★ 【選択を前に】 preservation ★
クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号364-7516 オファー日2009-05-01(金) 23:39
オファーPC 針上 小瑠璃(cncp3410) エキストラ 女 36歳 鍵師
<ノベル>

 強引に喩えるなら、レヴィアタンは魚、ベヘモットはムカデだった。
 ならば今、銀幕市という箱庭を睥睨するマスティマは何に喩えられるべきなのだろう。虫一匹逃すまいと目を光らせるこの奇怪で冷酷な獄卒は。
 だが、あれが人の心の集まりであるというのなら、そもそも形あるものになぞらえようとすること自体が無意味であるのかも知れない。


 人の列が続いている。まるで砂糖に群がる蟻のようだと、針上小瑠璃はぼんやり考えた。
 (砂糖なら良かったんやけどなぁ)
 銀幕市役所に集まった人々の先に待ち受けているのは無情な“選択”だ。どれひとつとして砂糖のように甘くはない。多くの市民が血を吐くような葛藤と苦悩に苛まれながら自分の答えを選び取っている。
 しかしどこの世界でも同じだ。人は無数の岐路を経ながら生きている。砂糖菓子のように口当たりが良いだけの選択肢などこの世にひとつとして存在しない。
 市役所の門にもたれかかった小瑠璃は何をするでもなく煙管をくわえている。昨今、喫煙者ほど肩身の狭い人間もいるまい。もちろん市役所は全館終日禁煙で、ご丁寧に敷地内での喫煙も禁止ときている。
 意見表明の場に立つでもなく、その列に加わるでもなく。ただ紫煙を見つめている。脆弱な煙は緩慢にもつれ合い、ほどけ、春風にさえ翻弄されて消えていく。
 「ほんまに……ああ、もう」
 無造作な手つきで黒髪をぐしゃぐしゃと掻き回すと苦々しげな舌打ちが漏れた。
 「何やの。いい加減にしてほしいわ」
 もうひとつ舌打ちして頭上を仰いでも、そこにはあの無慈悲な絶望の姿があるだけだ。


 市役所に行けば今日も人の列が続いているだろう。街の中からは人は消え失せてしまったようだが。
 小瑠璃はいつものように『カミワザ』の店先に腰かけている。いつも通りのツナギをまとい、いつも通りの同じ煙草をくゆらせ、いつも通りどこか物憂げに頬杖をつきながら。
 活気に満ちているとはいかないまでも、店先から眺める往来にはそれなりに人通りがあった筈だ。元日の朝だってこんなにひっそりと静まり返ってはいない。皆が家の中で息を潜めているのだろう。上空に留まっている巨大な絶望の化身の足許を歩くなどと考えただけでも寒気や吐き気をもよおす者も多いに違いない。
 だが、小瑠璃の後頭部に頭痛のようにのしかかっているのはマスティマの姿ばかりではない。タナトス三将によって“選択”が突きつけられてからずっと、あの夢神の子の顔が胸を占めている。
 先日の花見の際に神子が言っていた。皆が自分を好いてくれるのは嬉しいが、そのせいで間違えないでほしいと。誰かを好きになると間違いやすくなるのだと。
 そして……自分は間違ってしまったのだと。
 (まさか、この事やったんか?)
 花見の席で、小瑠璃は神子の言葉をありがたく受け取りつつも明るく笑っただけだった。どこか寂しげな神子の気を紛らわせるかのように桜の下で肩車をしてやったものだ。
 (あん時は忠告はありがたく受け取っとく思たけど……まさか、こんな選択が来るとは思うてへんかったなぁ)
 知らず、苦笑いがこぼれる。
 あの夢神の子はこうなることを知っていたのだろうか。メルヘンの世界から抜け出して来たかのような衣装と色彩を纏ったあの少女神は。
 「いっちょ前に。……てゆうたら失礼か。あの子は神様の子やもんなあ」
 引き寄せた灰皿の上でとんとんと煙管を叩き、小瑠璃はのんびりと立ち上がって伸びをした。
 「ほな、そろそろいこか」


 市役所ではやはり人の列が続いていた。牛歩の如く進む列に加わり、小瑠璃は袖をまくったツナギ姿で腕を組む。
 列の先にはヒュプノスとタナトス、二振りの剣。片方は永遠の眠りを、もう片方は死をもたらす。
 (あの子を眠らせるんはちぃとなあ……)
 病院で眠り続ける少女の胸を貫き、この魔法に永久の安定を。白銀の名を冠する将はそう言った。
 だが、少女の両親の気持ちはどうなる。それを考えれば自分たちの一存で決められることではないように思い、ヒュプノスの剣を手に取るという選択肢は早い段階で頭から打ち消されていた。
 従って、残る道はふたつ。もうひとつの剣を使うか、あるいはどちらの剣も使わないか。
 考える間にも市民たちの意見表明は続いていく。毅然とした顔で票を投じる者もいれば、この場に立って尚煩悶している者もいたし、震え、涙に声を詰まらせながら決断を述べる者もいた。
 黄金、白銀、青銅。三柱の神の前に市民たちは蟻のように列を作る。どの将の前に立ったとしても甘い蜜など望めはしないが、蜜を求めてこの場に立っている者はいないだろう。
 誰もが辛酸を舐めることになる。完全無欠のハッピーエンドなど存在しないのだと、無表情に佇む三柱の将軍が告げている。
 徐々に短くなって行く列の中で、小瑠璃の思考は徐々に焦点を結び始めていた。
 (花見ん時の言葉通りに……約束通りにするんやったら――)
 タナトスの剣を使えということなのだろうか。かの剣をもって自らを“裁き”、この夢を終わらせよと。
 それは覚悟であろう。まぎれもない覚悟なのであろう。あの少女神が、魔法に踊らされた街と人の姿を目の当たりにし、幾度も涙を流して、小さな体を震わせながら懸命に固めた覚悟なのだろう。
 相変わらず人の列は続いている。だが、小瑠璃の前の列は、後ろに続いている列よりも格段に短くなりつつあった。


