★ 凪の夜に ★
クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号364-7405 オファー日2009-04-14(火) 22:08
オファーPC アゼル(cxnn4496) ムービースター 女 17歳 ギャリック海賊団
<ノベル>

 腹が減っては戦はできぬというが、そこはまさに戦場であった。
 乱れ飛ぶ喚声、怒号、打撃音、金属音。女子供や物静かな男の姿も見受けられるものの、大半は荒くれの野郎どもだ。しかし海賊団とはそういうものであるし、彼らを率いるキャプテンからして豪快な傑物なのであって――要は、銀幕市の港に浮かぶギャリック海賊団の船が常に喧騒に満ちているのは仕方のないことなのであった。
 そんな連中が一堂に会する食事の時間、特に夕食ともなればやかましさも増すというもの。競うように食事を取り合う団員たちで食堂は戦場のような様相を呈することになる。食べ盛りの少年や体の大きな男どもを多数抱えて家計(?)は常に火の車、全員を満足させる質と量の食事を提供し続けることは時化の夜の舵取りよりも難しいだろう。
 だが、この海賊団には頼もしい台所の主がいる。
 「いい? ちゃんと残さず、敬意を持って食べるのよ! “いただきます”っていうのは“命をいただきます”っていう意味なんだから!」
 戦場――もとい食堂を金髪の少女が駆け抜けていく。現代日本でいえば女子高生にあたる年頃だろうか、大粒の紫色の瞳が何とも愛らしい。決して逞しいとはいえぬ腕に大皿を何枚も積み重ね、テーブルの間を回りながら手際良くおかわりを配っていく様はまるでスケーターか何かのようだ。
 「こら、野菜もちゃんと食べなさい! ああもう、こぼさないで! 食べ物を粗末にする奴はこのわたしが許さないわよ!」
 とても海賊とは思えぬ容貌の彼女だが、忙しく立ち働きながらも団員の食事風景に目を光らせているあたりはさすがといったところか。しかしこれだけ団員がいればさすがの彼女も見落としはあるようで――隅っこで食事をかっ込んでいた少年二人が、残り少ないおかずをめぐって今まさに取っ組み合いを始めようとしているところであった。
 「そのチキンはオレんだ! おまえは三つも食っただろうが!」
 「何だよ、鳥好きのくせに鶏肉食うのかよ! うっわー残酷ーう!」
 「てめ――」
 「こらーっ!」
 という彼女の一喝で食堂は水を打ったように静まり返り、少年二人もびくっと身をすくめて口をつぐんだ。
 「ア……ゼ、ル」
 「アゼルの姐御……」
 恐る恐る振り返った二人の視線の先にはエプロン姿で腰に両手を当てた彼女の姿があった。彼女の双眸が見つめるのは少年たちがひっくり返した皿と、テーブルの上に無残にこぼれ落ちた料理。
 「あんた達……」
 アゼルと呼ばれた彼女は柳眉を跳ね上げ、すうと息を吸い込んだ。
 「いい加減にしないと圧力鍋で煮込むわよ!」
 ――ギャリック海賊団のいつもの食事風景である。


