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<ノベル>
今日も市役所はにぎやかである。新たに実体化したムービースターが連れて来られたと思えば、一方で事件を目撃して駆け込んでくる市民がいたり、そして対策課が出した依頼を見に来る人がいたり、もちろん通常業務だってやっている。
いつものように仕事を探しに対策課を訪れた藤田博美は、市役所の一角で繰り広げられている光景に少々戸惑っていた。何故か固まっている少女と、何となく気にしながら様子を見ている人達。
「アレは何? って、貴方が窓口以外にいるのも珍しいわね」
博美は偶然近くにいた職員の益子に何が起こっているのかを尋ねた。
「えっとですね――」
僅かに逡巡してから、益子は一連の流れを説明した。
「むー……それって、わざわざ手間かけなくてもあの子に谷口名義で登録して貰えば済む話じゃないの? 別に多重人格とかじゃないんでしょ」
が、にわか知識なものだからうまく伝わらなかったようだ。
「え、えーと……」
「確かに違うけれど、ある意味似たようなものですよ」
どう説明すればいいのか迷っている益子に、雪香が助け船を出した。というか、見ていられなかったのもあるのかもしれない。
「あら、草間さん」
「ごめんなさいね、高梨はさっきあの子の事知ったばかりだから」
「それは別にいいわ。で、あの子のアレってポリシーとかそういうのじゃないの?」
「それが違うのですよ。っと、ちょっと待ってくださいね」
と、そこで雪香は市役所に遊びに来たばかりの太助を発見した。そしておもむろに益子の後ろに回り、身体を太助の方に向けさせた。
「あの、先輩?」
博美の後日談によれば、その時の雪香は素敵な笑顔をしていたらしい。
「高梨砲発射っ」
「きゃぁっ!?」
「うぉっ!?」
高梨砲、直撃。
「いたたた……太助様、大丈夫ですか?」
「おう、だいじょぶだ」
雪香が益子にひどい扱いをするのはいつものことである。
「太助様、ちょっと手伝って欲しい事があるのですけど」
「うん? いいぞー」
そんなわけで、見事太助の捕獲(?)に成功した雪香は改めて2人に事の流れを説明した。詳細は長くなるので省略。
「ああ、それなの。確かにそれだと今のままでは無理ね」
琴美の事情を考えるとさすがに無理強いは出来ないなと博美は考えた。似たような事が最近本とかで話題になっていたなとか思いながら。
「えむとかえっくすとか難しい言葉はわかんないけど、よーするに健一を連れてこればいいんだよな?」
太助はあっさり納得した。もともと性別はあまり重要ではないというか、太助自身がある意味どっちもありな存在である。だから、望むようにすればいいと思ったのだ。
新倉アオイもまた依頼を探しに市役所に来ていた。張り出された依頼を順に見つつ、ふと横目に見た少女に違和感を持った。
(そういえばあの子、さっきからずっとあのまんまだよね。というか他の人は何してんの? 側に寄ったり離れたり)
どうしたのだろうと、少女の側に行ってみる。
「あんた、さっきからずっとそうしてみるたいだけど、どうしたの?」
アオイに話しかけられた少女――琴美は一瞬そっちに顔を向けて、その後手元にあった液晶端末をアオイに見せた。
『私の出身映画をご存じですか?』
琴美の手元には、他に住民登録のための書類。アオイは琴美の出身映画を見ていたので、何がどうなっているのかを理解した。
「ひょっとしてあんた、松木琴美?」
アオイの質問にこくりと頷く琴美。どうやら他の人はこの質問で追い返されていたらしい。まあ確かに、琴美の場合は原作知らないと色々大変なこともあるわけで。
「それさ、別に今すぐ書かなくてもいいんじゃない?」
アオイには、どういう状況なのかおおよその見当がついていた。
「あら、新倉様」
と、そこへ雪香達がやってきた。
「あっ、草間さんに高梨さん。太助に、えーっと」
「藤田博美よ。初めましてかしら?」
「そうかも……って、それより草間さん」
挨拶もそこそこにアオイは雪香に話を切り出そうとしたが。
