★ 残り桜 ★
クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号364-7396 オファー日2009-04-12(日) 18:17
オファーPC 仲村 トオル(cdmc7442) ムービースター 男 25歳 詐欺師探偵
<ノベル>

 全身で痛みが炸裂して視界が暗転する寸前に見たのは、走馬灯でも近しい人たちの顔でもなく、暗闇の中でちらちらと舞う白っぽい欠片だった。
 春もうらら、雪が降るような時節ではない。何だろうと怪訝に思いはしたが、さして気に留めることもなくトオルは意識を手放した。
 人の最期なんて呆気ないものだと、どこか冷めた心持ちを抱きながら。


 次に目を開いた時にはベッドの上にいた。どうやら天国ではないらしい。かといって地獄でもないようだ。ここはどこだろうとぼんやり考えているうちに意識と感覚が次第に焦点を結び、どうやら病院であるらしいことを知った。
 「あっ、島津さん」
 点滴のバイアルを交換しにやって来た女性看護師が驚いたように声を上げる。
 「意識が戻られたんですね?」
 はあ、とだけ答えた。意識が戻ったのかと尋ねられて初めて、自分が意識を失っていたらしいことを悟った。
 「今先生に連絡します。ちょっとだけ待っててくださいね」
 看護師は手早く点滴を交換して足早に病室を出て行ってしまう。彼女の背中を見送りながらトオルはやはり他人事のような感慨を抱いていた。
 (……何だ。助かったんだ)
 やがて主治医だという白衣の男がやって来て、身動きすらままならずに横になっているだけのトオルにつまびらかに事情を説明してくれた。
 交通事故で重傷を負ったトオルがこの病院に運ばれ、昏睡状態に陥ってしまったこと。それからずっと意識が戻らず、三年の月日が流れたこと。
 「そんなら、先生……」
 のろのろと首を動かして目を上げると、そこには実直そうな医師の姿がある。
 「ボク、寝てる間に成人しちゃってたんですねー?」
 三年ぶりに目覚めた患者が発する第一声としてはあまりに呑気であっただろう。だが、それがトオルが抱いた正直な感想であることは間違いなかった。
 ひどくぼんやりとしたその感慨は、まるでもう一人の自分が三歩後ろから自分を観察しているかのようだった。
 

