★ alf layla wa layla ★
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
管理番号96-6699 オファー日2009-02-17(火) 01:31
オファーPC カサンドラ・コール(cwhy3006) ムービースター 女 26歳 神ノ手
ゲストPC1 威雨(cwsw5167) ムービースター 男 42歳 刺青師
<ノベル>

「ねえ、あんた、知ってるかい? ケンタウロスってのは好色で酒好きな野蛮だって言われてるんだけどね、そん中のアスクレピオスは医術の神だって言われてるし、ケイロンは医術の祖だって言われてんのさ。アキレウスは英雄だしね」
「神曲地獄篇第十二曲は知ってるか?」
「血の川で、生きてたときにさんざん悪さをやらかしてきた連中を懲らしめる獄卒ってやつだね」
「全能の神の妻に手ェ出そうとしたテッサリアの王が、その神にしてやられて雲と契っちまうって話だな。そんで生まれたのがケンタウロスだ」
「あんたはあたしが話そうと思う話は大概知ってるから、まったく、語りようがないよ」
「ははは、そりゃあすまんかったな。――さて、じゃあここにはケンタウロスを描いとくぜ、シェーラ」
「ふふ、六体目の怪物だね」
「七体目の怪物の話をしてくれよ、シェーラ。俺ぁちょっと黙っとくからよ」
「七体目ねェ……そうだねェ……ああ、そうだ。それじゃあ、日本の妖怪で夜行ってのがいるんだけど、そいつの話でもしようかね」

 ◇

 日を追うごとに身体を蝕む病魔が勢力を強めていく。夜、眠りに就く前、もしかするとこのまま二度と朝を迎えることは出来ないのではと不安に駆られることもあった。――自身の手が生み出す刺青は呪いや病といった不穏を抑えこむことが出来るというのに、なんとも皮肉な話だ。よもや『神の手』とまで謳われている自分が、こうして病に侵され未来の知れぬ身になろうとは。
 威雨は、いつ訪れるとも定かでない自分の天寿の訪れを、けれど、存外すぐに恐怖することはなくなっていた。これまで歩んできた道程を振り返るに、そのどこにも、ただ一片たりとも後悔を抱く要素などありはしない。そう、後悔はない。実に充実した人生であったと胸をはれるだけの自信もある。
 しかし、威雨には、生に固執しなければならない理由が在るのだ。ただひとつだけ、どうしても、それを達しないまま天寿を全うすることなど出来るはずもない。
 威雨は刺青師だ。それも神の手という号で呼び称されているほどの技芸を持ち得ている。その威雨は、己が最期を迎えるにあたり、唯一無二、天衣無縫とも思えるほどの作品をこの世に遺したく思っていたのだ。長く続く賞賛を欲したのではない。栄誉など腹の足しにもなりはしない。――そう、自らの心を満たすものを得たいと欲したのだ。その願いは彼の足を毎日毎夜街中へと向かわせた。彼が遺す作品を描くに相応しい、完全たる躯を持った者を探すために。
 身体のラインを強調するデザインの服装を身につけていれば、必然的に周囲の視線を寄せ集めることになる。いや、もしかすると服装などにはまるで関わりはないのかもしれない。
 柔軟なバネを連想させる身体の色は浅黒く、細身の割には見る者の情感を奮い立たせる豊満な肉体を持ち、腰まで伸びた銀色の髪は湖面に映える月光のそれを呈している。その下で閃く眼光は金に輝き、注がれる好色な視線にもまるで怯むことなく、酷薄な笑みを形のよい唇に乗せているのだ。
「シェーラ、今日も店に来るんだろ?」
 通り過ぎる男たちが声をかける。女――シェーラザードは軽く手をあげて小さくウィンクを返した。毎晩のように飲み歩いている飲み屋の馴染みの客だった。あわよくばシェーラを自由に弄ぼうと考えていることなど、注がれる視線から容易に窺い知ることができる。内心で男たちを嘲りながら、その時シェーラは、ふと、視界の中にひとりの見知らぬ男の姿を捉え、映した。
短めの頭髪は曇天の色、身丈はシェーラザードとさほどに変わらないほどだろうか。壮年と呼んでもいいだろうと思しき見目の、下駄履きの男。羽織り着ているだけ、といった風の上着の下、時おりちらちらと覗く腕には雄々しい虎の刺青が施されていた。
その男は、何かを捜している風でもあり、けれども毅然とした眼差しでひたすらにまっすぐ前方のみを見据えているという風でもある。突出した外貌ではないわりには、それでも通りを行き交う人間たちとはどこか一線を逸しているような――そんな空気をも漂わせている。
見たことのない顔だ、と。シェーラはそう思った。この辺りを利用する人間たちの顔ぶれならば、大抵の顔は頭に叩き込んでいるつもりだ。飲み屋で出会う顔ならば言うまでもなく。いずれにせよ、大概の人間はシェーラに対し、様々な感情のこもった視線を投げつけてくるから。それは羨望であったり劣情であったり、あるいは嫌悪といったものでもあったが、……いずれにせよ、そういった人間たちの顔は粗方記憶しているつもりだ。
が、男の顔は初めてみるものだった。もっとも、それも別段珍しいものでもない。男に向けていた視線を前方へと向けなおし、再び歩む速度をいくらか速めだしたその時、すれ違ったその男が不意に足を止めてシェーラに声をかけてきた。
「君、すまないが、」
 声をかけられ、シェーラは歩みを止める。
 振り向くと、男は懐こい笑みを浮かべてシェーラの顔を見やっていた。
「何だい?」
 顔にかかる髪を軽くかきあげながら応えると、男は言葉を続けながら数歩、シェーラの傍へと歩み寄ってきた。
「いきなりですまない。……俺は威雨という。捜し物をしていたんだが」
「捜し物? へぇ。だったら悪いけど余所をあたって。あたしは別に便利屋でもなんでもないからねェ」
 返しながらひらひらと片手を振り、きびすを返して男の傍を歩み去ろうとした、が、男はシェーラの腕を軽く捉え「俺は怪しいモンじゃあない。こう見えて刺青師をやってんだけどな、ちぃと君に話を聞いてほしいんだ。――酒でも一杯おごろう。少しでいい、時間をくれねェかな?」そう続けて、振り向き鋭利な眼光をぶつけてきたシェーラに引けをとるでもなく、目を細め、笑った。

