★ 爆発まであと30分! 隠された超小型爆弾を探せ! ★
<オープニング>

 盾崎時雄の口から、ぽろりと煙草が落ちた。
 銀幕ジャーナルの“鬼編集長”の名を欲しいままにしている彼が、青ざめていた。
 彼が見つめるのは、一台のテレビだ。今は画面上にサンド・ストームが吹き荒れている。それがパッと消えて、下にあるビデオデッキがガシャコンとレトロな音を立てて、テープを巻き戻し始めた。
 今まで、彼はそのビデオを見ていたようだった。
 呆然としたままの盾崎の手には茶封筒が握られている。彼が握り締めクシャクシャにしてしまっているものの、かろうじて文字が読める。流暢な筆の文字で「銀幕ジャーナル編集部 御中」と書いてあるのが見えた。封筒の角には金色の──燕だろうか? 何か鳥のような刻印が刻まれている。
 彼は左手をひたと自分の額に置き、ハッと思い出したように自分の腕時計を見た。19時である。
 ──まるで、雷に打たれたように盾崎は立ち上がった。


「七瀬ェーッ! 人だ! 植村を呼べ! ムービースターをかき集めろ!」


 叫び、取り乱したように、盾崎は部屋を飛び出して行った。大きなドアが音をたて、はめ込まれた飾りガラスが割れそうになってもおかまいなしだ。鬼編集長はこの数年の運動不足を解消するがごとく、大またで走り去っていった。
 ──その数秒後。
 彼の足音が消えるか消えないかほどのころ。ぷつん。またビデオに再生がかかった。
 誰も居ない部屋で、ビデオの映像が静かに流れ出す。


 ★ ★ ★


 サンド・ストームから一転。画面はどこかのバーを映し出した。
 抑えた照明の暗がりで、カウンターのスツールに腰掛けているのは一人の女である。カメラが近づいていくと、それが紫色のチャイナドレスを着た妙齢の女だということが分かる。
 ふわりと照明が明るくなり、女の顔が明らかになる。
 東洋人だ。冷たい雰囲気の美女だが、左目に付けた黒い眼帯がまるで彼女自身のようにその存在を主張している。それは彼女がカタギではない証拠。彼女のトレードマークでもあった。
 往年の映画ファンは、ここでアッと声を上げることだろう。──彼女は、香港ノワール映画の雄「スワロー・ガイ」シリーズのヒロイン、仁義の人、女侠客カレン・イップその人だったのだ。

 ただし、彼女がこんな表情を浮かべるところを見た人間はまだ少なかった。そして彼女が夫を殺害し、犯罪結社“金燕会”を乗っ取ったことを知る人間も。


「ハロー。あたしは“金燕会”のカレン・イップ」
 ビデオの中で。カレンは、充分な間をとってから、ニコリと冷たく微笑んだ。
「この銀幕市にいけすかない女が来ているって聞いたんで、顔を出してやろうかと思ったんだけどね。あたしもいろいろと忙しいもんだから、代わりにプリティ・ボーイを挨拶にやることにしたよ」
 そう言い終えて、彼女はゆったりと足を組み直した。すると、その太ももに龍の刺青が見える。
「プリティ・ボーイは可愛い奴でね。シガレット・ケースに入る大きさだってのに、ひとたび癇癪を起こせば、あんな会場一つ木っ端微塵にしちまうのさ」
 そこで突然、カレンは声を上げて笑い出した。木っ端微塵さァ、ともう一度言って笑う。
「“ラスト・オイラン”なんて、クソくだらない映画だけどねえ。あたしも映画人だ。プリティ・ボーイには、ちゃあんと上映が終わるまで待つように言いつけてあるよ、安心しな。……けど、スクリーンに“終”の文字が出たあとは、さァどうだろうねえ?」
 言いながら、彼女が浮かべるその笑みは、決して仁義を貫く人間が浮かべるようなものでは無かった。
 ひとしきり笑った後、カレンは鋭い目つきをこちらに向けて続けた。
「おや、いけない。これが届くころには映画の上映会が始まっちまってるんじゃないかい? 挨拶が遅れちまって悪かったね。もうちょっと早く知らせればよかったかい? それじゃ、せいぜい頑張りな」

 顔の前でパッと手を開いて見せるカレン。映像はそこでぷつんと終わっていた。

種別名シナリオ 管理番号79
クリエイター冬城カナエ(wdab2518)
クリエイターコメントみなさん、こんにちわ。冬城カナエです。

ビデオレターに映っているのは、犯罪結社「金燕会」の女ボス、カレン・イップです。
http://tsukumogami.net/ginmaku/app/pc.php?act_view=true&pcno=289

