★ 雨が魅せた花 ★
クリエイターあさみ六華(wtbv7387)
管理番号574-3123 オファー日2008-05-12(月) 17:11
オファーPC 相沢 ともえ(cudp9038) ムービースター 女 17歳 高校生
<ノベル>

 いつだって横を向けばみんながいて、何気ないことで笑って、泣いていた。
 傍にいるのが当たり前だと思っていた。
 ずっとずっと、一緒にいられると思っていた。
 手を伸ばせば、触れられる距離に幸せはあった。

 けれどもそれは、不確かで儚過ぎて、しっかりと握っていたはずなのに、いつの間にか指の間から滑り落ちていたのだ。

 ――みんながいないと寂しいな。早く来てよ、みんな。


 その日は朝から細々とした春雨が降っていた。
 ぴちゃん、ぴちょん、と雨水が窓に当たる微かな音で、相沢 ともえ (あいざわ・――)は目を覚ます。
 まず真っ先に、枕元に置かれた目覚まし時計へ目をやるのは、日頃の癖だ。
 ぼーっとした意識のまま、焦点が定まるまでほんの5秒。だが、長針と短針が指し示す数字を見た途端、一気に眠気が吹っ飛んだのである。
 無常にも、時計は午前10時40分を回っている。大遅刻だ。
(「もう、どうして起こしてくれなかったの!?」)
 目覚まし時計へ八つ当たりしつつ、ばたばたと忙しく室内を動き回るともえであったが、突然、はっと我に返る。
 そうだ。今日は休日。実体化後の慌しい時期を越えた、ごく普通の休日。
 昨夜は、最近ファンになった著者の新刊でちょっぴり夜更かしをして、それから明日――つまりは、今日ということになるが――の予定も特にないため、目覚まし時計をセットせずに床に就いたのである。
 読みっ放しだった文庫本が、ベッドから飛び起きた拍子に床に落ちたのだろう。挟んでおいた栞が、虚しくもあらぬ方向まで飛ばされていた。
 ともえは軽い溜息を1つついてから、それらを拾い上げて本棚に戻す。
 身支度を手早く整えると、遅めの朝食の支度に取り掛かった。
 今朝のメニューは、食パンと目玉焼き、生野菜のサラダに牛乳といったスタンダードなもの。軽くトーストしたパンを齧りながら、ともえはふと、過去の記憶に想いを馳せていた。
 もしも、この食卓を母が見たならば、何と言うだろう。
 「食事の基本はね、一汁三菜よ。朝食こそ、1日の始まりの糧となるんだから、しっかり食べなきゃ。ちょっと、ともえ! 聞いているの?」こんな調子だろうか。想像しただけで、笑ってしまう。
(「でもね、お母さん。これだって随分進歩したんだよ」)
 事実、料理等はあまり得意ではなかったが、銀幕市に来てからは頑張ってやっている。緩やかに腕が上達していることを、誰よりもともえ自身が感じていた。
 もっとも、正確には『上達せざるを得なかった』のだ。
 家族はおろか、誰一人としてともえを知り、また彼女が知る者は、ここにはいないのだから。
 あの3人すらも――。
 口元の笑みは直ぐに引っ込んでしまい、代わりに瞼がじんわりと熱くなった。けれども、ともえは思い直したようにかぶりを振る。
 駄目だ。泣くのは、まだ早い。
 どうせ泣くなら、悲しい涙よりも、嬉し涙が良い。だから、涙は皆に再会出来た時までとっておくのだ。
(「大丈夫、……うん、大丈夫」)
 庇から伝う雨垂れの音で火照った心を落ち着けると、ともえは生野菜に手を伸ばした。
 朝食の片付けを終えてしまえば、途端にやることがなくなった。かといって、このまま何もしないで1日が無駄に終わって行くのも惜しい。
 さて、どうしたものかと幾許も考えることなく、ともえは妙案を導き出した。
 丁度、昨日はアルバイト先の給料日。ならば、少しくらい贅沢をしても罰は当たるまい。
 そうと決まれば、善は急げである。
 クローゼットから適当な衣装を引っ張り出すと、姿見の前に立った。流石、ブランドショップに勤めているだけあって、コーディネートのセンスが冴え渡る。
 カラーデニムのショートパンツに、お気に入りのTシャツ。あとはこの前買ったばかりのニットカーデを合わせれば、出来上がりだ。
 かくして、ともえは買い物と洒落込むべく、街へ繰り出すことと相成った。

