★ 【ムービースターの新生活】乙女心は戸惑って ★
<オープニング>

 銀幕市に魔法がかかって以来、日々登場するムービースター達。
 ある者はすぐに銀幕市になじみ、ある者は悪事を働きヴィランスと呼ばれ。
 でも、実体化直後はどのスターも戸惑いながらこれからどうするかを模索するのではないだろうか。


 市役所の一角、紙と電子辞書らしき物が置かれた机の前で、一人の少女が固まっていた。
(どうしよう)
 手元にあるのは、住民登録のための記入用紙。ちなみにムービースター用。
 しかし、彼女は先程から固まったまま全く筆が進んでいない。それどころか、記入欄は全て白紙のままだった。
(今の私じゃ、書けないよ……)
 彼女の現在の名前は松木琴美。だったらそのまま書けばいいじゃないかと思うかもしれないが、彼女には谷口健一という本名がある。
 市役所の職員に一通り説明を受けて、用紙を渡されたのは約30分前のこと。
 さすがにどうしたのかと近くまで様子を見に行く人はいたものの、彼女の手元に置かれた電子辞書のような端末に表示されている文字に二の足を踏んでいた。
『私の出身映画をご存じですか?』
 幸か不幸か、これまで彼女の様子を見に行った人の中に原作を知っている人は居なかった。


「一体どういう事なのかしら?」
 彼女に用紙を渡した市民課の高梨益子もまた、いつまで経っても何も書かない彼女を変に思い様子を見に行った。そして帰ってきての一言目がこれ。
「まあ、仕方ないわよ」
「あ、草間先輩」
 席に着いた途端に声をかけられた益子は、さっきまで席を立っていた草間雪香が戻ってきているのに気が付いた。
「言ったでしょ、彼女は何も書けないって」
「そう言われても仕事なんですから仕方ないじゃないですか」
 そう、用紙を渡して彼女がテーブルに移動した後、草間先輩はそんなことを言ってくれたのだ。どういう事か聞こうとしても「彼女、まじめなんだけど譲れないものがあるからねぇ」なんて謎の発言を残して席を立ってしまったし。
「というか、先輩彼女のこと知っているのでしょう。どうして教えてくれないんですか」
「教えるわよ。そのために資料を取りに行ったわけだし」
 よく見ると、先輩の机の上には先輩の大好きな月刊ファッション誌が何かを挟んだ状態で置いてあった。
「ただ、口で説明するのにはちょっと差し支えがあるというか。先に注意しておくけれど、内容を口に出しちゃ駄目よ?」
 声に出したら承知しないぞ、といった感じの顔をしながら渡された雑誌はちょっと古い刊だった。そして、何かが挟まっているページを開くと、そこには彼女の出身映画の原作小説と紹介ページがあったのだ。

 映画「心、繋ぎ止めて」。
 3人の少女の淡い友情を軸にした物語は、終盤に意外な展開を迎えることになる。
 それは、実体化した彼女が、ロリータファッションがよく似合い原作ではモデルまでしていた彼女が、実は男の子だったという事実。