彼女がSAYURI殺害のために、上映会会場に仕掛けた小型爆弾を解除するのがこのシナリオの主なミッションです。
キャラクターたちは映画の上映会が終了するまでに、会場を駆け回り「金燕会」の手下たちと戦いつつ、爆弾を探して処理をしなくてはなりません。それも、一般人に混乱を起こさないよう、秘密裏に。

シナリオの導入としては「盾崎編集長に話しを聞き、現場に急行する」「たまたま上映会に参加していて事件に気付く」のいずれかになるでしょう。
どちらにしろ、キャラクターたちが集まってからの物語は30分前からスタートします。

主にキャラクターの活動場所として挙げられるのは「映画館の客席」「ロビー」「売店」「楽屋」「舞台の裏手」などです。自由に爆弾を探すなり、推理するなりしてください。ミステリではないので(笑)、「○○の××を探す」などと映画的に有りそうなプレイングでひとつお願いします(笑)。テキトーにカッコ良さそうな感じでまとめてみてください。

また、関係者しか立ち入れないような場所には、敵が潜んでいる可能性があります。基本的にカンフーを使う香港ヤクザです。ボコボコにされないようにご注意くださいませ(笑)。
(カレンはこの会場には来ません。彼女と戦うという選択肢は無しにしてください)

アクション好きな方、大歓迎です。
今回は少しアタマも使っていただいて、でもやっぱり、アクションで決めたい方をお待ちしております(^^)。
ちなみにムービースター限定ではありません。騒ぎに巻き込まれたい方もどうぞお気軽にお越しくださいませ。

p.s.募集時間が、すこし短めになっております。お気をつけくださいませ。

参加者
萩堂 天祢(cdfu9804) ムービーファン 男 37歳 マネージャー
ベルヴァルド(czse7128) ムービースター 男 59歳 紳士風の悪魔
ヒュプラディウス レヴィネヴァルド(cmmt9514) ムービースター その他 20歳 邪神
西村(cvny1597) ムービースター 女 25歳 おしまいを告げるひと
柊木 芳隆(cmzm6012) ムービースター 男 56歳 警察官
オーファン・シャルバルト(cned6481) ムービースター 男 17歳 エージェント
<ノベル>

 それは、ある金曜日の夜の出来事だった。カメラは夜空を写し、そこからパンして、バス停にある古ぼけたアナログ時計を映し出す。短針は7を、長針は11の辺りを指していた。画面の端から赤いフェラーリF430が低いエンジン音を響かせて現れる。フェラーリは、バス亭の前を華麗に通り過ぎていった。


 ──── 30分前 ────


「やあ、悪いねー。まるでタクシーみたいに使っちゃってさ」
「いや、気にしないでください。俺も何か用事があるってわけじゃなかったし」
 そう言いながら愛車のフェラーリF430のハンドルを握っているのはオーファン・シャルバルト。ジーンズにジャケット。耳にはピアス。青い瞳の典型的なアメリカン・ボーイである。当然、この派手な愛車も彼の出演していた映画「ワイルド・ボーイ」でおなじみの車だ。
 しかし助手席には、いつもの彼のパートナーではなく、一人の男性が同乗していた。スーツを着た50代後半の男性だ。襟を開けてネクタイを緩め、リラックスした様子の彼の名前は柊木芳隆 (ひいらぎ・かおる)。こちらも刑事映画「狼狩り≪外伝≫」に登場するムービースターであった。
「助かったよ。僕の車は持ち主とおんなじポンコツでねぇー」
間延びするような呑気な口調で、柊木は言った。「君が通りかかってくれなかったら、あのまま立ち往生してたトコだったよ」
「アハハ、貴方がポンコツだったら、俺はBONKURAですよ」
「ボンクラか。君、面白い言葉を知ってるねぇー」
 親子ほども年の離れた二人は可笑しそうに笑いあう。
 数分前。オーファンは、車が故障して道端で立ち往生していた柊木を見つけたのであった。顔見知りというわけではなかったが、お互いムービースターである。声を掛けてから、銀幕ジャーナルの活躍まで話が弾んで、二人が仲良くなるまでには時間はかからなかった。
 そして、オーファンは柊木が帰宅途中だったという話を聞いて、快く自分の車に乗っていかないかと誘ったのだった。当然、柊木は二つ返事でフェラーリに乗り込んでいた。

