★ 【鍵屋カミカゼ】その奇妙なる一日 ★
クリエイター木原雨月(wdcr8267)
管理番号314-7583 オファー日2009-05-12(火) 23:09
オファーPC 針上 小瑠璃(cncp3410) エキストラ 女 36歳 鍵師
ゲストPC1 狩納 京平(cvwx6963) ムービースター 男 28歳 退魔師(探偵)
<ノベル>

 チャイム。
 針上小瑠璃は捲っていた帳面から顔を上げた。扉が開く気配はない。小首を傾げると、吹かしていた煙管から白い煙がぽわりと浮かぶ。
「開いとるよ」
 声をかける。しかし、一向に開く気配はない。煙管から口を離し、タンッと灰を捨てる。ドアの向こうは沈黙。黒ブチメガネの奥で瞬きをして、小瑠璃は腰を上げた。
 扉を開けてもそこに人影はない。いよいよ悪戯かと思いだした時、足元でこつりと音がした。見下ろせば梱包されているでもない箱が唐突に置いてある。とりあえず手にとってみれば、それはまさしく箱である。宛先も送り先も書いていない、ただの箱だ。金属製でそこそこの重さはあるが、それは箱の重さであって、中身の重さではないように思える。鍵がかかっているようで、蓋は開かない。
「なんや、気味悪いなぁ」
 小瑠璃は頬を掻く。鍵屋に鍵付きの箱を送ってくるのだから、開けろという意味ではあろうが。
 鍵屋カミワザ。
 銀幕市に古くから続く鍵屋で、車、金庫、家などの開場、新しい鍵の作成、ピッキング対策まで幅広く扱う老舗だ。地元や警察からの信頼も厚く、解錠の依頼はかなり多い。数年前に師匠である店主が亡くなってからは小瑠璃が一人で店を継いだ。
 ぱっと見たところ、この箱は解錠にそう手間はかからなそうに見える。しかし、宛先差出人ともに不明。開けられない物は無いのでは、とまで言わしめる小瑠璃であるが、訳の判らない物を不用心に開けられるほど好奇心旺盛でもない。しかしチャイムを鳴らして置いて行った、と思われるから、宛先は鍵屋カミワザで間違いないのであろう。
 さて、どうしたものかと作業台に戻った時、ふと一人の男を思い出した。小瑠璃は受話器を取る。
「……あ、もしもし? うち、針上小瑠璃。久しぶりやんね。あんな、ちょいと頼まれてくれへん?」

  ◆

「差出人不明の鍵のかかった箱、ね」
 狩野京平は腕組みをして、その箱を見下ろす。宵闇のような漆黒の瞳に、鍵がかかっているという以外は何の変哲も無い箱がある。
「とりあえず、変な術が掛かってるとかはねぇな。そっちに関しちゃ素人もしくは無関係だ」
 くわえ煙草で喋るたびに白い煙が吐き出される。
 京平の肩書きは、探偵兼退魔師。祓い屋とも呼ばれるが、その本職は陰陽師である。邦画『平成帝都あやかし譚・乱之巻』に登場するムービースターだ。天狐と呼ばれる管狐を五匹使役し、また影の中には式神が潜む。
 小瑠璃はふぅむ、と腰に当てていた手を打ち鳴らした。
「ほな、開けてみよか」
「開けるのか?」
 京平が軽く眉を上げる。
「うちに何や用みたいやしなぁ。危なくないんやったら捨てる前に開けてみてもええんちゃう?」
 それに、と小瑠璃は黒い瞳でいたずらっぽく笑った。
「京さんもおるしな」
 それに肩をすくめて、京平は笑ってみせる。満足そうに笑んで、小瑠璃は解錠専門工具類を取り出した。
 箱に付いている鍵は最もポピュラーなシリンダー錠。工具を差し込んだ瞬間、小瑠璃の顔が歪む。すぐに差し込んだ工具を抜き取り、別の工具を取り出した。
