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<ノベル>
「チョコシフォンケーキと苺のミルフィーユ、桜のジュレ一つずつお願いします! 全部セットでアップルティー!」
「了解!」
「承りました」
ハピネスに、いつも通りな元気な声が通る。
アルバイトしてくれている、鴣取 虹さん――ココさん、と呼んでいる――と、住み込みで働いてくれているムービースターの双子の二人。彼等のお陰で、仕事がとっても楽になった。
苦痛だと思ったことは無いのだけれど、やっぱりケーキを作って、お客様をご案内してお会計も……となると、とても効率が悪かった。お待たせしてしまう事も多かったし、ケーキも追加で作ることがほぼ無理で、折角いらして頂いても売り切れになってしまって、がっかりさせてしまうことが何度もあったのだけど。
今は、今日はいない、もう一人のムービースターを含めて、接客をしてくれるヒトが居てくれるから、私は作ることに集中できて、とっても助かっている。
厨房にいても、お客様が「美味しい」と言って下さるのが聞こえると嬉しいし、お会計の時に「また来ます」と声をかけて頂いたくと、この仕事をしていて本当に良かったと実感する。
接客のみんなを目当てにお客様が増えて忙しくはなったけど、そういう言葉のお陰で、疲れは全部どこかへ行ってしまう。
後片付けもみんなでするからはかどるし、翌日の仕込み作業だって、材料やお皿の用意を完璧に整えてくれるから、とっても助かっている。
今日はいつもよりも混んでいる。女性のお客様にもお買い上げいただいているけれど、ホワイトデーだから、男性のお客様がお返し用にとお持ち帰り用にラッピングしてあるクッキーやマシュマロ、キャンディをお求めになっているからだと思う。最近のラッピングは殆どココさんがしてくれている。
ステンシル柄や水色と白のストライプの紙を透明の紙で包んで、オーガンジー素材のリボンで口を止めてある。シンプルだけど、とても綺麗に仕上がっている。
多く用意しておいたほうがいいんじゃないすか?
そうココさんがアドバイスしてくれたおかげで、売り切れにならなくて済むみたいだ。いつもと同じ量を用意しておいたら、きっと夕方前になくなっていた。
昨日は二人で夜遅くまで残って、作っていた。大変だったけど、なんだかとても楽しかった。
私はフルーツケーキにチョコレートソースをかけながら、最近とみに忙しいのに、何でこんなに楽しいんだろうなんて、そんな事を考えた。
「桜さん、お疲れ様っす!」
「はい。今日もお疲れ様でした」
閉店時間が来て、締めも終わって、明日の仕込みもそろそろお終いと言う頃にココさんが労いの声をかけてくれる。掃除はココさん達が引き受けてくれている。もう終わったみたいだ。
「じゃあ店長さん、俺達先に帰るよ」
アルバイトの双子さんが私達に声をかけて一足先に帰っていく。お兄さんは軽く頭を下げて、弟さんは明るく手を振ってくれる。似てるけど、性格が全然違う。なのに仲がいいので、兄弟の居ない私には羨ましい。
「いつも仲いいっすよね、あの二人」
「本当。でもココさんだって、仲良しじゃないですか」
同じ事を考えていたのがなんだか嬉しくて、つい顔が綻んでしまう。
「……アイツは別に弟じゃないっすよ?ただの同居人で……」
そ、と目線を逸らす。でも、その様子は嫌がっているものではなくて、照れくさいみたいだ。氷雪の王子様はたまに来てくれる。とても可愛い。
つい、くすくすと笑ってしまうと、ココさんは照れながら頭をかく。ココア色の髪が優しく揺れる。
「……っと、その。今ちょっといいすか?」
「? はい、大丈夫ですよ?」
珍しくはっきりと言わない物言いで、身に付けたままのエプロンのポケットに手を入れている。その手はもぞもぞと動いている。
「これ、バレンタインのお返しっす!」
ポケットに入ってる手とは逆の手で、可愛くラッピングされた小さなカゴを私に差し出した。
「いいんですか? ありがとうございます……!」
ホワイトデーだとちゃんと認識していたのに、まさか頂けるとは思ってなかったから、とても驚いて、それ以上に嬉しい。ココさんはとても律儀な方だけど、どうして考えていなかったんだろう、私。
「あと、あー……っと、これ、を」
続いて差し出されたのは、一枚の薄い封筒。今度はポケットの中から。