 食事という戦争が終わってもアゼルに休息は訪れない。料理と給仕が終われば次は後片付け、それが済めば翌日の下ごしらえ……。実体化してからは海賊喫茶の仕事も新たに加わった。だが、くるくると目の回るような忙しさの中にあって尚アゼルの横顔は精彩に満ちている。
 「あら、何? 手伝いに来てくれたの?」
 夕食後にふらりと台所を訪れた団員に気付き、アゼルは振り返って笑顔を見せた。その間も皿を洗う手は止まらぬままだ。
 「じゃ、そこのお皿片付けて。くれぐれも割らないように頼むわよ、お皿だってタダじゃないんだから」
 それほど広いとはいえない台所には清潔な洗剤の香りが満ちている。かちゃかちゃと皿が触れ合う音すら心地良い。小粒のシャボンに囲まれて次々と皿を洗い上げていくアゼルの後ろ姿はどこか楽しそうだ。
 「あー、終わった終わった! ありがとね、助かったわ。次は明日の下ごしらえ……の前に、ちょっと休憩しようかしら。一緒にどう?」
 二人分のカップにポットから湯が注がれたと思ったら、すぐに清涼なレモンの香りが広がった。湯にレモンを絞り、蜂蜜を垂らして即席のホットレモンを二人分こしらえたのだ。アゼルは「他の連中には内緒よ」と悪戯っぽく笑ってカップを差し出した。
 夜も更けつつある。だが、騒ぎ好きな団員たちの宵はこれからだ。賭博や酒盛りに興じている者がいるのだろう、船底を洗う静かな潮騒に混じって豪快な笑い声が聞こえてくる。
 「何よ、人の顔ジロジロ見て」
 視線に気付いたのだろうか、アゼルは軽く眉根を寄せた。「悪かったわね、庶民っぽくて。これでもあの二人と一緒に海賊団を立ち上げたんだから」
 そうなのだ。個性豊かな海賊たちの中にあっては堅気にしか見えぬ風体のこの少女が海賊団結成当時からの古株だというから人は見かけによらないものである。その上彼女の体には半分だけ竜の血が流れているという。といっても人の血の方が濃いらしく、天候に関する感覚が鋭い事と常識外れの膂力を除けば常人と何ら変わるところはない。
 「だけど……そうね。あの二人と会わなきゃ今ここにはいなかったし、あんたたちとも出会ってなかったでしょうね」
 カップの湯気をふうと吹いた横顔にふと懐古の色が滲む。「って言っても、あの二人と知り合ったのは偶然なんだけど」
 潮風が男たちの笑い声を運んでくる。今宵は月夜だ、甲板に出て陽気に酒でも酌み交わしているのだろう。緩やかな波が寄せては返し、船体をゆりかごのように心地良く揺らす。
 「何だか、思い出すわね。こんな凪の夜は」
 静かだ。これほど穏やかな海も珍しい。ひとりごちるように呟いたアゼルの手の中でホットレモンが相変わらず湯気を立てている。静かに立ち上る湯気はまるで絹糸のようだ。緩やかな曲線を描きながら絡まり合い、ほどけて、静寂に溶けるようにして消えていく。
 「感傷的になってる……ってわけじゃないけど」
 こくりとお茶を飲み下し、アゼルは緩やかに苦笑した。「たまには思い出話をしたくなることもあるじゃない?」
 そして、「付き合ってよね」と前置きしてから静かに語り始めた。
 外は相変わらず静かだ。星が、月が、そして海が、港に浮かぶ海賊船を優しく包み込んでいる。


   ◇ ◇ ◇


 故郷は静かな海に囲まれた小さな島だったわ。さしずめ“波の音を子守唄代わりに聞いて育った”ってとこかしらね。
 わたしが竜と人間の混血だっていうのは知ってるでしょ? 父が竜だったの。母は普通の人間なんだけど……そういえば、二人がどこでどうやって知り合ったのか聞かずじまいだったっけ。父はわたしが生まれる前に死んだの、母がわたしを身ごもっている間にね。寿命でも病死でもなかったそうだけど、どうして死んだのか結局わたしは知らないまま。
 父がいないのを寂しいと思うことはあったし、暮らしも貧しかったけど、とても幸せだった。だって母がいたんだもの。強くて、優しくて……わたし、母のことが大好きだった。ううん、今でも大好きよ。今までも、これからもずーっとね。
 「ただいまアゼル! ほらごらん、お土産だよ」
 「わあ、お肉?」
 「お店で余ったのを分けてもらったの。おかみさんが『娘さんに食べさせなさい』って言ってくれてね。さ、すぐごはんにしよう!」
 「うん! わたしも手伝う」
 母はいつも明るかった。見てるこっちまで元気になりそうな笑顔を浮かべてるような人だった。わたしたちが住んでいたのは小さな島だったんだけど、母はわたしを育てるために島から30km離れた港町まで行って働いてたの。定食屋さんで調理の仕事をしてたのよ、毎日船で通ってね。それなのに、遠くまで働きに出る苦労なんか何ひとつ見せなかったっけ。
 だけど、わたしたちにつらく当たる人も多かった。村八分ってほどじゃないにしろ、何かと冷遇されていてね……。
 「魚を売ってくれだぁ? あいにく、他の連中が食べる分を確保するのでいっぱいいっぱいでね。よそ行っとくれ」
 「こんな小せえ島だからな。竜の家族にまで回してやる食糧なんかないんだ。自分たちが食べる分だけで精一杯なんだよ」
 「自分らの食い物くらい自分らで何とかできるだろ? 竜の女房と娘なんだから」
 「ああ、怖い怖い。見た目は人間でも竜の子供だもの、何をされるか分からないわ。ぼうや、あの子には近付いちゃいけませんからね」
 “狭い村体質”っていうのかしら。閉鎖的な上に、竜を畏怖する風習が残ってる島だったから仕方なかったのかも知れないけど。
 でもね、そんなふうに言われる度に母はいつも笑って言い返してた。
 「そうです、私の夫は竜です。この子も竜との合いの子です。だけど夫も娘も私の全てで、誇りなんです。それの何がいけないんですか?」
 家族なんだから当たり前でしょって笑う母に島の人たちは呆れてたみたい。だけどわたしは嬉しかった。母がわたしのことを愛してくれるのと同じくらい、わたしも母のことが好きだったもの。
 だからわたし、料理を覚えようと思ったの。仕事で疲れて帰って来る母においしいごはんを食べてもらいたいなって。母のために何かできることはないかって思って。
 でも、そんなふうに言ったら母に思いっきり笑われちゃった。
 「何言ってんの。馬鹿ねえ、この子は」
 自分のおでこをわたしのおでこにこつんって当てて、わたしのいちばん近くで笑ってくれた母の顔、今でもよく覚えてる。
 「親ってのはね、子供が元気で笑っていてくれるだけで幸せなのよ。子供が笑顔で出迎えてくれさえすれば仕事の疲れなんて吹っ飛ぶんだから」
 「ほんと?」
 「ほんと、ほんと。嘘なわけないじゃない。でもま、料理を覚えるのはいいことね。よし、特訓してやろうじゃないの」
 「おてやわらかにおねがいします」
 「あらっ。そんな言葉、どこで覚えてきたのよ? ほんとにもう……ませてるんだから」
 それから毎日母に料理を教わったわ。今思えば母の仕事を増やしちゃったような気もするけど、楽しかった。そりゃ最初は失敗してばっかりだったけどね……母が仕事に行ってる間に何度も何度も練習して、ちょっとずつうまくできるようになっていったの。
 そうそう、初めて作った料理はひどかったな。真っ黒に焦げて、フライパンにこびりついちゃって、形もぼろぼろで。……な、何よその目。別にいいじゃない、子供が初めて作る料理なんてそんなものでしょ?
 「ん。美味しい、アゼル」
 でも、しょんぼりしているわたしの前で、母はにっこり笑って黒焦げの料理を頬張ってくれた。
 「こげてるのに?」
 「美味しいわよ。アゼルが母さんのために作ってくれたんだもの、美味しくないわけないじゃない」
 その時の母の顔……わたし、一生忘れない。


