★ サンドマンは眠らない ★
クリエイターリッキー2号(wsum2300)
管理番号107-4889 オファー日2008-10-07(火) 20:09
オファーPC 二階堂 美樹(cuhw6225) ムービーファン 女 24歳 科学捜査官
<ノベル>

「うーーーん」
 美樹は腕組みをしたまま、椅子の背にもたれ、体重をすべてそこに預けた。
 科捜研の古い椅子は、ぎし、と音を立てて背もたれをしならせる。がくん、とまるでブリッジでもするように美樹の頭が背もたれを越えて、彼女の視界が天地さかさまになる。
 デスクの間を行きかうさかさまの研究員たちは、美樹の様子に注意は払わない。彼女がそうして難解な事象にぶちあたって悩んでいるのはいつものことだったし、みなそれぞれに仕事を抱えているからだ。
 文字通り頭をひっくりかえしても何のひらめきも得ることができず、美樹は体を起こすと、その勢いのまま、ぴょこん、と椅子から立ち上がった。
「ちょっと出てきます」
 白衣の裾を翻し、ことわりを残して外出用のカバンを手に取った。
 科捜研は科学的に警察の捜査活動をバックアップする。美樹は新人だが行動派の所員だ。デスクに向かっているだけでなく、普通以上に、現場に出かけている時間も多かった。行き詰まりがある時はなおそうである。先輩所員よりも経験や知識で劣るところを動き回ることでカバーしようとしているのかもしれない。
「……」
 ふと思いつき、美樹はフロアを出る前にもういちど自分のデスクへ戻り、シャーレをとるとカバンにつっこんだ。
 それが、二階堂美樹を、目下悩ませ続けている物件なのである。
(何なんだろうなあ……。事件に関係はあるはずなんだけど……)
 白衣をひっかけたまま、電車で移動している最中も、資料を閉じたファイルと首っ引きの美樹である。
 それは、連続殺人事件であった。
 被害者は女性ばかり。ムービースターではない、エキストラに分類される一般市民たちだ。
(いずれの被害者にも、刃物による急所への刺創が認められる――)
 迷ってわからなくなったら一から考え直すこと。
 それは美樹が警察の先輩から教わったことであった。
 だから、捜査記録や検死報告を再度、読み直してみる。
(死因は失血死。凶器は発見・特定されていないものの、刃渡り10センチ程度の短刀のようなものと思われる。刺創の位置・角度から犯人の利き手は右手。ここまではいいわ)
 真剣なまなざしが報告書の文字を追った。
(気になるのはここ……「防御創がまったく認められない」。被害者は抵抗せずに刺されているってこと)
 防御創は、刃物を持った敵と争った際にできる、攻撃してくる刃物によってつけられた致命傷以外の傷をいう。
(でも刺創には生活反応があるし、失血死なんだから、死んでから刺されたわけじゃない。意識がなかったのかしら。でも今のところ薬物は検出されてないのよねぇ)
 くしゃくしゃと、髪をかきまぜた。
 そして、あの物証。
(すべての現場で砂のような物質を発見、か――)
 鑑識が採取したそれを分析するのが美樹の仕事だ。
 しかし、結果は今のところ「不明」。
(有機物なのは間違いないのよ。でもそれ以上はわからない。これが被害者の意識を失わせた薬物かと思ったけど、死体の体内からは見つかってないし……。ああ、でも待って。死体の検死結果……死因は失血死に違いないからよく見てなかったわ。でもこれって肺高血圧の所見よね。他にもヘンなところがある……殺される前に体内の血圧に異常があったんだわ。抵抗せずに殺されているのとなにか関係があるかも)
 電車のアナウンスが目的地を告げる。
 美樹は開いたドアから飛び出すようにして車両を降りた。なにか糸口がつかめたような気がする。自然と、気持ちが逸った。

