★ 【鳥籠の追想】欠如した自己、不完全な日常 ★
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
管理番号156-7485 オファー日2009-04-27(月) 20:00
オファーPC ルーファス・シュミット(csse6727) ムービースター 男 27歳 考古学博士
ゲストPC1 ドクターD(czdu7674) ムービースター 男 35歳 精神科医兼心理分析官
<ノベル>

 そこは、銀色の鳥籠。
 そこは、鳥籠を模した温室。
 咲き誇る花もなく、辺りは闇に包まれ、銀のテーブルと銀のイスが置かれているだけの場所。
 けれどそこには、一羽の小鳥が囚われているという。
 歌も忘れ、飛ぶことも忘れ、眠り続けるその小鳥にまつわるひとつの噂。
 それは――



 漆喰とレンガで固めたチューダー調の外観に、長方形にそろえた窓から差し込む光。それを受ける青銅の彫刻、壁を飾るキャンパス、オーク材と革素材でしつらえた調度品は落ち着いたアンティークの風格を見せる。
 神話を模した美術品に囲まれた《シュミット家》はいま、たったひとりの住人の手によって美術品以上に書物があふれ、吹き抜けのリビング、寝室、食堂、廊下に至るまで、あらゆる所が図書室状態となっていた。
 それを咎める者はなく、それを片付けようという使用人もない。
 この屋敷は主と、主の犬と馬だけを伴ってこの銀幕市に出現したからだ。
 屋敷の扉を開け放ち、一歩外へ踏み出せば、そこに広がるのは英国の田園風景ではなく日本の中でも少々特殊な町並みだ。
 空にはガラス板のような青が広がっていた。
 紺碧の空がガラスでないことを証明するように、公開を間近に控えたアクション映画の広告飛行船がゆったりと横切っていく。
 そんな《窓の向こう側の光景》を、ルーファス・シュミットはティールームから眺めていた。
 シックなテーブルの上には白磁のティーカップが2脚、そして繊細かつ芳醇な味を持つチョコレートの乗った白い皿が置かれ、ささやかなふたりだけのティータイムを演出している。
 カップから立ち上るダージリンの香りがまた心地よい。
「この街に来てから、もうずいぶんと長く考えてきたことがあるんですよ」
 それらに向けていた視線を自身の前に座している相手へと戻し、ルーファスは言葉を切りだす。
「ドクター、“完成された自己”とは何によって立つのでしょう?」
「完成された自己、ですか?」
 ドクターDは、無数の本に囲まれた館の中で穏やかに微笑みながら、小さく首を傾げた。
「その答えは自我を証明することと同様に非常に難しいと言えますが……シュミットさんは何をもって定義しようとお考えですか?」
「私は、完璧な自分を求めるならば、自分を構成していたすべてのものがここに存在していなければならないと考えるのです」
 銀幕市は街全体がひとつの《夢》を見ている。
 そして、夢の魔法が解かれる日、その刻限にむけて、見えない砂時計の砂が流れているのだということをこの街に住まう誰もが感じ取っていた。
 誰もが《いつか来る別れの日》に想いを馳せる。
 けれど自身の中にあるのは、これから失うだろうものへの痛みではない。
「私が住まう屋敷は私とともに実体化しました。動物たちも……黒馬のロビンも、このアベルも、私の傍にいてくれます」
 視線が、今度は自身の足元へと向けられた。
 毛並みの良いアフガンハウンドが、ひっそりと主の傍らに伏している。
 自分の名を呼ばれたと認識してか、ちらりと片目だけ開けてこちらを一瞥し、再び山と積まれた分厚い本のひとつを枕にして目を閉じた。
「しかし、本来この屋敷にはもっと多くの者たちがいました……あふれかえる本を整理し、増え続ける美術品を管理し、窓を拭き、床を磨き、料理を作り、チョコレートやワインを仕入れ、私と話し、私の友人や知人たちを迎え入れてくれる使用人たちは誰ひとりここにはいないのです」
 ふとした瞬間に、ルーファスは屋敷の中に執事の姿を求める。
 新たな知識として屋敷に迎え入れた書物や美術品、出先で見つけた好みのワインやチョコレートを手にして帰ってきたとき、彼らの不在を再確認させられる。
 彼らはここにはいない。彼らはこの世界のどこにもいない。フィルムの中、スクリーンの向こう側にのみ、彼らは存在している。
