★ 降りかかる怪異 ★
クリエイター西(wfrd4929)
管理番号172-6162 オファー日2009-01-01(木) 22:42
オファーPC 古辺 郁斗(cmsh8951) ムービースター 男 16歳 高校生+殺し屋見習い
ゲストPC1 薄野 鎮(ccan6559) ムービーファン 男 21歳 大学生
<ノベル>

 鎮と郁斗は、その日買い物に出かけていた。昼ごろに家を出たことを考慮すると、要した時間は、二時間半、というところだろうか。帰れば、丁度良い具合に、おやつ時である。
 鎮の家は大所帯であるし、こうして買出しに行くことも多い。居候が九人もいれば当然であろうが、鎮は現状に満足しているので、こうした行為も苦ではなかった。
「悪いね、つきあわせちゃって」
「いや、いいですよ。自分も結構食べる方ですし、お世話になってますから。これくらい、なんでもないです」
 郁斗は、そういって手に提げた袋を掲げて見せた。実際、彼の腕力からすれば、4kg程度の荷物など、辛いうちにも入らない。
 必要なら、相当な重量の武装を持って、狙撃ポイントまで行かねばならないこともあるのだ。あの荷物を抱えて走る訓練と比べれば、買出しの荷物もちなど、たいした労苦ではない。
「そうかい? なら、いいのだけれど」
「ええ、大丈夫ですから。これくらいの手伝いでいいなら、いつでも言ってくださいよ」
「助かるよ。やっぱり、普段から鍛えている人は違うね」
 鎮は笑って、彼の努力を認めた。郁斗の職業も、日々の訓練についても、鎮はだいたい把握している。
 彼は、学生生活を送りながらも1人前の殺し屋を目指して修行している。それでいて、身長が低いことや、身体能力が低いことに悩んでいることも、鎮は知っていた。その程度には、深い付き合いのある仲だったから。
 だから、郁斗がことさらに、自分の力を表現して見せたとき、これを素直に賞賛することを選んだのだ。ここで遠慮することは、かえって失礼に当たる、と思って。
「鎮さんだって、相当なものじゃないですか。体術の心得もあるくらいだし、一般人と比べたら、結構力はあるほうだと思いますよ?」
「そうかなぁ? ……君達と比べたら、たいしたことはないように思うよ」
「うーん。でも、自分が得意なのは、銃の扱いくらいのもんですから。鎮さんと格闘したら、あっさり負けちまいそうな、そんな気はします」
「買いかぶりだよ。……でも、そうだね。もしかしたら、郁斗君と試合でもしたら、本当に僕が勝つかもしれない。けれど、本気で。殺意を持って向かってこられたら、果たして僕はその気迫に抗えるのか? ――殺し屋としての本分を武器に、向かってこられたら、負けるのは僕の方だと思うな」
 雑談で済ませるには、少し物騒な話である。
 しかし、この銀幕市の住人であれば、決してこの手の感覚を、おざなりにはできないだろう。
 いつ、危険に巻き込まれるかわからない。その認識は、各人の防衛意識を高め、護身術への興味、自己の研鑽となって現われる。
 鎮とて、ムービースターと共に生活する身である。彼らの能力に感嘆しながらも、あれと似たような物が、自分に襲い掛かってきたとき、どこまで自力で対処できるのか? その点についての考察も、欠かしたことはなかった。
「ああ、本職ならではの『凄み』ってやつは、無視できませんよね。……でも、どうなんだろ。自分は、そんなに経験がある方じゃありませんし。師匠らとは違って、結局は一般人レベルに過ぎないんじゃないかって、思ったりもしますよ」
「それは、どちらかというと、周りが優秀すぎるから感じる……疎外感みたいなものだね。いや、自分にはない長所を持った人たちに対する、羨望に近いのかな」
 他人からの評価はともかく、郁斗自身は、自分の力量に満足していない。誰かの長所と、己の短所を比較してしまって、自信がもてない。そういう状態にあるのだと、鎮は敏感に感じ取っていた。
 悩み多き年頃である。その上に、ムービースターとしての意識が乗っかっていて、より多くの悩み事が、彼をさいなんでいるのだろう。郁斗の中にある、そうした繊細さは、妙に鎮の庇護欲を刺激させる。
「僕から見ると、郁斗君は充分な力を持っていると思う。才能が特化してしまっているから、それ以外の部分の平凡さが、かえって目に付いて仕方がないのだろうけど。でも、卑屈になるほど、他の人と比べて劣っているってことはない。それだけは、保証してもいいよ」
 彼はまだ充分に若いのだし、もっと自惚れてもいいのだ。才能には自信を持っていいのだし、努力は必ず報われると思って、精進して欲しいと思う。
 郁斗の周りは、人に恵まれている。間違っても正してくれる師匠がおり、共に力を高めあう同門の仲間がいる。不安を感じるべきではない、とまでは言わないが、ある程度は大胆になっても良いのではないか。そのように、鎮は思うのだ。

――何か、自信を付けられるきっかけがあれば、いいのだけど。

 たとえば、ムービーハザードなどに巻き込まれて、単独で切り抜ける……とか。そこまで都合がよくなくとも、実績さえ積み重なれば、いい具合に成長してくれるかもしれない。
 鎮は、そんな風に考えていた。だから、というわけでもないのだろうが。
「あれ?」
「なんか、やな雰囲気……ですね」
 急激に、身の回りの温度が冷えてきた気がする。そして気が付けば、空の明かりも陰り、夕方どころか、夜に近い暗さになっていた。
 この異変に対し、彼らは警戒を強める。銀幕市において、こうした環境の変化は、ムービーハザードである場合が多い。二人はそれを良く知っていたのである。


