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<ノベル>
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
緩やかにカーブする煉瓦の道を、冬でも緑を絶やさない樹木が縁取っている。
そこかしこにある白いベンチは唐草の意匠を施され、公園の真ん中には小さな噴水が水と光を散らしている。
大きな規模ではないけれど良く整備されたこの公園は、土日ともなれば格好のデートスポットになるのだけれど、平日のこの時間は散策を楽しむ人々の姿が見られるばかりの穏やかさだ。
そんな公園の小道を、買い物を終えたばかりの李白月は慣れた様子で歩いていた。後ろで包帯でひとつにまとめた長く白い髪が、歩みのたびに背中で跳ねている。鍛えられた身体に、カンフースーツがよく似合っていて、すれ違う人を振り返らせたりしているが、本人は全く気づいている様子はない。
ここは白月のいつもの買い物ルート。公園の中を横切れば近道にもなるし、緑に囲まれたこの場所を歩くのは心地良い。
今日は買いに行ったものがちょうど安売りをしていて、白月の気分は上々。
小道を歩く足取りも軽く……。
「あれ? あの子……また座ってる」
歩みをふと緩め、白月はベンチに座る少女を眺めた。
清楚な白いワンピースは十分に膝を隠す長さ。その肩からかかる黒髪が、ワンピースとくっきりと対照を見せている。歳は白月よりも2つ3つ下、といった所だろうか。
特に何をするでもなく、膝の上で白い手を握り合わせ、静かに顔を空に向けている。
公園の風景に溶け込んでしまうような儚いその様子に、小道を行く人々は誰も目も向けない……けれど。
何故か気にかかって、白月はその前で足を止めていた。
「こんにちは。良くここにいるんだね」
声をかけると少女は驚いたように目を見張り、そして微笑んだ。
「ここから眺める空がとても綺麗なので……」
「そうなんだー。俺も見ていいかな?」
「ええ、どうぞ」
買い物袋を膝に乗せ、少女と同じように見上げれば、木々の間に帯に挟まれた空が目に入った。風に揺れるたび光を散らす緑の縁取りと、その間に広がる空……一刻ごとに違う表情をみせるその風景は確かに美しい。
視線は空に向けたまま、白月と少女は他愛ないあれこれを喋った。少女は自分の事を語りたがらなかったから、その分も白月が自分の身の回りのことを話した。
やがて空が赤みを帯びてきたことに気付き、白月は慌ててベンチから立ち上がる。
「っと、もうこんな時間! 帰らないと」
いつまで買い物をしてるんだとからかわれてしまうと焦る白月に、少女はくすっと笑った。
「気を付けて……」
「うん、ありがと。俺、またここに来るから、会えるといいな」
じゃあと手を軽く掲げてみせると、白月は大急ぎで帰途についた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その日から、毎日公園に寄って少女と話すのが白月の日課になった。
何でも喜んで耳を傾けてくれる少女の為に、白月は自分のこれまでの武勇伝や、銀幕市で知り合った人々、出合った事件等、思いつく限りの話をした。
少女は、悪意ある子供達の言動に顔を曇らせ、お化けカボチャとの戦いの様子にくすくす笑い、そして白月が築いてきた人との関わりに羨ましげに胸を押さえた。
「もっと……ていられたら、私も……」
「え?」
か細い声が風に浚われて届かず、白月が聞き返すと、少女は一瞬言葉を詰まらせた後、微笑んだ。
「いえ、もっとお話を聞かせていただきたいな、って」
「俺の話なんかで良ければいくらでも。どんな話がいいかな?」
「どんなお話でも。白月様のしてくださるお話はどれも楽しいですから……私の知らない夢の世界のお話のようで」
「夢、か……」
白月は、うっとりと言う少女から自分の両手へと視線を落とした。
銀幕市に来るまで、白月が存在していたのは中国映画「狼 〜ROU〜」の中だった。
母を殺した実の父親に復讐する為、双子の兄の黒月と共に旅をしていた途中、いきなり銀幕市に実体化したのだ。
それまでとは全く違う世界、全く違う毎日に最初は面食らいもしたが、いつしか白月はこう考えるようになっていた。
ここは……自分にとって、ひとときの幸せな夢、なんだと。
「……白月様?」
黙り込んだ白月を心配してか、不安そうに呼びかける少女の声に、白月はすぐ物思いを振り払い、いつもの笑顔になる。
「バイト先の話でもしよっか。実は俺、執事喫茶でアルバイトしてるんだ」
「シツジ喫茶、ですか?」
「そう。うちの店は結構良い紅茶を揃えてるんだけど、それがこの間さー」
白月は先ほどのちょっとした沈黙を忘れさせるほど、面白おかしくバイト先で起きた事件を少女に話して聞かせた。
楽しく話していると、時間の経つのはあっという間。
日没間近になると、白月は話を締めて、じゃあまたと立ち上がった。
いつもなら少女はすぐ肯いて白月を見送ってくれるのだけれど、今日に限っては縋るような視線を向けてきた。
