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<ノベル>
晴れ渡った空。窓から差し込む日の光。丁度よい気温……そんなある日の午後、ここ、銀幕市警察署の休憩室で、睡眠を貪っている若い男が一人。
「……の……まの………天野さんっ!!」
「っ、うぉっ!!??」
天野の耳元で、若い女性の声が響いた。長椅子からガバッと起き上がり、周りを見回す天野の眼に飛び込んできたのは同僚の女性刑事、流鏑馬明日だ。
「――何だ、流鏑馬か。驚かすなよなぁ」
天野は、盛大な溜息を吐き流鏑馬を見る。日頃から、優秀な流鏑馬と比べられる事の多かった天野。そのせいか、いつの間にか流鏑馬の事を少々苦手になっているようだ。
「ほら、またこんな所で寝て……あら? 何ですか? その資料」
「ん? あー、これか? いやな、佐伯課長がな……」
「成程。神隠しですか……」
パラパラと資料を捲りながら、流鏑馬は口元に手をあてる。
「あぁ〜、面倒くせーなぁ。何で俺なんだよ……しかも一般人を連れて行けなんて……」
「――天野さん」
「はぁー、面倒くせぇ……」
「あ・ま・の・さ・んっ!!」
「な、何だよ、大声出すなよ〜」
「私も、同行します。宜しいですね?」
「え、あ、ちょっ……」
同意を求めつつも、既に天野に瀬を向け休憩室を後にしていく流鏑馬。おそらく、天野が拒否をしても同行するつもりなのだろう。
「……俺の意見なんて必要ないんじゃねぇか。ったく、相変わらず熱血だよなぁ、流鏑馬は」
流鏑馬の後姿を見送る天野の顔には、何故か僅かな笑みが浮かんでいた。
「天野さん、皆さんをお連れしましたよ」
「――ああ。ご苦労さん……って、しっかしまぁ、実際に見ると……バラエティー豊かと言うか、何と言うか」
天野は、流鏑馬の背後に視線を移す。
ロッカールームから戻ってきた流鏑馬は、4人の協力者を連れていた。皆、署内のあちこちで迷っていたらしい。
色々な意味で容姿の目立つ4人。彼らの登場で、署内はちょっとした騒ぎになっていた。その騒ぎの現場に、彼女が通りかかったらしい。
「えー、まぁ、なんだ。えぇっと……とりあえず自己紹介でも……」
そう言って、天野が場の沈黙を破り、会話を促す。
「あ、ボクはトト。宜しくね」
まだ幼い少年が、丁寧に頭を下げた。周りには赤い金魚と黒い金魚が泳いでいる。少年は、その金魚達をアカガネとクロガネだよ。そう説明した。
「俺は八之銀二だ。宜しくな」
少々近寄りがたい雰囲気の青年が、その怖い外見とは逆に、明るい声で気さくに笑った。
「私は栗栖那智だ。宜しく頼む」
学者なのだろうか、落ち着いた雰囲気の青年が少しだけ頭を下げた。
「俺は神月枢です。宜しくお願いします」
最後に、優しげな青年が深々と頭を下げた。
「俺は天野和史。こっちが同僚で、後輩刑事の流鏑馬明日。皆さん宜しく頼みます」
「流鏑馬です。宜しくお願いしますね」
4人を見ながら、天野と流鏑馬も頭を下げた。
「で、これからどうするんだ? 説明してくれないか」
皆が一通り自己紹介を追えた後、栗栖が天野に問いかけた。腕を組みながら、天野を見ている。
「あー、どうしましょうか……まぁ、とりあえずは現場に行くって事でどうっスか? 皆さん」
「とりあえずって、天野さん……」
流鏑馬が溜息を吐いた。彼女の顔には、大丈夫なのかしらこの人、と書いてあるように見えた。
「ボクはそれでいいと思うよ……何だか、気になる事があって。えっと、天野?」
トトは俯きかげんに天野に話しかける。呼び捨てに戸惑う天野だが、あえて笑顔で返した。
「あの、資料見たんだけど……この事件からは人以外のものの気配がするんだ」
「人、以外? どういう事?」
「説明が難しいんだけどね……何と言うか、えっと、何かの気を感じるんだ」
「気? どういう事だ、説明してくれないか」
栗栖が、トトの顔を覗きこむ。
「トト君、だったよね。気って……何? この事件、マジでオカルト事件なわけ?」