 鎮も郁斗も、銀幕市の住民。ムービーハザードに巻き込まれてしまった事を、即座に把握すると、まず身を隠すことに努めた。日常ではまず警戒しないが、スナイパーが敵にいた場合、大通りなどで歩けば鴨撃ちにされてしまう。
「まさか、そこらに狙撃手がいるわけでも、ないでしょうが。……念のため、です」
 日常的な、買い物の帰り道。それがこうも変質してしまった不運を嘆きつつも、事態への対処について、思考を巡らせる。
「それはそうと、荷物、どうしましょうか」
「ああ、それは本当に、困ったね。卵は割れやすいし、豆腐もちょっとした衝撃で崩れてしまう。……適当な場所に、置いておきたいところだけど。もし戦闘になったら、きちんと配慮しないといけないね」
 ここから自宅までは、結構な距離がある。気分転換の散歩には、ちょうどよいくらいであるのだが……。

――援軍は、期待できそうにないか。

 ハザードの規模にもよるだろうが、この一帯に限定的に発生しているだけだとしたら、おそらく彼らの感覚には引っ掛かるまい。
 応援が来るとしても、それは対策課が動いてからになる。それはいかにも、遅すぎた。
「冷凍食品が溶けるのは、好ましくないなぁ」
「ですよねぇ。俺の冷凍うどんも――って、そういう問題じゃなくて」
「わかってる。これが物騒な系統のムービーハザードであるなら、放置はしたくない。ひどいのになると、時間がたてばたつほど、被害が大きくなってしまう。……ここは僕らで、なんとかしないとね?」
 適当に、近くのビルや住宅を覗いてみると、やはり人がいる。この状況に戸惑ってはいるようだが、銀幕市の住民は、基本的に図太い。すぐに冷静さを取り戻すと、戸締りをし、カーテンを閉め、人の気配を感じさせぬよう、工作を始めていく。
 彼らは自ら戦う力はないが、それだけに自ら動くことの危険さを良く知っている。まだ異常は現われていないようだが、この人たちのためにも、早く事態を収拾してあげたいと鎮は思う。
「できることを、やろう」
「はい! さしあたっては、異常の根源を見つけなければなりませんが……ん?」
 異常は、向こうからやってきた。吸血鬼や狼男などをモチーフにした、見るからに怪しそうで、危なそうな連中が、こちらを見据えている。
「まいったね。本当に荷物、どうしよう」
 鎮と郁斗を『敵』、あるいは『食料』と認識したらしく、連中は牙を剥いて襲い来る。鎮は暢気に呟いたが、そう余裕のある状況ではない。
 敵は、複数。序盤に現われる雑魚に過ぎないが、侮ってよい相手でもなかった。なにより、郁斗は師匠らと比べて、実戦経験が少ない。どんなに弱い敵と対しても、舐めて掛かれるほど偉くはないのだ。
「この場は、俺に。鎮さんは、それらを建物の中にでも、隠して置いてください」
「わかった。……僕が戻るまで、無理しないでね」
 そうして、鎮はこの場から離れた。郁斗は懐から銃を取り出すと、セーフティを解除して、構える。

――急所に当たったら、倒れてくれよ? ……頼むから。

 この手の魔物は、ハザードの悪役としては二流以下。大物の風格を感じさせない、安っぽい殺意が、郁斗の闘争心を駆り立てている。
 吸血鬼に狼男。二つに共通する点としては、再生能力が強いことだ。銀の弾丸でも用意していなければ、なかなか一発では倒れてくれない。
 ゆえに、郁斗が思ったことは、あながち冗談ではなかったりする。……もっとも。
「ぐふぃ」
「げが?」
 銃声が、二つ。倒れる音も、二度。彼は、もしものときに備えていた。
 常在戦場、いつも万全の体制で戦えるとは限らない。……相性の悪い敵に、日常的に意識を持って備えるのは、殺し屋の鉄則である。特に、この街では。
「しかし問題は、30発しかないってことなんだよなぁ……。打ち尽くしたら、どうしようか」
 残り、28発。通常弾なら、内ポケットから靴の中まで、全部含めれば80発くらいは用意してあるのに。
 射撃の精度が、生死を分ける戦いになるかもしれない。そう思うと、彼は震えた。

――これで死ぬようなら、そこまで、さ。得意分野で勝負して負けるようなら、そんな殺し屋は死んだほうがいい。

 震えを隠すように、笑って見せた。鎮が戻ってくる頃には、いつもと変わりがなくなっている。
「怪我は、していないね」
「ええ。……大丈夫です。頼りにしてくださいよ? これでも、俺、殺し屋なんですから」
「見習いの、ね。――期待してるよ」
 たとえ、最悪でも、この人だけは守って見せねばならない。半ば意地になるように、郁斗は思った。



 街の住人が被害を受ける前に、事件を解決させる。
 口で言うのは容易いが、現実に実行するとなると、難度が高い。郁斗は、それなりに経験もあるが、自分の未熟さはわきまえている。

――俺みたいなルーキーが、単独でハザードを解決できるのか? ……ヘタこいたら、死ぬのは自分だけじゃすまないんだぞ?