「しかし先日のSAYURIさんのパーティですけど」
 オーファンはハンドルを操りながら口火を切る。
「どうも、あの騒動が終わったような気がしなくて……。胸騒ぎがするんですよ」
「おや、君もかい」
 にっこりと柊木は隣りの少年に微笑みかけた。
「僕もだよ。でも、今夜の上映会のイベントが、SAYURIくんの銀幕市での最後の公式の場だって聞いたしねぇ。まあ今夜が何事も無ければいいんだけどねぇー。……って、そんなことより」
 映画の中で見せるような、鋭い目を一瞬だけ見せて。“警察庁警備局公安課課長”は、隣の少年の顔を上目遣いに見た。
「オーファンくんは、何か他に気になることがあるんじゃないかい?」
「気になることですか? いえ、とくに……無いですよ」
「そうかなあー? オジサンには、君が元気ないように見えるけどね。ほら例えば、ジェシカくんと喧嘩した、とかさ」
「──ブッ!」
 いきなりアクセルを踏み込んだオーファン。車はガクンと揺れたが、柊木はそれも当然見越していたようにしっかりとドアのところに掴まっていた。
「な、なな、何を言うんですか、いきなりそんな……」
「あっはっは。君はほんとに面白いなぁー。若いってイイねぇ」
 突然パートナーのことを話題に出され、顔を真っ赤にして動揺する少年。その様子を見て、柊木は腹を抱えて大笑いした。しかしあんまり笑うのも悪いと思ったのか、すぐに笑みを抑え、柔らかい口調で訪ねる。
「ジェシカくんと何があったの? 僕で良かったら話を聞いてあげるよ」
 オーファンは前方に視線を戻しつつも、柊木の持つ不思議な雰囲気にすっかり呑まれていた。ほぼ初対面だというのに、一緒にいると何故かとても安心するのだ。まるで、死んだ父親と一緒にいるような、そんな感覚だった。
 落ち着いて息を整えたオーファンは、彼に話をしてみようと、そう思った。
「あの、ダンスパーティのときは良かったんです」
 おずおずと彼は話を切り出した。
「俺も、ジェシカをうまくダンスに誘えたし……。彼女もけっこう楽しんでたみたいだし」
「うんうん」
「でも、帰りがけにね、彼女が急に怒り出したんですよ。……どうせわたしはダンスが下手よ、優雅でも何でもないわよって」
「“どうせわたしは”って言ったのかい?」
 柊木がそう問うと、素直にうなづくオーファン。
「なあ、推測なんだがね」
穏やかに続ける柊木。「君はひょっとしてこんなとを言ったんじゃないかなぁー? ……ああ、SAYURIさんは素敵だ。あんな優雅な人と一緒に踊ってみたい、とか」
「あ!!」
 目を見開くオーファン。「い、言ったかもしれません、でもどうして!?」
「君はオンナ心をぜんぜん分かってないな」
 柊木は微笑みながらも、大きく息をついた。
「褒めるべきはジェシカくんの方だろ? 綺麗だって思ったんだろ? ちゃんとそう言ってあげたのかい?」
「そりゃだって、その……、本人に面と向かって言えるわけないじゃないですか」
居心地悪そうに小さな声で、オーファン。「恥ずかしいですよ」
「駄目だよ、そんなんじゃ」
 きっぱりと言う柊木。
「僕は毎日、ウチの奥さんに“綺麗だ、愛してる”って言ってるよー?」
「毎日!? ホントですか?」
「ああ。口に出して言わないときは心の中で、さ」
 驚く少年に、柊木は悪戯っぽく片目をつむってみせた。
「女のコには、それぐらいの愛情と感謝の言葉を伝えてあげることが大切なんだよ。分かるだろ?」
「うーん」
 分かったような分からないような……。オーファンは考え込んでしまう。
 その様子を見て、フッ。柊木は笑った。
「よし、じゃあ家まで送ってもらうお礼に、僕がウチの奥さんを落としたときの殺し文句を、君に教えてあげるよ」
「えっ? 殺し文句、ですか?」
 目を輝かせて柊木を見るオーファン。
「あれは……そうだな、いつ頃だったかな。外事情報部にいたころだったかなぁー」
 柊木は十分な間を開けて、もったいぶって話し始めようとした。しかし、その時──。