 やがて小瑠璃の番が来た。
 ヒュプノスの剣を携えた白銀の将。タナトスの剣を手にした青銅の将。そして、何も手にせずに無言で佇む黄金の将。
 小瑠璃は黒縁眼鏡の奥から彼の者らを順々に眺めた。その視線が青銅の将軍の上で止まる。
 そもそもこの魔法に良い印象を抱いていたわけではない。タナトスの剣の前に進み出て意志を伝えよう。神子の言葉を忠実に守って。
 だが、青銅の名を持つ将の足許に佇む小さな神子の姿が目に入った瞬間、ふっと意識が引き戻されたような気がした。
 ――この三つの“選択肢”が提示された時、夢の神子は寂しげに微笑んでいたという。悲しそうにではなく、寂しそうに。
 (……寂しい?)
 小瑠璃は二、三度眼を瞬かせた。
 魔法がかかってもたらされたのは良いことばかりでも、悪いことばかりでもなかった。ムービースターを助けるために頭をひねったことも、奔走したこともあった。もちろん、ハザードやヴィランズに振り回されたり、苦しめられたりしたこともあった。
 多くのスター達と出会った。気の合う連中もいればいけ好かない奴もいた。一緒に笑ったし、怒ったことも、泣きそうになったこともあった。
 そして、何の前置きもなくある朝フィルムになってしまった下宿人――。
 (それが……全部なくなるんか?)
 楽しかったことも。嫌なことも。笑顔も涙も怒りも。
 良い意味でも悪い意味でもすべてが無に還ってしまうというのか。優しく降り積もった記憶も胸糞が悪くなるような思いも、魔法がかかってから出会った人たちとの繋がりも、何もかも。
 「………………」
 左腕を握り締めた右手が震え、左手の指がきつく右腕を掻き抱く。
 ……タナトスの剣でこの魔法を終わらせればすべてが“なかったこと”になる。ならば何のためにこんな思いをした。何のために迷惑をこうむった。何のために……彼ら彼女らと一緒に時間を重ねた。
 小瑠璃は小さく息を吸い、吐き、そして――爪先の向きを変えた。
 白銀の将軍も青銅の将軍も横目で見送り、黄金の名を持つ死の彫像の前に立つ。
 「あの子に覚悟があるっちゅうことは分かった。でもな、そんな仲ようなってから“はい、そぉですか、ほな”なんて真似できひんわ」
 飄々とした風情を崩さず、しかしキリッと歯を鳴らす小瑠璃の前で黄金の将はぴくりとも動かない。
 「あの子の忠告無視して悪い思とるけども……出来る限りのことしたいやん、な?」
 だからどちらの剣も用いずにマスティマと対峙するのだと。
 からりとそう伝えた小瑠璃の声は、青銅の将軍の足許に立つ小さな神子にも届いていただろう。


 天空に君臨する絶望の王は未だ沈黙を保っている。彼の者を形作る数多の顔が叫んでいるのは憎悪にも殺意にも、断末魔や怨嗟のようにも見えた。
 それでも今はこんなにも静かだ。この静けさの後に一体どんな嵐が訪れるのか、未だ誰も知りはしない。
 残酷な猶予にじりじりと心身を焦がされ、ある者は煩悶し、ある者は覚悟を定め、ある者は滂沱し……それぞれに審判の刻を待つ。


 (了)

クリエイターコメント※このノベルは『オファー時点での』PC様の思いを描写したものです。


ご指名ありがとうございました。【選択の時】をテーマにした企画プラノベをお届けいたします。
昨年五月のシナリオ以来ですね(嬉しそうな顔で)。

オファー時点で既に選択がお済みということで、投票までの過程を書かせていただきました。
だいぶ短いノベルとなりましたが、必要な要素は詰め込んだつもり…です。
preservation は一般的には「保存」「維持」ですが、ここでは「残しておく」「留めておく」というニュアンスで選びました。
今ひとつしっくりくる言葉が思い浮かばず…「全てを無に還すのは嫌」という辺りをヒントにして考えたのです、が。

ともあれ、オファーありがとうございました。
結果がどうなるのか、記録者も正座で見守りたいと思います。
公開日時2009-05-04(月) 19:00
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