「ちんまい箱にけったいな鍵付けるなぁ」
 力試しのつもりなのか。小瑠璃はふーっと息を吐くと、シリンダーに工具を差した。
 シリンダー内は現在あるシリンダー錠の中で最も複雑な構造を持つ、ピンタンブラー方式のようだ。
 ピンタンブラーとは、直径三ミリ程度の細長いピンをタンブラー(つまみを上下または左右に倒すことによって開閉する)に用いたものである。同じ長さの複数のピンが、それぞれ異なる位置で切り離されて二つに分断されており、ロック状態ではピンがスプリングで鍵穴側に押し付けられ、分断面がそろっていない為、内筒が回転できない。鍵を差し、きざみの高さに応じてピンが押し上げられると、分断面が外筒と内筒の接触面に整列して、内筒が回転できるようになるという仕組みだ。
 小瑠璃は指先に全神経を集中させる。額にうっすらと汗が滲む。金属のこすれ合う小さな音だけがする。
 さて、このシリンダー錠は最大5列26ポジション。2兆2千億通りという膨大な理論鍵違い数を実現し、耐鍵穴破壊性能も最高レベルを誇る代物だ。さらに耐もぎ取り性能、耐腐食性能も格段に強化されており、最新・最高レベルのセキュリティ構造を実現している。
 ──カチン。
 音がして、小瑠璃は工具を抜き取った。ふぅ、と息を吐くと、後ろで京平が大きく息を吐いた。
「すごい集中力だな。思わず俺まで息を詰めてた」
「あっはっは! まあ手先を使う商売やからなぁ、すまんすまん。……さぁて」
 工具を置き、汗を拭って、小瑠璃は蓋に手をかける。京平が後ろから覗き込んだ。中には折り畳まれた紙。手を伸ばそうとすると、京平がそれを押さえる。京平が紙を取り出した。
「地図?」
 それは銀幕市の地図である。目的地と思しき場所に赤いインクでバツ印が書かれていた。
 どうする、というように京平は小瑠璃を見る。小瑠璃はしばらく地図を見て、それから京平を見上げた。
「ほな、行こか」
「行くのか?」
 京平が少しばかり嘆息する。小瑠璃はニッといたずらっぽく笑った。
「京さんもおるしな」

  ◆ ◆ ◆

 アップタウン。銀幕市北東、山沿いの高台で、おもに裕福そうが暮らす地域である。綺羅星学園、綺羅星ビバリーヒルズ、銀幕市中央病院、そして柊邸もここにある。
 地図の赤い印は、その中にあった。
 高台からも学園からも少しばかり距離のある、人気の少ない山沿いの中に真っ赤なペンキでバツ印が描かれたなんとも粗末な掘っ建て小屋。小瑠璃は眉を顰める。しかしここまで来たのだ、引き返すつもりはない。
 小瑠璃が扉を開けようとするのを、京平が制す。黒い瞳同士がぶつかって、頷き合う。キィ、と軽い音と共に扉が開いた。
「んー、お待ちしてましたヨ。針上小瑠璃さん」
 中には一人の男が立っていた。モノクルを掛けた、紳士然とした優男である。その口元にはニヤニヤとした笑みが浮かんでいる。
「あんたが、このけったい箱と地図の送り主やのん?」
 小瑠璃が言うと、男はニヤニヤとした笑みを浮かべたまま両腕を開いてみせた。
「ええそうです、ワタクシが送りました。んー、貴女が一番乗りですヨ。実にスバラシイ」
「一番乗りだと?」
 京平が言うと、男は今更気付いたというように手首から先をだらんと落とす。
「んー、お招きしたのは針上小瑠璃さんだけのはずですけどねぇ。貴男も鍵師で?」
 相変わらず顔はニヤニヤとしていて、その表情は読めない。
「うちの助手やねん。良い鍵屋には、問題のある客も少なくないんでなぁ。女一人より安心やろ」
