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<ノベル>
「ちょいと、そこの少年」
自分のことだろうか。
ピタリと足を止めて、辺りを見回す。
周囲には自分以外、誰もいない。
そりゃあ、そうだ。
こんな路地裏に来る奴なんて、そうそういない。
ん? じゃあ、どうして僕はここにいるのかって?
まぁ、いいじゃん。そんなことはさ。
苦笑しながら振り返る明犀。
自分を呼び止めたのは、しわくちゃの老人だった。
面識はない。どこにでもいそうな普通の老人だ。
「はい?」
明犀が首を傾げると、老人は風呂敷を差し出した。
思わず受け取ってしまったものの、何だろう。
見やれば、隙間から美味しそうなパンが見えた。
他にも、菓子や飲み物が入っているようだ。
もしかして、家出中だと思われた?
もしくは、ホームレスだと思われた?
前者なら心温まる展開になるかもしれないけれど、
後者だった場合、とても屈辱的である。
「えぇと、あの……僕は別に……」
空腹ではないことを用いて、遠回しに説明し誤解を解こうとした明犀。
だが、それこそが誤解だった。
老人はフォッフォッと笑いながら告げる。
「あそこに住んでる娘に渡してきてくれんか」
手持ちの杖で老人が示す先には、古びた家屋。
あんなところに人なんて住んでいるのか?
そもそも、娘ならば自分で届ければ良いじゃないか。
思うところは幾つもあった。
けれど、頼まれると断れない。
自分の性格に、明犀は小さな溜息を落とす。
*
老人が指し示した家屋へと赴き、様子を窺う。
割れた窓ガラス、ヒビ入った壁、その割れ目に住まう虫たち。
備え付けの呼び鈴は壊れているようだ。
ボロボロの扉を叩いてみるものの、反応がない。
(こんなところに人なんて……)
老人の戯れに引っかかってしまったのではなかろうか。
そう思いつつ、明犀はドアノブに手をかけた。
ゆっくりと回して、引けば。
(あ。開いた)
ギシギシと音を立てて扉が開いた。
恐る恐る、中へと入っていく。
この感覚は、あれだ。
お化け屋敷のそれに酷似している。
一歩進む度、物凄い音を立てて軋む床。
家屋内の部屋を巡りながら、明犀は首を傾げ続けた。
誰もいないじゃないか。まったく……。
引き返し、老人を叱ろうと心に決めた、その時。
カタンと奥から物音が聞こえた。
その些細な音にビクッと肩を揺らしてしまった自分に苦笑。
明犀は、物音のした部屋へと恐る恐る向かった。
大破した扉を跨ぎ、部屋へ一歩踏み入れば。
窓際で、小さな少女が蹲るようにして座っていた。
歩み寄り、声をかけようとした矢先。
「あの……って、うわぁっ!」
床が陥没し、尻餅をついてしまう。
老人から預かった風呂敷も、手元を離れ床に落下。
風呂敷の中から、様々なものが飛び出し散乱した。
それを拾い集めながら、明犀は少女に声をかける。
「君、何してるの。そんな所で」
チラリと見やったものの、少女はフィッと顔を背ける。
何とも愛想のない少女だ。
加えて、とても陰気な雰囲気。
少女の小さな背中は、哀愁に満ちている。
その背中に、過去の自分を思い返してしまった明犀。
纏い放つ空気にしても、死んだ魚のような目にしても。
まるっきり、あの日と僕と同じじゃないか。
そう思い返したからこそ、放ってはおけない。
明犀は、少女の隣にストンと腰を下ろして声をかけた。
名前を訊ねたり、年齢を訊ねたり。
とても、うっとおしいことだろう。
けれど、明犀は知っている。
構わないで、近寄らないで、話しかけないで。
そんな雰囲気を放っているのは、ただの強がり。
本当は、構って欲しいんだ。聞いて欲しいんだ。
そう理解してはいても、容易ではない。
それも知っているが故に、明犀は『解放』の手段を選ぶ。
「ねぇ。君はさ、天使の存在って信じるかい?」
明犀の問いかけに、少女は不愉快そうに顔を顰めて言った。
「そんなの、いるわけないじゃない」
「あははっ。そうかな?」
「そうよ。それに、いたとしても、見たくないわ」
「どうして?」
「天使のお家は、空だから」
「…………」
少女の声、口調、放つ言葉や単語。
その一つ一つに、影と理由が見え隠れしている。
けれど、自分の力だけでは、全てを把握することは出来ない。
明犀は淡く微笑み、自身の内に住まう天使:エステリアスを解放した。
白い光に包まれていく明犀の身体。
眩しさに目を細め、数秒後、少女は飛び込む光景に目を丸くした。
明犀の姿形が、可憐な天使へと変貌していたからだ。
背中に確認できる羽は、見るからに柔らかそうな印象を受ける。
「な、何これ……」
驚きながらも好奇心が勝ったのだろう。
少女はエステリアスの羽に触れながら首を傾げている。
「いるわけないだなんて言わないで。悲しいわ」
柔らかな笑みを浮かべつつ、エステリアスは少女の頭を撫でた。