 それから毎日料理に打ち込んで、母ほどじゃないけど美味しい食事を作れるようになった。島の周りの海はとっても静かでね、波の音を聞きながら料理の練習をしたものよ。陽が暮れて静かになると波音がいっそうクリアに聞こえて……しばらくすると波に船の音が混じって、ああそろそろ母が帰ってくるんだなあって嬉しくなったっけ。
 生活は相変わらず困窮してたし、島の人たちも冷たかったけど、母は決してくじけなかった。いつも笑顔でわたしの頭を撫でて、「あんたが笑っててくれれば母さんは幸せなのよ」が口癖で。だからわたし、とっても幸せだったわ。
 だけど、もしかすると前兆はあったのかも知れないわね。
 いつ頃からだったか、正確には思い出せないけど……母は時々咳をするようになっていたの。疲れから来る風邪だってお医者さまには言われたし、わたしも最初はそう思ってたけど、いつまでも咳が続いて……。痰が絡んだ、すごく嫌な咳だった。微熱もおさまらなくて、朝もなかなか起きられなくて、寝過ごして船の時間に間に合わなくなったりしたこともあったわ。寝坊なんかしたことのなかった母が、よ。
 「大丈夫、大丈夫。あんたの笑顔を見てれば病気なんか逃げてっちゃうんだから」
 母はそう言って笑ってたけど、わたしの目にも分かるくらいやつれていって……。
 もちろん不安だったわよ。とても心配だった。でも、わたしが不安そうな顔を見せたら母が気にするから、心配しないふりしてた。母が大丈夫だって言うから大丈夫なんだって、自分に一生懸命言い聞かせてた。
 わたしが十二歳になる前だったかな。母がなかなか帰って来なかった日があった。元気をつけてもらおうと思って母の好物をたくさんこしらえて待ってたんだけど、料理が冷めきっても帰ってこなくてね。
 心配で心配で、船着き場まで走って行ったわ。そしたらね……。
 ……ごめんなさい。今でも思い出すとちょっと怖くなるのよ。大荒れの海なんて何度も経験してるのにね、おかしいわよね。だけど……子供だったせいもあるのかしら、あの時の海だけはとっても怖かったの。
 嵐なんかじゃなかった。雨も降ってなかったし、風だってそんなにひどくなかった。陽が暮れて真っ暗になってたけど、空には星も月も出てたのよ。
 なのに……なのにね。海が、とっても荒れていたの。
 怖かったわ。とっても怖かった。だって、空も風も静かなのに、海だけが荒れ狂っていたんだもの。大地震の前の地鳴りのような唸りを上げて、ごうごうとね。信じられなかった。周りが静かな分、暴れ回る波の音がこれでもかってくらいの迫力で迫って来て……情けない話だけど、足が竦んじゃった。
 どうしよう、どうしようって動けないでいるうちに夜が明けちゃって。必死だったのね、わたし。ずっと船着き場にいたのに、全然眠くなんかならなかったもの。
 そのうちに朝一番の船が着いて、見たことのない女の人が降りて来てね。わたしの姿を見るなり、いきなりわたしの腕を掴んでまくし立てたのよ。
 「あんたがアゼルちゃんだね? 今すぐ一緒に来て! お母さんが倒れたのよ!」
 ――その時自分がどんな顔をしていたかなんて、わたしにも分からない。だって、頭が真っ白になって、何を言われてるか分からなかったんだもの。その女の人が母が勤めていた定食屋さんのおかみさんだってことも少し後になってから知ったくらいだったから。