 とはいうものの。
 そう簡単にすべての謎が解けたりはしないのである。
 最新の事件現場は、とある商業ビルの地下駐車場で、事件以来閉鎖されていた。
 現場の捜査員や鑑識たちが舐めるように捜査を行ったあとのことだ。現場に立ち帰れと言っても、美樹がここで新たな何かを発見する!というような映画のような展開はならないようだった。
(映画のような――……)
 そう、原因不明の物質に出会うということに、美樹たちはなれてしまっていた。
 ここは銀幕市。
 映画の中にしか存在しない事象が起こる街だ。原因不明の物質も映画から出現したものである可能性が高い。そうであるなら犯人はムービースターである線が濃厚。刑事たちは対策課との連携を進め、銀幕ジャーナル社の協力ももとめているようだった。
 そのことはむろん、事件を解決するためには必要なことだ。美樹自身、対策課の依頼を受けて動いたことは何度もある。しかしそれでも、かすかに、釈然としないような思いが残る。
 美樹は銀幕市の魔法を歓迎している市民のひとりである。
 だが同時に、彼女は警察の人間であった。
 そして科捜研の職務に誇りとやりがいを持っている。
 ムービースターが関係する事件であるから、科学の常識は通用しない。
 それは銀幕市では真理であったけれど、簡単にそう言いきってしまうことは、科学捜査を否定するようで、美樹には受け入れがたいことだったのだ。
 私は私にできることで、せいいっぱいのことをしたいんだもの。
 科捜研の中でも、どうせムービーハザード関係だから、と、あまり熱心にならない所員がいることに、美樹は新人らしい気負いまじりの憤りさえおぼえていたのである。
「――あっ」
 収穫はなく、ほかの現場もまわってみよう、と美樹がその場所を去ろうとしたときだった。
 角を曲がった出会い頭に、どん、と彼女はその男とぶつかってしまったのである。
「す、すみません――」
「いえ、こちらこそ」
「……」
 目を見開いた。
「お怪我はありませんか」
「……は、はい」
 男はかすかに微笑むと、そのままどこかへ立ち去って行った。
 思えば――現場周辺をうろついていたのだから職務質問のひとつもすればよかったのだ。
(きれいな、ひと)
 ぼんやりと、そのときの美樹が考えたのは、そんなことだった。
 きれい、という形容が許される男は限られているだろう。容貌に優れた男性はいるが、ことさらに「きれい」と表現することは多くはない。
 だが、そういう言い方がもっともふさわしいといえる人物だったのである。
 長身のほっそりした体躯を、クラシックなスーツで包んでいる。
 蜂蜜色の金髪の下には深い湖水のような青い瞳。削げたような頬に高い鼻梁、薄い唇――顔立ちは、いかにも繊細であった。そしてもっとも目を引いたのが、男の、肌の白さであった。白皙、などという言葉も陳腐に思える、アラバスターのような透明感のある艶やかさである。そして、おそらくそのせいだろうが、対して男の唇は、紅でも引いているのかと思ったくらいに、目立って赤いのであった。
 瞬間、美樹はなんともいえない不思議な気持ちになった。
 ひとつひとつ、述べたような特徴をあげれば女のような造作なのに、繊細で端正であっても、全体としては男女を見まがうことは絶対にないと言い切れたからだ。それは身長の高さもあっただろうが、仕立ての良いスーツを着こなした肩幅は広く、出会い頭にぶつかった美樹をゆるがず受け止めた程度に、彼は間違いなく男だった。
 それらのことを瞬時に感じ取って、美樹が下した評が「きれいな男の人だ」という感想だったのである。
(でも――なんだか……)
 男は笑みを残して消えた。
 けれどなぜだか、美樹はそこに畏れのようなものを感じずにはいられなかった。
 すれちがいざまに、ふわりと嗅覚をくすぐった、薔薇に似た香水の香りと、不思議な出会いの感慨に、彼女はしばし、そこにたたずんだままだったのである。