一度撫でる度、伝わってくる少女の嘆きと過去。
触れた箇所から、彼女の精神世界へと。
結果、少女が心を病んでいる事実と、その理由を知る。
そうか。そういうことだったのか。
目の前で両親を……辛かっただろうね。
こうして映画から外に飛び出してきて尚、その傷は君を苦しめているんだね。
可哀相だなんて同情はしないよ。
同情されたいわけじゃないんだ、君は。
出来うることなら、笑いたいと願ってる。
でも、笑い方がわからないんだ。
笑い方を、忘れてしまったんだ。
いつしか君は、諦めたね。
笑うことを諦めた。
それじゃあ駄目なんだよ。逃げているのと一緒さ。
笑いたくなくなったわけじゃないのなら、前を向かなきゃ。
エステリアスを身体に戻し、元の姿へと戻った明犀。
確かに確認できた事実に、少女は驚き続けている。
「あ、あなた一体、何者なの……」
警戒しているのだろう。少女は壁に背中を押し当てて尋ねる。
そうか。うん、そうだね。的確な質問だよ。
でも。ねぇ。気付いているかな? その質問が意味するものを。
「気になる?」
クスリと笑って問い返した明犀。
少女は一瞬硬直し、何かを振り払うかのように叫ぶ。
「べ、別に気になってないもん!」
何かを隠すように慌てて言う、その表情。
そこに、歳相応の可愛らしさが垣間見えた。
明犀は、風呂敷からパンを取り出すと、
それを少女の口へ、やや強引に押し込んだ。
「はむっ!?」
驚き、次いで不愉快そうに顔を顰めた少女。
不満と困惑に満ちた少女を見やりつつ、明犀は小さな声で呟く。
「過去は、消すことの出来ないものだよ」
「…………」
「過去が後ろにあるからこそ、人は前を向くんだ」
消すことなんて出来ない。過去は消えない。
自分が生きてきた証であり、足跡でもあるんだ。
振り返る必要はないけれど、消そうとしちゃいけない。
歩いてきた道を消すのは、自分を否定することと同じ。
愛してあげなきゃ駄目なんだ。自分を。
自分を一番愛せるのは、自分なんだ。
愛してあげなきゃ、前は向けないんだよ。
全部纏めて抱きしめてあげなきゃ駄目なんだ。
嫌なところも、何もかも。
呆れながらで構わないんだ。
こんな自分、嫌いだよって。
ウンザリしながらで良いから、抱きしめてあげるんだ。
誰かが助けてくれるだなんて思っちゃ駄目だよ。
前を向けるか、歩き出せるか。
前を向く為の目も、歩き出す為の足も、
全部、君のものだから。
君が強くならなきゃ、駄目なんだよ。
俯いたまま、動かない少女。
明犀は、少女の頭にパフッと手を乗せて、もう一度尋ねる。
「君の名前は?」
しばしの沈黙の後、少女は躊躇いながら返した。
「……カ、カリン」
自分の名前なのに、自信がない。
私の名前はカリン。そうだよね? 自分に問いかけながら。
戸惑っている様子の少女に笑いつつ、明犀は風呂敷から飴玉を取り出した。
甘い甘い、苺の飴。コロリと赤く可愛らしいそれを、少女の口へ。
そう。そうなんだよ。難しいんだ。
自分を好きになるって難しいんだ。
だからね、必要なんだよ。
自分を外から見てくれる目も必要なんだ。だから。
「カリン。僕と、友達になってよ」
明犀の言葉に、目を丸くした少女。
口の中で広がり、鼻をくすぐる苺の香りが妙に照れくさくて。
少女はフィッと顔を背けて小さな声で返した。
「別にいいけどっ」
*
青空を嫌った少女に、幸せの一歩を。
青空へ還った過去に、手を振って。
こんなに暗いところ、もうサヨナラしよう。
連れて行ってあげる、青空の下へ。
大丈夫だよ。手を繋いであげるから。
笑顔の作り方も、思い出させてあげる。
友達たくさん呼んで、たくさん笑わせてあげる。
楽しいこと、みんなで教えてあげるよ。
青空の下、君の笑顔が見れますように。
「ねぇ。さっきのパン……床に落ちたやつだよね」
「え? あ、あぁ〜〜〜」
何て的確なツッこみだろうか。
確かに。確かにね、床に落ちたパンだよね。
それを僕は、君の口に押し込んだね。
確かに。確かにね。……あ〜あ。
綺麗に纏めてシメれたぞ、と思ったのに……。
明犀は笑いながら、ポリポリと頭を掻いた。
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クリエイターコメント | こんにちは。初めまして! 参加ありがとうございます^^ 気に入って頂ければ幸いです。 また、お会いできますように。 切に願います。ありがとうございました! 櫻井かのと(2008.10.10)
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公開日時 | 2008-10-10(金) 18:40 |
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