 男は威雨と名乗り、立ち飲みの店で安い酒をシェーラのグラスに注ぎ入れながら話を始めた。話してみれば、男はシェーラに対しての下心などまるで感じさせない、ただまっすぐな心根の窺えるような性格をしているのが知れた。改めて間近に見ると、男の身体に施された刺青は実に素晴らしく、生命の息吹をすら感じられるようなものだった。男が俗称で何と呼ばれているのかを聞いたとき、シェーラは初めて驚愕した。
 神の手、カサンドラ。そう称されている刺青師がいるという話は、確かに耳にしたことがある。類まれな技芸を誇るという業師。しかしどれほどに高額な金を積まれても、相手に不服を持ったならば決してその業を揮ってはくれない、とも言う。その筋では知らぬ者のない男だ。
 けれど、威雨は自分に向けられている評価などといったものにはまるで関心がないようだった。シェーラが驚きを見せても「へェ、そうかい」と言って軽く笑うだけなのだ。
「で、だ。話ってのはだな。シェーラ、君に刺青を彫らせちゃくんねェかな」
 頼むよ、と、笑いながら軽く手を合わせる眼前の男に、シェーラは驚いた。自分に寄せられている数々の賞賛にはまるで無関心なところにはむろんの事、何よりも。
「あんた……あたしに頼みごとをするってんのかい」
「頼みごとっちゃあそうかもしんねェけどな。俺ぁ君に一目で惚れたのさ。この女しかいねェ。そう思ったんだよ」
 安酒を飲みながら、威雨は恥ずかしげもなくそう言う。
「あたししかいない……だって?」
 呟き、シェーラは威雨の横顔を見つめた。
 ――これまで、シェーラと触れ合う人間たちは大半がシェーラを物かなにかのようにしか扱わなかった。あらゆる欲を満たすために使われるだけの物。奴隷としての、人間としてはけして扱ってもらえない自分。
 今、眼前にいるこの男は、神の手を持つとさえ称されている。底辺を這う“奴隷”には、それこそ雲上の存在だと言ってしまっても過言ではない。一言命じればいいだけのはずなのだ。自分のために使われろ、と。
 しかし、
 しかし、眼前にいる男は、シェーラの意向を伺うべくして頭を下げている。まるで、
 まるで、シェーラをひとりの人間として、扱ってくれているようだ。
「そうだね……」
 内に沸き起こる小さな動揺を抑えながら、シェーラはグラスを口に運ぶ。
「ちゃんと報酬は出るんだろうね?」
 本当は、カサンドラに刺青を施されるのならば、報酬など無用だ。むしろこちらから金を積んででも施してもらいたいほどの相手だ。
「当然だ。他にも、希望があるなら、なるべく聞くようにはさせてもらう」
 さすがに全部とは約束できねェけどな。そう続けて威雨は笑う。 
 心臓が跳ね上がるかと思えた。
 グラスを置き、シェーラはわざとらしく息をひとつ吐き、前髪をかきあげて頬を緩める。
「そうだね。……まあ、ひとつぐらいならいいかもしれないね」
 もっとも、まだ信用はおけない。いい話をしておいて、後で裏切った人間なんていうのも掃いて捨てるほどにいた。人間というのはどうにもウソを平然と口にする生き物なのだから、あるいは眼前のこの男も例外ではないのかもしれない。
 微笑みながら、シェーラはなるべく警戒を解かないようにしようと決めた。