 ★ ★ ★

「ありました」
「やっぱり」
 鑑識がていねいにすくいあげ、袋に入れてくれたそれを受取って、美樹は声をあげた。
 また事件が起こった夜のこと。
 連絡を受けて、美樹はすぐさま現場に駆け付けた。彼女は刑事ではないし、鑑識でもないから、必ずしも事件発生時に現場に急行する必要はない。
 しかし、そうせずにはおれないのが、二階堂美樹という人間だった。まして、解けない謎に、なんとしてもこの事件を解決してみせたいという焦りにも似た思い、こだわりが彼女を突き動かしている。すでに勤務時間はとっくに過ぎ、職場を出ていたのに、連絡に慌ててとんぼ返りしてきたのだ。
 例の物質は――採取直後ならまた違ったことがわかるかと思ったが、そうでもなかった。
 科捜研に届いたときと同じように、一件は砂のように見える微小な粒子である。
 色は白いが、光をあててみれば、角度によっては色彩が感じられることもあり、それは螺鈿工芸などに使う、いわゆる虹色光沢をもった真珠質の物質を思わせた。
 といって、真珠や貝類の殻の粉末かといえば、分析結果は一致しない。しかし、なんらかの生物質のものであることまではわかっているのだが――。
 美樹は袋の中の粉末を眺めつすがめつしながら、「KEEP OUT」とかかれたテープをくぐった。
 現場は路地の奥である。
 あたりは繁華街だったので、野次馬たちの群れができていた。
「……」
 ふとそちらに目を遣った美樹はそこに見知った顔を見つけて凍りつく。
(あの、ひと……)
 あのときの男だ。
 彼はくるりと背を向けて雑踏の中に紛れていく。
「ちょっと、待っ――」
 美樹は、駆け出していた。人ごみをかき分けかき分け、やっとのことで野次馬の群れを抜け出すと、前方の通りの角を曲がっていく背の高い影。
「待ちなさい!」
 追いすがる。
 昼間の繁華街は、通りを一筋曲がれば突然人通りのない場所に出たりするものだ。今、男と美樹が対峙しているのは、そんな、ぽっかりと開いた都市の空白のような場所だった。
「あなた……この前の現場にもいたわね」
「……」
 面白そうに、男は美樹を見た。
 あらためて、不自然なくらいに美しい男だ。どことなく、貴族的な風貌というのだろうか――もっと時代的な衣裳を着せて古城にでも配置すればさぞ絵になるだろう。それとも、豪奢な洋館に、執事服で仕えさせたら……
「それが、なにか?」
 思わず、妄想方向に思考がつかまりかけ、美樹ははっとおのれを引き戻す。
「なにか身分を証明できるものはありますか」
 くくく、と男は笑った。
「さて……。それはもう、わたしにもわからないのですよ」
「ムービースターなのね」
 美樹は確信した。先日見かけた時から、男がただの人間ではないだろうと感じている。そして確信がもうひとつ。犯人は、現場に戻る――。
「気の強い方だ」
 男の手が、美樹の鼻先へ突き出された。
「!」
 さらさら、と……その手のひらから、指の間からこぼれおちていく、白い砂。
(これは、あの……!)
 思った時にはもう、視界がすっと現実味を欠き、体がふわふわと浮かぶような感覚にとらわれていた。足がもつれる。でもなぜか……悪い気分ではない。
 濃厚な、薔薇の香りだ。
 男の紅唇が、にいっ、と笑みをかたちづくった。
 ぐらり、と傾いた美樹を受け止め、男は囁く。
「覚えておきなさい。過ぎたる好奇心は猫を殺す。蛮勇は、死への一歩でしかないことを」
 腰から力が抜けて、道路に座り込んでしまった。
 捜査員たちが、飛び出して行った美樹を探してやってくる足音を聞きながら、彼女はぼんやりと、男の去った方角を見つめていた。