 小瑠璃が言うと、男はかくりと首を傾げる。じっと京平を見ていた(ような気がする)が、やがてパッと顔を上げ、ひらひらと手を振った。
「助手さんということならばよいでしょう。んー、一番乗りの意味に関してですが」
 男がくるりと手首を返すと、地図がトランプのカードのように扇状に広げられる。どうやらそれはすべて同じ物だ。京平が軽く眉を上げると、男はニヤニヤと笑う。
「ワタクシには開けたい箱がありましてね。 んー、それがどうしても開かない鍵でして。けれどワタクシ、その箱をどうしても開けたいのですヨ」
 小瑠璃は眉を顰める。
 どうやら自分に送られた箱は、思った通り腕試しだったようだ。
「んー、同じ箱を同じ時間に、銀幕市中の鍵屋へお届けしました。そして見事に」
 男は再び両腕を広げる。
「針上小瑠璃さん。貴女が開けられ、最も早くここまでいらっしゃった。スバラシイ早さです」
 ニヤニヤと男は笑っている。
 京平は目を眇めた。
 粗末な掘建て小屋に、ぱりっとノリの利いた燕尾服を着込むモノクルの男。違和感などというものでは言い表せない奇妙さ。そして何より、この異様な気配。
 扉を開ける前から感じていた。一つどころではない、闇に蠢く無数の気配だ。自分が緊張している事は、わかっている。天狐たちが落ち着かない。京平の陰に潜む太郎丸と次郎丸は、押さえていないと飛び出してきそうだ。
「外の悪趣味な印もあんたがやったのか」
「判りやすくて良いでしょう?」
 刺々しく言ったつもりだったが、男は相変わらずのニヤニヤ顔で肩をすくめた。
「それで針上小瑠璃さん」
「針上、針上て人の名前連呼しよってからに……まぁええわ。依頼人の名前を先に聞いとこか?」
「これは失礼を」
 男は恭しく頭を下げる。
「ワタクシ、アトラクティーボ・オスクリダー・パジャッソと申します。んー、以後お見知りおきを」
「長いな。パジャッソで、ええ?」
「構いませんヨ」
 パジャッソは頷くと、さてと手を打った。
「開けて欲しいのは、この宝箱です」
 打ったその手には白い布が一枚。それをぶわりと広げてテーブルクロスを引くようにすれば、現れたのは一抱えもある装飾が施された箱である。
 京平は総毛立つような感覚に襲われた。それは、箱が現れた瞬間である。どこからか滲み出していたものが、一気に吹き出したような感覚。
 これはヤバイ。
 警鐘が鳴っている。
 小瑠璃は箱をマジマジと見た。目を引くのは、豪奢な飾りが施された大きな南京錠である。箱の方は青銅の装飾で、錆びて煌やかな印象は無いが、パジャッソの言う通り宝箱というには申し分ない。それにしても、違和感のある箱である。青銅の箱に対し、金の鍵。金は錆びないというから、その煌めきを保っているのも頷けないではないが。
 これが開けられない鍵なのか、と小瑠璃は小首を傾げる。
 南京錠は取り外しの利く、利便性の高い鍵だ。しかし、その利便性の為に、鍵としての安全性はかなり低い。だから簡単な戸締まりで済むような場合に多く使われる。
 パジャッソはニヤニヤ笑っている。
「この宝箱の鍵を、開けて欲しいのです」
 見た目は豪奢だが、そんなに丈夫そうにも見えない。
 パジャッソも見た目は紳士然としているが、あんな特殊な鍵を幾つも、そして手品めいた事を一々するこの男も、怪しいと言う他ない。
「この箱の中には、とても大切なものが入っているんですヨ。でも鍵を無くしてしまいまして。んー、鍵を壊そうともしたんですが、なんだか特殊な鍵らしくて壊れないんです」