 母は仕事中に倒れて、そのまま港町の病院に入院しちゃったの。過労でだいぶ体が弱ってるってお医者様は言ってた。最初は本当にただの風邪だったんでしょうね。でも、疲れが溜まっててなかなか治らなくて、こじらせて……結果、どうしようもないところまで弱って倒れちゃったんだと思う。
 それなのに母は相変わらず笑ってた。ベッドの上から手を伸ばして、心配しないでって言ってわたしの頭を抱き寄せてくれた。
 「アゼルにそんな顔されたら治る病気も治らないわよ。ね?」
 母はいつもみたいに笑ってたけど、別人みたいにやつれた顔の上に明かりが当たって、ぎょっとするくらい深い影が出来ていて……わたし、怖かった。母が死んじゃうんじゃないかって、怖かった。
 だけど母の前ではなるべく心配しないようにしてたの。わたしの笑顔が母の幸せだって言われたから。泣きそうになっても一生懸命こらえて笑ってた。多分、すごく変な顔してたでしょうね。でも母は何も言わなかった。今思えばわたしが泣き笑いの顔をしてたことにも気付いてたのかも知れないわね。だけど、いつもみたいに笑ってわたしを抱き締めてくれていたわ。
 「アゼル……大好きよ」
 しばらく入院して、息を引き取る直前まで母はそんなふうに言っていたの。
 「一緒に居られて幸せだった。生まれて来てくれてありがとう。母さんと父さんの子でいてくれて、ありがとう。この先も……幸せにね。約束よ」
 それが母の最期の言葉だった。母は最期までわたしのことを気にかけて、わたしを抱き締めたまま逝ったわ。自分のおでこをわたしのおでこにこつんって当てて、わたしの一番近くで微笑んだまま、ね。
 そして……母の腕から力が抜けていって。くっつけたおでこも少しずつ冷たくなっていって。わたし、とうとう泣いちゃった。
 泣いてることが母にばれるんじゃないかって、母の腕の中で必死で声をこらえながら泣いたわ。馬鹿よね。母はもう亡くなってるんだから、いくら泣いたってばれっこないのにね……。
 

 ああいう状態を“失意のどん底”っていうんでしょうね。母の遺言を受け取ったあと、ひとりきりで家に帰ったわ。家族のいない家ってどうしてあんなに寒々しいのかしら。母は昼間の間じゅう仕事だったから、家の中でひとりで過ごすのは慣れっこだった筈なのに。
 母の遺体は病院があった港町の共同墓地に埋葬してもらったの。島にお墓を建てるよりはいいんじゃないかって思って。
 母が遺してくれたわずかばかりの財産でしばらく暮らしたわ。ただ寝て起きて食べて、時々母の遺言を読み返して泣いて……ぼんやり過ごしてるだけだった。そのうち街に出ようとは思ってたけど、子供だったし、頼れる人もいなかったし、何をどうしていいか全然分からなくて。
 そう……頼りは母だけだったのよね。母はわたしのすべてだったから。
 だけど、母はわたしに幸せになってほしいって言ってた。母のためにも頑張らなきゃって思ったけど、どうしていいか分からなくて、気ばかりが焦る毎日で。どれくらい経った頃かしら、ある日、島に流れ着いて倒れている男二人を見つけたの。体の大きな赤毛の男と、灰色の髪の毛に緑色の目の男。そう、団長とあのおしゃべり男のことよ。
 助けようと思ったけど、わたしだって自分が食べるだけで精いっぱいだったから、最初はつい見ないふりしちゃったの。そのうち誰か助けてくれるんじゃないかとも思ったし。だけど誰も助けようとしなかった。閉鎖的な島だったから、素性の知れないよそ者に手を差し伸べる人なんていなかったのよね。
 見かねてわたしが助けたわ。うちまで連れて行って、とにかく食事を作って食べさせてあげたの。
 そしたら、美味しい美味しいって、わたしの料理をすごく気に入ってくれてね。そこから始まったのよね、あの二人との付き合いは。