「あーーー、もう、くやしい! ほんの一瞬でも、『あら、いい男。ファンタジー映画の魔王っぽいわよね。ダークでクールな美形悪役って感じ?』とか思ってしまった自分に絶望した! がっかりよ!」
 どっかりと椅子に腰を落とせば、勢い余ってぎしっ、ときしみをあげる。
 まだすこし頭がふらふらするような気がして、熱いコーヒーを流し込んだ。
「体は平気なの?」
 他の所員たちに心配されるのへ、頷いて見せる。
「一時的な興奮状態にはあったけど。……あ、あの、ヘンな意味じゃなくて医学的にっていう話よ。……いやそれも、生理の面からは同じなんだけど……血圧・脈拍の上昇に、脳内のドーパミンの分泌。この『砂』みたいなものの作用だと思う」
 シャーレの中の物質を、美樹はにらみつけた。
「たぶんだけど、昆虫がもつフェロモンのようなものじゃないかしら。それで対象の理性を一時的に失わせてから殺害する……」
「けれどこれでヴィランズの特殊能力による事件だってわかったね。『対策課』に情報を提供して依頼を出してもらおう」
「ん――。そう……です、ね」
 美樹はちいさく唇を噛んだ。
 それは正しい手続きだ。こちらも特別な力を有したムービースターがあたったほうが解決できる確率は上がるだろう。
 しかし……。
 できることなら、自分の手で解決したい。
 美樹は、最後に見た男の笑みを思い起こす。美しいけれど、冷たい微笑み。人の心を籠絡し、殺すための笑みだ。
 決して、許してはいけない。

「さあ、もう逃がさないわよ、観念しなさい!」
 ばん、と鉄扉を開け放ち、美樹がそこに仁王立ちすると、振り返った男のおもてにはいくぶん驚いた様子であった。
「教えたはずですよ」
「一体何人を犠牲すれば気が済むの!」
 スチルショットの銃口を向ける。
「!」
 だが男は、反対に、こちらへ向かってくる。
 銃爪が引かれる。打ち出された光の弾丸、そして炸裂!
「!?」
 そこで静止するはずの敵の姿はない。
「っ……!」
 うしろだ。一瞬で、男は美樹の背後をとっていた。
 さらさら――
 こぼれ落ちる砂。またあの不思議な香りが、ただよう。
「おとなしくしていなさい。ね、いい子だから」
 意識が、蕩けてゆく。

 さらさら――、さらさら――
(……なんの音?)
(風の音だよ。夜風が森を騒がせる音)
(あなたは、誰なの)
(言ったろう。自分でもわからないんだ。ただ、永い永い間、旅をしてきた)
(なぜ人を殺すの?)
(それが私にとって必要なことだからだ)
(そんなこと……許されないわ)
 さらさら――、さらさら――
(だろうね。ゆえに私はとどまることを許されず、追われ続けてきた)
(逃げても無駄よ。きっとあなたを捕まえる)
(……きみはわたしが怖くないのか)
(怖くなんかないわ)
(わたしは人の命を啜って永らえてきた。今ここで、きみを殺すこともできるのだよ)
(……できるもんなら、やってみなさいよ!)
(強がりを)
(べ、べつに、わたしは――)
 さらさら――、さらさら――
(いいから、もうおやすみ。そして目を覚ましたら、わたしのことは忘れなさい)
(とんでもないわ。必ず、あなたを……)
 さらさら――、さらさら――
 こぼれ落ちてゆく。そして風にさらわれてゆく。
 それは崩れる砂の城のように。
 
「……」
 目覚めると、病院のベッドだった。
 バッキーのユウジが、そばで、じっと美樹を見ていた。
「またやられた」
 ぼす、とシーツの上に拳を落とす。
 ヴィランズの、あの力の前に、どうしても負けてしまう。どうにかして、あの力を使われる前に倒すか、あるいはあの砂の影響を取り除く方法を考えなくてはならないのだ。
「いったい、どうすれば……」
 答えは、出ない。

