★ 古城の闇 ★
クリエイター西向く侍(wref9746)
管理番号252-3448 オファー日2008-06-13(金) 15:19
オファーPC 李 白月(cnum4379) ムービースター 男 20歳 半人狼
ゲストPC1 シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
<ノベル>

▽ 序 ▽

 煌々たる満月の晩だった。
 清澄なる蒼い月光が銀幕市の至るところに降りそそぎ、そこに闇は存在しえぬと思われた。
 だが、「光在るところに闇在り、闇在るところに光在り」という使い古された言い回しそのままに、確かに暗黒は存在した。
 それは、すべてを呑み込むがごとく、ぽっかりと口を開けて待っていた。
 ある者はそこに迷い込み、ある者はそこに誘い込まれた。
 原因は様々だったが、すべての者に共通していたのは、みずからの意志でそこに入る者はいないという点だ。
 ほどなく、初めての例外が現れた。
 彼女は自分自身の意志で、その場所に立った。
「ここが――」
 そこから先は言葉にならない。眼前の光景に圧倒されたからだ。
「ただの路地裏のはずなんだけどな」
 彼女が独白したように、ここは銀幕市のありふれた路地裏だ。ところが、いま彼女の眼前に厳(げん)とした雰囲気を持って立ちつくしているのは、巨大な古城だった。
 まさしくムービーハザードだ。
 大きく深呼吸すると、彼女はゆっくりと歩を進めた。ブルーのドレスの裾がビル風にひるがえる。
 彼女にとって城の門は、容赦なく命を喰らう魔獣の顎(あぎと)のように思われた。



