★ 姫を縛る鎖 ★
<オープニング>

 もう、覚えてくれてはいませんか。
 あなたにとってはひどく遠く、あまりに些細な出来事だったことでしょう。それでも私をいつまでも捉えるのは、あなたが気紛れに与えてくれたその言葉……。
 それは私の支えになり、いつしか深く根付いてしまった。もはや解けない鎖のように、雁字搦めに縛られているのです。
 あなたは、それを哀れといいますか。あなたが与えてくれたものなのに、それを忘れて。あなたは私を見て、愚かよ、憐れよと歎いてくれるのですか……。


 助けてやってはくんねぇか、と、ぼそりと呟くようにその男は言った。
 わざわざ対策課まで出向いてきたのだ、助けを求めているのは分かるのだが。それっきり口を閉ざしてしまっている男に、植村もさすがに困って軽く眼鏡を押し上げた。
「何か困り事ですか」
 水を向けなければ話を切り出しそうにないと思って促すのに、男は苦痛そうに顔を歪めて俯いてしまう。これではさすがにお手上げだと心中に溜め息をついた時、男は重い口をようやく再び動かした。
「嬢を……、雪華姫(せっかひめ)を。解放してやっちゃあもらえねぇか」
「雪花姫……」
 繰り返して呟き、確か彼は「千華繚乱」という映画から実体化したのだったと思い出す。異国ファンタジーで、いわゆる花柳界の立身出世物語。その色町で最高の称号たる青薔薇姫となる主人公の一生を綴ったその映画で、雪花姫と呼ばれるのは色町に勤め始めた見習いにも近い状態の少女を指す。
「妹さん、ですか」
 娘さんですかと尋ねなかったのは、植村の配慮だろう。外見だけならば四十代にも見えるその男は長い黒髪で隠れがちな口許を苦く歪め、ごつっとした手で己が顔を撫でた。
「娘も妹もいやしねぇ。俺は世界中をうろついて、剣の腕だけで食ってる傭兵だ。唯一家族と呼べるなぁ、あの青薔薇──ナノカだけよ。それも単に同じ下町に捨てられてたってぇだけで、血の繋がりもありゃしねぇ」
 流れもんは家族を持っちゃあいけねぇのよと、どこか自虐的にも思える様子で吐き捨てた男は、顔を隠すように両手で頭を抱えた。
「そんな俺が、こんなことを頼むなぁ筋違いも甚だしいと分かっちゃいる。承知の上で……、それでも頼む」
 嬢の首輪を切ってくれと、囁くほどの声が小さく小さくどうにか耳に届いた。
「首輪、ですか」
 言いながら記憶を辿った植村は、その色町の姫は皆一様に大きな花を象ったチョーカーをつけていたのを思い出す。
「あれがある限り、姫嬢らは色町の亭主に縛られる。姫嬢らの借金に上乗せして作られたあの首輪は、豪く頑丈だ。特に雪花姫の間は、白鋼っつー金剛石と似たような強度の首輪をつけられる」
 スクリーン越しに見ている限りはチョーカーに見えたが、その実、頑丈な金属でできているらしい。剣で斬るにしても相当の腕が必要だろうし、何よりほとんど隙間がないために下手をすれば助けたい相手の首まで斬りかねないのだとか。
「青薔薇姫の用心棒は、かなりの剣豪だったはずですが。そのあなたでも、無理なのですか」
「斬るだけなら、俺程度の腕でも斬れるだろう。けど嬢に剣を向けられるはずがねぇ! 大体どの面下げて、俺が嬢に会えるってんだ……」
 知らないって。と突っ込みたくなるようなことを嘆いてますます落ち込む男に、植村は気づかれないように息を吐き出した。
「斬る以外に、その首輪を取り外す方法はあるのですか」
「まじないがかけられてるって話も聞くから、その手のことに詳しい奴なら分かるかもしれねぇ。若しくは、どこかに鍵穴があっても不思議はねぇ。姫嬢は地位が上がれば、首輪についてる花と色も変わる。そん時につけかえてるはずだ、色町の亭主かナノカにでも聞きゃあ知ってるかもしんねぇが」
 俺は聞きに行けねぇからと俯いたまま呟いた男は、植村が尋ねる前に頼むともう一度繰り返した。
「助けてやってくれ、嬢を。あの娘の首輪が白いまま……、どうか。せっかく今は借金なんざどうでもいい場所に出てこられたんだ、もうあんなもんつけてるこたぁねぇだろう……!」
