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<ノベル>
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
銀幕広場――。
ターミナル駅の前という立地条件もあって、この広場はいつも賑わっている。
夏休みももうすぐ終わりという時期の為か、普段より幾分、学生は少ないようだが、それでも多くの人が、散策や待ち合わせをしていた。
ロスアンジェルス市から贈られたヤシの木の緑が、まだ強い日差しを受けて、鮮やかに目に映る。
そんな広場の一角に、男性が1人、人待ち顔で立っていた。
ミラーシェードで目の表情は隠されているが、グレーのコートのポケットに片手をつっこむようにしたその立ち姿や、漂う雰囲気にはどこか人目を惹きつけるものがあった。
サイバーパンクものの映画が好きなファンならば、その男性が誰なのか、気づくかも知れない。近未来を舞台としたSFアクション『Dark blue city』。その主人公の相棒として活躍する天才ハッカー、レイであると。
隣で同じく人を待っているらしき女性が、レイと知ってか知らずか、ちらちらと視線を送ってくる。
胸元が大きく開いたひまわり色のワンピース姿。すんなりと形の良い脚でモデル立ち。自分のアピールポイントを良く心得ている彼女の視線が、無遠慮に自分の上にとまった、と見るなり、レイは反射的に笑いかけた。
「誰かと待ち合わせ?」
「え、ええ。あなたも?」
「そ。だけどなかなか来なくてさ。来るまでの間、良かったら……」
退屈しのぎに話でも、と言いかけたレイの背に、ぞわりとした悪寒が走る。なんだ、この殺気は……?
ただ事でない、と振り返ったレイの目に映ったのは、足早に広場を離れて行こうとする、アオザイ姿の女性。深く入ったアオザイのスリットが歩く勢いにひらりと翻り、白いクワンが目に眩しい。
だが、レイにはそんな姿を楽しんでいる余裕はなかった。
必死の思いで人の間をぬい、女性……待ち人であるティモネを追いかける。
「ティモネ!」
大声で呼びかけると、ティモネは足を止めた。
「まぁ、レイさんではありませんか。……何か御用?」
待ち合わせなど、全く無かったことのようにティモネは小首を傾げる。
ゆるりと編まれた黒髪でふちどられた、優雅な微笑み。清楚と妖艶の両方の要素を含んだそれは、どきりとするほどの魅力がある……のだが、今のレイにとっては、鬼の形相で睨まれるよりも余程恐ろしい。
「すまん」
「あら……? 何か、謝らなければならないようなことをなさったのかしら?」
「してないって。ただちょっと、話をしてただけだ」
「とてもプロポーションの良い方でしたもの。さぞや楽しいお話だったのでしょうね」
ティモネの口調は柔らかく、そして……冷たい。
それでも、帰ろうという気は止められたのか、ティモネはレイと並んで聖林通りを歩き出した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
銀幕市の目抜き通りだけあって、聖林通りの両側にずらりと並ぶ店々は華やかだ。
ショーウインドウの洒落た飾り付け、店の前に置かれたプランターに咲き誇る夏の花々……。目に嬉しいそんな数々を見ているうちに、斜めになっていたティモネのご機嫌も戻ってきて、レイはこっそりと胸をなで下ろす。
この間、不可抗力とはいえ、ティモネをごたごたに巻き込んでしまって、彼女のショッピングの予定をすっかりダメにしてしまった。そのお詫びに奢るからと呼び出したのに、機嫌を損ねてしまってはお詫びにならない。
「で、今日は何処に行くんだ?」
「買いたいものがあるので、まずはそのお店に。ね、アオタケ」
ティモネが頭の上に乗っているバッキーのアオタケに、指でちょんと触れると、
「ぶみゅう〜」
アオタケは面倒そうに一声鳴いて、また目を閉じた。
「買いたい物って……?」
「それは……あっ……」
レイに答えかけたティモネが、不意に足を止めた。
目指す店なのか、と思ったが、そこは買い物をするような場所ではなく。
「ゲーセン?」
ゲームでもするのかと訝しむレイを、ティモネは笑みを含んだ赤い瞳でじっと見上げ。
「あれ、取って下さいな」
愛らしい仕草でおねだりしたのは、店頭にあるUFOキャッチャーの景品の1つ、サングラスをかけたむくむくの白いクマのぬいぐるみ。
「よし。ちょっと待ってろよ」
他のぬいぐるみと重なっていて、一度では無理な位置にあるから、まずはアームの特徴を掴むのを兼ねて、邪魔になっているものを取り除き。
「このアーム、微妙に右に回転するな」
癖が分かったら、あとはぬいぐるみの重心を考えつつ、アームを的確な位置に下ろせば良い。
アームはやや右に回りながら、ぬいぐるみをしっかりと持ち上げた。ガラスに顔を近づけて見守るティモネの前を、クマのぬいぐるみがすうっと通過し……。
ぽとり。
見事ゲットしたぬいぐるみを、ティモネは嬉しそうに取り出した。
