★ ようこそ、妖怪アパートへ ★
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
管理番号96-2342 オファー日2008-03-16(日) 21:39
オファーPC ゆき(chyc9476) ムービースター 女 8歳 座敷童子兼土地神
ゲストPC1 薄野 鎮(ccan6559) ムービーファン 男 21歳 大学生
ゲストPC2 小暮 八雲(ctfb5731) ムービースター 男 27歳 殺し屋
ゲストPC3 花咲 杏(cyxr4526) ムービースター 女 15歳 猫又
<ノベル>

「うーん、……ああ、やっぱりここでいいみたいだね」
 小さな紙片に書かれた住所と、眼前の電柱に貼り付けられていた住所とを見比べながら、薄野鎮はうんうんと小さくうなずいた。
 一見、女性かと見紛うような外貌をもった青年。鎮は片手に提げ持った洋菓子屋の紙袋の中身を確認した後、後ろで気だるげにしていた小暮八雲の顔を仰ぎ見る。八雲はすぐ傍に建つ古びたアパートをあまり興味なさそうに見つめていたが、鎮の視線に気がつくとすぐさま襟を正して背筋を伸ばした。
「”市ノ瀬荘”。……ここに鎮さんのお友だちが住んでいるんですね」
 鎮の手にある紙片を覗き込み、さらにアパートの名前が記された表札を検めてそれが同一のものであるのを知ると、八雲もまた鎮に続いて小さく首を縦に振る。
「和菓子のほうが良かったかなぁ。ゆきさんの話だと、住人の数は結構多いらしいし。……饅頭とかにして、ちょっと数多めにしたほうが無難だったかもしれないな」
「自分はその店の菓子好きです」
「うん。ここのシューは最高だって、僕もそう思うよ。ゆきさん達も気に入ってくれればいいけど。――あ」
 返し、人気店のシュークリームを買い占めてきた鎮は、ふと穏やかな笑みを浮かべてアパートの入り口に目を向けた。
 鎮の視線の先、アパートの曇りガラス張りの引き戸がカラカラと音を立てて開き、その向こうからおかっぱ頭の少女がひょっこりと顔を覗かせる。
「ん? おお、そろそろ着く頃合かと思っていたんじゃよ」
 少女は転がる鈴の音のような軽やかな声音でそう言って、苔むした飛び石の上をぴょこぴょこと跳ねるような足取りで歩いてきた。
 花柄の織り込まれた朱色の着物、いつもならその上に羽織っているはずの綿入れは、さすがに春めいてきた日和の中では暑くなってきたのだろうか、今日は羽織ってはいなかった。
「こんにちは、ゆきさん。今日はお招きありがとう」
 小柄で華奢な体躯をもった鎮よりも随分と身丈の小さなゆきの目線に合わせ、鎮はわずかに膝を折り曲げて頬を緩める。眼鏡の奥の優しげな双眸がゆったりとした笑みを形作ったのを見て、ゆきもまた満面の笑みを浮かべた。
「狭くてなかなか落ち着かんアパートかもしれんが、ゆっくりしていくといいんじゃよ」
「ええ、ぜひ。……ああ、ゆきさん、こいつは小暮八雲と言います。僕の家に住んでいる七人の内のひとりで」
「名前だけは知っておる。わしはゆき。八雲もゆっくりしていくといいんじゃよ」
 にこやかに口を開いたゆきに、けれど八雲はいかにも不機嫌といった体の表情で一瞥だけを返す。
「――八雲?」
 鎮が肩越しに振り向き八雲を見上げると、八雲は慌てて表情を改め、精一杯の笑顔(の、つもり)でゆきを見下ろし、ぎくしゃくとした動きで会釈をひとつして見せた。
 ゆきは不自然に固まっている八雲の表情を、しかし、少しも訝しく思うでもなく仰ぎ見て「よろしくの」と口にして笑った。
「ところで、ゆきさん。ゆきさんのお話の通りだとすると、このアパートには楽しい方々が住んでいるとか?」