「ええ、ごめんなさい。というか高梨が知らなかったのよ」
「あー、納得。ってかさ」
その件は雪香も分かっていたらしい。ついでに確認しておこうと、アオイは声を落としてもう1つ質問する。
「松木名義じゃ駄目なワケ? 草間さんならできそうな気もするんだケド」
「私でも出来ないことはあるわよ。それに、あの子自身もそれは望まないと思うわ」
「やっぱりそっか」
もし琴美が望むなら、そのまま登録してあげたいとも思ったけれど。それは多分、本人が望まない。その理由は、原作を知っているこの2人には容易に想像が付く。
それじゃ早く健一の服を用意しようとお互い目でサインを送りあって。
「松木様、谷口様が気になるのでしたら先に探しに行かれても……って、あら?」
雪香がそう促そうとして、琴美の様子に気付いた。
『たったたたたた狸の2足歩行!?』
「おう、太助だ。よろしくな」
『しかも喋った!?』
慌てながらもしっかり端末に返事を打つ琴美に苦笑しながら、アオイはフォローを入れた。
「まあ、そういう街なわけよ、銀幕市って」
『はー、改めて凄い街だって分かりました』
そんなやりとりの一方で。
「そーいやハラ減ったなー」
「そうね、もうお昼時だし」
腹を空かせた太助に博美が同意していた。
「なーなー、とりあえずメシ食ってから考えようぜ」
アオイと琴美もそれは同じだったらしく。
「いいね、じゃあそうしよっか」
『私も……って、お金どうしましょう?』
4人で食べに行こうとして、基本的な問題に気付く。
「そんなの、あたし達がおごるって」
『さすがにそれは』
「あー、手続き終えたら市から生活費出ますから気にしなくていいですよ」
奢る奢らないでもめかけたところをすかさず益子がなだめる。そういうことならばと琴美も納得し、一同は近くのカフェレストランへとひとまず場所を移すことにした。
ちなみに職員2人は見送りのあと、通常業務に戻っていった。さすがに市役所から出るのはまずいのだ。
テーブルには残り少なくなったサンドイッチに食べ終えたピザトーストやカレーピラフのお皿。カップは空だったり紅茶が少し残っていたり。
「にしてもあんたの作る服ってどれも可愛いよね。今日のも可愛いし。私がよく着るのはゴスパンク系とかなんだケド」
『わ、ありがとうございます。確かにアオイさんは格好いいの似合いそうですよね』
「にしても笑えるよね。映画で初めて3人でフェアリーストリート行った時のお昼と丸かぶりじゃん」
『ですねー』
食事をしながらの雑談は楽しいもので、気付けば4人はすっかりうち解けていた。特に原作を知っていて趣味も近いアオイはその方面の話で凄く盛り上がったりして。太助がさりげなく他のお客さんや店員さんからお菓子などを貰っていたのはご愛敬。
『あ。ちょっとお手洗い行きたいんですけど、ここって男女共用ですか?』
「だよね?」
「だったはずよ」
アオイと博美の質問に安心して、琴美はお手洗いのために中座した。
「大変なのね」
琴美の姿が消えてから博美はつぶやいた。雪香の説明によると、女性姿でも法律上男性が女性用トイレに入ると警察のお世話になってしまうらしい。琴美のような事情があってもまた然り。スターだから大丈夫という可能性もなくはないが。
「で、男物を買いに行く方向で決定?」
そして、席を外しているならちょうどいいと博美は話を振った。
「あーそれなんだけど、性別欄その他にしてしまうって手はなしか?」
「うーん、多分琴美本人が本名で登録したがっていると思う。そこら辺は慎重だからさ」
太助の質問に答えたのはアオイ。この3人では一番詳しいので自然とこういう役回りになってしまう。
「そっか」
「太助、あんた事情わかってんの?」
「ん? 難しいことはわかんないけど、本人が望むならそれがいいんじゃねえか」
「まあね。元が現代物だけにややこしい事まで抱え込んじゃってるんだけど」
とはいえアオイもそっち方面に詳しいわけではない。詳しいのはあくまで映画についてである。
「TVとか本とかで似たような話有るケド、それとはまた少し違うらしいんだよね」