▽ 夜会 ▽

 燦然と照りつけるシャンデリアが、笑いさざめく舞踏者たちの姿を幻想的に揺らめかせている。
 じっと見つめていると、ふっと姿がかき消える者たちや、影をともなわない者たちが居るような気がして、彼女は目頭を押さえた。
「どうしました? 気分でもすぐれないのですか?」
 不意に肩を叩かれ、無意識に戦闘態勢をとってしまう。
 声をかけた紳士は、彼女の反応に目を丸くして、引きつった笑みを浮かべた。
「あ、いえ、なんでもありませんわ」
 おほほほと不自然に笑って、そそくさと壁際へ移動する。壁に背をもたせかけ、深くため息をついた。
 なんとか怪しまれずに済んだだろうか。不安に思いつつ、手がかりを求めて、きょろきょろと周囲を見回す。
「珍しい髪の色ね」
 またもや唐突に話しかけられたが、今度はしっかりと自分を制御することができた。そっとそちらを向いて、「よく言われます」とにこやかに微笑む。
 ブロンドの髪を腰まで流した赤いドレスの女性が、彼女の隣に静かに身を滑らせてきた。
 彼女はようやく気づいた。この世界の人々には気配がない。だから、『気』を読むことに長けている彼女は、逆に存在を感知しにくいのだ。
「銀色なのね」
「銀というよりは、白ですよ」
「そう? 私には銀色に輝いて見えるけど。私はイネリア。よろしく」
 自己紹介する女性に、彼女は少しだけ考えてから「わ、私は李白蘭(り はくらん)」としどろもどろで答えた。自分の名を名乗るにしては、おかしな様子だったのだが、イネリアは別のところに気を取られて何も思わなかったようだ。
「まぁ! 東洋の方なの。それで珍しい髪の色や目の色をしていらっしゃるのね」
 目の話題が出たとき、白蘭の態度に軽く動揺が走った。彼女は右目を隠すように前髪を垂らしていたからだ。
 しかし、イネリアはそこには触れず、言葉を継いだ。
「いいわね、白蘭は……」
 白蘭ではなく舞踏会を眺めながら、イネリアはひっそりとつぶやいた。
 白蘭が首をかしげると、イネリアは「『壁の花』という言葉をご存知?」と寂しげな口調で訊ねた。
 白蘭は首を横にふった。
「私たちみたいに、踊る相手もなく壁際に立っている女性のことをそう呼ぶそうよ」
 白蘭はどう反応してよいかわからず、うろたえる。その素振りを違う意味にとったのか、イネリアはあわてて謝罪した。
「ごめんなさい。『私たち』だなんて、言ってしまって。白蘭は別よね。それだけ綺麗なんですもの。すぐにお声がかかるわ」
「あ、いや、そういう意味じゃなくて! それにあなただって」
「私はダメ。白蘭みたいに珍しい髪の色もしていなければ、綺麗でもないもの」
「そ、そんなこと――」
 言いかけて、彼女の瞳がまた別の場所を映していることに気づく。熱のこもった視線を追いかけていくと、そこには……
「シャノ――?!」
「素敵なお方ね。出で立ちからして、どちらかの名家のご子息かしら?」
 漆黒のスーツで正装した長身痩躯の男性が二人の方を見ていた。腰まで届く金色の長髪をひとつにまとめ、胸には深紅のハンカチーフを差している。
「白蘭、どうかなさったの?」
 そそくさとその場を立ち去ろうとしている彼女の腕を、イネリアが引き留める。
「え? い、いや、なんでもありませんわ」
 またもや、おほほほと不自然に笑う。
「あら! こちらにいらっしゃるわ! どうしましょう」
 金髪の青年が近づいてくることに気づき、オロオロとうろたえるものの、イネリアは白蘭をつかんだ手を離さない。
 白蘭は小さく舌打ちすると、器用にイネリアの手をすり抜けた。
「お嬢さん、どちらへ?」
 錆を含んだ男らしい声音が、白蘭の背中に突き刺さる。
 じっと何かに耐えるようにしばらく動かなかった白蘭だったが、ついにくるりと振り返った。
「ちょっとおトイレに」
 あからさまな作り笑顔で答える白蘭よりも、横で聞いていたイネリアの方が、彼女の大胆発言に青くなる。
「エスコートいたしましょう」
 あくまでにこやかな笑みの青年に、白蘭は「女子トイレですから!」となぜか声を大にして言い放った。
 イネリアの顔色が青から白へ。
「ほほぅ、女子トイレですか。なるほど、女子トイレに行かれるのですね」
 意味ありげに復唱する青年に、白蘭はぐっと言葉に詰まる。
 イネリアは気絶しそうだ。
 睨みつける白蘭と涼しげな瞳の青年。
「あちらで少し涼みませんか?」
 青年が指す先にはテラスがある。
 白蘭は、覚悟を決めたようにぐっと唇を噛みしめると、青年が差し出した手を取った。
 大股でのしのし歩いていく白蘭と、洗練された動作でエスコートしていく青年を、イネリアは呆然と見送った。