 彼の師匠が、この郁斗の内心を知ったなら、『自信を持て』と一喝したであろう。実際、力量は充分なのだ。ただ、精神的な脆さがある。この場では、自分が最上級の実力者で、己が皆を庇護しなくてはならない。
 その立場への重圧を、郁斗は明確に感じていたのだ。彼にとっては、鎮さえ、庇護の対象になる。なぜなら、彼は表の世界の住人だから。
 裏の世界に、片足でも突っ込んでいる、自分が前に立たねばならない。そう、郁斗は思う。
「とにかく、元凶を探して、早めに叩かないと」
 あまり、大量の敵は相手にしていられない。残弾はたっぷりあるが、この手の集団のボスは、やたらと生命力に溢れているのがお約束だ。全弾ぶち込んでも、倒せるとは限らない。
 このような不安がある以上、なるべく効率的に戦う必要があった。節約できる物ならしておきたいし、早めにボスとご対面できるなら、そうした方がいい。
「アテはあるのかい?」
 鎮が、ここで郁斗に問いただしてきた。先の言葉を聞いて、解決策があるものと思ったのだろう。
「……ええと、確か、この手のハザードは、大元の映画での悪役が引き起こしたケースが、大半を占めるんです。鎮さんなら、心当たりもあるでしょう? とにかく、その元凶のボスを倒せば、何とかなるんじゃないかな――と」
「ああ、そうか。定番だね」
 楽観的過ぎる、といえば確かにそうだ。どこにいるのかもわからなければ、戦って勝てる相手とも限らない。倒すには一定の手順が必要だったり、何かしらの道具がなければ、そもそも戦闘にならなかったり……。そうした厄介な設定は、いくらでも転がっているのだ。

――今回は、そうでない可能性に、掛けるしかない。不安要素を数えていても、落ち込むだけだ。

 さっさと割り切って、郁斗は動いた。なんにしても、まず足を動かさなければ始まらない。
「もともと、自分は頭が回る方じゃないんです。闇雲にでも動かないと、解決の糸口さえ掴めません」
「……それは、どうかな? まあ、とにかく動いてみるってことには、賛同するよ。思いついたこともあるし、僕も――確かめたいことがある」
 経験だけなら、郁斗よりも鎮の方が豊富だ。実際に戦闘になれば、柔軟に動けるのは彼のほうだろう。
 それがわかっているだけに、郁斗も彼の意見を無視できない。確認したいこととは、何なのか? 問いただそうとも思ったが、彼らの思惑とは関係無しに、事態は深刻さを増していく。
「――悲鳴だ!」
「あっちか!」
 この状況では、いつ、誰が襲われてもおかしくはない。屋外、屋内を問わず、魔物どもが獲物を求めて徘徊し出しているのだ。さらに、これは時間がたつごとに、悪化していく。
「良くない傾向だ」
 鎮は走りながら、そんな言葉を口にした。最悪、こうした助けの声に対応するばかりで、無駄に時を費やすパターンになる。これを防ぐためにも、どうしても『考え』の有効性を証明したかった。
「無差別っては、なんて厄介な……」
「逆に考えると、無差別だからこそ……利用できる部分もある」
「え?」
「かもしれない。……期待しないでよ? もしかしたら、外から助けが来るまで、ぶっ続けで働き続けることになるかも、しれないんだから」
 だとしても、頼みにできる何かがあるのならば、期待を抱きたくなるもの。
 郁斗は、鎮を羨望のまなざしで見つめた。この人は、自分とはやはり違うのだ。普通に暴力に頼るしかない自分とは違って、別の視点から物事を見れる。
 そんな人を、こんなくだらない騒ぎで失ってはならない。鎮は――自分が、守る。そう想いを新たにして、彼は目の前の事件を収拾すべく、三発目の銃弾を放つのだった。