 外してやってくれと嘆いて繰り返した男に、自分でやればいいの言葉はひどく残酷な気がした。
 きっと彼が助けたいのは色町の雪花姫全員などではなく、唯一人。名前を呼ぶことも躊躇い、嬢としか呼べない唯一の枷だけを外してほしいのだろう。
「……その雪花姫の首輪を外す。それがあなたの依頼ですか」
「ああ。嬢が怪我をしなけりゃどんな方法でもいい、必ずあの首輪を外してやってくれ。──例え、嬢がそれを望まないとしても、だ」
 傷つけても、泣かせても。怪我さえしなければそれが救いになるのだと妄信したみたいに、男は低く強く断言した。

種別名シナリオ 管理番号559
クリエイター梶原 おと(wupy9516)
クリエイターコメントはじめまして、梶原おと、と申します。初めてのシナリオは明るいものを、と考えていたのですが、思惑が外れて少ししっとりした雰囲気になりそうです。

彼がどうして頑なに首輪を外したがるのか。
彼女は首輪を外すことを望んでいるのか。
首輪を外すとしたら、どんな方法をとるのか。
皆様のお考えをお聞かせください。

ご参加を心よりお待ちしております。

参加者
朱鷺丸(cshc4795) ムービースター 男 24歳 武士
三嶋 志郎(cmtp3444) ムービースター 男 27歳 海上自衛隊2曹
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
鳳翔 優姫(czpr2183) ムービースター 女 17歳 学生・・・?/魔導師
<ノベル>

 鳳翔優姫は出されたお茶のカップを持ち上げて、ふわりと鼻先を掠めた甘く優しい香りに知らず口許を緩めた。思わずほっこりと寛ぎそうになるが、そんな場合ではなかったと気づかれないように頭を振って、自分が今いる場所を思い出す。
 ここは銀幕市にある高級料亭の一つ、和白(わしろ)。料理も絶品ながら、選りすぐりの芸妓を座敷に呼べることでも評判の店だ。勿論値段も相応に取られるので普段であれば入らないだろうが、今回ここの料金は全て依頼人持ち。それならばと気兼ねなく贅沢な料理と綺麗どころを侍らせている現状に至る。
 勿論、単に豪遊しているだけではない。今回座敷に呼んだ綺麗どころは、依頼人と同じく「千華繚乱」から実体化した色町の姫たちだった。
 興味がないし探したこともないからかもしれないが、銀幕市に色町があるかどうかを優姫は知らない。こちらに実体化した姫たちも同じくだったようで、今はこの料亭で芸妓として勤めていると、そこまでは依頼人に聞いていたけれど。
 食後に出された香りの良いお茶に口をつけながら、優姫はちらりと横目で左に広がる風景を窺った。
 無造作に酒を呷りつつ顔色一つ変えず、適当に槌を打っているのはシャノン・ヴォルムス。周りの姫たちと遜色ないその容姿は、彼女たちの口を軽くする効果を持ち合わせているらしい。
 シャノンの隣で口の軽くなった女性陣から巧みに話を聞き出しているのが、三嶋志郎。ここに来ると真っ先に決めたのも、一番乗り気なのも彼だろう。
(確かに、話を聞く分には適任なんだろうけど)
 個人的に楽しそうだなと、優姫の心情そのままにぼそりと愚痴ったのは彼女の右隣にいる朱鷺丸。こちらはひどくそわそわしていて、この店に来た時から今もって身の置き場に困っているのがありありと窺える。
「どうして目的の彼女を呼び出すだけじゃ駄目なんだ?」
「最終的には本人の意思確認が最も重大だけど。『あの依頼人の話では埒があかない、まずは外堀を埋めるのが肝要だろ? ここは一つ、スマートに行こうぜ』って、三嶋さんの言葉に賛同したよね?」
 だからじゃないのと淡々と答えた優姫の言葉に、朱鷺丸は確かにと手にしたカップの中に溜め息を溢している。話の合間にちらりと視線を寄越してきたシャノンは、往生際が悪いなとその視線だけで冷やかしているのが分かる。
 煩いやいとでも言いたげにお茶を飲み干した朱鷺丸を他所に、三嶋が楽しそうにへえと声を上げた。
「それじゃあ姐さんたちは、実体化した全員がこの料亭に勤めてるのか」