本当に神隠しなのかどうか。半信半疑だった天野は、トトに言う。
「おかると……ううん、まだ確実にそうと決まったわけじゃないよ。でも、何かの思念を感じる。うーん、ここからじゃ遠すぎてうまく気を探れないなぁ……」
「じゃ、その気を探るっての、聞き込みのついでにやりましょう? ね、皆さん」
天野がヘラッと笑う。
「ですね。気を探るのはトト君にお任せして、俺達は聞き込み重視って事で」
神月が、トトの頭を撫でながら微笑む。神月は、子供の扱いはうまいようだ。トトもされるがままになっている。
「じゃ出発するか? 時間が惜しいぜ。子供達が心配だ……」
八之が眉を寄せる。
「では、みなさん。これより捜査を開始します。準備は――宜しいですね?」
流鏑馬が、緩んだネクタイをキュッと締めた。
「うんっ!!」
「ああ、行こうぜ!!」
「では行こう」
「行きましょうか、皆さん」
「……おーい皆さん……俺の事、忘れてないっスか……?」
遠ざかっていく皆の後姿を見ながら、天野が一人呟いた。
*****
《住宅街の裏路地・公園前》
「ですから〜、おじいちゃん」
「はぁ? 何ですかいのぉ?」
「子供達が消えた時の状況をですね〜!!」
「あぁ? 夕飯はまだ食っとらんぞ?? 今晩の献立はのぉ……たしか鮭の塩焼きじゃ」
「……………駄目だ、こりゃ……」
子供達が消えたという公園前で、老夫婦に聞きこみを始めてから約15分。おばあさんは散歩に出ていて不在だったため、おじいさんに聞いているのだが、天野は疲れの表情を見せ始めていた。
「こりゃ困ったな。らちがあかねぇ」
八之も、天野と一緒になって頭を抱えている。
「まぁまぁ、お二人さん。ここは俺に任せてくれませんか?」
そんな二人の肩を叩きながら、神月が自信ありげに微笑む。
「あー、頼んます。俺には無理っス」
「そーだな、頼むぜ」
そう言いながら、天野と八之は神月に場所を譲った。
「ええ、任せて下さい。天野さん、ベビーピン……ああ、失礼、八之さんでしたね」
「おっ、お前……いっ、いいいい、今、ベッ、ベビーピンクって言おうとととと、しっ、しなかったか……?」
神月の言葉を聞いて、八之がガタガタと震えだした。額には脂汗まで浮かんでいる。体格の良い彼が、小さく見える気がした。
「いいえ? きっと気のせいですよ、気のせい。ははははは……」
八之の心理を知ってか知らずか、神月は裏のありそうな笑顔を湛えている。
「――フッ、食えない男だな。神月枢」
「何か言いました? 栗栖さん」
「いいや? 何も」
神月に向けていた視線を外し、栗栖が小さく呟いた。
「うあああああああ……べっ、べべべべべ……ベビーピンク……」
神月だけは、敵に回したくない。栗栖と神月の後ろで、八之は震えながらそう思っていた。
「で、おじいちゃん。子供達が消えた時、何か変わった事はありませんでしたか?」
「ああ? なんじゃぁ?」
「変わった事、ありませんでしたか?」
耳が遠いおじいさんを相手に、神月は笑顔を湛え続けていた。とんちんかんな答えしか返ってこないが、それでも笑顔だった。
「ある意味、尊敬しますね」
「ああ、そうだな……俺だったら絶対無理」
全てを包み込む仏のような神月の様子を見て、天野と流鏑馬が遠巻きに感心している。
「で、どうなんだ? 聞いていたが、進展は無いようだが」
栗栖が、神月に歩み寄る。
「残念ながら、進展はありませんね。刑事さんから頂いた資料以上の情報は……」
神月の微笑みが、苦笑いに変わり、首を横に振った。
「ならば、何か他の手を考えねばなるまい。おい、天野とか言ったな? 気を探るというのはどうなっているんだ?」
栗栖が天野に問う。
「あ、そうっスね。トト君にお願いし――あれ?」
「ん? いないぞ、トト君」
八之が辺りをキョロキョロと見回した。先程まで皆の周りで二匹の金魚と戯れていたはずのトトの姿が見当たらない。
「どうしましょうか……私、探してきま――」
流鏑馬が、走り出そうとした時。どこからか、歌が聞こえてきた。