薄い緑色で、コンビニチェーン店の店舗名が印字がされている。軽くて、まるで中に何も入っていないみたいな感触なのだけど、ほんの少しだけ固い感触があるので、何がしかが入っているのは間違いなさそうだ。
「これは?」
「……開けてみて貰ってもいいすか?」
遠慮がちな進めの声にしたがって、封筒の糊付けがされていない口を開ける。
中には、一枚のチケット。
【空に願いを】
美しい夜明け空の背景に優しい印象の字体でそう刻印されている。
「これ……」
「いやホラ、前に桜さん、これ見たいって言ってたじゃないすか。だからその、丁度公開初日のチケット取れたし、今日ホワイトデーだし、それに、その日は…………定休日じゃないすか!! だから良かったら、一緒に行けないかな、なんて……俺も見たかったですし」
チケットの日付を見ると、確かに初日の4月1日とある。その曜日は確かにハピネスの定休日だ。
でも、それは本当に偶然で。
4月1日は、私の誕生日だ。勿論、ココさんは私の誕生日を知らない。そういう話題は、彼の前では出た事が無かった。
結果として誕生日にココさんと出かける事になった。
「……もしかして、もう予定とか入っちゃったりしてます……?」
ついチケットと日付を凝視してしまっていたので、返事をするのは失念してしまっていた。申し訳なさそうに言うココさんに、私は慌てて首を振る。
「いいえ! そんな事無いです、すごく嬉しいです!」
うっかり大きな声を出してしまって、ココさんを驚かせてしまった。
「あ、ごめんなさい。凄く嬉しいです、見たかったから……」
結構前に、休憩時間にテレビのコマーシャルで流れていた時に言っただけなのに、覚えていてくれたのだろうか。
「喜んで貰えて良かったっす!」
ココさんが安心したように、そしてとても明るい笑顔をするから、もう、本当に嬉しくなってしまった。一日の心地良い疲れも全て吹き飛んで、たっぷり寝た後みたいに爽快感が全身を包む。
二週間後が、本当に楽しみになった。
こんなに誕生日が待ち遠しいのは何時振りだろうか、と思うと、少しだけ、胸が痛んだ。
4月1日。
待ち合わせ場所は、銀幕広場にある噴水の前。映画の開始は14時30分からだったし席も既に予約されていたから、待ち合わせ時間は14時だった。ここから映画館まで、そう遠くはないので、丁度いい待ち合わせ時間だった。
私は、アイボリー地に黒のラインが入ったワンピースの上に黒いドビートッパージャケットのボタンを開けて、羽織っている。薄手のものなので、よく晴れて少し風のある今日には丁度良い。
遅刻するよりは早く着いた方がいいだろうと思ったけど、出ようと思った時間は12時だった。それは流石にやりすぎだろうな、と13時に家を出た。 ……それでも、30分近く早く着いてしまった。
頃合が難しい。あんまり早く来過ぎて、浮かれてると思われたら気恥ずかしいし。でも嬉しいのは確かだから。
遅刻するよりはいい。と、何度も何度もまた思い返して、時計を確認する。
13時50分。もう少し。
深呼吸する。
暖かいけど、風のおかげでほどよく冷えている空気が入ってくる。
腕時計を確認する。 13時50分46秒。 いつもより時間がゆっくり過ぎているような錯覚がする。
ぽん、と肩をたたかれて、振り返る。
「こんちわっす!」
デニムのジーンズと白のジップアップパーカを着た、ココさんが居た。
「っと、遅れてないっすよね!?」
慌ててココさんが時間を確認するように、ショルダーバッグから携帯電話を取り出して時間を確認する。
「いえ、私が早く着すぎたんです。すいません、お気を使わせてしまって」
「別に桜さんは悪くないっすよ!? 俺の方こそ、すいません!」
……
少し見つめあって、私達は同時に噴出した。
だって二人一緒に同じことで謝るなんて、可笑しい。
「じゃ、時間近いっすし、そろそろ行きます?」
「はい」
鞄をかけ直したココさんに促されて、私達は映画館へと足を向けた。
映画館は結構混雑していた。コマーシャルで流れていて話題になっていたし、初日だから、余計だろう。
前売り券があって良かった。改めて、ココさんにお礼を言わないと。
あまりお腹は空いていなかったので、飲物だけを買って館内に入る。
座席は真ん中ではなくて、最後列だった。
私は映画を見るときはいつも最後列だったから、凄く安心した。後ろの人を気にしないで背もたれに寄りかかれるし、位置を治すのにも左右に気をつけるだけでいいから、一番後ろが一番好き。
なんで知ってくれていたんだろう?