「まぁ、そう多くはないんですけどね。蒼姐(そうしゃ)を始め、あたしら黄が二人、橙が三人。白が五人かしら。その程度なんですよ」
「そうしゃ、というのは?」
 あまり聞かない呼び名だなとシャノンが尋ねたそれに、青薔薇姐さんをそう呼びますのよと首に黄色い花のチョーカーをつけた女性が答えた。
 カップを傾けたまま優姫はそのチョーカーを眺め、これが例の首輪かと観察する。朱鷺丸も不躾にならない程度にそれを眺めているのに気づき、どんな感じ? と声にしないまま尋ねる。
「完全に首に張り付いているようだ……、確かに通常の剣では傷つけかねないな」
 優姫の前にある皿に手を伸ばす振りをしてぼそぼそと素早く答えた朱鷺丸に、小さく何度か頷いた。
「因みにまじないのほうは、そんなに大した威力ではないよ」
「そうだな、思ったより解呪は容易そうだ。……解呪だけならな」
 意味ありげに繰り返したシャノンに周りの女性が不審を覚えるより早く、三嶋がつうと指先を滑らせて姫たちの首に咲く花を指していった。
「青薔薇、は、どうやらここにはないみたいだな。何だい、俺たちには出し惜しみかい?」
 是非ともお目にかかりたいねぇと語尾を上げた三嶋に、女性陣はまぁ憎らしいと楽しそうに声を上げて笑った。
「私どもではご不満ですの?」
「いいや、別嬪さんたちに囲まれて気分はいいがね。どうせなら姐さんたちのてっぺんにもお会いしたい、ってのは、男心って奴だろう?」
 違うかいと気安い様子で首を傾げた三嶋に、女性陣はくすくす笑って答えないまま朱鷺丸が所在なげに手にしているカップに目を向けた。
「まぁ、これは気づきませんで失礼を致しました。ハナ、ユキハナ。お茶をお持ち」
 お客人をお持て成しなさいと黄色い花のチョーカーをつけた女性が発した言葉に反応して、優姫たちはちらりと視線を交わした。
「ユキハナ。それはひょっとして、雪のことか? 雪の別称に、雪花(せっか)とあったと思うが」
「その通りですわ。なりたての姫を雪花と呼びますの」
 朱鷺丸の問いかけに黄花の女性が頷いていると、障子が静かに開いて白い花をつけた女性が姿を見せた。優姫と同い年くらいだろう彼女は優美に一礼して朱鷺丸の側に寄ると、硝子の急須を差し出しながら微笑んだ。
「雪の華と書いて、ユキハナと申します。以後、良しなに」
「雪華……、雪花姫(せっかひめ)の雪華(ゆきはな)さん?」
 思わず確かめるように優姫が尋ねると、朱鷺丸のカップにお茶を注ぎながら雪華がその名のままにどこか儚く綺麗に笑った。


「雪花姫ってのは、なりたての姫って言ったな。それなら姐さんたちの中で一番下、ってことだろう?」
 朱鷺丸と優姫を相手にしている雪華を眺めながら声を低めて三嶋が問うと、橙花のチョーカーをつけた女性も秘密を打ち明けるように声を潜めて頷いた。
「雪花(せっか)の雪華(ゆきはな)。ですからお店では、雪花姫というのはただあの子を指しましたのよ」
「雪花に青薔薇とつけるも如何とは思うが……、雪華というのもまた皮肉な名だな」
 彼女が自分でつけたのかとシャノンの尋ねに、まさかと黄花の女性が頭を振る。
「私どもは、自分で名をつけることはできません。お仕えする姐さんから名を頂戴するか、若しくは旦那に頂戴してようやく名乗れますのよ」
「それじゃあ、彼女のお仕えする姐さんがあんな皮肉を賜ったのかい」
「まぁ、蒼姐はそのようなことをなさいません」
 それはあまりに失礼ですと憤慨した様子を見せる女性陣の様子に悪い悪いと軽く謝りながら、青薔薇の下にいる雪花姫ならば彼女が目的の人物だと確信して三嶋とシャノンはもう一度雪華に目をやった。
「雪華、ね。依頼人は名を伏せていたわけじゃなく、ちゃんと語ってたってことか」
「こんな皮肉ならば、呼びたくない気持ちも分かるというものだがな」
 周りに聞こえない程度の声で納得し合った二人は、けれどふと思い当たって周りの姫たちに視線を変えた。
「仕える姐さんか、旦那しか名をやれねぇって言ったよな?」
「それでは彼女は、既にパトロンを持つのか」