 鎮は、ムービーファンとしては、驚くべき身体能力の持ち主である。少なくとも、同年代で比較すれば、かなり上位にまで食い込むだろう。
 護身術の心得もあり、特に体術に関しては、ムービースターと渡り合うことさえ可能である。この場にたどり着いてから、鎮は道具に頼ることなく、身につけた技のみで、戦い続けていた。
「ふッ」
 流れるような軌道で、狼男の爪をかわし、近接。牙を剥いて噛み付いてくるが、顎を掌底で打ち払って妨害。仰け反ったところで、連続して急所に拳を叩き込む。
「次ッ」
 軟体生物、まるでタコのような怪物が、鎮へ触手を伸ばしてきた。ヘタに手を出せば、四肢を絡め取られてしまう――が、彼は怯まなかった。
「郁斗君!」
「了解!」
 後方から、怪物に銃弾が打ち込まれる。脳髄に三発、ほとんど間隔をおかず放たれたそれは、正確に敵の命を刈り取った。
 郁斗は、一度も援護の機会を間違えなかった。止めが必要な時、鎮に隙ができた時、必ず彼は銃撃で応えた。鎮は郁斗を信頼し、それを疑わず。郁斗は完璧に仕事をこなした。
 触手はなおも蠢いていたが、命の宿らぬ動きは無軌道で、いずれそれも止まるだろう。鎮は容易くこれを突破。もう一体の狼男を側面から蹴倒し、地に叩きつける。
「ふぅ」
 これで、この場の敵は全て無力化した。悲鳴の元の女性を確かめてみると、意識こそ失っているものの、怪我を負った様子はない。
「無事で、良かった」
「そうですね、本当に」
 郁斗は、ようやく一息つけたようで、なおさらホッとした様子を見せた。
「郁斗君は、大丈夫?」
「平気ですよ。本当に、傷一つありません。……何度か、ヒヤッとしましたけどね」
 緊張からか、顔色がやや悪い。敵を倒した数は、鎮よりも郁斗の方が多いはずだった。残弾を気遣っているのだろうか? しかし、それならそれで、率直に口にするはずである。
「弾の残りは?」
「銀弾が25、通常弾が64ってところです。このペースで消費すると不安ですけど、何とか勘がつかめました。次からは、もう少し効率的にやれると思います」
「すると、あと4、5回は同じような規模の戦闘があっても、大丈夫だね」
 単純に、疲れているだけなのだろうか。鎮が覚えている限りでは、彼は失敗を犯してはいない。無理をしている……というわけでも、ないはずだ。郁斗の技量であれば、あれくらいは出来て当たり前の範疇に収まる。
 ならなにが問題であったのか……と思考を進めたが、これは当人からの呼びかけで、中断された。
「鎮さんこそ、どうしたんですか? ああ……何か、いい案があるんでしたっけ。それらしいこと、言ってましたよね?」
「うん? ――まあ、一応ね。でも、それを試すのはこれからだよ? 事前に言っておくけど、うまくいかなかったからって、がっかりしないように」
 気の回しすぎであったのか。郁斗は気負うでもなく、話しかけてくる。
 信頼が重圧になるなら、もっと楽をさせてやるべきでは――と。そんな風にも思ったが、これこそ失礼な考え方であるかもしれない。
「連中に、理性はない。だから、襲う相手も無差別になりがちだけど……」
「だけど?」
「その実、この手の魔物には、一定の判断基準があるものさ。本能に従う傾向が強いなら、なおさらね。……ある映画の受け売りだけど」
 鎮は懸念を心の隅に追いやって、まずは試したい事を実行に移す。
 以前に見た映画で、似たような状況に陥った主人公が、打った手だ。このハザードとは関係ない、別作品のことであろうし、適応する保証はまったくない。

――うまくいったら、もうけもの。その程度だけど、実際問題、これが無理なら、僕達だけでは対処しきれないだろうね。……悲しいことに。

 その時はその時で、長丁場を乗り切るしかない。希望や余裕がなくなれば、かえって覚悟も決めやすいだろう。そうも、思って。
「まずは、こいつを……と」
 地に伏せ、意識を落としていた狼男に近づく。確認してみると、やはり息はある。昏倒させたのは鎮だが、郁斗の銃創も見られた。流れ弾にでも当たったのだろうが、顎をかすめたり、足首を打ち抜かれた程度で、命にかかわるものではない。
 この狼男は、程度としては低い方らしく、再生の速度も遅かった。血は止まっているが、肉や骨を復元するまでには至っていない。
「よし、好都合だね」
 手に出血した血を付け、そっと瞼を持ち上げて、両方の目玉に落とす。
「――!」
「さ、隠れるよ」
「え? あ、はい」
 目の刺激によって目覚め、同時に激痛と違和感で狼男は咆哮をあげた。これを尻目に、二人は物陰に移動。その気配を消す。
「目に付いた血って、案外取れにくい物なんだ。……実際、長時間放置すると危ないって話もあるんだけど、今は相手を気遣う余裕はない。残念なことに」
「殺さないだけ、慈悲深いと思いますよ、自分は」
「ん――ありがとう。でもね、そうして利用しないと手を打てないのも、現実なんだ。目をそらしても……いられない。ほら、周りが良く見えず、ふらついてるだろう?」
 観察してみると、確かに動きがぎこちない。
 しかし、流石は狼男といったところか。嗅覚は優れているらしく、こちらの残り香を嗅ぎ取って、必死にここから離れようとしている。
「彼、どこに行くと思う?」
「逃げているだけだと思いますけど……行くあてなんて、どこにもないでしょうし」
「かもね。……でも、彼はこのハザードによって、生み出された。いわば、赤子みたいな存在だといっていい」
「赤子? 連中には似合わない言葉ですね」
「表現が合っているとは限らないけど、とにかく似たような物だと思う。そんな連中が、もしもの時に、最後にすがれるものがあるとしたら……それは、自分を生み出した、『母』のような存在、あるいは場所――しかないんじゃないかな?」
 郁斗には、理解しがたい概念ではある。彼は、人を頼るし、師事することもできるが、一方的にすがりつくことはしない。
 恥を、知っているからだ。しかし、鎮の言葉をそのまま受け取るなら、相手は赤ん坊。これに恥の概念を求めるのは、間違っていよう。
「血で目が塞がれているから、僕らとの距離感がつかめていない。このまま後を付けていけば、目的の場所まで案内してくれるよ。……きっとね」
 郁斗が釈然としない表情を浮かべても、現実は変わらずに進行する。狼男は、動き出していた。これを利用できるなら、それにこしたことはなかった。
「自信が、ありませんか?」
「あまり。……本当に、ただの映画の受け売りだからね。主人公の行動を、ほとんどなぞっただけさ。これでダメなら、残念だけど助けがくるまで粘るしかない」
 鎮や郁斗は、探偵などではない。よって、捜索は不慣れだ。無駄に時間を費やして、被害を拡大させる結果になりかねない。それなら、明け方まで人助けに奔走する方が、よほどマシだろう。ハザードが起こった以上、確実に対策課は動くのだから。
「気楽に行きましょう。あんまり気にしすぎても、なるようにしかなりません」
「ああ――まったくだね。情けない事を、言ってしまったかな」
「いえ、不安になるのは、当然だと思います」
 余裕は、あまりない。もし、追跡している間にでも、助けを求める声が響いたら……その時は、郁斗が出張らねばならぬ。迅速に敵を片付けられるのは、火器を持った彼だけなのだから。
 ……その場合、改めて合流する手だけを考えねばならなかったろうが、幸運なことに、面倒な事態は起こらなかった。
 何より、鎮の取った方法が、予想以上の成果をあげたことも、大きかった所であろう。



