★ 山、嗤う ★
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
管理番号96-6687 オファー日2009-02-15(日) 05:39
オファーPC 榊 闘夜(cmcd1874) ムービースター 男 17歳 学生兼霊能力者
ゲストPC1 紀野 蓮子(cmnu2731) ムービースター 女 14歳 ファイター
<ノベル>

 ああ、今年も不作だった。しわがれた声で誰かがごちた。どうしようもない、どうしようもない。山神様のお怒りがまだ解けておらぬのだ。老いた女の声が応えた。お怒りを解いていただくためには贄を差し上げねばならん。そう続ける老女の声に、金切り声にも似た泣き声がいくつか沸き立つ。それを諌める怒声が空気を震わせた。しかし、差し上げようにも贄に相応しい者がもうおらぬ。そうじゃ、そうじゃ。もうこの里には幼子もおらぬ、生娘もおらぬ。山神様は穢れのない娘や子供でなければ召し上げてはくださらぬ。ならばどうする。どうする。老いた声がそう言うと、場には重苦しい沈黙が降り注がれた。そのまま長い間沈黙が場を満たしていたが、やがて女の声がその沈黙を裂き、告げた。
 それじゃあ、里の人間じゃあない誰かを贄にして山神様に捧げちまえばいいのさ。いるだろう? 通りかかる余所者の一人や二人。そん中で子供や生娘がいたら、とっ捕まえちまえばいいのさ。

 ◇

 その里は四方を深山で囲まれていた。
 北に向いた土地柄か、夏は短く、冬が長く訪れる環境下にあった。冬になれば深山を吹き降りてくる風が深い雪をもたらし、体力のない弱い者は寒さに耐えられずに死んでいくような場所だった。里の人間たちは近親婚を繰り返し、山沿いに畑を作り、蚕を飼い、それでどうにか自給自足の生活を送っていた。
 深山には竹が伸び放題になっていて、その根に食われ、作物は思うように生らなかった。近親婚を繰り返してきたがゆえか、里は必要以上に閉塞的な土地となっていて、時おり深山を越え訪れる商人たちにとっては非常に居辛い場所ともなっていた。
 そんな環境下にあったためもあってか、里は毎年のように不作の危惧に悩まされていた。同時に、近親婚を繰り返してきた影響もあり、異常を抱え生まれてくる子供も珍しくはなかった。そういった子供は忌み子として扱われ、不作を脱するための体のいい贄として選ばれた。忌み子を生んだ母親も同様、凶を産み落とした不吉な女として扱われ、祭事や出産などを一手に引き受けている巫女の立会いのもと、自らの手で我が子を殺めなくてはならなかった。否。我が子を自らの手で深山の奥に置き去りにしてこなくてはならなかったのだ。餓えた獣も少なからず現れる山奥の神木に我が子を括りつけ、そのまま放置して戻ってくるのだ。むろん、女たちはその後正常な精神を手放すことになる。そうなってしまった女は、若ければ廓に売り飛ばされたりした。いずれにせよ、女たちの怨嗟は積み上がっていくばかりだった。
 里の実りは山神が左右し握っていると言われていたが、幼い子供たちを好んで喰らい、女たちの怨嗟をも喰らうモノが正常な神であるはずもない。里の外部の人間たちはこれを祟り神だと囁き忌み嫌っていた。こうして、いつしか里は外部の人間も滅多に寄らぬ、完全に閉塞した世界となってしまったのだった。
 ◇
 