「草間さんもそう言ってたわ。間ちょっと女の子寄りとか何とか」
そのあたりは後で詳しく解説するとして、今の本題はこっちである。
「で、男物買いに行くのはもちろんだけど、ついでだから案内がてら色々見てまわんない?」
「いいけど、大丈夫なの?」
「普通に歩き回る分には大丈夫だって。その方があたしや博美さんも楽だと思うケド」
「まあ、そうね」
同じ街案内なら女同士の方が断然気楽。変な噂も立たないし。アオイも博美もそのあたりの考えは一致していた。
「で、サイズ合わせなんだけど。太助くんに変身して貰うのはどうかしら? 草間さんに映画パンフ借りてるし」
「あ、そりゃいいね。太助、出来る?」
「まかしとけ」
そんなこんなではいるお店の当たりもつけたところで琴美が戻ってきた。本人曰く、時間が時間だけに混んでいたらしい。
食事を終えた4人は商店街を歩いてまわった。ちなみに太助は琴美と同じ体型の男の子に変身。女の子が男物を買うこと自体はそんなに敷居は高くない(少なくとも男性が女性物を買うよりは)けれど、ロリータ着ている状態で試着はさすがに難しい。自分のサイズは把握している琴美だが、同じ表記でもメーカー毎に微妙に差があったりするから油断は禁物なのだ。ちなみに端から見ればハーレム状態だったのだが、太助なので問題はなかった。耳と尻尾を出していたから。
お金の節約もかねて、服選びは古着屋さんを中心に回っていった。その他主に生地や裁縫用具店も重点的に見て回ったのは、琴美が生活の足しもかねて趣味の服作りをこの世界でもやるつもりだから。もちろん化粧品や食料品店その他生活必需品のお店も忘れずに。あのスーパーの注意事項も当然忘れずに。
一通り歩き回って程良く疲れたあたりで、アオイは皆を家に招待した。
主な目的は琴美の着替え。ついでに休憩もかねて。
『では、洗面台お借りしますね』
「うん。あたし達はリビングにいるから」
そう言って琴美は洗面所の扉を閉めた。しばらく立入禁止である。
「ふぅ」
誰ともなくため息をついて、3人はリビングへ。
「何かすっかり楽しんじゃったわね」
博美の言うとおり、人助けのつもりがいつの間にか普通のショッピングになっていた。大半は頭に窓がつくそれだったけれど、見て回るだけでも相当に楽しいものがある。
「俺はちょっと疲れたぞ」
「あー、太助は大変だったかもね」
映画パンフレットの健一ベースで変身した物だから男の子とは言っても可愛いわけで。きゃいきゃい言いながら次々とコーディネイトを試していく2人に付き合った太助はかなり疲れていた。主に精神的な意味で。ついでに言えば意見がかみ合わずに喧嘩になりかけたりすっかり琴美そっちのけになっていたりしたが、まあそれはある種の魔力ということで。
「それにしても」
いい感じにくつろいだところで、お菓子をむさぼっている太助を横目に博美が切り出した。
「大丈夫なのかしらね、あの子」
「ん、何が?」
「これから上手くやっていけるかって事。あの子の場合、スターだからと言うより現実的な問題で引っかかっているでしょう?」
「ああ、大丈夫なんじゃない? あの映画、女の子のファン多いから友達とかすぐ出来るだろうし」
「だといいのだけれど」
銀幕ならではの問題と、元からあり得る問題と。一概にどっちが大変と言えるものではない。今回の場合、住民登録自体はスターだからだが、事情そのものは映画固有だけではないから。
「なーなー」
ちょっぴりシリアスになった雰囲気を感じ取ってか、太助はごくごく普通に、そしてシンプルな疑問を口にした。
「さっきからずっと気になってたんだけど、性別ってそんなに大事なことなのか?」
「そりゃ、男と女が居ないと子供出来ないし」
「いや、そうじゃなくてさ」
そんなお約束はともかくとして。
「太助の言いたいのはアレでしょ。男らしくとか女らしくとかの意味の方」
「それだそれ」
それはシンプルながら、存外に重い問い。
「普段あまり意識しなかったけれど、こういう場合には考えてしまうわね」