 この手の世界で、なりたての姫が旦那を持つのは珍しい。寧ろその姫が雪花でいたいと言っても、パトロンの面子にかけて少しでも青薔薇に近づけるものではないだろうか。だとすれば実際に勤めに上がった期間が短くとも既に花の色は変わっていそうなものだが、彼女の首にあるのは悲しいほどの純白だった。
 何故と分からないまま眉を顰める二人に、女性陣は尚更声を低めて顔を寄せ、これはあまり公にしていないのですけれどと断って話し出す。
「あの子は旦那を持つわけではないのです。ただ……、青薔薇姐さんの良い人から、戯れに名を賜ったのだとか」
「良い人ってぇと、青薔薇は旦那を持つのかい」
「いいえ。蒼姐は特定の旦那をお持ちではありません。それでもまだ雪花にもなられる前から懇意の、用心棒も勤めておられる良い人がいらっしゃって」
 噂話が好きなのは、女性の性だろうか。次々と声を低めつつ話に加わってくる姫たちのおかげで、依頼人が明かさなかった関係が徐々に明らかになる。
 青薔薇の幼馴染。そして用心棒。これが依頼人。
 青薔薇の下につく雪花姫。雪華。これが目的の姫。
「その用心棒とやらと彼女は、ただならぬ関係にある。というと、穿ちすぎか?」
 シャノンが誰にともなく尋ねると、そこまでは、と姫女たちも言葉を濁した。
「あの子が名を賜ったのは、まだ雪花にもなる前のことです。蒼姐があの子を拾われた頃、かしら」
「そう。以来、蒼姐のところにはよくいらしたけれど……、ねぇ?」
 それは依頼人にとっては気の迷いで済む話でも、雪華にとっては仕える姐姫の旦那を寝取るということ。色町における、最大の禁忌にも等しい行為。
「蒼姐は、雪華に対してものすごく寛大であられるけれど。さすがに他の旦那ならともかく、相手があの用心棒殿となるとお怒りは必定」
 だからまだ雪華が下についているのだから有り得ないと声を揃えた女性陣の言葉に三嶋とシャノンは言葉もなく視線を交わし、後の二人と話している雪華を遠く眺めて知らず溜め息を揃えていた。


「お茶もよろしいですが、御酒は如何にございましょう?」
 女性向の香りのよいものもございますがと柔らかく勧めた雪華に、優姫は小さく頭を振った。
「僕は未成年なので」
「ああ、申し訳ございません。どうも姫基準で物を考えてしまいまして……。私どもは、あなた様くらいの時分には既に嗜みますもので」
 未成年にお勧めしてはなりませんねと笑った彼女は朱鷺丸に視線を変え、御仁は如何にございましょうと首を傾げた。
「御酒をお持ち致しましょうか」
「いや、俺もお茶で。せっかく勧めてくれているのに申し訳ないが、この茶の香りがすごく良いので」
「それでは、帰りにどうぞ茶葉をお持ちくださいませ。蒼姐がご自慢の薔薇茶にございますれば」
 気に入って頂けて嬉しゅう存じますと心から嬉しそうに声を弾ませる雪華に、暗い翳は見えない。青薔薇に対する引け目も負い目もなく、ただ純粋に慕っているのがよく分かる。
 依頼人が青薔薇の用心棒であることは、きっと彼女も承知しているはず。例えば最初は知らなかったとしても、今も知らないなんてまず有り得ない。それならば彼女と依頼人は、一体どんな関係にあるのだろう。
 思わずまじまじと彼女を眺めて考え込んでいる朱鷺丸を、優姫が肘で突付いて諌める。はっと我に返った朱鷺丸が謝罪する前に、雪華は静かに笑みを深めた。
「あの方に……、蒼姐の用心棒殿に。頼まれて、こちらにおいでですね?」
 囁くような声はけれどしっかりと二人の耳に届き、咄嗟に反応しかねて固まってしまった。雪華は笑ったままそうと頷き、おいでになると思っておりましたとどこか諦めた様子で息を吐いた。
「あの方は、私を哀れと思し召しですから」
 失礼なことと苦笑じみて頭を振った雪華の首で、金属の割に柔らかい動きを見せる花がふわと揺れた。まるでそれが香るように薔薇茶の匂いが強まった気がして、どこか気まずいまま言葉を探す。
「……僕たちが来ることを、きみは知っていたの?」
「何方がおいでになられるかは、存じませんでした。ですが、何れはと思っておりました」
「俺たちが受けた依頼の内容、も」
「この花飾りを。斬れ、との仰せにございましょう?」