「どうしてそんな姿に?」
「その前に、『どうしてここに?』って訊くのが普通じゃねぇの?」
 腕を組み、ぶっきらぼうに答える白蘭に、女らしさは微塵も感じられない。確かに、きゅっとくびれた腰や、それなりに豊満な胸元や、ソプラノの声色は、女性そのものだ。ただ中身が違う。
「化けの皮がはがれるぞ。といっても、はがれたところで、その姿なら男だとは誰も思わないだろうがな」
 明らかに面白がる様子の青年に、彼女はなんとも言えず、かすかに頬をふくらませて口をつぐんだ。
 彼女の本名は李白月(り はくづき)。白蘭は仮の名であり、仮の性別だ。
「シャノさんはどうしてここに?」
 むくれたまま訊ねる。
 シャノさんと呼ばれた青年の本名は、シャノン・ヴォルムス。ヴォルムス・セキュリティの社長であり、ハザード解決のエキスパートだ。
「依頼だ」
 シャノンは短く答えた。守秘義務がある以上、依頼に関係する事項はうかつに口にできない。
「俺は市役所から頼まれてね」
 白蘭は、そう言ってため息をついた。ため息の理由は、言わずもがな、だ。
 どうやら、依頼主は別でも二人の目的は同じようだった。この城で闇オークション――つまりは、人身売買が行なわれているという噂があり、それを確かめ、潰しに来たのだ。
「そもそも……」
 白蘭は手のひらを向けて、口を開きかけたシャノンを制した。
「断じてこれは俺の趣味じゃない!」
 額に青筋すら立てて、白蘭が断言する。
「市役所から頼まれたときに、情報として、ここの領主が女好きだって聞いて、いやいや、それでも俺は真正面から乗り込んでって、男らしく、暴力的に、瞬時に、事件を解決しようと思ってたんだけど、植村さんが囚われてる女性たちになにかあったらどうすんだ、なんて言いやがって、さらに他の職員まで、そうだそうだって連呼しやがり、安全な方法を考えようってことになって、気がつけば、なにやらアヤシイ方向に話が進んで、どっかから手に入れた性転換の妙薬とやらを――」
 必死の形相でまくしたてる白蘭に、シャノンがすっと親指で合図を送った。そちらを見ろということらしい。
 ちらりとダンスホールの方へ視線を飛ばすと、でっぷりと太った人物が満場の拍手に迎えられ、登場したところだった。
「あれが城主か?」
 不機嫌さを隠そうともせずシャノンが言い捨てる。
「領主って名乗ってるらしいぜ。あいつの領土なんてここにはねぇのによ」
 白蘭も不快感をあらわにする。
 見た目の醜悪さが内面をも表しているかのような男だった。大きな耳はどんな悪口も聞きつけ、横に裂けた口は何物をも喰い散らかし、両の目は常に値踏みするように底光りしている。そんな印象の巨漢だ。
「イネリア?!」
 さきほどまで白蘭と会話していたイネリアが、領主に手をさしのべられていた。
 周囲から驚きと妬みの声が上がり、イネリアは嬉しそうに瞳をうるませ、導かれるままに歩きだそうとしている。
 白蘭は軽く舌打ちし、駆け出そうとして――
「のわっ!」
 みずからのドレスの裾を踏んづけてしまった。
 前のめりにぶっ倒れた白蘭に、シャノンが今更のように「大丈夫か?」と手を差し出す。
「大丈夫に決まってんだろ。ちょっとスカートに慣れてな……ぐわっ!」
 立ち上がろうとして、もう一度スカートの裾を踏む。
「なんのこれしき!」
 シャノンはため息ひとつと「先に行くぞ」の一言を残して、さっさとダンスホールへ向かった。



▽ 舞踏 ▽

 ガルダム・アルザールは自身のことを醜いなどとは思っていなかった。彼は外見よりも中身こそが人間の価値を決めるものだと信じていたからだ。どれほどの贅肉が身に付いていようと、どれほど醜悪な顔をしていようと、心根が正しくあれば、その人物は聖人と呼ばれるに足る価値があるものだと。
 その思想自体は間違ってはいない。間違っているのは、彼の価値基準だ。
「領主様」
「なんぞ?」
「先ほど御見初めになったレディですが、すぐに奥へとお通ししました」
「ふんふん、よろしいよろしい」
「今宵もなんともお美しいレディをお選びになりましたな。さすが領主様でございます」
「ふん! 見た目はそうだが、中身はどろどろに腐っておる。わしにはお見通しじゃ。あとでたっぷり思い知らせてくれよう」
 下卑た笑いとともに、涎を垂らす。
 彼が正しいと信じている心根は、他の者からすれば邪悪に曲がりくねったものだった。
「あと一人くらい、今宵のお楽しみが欲しいの」
 ガルダムの眼下では、大勢のペアが軽やかなワルツに乗って舞い踊っている。
 様々な色彩が飛び交い、ダンスホールを鮮やかに演出している光景は、やはり幻想的だった。
 そのうち、ガルダムが「ほぅ」と小さく声を上げた。ホール中央付近でステップを踏む一組の男女が、すべてにおいて一際目立っていることに気づいたのだ。
 男性の方は中性的な顔立ちをした長身痩躯の若者で、女性の方は珍しい髪の色をしていた。白髪なのだろうが、シャンデリアの光を受けて銀色に輝いていた。
 ダンスの腕前もそうとうなもので、他のペアとは一線を画している。
 ガルダムはさっそくこぼれ落ちそうになる涎をあわてて呑み込んだ。
「あの銀髪の女をこれへ」
 側近はすぐさま「はっ」と応じ、ダンスホールへと小走りに駆けていった。