 落胆したようにパジャッソは肩を落とす。
「お願いします、んー、どうか開けてもらえないでしょうか」
 そう言われてしまうと、小瑠璃は弱い。
「ほな、開けよか」
「本当ですか! ありがとうございます、んー、このお礼は弾みますヨ!」
 パジャッソはニヤニヤ顔のまま手を打ち鳴らす。
「開けるのか?」
 声に京平を見上げると、眉間に深い皺を刻んでいる。
 それに少し怯んだが、小瑠璃はきっぱりと言い切った。
「京さんがおるしな」
 京平は眼鏡の奥で強い光を放つ小瑠璃の目をじっと見た。その目を反らす気配はない。京平は長く息を吐くと、新しい煙草に火を付けた。
「お手並み拝見といこうか」
 小瑠璃はほっとしたように肩の力を抜いた。
「ほな、これが終ったら手料理持って礼に伺わせてもらうわ」
 ニッとあのいたずらっぽい笑みを浮かべて、小瑠璃は腰に下げた解錠専門工具を取り出した。
 パジャッソがニヤニヤ笑っている。
 京平は目を眇めた。
 小瑠璃が鍵穴に工具を差し込む。そのカチャカチャという音だけがやけに大きく響いた。呼吸すら聞こえない。張り詰めた空気。
 沈黙。
 瞬きすらしない。
 ほんの数十秒。
 カ、ジャン。
 音がして。
「開いたで」
 京平は悪寒に襲われた。
 パジャッソの口端がいっそう深く吊り上がる。
 小瑠璃はすっと立ち上がり、工具をしまう。
 途端。
「下がれ!」
 京平の声とほぼ同時。
 青銅の箱から、凶悪な化物が放たれた。

  ◆

 粗末な掘建て小屋が爆発するかのように弾けた。小瑠璃が吹き飛びそうになるのを、京平が庇う。
「なんやの、これっ!?」
 それは獣というには人に近く、人というには化物と呼ぶ方が相応しい。
 程度は様々だが、人と獣の融合体、キメラのような浅黒い紫の体色の化物だ。あるものは四肢で地を蹴り、あるものは腕を振るう。
「太郎丸、次郎丸!」
 京平が叫ぶ。飛び退るのその影から音も無く現れたのは、きっちりとしたスーツを着込んだ、二人の男。一人はきりとした男らしい顔立ちで、もう一人は中性的な顔立ち。京平の影に潜む式神である。
「小瑠璃嬢ちゃんを守れ。一匹たりともここから離すんじゃねぇぞ」
 しゅらと腰から下げた日本刀、退魔太刀“村雨”を抜き放つ。太郎丸、次郎丸と呼ばれた二人は恭しく頭を垂れた。
「御意」
「仰せのままに」
 垂れた肩からぱきぱきと小さな音を立てながらその姿が変異する。その姿は鬼。太郎丸は一本角、次郎丸は二本角のその本性は、まさしく鬼である。その背に身の丈よりも長い細身の日本刀。
 小瑠璃はぽかんとそれを見ていた。
「嬢ちゃんに危害は加えねぇよ、俺の式神だからな」
 しきがみ、と口の中で繰り返して、小瑠璃は少し笑った。
「京さん、情報屋兼チンピラになんや足しとかんとあかんのちゃう?」
「はっ、そんだけ言えりゃ十分!」
 京平は笑って、目の前に迫る紫の化物に太刀を走らせる。ギィン、と固い音がして、京平が一歩下がる。咄嗟に頭を下げ、振り回す腕を避けた。足を払って転倒させ、その腹を踏みつける。足に固い感触。まるで鉄板のようだ。じんと足が痺れる。微かに顔を歪めると、鞭のような鋭い風切り音を立てて足が飛んでくる。村雨を振るう。それで足を斬り飛ばしたと思った。しかしその足はゴムのような軟体性を持って腕を刀ごと絡めとる。舌打ちを打つ。ギリギリと締め付けながら、それは腕を這い上ってくる。
「絞め殺す気か……っ!」