「って、彼女お――むーっ、むーっ」
「こら、口に出さないって約束でしょ」
 約束まではしてないと思いつつ、口が滑ったのは事実なのでとりあえず口を塞いでいる手を叩いて降参の意思を示す。
「だから口で説明しなかったのよ。中途半端に耳にした誰かが不用意に突っついてみなさい。あの子どうなるか分かったもんじゃないわよ」
 確かに、原作では大事になりかけていたらしい。少女であることにこだわっている彼女がその根本を否定されたら。それは容易に耐えられる痛みではないだろう。しかも、原作では支えになった親友もここには居ない。
 そして、同様の理由で用紙に必要事項を書くことも出来ない。実際の性別を書かないといけないけれど、今の彼女は少女だから。
「事情は分かりましたけど、じゃあどうすればいいんですか?」
「そうねぇ……やっぱり健一君を呼んできてもらうのがベストかしら。でも、確かあの子、着の身着のまま来たのよね?」
「本人の話だと、身体一つで実体化してそのまま市役所に連れてこられたそうです」
「となると、呼んでもらうのも一苦労だわね」
 もちろん正確には呼んでもらうのではなくそっちの状態で来てもらうのだが。
「そうね、市役所に来ている方に協力してもらいましょ。私達と違って自由に市役所から出られるし、あの子に私達の仕事終わりまで待ってもらうのも酷だもの」
 ちなみに現在、午前11時である。
「でも、こんな事でわざわざ市職員からお願いしていいのでしょうか?」
「いいのよ。住民が快適に暮らせるようにするのは立派な仕事でしょう?」
「……1ファンとしての気持ちも入っていますよね?」
「うっ、うるさいわね。口答えしていると、今度は口で口塞ぐわよ」
「それどんな羞恥プレイですかっ」
 どうして罰として公衆の面前でキスされないといけないのですか。ちょっと痛いところ突いただけなのに。
「でも、どうするんですか? 人選間違えたらそれこそ大変な事になりますよ」
「そうだけど、今のところ他に手がないもの。他人に嫌がらせするためにわざわざ市役所に来る人も居ないでしょうし」
 きわどい発言ですね、それ。というか声量上がってますよ先輩。
「で、私達が大丈夫そうな人を選んで説明して協力してもらうのよ。受け入れられると思ってもらえればあの子も楽になるでしょうし、危ない空気になっても貴方なら抑えられるでしょ」
「そんな所だけ頼られても」
「あら、呼びかけから手伝って貰うわよ」
 ああ……って、窓口はどうするんですか。
「というわけで高梨借りるから誰か代打お願ーい」
 うわ、今思いっきり怖い笑顔しましたよこの人。
「あ、そうそう。あまり意識しすぎたら駄目よ?」
「えっ?」
「譲れないものや触れて欲しくないもの、理解されるかどうか分からない悩み。そういったものは人それぞれ、誰にでもあるでしょう?」
「……そうですね」
 こういった所は頼りになるのですけどねえと思いつつ、草間先輩に引きずられていく益子だった。

種別名シナリオ 管理番号700
クリエイター水華 月夜(wwyb6205)
クリエイターコメントこんにちは、水華です。
予告していたシリーズもの【ムービースターの新生活】をお送りいたします。

今回は市役所で住民登録の記入用紙とにらめっこしている
スターの不安を解消して欲しいという職員からのお願いです。
仕事とか言っていますが個人的な依頼と考えてもらって構いません。
接触手段としましては職員からお願いされるか直接彼女に話しかけるかのどちらかになります。
原作を知らずに接触した後職員に説明して貰うのもありでしょう。

職員からの直接の依頼は「琴美が健一を呼べるようにして欲しい」というものになります。
その際、原作の説明なども一緒にされるはずです。
具体的には着替えとメイク落としの道具と着替え場所が必要になるでしょう。
ただ、あくまで職員から提示される方法ですので
他の方法があるのならそちらの手段を取ってもらっても構いません。
なお彼女に渡された記入用紙ですが、
キャラクター作成時に出てくる画面に近い物と考えて下さい。

草間雪香は原作の大ファンです。
市役所内でなら職員2人の協力も得られるでしょう。
同時に市役所内での迂闊な行動は草間の餌食になる可能性もありますが。


原作設定ですが、舞台は現代日本のとある街。
琴美と健一は対外的には別の人物として振る舞っています。

琴美は自身が少女であることに強いこだわりを持っています。
実は男の子だなんて絶対に認めないでしょう。
ただし声は出せない(健一の声質の関係で)ので、会話は全て液晶端末で行っています。

健一は外見・内面共に女の子みたいな男の子で、
学校では女の子との方が仲がよかったりします。
原作で正体を明かした時はこっちの状態だったので、
こちらの方が話しやすいと思います。
ただ「私は私だから」と割り切っているので、必要以上に性別で区別される事は嫌がります。
ちなみに声は低くはないですが男の人の声質です。
女装はネタじゃなければ構わない派。

なお琴美は地元ではちょっとした有名人で服飾・芸術方面に知り合いが多かったようです。
服の自作もやっていて、自分で着る他に行きつけの古着屋さんに置いて貰ったりもしていました。
結構人気で専用スペースも作ってもらっていたそうな。
健一は演劇部所属で、
見た目通りの役回り(女の子っぽい男の子役)を演じることが多かったようです。
どちらの状態でも自身の状態故、周囲には非常に気を遣います。
映画には先輩職員が持っていたファッション誌(分野はゴスロリ・パンク系他)も協賛していて、
作中にも登場しています。