 しかし、その警戒は不要のものであったと、比較的すぐ、早い内に知ることとなった。

 威雨――カサンドラの技術は噂だけのものではなかった。染料も多彩に取り揃えられており、針の用意も多種にわたっていた。彫りの技術も素晴らしく、筋、羽、突き、毛彫り、あるいはあけぼの。夜の闇に響くシャッキの音に迷いはなく、まるで元々シェーラの身体に眠っていただけのものを針によって目覚めさせているだけのような、そんな風にさえ感じられた。

「どうだ、痛みはねェか」
 訊ねた威雨に対し、シェーラは「思ってたよりも痛くないもんだね」と返した。もちろんウソだ。針が身体に色を写していくたびに痛みが走る。彫りの痛みに耐えかねて途中でリタイアしてしまう者もいるというぐらいなのだ。言葉に反し、時おり身体が痛みに小さく跳ねる。
 羽彫りを施しながら、威雨は喉を小さく震わせながら「そうか」とうなずき、笑う。
 どの絵図にするかと訊ねられたシェーラは、威雨が広げてくれた本に描かれていた幻獣や動植物たちの画にひとしきり見惚れた後、一体目として翼竜を選択した。蛇のような尾、四足を持った生物だ。
「翼竜ってのは東洋様々な種がいる。ワイバーン、リントヴルム、アンフィスバエナ。ヒュドラってのもいるな。今シェーラに彫ってるこいつァ四足で膜翼、いわゆるドラゴンってやつだな」
 手を休めることなく、威雨は静かに語り始めた。シェーラを退屈させないためであったのかもしれない。それとも別の理由があったのかもしれない。昔語りをするかのような調子で、ゆっくりと、威雨は物語を編みだしたのだ。

 ◇

「ドラゴンってのァ、それこそ世界中至る場所に伝わっていてな。とある国じゃあ、ドラゴンには雌雄があって、雌雄でそれぞれまるで正反対な性質を持ってるって言われている。なんでもメスは人間を毛嫌いしていて、オスは人間をこよなく愛しているっていうんだな」
「ヘェ。それじゃあ昔話みたいなのも世界中にたくさんあるんだろうね」
「そりゃあな。例えば」

 とある大国の王が弟に訊ねた。昼夜を問わず響く、あの恐るべき唸り声は何なのか、と。弟は答えた。あれは国へ攻め入って来た他民族を守護する白い竜と戦うため、大地の守護神である赤い竜が地中から舞い上がるために咆哮している雄叫びである、と。これを聞き、王は困惑した。守護神である赤竜を退治するわけにはいかない。思案の末、それならばこの二匹を封印してしまえばよかろうという結論に達した。
 王は大きな穴を掘らせ、ここに蜂蜜酒を大量に注ぎ入れた。やがて二匹の竜は天空で凌ぎを削り、見つけた大穴に互いを落としいれようと試み、二匹とも落ちていった。ドラゴンたちは穴の底、蜂蜜酒の中で戦っていたが、やがて酒に酔い、眠ってしまった。王は深い眠りについた二匹の上に網をかぶせ、さらに石で造った箱に封じ、地中深くに封じ込めるのに成功した。
 やがて時が流れ、大国の新たな君主は戦のために堅固な塔の建設を計画立てた。しかし土台を組むにいたり、地の中にある何かが建設の邪魔をしているのを知った。君主はそれが何であるのかを知るため、その原因を突き止めることのできる者を募った。すると夢魔を父親に持つという少年魔術師が現れ、それは地の底で戦う二匹の竜であると告げた。君主は半信半疑で、塔の下を掘らせてみた。現れたのは大きな泉で、この泉は何かと訊ねた。少年魔術師は、知りたければ泉の水を吸い上げてみるがよいと答えた。果たして吸い上げてみると、現れたのは大きな二つの石の箱だった。