「私という自己の形成は、使用人や友人をはじめとした館に関わるすべての存在と、古き良き時代の英国という舞台によって成立するものではないでしょうか? それが《完成されたムービースターとしての私》ではないのでしょうか?」
 自分が置かれた現状、幼い神子の魔法とこの街の特異性とルール、それらを受け入れ過ごしてきた年月を否定するわけではないけれど、ふとした瞬間に思うのだ。
「つまり、あなたは銀幕市の今あるご自身を《不完全な自己》と捉えているのですね?」
「そうです。今の私はまさしく《欠落した状態》といえる」
 ルーファスを知る者はこの街にもいるけれど、ルーファスの知る歴史を知って生きる者、ルーファスという個人を形成するのに費やされた時間を共に過ごしてきた者、かつてルーファスの日常を構成していた存在はここにはいない。
「思えば、知的探究と称して自分のもとへと持ち込まれた《不可思議な現象》の解明に臨むのが私の日常でした」
 同好の士から持ち込まれた《謎》は、遺跡や古代文明、それらに由来する古い呪術に関するもの、歴史に関わるもの、古代の神々の知に触れるような《物語》が多かった。
 それらはたまらなく魅力的で優美だった。
「けれど、あの日々をこの場所に取り戻すことはできません」
 その違いは、世話を焼いてくれる執事をはじめとした使用人たちや古い友人たちの不在だけではなく、根本的な揺らぎと欠如を孕んでいる。
「私はこの街で《ムービースター》というものに分類され、映画という《自身のいた世界》の外側で日々を過ごしていることになります。日々を過ごすということは、私の日常が営まれているということですが、はたしてそれが正しい形であるのか否か、という思いにとらわれてしまうのです」
 失われた状態で日常を続ける自分。
 その不完全性についての考察。
 その不自然性と受け止めについての苦慮。
「シュミットさん。わたしは、ここで紡がれる日常が何気ないものであればあるほど自身に約束された《完全なる調和》が失われてしまったのだと、そう感じることはおかしなことではないと思いますよ」
「そうでしょうか?」
「ええ。それと同時に、ここで過ごす日々も、決してシュミットさんご自身にとって紛いものとはなりえないとも思うのですが」
 ティーカップに口をつけ、それからドクターDは、ルーファスからの回答を待つように、静かな深海色の瞳でやわらかく見つめる。
「確かにこの街は実に興味深いです。あらゆる新鮮な驚きと発見があふれているのですから、それを求め、関わることもまた、私の日常であると言えばそう言えてしまうでしょう」
 彼のまなざしを受けながら、思考を巡らせていく。
「この街で得られたものによって、生き方を変えた者は多いと聞きます。それは、《ムービースターとしての完璧なる自己》からの脱却なのではとも考えられますが」
 何かが欠落したまま実体化を果たすムービースター。
 自身のいた世界すべてをここに持ち込めたものはひとりもいないのだから、欠落を受け入れて変わることもまたひとつの術なのかもしれない。
 あるいは、《生活環境の変化》として、もっと身近に、引越しや異動に近いものとして自分の感覚に惹きよせて考えればよいのか。
 映画で定められた生き方をまるごと捨てることも。
 用意された《レール》を拒み、《誰かに作られた自分》を捨てたり書きかえたりすることも。
 実体化という魔法の領域ではなく、これまでいた自分の街から別の街にやってきて、これまでの生活を捨てて新たな世界で変わろうとすることと変わらないのかもしれない。
 思考は、別の流れを持ち始める。
「ならばいっそ、新たな日常に切り替えるべきなのかと迷っているのでしょうか」
 銀幕市に実体化し、犬と愛馬だけが過去から現在に至る自分を知るというのなら、いっそまるで違う《日常》に身を置いてしまうのが良いのだろうか、と。
「生活環境の変化を受け入れ、映画の中とは違う世界に身を置いてみるべきなのだろうかと……ただ、何か微妙な齟齬を感じてしまうのも事実――」
 言葉を途切れさせたルーファスへと、ドクターはそっと言葉を差し出す。
「欠落ゆえの芸術性、欠落ゆえに生まれる美があることもシュミットさんは認められていると、そうわたしは思うのですが」