「楽しい連中?」
 興味深げに述べた鎮の言葉に続き、八雲が表情をいくぶん暗いものへと変じさせた、その矢先。
「なあ、悪いんやけど、のいてくれへん?」
 八雲の足もとから少女の声が聞こえ、ゆきがふわりと膝を折った。
「おお、杏。でかけておったんじゃな」
 言って、ゆきは八雲の向こう側から姿を見せた一匹の黒猫に手を伸べる。艶やかな美しい毛並をした猫で、首には首輪代わりなのか、チョーカーが巻かれていた。左右で色の異なる金と青の目が、初め八雲を訝しげに見上げていたが、ふとゆきに向くのと同時にひどくやわらかな色を滲ませる。
「ゆきさん、その子は」
 鎮もまたわずかに膝をまげて猫を見た。杏と呼ばれた猫は横目に鎮の顔を眺め、会釈をしてみせるかのような動きで頭を揺らす。
「わしの友だちじゃよ。杏というんじゃ」
「このアパートに住んでいる子かい?」
「そうじゃよ。しょっちゅうふらふらいろんな場所に行ってしまうんじゃけどのう」
 鎮の訊ねにうなずきを返し、ゆきは嬉しそうな顔で杏の頭を撫で付ける。杏は気持ち良さそうに目を細め、伸べられたゆきの手に顔を擦りつけるようにして喉を鳴らしている。
「……今、喋ったよな、それ」
 何事もなかったかのように穏やかな笑みを浮かべたままの鎮の後ろ、八雲だけが疑わしげな目で杏を見下ろす。その目を見上げて両目をしばたかせ、杏はきょとりと首をかしげた。
「”それ”いうんは失礼ですやろ。――この方々が、今日ここへ来る言うてはった、ゆきのお友だちどすか?」
「そうなんじゃよ」
「きみは、猫またかな? 初めまして。僕は薄野鎮といいます」
 満面の笑顔で嬉しそうにうなずくゆきの横から、鎮が人懐こい笑みを浮かべて片手を伸べる。握手――といいたいところなのだろうが、なにしろ相手は見まごうことなき猫なのだ。差し出した手をわずかに逡巡させた後、けれどそれを表情に出すこともなく、鎮は杏の頭をやわらかく撫でた。
「旦那はんは紳士やなぁ。まぁ、うっとこはあんまり落ち着かんような場所かもしれまへんが、ゆっくりしていっておくんなまし」
 言って、杏はぺこりと小さく頭をさげた。そうしてちらりと八雲を見やり、すうと目を細め、わざとらしい鳴き声をひとつあげてから、アパートの中へ入っていった。
「……あの猫、俺をバカにしやがった……?」
 ぽかんと口を開けて八雲が呟くと、それを諌めるように、鎮がやわらかく笑む。
「八雲、――分かっているね?」
 穏やかな、けれどもどこか、聞く者を(もっとも、それは八雲ひとりが対象となるのだろうが)圧倒するような迫力を滲ませた声音。ゆきがわずかに首をかしげる。鎮は「なんでもない」とでも言いたげな顔でゆきを見、小さくかぶりを振って頬をゆるめた。 
 八雲は鎮の声を耳にするなり敬礼でもしそうな勢いで背筋を正した。
「判って、ます」
 もぞもぞとした口調で返した八雲に微笑んで、鎮はゆきに顔を向けなおす。
「中にお邪魔するのが楽しみだな」
「そうかの? みんなも楽しみに待っておるんじゃよ! みんな、昨日の夜から、なにやらずっとそわそわしておってのう」
 そう残し、先にアパートに戻った杏を追うように、ゆきもまた弾むような足取りでいそいそとアパートの引き戸をくぐった。それを視線の先に見ながら、鎮は再びちらりと八雲を振り向いて目をすがめる。
「――分かっているね、本当に?」
 訊ねた鎮に、八雲は「当然です」と大きくうなずいてからアパートの引き戸に目をやった。
「不要な騒ぎは絶対、決して起こしません」
「このアパートには彼女たちの同胞が多くいるらしいけど、彼らは総じて悪戯を好むものだよ」