 きい、きい。
 「そんでね、看護婦さん」
 昼下がりの病院は穏やかな静けさに満ちている。太陽も風も場違いなほどのどかだ。この瞬間、どこかの病室で死を迎えようとしている患者がいるかも知れないというのに。
 奇しくも季節は春爛漫。事故に遭ったのも高校三年生の春であった。こうして車椅子を看護師に押してもらいながら病院の中庭を散策しているのでなければ、あの頃の時間をそのまま過ごしているかのような錯覚に陥ってしまいそうだ。
 「ボク、よく名前間違えられるんですよ。新学期の点呼の時なんか特にね。必ず間違うんですよねー先生が。ボクの名前を正しく読めた先生なんて一人もいないんじゃないかなぁ」
 「でしょうねえ。明って書いてトオルなんて、珍しいもの」
 「おかげであだ名もアキラで決定ですもん。友達みんなにアキラアキラって言われて」
 「そう……」
 きい、きい。
 ホイールが緩やかな軋みを上げながらゆっくりと回転する。
 「お友達、お見舞に来てくれたらいいのにね」
 半ば独りごちるように言った看護師がそっと苦笑する気配が背中越しに伝わり、トオルは一瞬だけ口をつぐんだ。
 中庭にはぽつぽつとベンチが設えられている。談笑している患者や見舞客の姿もちらほらと見受けられた。春のそよ風は誰に対しても分け隔てなく柔らかで、優しい。
 「……そうですねー。薄情な奴らですよねー」
 あははと声だけで笑ってみせたが、車椅子を押してくれている看護師には表情は悟られずに済んだだろう。
 頭の回転が速いことを除けばトオルはごく普通の高校生であった。裕福とはいえないまでも中流の家庭に育ち、そこそこ広い一軒家に両親・兄と四人暮らし。高校に通い、勉強や部活をこなして、友達もたくさんいる、筈だった。
 ――島津さん、ご家族以外はお見舞に来ないわね。
 ――入院直後は友達がお見舞に来てませんでした? 割と頻繁に姿を見かけましたけど。
 ――だんだん足が遠のいたみたいよ。しばらくしたら誰も来なくなっちゃってね……。
 車椅子でナースステーションの前を通りかかった際に看護師たちのそんな会話を聞いてしまったのは昨日のことだ。
 その程度の付き合いだったということなのだろう。広く浅くの友情だったのだ。友達は多くとも親友はいなかったのかもしれない。
 (……ま、仕方ないかなぁ)
 トオルの感情は自分でも驚くほど淡々として、平坦だった。友人のことや自分の無感情な部分を思い知って尚頭の芯は冷めている。
 「三年、かあ」
 「え?」
 「三年も寝てたんですもんねー。よくよく考えたらえらいことですよ。ボク、もうすぐ二十一ですよ? 寝込む前はぴちぴちの男子高生だったのに。いやー、光陰矢の如しとはよく言ったもんです」
 わざとおどけてみせるトオルの口調に、看護師はかすかに笑ったようだった。
 「ボクが寝てる間に何かおっきいニュースとかありました?」
 「オリンピックがあったわよ。水泳の選手が大活躍してね。あとは総理大臣が突然辞めちゃったりとか」
 「へえ……」
 芸能やスポーツ、政治の話題を聞きながらぼんやりと仰ぐ空はどこまでも明るい。
 トオルが病院のベッドで眠っている間にも季節は何食わぬ顔をして流れていたのだ。こうして春が過ぎれば夏が来て、その後には秋、冬と続き、また春が来て……。淡々とした季節のサイクルの中で人々も何食わぬ顔をして日常を繰り返している。時に痛ましい事件が起こり、時におめでたいニュースがメディアを賑わせ、そしてそれらも次の出来事が起これば順番に忘れられて行く。
 トオルの時間だけが三年前で止まっている。トオルだけが三年前のまま三年後の世界に取り残されている。伸びた髪の毛とほんの少し濃くなった髭が唯一の成長の証のようで、軽い自嘲が込み上げる。
 長い眠りから解放されてこれからどうすればいいというのだ。途方に暮れるしかないではないか。
 「ちょっと残念ですわー」
 「あら、何が?」
 「身長があんまり伸びてなくて。寝る子は育つって言いますのにねー?」
 「……そうね」
 飄々とうそぶいてみせたトオルに看護師はやりきれない微苦笑を浮かべたらしかったが、トオルは気付かないふりをした。
 それでも、春の日和はこんなにもうららかで平穏だ。


 体の傷は塞がっていたし、ほどなくして固形物も摂取できるようになった。ただ、ずっと寝たきりだったために体力は子供以下にまで低下してしまい、日常生活に戻るためにはある程度リハビリを積まなければならなかった。
 「目が覚めたら覚めたでまたお金がかかるのねえ」
 見舞に訪れた母はベッドの脇でリンゴをむきながら苦笑した。「だけど、当たり前よね。病院だって商売なんだから。すぐ退院させたらお金が取れなくなっちゃうもの」
 しゃりしゃりとリンゴの皮がむかれる音を聞きながら窓の外を眺め、トオルは「うん」と相槌を打つだけだ。
 「大変だったのよ、あんたが寝てる間。高額療養費制度ってあるじゃない。一定以上の医療費がかかると自治体が補助してくれるやつ。あれもねえ、手続きが面倒で面倒で。それに役所なんて平日の昼間しか開いてないでしょ? 勤め人にはきついわよ」
 いやに現実的な話を聞きながらトオルはやはり「うん」と生返事をするだけだ。
 「さてと、そろそろ行かなくちゃ。またね」
 職場の昼休みを利用して見舞に来た母はリンゴの皿を置くと颯爽と病室を出て行った。
 両親は共働きで、兄も既に職に就いている。トオル一人が長期入院したところで金銭的な支障は大きくなかっただろう。医療費などという泥臭い話を目の前でするのもトオルが意識を取り戻したからこそだ。それに、母は元々さばさばした気風の人間でもある。
 母も父も兄もトオルが目覚めたことを喜び、祝ってくれた。しかし大袈裟なことは何ひとつなかった。涙、涙の対面劇が繰り広げられることもなければ、かいがいしく世話を焼いてくれることもなかった。
 交通事故、昏睡、三年ぶりの目覚め。壮絶な非日常を経て生還したトオルを待っていた日常は拍子抜けするほど日常的だった。現実はいつだって無味乾燥で素っ気ない。
 (……ま、仕方ないかなぁ)
 しかしトオルはやはり無感情で、無感慨だった。これからどうしようかという漠然とした不安のみが胸を占めている。
 「ああ……せっかくむいてくれたの、食べないと」
 思い出したように手を伸ばしたリンゴは薄い茶色に染まっていた。蜜と酸味が程よく絡まった味を舌に感じながら、皮をむいたリンゴが無垢でいられるのはほんのわずかな間だけなのだと、理由もなくそんなことを考えた。


