★ Lorelei ★
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
管理番号96-6685 オファー日2009-02-15(日) 03:21
オファーPC ヘーゼル・ハンフリー(cbsw5379) ムービースター 女 29歳 美しき殺人鬼
<ノベル>

「ああ……ああ……わたくしを……あなたは……わたくしを殺すとおっしゃるのですか……?」
 細く白い手で喉を押さえ、小さく咳ごみながらじりじりと後ずさるヘーゼルの、か弱く、消え入りそうな声。何よりも逃げ惑う小鳥のような儚げな美しさが、男の猟奇心に火を点けた。男は全身に沸き立つ興奮を抑えこもうともせずに、この場から懸命に逃げようと試みるヘーゼルをじわりと追い詰めていく。
 周りを囲むのは碧空の色を湛えた薔薇の花々。かのマリー・アントワネットでさえも手にすることの叶わなかったとされる、蒼い花弁を誇らしげに広げた薔薇が咲いているのだ。
「そうとも、おまえはこれから俺に殺される。そうして永久(とわ)に続く孤独の闇へと堕とされるのさ。せいぜい絶望しながら死ぬがいい。深く深く、自分の不運を呪いながらな」
 言いながら、男は恍惚とした表情で顔を歪める。
 風がざわついている。
 薔薇の花々がざわめきたっている。

 ◇

 デビット・オースチン・ローズガーデンやシシングハースト・キャッスル・ガーデン。ランブラーを始め、多くの、筆舌にし難いほどに美しい種を誇る薔薇の花々で埋め尽くされた、美しい庭園が、彼女の故郷にはいくつも造りだされていた。皓々と冴えた月光を浴びながら眠りに就く夕べ、風が木立を揺らす音を聴きながら目覚める朝。そうした、ふとした瞬間の端々で、今も懐かしく思い出される、愛すべき故郷の風景を、彼女――ヘーゼル・ハンフリーは今また思い返していた。
 銀幕市という、不思議な夢の魔法の包み込まれたこの町に実体化してからというもの、ヘーゼルは暇さえあれば近くの薔薇庭園を散策して歩くようになった。むろん、故郷のそれとは比べるべくもない、規模も造園のレベルも小さく低いものではある。けれども、それでも、季節ごとに花開き芳しい香りを辺り一面に漂わせる花や、ちょっとしたメイズを真似ているデザインに、ヘーゼルは心を和ませるのだ。
 澄み渡った碧を湛えた空に、燦々と輝く太陽が顔を覗かせていた。季節はまだ初春と呼ぶにも些か早く、吹く風は肌寒さを誘うほどのものではあった。が、ヘーゼルは目を覚ましカーテンを開いて碧空を目にした瞬間から、今日は薔薇庭園に足を運ぼうと決めていた。これほどに心地良い空の下でなら、咲き誇る花々はさぞかし美しく映えることだろう。その光景を想像するだけで、ヘーゼルの心は羽根を得たように軽やかに舞い跳ねるのだった。
 
 薔薇庭園は、市街地を外れ、山野をほど近い場所に臨む、いくぶんか小高い位置にある丘の上に造られていた。薔薇の見頃を迎える春や秋ともなれば、遠足に訪れる子供たちや家族連れ、カップルたちの楽しげな笑い声に満たされる場所でもある。庭園を外れるとちょっとしたカフェもあり、そこでは薔薇の花を使ったスイーツや紅茶をいただくこともできるのだ。庭園を思う存分に散策し、その帰り道にカフェで薔薇のジャムをいれた紅茶を楽しむのも、ほぼ日課になっていると言ってもいい。――ともかくも、それはヘーゼルにとってはとても大切な、心を穏やかにする時間であるのだ。
 