「耐えます」
「耐える?」
 八雲が至極まじめに応えたのに小さく笑い、鎮は首をかしげて八雲を見上げる。
 八雲は鎮よりもよほどに大きな身体をもっている。しかも殺し屋だ。それも、ぞの実力は彼が属していた組織の中でもトップクラスに数えられる。おそらく、八雲は、その気になれば、肉弾戦を不得手としている鎮などさほどに時間も労力も要さずに手にかけてしまえるはずなのだ。
 しかし。
 殺し屋としての自分の師であった女にそっくりな見目をもった鎮は、八雲にとっては無二の脅威となる。その言葉は絶大な効力をもたらすのだ。
 穏やかな、けれども静かなる脅威を湛えた笑顔を浮かべた鎮を見つめ、八雲は再び大きくうなずいた。
「どんなことをされても殴り返したり脅したりしません」
「それも今日は封印すること」
 言って、鎮は八雲の懐を軽く示して目を細ませる。つまり、八雲の懐にある二丁の銃。それに手を伸ばすのを禁じたのだ。
 八雲は懐にしまってある銃に指先を伸ばし、しっかりと鎮の顔を覗きこみながらうなずく。
「誓って」
「うん。じゃあ行こうか。――ほら、ゆきさんが呼んでる」
 八雲の応えに満足げに頬を緩め、メガネを指の腹で押し上げて、鎮はちらりと視線をアパートの引き戸に向けた。
 すりガラスを張った引き戸はアパートの外観同様、いかにも古びた造りがなされている。けれどアパートをぐるりと囲む、狭いながらも整った庭の景色を窺うに、アパートの管理人が日頃いかにていねいにアパートや周辺の手入れを施しているのかが見てとれる。
 引き戸の向こうからちょこんと顔をのぞかせて手招きしているゆきに笑顔を返し、鎮はわずかにも躊躇せずに足を踏み出した。八雲も慌ててそれを追う。
 気のせいか、庭のどこからか、押し殺したような笑い声が聴こえたような気がした。

「建てつけなんかも悪くてのう。いっぺん上に持ち上げてから閉めるとすんなり閉まるはずじゃよ」
 ゆきは草履を脱ぎながら振り向いて、引き戸を閉めるのに難儀していた八雲の顔を仰ぎ見る。三和土の上に上がりいくぶんか目線が高い位置に動いたとはいえ、それでもゆきと八雲の身長差はかなりのものだ。
 八雲はひとしきり引き戸を乱雑に扱っていたが、ゆきから得た言葉をもとにしてみると、ガラス戸は本当にすんなりと動いた。
「へぇ、すごいなあ、ゆきさん」
 ゆきを追って三和土を上がりながら、鎮が感心したようにうなずく。ゆきは気恥ずかしそうにかぶりを振って「なんてことないんじゃよ」と返している。それがなんとなく面白くなくて、八雲が引き戸を勢い任せに閉めようとした、その時だ。
「戸ぉはもうちょっと静かに閉めんとあきまへんえ」
 ふと耳に触れたのは少女の声だった。否、違う、この声は、さっきの、
「猫か」
 振り向きざま口をついて出た言葉を急ぎ飲み込む。今思わず口にしてしまった言葉が、うっかり鎮の耳に入りでもしたら大変だ。――けれど、鎮はゆきとふたりで廊下を進み、楽しげに雑談など交わしている。たぶん、耳に入ってはいないだろう。
 安堵の息を小さく落とし、八雲は改めて声の主――黒猫の姿を探した。が、そこにいたのは猫ではなくひとりの少女だった。
 細い首にチョーカーを巻きつけ、長い黒髪をふわふわと揺らし、かすかに微笑みを浮かべた少女は、八雲の顔を覗きこむような姿勢をとって目をしばたかせる。
「鎮はんはえらい紳士やのに、あんたはんは真逆でおいでですなあ」
「……」