「…すいません、一番後ろしか取れなくて」
申し訳なさそうに、ココさんが言う。席は偶然だった。
「ううん、私、いつもこの位置の席なんです。私にとっては真ん中よりもとっても見やすいですし」
そう言うと、ココさんはちょっとビックリして――それから、嬉しそうに笑った。
「俺もっす! 見てる最中に伸びても平気っすしね!」
「ですよね、とっても気が楽です」
些細なことだったけど、同じ気持ちになれたのがとても嬉しい。
そうこうする内に、館内の照明が少し落とされて、入ってくる人もまばらになった。何とはなしに見回すと、内容が内容だけに、女性だけのグループも多いし、意外と結構カップルが多い。
自分の考えを意識しすぎだ、と軽く頭を振って打ち消す。
映画の内容は、特別珍しいものではない、でもほんのり哀しくてそしてとても優しいラブストーリー。
薄雲太夫という花魁と、大身旗本の若様との身分違いの恋。
パンフレットによれば、大身旗本というのは“身分が高く、禄高の多い人。位が高く富んだ家の人のこと。”とある。徳川家ほどではなくてもかなり偉い家柄の武士なのだろう。
身分違いは今の私達にはあまりに縁遠い単語だけど、その辺りも丁寧に描かれている。
花魁と見舞えるまでの手順などもあり、それがとても判り易くて世界観に入り込みやすい。時代劇は少し縁遠いかと思っていたけれど、そんな事は無かった。
旗本の若様がお忍びで街を散策している時に、花魁道中の明雲太夫を出会う。あまりの美しさと気高いまでの雰囲気に飲まれて、その場に立ち竦む。チラリと視線が合ったかの様にも思われたが、あまりの瞬間の事なので判らずじまい。
太夫の事が忘れられずに、自分の手足で彼女の名前と揚屋を調べて通い始める。
しきたりに従って、3回目でやっとお馴染みのお客に。若様が笑って話しかけても、太夫は愛想笑いだけ。けれど、大抵の客は床入れをするのに、若様はただ、話をしただけで満足している様子。そのまま違う布団で寝入ってしまった。
太夫の自分を指名しておいて。明雲太夫は面食らったけれど、指名が相次いで疲れた身体を休めるのに丁度良いと、久しぶりの長い睡眠を味わった。
その日以来、若様はよく訪れて明雲太夫を指名して、合わなかった間にあった事、日常であった愉快な事等を話して、太夫を楽しませた。少しずつだが明雲太夫は心からの笑顔を見せるようになる。
ある日、太夫が尋ねる。「貴方は何故話しをするだけなのですか」と。
若様はこう答える。「眠るという行為は、とても大事なことだから。身体を壊しては一大事だ」と。
太夫は若様の気遣いに気が付き、とても嬉しそうに、「ありがとうございます」と礼をする。
二人の関係は長く続き、やがて眠る時に手をつないで眠るようになる。
しかし大身旗本の跡取りが妻も娶らず、太夫とはいえ吉原の花魁に入れ込んでいるというのは外聞が悪い。そう父に言われ妻を取らされそうになるが、若様は頑として首を縦に振らない。
「少しは武家の誇りを持て、相手は高々遊女ではないか」と言われ、「ならばこの家を出る」とまで言い出す。父は若様を愛しているからこそ、然るべき家の嫁を迎えて家と将軍のために働いて欲しかった。
弟の気持ちを判っていたからこそ、若様は苦悩する。
家も家族も大事だけれど、明雲太夫との恋も諦めたくは無い。
その苦悩に気付きながらも、身分違いも熟しているけれど、若様を失いたくない太夫も悩み苦しむ。
ある日の晩、若様がぽつりと「二人で、彼岸で暮らすか」と零す。若様ははっとしてすぐにそれを否定したが、太夫は「御前様をお迎え下さいませ」と進言するが、若様は優しく太夫の手をとり、「私はお前がいい」と答え、抱きしめる。
ある日父に呼び出された若様は、真剣での稽古を付けられる。父は若い頃は名うての剣士だった。幾度かの打ち合いの後、若様は片目を切りつけられてしまう。
結果、若様は片目を失ってしまう。その若様に父が投げた言葉は、「そんな目で諸国大名に見える事は無様、後は次男に継がせる、何処へなりと行くがいい」
僅かな荷物と金銭を持って屋敷を出ると、そこには飾り気の無い女性が立っていた。
明雲太夫だった。
花魁が共も付けずに吉原を出ることは硬く禁じられている。しかし彼女は眼の前に居る。
ー若様の父親が身請け代を支払っていたのだ。