「お客さん、お客さん!」
 声をかけられ、ヘーゼルは足を止めて振り向いた。カフェのオーナーが店の前に看板を出しながらヘーゼルを呼び止めている。
 ヘーゼルは、挨拶こそ交わすものの、さほど会話を交わしたこともないオーナーに呼び止められたことを不思議には思ったが、その不審をおくびにも出さずににこりと微笑んだ。
「こんにちは、今日も好いお天気ですわね」
 そう言って小首をかしげたヘーゼルに、オーナーも引きこまれたかのように頬を緩める。が、思い出したようにかぶりを振って言葉を続けた。
「庭園に行かれるおつもりなら、今日は止めておいたほうがいいですよ」
「まぁ。どうして?」
「ここしばらく、イヤな噂があるんですよ、あの庭園に」
「噂、ですか?」
 思いがけない話を振られたヘーゼルはきょとんとした顔を浮かべ、オーナーを見た。オーナーは「ええ」と肯き、看板をきちんと置いてからヘーゼルの傍へと歩み寄る。
「なんでも、庭園の奥にムービーハザードが出たらしいんですよ」
 オーナーはヘーゼルに耳打つような小声でそう言った。あまり大きな声では言えないのだろう。どうにかすればカフェにとっても重大なトラブルになるかもしれないのだ。
「……ムービーハザード」
 肯きを返しつつ、ヘーゼルは興味深げに目を瞬かせ、オーナーの目を覗きこむ。ヘーゼルが肯いたので、オーナーは話の続きを催促されているのだと受け取り、周りを気にしながら話を続けた。
「詳しいことは解らないんですよ。――なにしろ、庭園の奥に入っていった人のほとんどが、そのまま戻って来られていないんですからね」

 曰く、庭園の奥に近寄る者を迷わせて引き込み、そのまま異次元へ連れていってしまうハザードが現れたらしい。それに遭遇した者は一種の神隠しのような状態で、そのまま二度とこちら側へは戻って来られないのだという。もちろん、対策課も調査を施したらしいのだが、これという実証は得られずに終わってしまったらしい。ゆえに、行方不明になってしまった者たちと庭園との因果関係は未だ導き出されずにいるままだという。

「まぁ。そんな噂がありますのね」
 興味深げに肯きながらオーナーの言葉に耳を傾けていたヘーゼルは、しかし、
「大丈夫ですわ。わたくし、こう見えてもけっこうしっかりしていますのよ。何かに遭ってもちゃんと対応できる自信もありますもの」
 言って朗らかに微笑んだ。そうしてちょこんとお辞儀をしてからオーナーの顔を見上げ、「それでは、また後ほど。ごきげんよう」そう言い残し、薔薇庭園に向けて歩みを進めた。
 後ろで、オーナーがヘーゼルを引きとめようとしている声がする。けれどもヘーゼルはそれに構うことなく歩き出した。
 ――迷い込んだ者を引きこみ飲み込んでしまうというハザード。
 構わないわ。呟き、華のような唇に微笑をのせる。
 紅い薔薇がさわりと揺らぎ、ヘーゼルの唇から漏れ出た唄に頭を垂れた。