『かごめ、かごめ……籠の中の鳥は……』
「あ、トト君!!」
歌が聞こえてきたと同時に、路地の奥からフラフラとトトが姿を現した。どうやら、聞こえてきた歌はトトが口ずさんでいたようだ。
「トト君、どこへ行っていたの? 心配したのよ?」
流鏑馬が、一番にトトへと駆け寄っていく。
「あ、ごめんね。気を探ってたら……あっちの世界に連れて行かれそうになってたみたい」
「あっちの世界……? どういう事だ?」
栗栖が、問う。
「ここじゃない世界だよ。こことは、違うの。似てるけど、違うところにあるんだ。子供達の思念を辿ってたら、頭がボーッとなっちゃって……ねぇ、ボク、何か言ってなかった?」
「言う、か……おっ、トト君、歌を歌ってたぜ? 何だっけ? あの歌……あー、ええと」
記憶が無い。そう話すトトに、八之が答える。
「かごめかごめ、だな」
「かーごめ、かーごー……ああ、そうそう、それだよ。栗栖君の言う通りだ!! 童謡、だっけ?」
答えを告げ、腕を組む栗栖。出そうで出なかった答えがわかり、八之はポンと手を叩いた。
「かごめかごめ、籠の中の鳥は・・・・・・」
「うお、びっくりした……」
その様子を見ていたおじいさんが、突然、かごめかごめの歌詞を口ずさみだす。驚いて一歩下がる天野の横で、流鏑馬が本日何度目かの溜息を吐いた。
「思い出したぞ。子供達が消えたときになぁ、聞こえてきたんじゃ。かごめかごめの歌が」
「本当ですか?」
おじいさんの聞き込みを任せられている神月が、再びおじいさんと向きあう。
「ああ、そうじゃ。どこからかはわからんがの、聞こえてきたんじゃ……小さな子供の声じゃったぞ。ちょうど、ほれ、その坊主が歌っておったような感じと似ておった」
トトを指して、おじいさんは、うんうんと頷いている。
「子供の声で、かごめかごめ……うわぁ、何か気味悪いっスねぇ」
天野の表情が曇る。
「どうやら、人間以外のものが関わっているという線が濃くなってきたようだな」
「ええ、そのようですね」
栗栖と神月が、頷いた。
「あ。でも、違う世界がどうとかってさ、どうするんスか?」
天野が、首を捻る。
「そうだよなぁ、仮に違う世界に子供達や犯人が居るとして……俺達にそこへ行く術はあるのか……?」
八之も、首を捻る。具体的にどうすればいいのかわからないのでは、何も始まらない。事態は、暗礁に乗り上げたかに見えた。
「お腹減った…………」
「へっ?」
沈黙を破ったのは、トトの言葉だった。トトは、地面にペタリと座りこみ、お腹が減ったと落ち込んでいる。その周りを、心配そうにアカガネが泳ぐ。
「腹が減ったか。俺、コンビニで何か買ってこようか?」
八之がしゃがみ、トトに話しかける。
「八之さんって、優しいんスね」
「ははっ、俺って見た目怖いからよく誤解されるけどな」
感心したように八之を見る天野に、八之は少しだけ笑ってみせた。
「じゃ、待っててくれ。すぐ買ってくるから」
「うんっ。ありがとう、八之!!」
無邪気にニコニコしているトトを見て、八之にも笑みが零れる。
「ああ、待て。八之」
財布を持って立ち上がった八之を、栗栖が止める。
「何だ? 何か買ってきて欲しい物があったら言ってくれよ」
「いや、気遣いはいらん。それより、買い物には行かなくていいぞ。稲荷寿司でよければだが、持ってきている」
「わぁ〜、ボク稲荷寿司大好きだよ!!」
「そうか、なら食べていいぞ。沢山あるからな。何個か残してくれれば後は好きにしていい」
そう言うと、栗栖は肩に斜めに掛けているボストンバッグから風呂敷包みを取り出した。トトに手渡すと、トトは嬉しげに包みを広げる。中には、程よく味の染みた油揚げを纏った稲荷寿司が3段の重箱いっぱいに詰められていた。
「あの〜」
「なんだ? お前も欲しいなら食べていいぞ」
「何で重箱いっぱいに稲荷寿司なんて持ってきてるんスか?」
綺麗に詰められている稲荷寿司を見ながら、天野が問う。
