★ 【鳥籠の追想】去りゆく背、縋らない瞳 ★
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
管理番号156-7430 オファー日2009-04-18(土) 22:00
オファーPC ファレル・クロス(czcs1395) ムービースター 男 21歳 特殊能力者
ゲストPC1 コレット・アイロニー(cdcn5103) ムービーファン 女 18歳 綺羅星学園大学生
<ノベル>

 そこは、銀色の鳥籠。
 そこは、鳥籠を模した温室。
 咲き誇る花もなく、辺りは闇に包まれ、銀のテーブルと銀のイスが置かれているだけの場所。
 けれどそこには、一羽の小鳥が囚われているという。
 歌も忘れ、飛ぶことも忘れ、眠り続けるその小鳥にまつわるひとつの噂。
 それは――

「いったい何を見せてくれるというのでしょうね」
 ファレル・クロスは小さく首を振りながら、自身が踏みこんでしまった場所を眺める。
 銀のイス、銀のテーブル、それ以外には何もない、ただ格子と嵌め込まれたガラス、磨き上げられた床のみで構成された温室とも呼べない不可解な空間がここにある。
 空っぽの鳥籠。
 眠っている小鳥などいるのだろうかと、そんな疑問を抱くほどに、入口も出口もない静寂で満たされた場所だ。
 それでも。
 好奇心と呼んでいいのか、あるいは、ただ、状況を変えるための手段として選んだ方法だというべきなのか。
 ファレルは椅子を引き、そこに身を置いた。
 背の高いアンティークチェアは、その冷ややかなフォルムとは裏腹に、よりかかるファレルの体をそっと受け止める。
 それは思いのほか心地よく馴染み、ゆるやかな眠りの誘いの役割を果たしてくれる。
 ファレルのまぶたが、そっと下ろされた。



 幼い神子が掛けた夢の魔法はいつか解ける運命にある。
 夢は醒めるためにあるのだから。
 醒める日が来ることはもうずいぶんと以前から、もしかするとこの世界に実体化をしたその日、その瞬間から分かっていたことなのかもしれない。
 ファレル・クロスはゆっくりと空を見上げた。
 終焉を間近に控えた銀幕市上空は、それ自体が紛いものであるか本物であるのかすら判らないほどにどこまでも澄み切っていた。
 自分が本来いた場所――『映画の中の世界』でこうして静かに空を観賞する時間すらなかったことを思えば、今ここにあるすべてが紛いものであると考えてもいいのかもしれない。
 あるいは、ただ、『夢のようなひと時を夢の中で過ごしている』と、そう考えるべきか。
 ファレルは一度足を止め、しばし、その感覚について思案する。
 だが、結局のところ、答えらしい答えをそこから見出すことはできなかった。
 分かっていることは、たとえ今いるこの場所が紛いものであろうと、本物であろうと、もう間もなく自分の前からすべて消えるという純然たる事実だけだ。
 だからその前に。
 彼女と出会った場所、彼女が過ごしている場所、彼女がいる場所へと、最後の別れを告げに行く。
 コレット・アイロニー。
 金の髪をした、儚げで頼りなげな少女。
 他者の境遇を気にし、相手が幸せであるのかをつねに気にかけている少女。
 彼女は、孤児院にいる。
 同じような境遇の子供たちに囲まれながら、孤独と寂寥とある種の幸福の内にいる。
 その日、彼女は、外で待っていた。
 まるで今日、自分がここにくることを予期していたかのように、いつもの微笑を浮かべながら、薄着のまま、扉の前で待っていた。
 風が彼女の髪をさらりとなで、軽く舞わせる。
 きれいだと、そんな単語が浮かんでしまう自分に微かに戸惑いながら、ファレルは彼女の正面まで近づいて。
「間もなく、私もあるべき姿に還ることになります」
 平坦な言葉を口にした。
 別段、これといった感傷があるわけではない。感慨があるわけでもない。何かを感じる心が自分の中にないのだから当たり前だ。
 けれど。
「そう、なのね……」
 彼女はほんの少しだけさびしそうに笑う。
「やっぱりファレルさんも……行っちゃうのね。でも、これってしかないこと、なのよね?」
 笑いながら、彼女は自分を送り出そうとしている。
「できれば、えと、お茶でもどうかなって思ったんだけど……時間はないのかしら?」
「たぶん、ない」
「そっか……そうよね。ごめんなさい……」
 彼女の瞳が陰る。
 けれど、でも、微笑みは絶えていない。
 引き留める手はなく、縋りつく視線もなく、悲しみすらも湛えていない、別れることに慣れた者の表情がそこにあった。
「いままで、ありがとうございました」
 彼女は微笑む。静かに、穏やかに、一滴の涙もなく、微笑んでいる。
「ファレルさんがいてくれて、私、たくさん助けてもらって……すごく、頼りにしていたの」
 彼女は無茶をする。
 生身の、力をもたない身で、平気でその身を犠牲にしようと考え、行動しようとする。
 無謀だといったところで彼女はその行動を改めることはきっとない。それは彼女の信念にも等しいものだから。
 放っておけなかったのは事実だ。
 目を離せなくなっていた。
 どうしてそんな行動を起こそうと思ったのか、最初のきっかけはもう忘れてしまったけれど、彼女を守りたいと、確かに思った。
「お兄さんみたいって、ずっと思ってた」
 彼女の言葉はやわらかい棘のように、自分の中に沈んでいく。
「……元気で、いてください」
「うん、ありがとう」
 さようなら、と。
 言葉少なに交わされる、別れ。
 彼女は泣かない。
 彼女は、わがままな子供のように“行かないで”と叫んではくれない。
 彼女は微笑んでいる。
 彼女は、物わかりのいい、あきらめの良い子供のように微笑んでいる。
 自分は消える。
 自分ははじめからこの世界にいなかったのだから、元に戻るだけのことだ。
 なぜ、そんな当たり前の、はじめからわかりきっていた、割り切っていた事実を確認しながら、自分は戸惑っているのだろう。
 なぜ、自分はこんなにも喉がひりつくほどの息苦しさを感じているのだろう。
「コレットさん」
 呼吸ができることを確認するように、彼女の名を呼ぶ。
「コレットさん」
 一歩、ファレルは彼女に近づく。
「……コレット、さん……」
 二歩、三歩と、ファレルは、小さく首を傾げて不思議そうに自分を見つめるコレットに近づいていく。
 そうしながら、不意に、本当に不意に、ファレルは思い至ってしまった。
 コレット・アイロニー。
 彼女は、この世界に残るのだ。
 この世界にはじめからいた者たちとともに、ここで彼女の日常は続く。
 彼女は自分を忘れるだろう。
 彼女は自分のいない日常を、日常として迎え、そうして彼女の傍にいる人間にやがて想いを寄せるだろう。
 彼女は、他の誰かと、これから先、自分のいないこの世界で明るく幸福な時間を手に入れるのだ。
 そうして、いつかは孤児院から、別の場所に行くかもしれない。
 ここにはない景色の中に、銀幕市ではないどこか違う場所に続いている彼女だけの道を進んでいくのだ。
 自分を忘れて。
 自分と過ごしたすべての思い出を綺麗に置き去りにして、彼女は他の誰かと幸せになる。
「……」
 ふ…っ、と、何かが砕けた音がした。
 自分の中で、何かが途切れ、壊れ、砕けて、消えて。