「欠落ゆえに生まれる美……」
 ふいに、閃く。
「! そう、確かにそこに行きつく気がします」
 山と積まれた書物の中で、自分が確かにその考えに感銘を受けた。
「ミロのビーナスの両腕、モトラケのニケの片翼と頭部……女神たちは我々の眼前に《欠落した状態》で出現し、それでいて、いえ、だからこそ心引きつける芸術性を秘めているとも考えられているのでした」
 この部屋を一歩出て、蒐集した美術品が並ぶ展示室へと足を運べば、そこに精巧に複製された彼女たちがいる。
「そうなると、欠落することで《別の形に完成された存在》になる、ということに」
「わたしの世界にもあの芸術と美の感性は存在していましたよ」
「それは面白い発見ですね」
 まるで異なる世界の中に住まう者たちの中にひとつの共通項を見出すことが、なぜかとても興味深い現象のように思えた。
「……そう、一度聞いてみたいと思っていたんですよ。ドクター、貴方のいた世界はどのような街だったのでしょう?」
 自身に与えられた役柄と同様、精神科医としてこの銀幕市で日常を綴る彼の、もとの世界について聞いてみたいという思いに駆られる。
 ドクターDはどこか懐かしげに眼を細め、答えを返す。
「わたしがかつていた場所は、この街ほどには穏やかではなく、この街ほどの多様性と包容力もない世界ですよ。賑やかではありましたが」
 水銀の雨が降る街に彼はいたのだという。
 異能者たちが引き起こす犯罪、それらの解決に奔走する特殊部門、終わらない赤にあふれ、悲劇と喜劇にまみれた近未来社会で彼は人と向き合っていた。
「違いに、戸惑いはしなかったのでしょうか?」
「《人の心》そのものは、そう大きく変わるものではありません。ですから、わたしが為すべきことも、そう変わらないのでしょう。それに、わたしがこの街に来て最初にしたことは、ふたりの《わたし》の記録を読むことでしたし」
「では、貴方がこの街で喪失や欠落を感じたことは?」
「ないとは言いません。ですが、ソレを悲劇的と捉えることもなかったというのが実際のところです。淋しいと、そう思うこともありますが」
「“淋しい”?」
 その言葉が、心のどこかで反響する。
「ええ。しかしソレも厭うものではありません。誰もが抱える郷愁に近いものと認識していますし、なにより」
「なにより?」
「なにより、知的好奇心が全てを凌駕してしまいました」
 小さな秘密を打ち明けるようにくすくすと笑うドクターに、思わずつられて笑みを返す。
「確かに、それはいかなる感情をも上回るものです」
 チョコレートを口に運ぶ。
 オレンジリキュールの効いた濃厚な甘みがふわりと口の中で溶け、鼻へと抜けていく。
 続けてダージリンティを。
 もといた場所で得られたものと全く同一ではないけれど、心地よい日常を思い出させてくれるものたち。
 ふぅっと、ルーファスからため息のようなものがこぼれる。
 何かが、自分の中で形になろうとしていた。
 そのカタチを求めて言葉を探り、その先で、これまでとは違う笑みが口元に浮かぶ。
「……結局のところ、この街で迎えるだろう《自身の最期の時》を思ったとき、どうするのがふさわしいのかと、そう考えたのでしょう」
 俯瞰の視点を持って自己を分析した結果が、これだった。
 ずっと心の片隅にありながら、今になってこの思いが表出したその最大要因は、きっと間もなく夢が終わると感じたからだ。
 喪失を抱えたまま迎える自身のラストシーンを、うまく描けなかったのかもしれない。
 けれど、でも。
 独白にも似た思考過程と言葉をドクターDは静かに受け止めてくれる。
 そんな相手を前にして、ルーファスはようやくひとつの結論らしきものを得ることができた。
「それもまたいいものだと思えます。この類稀な街の中に身を置き、過去と変わらぬ日々の繰り返しのうちに夢の終わりを迎えるというのも」
 欠けたままの日常を受け入れ、それでいて《映画の中の自分》と変わらぬ日常を綴り続けていくことが、ひとつの完成された自己となるのだ。
 生まれ変わるのではなく、このままで。
 これがもっとも自分らしい、もっともムービースターとして完成度の高い自己であるように思える。
「そう、これこそが……」
 最初に捕らわれた想い、その着地点を、この瞬間、自分の中に見て――


