★ あなたにお礼を ★
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
管理番号96-7452 オファー日2009-04-22(水) 21:58
オファーPC 針上 小瑠璃(cncp3410) エキストラ 女 36歳 鍵師
<ノベル>

 電車とバスを乗り継いで辿り着いたのは、市の中心街からずいぶんと外れた、名前も知らない小さな山の裾にある小さな町の、さらにその外れに佇む一軒の鄙びた屋敷の前だった。
 小瑠璃は腕組みをした姿勢で門の前に立ち、しばし何をするともなく立ちつくしていた。
 眼前に建っているのは、小ぢんまりとしてはいるが、数奇屋造りを思わせる建物で、門から覗き見ることのできる庭も、小さなものではあるけれども風情を思わせるものだ。
 造りの風情には不釣合いにも思えるブザーに指を伸ばす。もう、少なくとも四、五回は押しているような気がするが、応答は一度も返されてはいない。それどころか屋敷内に人の住んでいるような気配も窺えず、周囲にも人家らしいものはひとつもない。田畑と畦道とに囲まれた立地だ。
 本来ならば屋敷の留守を検めた後に帰宅するべきなのかもしれない。が、小瑠璃は手にした一枚の小さな紙に目を落としてため息を吐く。
『門を開けてください』
 用件のみが簡潔に記されたそれは飾り気のないシンプルな便箋で、門戸の隙間に挟まれ、風に揺れていたものだ。
「門……開けろいうことやろなぁ、やっぱり」
 独りごち、小瑠璃は普段着としても愛用している繋ぎ服の腰に提げ持ってきたベルトから商売道具をいくつか抜き出した。

 小瑠璃が店主を務める「カミワザ」に電話があったのは昨日の晩のことだった。正確には夕刻を少し過ぎた頃、だろうか。
 小瑠璃はちょうどそのとき店を留守にしていたから、留守電に残されていたメッセージを確かめたのが晩だったのだ。ともかく、留守電に録音されたその声は聴き馴染みのない少女の声で、どこか押し殺したような、聴き取りにくい口調をしたものだった。
『たすけて。家から――(ザザ)屋敷から出られないの。(ザザザッ)ここを開けて』
 ところどころひどく音質に荒れが見られたが、それは混線しているのだろうと思われる程度の雑音だった。
 メッセージに残されていた住所を調べ着いてみたはいいが、地図を広げ調べたときの予想をはるかに上回るほどに、閑散とした土地だ。門戸についていた鍵は今では珍しい和錠だったが、これを外すための作業を始めた小瑠璃を訝しく見ているような人影は見渡す限りひとりもいない。
 ほどなくして開いた錠を外し門戸を開く。広がったの庭に敷かれた飛び石の上を歩き進めて屋敷へと向かう。
 やはり、誰の気配も窺えない。ただ単に、住人が不在になっているだけという話なのだろうか。
 飛び石を踏み進め庭を抜ける。手入れは届いているようだ。
 玄関はすりガラスの引き戸で、引き戸の横にはやはりブザーが設置されている。念のためにと押してみた。が、応答はない。
 錆びたポストには日付の古い新聞がいくつか入れ込まれたままになっており、この家は少なくとも久しく無人のままであることを報せている。
「はァ……どないせェ言うんやろうか」
 呟き、首を鳴らした。
 もしかするとイタズラ電話だったのかもしれない。――なるほど、誰かが公衆電話などを利用してイタズラをしかけてきたのなら、あの伝言に混じっていた雑音にも合点がいくような気がする。
 小さなため息を吐きながら、小瑠璃はポストの中の新聞に目を落とした。せめて、この家の住人がいつ頃から留守にしているのかを見てみようと思ったのだ。
 そこに記されていた日付は思いのほか古いものだった。数ヶ月前どころか、十数年前の日付になっている。――十数年間、このまま放置されたままになっているということか。考えながら、小瑠璃はふと視線の位置をわずかに移した。新聞の束、その真ん中に、まるで風に飛ばされないように配慮されたかのように、メモ用紙は一枚挟み込まれている。
『玄関を開けてください』
 門に挟み込まれていた便箋に記されていたものと同じ字だ。
 小瑠璃は気だるげに前髪のあたりを掻きまわし、改めて眼前の屋敷を仰ぎ見てみた。そうして、いくつかの矛盾点らしきものがあることに気がついたのだ。
 もしも仮に数年単位にわたる長時間放置されたままの建物であるなら、庭の手入れが届いているのはおかしい。振り向き、庭の様子を検めた。庭木の類はきちんと枝葉の手入れも届き、草花は刈り込まれて整っている。
 ――いや、それよりも。
 門には施錠がされていた。しかし新聞は門戸を通り抜けた先のポストに入れられているのだ。ということは、少なくとも、この新聞を配達していた人間は門戸を通り抜けここまで出入りできていたということになる。それはつまり、少なくとも、その頃には門戸の施錠はなされていなかったということになるのではないだろうか。
『玄関を開けてください』
 メモに記された文字をもう一度確かめて、小瑠璃は再び仕事道具を手に取った。
 