 指が、空を薙いでいた。

 音もなく、カタチもない、無色透明な空気の刃が、無垢で無防備な彼女の心臓を貫く。
 鮮赤が軌跡を描いた。
 彼女の胸からあふれた赤が、視界いっぱいに飛び散る。
 悲鳴はなく。
 彼女の笑みが消えることもなく。
 ただ、宝石よりもきらめいていた翡翠色の瞳から一切の光が失せて。
 彼女の体は、その口元に微笑みを残したまま、どさりと地に倒れた。
 糸が切れた人形。壊れた少女。切り裂かれた彼女の内側からあふれ出した《赤》は、一瞬たりともとどまることを知らない。
 ワンピースも、頬も、髪も、胸も、白い花も、青い草も、ささやかな野花も、指も、腕も、何もかもが赤に侵食されていく。
「コレットさん」
 ファレルはそっと彼女の体を地面から引き離した。
 熱を帯びた赤にまみれ、脈打つ赤に浸り、すべてを停止して、もう二度と彼女自身によっては閉ざされることのなくなった瞳を覗き込み。
「……コレットさん……」
 彼女の額にかかる髪をやわからかく掻き分ける。
「あなたは、もう、誰にも微笑みかけない」
 彼女の髪をそっとなでつける。
「あなたは、もう、他の誰も見たりしない」
 彼女の髪から頬へと、輪郭をなぞる。
「あなたは、もう、決して変わらない」
 そうして、彼女の唇を、かすかに震える指先でなぞる。
「あなたは、もう、永遠に、私を忘れない……」
 ゆったりとぬくもりが消えていく事切れた彼女の体を、あらためてそっと静かに、やさしく、けれど強く抱きよせてみる。
 ずっと、こうしてみたかったのだと、初めて自分の心の声を聞いた。
 物質を分子レベルで組み替える能力を、自分は有している。
 しかし、彼女を構成するすべての物質を組み替えたとしても、きっと彼女の心は手に入らない。
 きっと自分が焦がれ求めた《彼女自身》を手に入れることは叶わない。
 けれど、でも。
 それ以外を望むなら、こんなにも、たやすい。
 もう永遠に彼女は他の誰のものにもならないのだという、その事実に、驚くほど圧倒的な質量の幸福感が押し寄せてくる。
 幸福を感じていた。
 幸福を噛みしめていた。
 ソレは闇色をした、暗く淀んだ幸福感ではあったけれど、空虚で平坦なファレル・クロスの内側を、凍りついたままの心の中を、まんべんなく満たしてくれた。