「……レイグルミね」
「ん? 何か言ったか?」
聞き取れずに尋ねたレイに、ティモネは、うふふと笑って首を振る。
「いいえ、何も」
どう見ても、何も、という様子には見えなかったけれど、機嫌よくぬいぐるみを抱くティモネの姿に、レイはまぁいいかと、それ以上追及はしないでおいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「このお店です」
目的の店に到着し、ティモネはにこにこと中に入っていったが、レイはうっと呻いて硬直する。
店先にまで溢れるパステルカラー。繊細で美しいレース、リボン、フリルの数々。
それらが女性にとって心ときめく品々なのは間違いないだろうが……。
レイは洒落た書体で書かれた店の名前を呆然と呟く。
「らんじぇりーしょっぷ ふろーらる……」
下着の店なのだから当然だが、どこを見ても下着、下着、下着……。目のやりどころに困って、レイは視線を足下にじっと固定する。
「どうなさったんですか?」
振り返って呼びかけてくるティモネの声は、ただ不思議そうなだけで、こちらをからかっている様子はない。だとすれば、これはティモネにとっては、単なる買い物。付き合うといった以上、ここで怯んではいられない。
「何でも、ない……」
ドクドクとあがる心拍数のことは気にしないようにして、レイは店内に足を踏み入れた。平静を保ってはいるが、視線をぴりっとも左右に動かさず、ティモネに据えて歩いていく姿は、不自然の極み。
「あら、これ、レイさんに似合いそうですね」
「ま、ま、まさかそんなっ!」
ティモネが差し出す布からレイは急いで目を逸らし、ぶんぶんと首を振った。
「これはあまりお好きではありませんか?」
差しつけられた布を、こわごわと目を開き見れば……それは予想していたようなものではなく、青いパジャマのシャツだった。
勇気を出して見回せば、ここはパジャマ売り場で、ティモネは人用とバッキー用のパジャマを、ああでもない、こうでもないと選んでいる最中。
心底ほっとしたレイは、深く息をついた。寝るときに着るものだと思えば気恥ずかしいが、それでも下着を選ぶよりはマシだ。
「こちらは肌触りが良いですし、こちらはデザインがとてもよろしくて……」
悩むティモネが広げてみせるパジャマから、レイは一着を選び出す。
「お揃いにするんだろ? だったらこれの色がパステルグリーンと白だから……このパジャマが似合うんじゃないかな?」
「アオタケ、レイさんが選んでくれたこれはどう?」
ティモネはバッキー用の小さなパジャマを頭上に差し上げた。
「ぶみゅうぶみゅう」
「ずいぶん投げやりな返事だな」
「でも、気に入ったみたいです」
レイにはさっぱり分からないが、ティモネにはアオタケの返事が聞き分けられるのだろう。ではこれで、とティモネは寝心地の良さそうな生地で作られた、淡い緑のパジャマに決めた。
「俺も買っていこうかな」
折角だから、とレイはさっきティモネが選んでくれた青のパジャマを手に取ると、再び前方に視線をくわっと固定して、レジへと向かったのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ショッピングを楽しんだ後は、そろそろすいてきたお腹の満たされる場所へ。
ということで、2人+1匹はティモネお薦めの居酒屋へと向かった。
こじんまりとしているが雰囲気の良い居酒屋で、入って行くと居酒屋の店主だけでなく、常連らしき客までが温かく迎えてくれる。
「ティモネさん、梅酒にはうるさかったりするんですよ」
ティモネは迷いなく梅酒を注文し、レイは店主推薦の地酒を頼んだ。
お通しに出て来たたこわさをつまみ、何を食べようかと迷いながらつまみを選ぶ。
きざみ大根の海老天は、箸を入れるとカリカリッと割れ。
ソースの良い匂いの漂うじゃがいものお好み焼きは、もちもちと。
「このお店のきゅうりのタタキは絶品なんですよ。食べてみて下さいな」
「おっ、ほんとだ。これは美味いぜ」
ティモネが近づける小鉢をつまみ、レイが舌鼓を打てば。
「若いモンは仲が良くて、羨ましいねぇ〜。おじさん、妬けちゃうな〜」
すっかり出来上がっているサラリーマンが、がははと豪快に笑って冷やかす。
「仲が良いだなんて、そんな……」
照れたティモネが咄嗟に小鉢を引き、レイの箸がかつんとカウンターの何もない場所で音を立てた。
「あれれっ?」
「あら……すみません」
ティモネは慌てて小鉢をまたレイへと近づけた。そんな様子に、また冷やかしの声がかかる。
「初々しいねぇ〜」
「まぁまぁお客さん、そっとしておいてやってくださいよ」
店主がさらりと口を挟み、別の話題を振りながらサラリーマンに酒を注ぎ、こちらに向かってにこりと目で合図を送ってくる。
これで冷やかしから解放されると、レイとティモネは目を合わせて微笑しあって……はっと気づいて、同時にぱっと顔を背け。その動きでずり落ちそうになったアオタケが、大きな口を開けて、かぱっとティモネの頭に吸い付いた。