 鎮は、自分のとった行動の結果に、いささか都合の良すぎるものを感じていた。
「……本当に、どうにかなってしまうものだね」
「ムービーファンが、常人と比べて特別に幸運……って話は、聞きません。するとこれは、鎮さんがすごい強運だってことの証明に、なりそうですね」
 鎮がたまたま見た映画を参考にして、それが見事に当たる。この現状を表現するとしたら、強運という陳腐な言葉しか、ないように思われた。
 狼男を追っていくと、彼らは一つの建物に行き当たった。古い西洋の建築様式、印象としては、何かを祭る神殿といったところだろうか。
 このような代物が、銀幕市に立てられたという話は聞かない。状況からいって、ハザードの産物と見るのが妥当であった。
「あいつ、中に入っていきますね。……追います?」
「いや、待って。……どうやら、また怪物たちが生まれ出てきたみたいだね。ほら、いろんな種類の化物が、あそこから出てきている」
 狼男と入れ替わるように、連中は外に飛び出してきていた。吸血鬼もいれば、先ほど倒したような、軟体動物の亜種もいる。
「あれは、大きな犬……いや、鵺(ヌエ)かな? 顔は普通の犬か、狼みたいだけど、尻尾が蛇になってるね」
「猛獣ですか」
「むしろ、妖怪かな。外見が妙に、西洋的ではあるけれど。――合成獣(キメラ)を生み出すような存在が、ここにはいる。手に負えるといいんだけど」
「やるしか、ないですよ。見逃したら、どこでなにをしてくれるか、わかったものじゃない。せめて、目に見える範囲だけでも、駆逐しておかないと――」
 郁斗は、銃を構えた。
 鎮は制止しようかとも思ったが、やめた。……これほど、立派な神殿があるのだ。敵の首魁が中にいるとしても、逃げるような手は打たないだろう。
 古来より、黒幕の豪勢な邸宅は、挑戦者を待ち構える為にあるものだ。刺激されて表に出てきてくれるとしたら、それはそれで手間が省けよう。
「じゃあ、行こうか」
「はい!」
 二人は、物陰から飛び出して、怪物の集団へと先制攻撃を仕掛けた。
 集団が混乱すれば、人数が多ければ多いほど、収拾がつかなくなっていく。これを利用しない手はなく、鎮と郁斗は、勢いに乗ったまま、怪物どもを平らげていくのであった――。



 異様な敵であったが、どさくさに紛れて討てた部分が大きかった。さほど大きな負傷も追わずに、彼らは見事、生まれたばかりの魔物を叩き伏せたのである。
「これで――」
 鵺の横っ面をはたくように、蹴撃。鎮はそこから胴体をさらに蹴り上げ、地面に転がせる。
「最後!」
 とどめは郁斗が、脳天に鉛玉を打ち込むことで、完遂。とりあえず、一時の平穏は、これで保たれるだろう。
 ただし、元凶を断たない限り、いくらでも現われてくるに違いない。これから神殿内に入り、連中を生み出した元を、断たねばならない。
「……疲れてる? 少し、休もうか?」
「いえ、行けます」
「そう。僕は、結構厳しいな。できるなら、休憩したいところだけれど……」
 無駄に時間を費やすのも、よろしくない。早々に終わらせるのが最善である以上、急ぎたくなる気持ちも強い。
 しかし、体が気持ちについてこれるかどうかは、別問題だった。鎮は疲労で、動きが鈍くなってきている。ここらでしばらく、休息をとりたいところだった。
「だったら、自分が先行します。鎮さんは、休んでてください。――ああ、無茶はしませんよ。偵察するだけですから。中にトラップでもあったら、ことですし」
「解除できるの?」
「知識にあるものなら。流石に、呪術とか魔術とかは、専門外ですからどうにもなりませんけど」
 すると、オカルト的なトラップが仕掛けられていたら、無力なのではないか? とも鎮は思ったが。

――あれ? この展開。もしかして……。

 これはまた、映画の知識が役立つかもしれない。郁斗はすぐにでも内部に立ち入ろうとしたが、彼はこれを止めて、一つ提案した。
「もし、中に解除できそうなトラップがあったら、あえてそのままにしておいてくれないかい?」
「なぜです。危険じゃあないですか?」
「ものは考えよう、だよ。こちらの都合のいいように、利用できるかもしれない。幸い、僕にもトラップの知識はあることだし、ね」
 鎮の記憶が正しければ、中には落とし穴や、槍が飛び出す仕掛けなど、原始的な罠が相応に残っているはずだ。逆に魔術的な代物は、ほとんどないだろう。
 もし、自分が見た映画が、このハザードと近しい物なら、この予測は当たるはず。活用できる物は、最大限活用したい。
 今はまだ、大きな怪我もないし、精神的な疲労も許容範囲内だが――。ボスとの戦闘を前に、消耗はなるべく抑えたいという打算もあった。

