを使い、アイスを硝子の器に盛り付けるのを見て、小瑠璃は目を細める。

 ___もう、るりねーちゃんて呼んどったお子様やないねんなぁ

 ふと、香ばしい香りが小瑠璃の鼻をくすぐった。見れば、盛り付けたアイスの上には細かく砕かれたナッツと、きらきら輝くアラザンが振り撒かれていた。

「綺麗やなあ……」
「プラネタリウムみたいだろ」
「うん」

 藍の夜空に雲の筋と金銀の星。
 そうか、だからこれが自分のアイスなのかと、小瑠璃は少しだけ笑った。
 渡されたスプーンでマーブルのちょうどよく入った部分をひと匙すくい、口に運ぶ。鴨南蛮の塩気と炬燵の熱で、冷たい甘いものを求めていた舌に、藍色が心地よく溶けた。

「……ん、美味しいわぁ」
「だろ?」

 ぽろりと、小瑠璃の口から出た一言はお世辞ではない。
 藍色、ブルーベリーをベースとした味の上に、雲色、クリームチーズがふんわりと溶ける。香ばしいナッツの食感がタルトを思わせ、まるで上等なケーキを食べているように思えた。
 一口ごとに目を細め、眉尻が下がる。それを見たミイラも、嬉しそうに笑って自分のためにアイスを盛る。

「おばちゃ……るりねーちゃん」

 ふと、小瑠璃の耳に届いたのは、とても懐かしい響き。

「……何やねん、急に」
「何となく?」
「あはは。えらい、久しぶりに聞いたわぁ」

 呼び方を変えてみたのは戯れにだけれど、小瑠璃から返って来た反応がいつもと変わらなかったことと、久しぶりにそう呼んだ所為で、ミイラは何だか恥ずかしくなってしまった。スプーンの端を噛み噛み、炬燵に頬杖を突いて、話題を変えるようにぽつぽつと話を始める。

「あー……こないださあ、ごめんね」
「ピッキングのこと?」
「何でわかんの」
「あんたが謝ること、いうたら、それぐらいやろ」

 それもそうだと心の中で呟き、ミイラは肯定の意味でアイスを一口。

「……まぁ、ええわ。でもな、うちは教えへんからな」
「分かってるよ。殴られたの痛かったし」

 うん、とお互い違う意味合いで小さく頷き、またアイスに手が伸びる。

 それから少しの間、沈黙の中に硝子の器とステンレスのスプーンが軽くぶつかる音が響いた。


 かつん。
 こつん。

 きん。


 ___あほ、何しとんや!


 かつん。
 こつん。

 きん。


___…ってえ!


 ミイラがカミワザの鍵を開けてみようとしたことに、悪気や企み心は何も無かった。その時はミイラ自身がそうだったと確かに言い切れるけれど、果たして今もそうだろうか。

 ただ、開けてみたかった。
 何を?

 ただ、試してみたかった。
 だから何を?

 ウジャトの目_自身の後ろ暗い仕事_でムービーハザードをボコボコにすることは、恐らく自分のアイデンティティの一端を担っている。それはミイラにも自覚があった。けれど、それを、小瑠璃……るりねーちゃんの前で胸を張って言えるだろうか?
そのことと、カミワザの鍵を開けようとしてみたことの因果など無いように見える。見えるけれど、あるような気もする。
 結局のところ、ミイラも『開け方は知っているけれど開ける気になれない鍵つきの箱』を抱えているようなものかもしれない。アイデンティティと思慕の狭間に、開けてしまえば自身の何かがそこから飛んで行ってしまうような、漠然とした不安が付き纏うのだろう。

「オレ、鍵屋じゃねーけど」
「うん?」

 ___昔みてーに、るりねーちゃんに褒めてほしいのかも

「……何でもね! アイスごちそうさま!」
「……?」

 恥ずかしい台詞を、最後の一口で夜空に包んで飲み下す。こんな台詞はもう少し大人になってからでも、もう少し色んなものに胸を張れるようになってからでも遅くない。

「……あ、でもその頃おばちゃんがもっとおばちゃんなっちまう」
「何や?」
「だから何でもねって!」

 思わず口に出た一言は聞き逃されなかったらしい。逃げるように自分の器を下げにゆくミイラを尻目に、小瑠璃はふっと溜息をついてアイスをもう一口。さっき言いかけたミイラの台詞の前半を反芻しながら、前歯でアラザンとナッツをぷちりと噛み砕く。
小瑠璃は、自分は教えないときっぱり言った。正面切って自分に弟子入りを願うならともかく、興味本位で自分の鍵を開けようとする人間に技術を伝えるわけにはいかない。そもそも昔馴染みでなかったら警察に突き出していただろう。
でも、本当にそれだけだろうか。

 どうせなら生半可な技術を身につけられるより、きちんと教えてやったほうがミイラのためになるのではないか。その方がミイラも安全なのではないか。

 __……ちゃうわ、あほ

 最後の一口を飲み込み、夜空の残り香を鼻からふっと吐き出して。ようやく、自分のどこかをふよふよと彷徨っていた不安に名前をつけてやることが出来た。

 心配。
 自分はミイラが心配だ。

 ミイラが自分の知らないところで何をしているか、全くさっぱり知らないわけではない。だから不安になる。この街が魔法に包まれてからというもの、ミイラはいつのまにかとても危うい存在になっていた。平穏に日々を過ごして欲しいと願っていても、この街の魔法とミイラのアイデンティティがそれを許さない。なす術の無い自分は、見守るしかない。せめて悪いことに手を染めないでいてくれたらと、鍵屋の技術は渡したくなかった。

「なんや。それだけかぁ」
「おばちゃん何か言った?」
「……何でもないんよ」

 ふっと、先程のミイラのように思わず零れた言葉と一緒に、小瑠璃の唇からは笑みも零れた。不安には名前をつけてやれば、何も怖いことはない。それはそれとして横に置いておけるし、前を向けるように祈り、願うことも出来る。
 それに。

「ごちそうさまぁ。美味しかったで、ほんま」
「っしゃ!」

 ミイラはきっと、小瑠璃が思うほどお子様ではない。きっと。
 これから先、たとえば今のような当たり前の時間が揺らぐようなことがあってもいい。ずれてしまったら戻す努力をすればいい。当たり前であり続けられるように願い、そうなるようにすればいい。

「……うお、除夜の鐘鳴ってんよ」
「ほんまやなぁ。ほな、初詣行こか?」
「うん、千草センセイも誘ってこ」
「そやな」

 小瑠璃が頷くのを確かめて、いそいそと上着を羽織り玄関に出るミイラ。履きつぶしたいつもの靴をタタキでとんとんと足に入れ、ふと。炬燵やらストーブやらを消している小瑠璃に向かって顔を上げた。

「おばちゃん!」
「何ー?」
「あけましておめでとう!」
「……おめでとうさん!」

クリエイターコメント大変お待たせいたしました、【月隠り夜話】お届けいたします。
書いてる最中は鴨南蛮食べたくて食べたくてうっかり作ってしまいました。カモネギはジャスティス。

今回は何気ない会話と、生活の中の音を軸に話を進めさせていただきました。
新作のアイスとともに、お二方の御口に合えば幸いです。

この度のご依頼真にありがとうございました!
公開日時2009-02-03(火) 23:00
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