 玄関はカラカラと静かに乾いた音を響かせながら開き、古い家にありがちな、独特な空気が鼻先をかすめた。
 玄関を入るとすぐ右手に腰ほどの高さの下駄箱、その上に花瓶や鏡が置かれている。たたき土間を模したデザインであるようにも窺える。
 玄関には靴もなく、続く板張りの廊下は磨かれ、ほどよい艶めいた光彩を放っていた。
 ――やはり、無人ということはなさそうだ。
 小瑠璃は目を細めて首をかしげた。
 まるで誰かが意図的に小瑠璃を招いているかのような――。
 そんな考えが頭の隅をよぎった瞬間、小瑠璃はふと視界の先に一枚の紙が落ちているのを見つけた。それは廊下の先、障子の傍に落ちている。
 小さく息を吐き出して、小瑠璃は玄関から廊下へと歩みを進めた。履いてきた靴はまとめて道具箱の中に突っ込む。
「邪魔するで」
 一言かけてみるが、当然ながら応えはない。肩で息を吐き、気の進まないままに
足を進めた。むろん、視界の先にあるのは障子の傍にある一枚の紙片だ。
『障子を開けて』
 予想通りの一文がそこにある。
「なんやったかなぁ……確かこういう内容の話があったような気がするわ」
 頭を掻きながら障子に手を伸ばす。

 家の中は静謐な空気で満たされている。例えばおそらくは無人であろうと思しき家の中にあっても、障子を開けるときにカタカタと小さな音を響かせる、それすらをも躊躇してしまうほどに。
 しかし、人の住まない空間には湿気がこもるものだ。一見すれば首をひねってしまいそうになるほどに手入れの届いた空間のように見えても、障子を開けたそこに敷かれていた畳は相応に湿り気を吸い込んでいたようだ。小瑠璃が踏むと、畳はミシリとわずかなへこみを感じさせた。イグサが腐敗しているのだろう。
 畳敷きの部屋には箪笥が一棹。円い卓袱台は脚を畳んだ状態で壁に掛けられており、それ以外には家具らしいものは見当たらない。小瑠璃がいる場所から一番離れた奥に開かれたままの押入れがあり、その中もどうやら空であるようだ。
 紙片らしいものは見当たらない。
 障子を閉めて部屋を後にしようとした、その時。小瑠璃はふと視界の端に小さな引き戸らしいものがあるのを目にした。そう、喩えるなら茶室へと続く入り口を彷彿とさせるような。
 赤茶けた木で造られたそれは部屋全体の風景にそぐうものでは決してなく、それゆえにひどい違和感を漂わせていたが、小瑠璃はその引き戸の前に紙片があるのを見つけてしまった。気付けば考えるよりも先に、湿気を帯びて腐ったイグサの上を歩み進め、膝をついてその紙片を拾い上げていた。
『目の前の赤い戸を開けてください』
 迷わずに手を伸ばした。

★ ★ ★

「どなたもどうぞお入りください。決してご遠慮はありません」

★ ★ ★

「ああ、そうや。確かあれやな。宮沢賢治や」
 ぽつりと落とし、赤い戸の向こうに広がった部屋を一望しながら目を細ませる。
 四方を障子で囲まれた畳敷きの部屋。広さは先ほどの部屋よりもいくぶんか広くなっているだろうか。ただ、心なしか、空気が澱んできているような気がする。四方を囲う障子がどれもきちんと閉められているせいだろうか。雨戸は閉められていない。外の明るさは無遠慮なほどに射し入ってきているというのに、なぜか仄暗いものを感じる。
 曇ってきたのかもしれない。
 思いながら次の紙片を探す。部屋の中には箪笥も卓袱台も何一つとして置かれていない。が、ただ、部屋の真ん中にあたる位置にゴザの敷物が敷かれてあるのだ。畳の変質を防ぐためのものなのかもしれないが、それにしても、ゴザの端々に赤茶けた汚れが付着している。――まるで何かが飛び散ったかのように。
 刹那、背筋がザワリと粟立ったのを感じ、小瑠璃は両手で自分の身体をさすりあげた。早く次の場所に移動したかった。
 次の紙片はゴザの端、その下に挟みこまれていた。抜き取って手にしたとき、小瑠璃は思わず目を見張った。
 真っ白な便箋に、まだ真新しくさえ感じられるほどに生々しく、赤い何かが付着している。
『ゴザをどけて』
 一息に敷物を引き、除けた。
「…………っ」
 声を飲み込む。
 ゴザの下には赤茶けたものが広がっていた。その真ん中に位置する畳が一畳除かれている。穴は床下へと続いているようで、覗き込んでみると、床下にはさらに穴が開いていた。
剥き出しになった土の傍、覗き込んでいる小瑠璃の目にも分かる文字をしたためた紙片があった。
 
