★ 【選択を前に】 a pass ★
クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号364-7534 オファー日2009-05-04(月) 21:47
オファーPC 片山 瑠意(cfzb9537) ムービーファン 男 26歳 歌手/俳優
<ノベル>

 強引に喩えるなら、レヴィアタンは魚、ベヘモットはムカデだった。
 ならば今、銀幕市という箱庭を睥睨するマスティマは何に喩えられるべきなのだろう。虫一匹逃すまいと目を光らせるこの奇怪で冷酷な獄卒は。
 だが、あれが人の心の集まりであるというのなら、そもそも形あるものになぞらえようとすること自体が無意味であるのかも知れない。


 希望の名を持つ少女も夢の神子も犠牲にしたくない。誰か一人に責任を押し付けて、「全て無かった事」にすることなんてできやしない。
 もしあの二人のどちらかを犠牲にしてしまったら自分は一生後悔し続けるだろう。あの二人が居なければ、この街の皆とも、誰よりも大切だと思えるような相手とも出逢うことはなかった。自分自身を見つめ直す事もなかった。
 それにマスティマは自分たちの絶望で出来ている。だったら、その絶望を作り出した自分達こそが責任を取らなければならないのではないか?
 倒せないと定まったわけではない。無謀だと言われることは承知している。だが、少しでも可能性があるのならそれに賭けてみたい。
 ――黄金の名を冠するタナトス将の前に立った片山瑠意は、苦悩の末に見出した決意をそんなふうに吐露したのだった。


 「ああ、投票も済ませて来たよ。……うん? そりゃ迷わなかったわけじゃないけどさ。でも、もう決めたんだ」
 義母からの電話を受けながら、瑠意はどうにも奇妙な感覚に捉われていた。携帯電話越しに聞く母親の声はひどくクリアだ。こうやって話しているといつもと変わらぬ日常の中にあるかのような錯覚に陥ってしまいそうである。
 だが、生きているのは通信関係だけ。不可視の障壁に閉ざされた銀幕市は今や文字通り“孤立”している。
 「逃げ場がないのは分かってる。でも大丈夫だから。え? うんうん、心配する気持ちは分かるし、ありがたいと思ってるけど」
 心配して電話をくれた母親を少しでも安心させるように、そして自分自身をも鼓舞するように笑ってみせる。電話では表情まで伝えることはできないが、それでも。
 「大切な人たちを守りたいんだ。守れなかったって後悔したくないし……剣を使うのを黙って見ていることしかできなかったって悔やむのも嫌だ」
 窓の外はやけに静かだ。往来を行き交う人の姿も見当たらない。確かに、銀幕市の制空権を――もしかすると、市の命運そのものまでをも――掌握しているあの怪物の眼下で散策を楽しみたいなどと思う市民は少ないだろう。
 それでも瑠意の部屋のカーテンは開け放たれている。圧倒的な絶望の足許に晒されることを忌避するでもなく、いつものようにカーテンを開けている。
 「俺は絶対に生きて帰る、母さんたちを悲しませたくないから。だから心配しないで待ってて欲しい」
 凛と告げる双眸の先にはマスティマ。不気味な沈黙を保ち続ける、絶望の頭領。
 彼の者に打ち勝つための道は真っ直ぐでも平坦でもない筈だ。もっとも、どの選択肢に票を投じたとしてもハイウェイのように走りやすい道など用意されてはいないだろう。
 道がないなら自分で作ってやると、瑠意ならそう思ったかも知れないが。