 彼と彼女のダンスは、遠目には華麗に映ったかもしれない。しかし、近づけばそれは――
「いい加減、黙れないのか?」
 シャノンがその優美な眉をハの字にして、そっとため息をついた。
「そ、ん、な、無茶をっ! のわっ!」
 白蘭は返事をかえすどころではない。
 領主に近づくためには、彼に気に入られるのが手っ取り早い。そもそも、そのための妖艶女体化だ。そして、領主に気に入られるにはまずは彼の目に留まらなければならなかった。
 そういうわけで、シャノンと白蘭は舞踏場へと打って出た。
 シャノンはもともと社交ダンスの心得があったため、ワルツだろうがサンバだろうが踊りこなすことができた。ところが、白蘭はそうはいかない。生まれてこの方、地元のお祭りで民族舞踊くらいしか踊ったことがないのだ。
「とにかく俺のステップに合わせろ」
 シャノンの要求は一見無謀に思えたが、白蘭の抜群の運動神経はなんとそれを可能にした。シャノンの『気』の流れを読み、行動を予測し、実際の目視とあわせ、鋭い反射神経で、パートナーに対応した足の運びをおこなう。一流の武術家である白蘭だからこそ可能な業だった。
「にゅわっ! にゃはっ! うにょっ!」
 というかけ声を除けば、それはそれは華麗なダンスになったことだろう。
「来たぞ」
 にわかに表情を消し、シャノンがささやく。
 白蘭もぐっと唇を引き結び、奇妙なかけ声を封印した。
「ダンスをお楽しみのところ申し訳ありません」
 領主の側近らしき男が声をかけてきたので、二人はダンスを中断した。白蘭が内心ほっとする。
「領主様が、そちらのレディと是非別室にてゆっくりご歓談なさりたいと申しておいでです」
 側近が丁寧に一礼する。
「私も是非とも御一緒したいのですが」
 シャノンがよそ行きの笑顔で訊ねたが、「領主様はそちらのレディのみお誘いするように、と」とにべもなく断られた。
 シャノンが「どうする?」と視線で問うと、白蘭はにやりと笑った。独りでも問題ないということだろう。
「わかりました。領主様とお話できるなど私の方こそ光栄です」
 市役所で習ってきたのか、棒読みな口調で答え、差し出された側近の手をとる。
 シャノンを残して、白蘭は領主のもとへと歩いていった。
「領主様におかれましては御機嫌麗しゅう」
 これまた棒読みで、スカートの裾をつまみ、挨拶をする。
「よいよいよい」
 領主と対面した途端、白蘭は激しい悪寒に襲われた。領主の目つきはまさしく『女性』に対して向けられるもので、今までに白蘭が経験したことのないものだった。殺気などとはまた違う感覚だ。あえて例えるとすれば、獲物を前にした猟犬、いやいや、餌を前にした豚といったところか。
 嫌悪感を態度に出すまいと努めながら、白蘭はいったん領主の御前から退いた。
 側近に案内されるまま、ダンスホールをあとにし、城の奥へと連れて行かれる。
「イネリア――先ほど領主様とお話ししていた女性も、こちらに?」
 白蘭が訊ねると、先を行く側近は黙って首を縦に振った。
 すると城の奥に、闇オークションの会場、もしくは女性たちの監禁場所があるのだろう。
 このとき、白蘭は油断していたと言わざるをえない。女体化によって、彼の身体的能力、とりわけ筋力は男性時とくらべてだいぶ落ちていたのだ。
 不意に側近が振り向き、飛びかかってきた。
 抜群の反射神経でかわそうとして、ハイヒールのかかとが折れた。当たり前だがハイヒールなど履き慣れないため、無理な歩き方をしていたらしい。
 バランスを崩し、片腕をつかまれた。
「くっ!」
 無理に振り払おうとしても、非力さゆえできない。
 逆に力任せに引き寄せられ、口元に何かを当てられた。甘い香りがしたかと思うと、白蘭の意識はゆっくりと遠のいていったのだった。