 灰色の空は、少し肌寒い陽気を齎していたが、不思議と鬱陶しいと感じることはなかった。寧ろ、雨が世界をやんわりと包み込んでくれている……そんな錯覚すら覚えるのだ。
 水玉柄の傘に雨が跳ね返る度、ともえの心もまた弾んだ。
 手始めに立ち寄ったのは、雑貨の店であった。といっても、何となくふらりと足が向いたわけではない。ともえには、れっきとした目的があったのである。
 リング、ピアス、ポストカード、アロマポット……どれもこれもが良心的な価格なのだが、買い求めずとも、ただ見ているだけで飽きない品々にともえは瞳を輝かせる。
 そんな中、彼女の目に留まったのは、小さな四葉のクローバーを模った縮緬細工のストラップであった。
「あ、可愛い」
 思わず呟き、手に取ってみる。クローバーに括り付けられている金色の鈴が揺れ、澄んだ音を響かせた。
 すっかりとストラップが気に入ったともえは、その時、背後から近付いてくる人影にすら気付いていなかった。
「何かお探しですか?」
 突然声を掛けられて、びくりと肩を震わせるともえ。振り返れば、女性店員が派手なメイクを施した顔にバリバリの営業スマイルを張り付けていた。
「ええと、友達への贈り物を……」
 語尾を濁すともえであったが、店員は彼女の手中にあったストラップを目敏く見つけた。
「それ、入荷したばかりなんですけれど、あっという間に売れてしまったんですよ。在庫はそこに出ているだけですから、今を逃すと手に入らないかもしれませんね」
 店員に言われるがまま、ストラップの数を確認してみると、残りは4つ。まるで誰かに仕組まれたかのような絶妙な数字ではないか。
「あの……これ、全部下さい!」
 ともえは一も二もなく購入していたのである。
 後程、よくよく考えてみれば、全ては女性店員の商売における戦略なのかもしれない。だがしかし、それでも良いと、ともえは思う。皆と同じ物が持てるのならば、何だって。
 1つは自分用に、残りの3つは友達へのプレゼントにと、ラッピングを施してもらうと、ともえの胸はそれだけで幸せが満たされて行くのであった。