 人懐こい笑みを浮かべている杏の顔を眺め、八雲は内心舌打った。そうしてぷいと顔をそむけ、鎮とゆきの後ろを追って歩みを進める。杏は自分を無視していった八雲の背中を見つめて首をかしげ、次いでにんまりと頬をゆるめてぴょこぴょこと弾むような足取りで八雲を追った。
 アパート内には人がふたりすれ違える程度の通路があり、一番玄関に近い部屋のドアには”管理人室”の札が提げられていた。
「ここの管理人はうちらみたいなのんがお好きなんです。ヤぁな顔ひとつせんと置いてくれはるのやけど、なんやろか。脅してもなにしてもいっこも驚きやしません」
「それは違うんじゃよ、杏。ここの管理人はわしらのような者を好んでくれるんじゃが、いかんせん、とても暢気での。いくら脅しても、それを悪戯じゃと認識してくれんのじゃよ」
 やや離れた位置で足を止めたゆきが振り向いて口を開ける。杏はゆきの言葉にうんうんとうなずき、
「だから余計にはりきっておるんですわなぁ」
 言って、困ったように小さな笑みを浮かべる。
「何をはりきっているのかな?」
 訊ねた鎮を見上げ、杏はわずかに首をすくめた。
「うちらの仲間は古くから悪戯好きなもんが多いのです。けれどもこのアパートの住人のうち、唯一のヒトである管理人はどうにも疎くてあきまへん」
「――なるほど、つまり僕らに悪戯をしかけたくてうずうずしてるって事だね」
「わしらがちゃんと守っているから大丈夫なんじゃよ!」
 フォローするように口を開いたゆきに笑みを見せ、そのつややかな黒髪を優しく撫でてやった後、鎮はふと顔を持ち上げて周りの様子を窺った。
 しんと静まったアパート内には、誰かが生活しているという匂いや気配がそこここに色濃く感じられる。けれどそこにあるのはなんら変哲のないアパートの様相そのもので、ゆきたちが言うような気配はまるで感じられない。
 鎮が目を細め周囲の様子を窺っている傍らで、八雲もまた同じように周囲に気を巡らせていた。
 もしも万が一、鎮に対して過度な悪戯をしかけてくるようなものが現れでもしたなら、その時は後で鎮から受けるであろう説教を怖れる事なく対処しなくてはならない。
「悪さとは言っても、大したことではありやしません。ちぃとばかし脅かしたりしたいだけなんです」
 八雲の心中をはかってか、宥めるような口ぶりで杏が八雲の上着の袖を引く。
「……」
 不機嫌を隠そうともしない面持ちを浮かべ、八雲は掴まれた袖を強く引いて杏の手を引き剥がした。
「俺には守りなんざ不要だ。そのぶん、鎮さんを見てろ」
 はき捨てるようにそう述べると、八雲はずかずかとした足取りで板張りの廊下を進み始めた。鎮とゆきをも追い越して、妙なトラップなどが施されてなどいないかどうかを探る。
 鎮は八雲の背中を見据えて肩をすくめ、ゆきに視線を落としてにっこりと笑う。
「それじゃあ、案内してくれますか、ゆきさん」
「わしの部屋へじゃな。もちろんじゃよ!」
 鎮の笑顔に自分もまた顔を輝かせ、ゆきはぴょんぴょんと跳ねるように廊下を進めた。
「……そういえば、八雲もここに来るのは初めてなんだよな」
 独りごち、鎮はもう結構な距離を置いて先を歩いている八雲の背中に目を向ける。杏が八雲を追いかけるようにして駆けていく。
 つまり、八雲もまたゆきの部屋がどこにあるのかを知らないのだ。
「ま、いいか」
 言ってくすりと笑う鎮を不思議そうに振り向き、ゆきは「こっちじゃよ」と言って鎮を招いた。

 追いかけてきた杏をねめつけるようにして横目に見やり、八雲はさも迷惑そうな顔で深いため息をもらす。
「そう露骨にするもんじゃありませんえ」
 八雲が見せる態度の悪さにももう馴染んだのか、杏は特に堪える様子もなく、しれっとした顔で口を開けた。そうして、ふと目線を上へと向けて八雲の腕を掴んだ。