「……さァて、と。今日はこの辺までにしとくか」
「え? ちょっと、今の話、途中だったんじゃないのかい?」
「ああ、まだ続きはあるぜ」
「じゃあ、話を途中で切り上げないでくれないかい? 続きが気になるじゃないのさ」
「ああ、じゃあ明日、またな」
「明日って」
「寝床は適当に見つけてくれりゃあいい。家ん中のモンは全部好きにやってくれりゃあいいからな。――おやすみ」
「ちょっと、ねえ! ……なんだい、けっこう勝手なヤツなんだね」

 ◇

 部屋を後にした威雨はなるべく不自然に思われないであろう程度の速度で足を進め、やがて家の裏庭の端に辿り着くと大きく身を屈め、激しく咳き込んだ。血痰が土の上に落ちる。
 ――しょうじき、街中で見初めたシェーラがああまで美しい女だとは思っていなかった。顔や身体の造詣はまるで女神のそれのようだ。何より、あの肌の滑らかな美しさ。世に数えるほどしかいない、厳選された職人が手掛けた陶器やアンティークドールでさえ、女の美しさの前にあっては色を薄めてしまうかもしれない。その女を、自分が遺す芸術として彩色していくことができる。――これほどに幸福なことは他にないだろう。
 だが。
「……保ってくれよ……」
 自分の内にある生命が徐々に喪われていくのが分かる。ほんの少しでも強い風が吹けばいとも容易く消えてしまいそうなほどに弱い炎。いつ途切れてもおかしくはない、自分の命。
 口許を汚した血を拭い取ると、威雨は自分の血痰の染みた土を足で散らし、痕跡を消した。
 あと、もう少し。もう少しだけ、――どうか。

 威雨が語る話はどれも興味を惹かれるものばかりだった。中にはシェーラが知っているものもあったが(空いた時間、シェーラは威雨の言葉通り、家の中のものをいろいろと手に取ってみたりした。中には神話や伝承にまつわる本もあり、それに目を通してみたりもしていたのだ)、夜毎に語られる物語はどれもシェーラの知識を上回るものばかりで、しかもいつも途中で切り上げられてしまうため、まるで楽しみを引き延ばされた子供のような気分を味わうことになるのだ。
 日中、威雨の手が空いているときは、威雨の技術を教わりもした。とても興味深い技術だった。シェーラは見る間に威雨の技を覚え、その身体に数体目の獣が顕れた頃には、おそらく独立して成功していけるであろうほどにまで達していた。もちろんそれでも、カサンドラ――神の技芸には及ばないものであると、シェーラは思っていたのだけれど。

「よし、じゃあ今日はこの辺にしとくか」 
 そう言って針を置いた威雨を、シェーラは身を起こしてまっすぐに見据えた。
「……ねぇ、威雨。……あたし、知ってるんだよ、あんたの身体のこと」
 ひそりと声を落としたシェーラの言葉に、威雨は一瞬驚いたような目をして、しかしすぐに頬を緩め、微笑んだ。
「ねぇ、威雨。医者には診せてるのかい」
「医者だ? は、今さらもうどうしようもねェだろ。それよりも、俺ァ、シェーラと一緒にいてェんだよ」
 言ってシェーラの髪を軽く撫でる威雨の手を掴み、シェーラは縋りついた。
「あたしはこれからもずっとあんたのところにいるよ。だから、ねぇ、医者に診てもらってさ、薬でも手術でもなんでも……治療すれば……」