彼女(彼)の抱えている悩みは非常にセンシティブなものです。それだけはご注意を。
場合によっては描写に必要以上の差が出る可能性があります。
困った時は草間の発言を参考にしてください。

念のため断っておきますが、冗談やネタでこのテーマを選んだわけではありません。
そのあたりはご理解を。
それでは、皆様のご参加お待ちしています。

参加者
新倉 アオイ(crux5721) ムービーファン 女 16歳 学生
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
藤田 博美(ccbb5197) ムービースター 女 19歳 元・某国人民陸軍中士
<ノベル>

 今日も市役所はにぎやかである。新たに実体化したムービースターが連れて来られたと思えば、一方で事件を目撃して駆け込んでくる市民がいたり、そして対策課が出した依頼を見に来る人がいたり、もちろん通常業務だってやっている。

 いつものように仕事を探しに対策課を訪れた藤田博美は、市役所の一角で繰り広げられている光景に少々戸惑っていた。何故か固まっている少女と、何となく気にしながら様子を見ている人達。
「アレは何? って、貴方が窓口以外にいるのも珍しいわね」
 博美は偶然近くにいた職員の益子に何が起こっているのかを尋ねた。
「えっとですね――」
 僅かに逡巡してから、益子は一連の流れを説明した。
「むー……それって、わざわざ手間かけなくてもあの子に谷口名義で登録して貰えば済む話じゃないの? 別に多重人格とかじゃないんでしょ」
 が、にわか知識なものだからうまく伝わらなかったようだ。
「え、えーと……」
「確かに違うけれど、ある意味似たようなものですよ」
 どう説明すればいいのか迷っている益子に、雪香が助け船を出した。というか、見ていられなかったのもあるのかもしれない。
「あら、草間さん」
「ごめんなさいね、高梨はさっきあの子の事知ったばかりだから」
「それは別にいいわ。で、あの子のアレってポリシーとかそういうのじゃないの?」
「それが違うのですよ。っと、ちょっと待ってくださいね」
 と、そこで雪香は市役所に遊びに来たばかりの太助を発見した。そしておもむろに益子の後ろに回り、身体を太助の方に向けさせた。
「あの、先輩?」
 博美の後日談によれば、その時の雪香は素敵な笑顔をしていたらしい。
「高梨砲発射っ」
「きゃぁっ!?」
「うぉっ!?」
 高梨砲、直撃。
「いたたた……太助様、大丈夫ですか?」
「おう、だいじょぶだ」
 雪香が益子にひどい扱いをするのはいつものことである。
「太助様、ちょっと手伝って欲しい事があるのですけど」
「うん? いいぞー」
 そんなわけで、見事太助の捕獲(?)に成功した雪香は改めて2人に事の流れを説明した。詳細は長くなるので省略。
「ああ、それなの。確かにそれだと今のままでは無理ね」
 琴美の事情を考えるとさすがに無理強いは出来ないなと博美は考えた。似たような事が最近本とかで話題になっていたなとか思いながら。
「えむとかえっくすとか難しい言葉はわかんないけど、よーするに健一を連れてこればいいんだよな?」
 太助はあっさり納得した。もともと性別はあまり重要ではないというか、太助自身がある意味どっちもありな存在である。だから、望むようにすればいいと思ったのだ。