 シャノンは白蘭と別れたあと、独自に城内を探索していた。
 連れて行かれた白蘭のあとを追うつもりだったのだが、隠し通路のたぐいでもあるのか、すぐさま追いかけたはずなのに見失ってしまったのだ。
 女性の身体に変わっているということは、体力も女性並に低下しているということだ。白蘭がそこをしっかり把握していればよいが……スカートの裾につまづいたりしているのを見ているため不安でならない。
 闇オークションで女性を売買しているのなら、すぐに殺されることはないだろう。それが希望の光だった。
 彼はいま城の奥へとつづく通路を歩いているのだが、その向かう先から話し声が流れてきた。
 シャノンは通路の角に身を潜めて、聞き耳を立てた。
「今夜の仕入れは二名か。少ないな」
 白蘭を連れ去った側近の声だ。
「城に誘い込まれる人数が減ってるらしい」
「どうしてだろうな」
「さぁ? わからん」
 シャノンは理由を知っている。市役所の対策課が、行方不明者が多発する路地一帯に規制をかけたからだ。
「そういえば、一人は餌行きらしいぞ」
 餌という言葉に、シャノンが眉をひそめる。
「餌行き? あんなに綺麗なのにか?」
「あの珍しい異国の女は、不良品だったらしい」
 シャノンは反射的に飛び出していた。
 驚く男たちのうち、一人のみぞおちに拳を叩き込み昏倒させ、もう一人の首をつかんで、壁に叩きつける。側近の男は、目を白黒させ、くけっと喉から空気を吐いた。
「今の話、詳しく聞かせてもらおう」
 ヴァンパイアハンターの双眸が赤光を放ち、男の精神をまっすぐに射抜く。
 男は一気に血の気を失い、紙切れのように真っ白な顔のまま、すべてを告白し出した。