 薔薇の種類は実に多彩だ。オールドローズ、モダンローズ。それぞれをとっても種はとても多くあり、これを交配させたものも含めれば、一口に薔薇と括ってしまうのも躊躇われるほどの多種にわたる。むろん、それぞれに合った季節や風土があるのも事実なのだし、そもそもイングランドの庭園の広大さにはとてもではないが敵わない面積の敷地内では、数種を咲かせることしか出来はしない。しかし、庭園の端々に窺うことのできる手入れの届いている様を見るだけでも、ヘーゼルの心は充分に満たされるのだ。
 空気が花の放つ芳香で満たされている。空はどれほどに手を伸べても届かない、高い位置にある。仰げば瑞々しい碧を湛えた天は円く、吹き上げる風が地に落ちた葉を掬い上げていくのが見えた。
 薔薇庭園はイングランドのそれを模している。ボーダーガーデン様式を取り入れられているらしい造園がなされているのだ。薔薇の他にはハーブなども植えられている。一応のメイズを真似てみているらしい細工が、訪れるたびにヘーゼルの心をくすぐる。
 そうして散策を楽しんでいる内にメイズの最奥部分に差し掛かり、ヘーゼルはふと見慣れない色の薔薇が風に揺らいでいるのを目にとめた。
 青い花弁を誇らしげに開いた薔薇だ。それも一輪だけではない。円を描いた空間を取り囲むように、一面、青い薔薇が。
「まあ……これは」
 珍しいわ。そう呟いて数歩を歩み進めたところで、ヘーゼルは二人の男が芝の上にいるのを視界にいれた。青い薔薇の垣の向こう、数メートルほどしか離れていない場所に若い男が二人、足もとにはうつ伏せに倒れてぴくりともしない若い女がひとり。女が伏せている芝は赤黒い色で染みており、それが女の身から流れ出ている血によるものだと知るまで、さほどに時間を要しなかった。
「……!」
 驚き、半歩を後ずさる。ヘーゼルの足がその時芝を踏み鳴らした音を耳にしたのか、男のひとりがゆっくりとヘーゼルに視線を向けた。男の手には銀に光る――あれはシェフィールドだろうか。一本のナイフが握られていて、刃先はもうひとりの男の首に突き立っていた。喉にシェフィールドを突き立てられた男は意味をなさない声をいくつか吐き、最後に血泡を吹いて崩れ落ちる。
「やぁ、こんにちは。――これは、まずいところを見られたな」
 言いながら、男は喉を低く鳴らした。笑っている。ぬらりと背の高い、おそらくヘーゼルと同じか、いくらか年上といった齢だろう。病的に痩せ細った体躯。眼光ばかりがぎょろぎょろと気味の悪い彩光を宿している。
「あ……ああ……」
 ヘーゼルは数歩を後ずさり、そこで芝に足をとられて転げた。青い薔薇が風に揺れて謳う。男は背に澄み渡った碧空を背負っている。いっそ清々しいほどの絶望を背負っている。
「あんた、知ってるか? 最近、この庭にハザードが出たんだってな。聞いたことないか? そんな噂があんだろう」
 そう言いながら歩き続け、男は転げたヘーゼルの傍に近付いて、ヘーゼルのアッシュブロンドの長い髪を鷲掴みにした。そうしてヘーゼルを無理矢理に立たせ、ぎょろりと窪んだ眼光をヘーゼルの顔の間近に寄せて生臭い息を吐く。
「なあ? 聞いたことねえのかって訊いてんだよ」
 男の声が少し荒げられたのを知って、ヘーゼルはびくりと肩を震わせ、ハシバミの目に恐怖の色を湛え、男の顔を見た。
「え……ええ、聞きましたわ。……ま、迷い込んだ者を、い、異次元へ連れ込んでしまうハザードだと」
「ああ、そうだ。なあ、でもあんた。迷い込んだ者が異次元に連れてかれちまうってんなら、いったい誰がそんな噂を流したんだと思う?」
「……」
「ひひひ、おかしいだろう? 還った者がいないのに、誰がここにハザードがあると知ってるってんだ? ひひ」
 言われ、ヘーゼルは小さく肯いた。――確かに、そうだ。仮に生還した者がいないのなら、あるいはこの庭園に足を運んで来たもののハザードそのものを目にした者がいないのならば、誰がどうやってそれを知ることができたのだろう。
「俺だよ。俺が噂を流したんだ。薔薇庭園の奥にハザードが出て、そいつが人を迷わせ、連れていっちまうんだってな」
 男はそう続けて喉を鳴らし、ヘーゼルの髪を鷲掴みしていた手をヘーゼルの細い首へと移して力をこめた。一息に締め上げていく。
「ハザードが出たのは本当だ。それがどこか知らねぇ場所に繋がっているらしいってんのもな。どこに繋がってんのか、俺も知らねぇよ。でもこいつは便利でな。死体でもフィルムでもなんでも、好き嫌いしないで呑み込んでくれんだ」
 ヘーゼルの首を締め上げながら男は嗤う。
「あなたが……あなたが……」
 息が苦しい。少しずつ意識が遠のいていくのがわかる。
 問いかけたヘーゼルに、男は歪な表情を見せて首をかしげた。
「心配すんなよ。あんたもちゃんと異次元に放り込んでやるからな」
 言って、男は指先に力をこめる。
 苦しさにヘーゼルの身体が大きくよろめき、膝が折れた。青い薔薇が風に波打ち、ざわめいている。
「……痛!」
 次の瞬間、男は一瞬だけ苦痛に表情を歪め、ヘーゼルの首を締め上げていた手を緩めた。――ヘーゼルの身体がよろけたとき、近くに咲いていた薔薇の棘が男の手を掠めたのだ。
ヘーゼルは辛うじて解放され、少しの間大きく咳き込んだ後に数歩、ようやく男から離れることができた。それでもたった数歩。あっという間に捕らわれてしまう距離だ。
「ああ……ああ……わたくしを……あなたは……わたくしを殺すとおっしゃるのですか……?」
 訊ねる。男はヘーゼルの問いに顔を歪め、応えた。
 「そうとも、おまえはこれから俺に殺される。そうして永久(とわ)に続く孤独の闇へと堕とされるのさ。せいぜい絶望しながら死ぬがいい。深く深く、自分の不運を呪いながらな」
 男は言いながらヘーゼルとの距離をじわりと縮める。まるで圧倒的な力を保持した獣が、小さな動物を追い詰めたときのような、恍惚とした表情を浮かべている。
「……なぜ……」
 訊ねたヘーゼルに、男は足をぴたりと止めた。
「なぜ? なぜだって?」
「なぜあなたはわたくしを……多くの人間を手にかけるのですか」
「は……はは! なぜかって? じゃあ、なぜ殺しちゃダメなんだ? なあ、教えてくれよ。俺の恋人は虫けらみたいに殺された。俺はあの時気がついたんだ。人は人を殺してもいいんだってな! だから俺も殺していいんだ。いいんだよ、なあ!」
 叫び、男は再びヘーゼルの髪を鷲掴んだ。
「ハザードはこの青い薔薇の近くに出るんだ。毎回場所は違うんだけどな。ともかく、青い薔薇のある場所でないとダメらしい。理由は知らねえよ。どうでもいいんだ。おまえらを放り込んだ後、近くの薔薇を消してしまえばそれで終わりだ。おまえらは永遠に出てこれねえ。ははは、出てこれねえんだ!」
 男の顔は狂喜に満ちている。狂っていた。狂っている。
「そんな……」
 ヘーゼルの口をついて出たのは絶望の言葉だった。
「そんな理由……」
「自分の不運を呪うんだな」
 男はヘーゼルの耳に口を近づけ、囁く。絶望におちていく人間を見るのは本当に愉しい。自分の手で誰かの時間を強制的に終わらせる。その行為がえも言われず愉しいものだと知ったのは、何人目を手にかけた後のことだったか。
 が、その時。ヘーゼルの絶望を覗き見た男は、ふいに動きを止めた。
 ヘーゼルは嗤っていた。男を、なんと言う事のない虫でも見るかのような目で見ているのだ。
「同感ですわ。――人は人を殺めてもいいのですもの。……ねぇ、あなた」
 言いながら、ヘーゼルは男の背に両手をまわす。
 傍目に見れば、それは青い薔薇に囲まれた庭園の中、抱擁を交わす恋人同士のようにも見えただろう。現に、ヘーゼルは男の首に唇を近づけ、恋人に愛を囁くような声で告げたのだ。
「あなたがわたくしを殺すというのなら、なぜ、わたくしがあなたを殺してはいけないのかしら?」
 