 新倉アオイもまた依頼を探しに市役所に来ていた。張り出された依頼を順に見つつ、ふと横目に見た少女に違和感を持った。
(そういえばあの子、さっきからずっとあのまんまだよね。というか他の人は何してんの? 側に寄ったり離れたり)
 どうしたのだろうと、少女の側に行ってみる。
「あんた、さっきからずっとそうしてみるたいだけど、どうしたの?」
 アオイに話しかけられた少女――琴美は一瞬そっちに顔を向けて、その後手元にあった液晶端末をアオイに見せた。
『私の出身映画をご存じですか?』
 琴美の手元には、他に住民登録のための書類。アオイは琴美の出身映画を見ていたので、何がどうなっているのかを理解した。
「ひょっとしてあんた、松木琴美?」
 アオイの質問にこくりと頷く琴美。どうやら他の人はこの質問で追い返されていたらしい。まあ確かに、琴美の場合は原作知らないと色々大変なこともあるわけで。
「それさ、別に今すぐ書かなくてもいいんじゃない?」
 アオイには、どういう状況なのかおおよその見当がついていた。
「あら、新倉様」
 と、そこへ雪香達がやってきた。
「あっ、草間さんに高梨さん。太助に、えーっと」
「藤田博美よ。初めましてかしら?」
「そうかも……って、それより草間さん」
 挨拶もそこそこにアオイは雪香に話を切り出そうとしたが。
「ええ、ごめんなさい。というか高梨が知らなかったのよ」
「あー、納得。ってかさ」
 その件は雪香も分かっていたらしい。ついでに確認しておこうと、アオイは声を落としてもう1つ質問する。
「松木名義じゃ駄目なワケ? 草間さんならできそうな気もするんだケド」
「私でも出来ないことはあるわよ。それに、あの子自身もそれは望まないと思うわ」
「やっぱりそっか」
 もし琴美が望むなら、そのまま登録してあげたいとも思ったけれど。それは多分、本人が望まない。その理由は、原作を知っているこの2人には容易に想像が付く。
 それじゃ早く健一の服を用意しようとお互い目でサインを送りあって。
「松木様、谷口様が気になるのでしたら先に探しに行かれても……って、あら?」
 雪香がそう促そうとして、琴美の様子に気付いた。
『たったたたたた狸の2足歩行!?』
「おう、太助だ。よろしくな」
『しかも喋った!?』
 慌てながらもしっかり端末に返事を打つ琴美に苦笑しながら、アオイはフォローを入れた。
「まあ、そういう街なわけよ、銀幕市って」
『はー、改めて凄い街だって分かりました』
 そんなやりとりの一方で。
「そーいやハラ減ったなー」
「そうね、もうお昼時だし」
 腹を空かせた太助に博美が同意していた。
「なーなー、とりあえずメシ食ってから考えようぜ」
 アオイと琴美もそれは同じだったらしく。
「いいね、じゃあそうしよっか」
『私も……って、お金どうしましょう?』
 4人で食べに行こうとして、基本的な問題に気付く。
「そんなの、あたし達がおごるって」
『さすがにそれは』
「あー、手続き終えたら市から生活費出ますから気にしなくていいですよ」
 奢る奢らないでもめかけたところをすかさず益子がなだめる。そういうことならばと琴美も納得し、一同は近くのカフェレストランへとひとまず場所を移すことにした。
 ちなみに職員2人は見送りのあと、通常業務に戻っていった。さすがに市役所から出るのはまずいのだ。