 朱鷺丸の傍らに置いたままの一振りに視線を落とした雪華は、怒るでもなく笑うでもなく、ただ事実に近いことを言い当てる。
「いや、別に斬れと言われたわけでは……。それにこの銀雷は、人を害さぬ太刀だ。あなたを傷つける気は、」
 言い訳めいていると思いながらも続けようとした朱鷺丸に、雪華はそれも存じておりますとやんわりと遮った。
「あの方は、私を殺そうともしてくださいません。ただ哀れみを……憐れみのみを、いつも施してくださるのです。あの時に賜ったお言葉など、とうにお忘れなのにございましょう」
 それさえも存じておりますと目を伏せてそっと溜め息にも似た吐息を溢した雪華に、優姫は姿勢を正して真摯な目を向けた。
「僕はあんな依頼人なんて、正直どうでもいい。ただ、きみがどうしたいかを聞かせてほしい。きみが望むならそれを外そう、望まないのならそのままに。それで依頼人がきみを傷つけるというなら、僕が守ろう」
 だから、きみの望みを聞かせて、と。
 優姫が目を見据えたまま提案したそれに、雪華はしばらく彼女をじっと見つめ返した後に滲むように微笑んだ。
「……どうぞ、今日のところは一度、お収めくださいませ。もう一度いらしてくださるまでには、どちらになるにせよ私も心を決めておきます故」
 どうぞお願い奉りますと深々と頭を下げる雪華に、無理を強いることなどできるはずがなく。朱鷺丸は極力彼女から引き離しておいた銀雷を取って、出ようと優姫たちに合図した。


 どうしたらいいんだろうなと、困った様子で呟いた朱鷺丸をシャノンはちらりと一瞥した。
「どう、とは?」
「今回の依頼だ。依頼人が望むまま、首輪を外すべきか」
 実際のところ、首輪なんて碌でもないものは力尽くでも外せばいいとは思う。支配されている何よりの証、隷属の徴などいつまでも嵌めている意味はない。
 だから依頼人の様子が頑なすぎることに幾らか不審はあるものの、この依頼を受けることにしたのだろうが。彼女は自らの境遇を嘆いているわけではなさそうで、寧ろ外したがっている依頼人こそを哀れんでさえいるようだった。
「あれは鎖というよりは、絆、に近いのでは? 彼女にとって、依頼人との関係を繋ぐ唯一とすれば、それを外したがらない気持ちは分かる。勿論、ここは彼女たちがいた映画の世界ではないのだから、説得すれば分かってくれるとは思うが」
「無駄に時間がかかりそうだな。朱鷺丸の言うようにあれを絆と信じているならば、それを解き放つかどうかは彼女の心一つということだろう」
 今回の依頼内容とはそぐわないようだなと肩を竦めたシャノンに、そんなことはどうでもいいと優姫が断言した。
「彼女が望むなら、外すことに異存はないけど。望まないのに無理を強いるのは言語道断だ。それをするなら僕は依頼人を始め、あなたたちも敵に回すよ?」
「それをしてくれ、と、俺は依頼したはずだがね」
 分かってて受けてくれたんじゃねぇのかいと尋ねながら姿を見せた依頼人の声は、言葉ほどには批難の色を乗せていない。気づいていた他の二人同様に彼へと視線を変えたシャノンは、先ほど見た雪華とは違い薄暗い目をした男に、ふんと鼻で笑った。
「聞けば、青薔薇とは幼馴染というだけでなく昔からの懇意だったそうじゃないか。旦那の一人でもある貴様が、何を考えてその下につく雪花姫にそうも拘る?」
「俺は、おまえが青薔薇を色町から助け出せなかったことを後悔しているのだと思っていた。せめて助けられなかった家族の代わりに、雪花姫を助けたいのだと。それなら協力を惜しむ気はないが、彼女に会って分からなくなった」
 自分に向けられた哀れみを、失礼だと言い切った。彼女はそこにいる自らを悲観しているわけでもなければ、依頼人に助けを求めている風でもなかった。優姫の問いかけに即答できないほど、首輪を外すことにも外さないことにもさしたる執着はなさそうだった。
「決めかねている様子ではあったな。貴様の望みを叶えてやるべきかどうか、それだけに迷っている風だった。つまり貴様だけが、ありもしない柵に縛られているのではないか?」