――敵は、手強い。相手は、一度に大量の魔物を生み出してくる。この地形だと不意は付きにくいだろうし、場合によっては、囲まれる場合も想定しなければならない。

 重傷を負えば、今の装備では、応急の手当てさえ難しい。リスクは、なるべく避けるべきだろう。もし、ボスとの戦闘にもトラップが有効に働きそうなら、おびき寄せることも念頭に入れていい。
 この際、戦術の幅は大きければ大きいほど良かった。だから、郁斗の偵察には、多いに期待したい。
「じゃあ、お願い」
「了解しました」
 郁斗は、神殿の内部へと向かった。彼の後姿を頼もしく思ったのは、間違いなく、鎮の勘違いなどではなかった。

――八雲。君の弟子は、順調に育っているよ。……師匠としても、うかうかしていられないんじゃない?

 彼もまた、戦いの中で成長している。その感触は、鎮にとって、ひどく心地よく感じられた。




 郁斗の持ち帰った情報は、充分考慮に値した。
「使えるね」
「自分は、トラップについては基本を習っただけですけれど……お手伝い、できると思います」
 ありがたい申し出だったが、郁斗にはもっと適した仕事がある。
 とにかく何でも、自分にできることをしようとする姿勢は、微笑ましい。だが、その為に今やらねばならぬことを見落とすのは、いかにも彼らしい失敗だった。
「うーん。郁斗君は、警戒に集中してほしいかな。トラップに細工するのは、非常にデリケートな作業なんだ。外からの刺激は、厳禁。だから、僕が手を動かしているうちは、周囲に意識を割いていてくれる?」
「あ……はい、わかりました。そうですね。確かに、それは自分にしかできない仕事です」
 郁斗も事の重要性に気付いたのか、己の認識の甘さを痛感している様子だった。
 これなら、何も心配は要らないだろう。安心して、郁斗に背中を任せられる。

――いい具合に、緊張も解けている。慣れたのかな? ……適応力の速さは、素直に褒めてもいい部分だろうね。終わったら、八雲にも、この弟子の働き振りを教えてあげないと。

 これまでも、信頼していなかったわけではない。ただ、今の郁斗には、以前以上に、自負心が強く現われているようにみえる。
「それから、ボスらしき魔物の姿も、確認してきました。居座っている部屋を特定しましたので、そこまではスムーズにいけると思います」
「お手柄、だね。……詳しく聞かせてもらうよ? もしかしたら、その部屋の位置取りも、利用できるかもしれないから」
「はい!」
 成すべきことを、成す。無意識のうちに、行動から迷いが消え、動きが機敏になっていた。失敗への不安より、成功への確信が勝り、謙虚さが自信に変わる。その過程に、彼はいるのだろう。戦士として一皮向けた姿が、そこにはあった。

 そして、二人は神殿に侵入する。郁斗にとっては二度目、地形も把握し、構造まで暗記している状態。迷うことなく、トラップまで鎮を案内した。
「ここは……場所的にも、怪物たちが通る通路のはずだけれど」
 郁斗からの情報では、罠が設置されている通路と、ボスの部屋は一方通行になっている。ここを通らずに、外には抜けられないのだが、作動した様子はない。
「人間にしか作動しない、何らかの仕掛けがあるのかもしれません。ざっと見た限りでは、その仕掛けが何なのか、わかりませんでしたが」
「――いや、大丈夫。これなら、なんとかなるよ」
 事情は理解した。おそらく、郁斗の見立ては正しい。鎮は、自身の能力を総動員して、トラップに向かう。

――ムービーも、良く見ておくものだね。あの知識が、ここで役に立つ。……確か、ここをこうして。

 もとより、鎮はトラップを扱う方面に関し、才覚を持っていた。それが、ムビースターとの付き合いと、ハザードを解決してきた経験で、さらに磨きがかかっている。ここでは映画の知識まで用いて、作業をしていた。
 古典的な罠の一つや二つ、たやすく改変できるだけの技量を、彼は持っている。郁斗どころか、師の八雲すら、ここまでのことはできまい。
「凄い……と、いけないいけない」
 郁斗は、改めて、鎮を尊敬する想いだった。が、手並みの見事さに、見惚れているばかりではいけない。
 周囲の警戒に、彼は集中した。鎮の細工が終わるまで、敵が寄り付かぬようにしなければならない。必要なら、敵の意識を自分に向けるよう、工作もしなくてはいけないのだ。

――銃弾の残りは……銀が14、通常が46。そろそろ、格闘も視野に入れないと、厳しいか?