 テーブルには残り少なくなったサンドイッチに食べ終えたピザトーストやカレーピラフのお皿。カップは空だったり紅茶が少し残っていたり。
「にしてもあんたの作る服ってどれも可愛いよね。今日のも可愛いし。私がよく着るのはゴスパンク系とかなんだケド」
『わ、ありがとうございます。確かにアオイさんは格好いいの似合いそうですよね』
「にしても笑えるよね。映画で初めて3人でフェアリーストリート行った時のお昼と丸かぶりじゃん」
『ですねー』
 食事をしながらの雑談は楽しいもので、気付けば4人はすっかりうち解けていた。特に原作を知っていて趣味も近いアオイはその方面の話で凄く盛り上がったりして。太助がさりげなく他のお客さんや店員さんからお菓子などを貰っていたのはご愛敬。
『あ。ちょっとお手洗い行きたいんですけど、ここって男女共用ですか?』
「だよね?」
「だったはずよ」
 アオイと博美の質問に安心して、琴美はお手洗いのために中座した。
「大変なのね」
 琴美の姿が消えてから博美はつぶやいた。雪香の説明によると、女性姿でも法律上男性が女性用トイレに入ると警察のお世話になってしまうらしい。琴美のような事情があってもまた然り。スターだから大丈夫という可能性もなくはないが。
「で、男物を買いに行く方向で決定?」
 そして、席を外しているならちょうどいいと博美は話を振った。
「あーそれなんだけど、性別欄その他にしてしまうって手はなしか?」
「うーん、多分琴美本人が本名で登録したがっていると思う。そこら辺は慎重だからさ」
 太助の質問に答えたのはアオイ。この3人では一番詳しいので自然とこういう役回りになってしまう。
「そっか」
「太助、あんた事情わかってんの?」
「ん? 難しいことはわかんないけど、本人が望むならそれがいいんじゃねえか」
「まあね。元が現代物だけにややこしい事まで抱え込んじゃってるんだけど」
 とはいえアオイもそっち方面に詳しいわけではない。詳しいのはあくまで映画についてである。
「TVとか本とかで似たような話有るケド、それとはまた少し違うらしいんだよね」
「草間さんもそう言ってたわ。間ちょっと女の子寄りとか何とか」
 そのあたりは後で詳しく解説するとして、今の本題はこっちである。
「で、男物買いに行くのはもちろんだけど、ついでだから案内がてら色々見てまわんない?」
「いいけど、大丈夫なの?」
「普通に歩き回る分には大丈夫だって。その方があたしや博美さんも楽だと思うケド」
「まあ、そうね」
 同じ街案内なら女同士の方が断然気楽。変な噂も立たないし。アオイも博美もそのあたりの考えは一致していた。
「で、サイズ合わせなんだけど。太助くんに変身して貰うのはどうかしら? 草間さんに映画パンフ借りてるし」
「あ、そりゃいいね。太助、出来る?」
「まかしとけ」
 そんなこんなではいるお店の当たりもつけたところで琴美が戻ってきた。本人曰く、時間が時間だけに混んでいたらしい。


 食事を終えた4人は商店街を歩いてまわった。ちなみに太助は琴美と同じ体型の男の子に変身。女の子が男物を買うこと自体はそんなに敷居は高くない(少なくとも男性が女性物を買うよりは)けれど、ロリータ着ている状態で試着はさすがに難しい。自分のサイズは把握している琴美だが、同じ表記でもメーカー毎に微妙に差があったりするから油断は禁物なのだ。ちなみに端から見ればハーレム状態だったのだが、太助なので問題はなかった。耳と尻尾を出していたから。
 お金の節約もかねて、服選びは古着屋さんを中心に回っていった。その他主に生地や裁縫用具店も重点的に見て回ったのは、琴美が生活の足しもかねて趣味の服作りをこの世界でもやるつもりだから。もちろん化粧品や食料品店その他生活必需品のお店も忘れずに。あのスーパーの注意事項も当然忘れずに。