 手放していた意識が薄く戻ってきたのを感じ、紀野蓮子は瞼を持ち上げた。
 仄暗く、お世辞にも広いとは言えない場所の中だった。おそらくはどこかの一室の中。蓮子は床に倒れ伏す形で転がっており、片足だけに重い枷をつけられていたものの、それ以外には特に拘束されてはいなかった。両手も自由に動くし、視界を遮るものも巻かれてはいなかった。ただ、頭の後ろ側に少しだけ痛みを感じる。
「……そうだ」
 呟きながら頭をさする。
 蓮子は不意をつかれ殴打されたのだ。誰に殴られたのかは分からない。ただ、覚えていることならある。
 銀幕市の外れに現れたムービーハザード。それは古い時代の日本にありがちな風景をもった小さな里で、里に住む人間たちも同時に現出していた。彼らは懸命に土を耕し、山の一部を開拓し、土を掘って水脈を探している。里は周囲を山に囲まれる格好で存在していて、ハザードを一歩踏み込めば、そこは深い山野に囲まれた里のただ中へと通じているのだという。
 先日、そのハザードから命からがら逃げおおせてきたのだという男が訴えた。自分は恋人と散歩をしていたのであり、知らずにハザードの中に踏み込んでしまっただけなのだ、と。里の人間たちはふたりを歓迎し、比較的大きな家へと案内してくれた。そこには巫女装束を身につけた初老の女がいて、にこやかに笑いながら言ったのだという。よくぞ贄を連れてきた、と。その後、巫女は短刀を手にとり、何ら躊躇することもなく、恋人の肩から腹にかけてを斬りつけた。まるでドラマや映画の撮影に立ち会っているのだろうかと思えるほどに、現実味のない場面だったという。けれども恋人が血まみれで昏倒し、鯉のように口をぱくぱくさせて何事かを訴え、ほどなくそれすらも止めてしまったのを目の当たりにしてようやく、それが現実のものであるのを悟ったのだという。
 里の人間たちは皆血肉を持たないマネキンのようだったと男は言う。恋人が殺される、助けてくれと叫んでも、誰ひとりとして男の声に耳を貸してはくれなかった。結局、男は、恋人の救出を訴えながら逃げ延び、ハザードの外――銀幕の町に戻ってきたのだ。
 ハザードと町との境は定かでない。まるで不可視の幕で覆われているかのようなのだ。気がつくと既に里の中に立っている。そうやって里に迷い込んだ者たちの中の何割かがそのまま失踪しているらしい。
 その真相を確かめるべく、蓮子は試しにハザードに向かってみることにしたのだった。何より、気のせいか、引っかかる部分があるのを覚えたからだ。
 男の恋人を斬りつけたという女は巫女装束であったという。それが真実ならば、その女が神職に就いているという可能性も決して否めなくない。あるいは、神職に就いている者が里を治めているのかもしれない。もちろん、それは蓮子が奉じている神とは異なるものなのであろうが。
 それを確かめようと、蓮子はハザードに足を向けてみたのだった。そうして狙い通りに里に踏み入り、里の住人に話しかけられた。そして。
「それで私……後ろから殴られたのでした」
 自分で自分に言い聞かせるようにひとりごちる。痛む箇所を撫でた指先を検めてみたが、血痕といったものはないようだ。――小さなコブぐらいはできているようだが。
 安堵の息をひとつ吐き出し、蓮子は改めて自分が置かれている場所や状態の確認をすることにした。
 たぶん、広さとしては四畳分ほど。三方の上部に細長い格子窓がある。格子窓からは薄い光が差し込んできている。明るさから察するに、頃合はおそらく夕方か明け方といったところか。――それにしても、随分と湿った場所だ。カビ臭い。
 身を起こし、右足につけられていた枷を確かめた。鉄状のもので造られた重石が、丈夫そうな縄で結び付けられている。外してみようかと試みたが、おそらくは呪具なのだろう。不自然なほどに強固な編まれ方をしていた。指を伸べ触れてみると、それが植物の蔓や藁といったもので編まれたものではなく、そう、油を得て艶めいている長い黒髪だったのが知れた。それを知って初めて、蓮子は小さな悲鳴を口にした。
 格子窓から風が流れ込んでくる。湿った土や葉の匂いがする。蓮子は気持ちをたてなおし、改めて現況を確かめることにした。鈍痛の残る頭を撫でながら、一歩、一歩。格子窓に足を寄せ、外を窺い見ようと思ったのだ。
 左右の窓は蓮子の背丈よりもわずかに高い位置にあり、手は届くものの、外を覗き見ることはできそうにない。蓮子はまっすぐに前方、おそらくは窓ではなく扉なのであろう箇所を目指した。
 ――たぶん、ここは神事を行う際のための場所だろう。広さからすれば、本殿か幣殿といったところだろうか。考えながら格子窓のついた扉に手を伸ばし、外を窺う。
「……ひっ」
 口をついて出かけた声を無理矢理に両手で押さえ込み、蓮子は咄嗟に膝を折り窓の下に身を隠した。
 格子窓の向こうには竹林が広がっていて、仄暗い闇がそこここに満ち広がっていた。葉の間を縫って射る光の下、奇妙なほどに派手な色柄の女物の着物を身につけた、長細い棒にのっぺりとした顔をもった女――いや、女なのだろうか? そもそも人間なのかどうかさえもあやうい。のっぺりとした顔――否、目口にあたるのかもしれない穴が開いているだけのそれを顔と呼べるのかどうかもわからない。ともかくそれがいて、ひょろりひょろりと横に揺れながら周りを歩いていたのだ。“それ”は手に何かの塊を持ち、引きずっていた。その塊が人間の腕であるらしいことを知るまでにさほど時間は要しなかった。
 ”それ“は人間の頭を鷲掴み、引きずりながら歩いているのだ。胸部から下はどうしたのだろう。想像するのも憚られる。
 ざり、ざり、ざり、ざり。“それ”は地面を鳴らしながら歩き回っているようだ。
 さっきうっかりと声を出してしまったこと、気がつかれてはいないだろうか。思いながら、蓮子はもう一度、今度は深く注意しながら格子窓に手をかけた。
 先ほどは視界の左端にいた“それ”は、今は視界の右端にいる。この建物の周囲を周っているのだろうか。――考えて、蓮子は気がついた。
 引きずられているものが地面に残している跡から察するに、あれは少しずつこちらに近付いてきている。しかも、のっぺりとした顔ににたりとした歪な笑みを張り付かせているのだ。
 あれは、気がついている。ここに蓮子がいて、自分を窺い見ているのを。
 格子窓の下に身を隠し、足に括りつけられた枷を見ながら、蓮子は小さく唇を噛んだ。
 逃げなくてはならない。今すぐ、ここから。
 ざり、ざり、ざり、ざり。地面を鳴らす音が、建物の後部へと移っていった。