博美は最近の話題の1つとしてその手の話も耳にはしていたが、それはあくまで一例、身体がどちらかで性自認はもう片方のパターンのみで。琴美のように性自認が中間――草間さん曰くMtX-TGというらしい――という例は今回が初耳だった。
「常識に近い部分もあるし、こだわる人も多いし。その方が色々と都合がいいっていうのもあるみたいだけれど。必要以上に制限されていたりというのもあるのかしらね」
「ふーん、人間も大変だな」
博美なりの考察に太助はそれらしく頷いた。実際どこまで理解しているかはともかくとして。
「原作者さんは『余計なおまけ』って書いてたケドね」
「なにそれ」
「小説のあとがきにさ、さっき太助が言ったみたいな事を書いてたんだよね。もう少し細かい疑問だったけどさ」
アオイが入れた合いの手に、博美は少し引っかかりを覚えた。映画パンフをざっと見直してみたものの、そのあたりは書いてないわけで。
「何て書いてあったの?」
「え? うーんと、身体の違いから来るものは仕方ないけどそれ以外の余計な押しつけが多すぎとかそんな感じだったかな」
「……ひょっとして、原作者さんって」
「うん、健一の精神面は自分ベースって書いてた。本人はあんなに可愛かったり演劇やったりはしてないらしいケド」
「なるほど」
妙だとは思ったのだ。普通のハートフルストーリーなら適当に誤魔化してしまいそうな設定が変にリアルだったりとか。当事者が書いていたのなら、そのあたりも納得がいく。
「私もわりと同感だけどね。やれ女の子はおしとやかにだとかチョーうざいし。そんなのあたしの勝手じゃんって」
「ああ、そう言われればそうだわね」
そう言われると、案外シンプルに考えていいのかもしれない。どこからが「余計なおまけ」になるかは人次第だけど、言われてみれば案外誰にでもあるのかもしれないし。
「琴美もさ、性格とか基準にすれば女の子の方がしっくり来るけど身体が男なのが耐えられないってワケじゃなかったし。まあ見た目男臭かったらわかんなかったかもだけど。それでも自分は自分って割り切れるまでは苦労してたし、普段はある程度男らしく振る舞わないといけなかったわけだし」
「ややこしーなー。もっと気楽に考えればいいじゃん」
「そうしたいけど、そうもいかないんだよね。あたしだって髪の色とかで変な目で見られたりしたし」
共通項は、周りとは違うこと。誰が敵でどう浮いていて居場所がどこにあったかは違う部分もあるけれど、対策課からの正式な依頼でもないのにもかかわらずアオイにしては珍しくすんなり協力しているのは、無意識にそういった部分を自分と重ねていたからかもしれない。
「おまたせしましたー」
だからなのか、着替え終わった琴美――もとい健一が入ってきても、同年代男子だからとあまり嫌悪感を持つことはなかった。琴美とさっきまで一緒に居たというのももちろんあるだろうが。
「なるほど、その声だとねぇ」
「言わないでくださいよ、気にしてるんですから」
博美のツッコミに笑いながら返して、健一はお礼とばかりにアオイに許可を取って人数分の紅茶を振る舞った。喫茶店で出せるくらい美味しかったのはここだけの話。
そして、再び市役所へ。
「やっぱ健一で書くのかー」
「うん、その方が後々問題にならなくて済むし」
太助と益子に見守られながら、健一は住民登録の書類を書き進めていった。
一方、アオイと博美は少し離れたところで雪香と談笑していた。
「――でさ。草間さん、今回はまたどうしてここまで肩入れしていたの? ただ原作のファンだからって理由だけじゃなさそうだけど」
「さすが藤田様、鋭いですね」
博美のその問いにふふふと謎めいた笑いを浮かべながら、雪香は今回の依頼の真意を明かした。
「ああいう、映画出身で現実的な問題を抱えた人ってある意味貴重なんですよ」