 一通り歩き回って程良く疲れたあたりで、アオイは皆を家に招待した。
 主な目的は琴美の着替え。ついでに休憩もかねて。
『では、洗面台お借りしますね』
「うん。あたし達はリビングにいるから」
 そう言って琴美は洗面所の扉を閉めた。しばらく立入禁止である。
「ふぅ」
 誰ともなくため息をついて、3人はリビングへ。
「何かすっかり楽しんじゃったわね」
 博美の言うとおり、人助けのつもりがいつの間にか普通のショッピングになっていた。大半は頭に窓がつくそれだったけれど、見て回るだけでも相当に楽しいものがある。
「俺はちょっと疲れたぞ」
「あー、太助は大変だったかもね」
 映画パンフレットの健一ベースで変身した物だから男の子とは言っても可愛いわけで。きゃいきゃい言いながら次々とコーディネイトを試していく2人に付き合った太助はかなり疲れていた。主に精神的な意味で。ついでに言えば意見がかみ合わずに喧嘩になりかけたりすっかり琴美そっちのけになっていたりしたが、まあそれはある種の魔力ということで。
「それにしても」
 いい感じにくつろいだところで、お菓子をむさぼっている太助を横目に博美が切り出した。
「大丈夫なのかしらね、あの子」
「ん、何が?」
「これから上手くやっていけるかって事。あの子の場合、スターだからと言うより現実的な問題で引っかかっているでしょう?」
「ああ、大丈夫なんじゃない? あの映画、女の子のファン多いから友達とかすぐ出来るだろうし」
「だといいのだけれど」
 銀幕ならではの問題と、元からあり得る問題と。一概にどっちが大変と言えるものではない。今回の場合、住民登録自体はスターだからだが、事情そのものは映画固有だけではないから。
「なーなー」
 ちょっぴりシリアスになった雰囲気を感じ取ってか、太助はごくごく普通に、そしてシンプルな疑問を口にした。
「さっきからずっと気になってたんだけど、性別ってそんなに大事なことなのか?」
「そりゃ、男と女が居ないと子供出来ないし」
「いや、そうじゃなくてさ」
 そんなお約束はともかくとして。
「太助の言いたいのはアレでしょ。男らしくとか女らしくとかの意味の方」
「それだそれ」
 それはシンプルながら、存外に重い問い。
「普段あまり意識しなかったけれど、こういう場合には考えてしまうわね」
 博美は最近の話題の1つとしてその手の話も耳にはしていたが、それはあくまで一例、身体がどちらかで性自認はもう片方のパターンのみで。琴美のように性自認が中間――草間さん曰くMtX-TGというらしい――という例は今回が初耳だった。
「常識に近い部分もあるし、こだわる人も多いし。その方が色々と都合がいいっていうのもあるみたいだけれど。必要以上に制限されていたりというのもあるのかしらね」
「ふーん、人間も大変だな」
 博美なりの考察に太助はそれらしく頷いた。実際どこまで理解しているかはともかくとして。
「原作者さんは『余計なおまけ』って書いてたケドね」
「なにそれ」
「小説のあとがきにさ、さっき太助が言ったみたいな事を書いてたんだよね。もう少し細かい疑問だったけどさ」
 アオイが入れた合いの手に、博美は少し引っかかりを覚えた。映画パンフをざっと見直してみたものの、そのあたりは書いてないわけで。
「何て書いてあったの?」
「え? うーんと、身体の違いから来るものは仕方ないけどそれ以外の余計な押しつけが多すぎとかそんな感じだったかな」
「……ひょっとして、原作者さんって」
「うん、健一の精神面は自分ベースって書いてた。本人はあんなに可愛かったり演劇やったりはしてないらしいケド」
「なるほど」
 妙だとは思ったのだ。普通のハートフルストーリーなら適当に誤魔化してしまいそうな設定が変にリアルだったりとか。当事者が書いていたのなら、そのあたりも納得がいく。
「私もわりと同感だけどね。やれ女の子はおしとやかにだとかチョーうざいし。そんなのあたしの勝手じゃんって」
「ああ、そう言われればそうだわね」
 そう言われると、案外シンプルに考えていいのかもしれない。どこからが「余計なおまけ」になるかは人次第だけど、言われてみれば案外誰にでもあるのかもしれないし。
「琴美もさ、性格とか基準にすれば女の子の方がしっくり来るけど身体が男なのが耐えられないってワケじゃなかったし。まあ見た目男臭かったらわかんなかったかもだけど。それでも自分は自分って割り切れるまでは苦労してたし、普段はある程度男らしく振る舞わないといけなかったわけだし」
「ややこしーなー。もっと気楽に考えればいいじゃん」
「そうしたいけど、そうもいかないんだよね。あたしだって髪の色とかで変な目で見られたりしたし」
 共通項は、周りとは違うこと。誰が敵でどう浮いていて居場所がどこにあったかは違う部分もあるけれど、対策課からの正式な依頼でもないのにもかかわらずアオイにしては珍しくすんなり協力しているのは、無意識にそういった部分を自分と重ねていたからかもしれない。
「おまたせしましたー」
 だからなのか、着替え終わった琴美――もとい健一が入ってきても、同年代男子だからとあまり嫌悪感を持つことはなかった。琴美とさっきまで一緒に居たというのももちろんあるだろうが。
「なるほど、その声だとねぇ」
「言わないでくださいよ、気にしてるんですから」
 博美のツッコミに笑いながら返して、健一はお礼とばかりにアオイに許可を取って人数分の紅茶を振る舞った。喫茶店で出せるくらい美味しかったのはここだけの話。