 いつからだっただろうか。いくつもの時を共に過ごす内に、シェーラにとって威雨はかけがえのない男になっていた。大切に想えれば想えるほど、その男が巧みに隠そうとしている部分にまで目が届くようになってしまった。気がついてしまったのだ。
威雨の体は病魔に蝕まれている。
痩せ細っていく身体。食事をまともに摂ろうともしない。それでいてシェーラのことばかりを気遣い、自分を顧みようともしない。
今さらどうしようもない。それはもしかすると本当にそうなのかもしれない。けれど、もしかするとまだ希望があるかもしれない。
しかし、威雨はシェーラの望みをいつものように笑いながら受け流してしまうのだ。
「それよりも、次は何を描くのか、そろそろ考えておいてくれよ」
 言って、シェーラの髪を指先で梳いていく。その眼差しにこめられている優しさに、シェーラは言葉を失くし、唇を噛んだ。
「……あたしの言う事は聞いてくれるって言ってたじゃないか」
 呟き、俯く。
 すでに部屋を後にしていた威雨には、シェーラの呟きは届いてはいなかったかもしれないが。

 翼竜、九尾狐、グリフォン、ケンタウロス、火炎車、鬼火、般若、大蛇、コカトリス、ガルダ、ヤタガラス、夜行、ケツァルコアトル、鎌鼬、犬神、鳳凰、麒麟、がしゃどくろ、鵺、管狐、ケルピー、女郎蜘蛛、雷獣、牛頭等々。東西を問わず、シェーラの身体には多彩な面々による百鬼夜行が描かれた。どれも統一感がないようでいて、けれども刺青師の腕やセンスが良いためだろう。見事に統一のなされた世界がそこに生み出されていた。
 全身に描かれた刺青を鏡の前に立って検めながら、シェーラは感嘆の息を深々と吐いた。
「やっぱりあんたは天才だね、威雨。やっぱりあんたは神の手を持ってんだ、すごいよ」
 言いながら、シェーラは振り向き、ソファに座る威雨の傍へと歩み寄っていって膝をついた。
「ねぇ、あんたもご覧よ。見たかったんだろ? あたしの身体をうねり歩くこいつらをさ。――あたしはあんたが造った芸術品だ、……そうなんだろ? ……ねぇ」
 
 ソファに座る威雨は満足げに頬を緩め、薄く目を開き、シェーラに微笑みかけている。
 
「ねぇ、威雨。……威雨」
 針を持ったままの威雨の手に頬を摺り寄せ、シェーラは静かに目を閉じた。
「もう、あんたの声、聴けないんだね……」

 ◇

 霧のような雨が降っていた。
 青年は以前にカサンドラの手で刺青を施してもらっており、完成の日の目を見る前にどうしても席を外さなくてはならなくなったのだった。その続きを施してもらうため、青年は久しぶりにカサンドラの元を訪ね来た。
「すんません、おりますかぁ?」
 玄関口でそう声をかける。
 家の中に人の気配らしいものは感じられず、青年は困ったように首をかしげて空を仰いだ。
 音もなく降る雨が家の周りを囲む木々を揺らし、かすかに空気を震わせている。
「誰もおらんのじゃろうか」
 独りごち、きびすを返し帰路につこうとした矢先。
 青年はふと庭先に何者かの気配を感じ、弾かれたように視線を移してその気配を検めた。そこには銀髪の女がひとり、ひどく呆然とした面持ちで立っていた。長い間雨に打たれたままでいたのだろうか、全身雨に濡れている。
「あ、」
 声をかけようとした青年を制するように、女はゆるゆると微笑み、細い首をかしげて眦を細めた。日の光のような、金色に閃く双眸だった。
「何か用かい?」
「あ、ああ、俺、前に刺青を彫ってもらったんじゃがの。途中のままにしとったもんじゃけ、完成させてもらおうかと思うたんじゃが。――カサンドラはおるかの」
「カサンドラ、かい?」
 青年の言葉に、女は小さく目を伏せる。が、しかしそれも一瞬だった。すぐにまた視線を持ち上げ、腕を組んで挑発的に微笑する。
「あたしが“カサンドラ”さ。――さあ、こっちへ来な」

クリエイターコメントこのたびはオファーありがとうございました。

ええと、千夜一夜のイメージで、とのことでしたので、わたしなりにちょっと構成で遊んでみたりもしました。本当は威雨さんの独白で一箇所進めてみたくも思ってたんですが。
ちなみに、途中箇所で挟み込ませていただいたのはウェールズにおけるドラゴン伝承であります。ドラゴンはかっちょいいですよね。大好きです。

また、カサンドラさんも威雨さんも、キャラクター的にすごくタイプで、書いていてすごく萌え萌えさせていただいていたのですが、設定・口調等、これはちょっと…といったような箇所がありましたらご遠慮なくお申し付けくださいませ。

少しでもお楽しみいただけていれば幸いです。
公開日時2009-03-18(水) 18:20
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