長くなるので要約すると、雪香の見立てでは魔法がかかって以降の様々な出来事で、良くも悪くも今の銀幕市民には物事に対しての許容範囲が広くなっている。また、同じ問題を抱えていてもスターの方が受け入れられやすい傾向にあり、また背景事情も容易に調べられる。ならば今回のようなスターを受け入れることにより逆に現実的な問題を考える契機にも出来るし、その結果としてより開かれた銀幕市に、さらに言えば多様な価値観の共生を発信できる自治体にもなるのではないかと考えていたのだ。現に今まで様々なスターが実体化しているが、色々問題はあるとはいえどうにかやっていけているわけだし。
「まあ、全ての人が受け入れられるわけじゃないでしょうけど、少なくとも普通に引っ越してきた場合よりは受け入れられやすいでしょうし。きっとあの子からも、様々なことを学ぶことになるでしょうね」
「はあ、やっぱすごいわ、草間さんって」
アオイは感嘆とした声を上げた。この人ひょっとして将来市長になっちゃうんじゃないかと思って……想像して怖くなった。能力はともかく、性格を考えると怖すぎた。
「そういうわけで新倉様、これからもあの子をお願いしますね」
「は?」
「綺羅星の高等部に編入になりますから。2年生ですけれど」
「え、マジ? ってか、先輩じゃん!?」
「銀幕市民としては貴方の方が先輩でしょうに」
「そうだけどさー……」
「貴方みたいに本人自体を見られる人ばかりじゃないでしょうし、もしもの時は助けてあげて下さい」
「それは、まあ、そのつもりだけどさ」
言われなくてもアオイはそのつもりだった。実際どこまで出来るかは別として。
「新倉センパ〜イ☆」
「ちょっ、あんたもう馴染んでるじゃん銀幕市に」
雪香の話を聞いていてちょっとしたいたずら心が生まれた博美はそう言ってアオイにじゃれつきつつ、改めて雪香に問いただした。市職員としてではなく、一個人としての気持ちを。
「とはいっても、やけに色々詳しかったみたいだけど? そのあたりはどうしてかしら?」
一瞬うっとなり、ちょっぴりため息をついてから雪香はそれに答えた。
「ええ、まあ……私も、女性しか好きになれなかったりしますから。立ち位置が少数派だと色々考えたりするものなんですよ。広い意味ではあの子と同種の悩みでもありますし」
「なるほどねえ」
「元々人間なんて一人一人違うのですから、色んな人がいるって皆が受け入れてくれれば良いんですけど。なかなかそうもいかないのが現実ですからね」
「だよね。いちいち違いを見つけては突っついたりとかほんっとくだらないし」
このあたり、身をもって体験しているアオイには痛いほどよく分かる。
「それにほら、実際あまり詳しくない皆さんでもどうにかできたじゃないですか」
「あ……」
そう言われればそうだ。多少の注意事項は言い渡されたものの、悩みを聞いて一緒に解決したという流れ自体はそう特別なことではない。
「あまり難しく考えなくても、その人自身をちゃんと理解すればそれで良かったりするんですよ」
変な思い込みとかがなければ結構すんなり行きますよって。逆にそれが怖くてなかなかカミングアウト出来なかったりするんですけどねとも言っていたけれど。
「そうね。そういうものかもしれないわね」
色々難しいこともあるかもしれないけれど、基本は人と人の関係と考えればそういうものだろうとの思いを込めて。博美の一言にアオイも頷き、そして雪香は黒さゼロの笑顔を見せたのだった。
「書けましたよ」
「はい。チェックするので少しお待ち下さい」
書類を無事書き終えた健一は益子に書類を渡したあと近くの椅子に腰掛けた。
「でもよかったのか? 琴美のことまで書いて」
「いいんですよ。どのみち原作を見れば分かることですし」
健一と一緒に椅子に座った太助は、一部始終を見て少し驚いていた。健一名義で書きながら、しっかりと琴美のことまで書いていたから。
「皆さんにね」
太助を膝の上に載せてなで回しながら、健一は話を続けた。
「ありのままの私でいいって言ってもらえたから。それで肩の力が抜けたのかな。受け入れてもらえるのなら、ありのままを書いた方がいいよねって思って」
それは、新倉宅での紅茶を飲みながらの談笑。誰ともなく切り出した「本当に健一名義で良いの?」の問いからそういう流れになったのだが。「健一も琴美も、どっちも大事な私だから」と言った時のすがすがしい表情は今でも太助の頭に残っている。そしてあの談笑で、健一もかなり気が楽になったらしい。