 日々はゆっくりと流れ、気が付けば四月も半ばに差し掛かっていた。
 春の空気は奇妙に温かだ。繊細なヴェールがかかったようにぼんやりとして、潤んでいる。寒くも暑くもない、掴みどころのない霞のような気候の中にあるとどこか心が落ち着かなくなる。
 リハビリは順調に進み、日常生活を支障なく送れるまでになった頃に退院を許された。退院の日時が決まれば後は淡々と手続きが進んだ。そして退院当日、看護師から小さな花束を渡され、スタッフや馴染みの患者に見送られながら一人タクシーで帰宅した。
 「ご家族は迎えに来ないのかな」
 「仕事が忙しいそうです。歩けるくらい回復したなら一人で帰れるだろう、って。おととい、お母さんからタクシー代を渡されたって言ってました」
 「平気なのかしら、島津さん」
 「『仕方ないんじゃないですか』って笑ってたわ」
 見送りの人間たちはそんな会話を交わしていたが、病院の玄関前でタクシーに乗り込んだトオルがそれを知る由もない。
 懐かしい我が家では誰も待っていなかった。辛うじて、ラップをかけられた食事が出迎えてくれた。
 (まあ……仕方ないかなぁ)
 薄情だなどと詰るつもりはない。今日は平日だ。家族には家族の日常がある。両親や兄の日々はトオルが眠っていた頃と何ひとつ変わることなく流れているのだろう。
 ポケットに突っ込んである携帯電話は沈黙を保っている。意識を取り戻した頃は携帯電話やインターネットの進化にも仰天したものだ。電話番号やメールアドレスが変わってしまって連絡を取れない友人も多かったが、それでも幾人かとはメールや電話のやり取りができた。初めのうちこそ電話で近況を聞いたり頻繁にメールのやり取りをしたりしていたものの、最近では携帯が着信を告げることもなくなった。眠っている間、徐々に見舞い客が減って行ったのと同じように。
 母の手料理をレンジで温めて食べた。そのまま自宅でごろごろする気にもなれず、歩行のリハビリを兼ねているのだと自分に言い聞かせてふらりと外へ出た。
 街はすっかり様変わりしていた。あった筈の建物が見当たらない。市街地のメインストリートには現代的なアーケードがかかり、見覚えのない飲食店や服飾店がずらりと立ち並んでいた。狭かった道路は広々と整備され、真新しいアスファルトへと変わっている。
 きっちり三年分の時間が流れた街を独りそぞろ歩く。
 (浦島太郎ってこんな気分だったのかなぁ)
 世界は変わった。自分は変わっていない。知らぬ間に齢だけが三つ重なっていた。
 浦島太郎は玉手箱を開けて老人になった。世界が経たのと同じだけの時間をその身に受けた。だが、トオルはこのままこの場所で生きて行かねばならない。
 (って言っても、どうすればいいんだろ……)
 考えても答えは出ない。途方に暮れたところでどうにもならないと分かってはいるけれど。
 夕暮れが近付いたせいか少年少女の姿が目立つようになった。制服姿の彼ら彼女らにちらと目をくれつつ、特別な感慨は湧いて来ない。薄ぼんやりとした茜色が滲む街の中、人波に流されるように機械的に足を動かし続ける。