「――この事件に、役立つかもしれないと思ってな。折角だから稲荷寿司にしてみたんだ。まぁ、この子の空腹を満たすために使う事になるとは予想外だったが」
パクパクと稲荷寿司を頬張るトトを見下ろしながら、栗栖は呟く。
「はぁ……何だかよくわからないっス。稲荷寿司がこの事件に役立つかもって、何でなのか」
答えがわからない天野は、重箱と栗栖を交互に見ている。
「捜査を始める前から結論を一つに絞るのはどうかと思っていたからな。科学的、非科学的――両方の場合を予測してきたんだ。この稲荷寿司は、そのうちの……非科学的な方だ」
「………? はぁ……やっぱりよくわからないっスよ」
「あの……栗栖さん。もしかしてその稲荷寿司……」
クシャッと頭を掻く天野の隣で、流鏑馬がパッと顔を上げた。
「ほう、何か気付いたのか?」
「もし、この事件が非科学的なものによって引き起こされたもので、この地区……稲荷寿司――もしかして、野々宮稲荷に関係があるとお考えなのでは?」
「ほぉ、鋭いな」
推理を話す流鏑馬を、感心したように栗栖が見る。
「ののみやいなり……?」
「トト君、トト君、ご飯粒が口の横に」
キョトンと小首を傾げるトトの横で、八之が世話を焼いている。八之が心根の優しい人物だとわかってはいる一同だが、やはりどうしても違和感を覚えてしまうようだ。
「野々宮稲荷って、あのオンボロ稲荷っスか? 今は無人の」
天野が言う。野々宮稲荷とは、銀幕市の外れにある小さな稲荷の事だ。昔は神主の老人が住みこみで管理をしていたらしいが、その神主が亡くなってからは無人になり、荒れ果ててしまっている。
「稲荷という事は、この事件の犯人はその稲荷の狐、だと?」
神月が、栗栖に話しかける。
「さっきのトトの様子を見て、ほぼ確信に変わったよ。おそらく、今回の事件の犯人は野々宮稲荷の稲荷……狐の仕業だ」
「あっ、だから稲荷寿司なんだな? 油揚げは狐の好物だから……」
八之が言う。
「なら、野々宮稲荷に行ってみましょう? きっと、事件が動きますよ」
流鏑馬が、ニッコリと微笑んだ。
「――俺、オカルトとかあんまり好きじゃないんっスけど……」
おじいさんに別れを告げ、野々宮稲荷へと歩を進める流鏑馬と協力者の後ろで、天野がボソッと呟いた。
*****
《野々宮稲荷・境内》
砂利が擦れ合う音だけを響かせて、天野と5人は野々宮稲荷の境内へと足を踏み入れる。
「うお……何か出るぞこのヤローって感じがプンプンする……」
「うん、何かいるよ」
「だぁあああぁ……俺、帰」
「……………天野さん」
「ハイ、スミマセン、ガンバリマス」
昼間でも薄暗い場所、生暖かい風、そして荒れ果てた建物。肝試しにはもってこいの場所だ。そんな境内から後ずさる天野に、流鏑馬は彼の襟を掴んで極上の笑顔を見せた。
「いるよ、何か」
トトの漆黒の瞳が、妖しく揺らめく。
「……行くよ? お稲荷様を――呼ぶ」
「……………」
トトの言葉に、皆が息を呑む。ゆるゆると流れていた場の空気が、トトを中心に渦巻くように集まり始めた。
「来て。怖がらないで――大丈夫、一緒に遊ぼう……」
ゆっくりと瞳を閉じて、優しく微笑むトト。その微笑みは、儚く、淡い輝きを纏っていた。
瞳を閉じたままで稲荷へと呼びかける言霊を唱え始めると、彼を中心に渦巻いていた空気が、ゴォッと散っていく。
「――うぉっっ!!??」
顔の前で拳を握り、身構える八之。
「きゃっ……何……っ??」
流鏑馬は片足を一歩下げ、崩れそうになる体勢を保つ。
「フム、なかなか興味深い……」
「学者魂が疼きますか?」
「ああ、そうだな……」
栗栖と神月は、それぞれにトトを見ている他の人物達を眺めつつ、事態を静観している。
“リィン”
数分後、辺りに風の音に混じって、小さく鈴の音が響いた。段々とはっきり、そして近く。
「なっ、何だ? 鈴?? どっ、どどど、どこから!!?? ぐぇっ……」
「天野さんっ、落ち着いて下さいっ!!」
「流鏑馬……首、離してくれ……」
うろたえる天野。それを、逃げられないように襟を掴む流鏑馬。