 ◇
 
 肌寒さを覚え、意識がゆっくりと眠りの底から顔をもたげる。その時、
「闘夜……おい、闘夜」
 名前を呼ばれ、榊闘夜は薄く目を開けた。眼前には仄暗い空や頑丈な枝に伸びる枝葉が広がっていて、それ以外には何もない。風が吹き、枝葉を揺らしているのが見える。
 大きなあくびをひとつ吐き、腕を組みなおしてもう一度目を閉じ眠ろうとした矢先、闘夜は頭を何者かに大きく叩かれた。ぐらりと体勢を崩しかけ、闘夜は慌てて体勢を整える。
「テメェ、鬼躯夜! 何すんだ、このやろう!」
 怒声を口にしながら横を見る。そこには案の定鬼躯夜の姿があり、眠っていた闘夜を見下ろすような目線で薄い笑みを浮かべていた。
「暢気なもんだな、闘夜。――それとも鈍感なだけか。いっそ落ちて死んじまえば良かったのによ」
「……っに言ってんだテメェ」
 言い返し、殴り返してやろうと立ち上がる。闘夜に憑いている狼霊は宙に立つ恰好でおり、太い幹の上で眠っていた闘夜の隣で朱色の眼光をゆらりと細めていた。
「見ろ」
 一言口にし、狼霊はアゴで周囲を示す。闘夜はムッとしながらも視線を周囲へと移ろわせた。
 前の夜、闘夜は簡単な依頼をひとつこなし、そのまま依頼のあった場所の近くにあった巨木の幹を寝床としたのだ。闘夜自身は知らなかったが、鬼躯夜が言うにはずいぶんと長寿な椎の木だという。神木として扱われてもおかしくない巨木だというが、注連縄もされておらず、そもそも周囲には似たような木がいくつも伸びていた。ほどよく伸びた枝葉が夜気の肌寒さをいくぶん和らげ、仮宿とするにはうってつけな場所だったのだ。
 が、今、闘夜たちは視界の開けた場所にいた。椎の木はそのまま立っていたが、周りに伸びていた木々の姿は見当たらず、代わりにのどかな田園風景が広がっていた。
 田畑の間には畦道が続き、所々に群がるようにして茅葺の家がある。街灯もなく、見渡す限り、コンビニ等といった店舗も見当たらない。電線も通っていないようだ。いわゆる、旧きよき時代の閑散とした山間にある小村といったところか。だが、こんな風景は昨日までこの辺りにはなかった。ごく一般的な街中の風景であったはずなのだ。
「……ハザード」
「ああ」
 呟いた闘夜の声に応えるように、狼霊が肯く。
「しかも”穢れ”の臭いがするぜ」