 彼女を助けたいのではなく、ただ自らを解放したいだけなのではないかとシャノンが僅かに声を尖らせると、男は何を今更と唇を歪めた。
「最初からそう言っている。例え嬢が望まずとも、あれを外してくれ、と。そんな俺が嬢の為に動いているなんて、飛んだ思い違いだ」
 そんなことがあるはずがないと自嘲気味に吐き捨てた男は、腰に佩いた剣の柄を握り締めている。逆上して襲い掛かってくるには、あまりに力が入っている。ただ何かを堪える為に、震えるほど握り締めているのだろうと眺めているところに、おやめくださいましと悲鳴に似た批難が響き渡った。
「おろしてくださいまし、離して……! なんという無体な、……このような仕打ちを受ける覚えはございませんっ」
 色町の姫と侮っておいでかと怒りに震える声で批難を浴び続けているのは、雪華を荷物のように抱いて運んできた三嶋だった。何をしてるんだと優姫のほうが声を荒げて詰め寄ると、何って依頼だろうさと丁重に雪華を下ろした三嶋は肩を竦めた。
「交互に尋ねて話を聞いても、埒が明かねぇだろ? だからってそこの大将は、あの店に行く気はない。それなら姫を浚ってくるのが、一番手っ取り早かろうさ」
 幸いにしてここでの彼女の居場所は、色町ではなくただの料亭。借金という足枷もないのならばさほどの護衛がついているわけでもなく、三嶋一人でも浚ってくるくらいは容易かったらしい。
 本気でやるとは思わなかったがと、一人だけ浚ってくるわと言い残した三嶋の言葉を聞いていたシャノンは密かに心中で呟く。知らなかった二人も含めて呆れた目を向けると、三嶋はしれっとした様子で笑った。
「そう怖い顔してくれんなよ。今回は、泣かせるのも仕事ってな」
 そうだろう、大将? と揶揄するように問われた依頼人は、はっと我に返るなり踵を返した。咄嗟に回り込んだシャノンは銃を突きつけ、どこに行く気だとにっこり笑いかけた。
「せっかく三嶋が、わざわざ貴様の為に彼女を連れてきてくれたんだ。再会を喜ぶなりなんなり、してやるのが筋だろう?」
 言って優姫が気遣っている彼女を顎先で指し示したシャノンに、退け、と依頼人は声を低めた。
「誰が嬢を浚ってきてくれなんて頼んだ!」
「うん。料亭から浚うのはないな、常識として……」
「おいおい、あんた、どっちの味方だい」
 ひっでぇなぁと笑いながら、しみじみ突っ込んでいる朱鷺丸の隣で三嶋も銃を抜いている。少なくとも三嶋さんの味方はしたくないと断言した朱鷺丸も、いつでも抜ける体勢で剣の柄に手を添えていた。
「今更逃げんのは男らしくねぇな、依頼人さんよ。泣かせてでも、っつったのはあんただろう? あれは、そんな覚悟もない言葉だったのかい?」
 情けねぇなと三嶋が語尾を上げると、依頼人は決して雪華に振り返りたくない為か、ただシャノンを見据えて殺気を放つ。
「そこを退け。退かねぇなら、斬る」
「ふん。貴様、俺に勝てる気か?」
 侮られたもんだなと酷薄に目を細めたシャノンの言葉を合図に、依頼人の剣が抜かれた。──否、抜かれたと思った時に、依頼人の頭に重そうな靴が直撃していた。
「彼女の前で馬鹿をするな。間違って彼女が怪我をしたらどうする気だ、この馬鹿ども!」
「えーっと、それは俺らも入ってんのかい」
「浚ってきたお前が一番重罪だ!」
 土下座して謝れと本気で怒気を撒き散らしている優姫に、お収めくださいましと雪華が宥める。
「事情もなく浚われましたので動転も致しましたが……、ここに連れて来て頂いたことには感謝しております」
 ですからどうぞそれ以上はと頭を振った雪華に、きみがそう言うならと優姫も渋々引き下がる。有難う存じますと深々と頭を下げた雪華は、痛い頭を押さえて蹲っている男に近寄った。
「お久しゅうございます……、トウケン殿」
 お元気そうで何よりにございますと続けた雪華に何の反応も見せず、男はただ頭を抱えたまま蹲っている。
「情けない……、貴様も男ならば応えれやればどうなんだ」
「喧しい。俺は……、嬢と話すことなんざ何もねぇよ」
「ユキハナ、と」