「あなたは永遠に、私の、もの……」


 ちゅぴり。
 ちゅぴり、り、りりりりり……

 恍惚とした闇色に沈むファレル・クロスの耳を打つ、それはかすかな小鳥のさえずりだ。
 ガラスのように澄んだ、透明な歌。
 透明すぎて儚い、遠い日の記憶のような旋律が、ファレルを取り巻き、遠ざかっていくのを聞いた。
 それでも小鳥はさえずっている。ずっとずっと。耳鳴りか、あるいは幻聴ではないかと思えるほどかすかな歌を遠い向こう側で奏でているのを聞きながら、
「……愚かな……」
 銀色のアンティークチェアに背を預けたそのままの態勢で、ぽつりと小さく呟きを声に出す。
 息が苦しい。
 胸が痛い。
 思い出すことすら辛いと感じるほどに、愚かな夢を見た。
 そして、ひどく残酷な願いだ。
 これが予言であるというのなら、自分はなんと愚かなのか。
 後悔、罪の意識、暗く激しい感情が、自分のずっと深い所で吹き荒れ、暴れまわっている。
 直接的に訴えてくるのではない、ガラス一枚隔てた向こう側から自分を苛む激情の名をファレルは知らない。
 しかし。
「彼女が誰かのものになるとして、それで彼女の何が変わるというのでしょう」
 言葉にして、確かめる。
 自分の中に起こる心因反応、そんなものがあるかどうかを試してみる。
 だが、何も起こらなかった。なにも感じなかった。
 彼女をこの手にかけてしまったという、あの夢の、その残滓によってもたらされたどうしようもないくらいの後悔と苦しみと痛みのカケラだけがそこにあった。
 大丈夫。
 自分はけっして、あの夢のような行動をとったりはしない。
 大丈夫。問題はない。大丈夫だ。
 平穏な日常、あたたかな時間、静かなひと時を、彼女は自分に教えてくれた。
 彼女を想い、彼女を助け、彼女のために何かを為す。
 無意味で無味乾燥だった自分の存在に意味を彼女は自分に与えてくれた、その彼女の幸福を、どうして望まないというのか。
「いかなることが起ころうと、私はあなたを守ってみせましょう」
 それは誓い。
 まるで己の剣をささげる騎士のように、強い意志によってなるもの。
 ファレルは立ち上がる。
 ここに用はない。ここは自分のいるべき場所ではない。戻らなくては。彼女が待つ、あの場所へ――
 一度目を閉じて、彼女の笑顔を心の中に思い描き。


 ちゅぴ、り、りりりり……


 小鳥のさえずりを遠くに聴きながら。
 そうしてもう一度顔をあげ、目を開けたとき。
 そこは闇色の沈んだガラスの鳥籠の中などではなく、晴れ渡った銀幕市の空を背景とした聖林通りだった。
 何も変わらない、何も起こっていない、軽快で楽しげで雑多な音であふれた街の中心に、自分は立っていた。
「すべて夢と、そういうことですか」
 無表情の中に、ほんのわずか、安堵とも苦笑ともつかない色を浮かべて、ファレルは薄手の黒いジャケットのポケットへ両手を突っ込み。
 そこに、覚えのない手ごたえを感じた。
「……?」
 右手の指先でそれをつまみ、ポケットから引き出して。
 目の高さまで掲げ、青空の中にあってはひどく異質な色を眺める。
 ピジョンブラッドのごとくに揺れる深い紅の卵――いや、卵を模した小さな小さな石の存在を、ファレルはその目で確認した。
 この色は、これは、まるで、あの夢の中で彼女の胸からあふれ出ていた色彩をギュッと閉じ込め、固めたかのような――罪の象徴とでもいうべきものだ。
「……愚かな夢への戒めとしましょうか」
 ひきつけられ、内側へと取り込まれそうになるほどに美しい色を、もう一度ジャケットにしまい込み、ファレル・クロスは歩きだす。
 昨日、市役所に調査依頼が張り出されていた。
 もう間もなく、調査員を募る時間がやってくる。
 コレット・アイロニー。
 他者を心配するが故に自分の身をないがしろにしがちな彼女はきっと、自分の安全など顧みず、あの案件に名乗りを上げるだろう。
 だから。
 彼女のために、無茶をしがちな彼女の存在を守るために、愛しいモノの幸せと願いのために、ファレル・クロスは市役所へと足を向ける――

 いずれ来る別れの時に、けっして後悔しないために。



END

クリエイターコメント《鳥籠》の中にて語られるみっつ目の《夢》をお届けいたしました。
夢の魔法が掛かった銀幕市だからこそ出会ったおふたりの、夢の魔法が解ける直前の時間を鳥籠の中に映させていただきました。
限りなく一人称に近い演出による、一方通行の想いが作り出した《閉じた世界》の感覚とほのかな闇をお伝えできていればと思います。

小鳥が眠るこの鳥籠へとお立ち寄りくださり、ありがとうございました。
公開日時2009-04-24(金) 18:20
感想メールはこちらから