 面倒なハザードに巻き込まれてしまった。
 畦道を歩き進みながら、闘夜は自分の不運を呪った。――なぜ毎回、飽きもせず、こうやって面倒に巻き込まれてしまうのだろう。望んでいるわけでもないのに(当然だ)、しかも“穢れ”とはいったい何だ。そして、そこかしこから感じる視線の不快さはどうだ。人間の気配はいくつか窺える。茅葺の中からのぼる煙や熱は、少なからず、その中で生活している者がいるのであろうことを知らしめているのだ。が、どの家からも人は出てきそうにもない。余所者に対する警戒なのだろうか。試しに扉を叩いてみてもいいのかもしれない。ここはどこなのかと訊ねてみるのもいいだろう。しかし、
「あっちの家の方角だ、闘夜。”穢れ”の臭いはあっちからプンプンしてくるぜ」
 前を行く鬼躯夜がこちらを振り向きながらそう告げた。その方角に目を向けてみる。
 村は四方を山で囲まれていた。竹林が目立つ山だ。その竹林に面した、他の家々からすれば少しばかり距離を置いた小高い位置に、厳つい門構えの家が建っている。茅葺の平屋であることには変わりないのだが、それでも、特有の重厚な空気を放っているように見えた。
 村からの脱出は、もうすでに試みている。知らぬ間に巻き込まれたハザードであるとはいえ、どこかに出口のようなものがあってもいいはずだ。そう考えた闘夜は村を背に、椎の木を越えて探ってみたのだが、どこにもそれらしいものを見出すことはできなかった。仕方なく、どこかにあるはずの“ハザードの元凶”を滅することを選択したのだったが、やはりそれも渋々だ。面倒なことにはなるべく関わりたくないものなのだから。
 目の前にすると、門構えは一層厳ついものに見えた。他の家々にはなかったから余計にそう思えるのだろう。闘夜は眉をしかめて門を見上げ、ついで、肩越しにわずかに後ろを振り向いてみた。
 先ほどまでは誰の姿もなかったはずの田畑に、今は何人かの人影が揺らめいている。どれも痩せぎすで、顔もひどくやつれていた。だが明らかに敵意をむき出しにした眼差しでこちらを睨みつけている。――この家の中に入るのを留めようとしているのだろうか。あるいはただ単純に、余所者に対する嫌悪かもしれない。
 いずれにせよ、闘夜は自分に向けられているあからさまな敵意を気にとめるでもなく、門をくぐり、庭らしい造りのなされた空間へと足を踏み入れた。
 白梅の木がある。花は開き、薫風が辺りに満ち広がっていた。――だが、その風情をも上回り漂っている空気の重さに、闘夜は再び眉をしかめ、鬼躯夜は不快を顕わにした目で周囲を見渡している。
「こりゃあ、呪詛だな」
 狼霊がひそりと落とす。
 空気を満たしていたのは何かが腐敗してそのまま放置されているような、鼻をつく悪臭だ。もっとも、現にそれが漂っているわけではない。常人であれば決して気がつくことのない臭い――気、といってもいいかもしれない。それが眼前の家を取り巻くように渦を巻いているのだ。何者か……否、数知れぬ者たちの怨嗟によって取り巻かれているといってもいい。ともすれば瘴気にあてられて身体の調子や心を蝕まれる者も出てくるだろう。
 呪詛の気に、不快を一層顕わにする闘夜の視界に、ふと、ひとりの女の姿が映りこんだ。いつから、そうしていつの間にそこにいたのだろう。女は巫女装束によく似たいでたちをしており、それなりに年齢を重ねたような風貌をしていた。皺の線がいくつか窺える顔をしかめ、明らかに闘夜を訝しんでいるような表情を浮かべている。
「アンタ、余所から来たのかい」
 女が問いかけてきた。どうやら女の目に鬼躯夜は映ってはいないようだ。闘夜は首をかしげて大仰なため息を吐き出し、応える。
「らしいな」
「アンタひとりかい」
「そうだけど」
 応えた闘夜の言に、女は眉をしかめて小さな舌打ちをした。
「さっさと帰んな。アタシらはアンタみたいなのに用はないんだ」
 言い終えた女が振り向き家の中に戻ろうとした、矢先。
 家の裏手にある竹林のずっと奥から、風の唸りのような、あるいは地鳴りのような――何かが低く唸ったような、笑ったような、妙な音が響いた。
 女はひたりと動きを止めて山の方に顔を向けた後、思い出したように振り向いて、先ほどまでとはうってかわった親しげな顔で微笑み、闘夜に歩み寄ってきた。
「ねぇ、アンタ。アンタは幸せもんだね。神さんがアンタをお気に召されたってんだよ。男をお気に召すなんざ、滅多にないことなんだけどね!」
 表情を綻ばせながら闘夜の腕を軽く叩き、女は闘夜の後ろに向けて「ねえ」と声をかけた。振り向いてみると、そこにはいつの間にか集まり来ていた人間たちがゆらゆらと揺らめいていて、どれもこれもが薄気味の悪くなるような笑顔を満面に湛えていたのだ。
「……神さん、だって?」
 呟きながら、女に触れられた腕に目を落として不快を顕わにする。
 ――なるほど。その神とやらをどうにかすれば、このハザード内から脱することができるのかもしれない。そう思った闘夜は、面倒には思ったものの、素直に彼らについていくことにした。隙をみてどうにでもすればいいだけなのだ。
 大仰なため息が再び口をついて漏れ出た。