店主心づくしの料理はどれも美味しく、杯を傾ける手もついつい進んでしまう。
「ふにゅ……」
上気した頬を押さえ、ティモネはとろんと幸せそうな表情で目を閉じる。
……可愛い。
そう思った次の瞬間、レイはその感情を押しやった。
いくらムービースター疑惑があるとはいえ、ティモネは人間。ムービースターという存在は、いつかは消えるただの夢、だとレイは思っている。その自分が普通の人に近づくのは、あまり良くないことだろうから……。
「レイさん?」
そんな心中を知ってか知らずか、ほろ酔いのティモネはこんな質問をしてくる。
「どうして……私に構ってくれるんですか?」
なんと答えよう。
恋愛感情ではない、と自分では思ってる。だけど、結構気に入ってるのは確か。
「それは……」
自分の中にある感覚を言葉にするにはどうしたら良いのかと、悩むレイの隣で……。
「すぅ〜〜〜」
「おい、ティモネ。店で寝るんじゃない!」
すやすやと気持ちよく眠りに落ちていこうとするティモネを、レイは慌てて揺り起こすのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
日中は暑さが残っていても、日が落ちると夜風はひんやりと秋の気配を伝えてくる。
酔い覚ましにとティモネを自宅の屋上に招き、レイはその隣に並んで夜の銀幕市の夜景を眺めた。
眼下には銀幕市を彩る光が、イルミネーションのように輝き。
頭上には夜空を飾る星々が、きらきらと。
「夜にはサングラスはいらないのではありません?」
ティモネがふざけて、レイのミラーシェードを取り上げた。
ミラーシェードの下の右目は、普通の青い瞳。だが左目は、瞳孔も白目の部分もないただ黒い瞳。その周囲にはざっくりと醜い傷が刻まれ、コードが浮き出、マーキングが施されていた。
人ではあり得ない目を前にしても、ティモネは全く気にもせず、くすくす笑いながらミラーシェードをおもちゃにして遊んでいる。
困った、と感じるのは、ミラーシェードを取り上げられた所為なのか、そうして遊んでいるティモネを好ましく思ってしまう自分の心の動きの所為なのか……。
「ではお返ししますわ」
はい、とティモネがミラーシェードをかけるそぶりをしてくるので、レイは身をかがめてそれを顔で受け取ろうとした。が……。
「うふっ」
直前でティモネが、ミラーシェードを後ろ手に隠す。その為に2人は、至近距離で見つめ合うことになり……。
どちらが先に動いたのだろう。
それも定かでなく。
何かの力に吸い寄せられるように、2人の顔は自然にそのまま距離を詰めた……。
相手の存在を確かめるような、僅かに触れるだけのバードキス。
唇が離れてからも、レイは呆然と立ち尽くしていた。
「あ……」
ティモネは気まずいような、困ったような顔で口元を押さえると、酔っていた時よりももっと紅潮した顔で俯いた。普段はツンツンした態度を取ることが多いティモネだけに、そうして恥じらう姿は、ぐらっとくるほど可愛くて。
レイは思わず腕を……。
――ゲシッ!
「ってぇ〜〜っ!」
レイの顔面に、アオタケの高速ジャンピング蹴りがきれいに決まった。
と同時に、止まっていた時間が流れ出す。
――ドカッ!
アオタケに蹴られたショックも覚めぬうちに、レイははっと我に返ったティモネに思いっきり突き飛ばされた。
「な……」
どう呼びかけようかと、口を開きかけて止まったレイにティモネは背を向け、
「アオタケ!」
てけてけと走り抜けてゆくアオタケを追いかけて、走り去っていった。
屋上には、レイだけがぽつんと独り。
吹きすぎてゆく風が、やけに冷たく感じられる。まるで、頭を冷やせと言われているようだ、とレイは蹴られた額に手を当てた。
「そうだ。だって俺は……」
夢が生み出した儚い存在。いつ何時、霞みたいにかき消えてしまうか分からない。
自分が消えてしまうのは仕方ない。けれど……残される方はどうなる?
「アオタケサンに感謝すべき、か」
レイは終わりに近づいている夏の名残の空気を、深く吸い込んだ。
いつまでも終わらないで欲しい夏、いつまでも続いて欲しい夢。
せめてこのひとときだけは、心の内に留めて――。
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クリエイターコメント | このたびは、オファー有り難う御座いましたの。 お届けするのが大変遅れてしまい、申し訳御座いません。
恋未満の時期には、特別のトキメキがあるように思います。 後で思い出せば、甘く気恥ずかしくて。でも、渦中にいる時は、甘いどころでない程に翻弄されて。 そんな素敵な時期を書かせていただけて、嬉しかったです。 ほんとうに有り難う御座いました。
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公開日時 | 2008-09-02(火) 00:50 |
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