 もっとも良いのは、戦闘自体を避けること。……しかし、ただ見逃すだけでは、敵を野放しにしてしまうだけ。
 鎮の技術を頼れるのは、その意味でも非常に大きかった。残る銃弾は、全てボスに打ち込みたい。そんな展開を、郁斗は望んでいたのだから。




 トラップの細工には、やはり相応の時間がかかった。それまで敵に動きがなく、余計な消耗を避けられたことは、幸いといってよいだろう。
「いや、本当はもっと早く終わらせられたんだけど……色々、追加してたからね」
「追加ってなんすか!?」
「秘密。作動した時の、お楽しみ、だよ」
 鎮がいじっていたのは、想像が容易な、単純な落とし穴と、壁から飛び出す槍仕掛け。
 神殿のつくりの割には、変に小奇麗な、年代を感じさせない代物だったが……それが今、どのように変わったというのだろう。
「それより、これからどうするか、だよ。敵はまだ大人しいけど、今のうちだけだろうね。本格的に行動に出られる前に、こちらにおびき寄せて殲滅できないかな?」
 口調は軽いが、内容は恐ろしい。
 しかし郁斗もこの手の物騒な言葉に耐性があるのか、軽く流して己の意見を述べる。
「相手の出方次第、かと。たとえば、銃弾を急所に打ち込んで、怒って追ってくるようなら……可能なんじゃないでしょうか? 連中は、この罠が無差別設定になっているのを、まだ把握していないでしょうし」
「するとやはり、まずは僕らの方から仕掛けなくてはならない、か」
 罠に手を入れている以上、どうすれば避けられるかも、鎮にはわかっている。
 うまく敵を追わせて、すんでのところで罠を潜り抜け、敵をはめる。……考えてみれば、できないことではない。
「行こう。これを役立たせるのは、相手を釣ったあとだ」
「了解」
「気をつけてね? 僕の指示通りに動かないと、罠が勝手に作動してしまう。……怪物にだけ有効、とか。そこまで器用なことは、僕にはできなかったから」
「手を入れられただけでも、充分器用ですよ。――詳細を理解し、命令を承認しました。指示に従います、鎮殿」
 郁斗がおどけて、答える。そんな余裕があるなら、きっと大丈夫だと、鎮は思った。

――問題のボスの顔、拝ませてもらおうかな。

 郁斗は拝見しているが、鎮は確認していない。話では、まさしく魔物の『母』と呼ぶに相応しい体型と、容貌だったらしいが。
「なるほど、確かに相応しい。……まるで、エキドナだね」
 鎮は、ギリシャ神話の怪物たちの母を連想した。元となるイメージは、おそらくそれだったのだろう。
 下半身は、大蛇そのもの。そして上半身から上は人間の女性。顔立ちは、整っているのだが……目が、人のものではない。白目が広く、黒目の部分が赤い。常に見開かれていて、瞬き一つしなかった。眼孔も、下半身の印象からか、爬虫類を思わせる。感情のない、冷たいものに感じられた。
「先制は、君に任せる。僕が前に出て、あれを挑発しよう」
「わかりました。脳天に、打ち込んでやりますよ。……それで倒れてくれれば、面倒もないんですけどね」
 軽口を叩きながらも、郁斗は照準を定めた。
 鎮が、体勢を整える。そして……一発の銃声と共に、弾かれるように彼は突貫した。
「ギィヤァァァ――」
 銀弾で、側頭部に小さな穴が開く。一旦のけぞった後――ばねのように、上体を起こす。そして鬼のような形相で、撃たれた方向を睨み付けると、そこには鎮がいた。
 笑顔を浮かべて、腕を前に。指をくいくい、と動かして、手招きしている。
「ギギギ」
 人の言葉さえ喋れないのか、ただ唸るように息を吐き、歯ぎしりする。これはまた、随分と獣らしい魔物だと、鎮は評価した。
「鬼さん、こちら」
 母たる魔物が、前傾姿勢をとった瞬間。鎮は後方へと駆け出した。
「シャァァッ!」
 足もないのに、恐ろしい速度で、滑るように移動してくる。母たる魔物は、そうして駆ける鎮を追った。
 蛇がうねって進むように、体を揺らしながら、彼女は進んでくる。罠の場所まで、もう少し。

――郁斗君は、無事に通り抜けたみたいだね。後は、僕か。

 手前で、一気に跳躍する……が、鎮は地を蹴った瞬間に、足を何かに掴まれる。
「何が」
「ヒャァァァッ!」
 魔物は、いまだに後方にいた。ただ、腕だけが異様に伸び、鎮の足を捉えていたのだ。
 彼も、相手の腕が伸縮自在とは思いもよらず、この事態に戦慄した。このままでは、あの魔物の前に引き出され、嬲り殺される。
「鎮さん、今援護します!」
 相手の腕に、風穴が三つ開いた。貫通した銃弾が、壁に穴を作る。
「ギィィ……」
「くッ」
 この一瞬、握力が弱まった。これを逃さず、鎮は手を打ち払うと、改めて跳躍。罠を乗り越えた。
「痛みますか?」
「まだ、少しね。……これは、あざになるかもしれない」
 足の、掴まれていた部分が、ひどく変色していた。万力のような力で締められた為、手が離れた今も嫌に痛む。
 機動力は、どうしても削がれてしまうだろう。影響はほんの僅かな物に過ぎないが、もし長期戦になるようなら、厳しい展開になるかもしれない。
「けど、これで」
「うん。……来たね」
 母たる魔物は、無造作に罠に突っ込んだ。当然、それは作動し、彼女の動きを束縛する。
「ギギ……?」
 はじめは、理解できなかったのだろう。
 壁から突き出た槍が、体に食い込んでいる。外そうとしても、槍の先が『返し』になっていて、うまく外れてくれない。
「ギャ、ギ、ググ……」
「いまだ、郁斗君!」
 鎮の指示通りに、郁斗は銃弾を魔物に打ち込んだ。まずは銀弾6発、装填しなおして、続けて通常弾を15発。
 血を流し、肉を削られ、骨ごと貫通する。拳銃がまともに通じる相手であった事を、まずは映画の設定に感謝すべきであったろう。
「ビャァァァ――」
 そして、片目が追加の鉛玉によって、打ち抜かれる。これで視界は半減、かなり優勢に持ち込んでいる。
 だが激痛に身をよじらせた結果か、突き刺さり、動きを止めていた槍が抜ける。ここで復讐だといわんばかりに、母たる魔物は二人に向かって飛び掛った。
「そこに撃って」
「え、あ、はい」
 鎮が指差した柱に、郁斗が銃を放つ。いくらかのタイムラグがあったが、それも計算に入れていたのか、丁度良い具合に――。
「ヒィィィ――ッ!」
 柱が、崩れた。そして、魔物に向かって崩れ落ち――。
「うぇー、えげつないっすね」
 下敷きになると同時に、落とし穴が作動して、底なしの地下へと落ちていった。