 その後、服のショップを軽く眺めて楽しむと、いつの間にか聖林通りの外れまで来ていたことに気付く。
 傘越しに未だ止まぬ雨を仰ぎ見、それから前方へと視線を移すと、喫茶店が目に入った。まるで、丁度足を休めたいと思っていたともえの心情を見抜き、そこに現れたかのようである。
 木製の吊り看板に『マローブルー』と水色のペンキで書かれたその店は、注意深く歩いていなければ、通り過ぎてしまいそうな程にこじんまりとしたものであったが、古惚けたレンガの壁に絡みつたアイビーの、何とお洒落なことか。
 取っ手を引くと、ドアに縛り付けられた軽快なベルの音と共に、マスターが出迎えた。まだ20代の青年のようであるが、あの雑貨屋店員とはまるで違う、温かみのある落ち着いた笑顔に、ともえもまた、表情を和らげる。
 朧の照明に目が慣れて来ると、カウンター席ばかりの店内は10人も入れば一杯になるような狭さであった。知る人ぞ知る穴場といったところだろうか。アットホームという言葉が良く似合う雰囲気ではある。
 休日の昼下がりにも関わらず、客はともえの他には誰もいない。一番奥の席に腰を落ち着ける。
 手元のメニューにざっと目を通し、『ケーキセット』を注文すると、ともえは先程購入したストラップを紙袋から取り出した。何度見ても可愛らしいデザインに、またしても口元が綻ぶ。
 素直に喜んでもらえるだろうか? それとも、少女趣味とからかわれる?
 友の顔を思い浮かべながら、自分用のストラップを早速携帯電話に結ぶ。たったそれだけのことで、ともえは3人が傍にいてくれているような気がするのだ。
 元々、人への依存が強いともえであったが、3人に対しては格別だった。だから、彼等のいない世界に突如、実体化という形で放り出された時は、随分と戸惑ったものである。
 銀幕市というこの街の特性を理解してからは、新しい生活を楽しんでいる。感情をストレートに顔に出そうと、自ら心掛け、また良く笑うように意識しているのだ。
 けれど、けれども――日常の何気ない小さな幸せを、皆と分かち合いたいと願う気持ちは変わらなかった。
 美しいものを見た時、一緒に感動してくれた仲間。
 辛い出来事があれば、親身になって心配してくれた友達。
 ふとした拍子に思い出されるのは、いつだって3人の顔だ。
 心の中にぽっかりと開いたままの穴が満たされる日が来るとすれば、それは彼等との再会以外にないだろう。少なくとも、ともえはそう信じていた。

「お待たせ致しました。ザッハトルテとハーブティでございます」
 程なくしてケーキセットが運ばれてくる。
 ザッハトルテの上品な宝石が如く艶かしいコーティングよりも、まずともえの目を奪ったのが、鮮やかな青色のハーブティであった。
 物言わず、カップの中をじっと見詰める彼女の姿に、マスターは
「こちらの店名にもなっておりますマローブルー、和名ではウスベニアオイと申します。とても綺麗な色でしょう。お客様へお出ししましたお茶は、初めての方でも飲み易いようにと、当店にてブレンドさせていただいたものでございます」
 本来、マローブルーは喉を労わるハーブとして知られているのだが、そのあまりの美しい色合いに魅入られたマスターが、愛飲のみに留まらず、こうして店内で提供しているというのである。
 さて、その味は如何様なものか。恐る恐るカップに口を付けてみれば、ふわりと芳しい花の香りが広がる。これがまた、ザッハトルテの滑らかで濃厚な甘さに良く合うのだ。
 ケーキセットに舌鼓を打ちながら、日々の張り詰めていたものが、徐々に解れていくようであった。こういうのを、至福の極みとでもいうのだろうか、などとぼんやり考えていると、
「おや、クローバーですか」
 机上に置きっ放しの携帯に目を留めたマスターが、興味深げに紡いだ。
「四葉のクローバーは、昔から幸福の象徴とされていますが、葉の各々に意味があるのだといいます。また、4枚揃うと『真実の愛』を表すのだとか」
 真実の愛!?
 マスターの言に、ともえは目を丸くする。何の気なしに選んだ友人達への贈り物が、よりによってそのような意味を指すものであったなどと、誰が想像したであろうか。
 今の今まで、風船みたいに膨らんでいた気持ちは、すっかりと萎んでしまった。
 というのも、ともえは、映画『失恋クラブ』から実体化したムービースターである。作中では仲の良い4人の少年少女が、その友情を壊してしまうのを恐れて、中学から高校へ進学する際にある約束をしたのだ。それは、『絶対に恋愛をしない』こと。
 勿論、ともえとて、年頃の女性である。恋愛を全身で力一杯拒否しているわけではないし、恋愛自体が悪いことであるとも思わない。
 だが、その中心に自らの身を置くとなると、これまた話は別物だ。友人達との繋がりこそが全てである彼女にとって、真実の愛を求めることなどは、彼等への酷い裏切り行為にしか見えないのである。
「恋愛は、しないんです……。みんなと、約束したから」
 ぽつりぽつりと言葉を口にしながら、反面では身の上話を初対面の人間に話し聞かせている自分に驚いてもいた。普段の彼女ならば、まず滅多にそのようなことはしない。もしかすると、あのハーブティには不思議な力があるのだろうか。素直になれる魔法の力が。
 項垂れるともえに、マスターの声音は変わらず暖かい。
「『愛』とはいっても、何も男女間の恋愛に限ったことではないと、私は思います。親子の愛、兄弟の愛、友の愛……ああ、友達同士なら『友情』とも言いますがね」
 くすりと悪戯っぽく笑い、続ける。
「ですから、こう考えてみては如何でしょう。そのクローバーは貴女と大切な方との絆を結ぶお守りである、と」
 ともえがゆっくりと顔を上げると、そこには頬をほんのり紅く染めながら、照れたように笑う青年マスターがいた。
「ふふ、ちょっとキザでしたか」
 決してともえの心中に土足で踏み込むことはせず、それでいてやんわりと諭す様は彼の人の良さが滲み出ている。
「いいえ。それ、とっても素敵な考えだと思います」
 無意識にほっと安堵の息をついたのは、友との約束に背いてはいないと誰かに認めてもらえたからか。
 と、同時に緩む涙腺。
 零れそうになる涙を誤魔化すように、ともえは残りのハーブティを飲み干した。