 男の首に何かが触れた。そう、まるで薔薇の棘のような。

 ◇

 男と、男が殺した人間たちをハザードの中に放りやった後、ヘーゼルは毒針を仕込んだ指輪に軽い口づけをした。
 風が吹いている。薔薇が放つ芳香が辺り一面を満たし、生臭く不快な気配を跡形もなく運び消し去っていった。
「ねえ、あなた。……誰かを殺すと仰るのなら、逆に、自分もまた誰かに殺されるという覚悟をなさらなくてはなりませんわよね」
 呟き、ハシバミの目を細める。そうして間近に咲いていた青い薔薇を一輪摘み取って香りを愉しみ、口づけて、足もとに落とした。
 ハザードが消えてゆく。男の言葉が本当ならば、またこの庭園のどこかに移動していくのだろう。
「ごきげんよう」
 華のような笑みを満面に満たし、ヘーゼルは落とした薔薇をヒールで強く踏み壊した。
 

クリエイターコメントこのたびはオファーをいただきましてまことにありがとうございました。
現在確認させていただく限り、初のノベルということになりますので、口調や行動設定等、迷いましたが、こんな感じにさせていただきました。
イメージと違う、といったようなことがございましたら、ご遠慮なくお声いただければ幸いです。

ローレライは河に潜む魔物ですが、今回は青い薔薇や碧空といった背景にイメージを重ねて描写させていただきました。お気に召していただければと思います。
公開日時2009-02-21(土) 22:50
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