 ◇

 首に提げていた勾玉が外されていなかったことは救いだった。それに、懐にしまいこんでいた刀がそのままにされていたことも大きな幸運だっただろう。自分を殴ってきた相手が誰であるのかはさておき、少なくとも、蓮子が“どういう人間”であるのかに関しては一切の関心を持ってはいなかったようだ。もしも意図するものがあったのなら、勾玉や刀は外されていたはずなのだから。
 だとすれば、蓮子をあの場所に閉じ込めた何者かが求めたものは、おそらく、それ以外の、もっと単純な目的のみであったに違いない。例えば性別、年齢、そういった類の。
 あの、何か知れないものが社の奥に向かっていったのを見計らって、蓮子は社の扉を押し開けて竹林の中へと逃げ込んだのだ。扉には一応の施錠がなされてはいたが、小さな柱状の木を立てかけただけという、とても簡易なものだった。もちろん、それなりに頑強なものだったし、もしも蓮子の力が細いものであったなら、なかなか難攻したのかもしれない。が、蓮子は勾玉の影響を色濃く受け、強靭な力を行使することが可能となっている。錠を壊し、扉を開くまでにはさほどの時間を要しなかった。
 社を脱したときには、社の後ろにいたはずの“あれ”の姿はもうすでに視界の端に映りこむほどの位置にあった。のっぺりとした皮膚の上に三つの穿った穴を持っただけに見える顔が、蓮子の姿を捉えたであろうその瞬間、薄い三日月のような形を描き歪んだように見えた。
 竹林が風に揺れ、ざあざあと波打つ音を響かせる。
 蓮子は一瞬“あれ”に気をとられて足を止めてしまったが、竹林を満たす波打つ風の声に混ざり無数の気狂いじみた笑い声があるのに気がついて、懐から刀――蓮華を抜き出して握りしめ、きびすを返して走り出した。勾玉――睡蓮は首から外し、今は腕に巻きつけている。臨戦態勢を整えておいたのだ。しかし、いずれにせよ、今、この場からは離れたほうがいい。頭のどこかがそう告げていた。
 “あれ”が咆哮しているのが聴こえる。風が轟々と渦をまいて膨れ上がり、竹林はまるでひとつの道を生み出すかのように左右に分かたれ、蓮子の姿は隠れようもなく、おそらくは“あれ”の目にも蓮子の位置は明らかに見えているだろう。つまり、今すぐにでも追いつかれ捕らわれても何ら不思議ではないのだ。
 周りでは無数の笑い声が響いている。あるいは唸るような声、呻き声も混ざっている。それらはどれも女や子供のものばかりで、男のものと思われるものはひとつもないように思えた。
 そういえば“あれ”の咆哮も女のものであったように思える。ただし、無数の女たちの声が重なり合い混ざり合ったもののように思えたが。
 “あれ”の咆哮が再び轟いた。しかも、蓮子のすぐ後ろで。
 驚き、再び思わず足を止める。肩越しに振り向くと、そこに大きな黒い穴が空間にぽっかりと開いていたのが見えた。穴の向こうでは女たちが無数に群がり、今しもこちらに這い出てこようとでもしているかのようにうごめいている。その中には子供の姿も混ざっていて、どれも抑揚のない、およそ感情らしいものの読み取れないのっぺりとした貌でこちらを見据えていた。
 否。それは空間に開かれた穴ではなく、“あれ”がぽっかりと開いた口蓋であった。“あれ”の貌に穿たれている穴の奥には深淵なる黄泉が広がっているのだ。
 逃げおおせることはできそうにない。そもそも、枷がついたままの足はなぜかひどく重い。時々なにかにつまずいたりしてしまうのは、土の中から突出している枝のような――否、子供のものだと思しき手指に足首を掴まれかけたりしているためでもあるだろう。
 蓮子は蓮華を鞘から抜き出し、睡蓮に願う。
「――私に力を貸してください……!」