二人は抱き合い、そしてエンドロール。
そしてロールの後に、十年後の様子が描かれ、幸せな家庭を築いて暮らしている二人が居た。
別段、素晴らしい内容という訳ではなかったけれど、でも、描かれ方がとても丁寧で、役者さんの演技も素人目にも素晴らしくて、そしてラストシーンの幸せさがとても嬉しかった。
ラストシーン辺りから感情移入してしまって、涙が止まらなかった。
何度もぐすぐすとしてしまって、ハンカチを出す余裕もなかった。
すると、横から綺麗に畳まれた水色のハンカチが差し出された。ココさんだ。
映画は流れていたので、声に出して御礼はせずに、頭を下げてありがたくハンカチを受け取る。ココさんは1度私の頭を撫でてから、そっと私の手に触れて、包んでくれた。
完、とスクリーンの端に出てから館内が明るくなる。
よかったよね、とか、意外とつまらなかったね、とか、賛否両論の感想が飛び交う中、私みたいに泣いている子もいた。ちょっと恥かしかったけど、自分だけじゃないんだなと安心した。
ここの映画館はゴミを座席に残したままで平気なのが楽。その分清掃時間が入るから次の映画までのスパンが長いけれど。
「面白かったすか?」
「はい、私はとても。誘って下さって、本当にありがとうございました」
「いえ! 桜さんが喜んでくれたら、それでいいんす! なにせ今日は……」
「?」
「……ホワイトデーのお返しっすから! 桜さんの為の日なんすよ!」
「大袈裟すぎませんか? でも、嬉しいです」
どこか慌てた様子のココさんが、面白くて可愛かった。
映画を見てからはカフェにでも行こうと約束していた。何でもココさんのお友達が以前アルバイトしていた所らしい。
「こっからそんなに遠くないんすよ! あっちのほうなんすけどね……って、すす、すいませっ!」
ぐっと伸ばした手は、私の手を包んでくれていた手で、ココさんはそれに気が付いて慌てて手を離す。
「いいんですよ、そんな、その」
むしろ嬉しいですよなんて言えなくて、言葉だけで必死に否定する。伝わるといいんだけど。
「とりあえず、行きませんか? 私お腹すいちゃいました」
「そ、そうっすね! 軽食とかあるし、美味いし!」
もう一度手を引いてくれるかな、とちょっと期待したけど、ココさんは笑いながら先導してくれた。
……なんでそんな風に思ったのかを鑑みて、息が零れた。
何で気付かなかったのかとか、鈍いなぁ、とか。
けれど、それらは全てすぐに喜びに変わる。
少し小走りに追いつく。ココさんはすぐに歩幅を併せてくれた。
ココさんお勧めのカフェはオープンカフェで、とても綺麗なお店だった。店員さんの制服も可愛かった。
今日はお友達は働いていないのか尋ねると、どうもクビになってしまったらしい。
「詳しくはしらないんすけど、社長の所為らしいんすよねー」
「へぇ……なんだか大変ですね……大丈夫なんでしょうか」
社長、とはココさんのアルバイト先の社長さんで、ムービースターの方らしい。直接お会いしたことは無いけれど、お話は何度か聞いている。
そんな話をしているうちに、オーダーしたものが運ばれてきた。
私はトマトのブルスケタッタとレモンティー、ココさんは生ハムとチーズのパニーニとアイスコーヒー。
トマトがとても新鮮で私の好きな歯ごたえをしていて、どんどん進む。
「桜さんはトマト平気なんすか? 苦手な奴多いっすよねー」
「私は大好きですよ。甘いところとかが。というか、甘いものが大好きなんです」
「俺も好きっすよ、甘いもの! もしかして、辛い系は苦手です?」
「…はい、唐辛子とかダメですね……舌がピリピリしちゃって」
子供っぽいかな、と少し不安だったけど、ココさんも辛いものより甘いものの方が好きらしくて、安心した。
「だからかな、お菓子作りとか、好きです。仕事と趣味とは分けてますけど」
「へえー、でもいいすよね、好きなことが仕事って。幸せじゃないすか。俺なんてゲームとか映画見るのが趣味っすからねー」
「私も見ますよ、恋愛映画が多いですけど」
「俺はー…ファンタジーとかが好きっす。魔法使えたらいいなー、なんて」
「あ、思います。空飛べたらなって」
知り合ってとても長いわけではなかったけど、結構話をしたり、出かけたこともあるのに意外と知らない所が多かった。