 かつて通っていた高校に行ってみようかと思い立ったのは日もとっぷり暮れてからのことであった。
 懐かしき母校は夜の帳の中にひっそりと佇んでいる。正確に言えばまだ母校ではない。まだ卒業していないのだから。そういえば、眠っている間に学校での自分の扱いはどうなったのだろう。
 閉ざされた校門をよじ登って敷地内へと降り立つ。誰かに見咎められたら何と言おうか。卒業生ではないし、かといって全日制の高校に成人の在校生がいるのは不自然だ。
 ちらり。
 視界の隅を、ほんの一瞬、白っぽいものが掠める。
 (――え?)
 奇妙なデジャヴに囚われ、はたと足を止めた。
 ビデオの巻き戻しボタンを押したかのようだ。記憶が急速にあの瞬間へと引き戻されていく。
 闇。迫るヘッドライト。痛み。視界が闇に閉ざされた寸前にちらと見た、雪のような白い欠片。
 ちらり、ちらり。
 「……そっか」
 思わず漏らした声は恐らく感嘆などではなかっただろう。「桜だったんだ」
 校門脇に一本の桜の木が佇んでいた。花の盛りはとうに過ぎて、中途半端に花と葉が入り混じる貧相な姿になり果てている。それでも健気に咲き残っている花が緩やかに花びらを散らしているのだった。
 夜の闇をバックにした桜はぼんやりとして、白っぽい。これなら雪と見間違えたのも納得がいく。だが、雪よりも桜のほうが物寂しい。雪は溶ければ消える。桜はすぐには消えない。気まぐれな風に翻弄され、汚れてぼろぼろになりながらどこまでもどこまでも飛んで行き、果てに誰にも知られずに朽ちていく。
 だからなのだろうか、やけにはっきりと記憶に残っているのは。しかし、死に瀕した瞬間に見たものが走馬灯ではなく桜の花びらであったとは。
 結局、情が薄くて無関心なのは友人も家族も自分も同じなのだ。そして、それを思い知らされて尚冷めたままのトオルがいる。
 「――もしかして島津か?」
 ふと名を呼ばれて振り返ると、ショルダーバッグを提げて背広を着込んだ壮年の男の姿があった。確か学年主任の教師だと思い出し、トオルはほんの少し懐かしそうに「ああ」と声を上げた。
 「やっぱり島津か。事故に遭ってずっと意識不明だって聞いたが……そうか。意識が戻ったんだな」
 良かった良かったと繰り返しながらトオルの肩を叩く教師の頭は以前よりも薄くなっていた。そろそろ教頭にでもなったのかと思ったが、尋ねるのはやめた。教頭になったと聞かされればまた月日の流れを実感するだけだ。
 「親御さんはどうしてる。お兄さんもいたな」
 「普通に仕事してるみたいですよー」
 「なんだ、他人事みたいな言い方して」
 トオルは曖昧に微笑んで目を逸らした。
 頭上では残り少ない花がさわさわと囁きを交わしている。少し風があるのかも知れない。花は人間よりもよほど敏感で脆いものだ。人の肌には感じられないかすかな風にさえ揺れ、散る。
 この桜は事故に遭う前から変わらない。トオルが入学するずっと前からこの場所に立ち続け、数え切れないほどの生徒たちを見送り、誰に対しても分け隔てなく花びらを散らせてきたのだろう。 
 「所で、こんな時間にどうしたんだ?」
 「はあ。ちょっと散歩がてらに」
 「学校が懐かしくなったか」
 「そうですねー……」
 桜を見上げる双眸がゆるゆると細められる。
 「こーしててもしょーがないし、学校通ってみようと思って」
 にっこり笑って告げたトオルに、教師は「そうか」と笑顔を返した。
 三年ぶりに再会した教師と生徒の会話はドラマチックでも感動的でもなく、ただただ淡々としていた。そんな二人を見下ろしているのはみすぼらしい姿の桜だけ。やはり現実はいつだって無味乾燥で素っ気ない。
 それでも、桜は残り少ない花びらをちらちらと降らせてくれていた。


 ――二十一歳を目前に控えた春。仲村トオルが島津明であった頃のエピソードのひとつである。


 (了)

クリエイターコメントご指名ありがとうございました、PC様にはお初にお目にかかります。
たまには短文を書くこともある宮本ぽちでございます。

どこか冷めた、ドライな描写をさせていただきましたが…どんなもんでしょうか。
「ま、仕方ないかなぁ」という仲村様のお人柄を語るにはあっさりした雰囲気のほうが良いように感じまして。さらりと読んでいただけるように、けれど大雑把にはならないように気を付けたつもり…です。

渋いオファーをありがとうございました。
もしまたご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
公開日時2009-04-16(木) 17:40
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