▽ 檻 ▽

 白蘭は己に向けられた殺気を感じて目を覚ました。
 床から跳ね起き、殺気の塊に対して素早く拳をかまえようとして――自由がきかないことに気づく。両手首が革紐のようなものでしっかり縛られていた。
 両腕での攻撃、防御ともに、ままならないと判断するやいなや、白蘭は両足に意識を移し、猫足立ちの構えをとった。猫足立ちとは踵を上げた構えで、どの方向からの攻撃にも素早く対応できる特徴がある。
 殺気は、彼女の四方から放たれていたのだ。
 グルルゥと低い唸りをあげる巨大な虎が四頭、東西南北からにじり寄っていた。その背後には金属製の棒がいくつも立ち並んでいた。
 ここは檻の中だ。檻の中に、白蘭と四頭の虎がいる。
「趣味ワリィぜ」
 内心冷や汗をかきながら、毒づいてみせる。
 普段の白蘭なら革紐などさっさと引きちぎり、獣たちを素手で叩きのめしているはずだ。ところが、彼女はこうして捕まってしまった経験から、自分が普通でない状態であることをはっきりと意識した。白月は今、白蘭なのだ。
「お目覚めのようだね」
 檻の外に豪奢な飾りの施された椅子があり、そこに領主ガルダムがでっぷりと腰かけていた。その横には白蘭と同じように縛られたイネリアがいる。
 イネリアは今にも泣き出しそうな顔で小さく縮こまり、がたがたと震えていた。
 ここで暴れることによりイネリアが危険にさらされるリスクを考慮し、白蘭は一か八か演技をつづけることにした。
「これはどのような仕打ちでございます? 私がなにをしたとおっしゃるのですか? 早くここから出してくださいませ」
 追いつめられると本領を発揮するのか、白蘭の台詞は棒読みなどではなく、真に迫っていた。
 しかし、むしろそれが逆効果となり、ガルダムの加虐心をくすぐる。
「よいよいよい。おぬしは不良品ゆえ、そこでわしの可愛い虎たちの餌となるのだ」
「不良品とはどういうことです?」
 震えるふりをしながら、声を限りに叫んだ。
「異国人であり、珍しい髪の色をしているだけでなく、おぬしは美しい。出品すれば、さぞや高く売れたことだろうて」
 出品や売れるという言葉に、イネリアがうつむいて歯を食いしばった。恐怖に耐えているのだ。
 ガルダムの相好は崩れに崩れまくっている。他人に絶望を与えることに快感を感じている。
「じゃがの。惜しいことに一点だけ、欠陥があった」
 ガルダムがみずからの右目を指さす。
「醜く、汚らわしい傷が、ついておる」
 そう言って、ケタケタと笑った。
 その瞬間、白蘭の中でなにかが弾けた。
 彼女は右目を隠すように前髪を垂らしていた。それは、とりもなおさず右目を引き裂いた傷跡のせいだった。
 市役所で、顔の傷も一時的にしろ消したほうがいいと勧められたのだが、彼女は頑として首肯しなかった。
 白蘭にとってこの傷は特別なのだ。大切なものを守れなかった自分への戒めであり、大事な思い出の足跡でもあった。
「てめぇ――覚悟はできてんだろうな?」
 白蘭の豹変振りに、ガルダムだけでなく、イネリアまでもが目を丸くする。
「そこでじっとしてやがれ。今すぐぶちのめしてやる」
「な、な、なにを意味のわからぬことを! おまえは虎に喰われるのじゃ!」
「それ以上、その汚ねぇ口を開くな。黙ってろ」
 鋭く伸びた爪で器用に手枷を切り裂き、ハイヒールを脱ぎ捨て、邪魔くさいスカートの裾を乱暴に引きちぎった。前髪をかきあげ、右目をあらわにする。
 その間、四匹の虎は身動きできない。白蘭の放つ闘気に当てられ、金縛りにあっていたのだ。
「だ、黙れだと?! おまたち、なにをしておる。や、やってしまえ!」
 ガルダムの命令が飛び、ようやく四足獣たちは本来の任務を思い出した。
 呪縛を解かれた獣たちが、白蘭目がけていっせいに攻撃を加えるのと、力強い声が彼女の――いや、彼の名を呼ぶのとは、ほぼ同時だった。
「白月! 伏せろ!」
 声の指示に従い、素早く伏せる。
 銃声が四発。
 すべて急所を撃ち抜かれた虎たちが、どうっと床に転がり落ちた。
 檻の隙間を狙い、さらには四頭の虎を一撃のもとに葬り去るとは、尋常の腕前ではない。
「無事か?」
 スーツ姿で銃を構えたシャノンが、蹴破った扉の前に立っていた。扉からつづく廊下には、気絶させられたガルダムの部下たちが、大勢転がっている。
「シャノさん!」
「遅くなった」
 悪びれた風もなく、うっすらと微笑さえ流して、シャノンは白月に答えた。
 そのまま、銃口をガルダムへと向ける。
「お遊びの時間は終わりだ」
「こ、こ、このわしに! このわしに!」
 本当なら「銃を向けるのか?!」とでも言いたいのだろう。彼の世界に、銃器は存在しない。表現する言葉を知らない。それでも、若者の持つ何かが虎を殺したことだけはわかる。
 そして、自分の命が危険にされされていることも。
「死にたくなければ、女たちを解放しろ」
 シャノンの静かなる恫喝が、ガルダムの脳にイネリアの存在を思い出させた。
「こ、こいつを殺すぞ!」
 ガルダムが、椅子の背もたれに忍ばせておいたナイフをイネリアの首筋に押しつけた。イネリアの身体が硬直する。
「イネリア!」
 白月が檻の入り口を閉ざした錠を壊そうとする。
「動くな!」
 ガルダムのその一言で動けなくなった。
「おまえも動くなよ」
 見せつけるように、銀色のナイフと白い喉元をシャノンに向かってさらした。
 イネリアは依然、彫像のように固まってしまっている。これでは、彼女がみずから行動を起こすことは当てにできない。
 絶体絶命のピンチにも、シャノンは涼やかな風情で言い放った。
「やってみろ」
「へ?」
 シャノンの対応に、ガルダムは思わず間抜けな声を漏らした。
「やれるものなら、やってみろ」
 シャノンは銃を構えたまま、煩わしいとばかりに、もう一方の手で蝶ネクタイを解いた。
「早くやれ」
 あまりのことにガルダムは動けない。
 シャノンはことさらゆっくりと歩きはじめた。徐々に、シャノンとガルダムの距離が縮まっていく。
 ガルダムは――やはり動けない。
 彼を縛り付けているのは、恐怖という名の鎖。
 そして、恐怖は未知の武器から発せられているのではなく、シャノンそのものから滲み出るものだ。
 気が付けば、とん、と。
 ガルダムの額に、銃口が押しつけられていた。
 と同時に、くるりと白目を剥いて気絶するガルダム。彼の巨体は、どんと大きな音を立てて床に倒れ伏した。
「大丈夫でしたか、お嬢さん?」
 シャノンは、打って変わって優しげな笑みで、イネリアを縛る革紐を解いてやった。
「あ、ありがとうございます」
「あー、えー、俺の怒りはどこへもっていきゃいいんだ?」
 檻から脱出した白月が、シャノンを白い目で睨んでいた。どこ吹く風とシャノンが答える。
「あいつらで充分だろう?」
 顎でしゃくる先はこの部屋の入り口であり、ガルダムの私兵たちが餌に群がる蟻のように押し寄せてくるところだった。ナイフやロングソードで武装した警備兵だ。
「ふん、不足だね」
 言いつつも、にやにやしているのは、ストレス発散の場が見つかったからだろう。
「あの……」
 立ち去ろうとした白月に、イネリアが追いすがった。
 不思議そうな表情で白月が振り返る。
「白蘭、ありがとう」
「俺はなにもしてないぜ。礼ならシャノさんに言いなよ」
 イネリアは静かに首を振った。
「あなたのその瞳――私は醜いなんて思わないわ。前をまっすぐに見つめているもの」
「――こっちこそ、ありがとよ。あんただって、『壁の花』なんかじゃないぜ。その、ええっと、充分に綺麗だ」
 少し頬を赤らめ、そう言い残して、風のように走っていく。向かう先には無数の白刃が待ちかまえている。
「まるで、男の方みたい」
 ぽつりとつぶやくイネリアに、横で聞いていたシャノンは思わず苦笑せざるをえなかった。
「私はこれからどうすればいいのでしょう」
「ここから出ればいい」
「この城から?」
 シャノンは無言でうなずいた。
「あいつも言ったように、君は壁になど咲く必要はないということだ。自由にどこででも花を開くことができる」
 シャノンの言葉に、イネリアは顔をほころばせた。
   