「すっかりご馳走になってしまって」
 ぺこりと頭を下げるともえに、マスターもまた、柔らかな物腰で一礼する。
「いえいえ。私こそ、愛らしいお嬢さんとお話出来て、今日という日を有意義に過ごせました」
 あの後、ハーブティが気に入ったともえは、『マローブルー』にて心安らかな一時を過ごした。
 だからといって、旧知の間柄のようにマスターとのおしゃべりが弾んだわけではない。寧ろ交わす言葉は少なく、時に無言であっても、優しい日溜りで溢れているようなこの空間にいるのが、ただただ心地良かったのである。
 それは、日々の喧騒から遠く離れたのどかな場所で、何も考えずに日向ぼっこしている感覚に似ているだろうか。
 そんなわけで、気付けば雨は上がり、雲の切れ間から茜に染まり掛けた空が顔を覗かせていた。
「また、来ますね」
「是非。いつでもお待ちしておりますよ」
 店の外まで見送るマスターに、再び会釈すると、ともえはくるりと踵を返して歩を進める。
 夜の帳が下りる前には夕食の買い物を追え、帰路に着きたいものである。が、あの店の余韻をいつまでも味わっていたいがためか、一向に歩く速度は上がらなかった。
 雨上がりの澄んだ空気を吸い込み、天を仰ぐと大きな虹が架かっていた。降り続いた雨が、空に咲き誇る大輪の花へと変化したのだ。あまりの見事さに、ともえは目を細めた。
 こんな風に、自らの心にも虹が架かる日が来るだろうか。
 足を止めて、天空の花を暫し見詰めるも、もう一度、深呼吸すると、憂いを吹き飛ばす程の最高の笑みを空へと贈った。

 きっと、会える。
 みんなと抱き合える日が、きっと来る。
 そう、信じている。

 スーパーまるぎんへ向かう彼女の足取りは、頗る軽やかなものであった。


End.

クリエイターコメント この度はオファーいただき、誠に有り難うございます。

 相沢様の設定やオファー文を拝見し、とても素敵で、暖かいPC様とお見受け致しました。
 何気ない日常の端々から皆のいない寂しさを表現させていただきましたが、如何でしたでしょうか。
 PC様もPL様も、少しでもお気に召していただけますと、幸いです。

 最後になりましたが、ここまでお読みいただいた全ての方へ感謝を込めて。
 あさみ六華でした。
公開日時2008-05-26(月) 19:20
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