「ちょ、俺に触るなっつの」
 悪態をつきながら足を止めた八雲の後ろ――杏が引きとめていなければ、たぶんちょうど歩き進めていたであろうはずの位置に、廊下を塞ぐほどに大きな生首がべちゃりと音をたてて落ちてきた。
「――へ?」
 気味の悪い音を耳にした八雲がゆっくりと振り向くと、そこには廊下の幅をふさぐほどに大きなヒトの首が転がっていた。ざんばらとした黒髪を乱した、それはたぶん女の首だ。黒々とした鉄漿(おはぐろ)を塗った口がニタニタと笑っている。
「潰されるところでしたなあ」
 杏が妙に間延びした語調で告げた。そうして、驚いたのか、ぼんやりとしている八雲の腕から手を放してやんわりと頬を緩める。
 と、ふたりの後ろで女の大首を見ていた鎮が大慌てで駆け寄り、相変わらずニタニタと笑う大首をしげしげと見入ってメガネを正した。
「これは”大首”だね。石燕で見たことがある」
「ふむ、知っておるのか?」
 訊ねたゆきを振り向いて大きくうなずき、鎮は再び大首をしげしげと見入りだした。
 大首は鎮があまりにまじまじと見入るからか、どこか気まずそうな表情を浮かべだしている。
「”大凡(おおよそ)物の大(おおい)なるもの皆おそるべし”だよね、たしか。本当に鉄漿をつけた女の人なんだなあ」
 驚くどころか感嘆の面持ちをすら見せだした鎮に、ゆきは感心したような顔でうなずいていた。
「……っち、ただデケぇばっかりの首じゃねえか」
 驚いて損したぜとぼやきながら大首を避けて再び足を進め出した八雲だが、その歩みはいくばくもない内に再び止められた。
「…………」
 訝しく思いつつ、八雲は自分の足を止めた何かの正体を探るべく、前方に手を伸べる。視覚的には何もない、確かに廊下の続いているのが見えている。が、そこにはたしかに不可視の”壁”のようなものが存在していた。事実、伸ばした手はごつごつとした何かの表面を撫でているような感触を得ている。
「………………」
 拳を作ってそれを軽く殴りつけてみた。とてつもなく硬い石かなにかを殴りつけているような感触だ。
「八雲?」
 八雲の異変に気付いた鎮が大首を離れ駆け寄る。そうして八雲と同じように足を止め、不可視の壁のようなものに指を這わせた。
「何かここにあるね。……なんだろう。壁、のような」
「うむ。それはぬり壁じゃよ」
 鎮を追いかけてきたゆきが目を瞬いた。
「ぬり壁!」
 対し、鎮は喜色を満面に湛えた顔で目を輝かせる。
 ぬり壁は、ゆきの紹介を受けてか、徐々にその姿を顕わにし始めた。今まで何も見えていなかった場所に、大きな石の壁が現れたのだ。
「すごい、これがあの有名な……!」
 鎮は目をきらきらと輝かせ、眼前に現れたぬり壁を興味深げに見つめている。ぬり壁には目がふたつあり、ぼんやりとした色を浮かべて廊下の端を見据えていた。
「鎮は妖怪が好きなんじゃのう」
「そう。前、百鬼夜行の一件があったよね。あれ以来、妖怪っていうのに興味を惹かれてね。興味っていう言い方は言葉が悪いかな」
「いやいや、大丈夫じゃよ。なるほど、わしがおぬしと初めて顔を合わせたあの時じゃな。そうやって好感をもってもらうのは、わしらにとってもなかなか嬉しいものなんじゃよ」
 にこにこと微笑むゆきを見て鎮もまた穏やかに笑う。が、その傍ら、八雲は憮然とした顔でぬり壁を力いっぱいに睨みつけていた。
 本来なら、今すぐにでも銃を放ってぶち壊してやりたいところだ。妖怪だろうがなんだろうが、石のようなものでできているのなら、何十発かぶち込めばきっとぶち壊れるに違いない。――理由もなく、人の歩行を妨げるとは!