「やはり、反応しますか」
神月が、胸ポケットから何かを取り出す。
「土鈴か。用意がいいな」
栗栖が、感心したように神月を見た。
「何だ? その鈴」
神月の手には、朱色の紐に小ぶりな鈴が二つ付けられたものが握られている。それを、不思議そうに八之が見る。
「ああ、これは土鈴といって土を焼いて作った鈴です。古くから、魔除けとされていて……今も、郷土玩具として各地にあるんですよ」
念のために持ってきてよかった、かな? そう言って神月は涼やかに笑う。
「はぁ……苦しかった……ん? 何か変っスよ? その鈴」
「鈴が変? ――くっ!!」
流鏑馬に襟を離してもらい息を整えた天野は、神月の手の中の土鈴が震えているのを見つけた。トトの巻き起こす風のせいではなく、何か、別の要因で震えているように見える。
天野の問いかけに神月が彼の方を見た瞬間、神月の手の中の土鈴が弾けた。
「成程。土鈴では役に立たぬレベルの相手、ということか。面白い」
バラバラと落ちる土鈴の欠片を見て、栗栖が呟いた。
「あ、皆………来たよ。お稲荷様だ、やっと答えてくれた」
トトが瞳を開ける。凪いでいたいた風が、再び土煙を纏って舞い上がる。
「来るなら来い、俺が退治してやるぜ!!」
拳を握り締め、八之が気合を入れる。
「俺、ただのギャラリーでいいっス……」
「天野さん!」
「やれやれ……ただの狐ごときで慌てるな」
逃げるに逃げられず、忙しなさげに視線を泳がせる天野と、彼のネクタイを掴んでいる流鏑馬。そして栗栖は、一人しれっと瞳を細める。
『遊ぼう。遊ぼうよ』
「うああああぁあぁあああぁー!!」
「かかって来ーいっ!!」
土煙が収まるにつれ、その向こうに人影が見えてくる。
その人影が発する『遊ぼうよ』の声に、天野が叫ぶ。横で、八之も叫んだ。天野とは別の意味で、だが。
「狐……? これが?」
砂利を踏む音と共に現れたものの姿を見て、トト以外の一同は一様に驚いた表情を見せる。
「わぁ〜こんにちは、お稲荷様っ!!」
「トト君!?」
「待って、トト君!!」
トトは、それに向かって走りだす。その後を、八之と流鏑馬が慌てて追った。
『君達も……ボクと遊んでくれるの?』
声の主は、トト達に向かって語りかけてくる。幼い口調のそれは、白い着物に白い髪――まだ小学校低学年くらいの外見をした、幼い男の子だった。
『みんな、ボクのお友達になってくれるの?』
声は、嬉しげに笑う。
「ううん、ごめんね。ボク達は消えちゃった子供達を連れて帰らなくちゃいけないんだ……お稲荷様、子供達………返してくれる?」
トトは、申し訳なさそうに俯いた。
「でも……折角できたお友達なのに……」
現れた少年の声が暗くなる。
「えっと、ごめんね……本当に、ごめんね」
人ならざる者の存在に落ち着きを無くすクロガネと、辺りをふわふわと泳ぐアカガネを撫でながら、トトも落ちこむ。
「ああ、そうなんだ。君が寂しいからという理由で、子供達をこのままにはしておけないんだよ。子供達の親も、心配してるんだ……」
神月が、優しく語りかける。触れようと声の主に手を伸ばすが、その手は空を切るだけだった。
「うあ……俺は何も見てないっス、何も見てないっス……」
「……………」
それを見て、天野が何やら自分に唱えだした。もはや突っ込む気力も無い様子の流鏑馬は、ただ天野を見ているだけだ。
「他に望みは無いのか? 子供達をそばに置く方法以外で、お前を満足させる方法は」
動じた様子の無い栗栖が、問う。
「………ボクのお家……壊れてるの」
「壊れたお家、直して欲しいの。綺麗になったら……前みたいに、お参りに来てくれる人来るよね? そしたらボク、寂しくないよ」
ポツリポツリと、稲荷の化身らしい少年は語りだした。
「――………」
その話に、一同は黙って耳を傾ける。彼の話はこうだ。神主の老人が亡くなってから、参拝客はすっかり無くなり、彼の家であるこの稲荷も荒れ放題になっているのだ、と。以前のように、参拝客が訪れてくれるようにしてほしい……と。