 咄嗟に左腕を差し込んで、首が絞まる事は防いだ。
 その時、突然素っ頓狂な笑い声が耳を刺した。
 大口を開けて天を仰ぎ笑っている、アトラクティーボ・オスクリダー・パジャッソ。
「スバラシイ! 実にスバラシイですヨ、その姿! 流石は『グリュクス』、なんと強く美しい!」
「グリュクス……?」
 小瑠璃が鸚鵡返しに聞くと、パジャッソはぐりんと顔を戻した。
「そうです、すべてに疎まれし怪物『グリュクス』! その実態は前時代のことですので詳しくは知りませんがね……んんー、ありがとうございました、針上小瑠璃さん」
 蛇のようなその目に、小瑠璃はぞくりとした。
 パジャッソは喘息でも起こしたかのような不確かな呼吸で続ける。
「己を知り、敵を知り、思考し、感情さえ持つというこの怪物は、たった一人の少女が統べているという。信じ難い夢物語。それはもはや伝説、絵空事の域ですヨ。しかしそれでも研究を続けるのは科学者などという愚か者の性ですね。ワタクシも例に漏れない愚か者でした」
 太郎丸は紫の体に刀を斬りつける。しかしそれは感触も無く素通りしてしまった。紫の体は毒々しい泡へと姿を変え、そして元の体を形成するのだ。
「そういった怪物を研究する上では、錬金術に出会わない事はありません。これもまた前時代の遺産です。なんともバカバカしく幼稚で稚拙な理論構築ですが、非常に興味深い。子供の発想ですヨ。切ったり張ったり、まさしく工作。しかしそれが重大なヒントでもあったのです」
 次郎丸は小瑠璃の防護に専念していた。そして少しずつであるが、その種類を把握していく。
「そう、切ったり張ったり、捏ねてみたり。子供の遊び心が生んだ化物、それがグリュクス! だから一人の少女が統べるというのも頷ける。ワタクシはそう結論付けました」
 小瑠璃は頭をフル回転させる。
 戦う術は無い。だから今ここで出来る事は、頭を働かせる事だけだ。
「あんた……この街で、その女の子と会ったんやな?」
 小瑠璃は唇を噛んで、睨め付けるようにパジャッソを見た。パジャッソの目が光る。これ以上ないというほど口端をつり上げて、彼は笑った。
「その通りですヨ、針上小瑠璃さん! 伝説と謳われ、もはや出会う事は不可能と思っていました。正体を突き止めたまでで満足し、半ば諦めていた。そんな時にこのフシギな街へとやって来たワタクシは、幸運と言うべきです。本当になんてスバラシイ街でしょう! ワタクシは、彼の怪物グリュクスを従える少女を見つけたのです!」
 京平はギリギリと締め付けてくる足に、違和感を感じていた。確かに腕はみしみしと嫌な音を立て始めている。しかし、何かがおかしい。グリュクスですら、そうであるような。
「その女の子、どうしたん?」
 パジャッソはニヤニヤと笑っている。小瑠璃は拳を握った。
「捕まえたんやな? あの手品みたいなんで捕まえて、この子ら操ってるんやろ」
「操るとは人聞きの悪い」
 パジャッソは両手を上げ首を振った。
「命令を下したのは、その少女ですヨ。『箱の蓋を開けた者を襲え』とねぇ」
 それで箱を送りつけたのか。
 言えば、パジャッソは高く笑う。
「どうしようもなければ、壊してもらおうと思ったのですけれどね。このフシギでスバラシイ街に、んー、ちょっとした恩返しがしたかったのですヨ」
 京平は奥歯を噛み締めた。
 ならばその『化物を統べる少女』は、パジャッソに少なくとも襲われたのだ。そして、グリュクスたちを守るために箱に隠した。命令を与えて。
 では、その少女は?