 ちゅぴり。
 ちゅぴり、り、りりりりり……


 耳を打つ、それはかすかな小鳥のさえずりだ。ガラスのように澄んだ、透明な歌。透明すぎて儚い、遠い日の記憶のような旋律。
 どこかせつない響きを持ったそのさえずりによって、ルーファス・シュミットはゆるやかな眠りから目を覚ます。
 書物であふれかえった屋敷ではなく。
 磨き上げられた床、銀のテーブル、銀のイス、そして銀の格子に、嵌めこまれたガラスの鳥籠の中に、ルーファスはいた。
 チョコレートもティーカップもない。ロビンもアベルの姿もない。青空も、美術品も、ドクターDの姿も、ほんの数瞬前まであった一切が消失している。
 ここにあるのは空っぽの鳥籠だ。
「自身の終焉を見るという噂は……、なるほど、あまり正確とは言い難いようですね」
 植物のない温室、ガラスの《鳥籠》に捕らわれた小鳥の噂を、さて、自分はどこで聞いたのだったか。
 しかし、好奇心に駆られたのだということは思い出せる。
 見てみたいと思ったのだ。できることなら、終わりゆく世界の中で、自分が何を見、何を考え、何を選ぶのかと。
 だが、鳥籠の見せた《夢》は、まるで日常のひとコマとして映し出されていて――

 再び、小鳥のさえずりを聞いた気がした。
「――っ」
 だが、まどろみの中でそれを追い求めることはできなかった。なぜならルーファスは己の胸に圧し掛かる重みによって強制的な覚醒へと追いやられたのだから。
「……アベル……」
 目覚めた視界いっぱいに広がるのは、アフガンハウンドの理知的な瞳と、櫛通りの良い滑らかな絹糸状の長毛だった。
 どこかでまた、何かが崩れ落ちる重い音がする。
 そこでようやく、現状認識に至る。
 テーブル、床、棚、ありとあらゆる所に山と積まれた書物の間にわずかにできた空間、ティールームの床で、ルーファスは二度目の目覚めを迎えていたのだ。
 本に埋もれたまま倒れて動かない主人を思ってか、アフガンハウンドはその口で紙の布団の中から引きずり出そうと口を開けた。
「起きます……自分で起きますから」
 思わず苦笑しながら、関節の痛みをわずかに感じつつ身じろぎする。
「……?」
 コツリ。
 書物をよけながら上体を起こしたその瞬間、何か小さなものが指先にあたり、転がった。
 目で確認するより先に、思わず手が伸びていた。
 前後左右に塔のごとく積み上げた本と本の間に入り込んだものを、つまみあげる。当然本の塔は瓦解し、雪崩を起こしたが、目的のものは捕まえられた。
「これは……卵、ではありませんね……かといって宝石とも言い難いような気がしますが」
 目の高さまで掲げて眺めてみるが、卵を模した小さな小さな石は、明かりの下できらりと輝くだけだった。
 肌に吸いつくような滑らかさを持ったソレは、あえて色の名をつけて表現するとしたら、セレスティアル・ブルーと呼ばれる空の色を思わせる。
「これが何であるのか、調べてみましょうか」
 偉大なる賢者の石、ではないだろう。
 しかし、では何によって構成されたものなのか、今の段階ではまるでわからない。
 ルーファスの瞳に好奇心の光が宿り、輝く。

 それからしばらくの間、道楽博士は、物言わぬ石が秘めた謎を解き明かすために己の寝食を完全に忘却した。
 膨大な書物と膨大な実験器具、そして膨大な知識欲でもって紡がれる、ソレはまさしくルーファス・シュミットの《完璧なる日常風景》だった。

 窓の向こうでは、大きな翼をもった天使が子供たちと手を繋いで飛んでいる。



END

クリエイターコメント《鳥籠》の中にて語られるいつつ目の《夢》をお届けいたしました。
知識欲にあふれた考古学者様のお相手に当方の精神科医をご指名いただいたため、まるで思考実験のようなひと時を、書物であふれるティールームにてご用意した次第です。
アクティブに動き回るのではなく、穏やかに言葉を交わし、内面へと降りていくイメージで。
失われた日常への寂しさをひそやかに織り込みつつ、辿りついた解答ともども、少しでもイメージにそうものでありますように、と祈っております。

小鳥が眠るこの鳥籠へとお立ち寄りくださり、ありがとうございました。
公開日時2009-05-08(金) 19:00
感想メールはこちらから