 覚悟なら定めた。しかしどうにも落ち着かなくて、電話を切った後でカフェ・スキャンダルへと足を向ける。店内には瑠意と同じことを考えた客や選択に関する話し合いを行う市民たちが顔を見せていた。
 マスティマへと対峙する方法を模索している者たちもある。その席に加わった天人の美丈夫の姿を見とめ、瑠意の心臓がことりと身じろぎした。
 適当な席に腰掛け、オーダーを済ませてぼんやりと考え込む。
 (……本当は)
 瑠意の心情に呼応したというわけでもあるまいが、右手の中指にはめたリングがちかりと光り、肩の上から滑り降りたハーブカラーのバッキーが不思議そうに首をかしげた。
 深い色の、しかし湖のように透き通ったアメジスト。瑠意の髪の毛や瞳と同じ色合いの石を狼の細工が抱くデザインのそれは、昨年のバレンタインデーに愛しい人から贈られた品だ。
 スターは魔法が解ければ消えるさだめにある。恋人もそれを知っている。だからこの世界の物質で作った指輪をくれたのだ。己の身が消えた後もここに残るようにと。
 精緻に作り込まれた美しい狼――そう、恋人の一字を名に持つ獣だ――が抱く紫水晶を見つめる双眸がわずかに愁いを帯びる。
 (ヒュプノスの剣を選びたい……けど)
 誰よりも大切な恋人はムービースターだ。彼といつまでも一緒に居たい。だから白銀の将が携える剣を用いるのが最良だと考えたこともあったし、出来ることならそうしたかったという思いが今でもちらと脳裏をよぎる。
 「お待たせいたしました。ホットコーヒーでございます」
 「ああ……ありがとう」
 ぎごちない微笑と型通りの挨拶を返して温かいカップの中にミルクを垂らした。とろりとした白はひきつれたマーブル模様を描きながらゆるゆるとコーヒーに呑み込まれていく。
 (ヒュプノスの剣を使ってしまえば、病院で眠り続けるあの子は永久に目覚めない。死ぬことはないけど……両親と一緒に笑い合うこともできないんだ)
 市長。大女優。あの少女の親である二人の顔がかつて見た義両親の表情と重なる。
 子供の頃、家に押し入ってきた強盗に斬りつけられて重傷を負った瑠意は一か月以上意識不明のまま生死の境をさまよった。「早く目を覚ましてほしかった、喪いたくない」。意識を取り戻した瑠意に向かって憔悴しきった顔でそう言ってくれた義父母の姿を思うと、あの少女の胸を剣で貫いて永遠の眠りに就かせるという選択肢に票を投じることはできなかった。
 皆や大切な人たちがこの街で暮らせるのは市長のおかげでもある。その恩を仇で返すような真似はしたくない。
 かといってタナトスの剣を用いるという選択肢は頭にはなかった。夢神の子を殺して魔法を無に帰すのはこの街で積み重ねた日々を否定することになる。巨大な絶望との数々の戦いも、恋人を含めたすべてのスターの存在すらも。それだけは絶対にできないし、したくない。
 それに――投票の場で述べた通り、絶望を生み出したのは他ならぬ自分たちなのだと瑠意は思っている。その責任を誰か一人に背負わせる訳にはいかないのだとも。
 「………………」
 縋りつくようにとまではいかない。しかし無意識に伸びた両手は温もりを求めるようにカップを包み込み、かすかに震えていた。考え込むうちにコーヒーは少し冷めてしまっていたが、瑠意をほんの少し安堵させてくれる程度には温かさを留めていた。
 (……やっぱり、俺にはこの道しか選べない)
 戦えぬ者も、戦いを望まぬ者も多いことを知っている。だから我儘であることは瑠意自身がよく分かっている。利己的だと罵られても甘んじて受けよう。
 自分で決めたことだ。最後まで見届ける。たとえ待ち受けているのが曲がりくねった峠のような坂道だとしても、前だけを向いて。
 (――よし)
 顔を上げた瑠意はコーヒーを一気に半分ほど飲み干した。メニューを手に取り、店員を呼ぶ。
 「イチゴタルトとマンゴープリンパフェお願いします! あ、イチゴタルトは生クリーム添えでよろしく」
 そして、食欲魔人の本領発揮といった顔でオーダーを追加した。


 テーブルを訪れた市民たちと会話を交わし、コーヒーを飲み、スイーツをつつきながらティータイムは続く。
 瑠意とは違う選択肢に票を投じた者もいた。皆が正面から向き合い、考え抜いて出した結論なのだということが痛いほどに伝わってくるから、瑠意は神妙な顔で肯きながら彼らの話を聞いていた。
 瑠意とて自分の選択肢に自信があるわけではない。そもそも真に正しい答えなどないのではないかとすら思う。ただ後悔はしたくない、そのためにはどうすればいいのかと考え続けて辿り着いた結論が、瑠意の場合はマスティマとの対峙であったのだった。
 会話が一段落した頃を見計らい、ちょっと外の空気を吸って来ると言い置いてテラスに出た。
 見上げる空には相変わらず巨大な絶望が居座っている。
 ――意地悪にワインディングした峠の先にどんな景色が開けているかなど、上らなければ分かりはしない。分からないから上る。上ってみれば良かったと後になって悔やむくらいなら、血反吐を吐き、地べたに這いつくばってでも上りきってみせる。
 深々と息を吸い込んだ瑠意は真っ直ぐに背を伸ばし、胸を張り、唇を引き結んでマスティマを仰ぎ見た。
 

 天空に君臨する絶望の王は未だ沈黙を保っている。彼の者を形作る数多の顔が叫んでいるのは憎悪にも殺意にも、断末魔や怨嗟のようにも見えた。
 それでも今はこんなにも静かだ。この静けさの後に一体どんな嵐が訪れるのか、未だ誰も知りはしない。
 残酷な猶予にじりじりと心身を焦がされ、ある者は煩悶し、ある者は覚悟を定め、ある者は滂沱し……それぞれに審判の刻を待つ。


 (了)

クリエイターコメント※このノベルは『オファー時点での』PC様の思いを描写したものです。


ご指名ありがとうございました、宮本ぽちでございます。
【選択の時】をテーマにした企画プラノベをお届けいたします。

pass にはたくさんの意味がありますが、今回は「峠道」「危機」「通過」の意味で選びました。
曲がりくねった峠道のように先の見えない状況・危機であることには違いないけれど、それを無事に通過できることを願っている…そんな心情なのかな、と拝察いたしました。
頭を悩ませた果てのご決断なのだろうとも感じましたので、その辺りも少し。
…指輪のくだりとか、おせっかいでしたかね(ドキドキ)。

迷いながらも固めた決意というイメージでしたが、適切に描写できたでしょうか。
素敵なオファーをありがとうございました。
公開日時2009-05-08(金) 19:00
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