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<ノベル>
街は、息をひそめていた。
張り詰めた空気に圧倒的な無音の圧力が、辺りに漂う緊迫感を加速させている。
人の姿はない。
否、人の生活音、活動音という、普段なら気にも留めぬあらゆる雑音がそこでは一切死滅していた。
ただ、風の音だけが悲鳴のように通りを吹き抜けた。
「静かだね」
呟いたその声は、静寂の世界で唯一の音だった。
街の中央に位置する公園の、レンガ焼きのタイルが敷きつめられた路地の上。
そこに少年は居た。
両足を前に投げ出し、無造作に路面に座り込むその姿はあどけなさと共に希薄さを感じさせる。
時折吹き込む風に銀色の髪をなびかせるに任せ、弛緩しきった体を支えるのは後ろについた腕のみだ。
全体的に笑ったような表情が印象付けるのは喜怒哀楽で言えば、楽の感情。
しかし、発せられた声は、明るさの中にもわずかに憂いを秘めていた。
「まあしょうがないか」
1人そこに座り込む少年は、ゆっくりと首を左右に巡らせて最後に空を仰ぎ見た。
薄く細められた赤い瞳が、公園の電灯に掲げられた垂れ幕を見据える。
春を祝うこの街の祭の装いは、無残にも引き裂かれ虚しく風に揺れていた。
「早雪様」
突如、背後に現れたその気配に、少年――神撫手 早雪 (カンナデ サワユキ)は、特に驚くでもなく振り返り笑みを浮かべた。
「やあ」
人形のように透き通った白い肌に、美しく背後に流れる黄金色の髪。
両手を前に手の甲を合わせ握りしめ、瞬きもなくじっと早雪を見つめ佇む姿は控え目あり、どこか無機質だ。
音もなくそこに現れた女に向け、早雪は指先をこめかみで数度叩き頭の中から記憶を探り引き出すかのような動作の後、その名を呼んだ。
「ええと、……姫神楽くん?」
「言祝とお呼びください」
緩々と左右に首を振りながら、姫神楽 言祝 (ヒメカグラ コトホグ)はそう乞うた。
「うん、じゃあ言祝」
座り込んだ姿勢のまま、フワリと早雪が宙に浮いた。
ゆっくりと手足を伸ばし背を弓なりに大きくのびをすると、そのまま空を移動し言祝の前に向かい合う。
「こういう時、どうすればいいのか教えて?」
小首を傾げる早雪の顔を、次いで彼の背後に横たわる少女に視線を送ると、言祝は再び正面の早雪にその深い青の瞳を向け静かに言った。
「花を手向けると良いかと思われます」
「そう」
言祝の言葉に早雪は無邪気とも言える声で頷いた。
周囲を見渡し、それからベンチの横に置かれたままとなっていた花籠に気付くと、そこに手を伸ばす。
両手いっぱいに抱えられた色とりどりの花々。
それらを一斉に、冷たくなっていく少女に向け上からばら撒くと、
「ゴメンね。もうこんな事にならないよう、頑張るから」
早雪は静かに目を閉じた。
満たされない。どうしても、満たされない。
男は、いつも飢えを抱えていた。
体が、己の存在が、糧を欲す。本能が全てを飲み込もうと腹のそこでのた打ち回る。
しかし、男はこの世界が、この世界で息づくものが、皆好きだった。
壊したくない、奪いたくない。喰ライタイ、呑ミ尽ツクシテシマイタイ。
もうずっと、そんな苦悩と渇望がせめぎ合う矛盾した思いを抱き込んで、生きている。
気が遠くなる時の中、男は身の内を焦がしさ迷い続けていた。
その街に辿り着いたのは偶然だった。
満たされないのは知りつつも、水を求め行き着いた公園で男は渇きを潤した。
しかしやはり飢えは満たされぬまま、慰めにもなりはしない。
憔悴しきり、男は古ぼけたベンチに腰を下ろした。
普段なら、こんな人の多い場所に近付くことはない。いつ抱えるこの飢えが暴走するとも限らないからだ。今回も、水を飲んだらすぐにでも立ち去るつもりだった。
しかし、一度座ると、体は中々言うことをきいてはくれなかった。
焦る気持ちを胸に、男は何気なく周囲に目を向けそこでようやくその景色に気が付いた。
色鮮やかな祭の垂れ幕。そこかしこに飾り付けられた花籠。忙しなく、しかし笑顔で動き回る人々。
街は、新たな季節を祝う祭に活気で満ち溢れていた。
「あら、ここでは初めて見る顔ね、コンニチハ」
突如話しかけられ、男は驚いた。手渡される切花に、それがこの街の祭前の習わしと知る。
「もうすぐお祭、楽しみね。わたしはウチの手伝いで今年はずっとこの公園でお花配るの。ああ、本当に本祭の日が待ち遠しいわ」
少女の笑顔に、手の中の花に、男は薄く両目を細めた。
ずっと忘れていた感覚だった。内側がすっと軽くなったような気がした。
それまでずっと、避けていた多くの人が生きる場所。それは彼ら自身を守る為、とそう思ってきたのだけれど。