   ◇ ◇ ◇


 「――それでね、二人が海賊団を結成するって言うの。わたしも行くあてがなかったから一緒についていくことにしてね。その二人も天涯孤独の身だっていうし、身寄りのない者どうしで力を合わせてやっていこうって……それで現在に至るってわけ」
 とアゼルが話を結んだ頃にはホットレモンはすっかり冷めてしまっていた。カップに口をつけたアゼルも冷たさに驚き、次いで「つい長くなっちゃったみたいね」と照れたように笑った。
 銀幕市の港は相変わらず静かだ。凪いだ海に浮かぶ海賊船の甲板では団員たちが酒瓶片手に肩を組んで歌っている。
 「思えばずいぶん遠くまで来ちゃったものよね。あの島で暮らしてた頃はこんなことになるなんて夢にも思わなかったわ。だけど……今だってとっても幸せよ。だって、あの二人と一緒に海賊団を立ち上げたから新しい“家族”が出来たんだもの」
 はにかんだように微笑んだアゼルは照れ臭さを隠すように一気に蜂蜜レモンを飲み干した。
 「新しい家族が出来たのも母のおかげよ。だってあの時、あの二人がわたしの料理を気に入ってくれなかったらあいつらについて行ってなかったかも知れないもの。で、美味しいって言ってもらえる料理を作れるようになったのは母が居てくれたから……なのよね。だから母は今でもわたしの誇りなの。今までも、これからもずーっとね」
 最愛の娘を遺して逝かなければならなかった母には心残りもあっただろう。だが、母の愛とともに過ごした時間の証はアゼルの中で確かに息づいているし、アゼル本人もまた母が望んだ通りの毎日を送っている。
 「さ、思い出話はこれでおしまい。そろそろ明日の下ごしらえに取り掛からなきゃ」
 立ち上がったアゼルは溌剌と腕まくりをして再び厨房に立つ。そして、冷蔵庫から手早く食材を取り出した後でふと思い出したように振り返った。
 「え? 母の遺言には何が書いてあったか、って?」
 肩越しに顔を振り向けた彼女はくすぐったそうに、しかしほんの少しだけ悪戯っぽく笑ってみせた。
 「母がわたしをどれだけ愛してくれているかが書いてあったわよ。そんなこと、わざわざ文章にしてもらわなくたって分かってたのにね。それと、父が遺した財産の在り処も書かれてた。……え? その財産をどうしたか気になるの? それはね……」
 意味深な笑みと茶目っ気たっぷりのウインクが落とされる。
 「わたしとあの二人のみぞ知る、ってことで。――さあ、昔話は本当にこれでおしまい。他の連中には内緒よ?」


 (了)

クリエイターコメントご指名ありがとうございました。PC様には初めまして、宮本ぽちでございます。
ノベル冒頭がどっかで見たことある雰囲気なのは多分気のせいです。

大好きなお母様のエピソードをアゼル様ご自身の視点と感情で語るという雰囲気を出したいと考え、珍しく一人称で書いてみました。
ただ、お母様のことを何と呼んでいたのか分からなかったため、呼称だけは「母さん」や「お母さん」ではなく「母」で統一しております。
お母様の存在がアゼル様の今の生き方の原点になっているように感じましたので、ひたすらその方向で捏造させていただきました。

ゲリラ枠を捕まえてくださり、ありがとうございました。
ちなみに蜂蜜レモンは、倹約家→コーヒーや紅茶などの嗜好品にお金を使うことはないかも→だけどお料理上手なら身の回りにあるもので手早く美味しい飲み物を作るんだろうな→蜂蜜とレモンなら料理に使うから常備してありそう、という発想でした。
公開日時2009-04-22(水) 19:10
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