 闘夜は前を行く巫女らしい女の背を見据えながら、背後に感じる男たちの気配に耳を寄せ、内心舌打ちをした。
 巫女の家から伸びていた細い獣道のようなそれは勾配もきつく、登るだけでもかなりの気力を浪費する。加えて、男たちは闘夜が逃げ出さないようにと神経を尖らせているのだ。それが伝わってくるのもまた、ひどく気力を萎えさせる。
 鬼躯夜が横目で闘夜を見つめているが、狼霊は何かを口にするふうでもなく、ただ黙したままで前方を睨みやっているだけだ。
 竹林が続く。空気はひとつ歩み進めるたびに沈み、瘴気は一層色濃くなる。後ろに続く男の中の何人かが吐き戻しているのがわかる。瘴気にあてられたのだろう。気がつけば、後ろに続いていたはずの男たちはいつの間にかひとりもいなくなっていた。
 おい
 狼霊がようやく口を開けた。
 示された方に目をやると、そこには古びた社のような建物があった。その前では巫女装束を身につけた少女がいる。そうしてその傍には深淵に潜む闇が人の形を模して作りあげたかのような、大きな昏い塊がうごめいていた。
「娘ェエエエ! どうしてそこから逃げたかァァアア!」
 女は少女の姿を見つけるなり怒号をあげた。
「山神様ァァ! どうかお鎮まりくだされェ!」
 次いでそう叫び、後ろにいた闘夜の頭を鷲掴み、叫んだ。
「この男の血肉も差し上げます!」
 
 山神と称されたものは女の声に動きを止め、ぐるりと貌の向きを女と闘夜とがいる方向に向けて嬌声をあげた。
 蓮子は息を荒げ、勾玉に触れながら闘夜の顔を見据えた。
 自分をそれほどには年の離れていなそうな少年。女に捕らわれているのが不快なのだろうか。不愉快を隠そうともしない面持ちでこちらを見ている少年の横には、一匹の狼の姿があった。鉄色の毛並をもった狼が、朱の目でこちらを見据えている。いや、睨みつけているのだろうか。何を? ――“山神”を?
「……へぇ」
 鬼躯夜が小さく声をこぼす。
「あの女、オレが見えてるみてぇだな」
「――あ?」
 闘夜は女に首を押さえ込まれたまま、狼霊の言に耳を寄せた。そこで初めて少女に気を向けてみた。少女もまたこちらを見ている。山神は