 強い口調で名乗った雪華に、シャノンにだけ視線を向けた男は立ち上がる途中でびくりと身体を竦めた。それでも意地でも振り返らない背を見つめたまま、雪華は仕方がなさそうに笑う。
「トウケン殿より賜った名にございます。どうぞ、そうお呼びくださいまし」
「っ、嬢、」
「ユキハナ。に、ございます」
 聞き分けのない子供に言い聞かせるように繰り返した雪華に、男はぐっと剣の柄を握り締め直した。
「私の白花が、トウケン殿にはそんなにお気に召しませんか」
「っ、当たり前だ! いつまでそんなもんに縛られてやがるっ。ここはあんな最低の世界じゃねぇんだ、取っ払っちまって問題ねぇだろうが!」
 掴みかかりかねない勢いで怒鳴りつけた依頼人は、けれど相変わらず彼女に向き直らない。おかげで実際怒鳴られている形になっているシャノンは、頬を引き攣らせて銃を構えたまま無造作に依頼人を蹴飛ばした。
「俺に言ってどうする、そんなこと!!」
「まったくだ。せっかく彼女がここに来てくれたのに、失礼極まりない」
「つーわけで、ほら、大人しくしな、依頼人さんよ。暴れるとぱきっといくぜー、ぱきっと」
 野郎を押さえつける仕事なんて最悪だなとぼやきながら三嶋と朱鷺丸が依頼人を押さえつけ、無理やり彼女に向き直らせた。ご丁寧にと苦笑交じりに頭を下げた雪華はしゃがみ込んで依頼人と目を合わせ、どこか泣き出しそうに微笑んだ。
「ようやく……、お目にかかれました」
「……っ、嬢……」
 どうあっても名を口にしない依頼人は一瞬だけ重なった視線を目を伏せることで逸らし、殊更俯いた。合わせる顔がない、と頑なに信じたその様子に優姫は軽く苛っとして、きみさぁと雪華の隣にしゃがみ込んだ。
「これのどこがいいの?」
 こんなヘタレ、とわざわざ指を差した優姫に、雪華は思わずと言った風に吹き出した。
「ほんに……、お情けないお姿にございますこと。私に名をくだされた時は、こうではございませんでしたものを」
 責めるような言葉とは裏腹に優しい口調は、いくら人の気持ちに疎い人間でも込められた想いに気づけるだろう。それなのに依頼人は唇を噛み締めて俯いたまま、口を開こうともしない。
 雪華はそんな依頼人が顔を上げることを信じたようにじっと見据えたまま、口を開いた。
「──もう、お忘れでございますか。私に……、名を与えてくださいました時のこと」
 どこか寂しそうに尋ねられたそれに、依頼人の肩がびくりと反応する。だというのにまだ顔を上げない姿をしばらく眺めた雪華は、溜め息混じりに立ち上がった。
「ナノカ姐さんに、どうぞ一度はお顔を見せてあげてくださいましね。私は……、あなた様の望まれますまま。もう二度と、あなた様の前に姿は見せませぬ」
 不快を与えて申し訳ありませんでしたと色町の姫特有の礼をして見せた雪華は、依頼人に代わって自分を見上げてくる四対の目に笑ってみせた。
「あなた様方の受けられたご依頼は、私の首輪を斬ることにございましょう。さりとて私にとって、今やこれは唯一の拠り所です。たかが殿方の未練一つでは外せぬ物……。もう二度と顔を晒さねば、外したも同然としてお見逃しくださいませ」
 ご迷惑だけおかけしましたことを深くお詫び致しますと深々と頭を下げる雪華に、きみが気にすることじゃないと優姫が断言する。悪いのはこっちだと朱鷺丸も押さえつけたままの依頼人を指し、シャノンは答えずに小さく肩を竦めた。
 雪華は有難う存じますともう一度頭を下げて踵を返し、店に帰っていく。
「よう。これでよかったのかい、大将」
 あんたは満足かいと三嶋が離れていく雪華の背を見つめて呟くように問いかけると、依頼人がようやく顔を上げた。
「ユキハナ! ……俺を恨んでるか」
 とりあえずこの情けない姿で聞くには相応しい台詞だなとシャノンが辛辣に評価していると、しばらく離れたところで振り返った雪華は軽く眉根を寄せ、また馬鹿なことをと唇だけで呟いた。
「感謝しております……、心から。私に、名と拠り所をくださいましたこと」
 言って首許で揺れる花に触れた雪華に、依頼人は三嶋と朱鷺丸を振り払って立ち上がった。