「ずっと琴美やってるとどうしても自分的に許せないボロが出ちゃうし、かといって健一だとどうしても男の子って意識しないといけない場面出てくるし。両方あるのが今の私にはちょうどいいんだよね」
「そっか」
難しいことは置いといて、今の健一はとても良い表情をしている。それが太助には何よりも嬉しかった。
「谷口様ー」
益子に呼ばれて2人は再び窓口へ。
「特に問題はありませんでしたのでこのまま住民登録を行いますね。手続きお疲れ様でした」
「あ、はい」
「それと、私の不手際で苦労かけてしまってごめんなさい」
「いえ、お気になさらず」
「で、これからの生活についてなのですが――」
無事に登録手続きが終わり、続いてこれからの生活についての説明を受ける健一。ちらりと太助に目をやって、まだかかりそうだから2人の所に行っておいでと声をかけた。
「どうだった?」
「OKだったー」
待っていたアオイの質問に、Vサインで答えた太助だった。
「今回は本当にありがとうございました」
「気にしなくていいって。それより学校同じみたいだし、これからもよろしくね」
「そうそう、気にすんなって。それじゃ、またなー」
「本当に、大丈夫なのね?」
「ええ、きっと大丈夫です」
太助は一足先に帰っていき、アオイは仕事の終わった雪香とファッションや音楽の話で盛り上がっていたりして。
博美は健一がこの先上手くやっていけるか不安に思っていたが、本人が大丈夫と言っているなら大丈夫だろう。家事は出来るらしく、両親が居ない分生活で大変なことはあるものの必要以上に男の子を演じる必要も減るらしいし、いざとなっても市がちゃんと援助してくれるだろう。そこら辺はしっかりしているらしいし。
「それでは、また」
そう言って、それぞれか家路につく。明日がどんな日になるかはなってみないと分からないけれど、出来れば自然体でいきたいよねとか、そんなことを思いながら。夕暮れの帰り道、いくつもの影が地面に長く、長く伸びていった。
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クリエイターコメント | まずはご参加下さった皆様、そしてここまで読んで下さった皆様、 ありがとうございました。 今回は少々難しいテーマをある程度真正面から取り上げた面もあるので、 読み疲れとか起こしていないか不安でもあるのですが……。 また、ご参加下さった方は かなり頭を悩ませてしまったのではないかと思います。 あらかじめどこまで情報を出そうか非常に迷ったのですが、 ちょっと情報不足があったかなと反省しています。
内容が内容だけに没覚悟で提出したので、 参加してもらえてとても嬉しかったです。 そして今回はプレイングにじーんと来ました。 皆様のおかげで健一は無事に 銀幕市での生活をスタートすることが出来たようです。 そのうちまた何かのシナリオで見かけることも あるかもしれません。
なお今回のシナリオですが、私自身の思いや提出意図は おおむね本文中の原作エピソードやNPCの語りに込められています。 そのためNPCが少々出張ってしまいましたが……。 こちらで語ろうかどうか迷いましたが、 あまり多くを語るのも何ですので止めておきます。 本文中から察していただければ幸いです。
なお、補足として。 作中に出てきたMtX-TGとは身体は男性で性自認が中性(あるいは無性)の トランスジェンダーの事です(身体が女性の場合はFtX-TGになります)。 また、今回の話はあくまで健一の話であって 個々で事情は異なることも追記しておきます。
それでは、皆様の優しさに感謝しつつ。 次回を楽しみにしていただければ幸いです。 |
公開日時 | 2008-09-25(木) 18:50 |
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