 気付くと、山神は女の傍らにまで来ていた。必然、闘夜もまた間近に山神を見ることになった。山神は女の顔を覗きこむような体勢をとっていたが、女が満面の笑顔を浮かべたのと同時、山神もまた同様に顔を歪めてみせた。どうやら笑っているようだ。
「山神様……ひひ、ひ」
 女は笑い、そして闘夜や蓮子に言い聞かせるような口ぶりで口を開いた。
「山神様はね、アタシらに豊作を与えてくださるんだ。今はまだ田んぼも畑も枯れたまんまだけど、アンタたちみたいなのが山神様をお慰めしてれば、いつかきっと、里はそこらの集落なんざ目じゃないほどに実りを蓄えんのさ!」
 女の言に、山が轟々と唸り声をあげる。竹林に響く風の音はいつしか女子供が怨嗟を叫ぶ声や泣き声へと変じていた。今はもう、怨嗟だけが山を唸らせているのだ。 
「生贄か」
 闘夜が呟く。
 ありがちなことだ。人間は自分たちに不都合な現実を目の当たりにすると、それらは不可視のものによる影響なのだと考える。それは神仏であったり悪魔や悪霊であったり、あるいは祟りというものであったりするのだ。ともかく、それらに対抗するための策として、人間は祈祷を行ったり儀式めいた行為をしたりする。閉塞した土地であればなおさらだ。
「なんてこと……」
 蓮子は眉を寄せた。
「こんなもの、ただ怨みつらみが重なり合って生み出されたモンにすぎねぇだろう」
 狼霊が吐き出す。その言葉に蓮子は小さくうなずき、口を開けた。
「私は見ました。……それの中には混沌とした闇が広がっているだけです」
 無数の、哀れな人間たちの魂を喰らい閉じ込めているのが神と称されるものであるはずがない。こんなもの、ただの怨嗟による呪縛にすぎない。
「娘、アンタには枷がある。それはアンタが山神様に捧げられたんだっていう証なのさ。取れやしないよ。ひ、ひ、ひひ」
 女はそう言って、山神の傍らへと足を寄せ、膝をついて頭を下げた。
「今年こそ、今年こそ里に実りを……! 今まで山神様には数え切れないほどの女子供を捧げてきました。今年こそ実りを……!」
 そうでないと、アタシは巫女としての地位を追われてしまう。山神様に通じる事のできる能力を保有しているなどデタラメだと、もしかすると里の人間たちに殺されてしまうかもしれない。――通じていないはずがない。現にこうして今、アタシは山神様に面識を得ているのだか