 呻き声のようなものが穴から響き上がってくる。それは複数の人間の声のようで、恨み言をひたすら繰り返しているかのような、あるいは小さく泣き続けているかのような、――小瑠璃は思わず両手で耳をふさいだ。

★ ★ ★

「いや、わざわざご苦労さまです。
 大へん結構にできました。
 さあさあおなかにおはいりください。」

 ★ ★ ★
  
『私はこの中にいます』

 赤茶けた文字で――それは間違いなく血で書かれたものだろう。ともかく、その紙片は、小瑠璃の視界の中、押さえる石や何かがあるわけでもないのに、風に吹き飛ばされることもなく土の上にあった。
 同時に、その穴の中から、呻き声のような音とは別の音が聴こえ始めていたのを小瑠璃は知った。
 ごり ごり ごりごり ごり べしゃり
 ――何かが、穴を、這い上がってこようとしているかのような。
 
 本能がそうさせたのだろうか。思わず半歩退き、場を去ろうとして身をひるがえした小瑠璃の目に映りこんだのは、周囲を囲む障子のすべてに記された赤い文字、文字、文字、文字
『私はその下にいます』
『もうすぐ』
『除けてくれてありがとう。もうすぐ』
『あと五十センチ』
『あと三十センチ』
『ひかりがまぶしくてめがつぶれる』
『あと十センチ』
 ごりごり べちゃり ごり べちゃり べちゃ

『あなたのかおがみえた』

 穴の下、白々とした頭蓋骨がこちらを覗き見上げていた。

 ◇

 十数年前、屋敷の持ち主は妻子に失踪された悲しみを抱え、住居を他の街へと移したのだという。けれども持ち主はその後も屋敷を手放そうとはせず、そのまま十数年間放置したままでいたらしい。「いつ妻子が戻ってきてもいいように」。持ち主はそう嘯いていたらしいが、住居を移してからまもなく、内縁にではあるが新しい女を迎え、新しい暮らしを始めていたのだという。
 
 小瑠璃は数台のパトカーに囲まれた状態で事情を聴取された。なぜ縁もなにもないこの土地に足を運んだのか。なぜ鍵を開き、中に踏み入ったのか。なぜ、どうやって――床下に埋め隠されていた死体を発見できたのか。それらの説明はすべて、小瑠璃の証言に反することなく証明された。つまり、仕事場の留守電に残されていた伝言は紛れもなく“失踪していたとされる娘のもの”だと証明されたし、小瑠璃が手にしていた紙片に書かれた文字もまた娘の筆跡によるものだと証明されたのだ。しかもそこには娘のものと母親のもの、二種の指紋も残されていた。不思議なことに、その指紋は十数年前に残されたものなのではなく、つい最近つけられたものであるらしいことも判明した。
 結局、小瑠璃は事情を聞かれただけで比較的早期に解放された。
 
 ◇

 帰宅した小瑠璃はポストの中にいくつかの封筒があるのを確認し、さほど興味もなくそれらを手にとって部屋に戻った。
 疲弊していた。
 煙管に火を点けて口に運び、紫煙を一筋吐き出す。空気に溶けて消えるそれを目で追った後、何とはなしに封筒を一つずつ検めた。大半が店舗の宣伝や、そういった、小瑠璃には関心のないものだった。むろん中には仕事に関するものもあり、そういったものと不要なものとに区分けを始めた小瑠璃は、ふと、その中に小さな紙片が一枚混ざっていたのを目にして目を見張った。
 真っ白な、装飾も飾り気もなく、四つに折りたたまれた便箋。
 手にした瞬間、部屋の空気がいっぺんに重々しいものへ変じたような気がした。
 風が壁を叩いている。ドン、ドン、ドン、ドン

『みつけてくれてありがとう。たすけてくれてありがとう。これでお父さんをむかえにいけます』

 ドン、ドン、ドン、ドンドンドン ドンドン、ドン   バン!

 窓を叩く音がして、小瑠璃は思わず振り向いた。そうして小さな悲鳴を口にする。
 
 少女の顔が窓ガラスに張り付き、こちらを見ていた。
 わらっていた。

クリエイターコメントこのたびはプラノベのオファーをありがとうございました。
お届けが大変に遅れましたこと、お詫びいたします。

宮沢賢治の「注文の多い料理店」を引用してみました。イメージ的にはああいった、不条理的なものを目指してみたのですが…いかがでしたでしょうか。
お気に召していただければ幸いです。
公開日時2009-05-24(日) 18:40
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