知らないと言う事は少し寂しいところがある。勿論全てを知ると言う事は無理だけど、でも出来るだけ知りたいというのは自然な欲求だと思う。
だから余計、今この一時が楽しかった。 できるなら、ずっとずっと続けばいいと、そう思った。
風が出てきた所為か肌寒くなって、時計を見るともう18時になっていた。30分くらいしか話してなかったと思うのに、驚いた。
軽食を食べながらだったからという所為もあるだろうけど、全然気が付かなかった。
「もうこんな時間っすね? 早かったなぁ……」
「本当ですね、あっという間でしたね。 今日はありがとうございました、とっても楽しかったです」
「いえ、こっちこそ! あ、その、えと。あー……っと、送ってきます!や、送らせて下さいっす!」
「でもココさんのお宅はハピネスとは逆の方向じゃ……ご家族も居るのに、ご迷惑です」
嘘。
本当は嬉しかった。だってまだココさんと一緒に居られるもの。でも氷雪の王子様がきっと待っているだろうと思うと、引き止めるのは私のエゴの様な気がした。
「いや、大丈夫っす! 19時までには帰るって言ってありますから!」
ベルトに引っ掛けてある懐中時計を見ながら、ココさんは飛び切りの笑顔で答えてくれた。
のんびりとハピネスまでの道を行く。
最近、すっかり日が高くなって、18時30分になったのに、ほんの僅かにまだ夕暮れの明かりが差し込んでいる。
「じゃあ……ここで」
ハピネスの前に着いてしまった。名残惜しいけれど、もう会えないわけじゃない。
「……桜さんっ」
帰る為に少し距離を置いた時、ぎゅっと腕を掴まれた。痛みが無い程度に、確りと。
「は、はい。なんでしょうか」
なにやら思いつめた様な、強張った表情のまま暫く固まっていたけど、やおらショルダーバックから可愛らしくラッピングされた箱を取り出して、私に差し出す。
淡いピンクの包装紙に、花が模られたリボンがあしらわれている。
「これは……?」
「誕生日プレゼントっす! 今日、誕生日ですよね?」
「え!? そうですけど、知っててくれたんですか……?」
そう。
今日、4月1日は私の誕生日だ。
でもどうして知っていてくれたんだろう……。
「はい、その、なんていうか、アレなんすけど。ぽろっと、聞いたんすよ」
教えたヒトと言うのは、ハピネスでアルバイトしている双子の弟さんの方らしかった。そのヒトは色んな事を言いふらすようなヒトじゃないから、気を利かせてくれたのか、特に何も意識していなかっただけなのか、どうなのかは判らないけど。
「その、俺なりに桜さんに似合うと思ったもの選んだんで。喜んでもらえると嬉しいっす!」
夕暮れ時でも判る。ココさんの顔が赤い。照れてる。
「それじゃ俺ここで夕飯の支度もあるんで煩い奴等がいますから今日はありがとうございましためちゃくちゃ楽しかったっす!」
息継ぎ無しに一気に話して、私がお礼を言う前にぺこって頭を下げてくるっと背中を向けて、猛ダッシュで帰って行ってしまった。
もう1度私にもお礼を言わせて欲しかったのに。
でも、メールも電話もあるし、明後日はココさんはハピネスでアルバイトしてくれる日だから、お礼を言える機会は沢山ある。
きゅっと頂いたプレゼントを抱きしめる。
そしてブレスレットに触れる。ココさんとお揃いのもの。
仕事中はクリームがついたりボウルの中に入ってしまうといけないから身に付けられないけれど、こうやって出かける時は必ずつけている。
早く帰って中が見たい。
ドキドキしながら気持ちだけ急いているからなかなかバッグの中から鍵が取り出せない。
「あ」
やっと取り出したかと思ったのに、ぽろっと手から零れ落ちる。
浮かれすぎてるな、と自戒しつつ、しゃがんで鍵を拾おうとしたけど、すっと別に手が伸びて着て私より先に鍵を拾う。
「あ。どうもありがとうございま……」
憮然とした表情で私に鍵を差し出しているのは、1ヵ月半前のバレンタインの日にハピネスに来てくれた、ハーフアップの彼女だった。その前にも1度あったことはあるけれど、名前はまだ知らない。
「……いえ」
少し長めだけど、綺麗に整えられた爪。
たまに羨ましくなるけど、調理する時は邪魔になるしそういう職業の者が爪が長いのは何となく不衛生な気がするので、それを思うと今のままでいいやと思う。