 そして、再び市役所へ。
「やっぱ健一で書くのかー」
「うん、その方が後々問題にならなくて済むし」
 太助と益子に見守られながら、健一は住民登録の書類を書き進めていった。
 一方、アオイと博美は少し離れたところで雪香と談笑していた。
「――でさ。草間さん、今回はまたどうしてここまで肩入れしていたの? ただ原作のファンだからって理由だけじゃなさそうだけど」
「さすが藤田様、鋭いですね」
 博美のその問いにふふふと謎めいた笑いを浮かべながら、雪香は今回の依頼の真意を明かした。
「ああいう、映画出身で現実的な問題を抱えた人ってある意味貴重なんですよ」
 長くなるので要約すると、雪香の見立てでは魔法がかかって以降の様々な出来事で、良くも悪くも今の銀幕市民には物事に対しての許容範囲が広くなっている。また、同じ問題を抱えていてもスターの方が受け入れられやすい傾向にあり、また背景事情も容易に調べられる。ならば今回のようなスターを受け入れることにより逆に現実的な問題を考える契機にも出来るし、その結果としてより開かれた銀幕市に、さらに言えば多様な価値観の共生を発信できる自治体にもなるのではないかと考えていたのだ。現に今まで様々なスターが実体化しているが、色々問題はあるとはいえどうにかやっていけているわけだし。
「まあ、全ての人が受け入れられるわけじゃないでしょうけど、少なくとも普通に引っ越してきた場合よりは受け入れられやすいでしょうし。きっとあの子からも、様々なことを学ぶことになるでしょうね」
「はあ、やっぱすごいわ、草間さんって」
 アオイは感嘆とした声を上げた。この人ひょっとして将来市長になっちゃうんじゃないかと思って……想像して怖くなった。能力はともかく、性格を考えると怖すぎた。
「そういうわけで新倉様、これからもあの子をお願いしますね」
「は?」
「綺羅星の高等部に編入になりますから。2年生ですけれど」
「え、マジ? ってか、先輩じゃん!?」
「銀幕市民としては貴方の方が先輩でしょうに」
「そうだけどさー……」
「貴方みたいに本人自体を見られる人ばかりじゃないでしょうし、もしもの時は助けてあげて下さい」
「それは、まあ、そのつもりだけどさ」
 言われなくてもアオイはそのつもりだった。実際どこまで出来るかは別として。
「新倉センパ〜イ☆」
「ちょっ、あんたもう馴染んでるじゃん銀幕市に」
 雪香の話を聞いていてちょっとしたいたずら心が生まれた博美はそう言ってアオイにじゃれつきつつ、改めて雪香に問いただした。市職員としてではなく、一個人としての気持ちを。
「とはいっても、やけに色々詳しかったみたいだけど? そのあたりはどうしてかしら?」
 一瞬うっとなり、ちょっぴりため息をついてから雪香はそれに答えた。
「ええ、まあ……私も、女性しか好きになれなかったりしますから。立ち位置が少数派だと色々考えたりするものなんですよ。広い意味ではあの子と同種の悩みでもありますし」
「なるほどねえ」
「元々人間なんて一人一人違うのですから、色んな人がいるって皆が受け入れてくれれば良いんですけど。なかなかそうもいかないのが現実ですからね」
「だよね。いちいち違いを見つけては突っついたりとかほんっとくだらないし」
 このあたり、身をもって体験しているアオイには痛いほどよく分かる。
「それにほら、実際あまり詳しくない皆さんでもどうにかできたじゃないですか」
「あ……」
 そう言われればそうだ。多少の注意事項は言い渡されたものの、悩みを聞いて一緒に解決したという流れ自体はそう特別なことではない。
「あまり難しく考えなくても、その人自身をちゃんと理解すればそれで良かったりするんですよ」
 変な思い込みとかがなければ結構すんなり行きますよって。逆にそれが怖くてなかなかカミングアウト出来なかったりするんですけどねとも言っていたけれど。
「そうね。そういうものかもしれないわね」
 色々難しいこともあるかもしれないけれど、基本は人と人の関係と考えればそういうものだろうとの思いを込めて。博美の一言にアオイも頷き、そして雪香は黒さゼロの笑顔を見せたのだった。