「女の子は、どうしたんや」
 小瑠璃の声がする。
 パジャッソの顔は変わらない。
「錬金術……言うたな。あんた、ちょっとはそれ使えるんとちゃうの。けど、グリュクスの命令を変えるだけの力は無い。やから、鍵は開けてもらわなあかんかった」
 パジャッソは元々細い目をさらに細める。
 襲い来る紫の手を次郎丸が払う。太郎丸がさらに叩き付け、グリュクスは小さく呻きながら距離を取る。
 とても本気にはなれなかった。
 太郎丸と次郎丸も、気付いているのだ。
「鍵を開けた後……開けた人を襲った後、その女の子がおらんかったら、グリュクスは探しに行くやろな、頭のええ子らなんやから。でもそれはあんたには不都合や。あんたはグリュクスが欲しい。そのためには、女の子が必要。ほんなら、殺しはしない。捕まえて、逃げられんように監禁するんが常套手段や」
 パジャッソは、悠長に拍手まで付けて笑った。
「なかなか素晴らしい考察力ですヨ、針上小瑠璃さん」
 小瑠璃は眉間に皺を寄せる。
「その通り、少女は生きてワタクシの手のうちにあります。ワタクシを殺せば、グリュクスには彼女を解放する術は無い……どちらにしても、ワタクシに危害は与えられませんからねぇ」
 拳を握る。
「……ほんま、いいかげんにして欲しいわ」
 呟いた時。
「太郎丸!」
 京平の声。太郎丸は締め付けている足を下から斬り上げる。足が伸び切ったところで、刀を回転させねじ切る! 軽く咳き込んで、京平は刀を納めた。そこへボコボコと音立てながらあの流動体のグリュクスが襲い来る! 京平は腕を伸ばした。その手に握られているのは、コルトライトニング。
 引き金を引いた。
 途端、流動体であるはずのグリュクスの体が硬直する。
「なに……っ!?」
 パジャッソの狼狽する声。
 太郎丸と次郎丸もその刀で払うも峰打ちだ。そこに京平の封印符が飛び、やはりその動きを止める。
 コルトライトニングに装弾されているのは、「封魔弾」という。強力な魔物の動きを一定時間封じる事ができる、特殊弾だ。
「封じられてるんなら、声が届きゃなんとかなるんじゃねぇのか」
 京平はニヤリと笑む。
 次郎丸が頷き、小瑠璃の肩に手をかけた。
 太郎丸は刀を構え直し、グリュクスと睨み合った。
「なん?」
「私の能力は精神感応です。あなたの想いを増幅し、届けましょう」
 それに戸惑いながらも頷いて、京平に視線をやった。
「事件が終ったら改めt得手料理もって礼に伺わせてもらうわぁ」
「きつねうどんか稲荷寿司にしてくれ」
 笑って、小瑠璃は目を閉じた。
 京平は右手にコルトライトニング、左手に封印符を持ち地を蹴った。グリュクスの長い腕がしなる。
 ──嬢ちゃん。
 思いを増幅すると言われても、どうすればいいのかはわからなかった。だから、祈った。声が届くようにと。
 ──嬢ちゃん、どこにおるん。
 小瑠璃と次郎丸に近づく者を、太郎丸が払い除ける。
 ──応えてぇな、グリュクスたちが心配しとんで。
 瞬間、小瑠璃は目の前が真っ白になるような渦に呑み込まれた。
 悲鳴が響く。
 炎が迫り来る。
 逃げ惑う人々。
 襲い来る人々。
 紫の獣の前に立ち塞がる、少女。
 美しい紫の瞳をした、少女だ。
 銃を持った人々が叫んでいる。
 少女は静かに首を振った。
 立ち塞がっていたのではない。
 守っていたのだ。
 紫の獣に手を伸ばす。
 人々が叫んでいる。
 紫の獣は頭を垂れた。
 何事かを呟き交わしている。
 人々が叫んでいる。
 悲鳴と炎。
 少女は。
 微笑んで。
 紫の獣と手を取り合い。
 炎の中に。
 消えた。
 小瑠璃は拳を握る。次々と流れ込んでくる映像に、唇を噛み締めた。