忘れていた、人々を慈しむ感情がどんなものかを。そうだ、愛すべき彼らの息吹は、こんなにも生きる力を与えてくれるものだった。
男は、確かにその時癒された。
一瞬飢えを忘れさせてくれたその幸福感。
その瞬間、確かに彼は満たされたのだ。
そのまま、男はその街の公園のベンチに座り続けた。
祭の日まで、と心に決めながら。
もう忘れないでいよう、胸に焼き付けておこう。人々の生きる脈動を感じ、共に生きる喜びに変えよう。
街の人々が集う、その公園ではあらゆる声が聞こえてくる。
――今度結婚するんだ
――あの人から手紙が来たの
――もうすぐ学校、新しい生活
――今度の仕事はうまくいきそうだ
――生まれてくるこの子の為にも
足元に飛んできた帽子に、拾い上げ渡してやれば、子供は男に笑顔を向けた。
「アリガトウ」
「ありがとう」「お疲れ様」「頑張って」「いただきます」「どういたしまして」「ただいま」「喜んで」「大丈夫」「良かったね」「また明日」
男を包み癒す、心地良い様々な街の人々の声。
花籠の少女は、公園に来るたび男に微笑みと花をくれた。
男もそれを、いつしか忘れていた「笑う」という表情で受け取った。
楽しみね。
ああ楽しみだ。
もうすぐお祭だね。
しかし、限界は突然訪れた。
我に返った時、全ては終わっていた。
男が愛しいと、守りたいと、大切に思っていたそれらは全て、壊された。
彼自身の手によって。
男が、街全体を喰らったのだ。
男は、死神だった。
彼の糧は人の魂。
常に空腹で、常に満たされなく、しかし死神はずっとこれ以上人間の命は奪いたくないと、そう願っていた。
死神は咆哮した。
自分の生を、己が存在を呪った。
神殺しは大罪だ。それ故、自ら命を絶つ事も許されず、しかし魂を喰らう事もやめられない。
死神は絶望した。
彼は愛していた。自ら壊したこの街を、街の人々を、あの少女を。
祭を前に賑わっていた、幸せな人々の生活を、その生の全てを奪った自分が許せなかった。
しかし、背負った宿命はたとえ神である彼とて変えられるものではない。
死神は決断した。
自ら封印する事を。
自分の身を人間の体に封じ込め、自分の存在をこの世界から隠す。
封印は堅く決して破られぬよう、万が一の時を考えそれを監視する人形も作り出す。
そうして、己が存在を滅しよう。
そして、死神は創生した。
封印としての存在、死神に対する『番人』――神撫手 早雪。
番人を助く者、封印を監視する役目を担う『自動人形』――姫神楽 言祝。
その二つの存在を。
瞳を開け、早雪は再び横たわる花籠の少女に目を向けた。
一瞬の内に脳裏に駆け巡った、悲しい記憶の断片。
自分の事のようで、しかしそれは別の人格を有する死神の思い。
早雪に分かるのは、それが悲しみに満ち溢れているということだけだ。
魂を死神に食われ、死した少女はまるで眠っているかのように安らかであった。
その面影がどこか、後ろに佇む言祝と似ているような気がするのは、恐らく気の所為ではないだろう。
散りばめられた花の中、横たわる少女の姿に満足したのか、早雪は徐に頷くと空に浮いたまま体をくるりと反転させた。
歩くほどの緩やかなスピードで、進みながら言祝に向け声を掛ける。
「それじゃ、行こうか」
「どちらへ?」
カツカツとタイルを鳴らしながら、早雪の後に自動人形が無表情のまま続く。
「そうだな」
この街は死んでしまった。
住まう全ての人間を死神は喰らい尽くしてしまった。
進む先には、そこかしこに魂を喰われ死した人間が横たわっている。
死屍累々、だ。
その間を、1人はふわりと漂いながら、1人は地を蹴り路面を鳴らしながら歩く。
「うん、とりあえず」
ここは、悲しみが多すぎる。
早雪の中の彼の記憶が早雪自身も苦しめる。
だから。
あえて浮かべる笑みは、もう二度と彼を苦しめさせない。その決意の表れ。
「ここではない、何処かへ」
己に従う言祝に、決意の笑みを向けながら早雪は言った。
心優しき神の末路、その地から旅立ち。
今、2人の物語が始まる。
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クリエイターコメント | この度はオファーありがとうございました。 心優しき死神と彼の末路、その死神を封じる者達の誕生の瞬間を書かせていただけて光栄です。 少しでも気に入っていただければ幸いです。 |
公開日時 | 2008-03-09(日) 20:30 |
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