「書けましたよ」
「はい。チェックするので少しお待ち下さい」
 書類を無事書き終えた健一は益子に書類を渡したあと近くの椅子に腰掛けた。
「でもよかったのか? 琴美のことまで書いて」
「いいんですよ。どのみち原作を見れば分かることですし」
 健一と一緒に椅子に座った太助は、一部始終を見て少し驚いていた。健一名義で書きながら、しっかりと琴美のことまで書いていたから。
「皆さんにね」
 太助を膝の上に載せてなで回しながら、健一は話を続けた。
「ありのままの私でいいって言ってもらえたから。それで肩の力が抜けたのかな。受け入れてもらえるのなら、ありのままを書いた方がいいよねって思って」
 それは、新倉宅での紅茶を飲みながらの談笑。誰ともなく切り出した「本当に健一名義で良いの?」の問いからそういう流れになったのだが。「健一も琴美も、どっちも大事な私だから」と言った時のすがすがしい表情は今でも太助の頭に残っている。そしてあの談笑で、健一もかなり気が楽になったらしい。
「ずっと琴美やってるとどうしても自分的に許せないボロが出ちゃうし、かといって健一だとどうしても男の子って意識しないといけない場面出てくるし。両方あるのが今の私にはちょうどいいんだよね」
「そっか」
 難しいことは置いといて、今の健一はとても良い表情をしている。それが太助には何よりも嬉しかった。
「谷口様ー」
 益子に呼ばれて2人は再び窓口へ。
「特に問題はありませんでしたのでこのまま住民登録を行いますね。手続きお疲れ様でした」
「あ、はい」
「それと、私の不手際で苦労かけてしまってごめんなさい」
「いえ、お気になさらず」
「で、これからの生活についてなのですが――」
 無事に登録手続きが終わり、続いてこれからの生活についての説明を受ける健一。ちらりと太助に目をやって、まだかかりそうだから2人の所に行っておいでと声をかけた。
「どうだった?」
「OKだったー」
 待っていたアオイの質問に、Vサインで答えた太助だった。

「今回は本当にありがとうございました」
「気にしなくていいって。それより学校同じみたいだし、これからもよろしくね」
「そうそう、気にすんなって。それじゃ、またなー」
「本当に、大丈夫なのね?」
「ええ、きっと大丈夫です」
 太助は一足先に帰っていき、アオイは仕事の終わった雪香とファッションや音楽の話で盛り上がっていたりして。
 博美は健一がこの先上手くやっていけるか不安に思っていたが、本人が大丈夫と言っているなら大丈夫だろう。家事は出来るらしく、両親が居ない分生活で大変なことはあるものの必要以上に男の子を演じる必要も減るらしいし、いざとなっても市がちゃんと援助してくれるだろう。そこら辺はしっかりしているらしいし。
「それでは、また」
 そう言って、それぞれか家路につく。明日がどんな日になるかはなってみないと分からないけれど、出来れば自然体でいきたいよねとか、そんなことを思いながら。夕暮れの帰り道、いくつもの影が地面に長く、長く伸びていった。

クリエイターコメントまずはご参加下さった皆様、そしてここまで読んで下さった皆様、
ありがとうございました。
今回は少々難しいテーマをある程度真正面から取り上げた面もあるので、
読み疲れとか起こしていないか不安でもあるのですが……。
また、ご参加下さった方は
かなり頭を悩ませてしまったのではないかと思います。
あらかじめどこまで情報を出そうか非常に迷ったのですが、
ちょっと情報不足があったかなと反省しています。

内容が内容だけに没覚悟で提出したので、
参加してもらえてとても嬉しかったです。
そして今回はプレイングにじーんと来ました。
皆様のおかげで健一は無事に
銀幕市での生活をスタートすることが出来たようです。
そのうちまた何かのシナリオで見かけることも
あるかもしれません。


なお今回のシナリオですが、私自身の思いや提出意図は
おおむね本文中の原作エピソードやNPCの語りに込められています。
そのためNPCが少々出張ってしまいましたが……。
こちらで語ろうかどうか迷いましたが、
あまり多くを語るのも何ですので止めておきます。
本文中から察していただければ幸いです。

なお、補足として。
作中に出てきたMtX-TGとは身体は男性で性自認が中性(あるいは無性)の
トランスジェンダーの事です(身体が女性の場合はFtX-TGになります)。
また、今回の話はあくまで健一の話であって
個々で事情は異なることも追記しておきます。

それでは、皆様の優しさに感謝しつつ。
次回を楽しみにしていただければ幸いです。
公開日時2008-09-25(木) 18:50
感想メールはこちらから