 人々の暮らしから離れ、静かに暮らしているその様は、とても幸せそうだ。
 そこへ理不尽にも土足で踏み込む人々。
 その度に逃げ惑い。
 離れるように紫の獣が言っても、少女は首を縦には振らなかった。
 一緒に居る、と。
 紫の獣たちは少女を守った。
 守って守って。
 ……守られた。
 少女は微笑んでいる。
 泣いている。
 ごめん。
 ごめんね。
 呟いて。
 小瑠璃は叫んだ。
 ──助けに来たで。
 瞬間。
 流れ込んできた映像がぷつりと切れた。
 目を見開くと、少女が目の前に居た。
 二人の間を魔法陣のようなものが隔てている。
 ──たすけて。
 美しい紫の瞳が、真直ぐに小瑠璃を見ている。

  ◆

「京さん、パジャッソの懐や!」
 小瑠璃の声に、京平はニッと笑った。
「了解!」
 京平は駆け抜けた。一直線に、パジャッソへと駆けて行く。立ち塞がるものには、封魔弾を浴びせた。グリュクスの動きが鈍る。
「な、なぜだっ……」
 パジャッソは胸を押さえた。後退りながら、裏返った声で叫ぶ。
「ワ、ワタクシを殺したらこの少女は」
「タネがわかってりゃ、俺がどうにでもできる」
 その胸を駆け抜けた勢いそのままに蹴り飛ばす。カエルが潰れたような声とともに、後ろにひっくり返った。拍子に、何かが転がって行く。
「……あっ!」
 パジャッソが腕を伸ばす。それを踏み付けると、やはりカエルが潰れたような声が響いた。
 小瑠璃がそれを持ち上げる。小さな瓶のようだが、蓋は無い。瓶の表面には真っ赤なインクで、あの魔法陣のようなものが描かれている。中には瓶の内側を叩く、少女が入っている。
 京平は更に足に力を込めた。
「いっ…ぎ、あ、…ああっ! あぐ、」
「てめぇ、巫山戯たことしてくれんじゃねぇか」
 ミシミシとパジャッソの手が悲鳴を上げる。
 パジャッソは叫んだ。
「なぜだ! なぜ、グリュクスは黙っているのだ! ア、ぐ……っあ、あんなに仲間を!」
「己を知り、敵を知り、思考し、感情を持つのがグリュクス。そう言ったのは、あんたやろ」
 パジャッソは目を見開いた。
 京平は足を踏みつけたまま、小瑠璃を振り返る。
「小瑠璃嬢ちゃん。それ壊せ」
 振り返ると、京平は頷く。
「瓶に変な魔法陣みてぇなのが描いてあんだろう。それが源だ。瓶を壊しゃ、その力は消える」
「やめ、やめろぉおおお! それを作るのに、ワ、ワタクシがどれだ、けっ……ぎ、」
「あんたは黙ってな」
 瓶が小瑠璃の手から離れる。
 それはアスファルトの道路にぶつかって、弾けた。
 同時に。
 村雨がパジャッソの首に突き立ち、一巻のフィルムが転がった。
 瓶が弾け、その質量を取り戻して行く。グリュクスの咆哮。その目には、美しいアメジスト。

  ◆ ◆ ◆

「はー、ほんましんどい一日やったわぁ」
 少女とグリュクスを市役所に送り届けたその帰り道。
 小瑠璃は大きく伸びをした。煙草を取り出すと、京平が火を渡す。
「おおきに」
 深く吸い込み、吐き出す。紫炎が赤く染まる空に溶けて行く。
「京さんも、それから太郎丸と次郎丸やったか。ほんと迷惑かけたなぁ」
「いいさ。むしろ、小瑠璃嬢ちゃん一人じゃなくてよかった」
 煙草に火を付け、京平は笑った。
 それに笑い返して、小瑠璃は手を打つ。
「お礼は、きつねうどんか稲荷寿司やったな」

クリエイターコメント大変お待たせ致しまして、本当に申し訳ありません。木原雨月です。
楽しんで戴ければ幸いと思います。
この度はオファーを誠にありがとうございました。
公開日時2009-06-17(水) 21:50
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