「……あの! ……わたしだって、ココくんの事、好きなんだから。だからまだ諦めないんだから!」
ビックリした。
勿論というか、気はついていた。この子はココさんの事が好きなんだろうな、と。
私と同じ様に。
彼女はしっかりと私を見ているけど、どこか申し訳なさそうに、でも強気な雰囲気は損なわず。
「私は……」
真っ直ぐな目が突き刺さる。気圧されて言葉が巧く出てこない。
だけど、ここで誤魔化す事もできない。
自分の気持ちを偽りたくないし、それはココさんにも彼女にも失礼だと思うから。
一呼吸おいて、大きく息を吸い込んで、真っ直ぐ彼女を見る。
「私もココさんが好きです。私も諦めません」
言った。
口に出して、自分の気持ちを確かめた。
そしてそれを私以外の人に伝えた。
心臓の鼓動がいつものよりかなり早い。全力疾走したときよりも早い。
バッグのハンドルを握る手が小刻みに震えてるし手の平もしっとりと汗ばんでいる。喉も乾いてきた。
とうとう言ってしまったというう気持ちが強い。でも後悔は、欠片もない。
「……わ、わたしだって……負けないんだから!」
そう言って、彼女は徐に私の頬をむにっと、軽く摘んで舌を出して笑った。
何か言う前に「じゃあね!」と言って、走って帰ってしまった。
私は予想外の彼女の行動に驚いて、暫くぼうっと立ち尽くして……彼女の行動が可愛く思えて、ふふっと息が零れた。
部屋に戻り、上着を脱ぐのもそのままに、丁寧に丁寧にラッピングを解く。
ラッピングの下には正方形の箱が入っていた。
深呼吸して目を瞑って蓋を開ける。
「……わ……可愛い……!」
キラキラと輝くペンダントは、ダイヤモンドでハートのラインを作っていて、真ん中にはピンクトルマリンで模られた花。その花の中央にはムーンストーンで作られている。
電気の光にかざすと、控えめながらもしっかりと瞬く。
結んで後ろに流していた髪を前に垂らしてペンダントをつける。
鏡の前で気取ったポーズを取ってみる。
「……似合うかな……?」
これなら、コックコートの下になるとはいえ、いつでも付けていられる。
でもこれ、高かったのではないだろうか。気を使わせてしまったかもしれない。
……だから、最近少し忙しそうだったんだろうか。
アルバイトの量も増やしたと聞いた。
でもとても嬉しい。このお礼は何でお返ししよう。
ココさんも甘いものが好きだって言ってたから、ケーキを作ろうかな。後は今度ココさんのお誕生日も聞いておかなくちゃ。
また鏡に翳すと、宝石が優しく光る。
まるで、ココさんが笑ったみたいに明るい。あの人の笑顔は、周りにいる人も巻き込んで明るい、元気な気持ちにさせてくれる。
それだけではないけど、だから私はコさんの笑顔が大好き。
ダイヤモンドは4月の誕生石。
ピンクトルマリンに込められたは、愛を育む石だと以前聞いた事がある。
ムーンストーンは恋人の石と譬えられる。
……。
うわぁ。
ペンダントに触れながら、顔が赤くなるのが鏡を見なくても判りすぎるくらい判る。
ココさんはそう思ってくれているんだろうか。
私と同じ気持ちで居てくれているんだろうか。
勿論私の勝手な想像かもしれないけど、そうだったら嬉しい。
誰かを好きになるって、恋をするって、そうだ、こんなにドキドキして、楽しいものなんだ。
次にココさんと会うときを思うと、とても照れくさいけれど、とても待ち遠しい。
でも会う前に、この嬉しい気持ちを伝えたくて、私は携帯電話を取り出した。
声が聞きたかったけど、意識し過ぎてしまいそうなのでメールにする。
早く日が過ぎればいい。
そして、また、あの人の笑顔が見たいと、そう思った。
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クリエイターコメント | オファーありがとうございました。
お二人の初々しさに、もう辛抱たまらん状態でした。 これからのお二人の関係がどう進んでいくのか、ドキドキしながら見守らせて頂きます。 (デバガメともいう)
この度はどうもありがとうございました! これからのお二人のご多幸を、心からお祈り申し上げます。 |
公開日時 | 2008-04-01(火) 10:00 |
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