──雪みてぇに真っ白に、艶やかよりは可憐に咲け。拠る術もなくその首に白が咲いたなら、──

 きぃんと、耳鳴りのような音の合間に掠れたような声が頼りなく届く。それは彼女の首に咲く白花か、それとも依頼人が持つ剣の持つ記憶か……。
 金属が擦れるような音が止んだ後に、続く言葉はない。ただ重なった雪華と依頼人の視線がそれを合図にまた離れてしまう前に、ここはと朱鷺丸が声を張っていた。
「ここは映画の柵に縛られない世界だが、それに縋ることもできない世界だ。別の物を築くか、やり直しするしかない」
「鎖に縛られたままでいるのも結構だが、せっかくここにいるんだ。違う生き方を模索するのも、運命って奴ではないか?」
 全ては心一つだとシャノンが続け、依頼人は初めて雪華を見据えたまま口を開いた。
「俺は、嬢を色町の姫にと追いやった張本人だ。あの時、俺があんなことを言わなけりゃ、……嬢にはもっと別の道もあったろう」
「私は……、トウケン殿とお会いできたことを、恨んだことなど一度たりとてございませぬ。この名も、白花も、トウケン殿より賜ったものなれば……」
 泣き出しそうに震えた声で答える雪華に、依頼人は苦痛そうに目を伏せた。それでも俺は、とまだ何か呟きかけたところに、苛々する! と口を挟んだのは優姫だった。
「いつまでもぐだぐだと女々しいことを言ってないで、大事なひとなら傍にいろ!」
「あそこまで慕われて応えねぇなんざ、男じゃないぜ、大将」
 とっとと行けと優姫と二人して依頼人の背と尻を蹴飛ばした三島は、受け止められるはずもないのに手を差し伸べている雪華に睦まじいこったとどこか羨ましそうに呟いた。
「さて、生憎俺にはあの首輪を外してやる術はないんでね。後は頼んだぜ」
「銀雷で斬ることはできるが……、斬るならば依頼人に任せたほうがよさそうだ」
 もう躊躇いもないだろうしと笑った朱鷺丸に、シャノンもそうだなと頷いた。
「霊撃弾で外すことも可能だが、武器を向けるのも無粋というもの」
「なら、僕がやろう。外すことを望むなら、それは容易い」
 斬るよりは穏やかなはずだと頷いた優姫は、痛がっている依頼人を支えている雪華に柔らかな視線を向けた。
「さぁ、姫君。――きみの望みは?」


 それにしても、うざい依頼人だったなーと、うんと伸びをしながら三嶋が笑う。
「結局、姫に嫌われているだろうことが怖くて顔も出せなかった依頼人が原因の、擦れ違いでしかなかったな」
「とはいえ、映画の中では無理だっただろうが。実際のところ依頼人と青薔薇に関係はなくとも、旦那の一人という認識が周りにはあった」
「身請けをするにしても、雪華姫だけが周りの姐姫から責められるのは想像に難くない。ヘタレも過ぎるとは思うが、彼女を想っての躊躇だったならある程度は認めてやるべきかもね」
 とりあえず彼女が幸せそうだったから良しにすると優姫が纏めた言葉を聞いて、三嶋は持ったままだった白花のついた首輪を目線まで持ち上げた。
「こんな物でも、人生まで縛っちまう鎖、なんだな」
 人の想いってのは怖いねぇと語尾を上げた三嶋は、軽々とそれを空に放り投げていつの間にか手にしていた銃でそれを弾き飛ばした。二度三度と続けてその度に蒼に溶けるように跳ね上がった白は、やがて花を擁したまま手が届かないほど遠くへと追いやられ、見えなくなった。
「任務終了、と」
 姫を繋いでいた花の鎖は、今はもうない。

クリエイターコメント しょっぱなから、無駄に長くなりすぎてしまいました……。もう少し短く纏まるはずだったんですが、つい楽しくて調子に乗ってしまったようです、ごめんなさい。
 でも皆様の素敵なプレイングにより、ここまで楽しんで書かせて頂くことができました。初のシナリオで不安も多々ありましたでしょうに、ご参加くださいまして誠にありがとうございました! これからもまたぼちぼちとシナリオ提出していこうと思いますので、のんびりとお付き合い頂けますと幸いです。
 それでは、今回は初のシナリオにご協力・ご参加、誠にありがとうございました。
公開日時2008-05-26(月) 19:10
感想メールはこちらから