「今すぐにでも喧嘩売り飛ばしそうな顔ですなあ」
 杏がのんきにからころと笑っている。それを横目に睨みつけると、八雲はぬり壁の横をすり抜けてずかずかと廊下を進めた。

 それからも、妖怪たちは次から次へと現れては鎮を喜ばせ、八雲を苛立たせた。意味もなく廊下の真ん中で小豆を研いでいて、周囲に散らばったそれを踏んで微妙な痛みを味わったり、遊んでいて怪我をしたんだと訴え泣く子供がいれば、鎮に言われてそれをおぶってやる。するとお約束通りにみるみる内に重くなり、ついには廊下の板に足がめりこんだりもした。そのたびに言いようもない苛立ちが八雲の心を襲うのだ。
「……ぶっ殺してやりてえ」
 言って懐の銃に手を伸べかける、そのたびに、いち早く察した鎮がやんわりとそれを諌める。あるいは杏がやんわりとした物言いでそれを笑い飛ばし、かえって苛立ちを募らせたりもした。
「ほんに、鎮はんとはまるで真逆でいらっしゃいますなあ」
 言って笑う杏を力いっぱいに睨みつけ、八雲は無言の悪態をみせた。杏はどこ吹く風といったふうに、飄々とした顔でそれを受け流すばかり。
 鎮はといえば、次からつぎへと現れる妖怪たちにいちいち反応してみせながら、廊下のあちらこちらを渡り歩いている。
 八雲は鎮の動きを内心ハラハラと見据えつつ、けれど、心の隅でどうしても気になっていた疑念をぽつりと口にした。
「ところで、ここのアパートってのもあれか。ムービーハザードってやつなのか」
「? ここは普通のアパートですなぁ」
「じゃあ訊くが。普通のアパートの廊下ってのは、こうもズルズルと長く続いてるもんなのか!?」
 間延びしたような口調で応えた杏を振り向いて、八雲は怒鳴りつけるような口調で問いかける。杏は「ははあ」としたり顔でうなずき、鎮は驚いたような顔で八雲を見、そのすぐ後に咎めるような顔で八雲の名を口にした。
「だって鎮さん、もう四十分ですよ!? このアパートに入ってから、俺ら、四十分もおんなじとこを歩き続けてんですよ!?」
「そうだっけ? あ、そうかもしれないな。ごめん、ぜんぜん気にしてなかった」
 満面の笑みの鎮を見つめ、八雲は腹の奥底で息を吐く。そうして改めて周囲を睨み、いつの間にかごろごろと揃っていた妖怪たちを順にねめつけた。
「まあまあ、皆もおぬしらと遊びたかっただけなのじゃよ。もうそろそろ全員が揃いだしておるから、やがてほどなくわしの部屋に着けるはずじゃ」
 ゆきが仲裁にはいり、鎮は「そうですね」とうなずく。八雲は憮然とした顔のまま、ふいと視線を外してゆきが小さな手で示した方に目を向けた。
「ほれ、あの部屋じゃよ。着いたらまずは昼餉じゃの」
「お昼ご飯ですか。僕、作るのを手伝いますよ」
「それならうちも手伝いますわ。たしか、管理人はんが、今日のお昼はそうめんとおにぎりにしようって言ってはりましたなあ」
「そうめんですか。それならツユにちょっと手間をいれてやるだけで、いろんなバリエーションもつきますねえ」
「おお、楽しみなんじゃよ!」
 弾むような足取りで、おそらくは自室なのだろうと思われる部屋のドアを押し開けたゆきの後ろ頭ごし、部屋の中を覗き見た八雲は、そこに、住人らしき老人の姿をみて眉をしかめた。
「おい、ここ、おまえの部屋か? このジジイの部屋じゃねえのか」
 茶をすすっている老人を指差した八雲を仰ぎ見、ゆきは「ああ」と小さくうなずき、かぶりを振った。
「ぬらりひょんじゃよ。こやつはこうしてひとの家にあがりこんでのんびりするのが好きなんじゃ」
「ぬらりひょん! 妖怪の総大将じゃないですか!」
 鎮が嬉々として八雲を押しのけ、そこにいる老人を見つけて感嘆の声をあげた。
 ぬらりひょんは茶をすすりながら、さほど関心もなさげに、来客たちを横目に一瞥しただけで、部屋の隅に置かれていたテレビ画面に目を向ける。
「まあ、気にせずにゆっくりしていくといいんじゃよ」
 ニコニコと微笑むゆきが部屋に入っていったのを追い、鎮はいそいそとぬらりひょんの横を陣取った。続いて杏も部屋に入り、慣れた様子でテーブル代わりのコタツから茶菓子をひとつ手にとる。
 八雲はひとりドアの前に残された。今すぐにでもとって帰りたいところだったが、八雲は心底現状を楽しんでいるようだ。それを中座させるわけにはいかない。
 気付けば背後に妖怪たちがわらわらと集まりだしていた。首や背中に感じる山ほどの視線や気配の鬱陶しさに折れたのは八雲だった。
「……」