 ★ ★ ★

 ざらっ――、と、まとまって砂が落ち、床の上に散った。
「……」
 男の端正な顔に、瞬間、苦痛の色がさしたのを、見たものは誰もいない。
 目の前の床に寝かされた女の瞳はなにも見てはいなかった。
 生きては、いる。
 しかし、≪砂≫がもたらす放蕩の夢に、その意識はさまよっているのだ。
 さらさらと……砂はあとからあとからこぼれ落ちる。
 それは彼自身であった。
 しかるべき措置をとらなければ、この肉体は≪砂≫に戻り、崩れ去ってしまうだろう。だからこれは絶対に必要な……人が呼吸するようなものだ。
 もうずっと、そうしてきたのだから。
 それゆえに人々が彼を魔として忌み、恐れ遠ざけたのだとしても。
 男は、ゆっくりと振り返った。
 そして部屋の隅にある錆びたロッカーへと大股に歩み寄った。
「きゃ!」
 勢いよくドアが開けられ、廃屋の床に転がり出てきたのは、美樹だった。
「いつからここに」
「ずっとよ」
 電光石火で決めなくてはやられる! そう考えて、美樹は男に組みつく、が――。
「わたしの≪砂≫から逃れることはできないよ。もう何度も……経験しているだろう」
「……い、いや……わ、わたし……」
 たちまち腰から崩れる。
「……」
 男の青い瞳が、不思議な寂寥感をたたえて、美樹を見下ろしていた。
 そしておもむろに、ひとふりの短剣を取り出す。
「これで……あの女を殺せ」
「……!?」
「血が、必要なのだよ、わたしには。それによって、わたしは自らが≪砂≫に帰していくことを止められる」
 美樹を立たせ、その手に刃を握らせた。
「……そんな――こと」
「やってくれるね。わたしのために」
 男は囁いた。
 さらさら――、と≪砂≫がこぼれ落ちていく。
 男の着衣の隙間から、髪の間から……絶え間なく、≪砂≫は流れ出していた。
 それとともに、廃屋には薔薇の香りが満ちていく。
 ふらふらと、美樹は足を踏み出した。
 床に寝かされたままの見知らぬ女。
 美樹の手には、ぎらりと光る鋭い凶器。
 それが今、振り下ろされて……
「……どうした」
 男が、美樹の背中に声をかけた。
 ぴたりと止まったままの彼女に近づく。≪砂≫によって魅了されたものが、彼の言葉に逆らえるはずはない。歩み寄った彼に、美樹の体がどん、とぶつかってきた。
「!」
 床にしたたるのは、真っ赤な、血。
「バカに……しないでよ……」
「おまえ……剣で自分を」
「イイ男に弱いのは本当。でもそれで何もかも自由になるなんて思わないで」
 おのれの腹におしつけられたそれが何であったか、男は理解していただろうか。美樹の指がスイッチを入れると、ディレクターズカッターのエネルギーの刃が男を刺し貫いた。
 そのまま真一文字に切り裂く!
「バ、バカな……ッ」
 飛び散ったのは、血ではなく≪砂≫だった。大量の≪砂≫と化して、男の体が崩れていく。
「そういえば――名乗ってなかったわ」
 脂汗を滲ませ、腕の内側に自らつけた傷から血を流しながら、彼女は言った。
「わたしは二階堂美樹。××県警刑事部科学捜査研究所所属――。警官よ!」
 ばさ、と、砂袋が床に落ちたような音。
 そこへ、バッキーが飛びかかっていった。

 ★ ★ ★

 犯人をプレミアフィルムに変え、被害者をひとり救ったのであるから、表彰されてもいいくらいだったが、まずいろいろと小言を言われたりするのは組織に属する人間としては致し方ないところか。
 もしものときは美樹自身、命がなかったかもしれないし、あのまま魅了を解くことができなければ彼女が殺人者にされていたかもしれなかったのだ。
「ったく、無鉄砲にもほどがある」
「すみません……。でも、あの……、例の物質の効果の主体が、対象の脳内のドーパミン量のコントロールにあるとわかっていたので、苦痛の信号を送れば阻害できるのでは、と……あ、いや、反省してます。ごめんなさい」
「……。まあいい、今日は帰って休みたまえ」
「はい……」
「しかし、なんてやつだ。警官を操って人を殺させようとするとは……」
「……もしかして」
「ん?」
「寂しかったのかも」
「何?」
「……あ、いえ。なんでもありません」
 疲れた体をひきずるようにして、美樹は現場をあとにした。
 肩に登りついてきたバッキーをなでる。
 夜風が彼女の髪をゆらすと、わずかに残っていた砂も、こぼれてどこかへ消えていくのだった。

(了)

クリエイターコメント大変、お待たせいたしました。
なんだか、こういう「普通の事件もの」って久々に書いたような気がします。

いろいろ考えて、敵は、邪悪ではあるのだけど、それだけでは終わらない印象になればと思って、あれこれ頭をひねってみました。

イメージにそう遠くないものであればさいわいです。
公開日時2008-10-29(水) 18:30
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