▽ 終 ▽

 斜めに差し込む朝日のまぶしさに目を細めながら、白月は大きくひとつ伸びをした。
「けっこう手間取っちまったな」
 彼の身体には浅い切り傷や擦り傷が無数についている。
 白月はまだ白蘭のままだった。身につけた技の数々は失われていないものの、やはり肉体がそれについていけず、普段ならどうということのない相手でも手傷を負ってしまったのだ。
「その身体で無茶をするからだ」
 対してシャノンはまったくの無傷だ。着衣の乱れすらない。
「そりゃあ、シャノさんは遠くから狙撃だけしてたからじゃねぇか」
「俺が本格的に参戦したら、ストレス発散できなかっただろう?」
 図星を突かれた白月は、ぐっと返答に詰まり、わざとらしく話題を変えた。
「そ、それより、朝飯でも食いにいこうぜ。24時間営業のファミレスとかなら開いてんだろ」
 指折り食事可能な場所の候補を挙げていく白月に、シャノンは訝しげに眉をひそめていた。
「なんだ? 嫌なのか?」
「おまえ、そんな格好で食事に行く気か?」
「え?」
 そこでようやく気づく。自分で引きちぎったり、衛兵に切り裂かれたりして、彼は――いや、彼女の露出度は今や最高値を示していた。
「くそっ! いつになったら元に戻るんだ?!」
 数日後、同居人やバイト先の友人など、さまざまな人々にひとしきり笑われたり、感心されたり、一目惚れされたりしたあと、白蘭は無事に白月に戻ることができた。

クリエイターコメント諸事情にて〆切ギリギリの納品となりました。
申し訳ございません。

なんだか趣旨がズレたような気もしますが、自分なりに精一杯書かせていただきました。

もし口調や行動などリテイク等あれば、遠慮無くお申し付けください。
このたびは素敵なオファーをありがとうございました。
公開日時2008-07-09(水) 19:00
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