 無言でため息を落とし、八雲もまたゆきの部屋にあがりこむ。老人は時おり思い出したように八雲をちら見してきた。部屋のドアは閉められず、相変わらず群がっている妖怪たちが入れ替わりたちかわり、鎮と八雲とを見てはなにやら話したり、あるいは話しかけてきたりする。
「皆さんも一緒にお昼ごはんどうかな。今日はそうめんとおにぎりらしいよ」
 上機嫌そのものといった面持ちの鎮が声をかけると、妖怪たちはこぞって賛同の声をあげた。
「それじゃあお米とかもぎょうさん用意せんといけませんわなあ」
 のんびりとした口調でそう言うと、杏は食べ終えた茶菓子の袋をゴミ箱に放り込みがてら立ち上がり鎮に向かった。
「一緒に行きますか?」
「そうだね。作り手の数は多いほうがいいだろうし」
 なんなく同意をみせて立ち上がると、鎮は八雲に小声で耳打ちしてからゆきの部屋を後にした。
「? 鎮は何て言っていたのじゃ?」
 残されたゆきが八雲に問いかけるが、八雲は相変わらず憮然として顔を背ける。
 ――僕が見ていないところでも、ちゃんと行儀よくしているんだよ
「……なんでもねえよ」
 吐き捨てるようにそう述べた八雲を、ぬらりひょんが横目にちら見し続けていた。
 ゆきは不機嫌を顕わにしている八雲を仰ぎ見ながら「ふむ」と呟き、首をかしげる。そうして部屋のドアの前でたむろしている仲間たちの顔に目をやって、いかにも良い事を思いついたとでも言いたげに手を打った。
「昼餉ができてくるまでただこうしておるのも、皆、退屈じゃろ。どうじゃろう、げぇむでもしてみんか」
「げぇむ? ゲームだ?」
 ゆきは、気だるげに顔をあげた八雲を見つめて満足気に笑う。
「そうじゃよ。じつは最近あたらしいげぇむをいくつか覚えてのう。八雲は知っておるかのう。うのっていうんじゃよ」
「”知ってるか”だって? てめ、俺をバカにしてんのか!」
 知らねえわけねえだろ。そう返して大人げなくゆきを睨みつけだした八雲の肩を、いつの間にか間近にまで移動していたぬらりひょんが窘めるような顔で引きとめた。
 ゆきはといえば、八雲の表情などにはおかまいなしにどんどんと話を進め、部屋の棚からカードを持ち出してきている。
「それじゃあやってみようかのう」
 言ってにこやかに笑ったゆきは仲間たちに向かってゲームのルールや内容の説明をし始めた。ほどなく、場にいた妖怪たちのほとんどが自分の顔を見て意味ありげにニヤリとしたのを知ると、八雲は意をかためてぬらりひょんの向かいに腰を落とした。
「いいか、てめえら。俺がホンモノのゲームってやつを教えてやる」
 言い放ち、ゆきに向けて腕を伸ばす。
 ――なめられたままでいるわけにはいかない。こいつら全員に人間の(特に、八雲自身の)怖さというものを思い知らせてやらなくてはならないだろう。

「お待たせしました。昼ごはんができたよ」
 山ほどに積まれたおにぎりの皿とそうめんの入ったざるをゆきの部屋に持ち運んできた鎮は、そこで、揚々と盛り上がっている妖怪たちの姿を目にした。その真ん中では他ならぬ八雲が先陣きって盛り上がっているのが見えた。どうやらぬらりひょんと一騎打ちでトランプをしているらしい。
 昼食のにおいにも気がつかないほどに盛り上がっている妖怪たちと八雲を見て、鎮は驚いた表情からゆるゆると頬を緩め、やがて満面の笑みに変じさせた。
「仲直りしたみたいだね」
 言った鎮の声をうけ、杏がのんきにあくびをひとつ。
「そのようですなあ」
「ああ、でも、せっかくのそうめんがのびちゃうな」
「うちらだけで先に食べてしまえばよろしやろ」
「そうだね」
 鎮と杏は互いを見やって破顔し、部屋の隅で卓を広げて妖怪たちに声をかける。
 八雲はぬらりひょんとの真剣勝負に忙しい。ゆきはその傍らで彼らの応援に気をそそいでいる。
「デザートにはシュークリームがあるんだよ。けっこうお勧めなんだけど、みんなに気に入ってもらえたらいいなあ」
「きっとみんな喜びますわ」
 言って、杏はおにぎりにかじりつく。
 アパート内に満ち広がっている賑やかな空気は、まだまだもっと盛り上がっていきそうだ。

クリエイターコメント大変にお待たせしてしまいました。ただ申し訳なく思うばかりです。
大変申し訳ありませんでした。せめて、少しでもお気に召していただければと思います。
公開日時2008-06-07(土) 23:40
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