「――ッ!」

 何か、遠くで肉が刺さるような音と、かすかな悲鳴が聞こえた気がした。
 それが断末魔であると、郁斗は理解し――異変の収束を、確信したのである。が。
「さあ、ここからが本番だね」
「今ので、死んだんじゃあないんですか?」
「多分。でも、死んだら死んだで、まだ問題があって……ね」
 それは何なのか……と聞こうと思ったところで、近くで何かが割れる音がした。まるで、卵が割れるような、音。
「あれ、今の」
「さあ、団体さんの到着だ。歓迎してあげよう」
 雛が卵から孵る音があるとすれば、あんな物なのだろう。鎮は、ボスの部屋に立ち入った時、背後に多くの卵を視界に納めていた。郁斗はきっと、射撃に集中するあまり、見落としていたのだろうが……。
「マジっすか」
「目の前の事実を否定しても、何にもならないだろう? 骨が折れる……というか、この調子だと、本当にそうなりかねないね」
 こうして、再び魔物の大群を目の前にすれば、否定などできるものではない。
 残りはないこともないが、最後に景気良く撃ってしまったから、弾は残り少なかった。こちらにゆっくりと近づいてくる集団を見るに、撃ちつくしてなお余りある数だ。

――あー、死んだかな、俺。

 悲観しそうになったところで、鎮がすかさずフォローを入れる。
「心配しなくていいよ。まだトラップの作りおきはあるから」
「まだあるんすか!? っていうか、俺ここにある分しか見てないんですけど!」
「探っているうちに、色々見つけちゃって、つい興に乗ってね。……最後まで、付き合ってあげるから。ちょっとは巻き込まれるかもしれないけど、必要経費と思って、頑張ろうよ」
「巻き込まれるって、そんな過激なやつを!?」
「紳士のたしなみだよ。こんなこともあろうかと、ってね。実際、役立つんだから、大目に見てくれないかな?」
「――ええと、あの短い期間で、そこまでやれたんですか。すごいなー、あこがれちゃうなー。……ハハ」
 元はといえば、こんな災難に巻き込まれたこと事態が、不運だったのだと。郁斗はそう考えて、諦めることにした。
 この時点で、彼は軽症で済ませるどころか、重傷を負う覚悟をした。鎮は本心は同じだったろうが、さて、精神的に追い詰められていたのは、どちらであったか。
 全てが終わった後、傷の痛みにうんざりしながら病院に向かったのが、郁斗。
 買い物袋を提げて、上機嫌で家に帰ったのが、鎮。この差を見れば、それは明らかであった――。



 事件が収拾した後、鎮は自分が今回参考にした映画について、レンタルショップで調べてみた。
 すると、ハザードの元となった映画と、脚本家が同じだった。どうも、同じネタを使いまわしていたらしい。
「……役立ってくれたことだし、これからは、贔屓にしてもいいかな」
「結局、それに救われた部分も大きいですしね。――あ、これ面白そうだ」
 郁斗は、その脚本家の作品を一つ取り上げて、レジへ向かう。それを鎮は、苦笑しながら見つめていた。
「物凄く、癖の強い脚本だと思ったものだけどね。……好みに合えばいいんだけど」
 今こうして、和やかに生活を共にできている。それを実感するたびに、鎮は幸せな気持ちになれる。

――願わくば、この時間が、少しでも長く続きますように……。

 銀幕市は、非常に不安定な街だ。ムービースターたちと、いつまで一緒にいられるのだろう。
 この賑やかさがなくなるときを、彼はどうしても想像できない。彼らが消えてしまうことなど、信じたくもなかった。
 ……それでも、いずれは別れが来る。普通の人付き合いであっても、人が不死でいられぬ以上、関係が消え去る時は、必ず訪れるのだ。
「借りちゃいました。鎮さんが見たのは、この映画でしたっけ」
「いや……良く見ると、違うね。後で一緒に見よう」
「はい。皆も興味があったら、見ると思います。――でも、師匠が家で映画を見る場合、大抵酒を持ち出してくるんですよね。つまみは残っていたかな……」
「帰りに買えばいいさ。でも、未成年は飲酒禁止だよ」
「もちろん。そこまで、見習うつもりはありませんから」
 だが、わかっていながら、鎮は目をそらした。今、こんなに楽しいのに。なくなる時のことばかり考えて、気分を台無しにすることはないのだと。
 そう、思って……。

クリエイターコメント このたびは、リクエストを頂き、ありがとうございました。
 文章や設定などで、何か問題がありましたら、お気軽にご相談ください。

公開日時2009-01-28(水) 22:50
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