「成程、わかった。君の家はきちんと修理するよ。参拝客も、きっとまた来るようになるから」
だから、子供達を家に帰そう? 神月は、微笑む。
「おい、それくらいどうにかなるだろう?」
栗栖が、天野に問う。
「へ? あー、たぶん大丈夫だと。課長に話してみますよ」
おどろおどろしい相手を想像していた天野は、以外と人間味のある稲荷の化身に少し気を許したようだ。震えが止まっている。
「さ、家の修理と交換だぜ。子供達はどこにいるんだ?」
口調は少々ぶっきらぼうだが、八之はしゃがんで稲荷の化身に話しかける。
「うん、待ってて。今連れて来るね!!」
稲荷の化身は、嬉しげに微笑み、境内の奥の森へと走っていった。
「あ。そういや栗栖さん、持ってきた稲荷寿司はどうしたんですか?」
野々宮稲荷からの帰り道。流鏑馬と共に子供達の手を引く天野は、栗栖に聞く。
「ああ、あれか。あれなら置いて来たぞ。子供達を無事に帰してくれた礼に、置いてきてやった」
「へぇ、きっと喜んだだろうな」
八之が笑った。
「これで、後は野々宮稲荷の修繕だけですね。天野さん、流鏑馬さん、お手続き頼みますね。ケチると、今度は祟られるかもしれませんよ?」
神月が悪戯っぽく微笑む。
「責任を持って、引き受けます」
流鏑馬が軽く敬礼してみせた。
「り、了解です……お願いだから祟らないで下さいっス……」
天野が俯いた。
「兄ちゃんビビリだなー!!」
「あははははっ」
「しーっ、傷つくだろ、言っちゃ駄目だって!!」
天野を笑う子供達を見て口元に指を当てる八之。フォローしているつもりのようだが、逆に傷口に塩を塗りこんでいるとは……気付いていなかった。
そして、翌日の野々宮神社の境内。そこには、空になった3段の重箱が丁寧に揃えられて置かれてあった――
*****
《数日後 銀幕市警察署・刑事課室内》
「――あれ?」
天野が、給与明細を凝視しながら首を捻っている。
「どうかしたのか、天野?」
その様子を見ていた課長の佐伯が、話しかける。
「いや、これ変じゃないっスか? 俺のボーナス……ゼロになってるんですけど」
処理のミスなんじゃ? そう言って、佐伯のデスクに近づく天野。佐伯はパソコンに向かったまま、天野に話す。
「ん? ボーナスが無いのはミスだと? よく見ろ。ミスではないぞ」
パソコンのエンターキーをパチッと押して、佐伯が顔を上げた。
「へ? よく見ろって言われても……お?」
給与明細のある部分に視線が到達した時、天野の表情が一気に変わった。そこには――
“ノノミヤイナリ シュウゼンヒヨウ”
そう印字されてあった。
「ちょっ、ちちちちち、ちょっと課長!!」
天野は佐伯のデスクにガバッとすがりつく。
「なっ、なななな、何で、何で俺のボーナスから!!??」
「別におかしくはないだろう? 日頃のお前の勤務態度も考慮に入れると、ボーナスが吹っ飛んだだけで済んでありがたいと思え」
ニヤリと笑って、佐伯は眼鏡を中指で押し上げた。
「……………そ……そんなぁあああああぁぁあぁ〜!!!!」
快晴の午後。署内に、天野のある意味悲痛な叫び声が響き渡った。
【終】
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クリエイターコメント | まず初めに、ご参加下さった皆様、ご参加有り難うございました。 まだまだ、修行中の身。いたらないところだらけで申し訳ありません。 うまく皆様を活躍させて差し上げられなかった事が、心残りでなりません…… 心理描写やキャラクターのしぐさ等、もっと瑞々しく表現できるように努力してまいりますので、これからも宜しくお願いします。 それでは、またどこかでお会いしましょう。 最後にもう一度。ご参加、有り難うございました。
村尾紫月 |
公開日時 | 2007-08-15(水) 12:10 |
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