「あの……」
「ん? どうかした?」
「……いいえ、何でもありません。また……明日」
「うん、また明日」
そう言って去って行く白月を、少女はベンチに腰掛けたまま、ずっと……白月の姿が小道の向こうに消えてしまった後も、その後ろ姿の残影を探すように見つめ続けていた……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
次の日は、朝から雨が降っていた。
強くはならないけれど止むこともない雨が風景に細かな線を引いている中、白月は公園のベンチに向かった。
白く煙る雨のむこう、ベンチにはいつものように少女が座っている。傘も差さず、どんよりと雲の垂れ込める空を見上げて。
白月は少女に近づくと、何も言わずに自分の傘を差し掛けた。
雨から遮られた少女も、無言で白月の顔を見上げた。雨の中に座っていたというのに、その黒髪は雨粒の一滴も宿しておらず、身につけている服も清潔に乾いたままだ。
しばらく見つめ合った後、少女は寂しげに、この世の理と隔てられた自分の左肩を抱いた。
「私はもう既に、この世の者ではないんです……」
その告白を聞いても、白月は驚かなかった。
「知ってる」
微笑みと共に返ってきた言葉に、反対に少女の方が驚きの表情になった。
白月が何かおかしいと気づいたのは、公園にいた他の人々の様子からだった。小道を行く人達は、ベンチに独り座っている少女の方を見ようとせず、無関心に通り過ぎて行く。なのに、白月が隣に座って話していると、ちらちらとこちらに視線を向けてくる。
だけど白月がその視線を捉えようとすると、慌てたようにそっぽを向き、急ぎ足に通り過ぎていった。まるで白月が、気になるけれど関わりたくない不審者ででもあるかのように。
公園を散策する人の目にはきっと、白月はベンチに座って1人で話をしている怪しい人物に映っていたに違いない。
「ご存じ……だったんですか」
少女はゆっくりと瞬き、そして、言わなければならないと意気込んでいた緊張を解き放つように、長い息をついた。
「私、歌手になることが夢だったんです」
驚きから覚めると、少女ははじめて自分の事を語った。
歌手になるのが夢で、毎日ずっと欠かさずに練習してきた事。
だけど、ある日彼女は重い病気に倒れ、ベッドの上の生活を強いられることになった。
必ず良くなって歌手になる……そう願い続け、闘病を続けたけれど、願い叶わず。
再び空を見ることもなく、彼女は病院の白い天井を見ながらこの世と別れを告げることになってしまったのだ、と。
「……気づいたら、ここに来ていました。自分の目で空を見ることができるようにはなりましたけれど、私の心はここに縛られたまま……」
何処にも行けない、と哀しげに首を振る少女に、白月は静かに、だけどはっきりと頼んだ。
「歌ってくれないか? 俺、あんたの歌が聴きたいな」
少女は音を立てて息を吸い込み。次の瞬間、白い花が咲くような笑顔を浮かべて、ベンチから立ち上がった。
たった1人の、だけど心から彼女の歌を望んでくれた観客へと、深々と頭を下げ、少女は歌い出した……。
澄んだソプラノの歌声が、大気を震わせる。
歌うことの喜びが、聞いて貰えることの幸せが、歌声にきらきらと散りばめられ。
テクニックや巧拙を飛び越えた所にある純粋な歌の心が、少女の声を通して、祝福のヴェールのように広がってゆく。
少女の夢のすべてを乗せた歌に、白月は目を閉じて聴きいった。
やがて少女が歌い終えると、白月は惜しみない拍手を贈った。
雨はいつしか小雨となり、それももう止みかけていた。歌を聴いているうちに差すことを忘れられた白月の傘は、ベンチの後ろに転がっている。
「最高の歌を聴かせてもらったぜ」
「ありがとう」
万感の想いをこめ、少女は白月を見つめた。その身体を柔らかな光が包み込んでいる。
よく見れば、少女の輪郭はその光の中に半ば溶け込み、消えゆこうとしていた。
「あなたと出逢えて良かった……さようなら……」
背伸びをした少女は、白月の瞼にキスをしながら別れの言葉を呟く。そこには幸福感だけがあった。
目を閉じてキスを受けた白月は、少女の唇の感触を思い起こすように瞼に触れ、そしてゆっくりと目を開けた。
雨に洗われた空を、いつも少女がしていたように見上げれば、そこには。
光の七彩で描かれた架け橋がくっきりと浮かんでいた――。
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クリエイターコメント | 此度はオファーをして戴き、有り難う御座いました。 荘周夢に胡蝶となる……と申します。 白月さんにとっては、この世が夢か、かの世が夢か。 そしてこれも虹の見せてくれたひとときの夢。お楽しみ戴けたのでしたら幸いに存じます。 |
公開日時 | 2008-01-22(火) 17:50 |
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