 腐った枝葉の積もる土の上に額をこすりつけていた女の首がポゥンと跳ねた。まるで手鞠のように。
 次いで、頭を失った首の付け根が、滝のような勢いで赤黒い血を噴き上げた。
 突然の出来事に、蓮子は叫び声をあげることも出来ずにいた。何かの物語の一場面を見ているような感覚だ。現実のこととも思えないような展開だった。
 ケ、ケ、ケケケ、ケエエエエ
 山神が嗤う。腕のようなものの先に、女の血が染み付いている。
「……こいつが実りを与えるはずもねえのに」
 闘夜の声が落とされた。瘴気はいよいよ渦巻いている。ともすれば、瘴気に満たされた周囲はいつの間にか夜を迎えたかのように暗く沈んでいるようにも見えた。
「私、これの中に囚われている方々を助けます」
 蓮子が告げる。手にしている刀を構えなおし、山神へと向けた。
 闘夜は面倒くさげにため息を漏らした後、片手を虚空へと持ち上げ、振り下ろす。今まで何も持っていなかったはずの手の中に、今はひとふりの槍が握られていた。
「……まあ、別に、どうでもいいけどな」
 ハザードから脱することができればそれでいい。しかし、そのためには、この化け物を滅しなくてはならないようだ。
 山神は彷徨し、連動するように山が轟々と唸り声をとどろかせる。
 風が呻く。
 たすけて いたい いたい たすけて おかあさん いやだ なぜ どうして いやだ たすけて たすけて たすけて ちくしょう ちくしょう ちくしょう ちくしょう
 辺りを子供や女たちが埋め尽くしていた。子供たちは皆からだのどこかが欠損しており、その傷口はいずれも大きな獣――例えば熊のようなものに噛みつかれたようなものだった。
 蓮子は、自分の身体が土中に沈みかけているのに気がつき、足もとに目を落とした。
 枷のついている側の足が土中に沈んでいる。その足には小さな子供たちが群がり、しがみついていた。
「その刀でぶった斬れ!」
 狼が叫ぶ。
 蓮子は、子供たちの顔にある無邪気な笑顔を見て刹那気持ちを揺るがせたが、意を決し蓮華を振りかざした。
「ごめん、ね……!」
 言って、刃を子供たちに振り下ろす。
 子供たちは、次の瞬間に光の泡沫となって弾け、消えていった。
 山神の内側に囚われたままの女や子供たちは、皆が一様に恨み言を口にしている。なぜ自分が、自分の子供が死ななければならなかったのか。なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。
「知らねぇし」
 応え、闘夜は迷うことなく槍をかざした。
 闇が裂かれ、山は大きく脈動した。世界が大きく震え上がっているかのようだ。
 ぼえ、エエえああああああげげげげげげああ
 山神は絶叫し、のたうちまわり、その後に震え、黒い飛沫となって弾け、消えた。
 その瞬間。
 それまで大きく脈打っていた山が、突然鎮まったのだ。風の音も女子供の声も、ただのひとつでさえも残されていない。
「……」
 蓮子がふと口を開きかけ、閉じた。風も凪いでしまった。

 瘴気が晴れていく。

 ◇

 ふと瞬きをした次の瞬間、景色は一変していた。
 竹林ではなく、長い歳月を経た椎の木が伸びている。鎮守の森だろうか。清廉とした空気が辺り一面に広がっていた。空には朝雲が流れている。それほど離れていない場所から車の行き交う音がする。
 抜けたのか。
 安堵の息をひとつ吐き、闘夜は手の中の槍を軽く振った。その動きに合わせ、槍は顕れたときと同様、虚空に溶けいるように消失する。面倒そうに首を鳴らすと、大きなあくびが口をついて漏れ出た。
 蓮子は、何かを言うでもなくきびすを返し立ち去ろうとする少年に向けて「あの」と一言声をかける。少年の名前は知らない。どう呼び止めていいのかわからない。
「あの、助けてくれて……ありがとうございます」
 蓮子が声をかけても足を止めようとも振り向こうともしない少年に向けて、蓮子はそれでも丁寧に腰を折り曲げて礼をした。
「……助けてねぇし」
 振り向くこともせず、闘夜が呟く。その横で、狼霊が闘夜にかわり、蓮子を振り向いて目を細ませる。
「そういやぁ、あの女の足に」
 呪具たる枷がついていたはずだ。
 言って、鬼躯夜は少女の足に視線を落とす。
 女の髪を編んで作った紐。それはハザードを脱した際に消失したのか、今はもう少女の足に枷はついてはいなかった。が、そのかわり、少女の足にはいくつもの赤い紅葉のような痣が浮き上がっている。よく見れば、それは小さな子供の手形であるのが知れるだろう。
 が、少女はまだそれに気がついてはいないようだ。あえて教えてやる必要もないだろう。
 思い、狼霊はきびすを返し闘夜を追った。
「また、もしかしたら会うこともあるかもしれねぇな」
 言い残し、朝焼けの光の中へと吸い込まれ、消える。

 びょうびょうと風が吹き、椎の枝葉を揺らした。

 くす くすくすくすくす くすくす
 びょうびょうと風が
 嗤う







クリエイターコメントこのたびはオファーをありがとうございました。
捏造歓迎、とのお言葉に甘え、すぎた感も否めません。和でホラー、しかも閉塞した村や生贄文化というキーワードの羅列に、オファー内容を目にした瞬間とてもうずうずしてしまったのはナイショです。

口調その他、設定と異なる点等ございましたら、お気兼ねなくお声いただければ幸いです。
少しでもお気に召していただけますように。
公開日時2009-02-28(土) 12:50
感想メールはこちらから