『──誰か! この通信を聞いてる奴がいたら返事してくれ! こちらは盾崎。銀幕ジャーナルの……』

 突然、ラジオの音楽を突き破るように、聞こえてきたのは緊迫した男性の声。銀幕ジャーナルの盾崎編集長の声だった。
 これは一体……。柊木は口を噤み、隣りのオーファンと顔を見合わせた。朗らかだった車内の空気が一瞬にしてピンと張り詰める。
「いろんな電波無線を傍受してるんです」
 言いながら、オーファンは素早く機器を操作した。「盾崎編集長が、なんらかの周波数を使ってコールをしてるんだ」
「こちらから返事は出来るのか?」
「はい」
 スッとオーファンは無線機を柊木に差し出した。それを受け取った柊木はすぐに口に当てた。
「こちら柊木芳隆。盾崎編集長、聞こえるか?」
『ひ、柊木さんか!』
 車のスピーカーからはまるで救世主に出遭ったかのような、盾崎の声が聞こえた。
『大変なことが起こってる! 爆発まであと30分しかない! SAYURIの上映会が!』
「落ち着け、盾崎」
 チラと鋭い視線をオーファンと交わしてから柊木は低く落ち着いた声で問うた。
「何が起こってるんだ。順序立てて話してくれ」
『ウチにビデオレターが届いた。送り主はカレン・イップ。今ハルモニー・ホールでやってる“ラスト・オイラン上映会”に小型爆弾を仕掛けたっていうんだ。上映は19時半に終わる予定で、どうやら上映終了とともに爆弾が──』
 オーファンがサッと柊木に腕時計を見せた。19時ちょうど、だった。
「分かった。今、私はエージェントのオーファン・シャルバルトくんと一緒にいる。これからハルモニー・ホールに向かい、この事態に対処する」
 二人は目を遭わせ、うなづき合う。
「君が話したのは我々が最初か?」
『ああ』
「よし。君は引き続き、協力者を募ってくれ」
『頼む、柊木さん。オーファン。くれぐれも気をつけてくれ』
「ありがとう。君もな」
 プツ。通信を切った柊木はオーファンを見た。背筋を伸ばしたオーファンは眉を上げて見せ、アクセルをグッと踏み込む。
「しっかり掴まってください。柊木さん。3分で着きますから」
 柊木は、静かにうなづいた。


 ──── 27分前 ────


 銀幕市の中心街に位置するハルモニー・ホールは、クラシック音楽の演奏会や映画祭などのイベントが行われている多目的ホールである。八角形に広がった屋根は法隆寺の夢殿をモチーフにしたということだが、屋根の中心には大きな十字の枠のはまった水晶球のモニュメントがある。和洋折衷のモダンなデザインだ。
 この日は、銀幕市に来訪しているSAYURIのためのイベント、ファンクラブが主催する『ラスト・オイラン』の上映会が最上階の「ラ・シネマ」で開催されていた。上映が終わった後は、SAYURI本人によるトークショーも予定されているとのことで100人の定員を遥かに超える150人ほどが集まってしまい、立ち見も出るほどの盛況となったという。

 会場がそんな熱気に包まれている中、もう一つの饗宴が上空で繰り広げられようとしていた。

「フフ、やはり、そうでしたか」
 屋根の上の水晶球の脇から姿を現したのは、黒い眼鏡をかけたスーツの紳士だった。どのようにしてこの場所にやって来たのか。つい、と丸い黒眼鏡を手で直し、人間離れした雰囲気を持つ初老の男は、ひとり嗤う。
「映画館のポスターに、面白いショーの予告があると思ったら、やはり、ね」
 彼の名前はベルヴァルド。ムービースターで、出演作はB級ホラー映画『エグザイル 〜暗黒の放浪者』。主人公を助ける役目ではあるのだが、何しろ彼は悪魔である。悪役よりもタチが悪いとの評判で、しかも本人もそれを賛辞だと受け取っている節があった。
「……カレン・イップ。金燕会。自らSAYURIの来日イベントの演出を買って出るとは、面白いお嬢さんだ。その心意気は買わせていただきましょう。そして──」
 バッ。まるでこれからクラシックコンサートの指揮をするかのように、ベルヴァルドは両手を振り上げた。
 その視線は下へ。天井を突き抜け、彼の眼はあらゆる壁という壁を突き抜けて、会場の中を行き来する不届き者たちの姿を捕らえていた。
「ちょうど“食事”をしたいと思っていたところなのです。ご挨拶がてら、君たちの魂を、頂戴するといたしましょう」
 ベルヴァルドの身体から瘴気があふれ出す。彼はその感覚に身をゆだねつつ、まるで音楽を奏でるように腕を振るいながら、会場の中へと意識を移していく。先ほど見つけた怪しい男たちの姿。金燕会の手下たちの魂を掴まえ、喰らおうと──。

 ──ジャッ。

「──!」
 ベルヴァルドは背後から湧き上がった猛烈な殺気を感じた。
 確認するまでもない。彼の視線は360度なのだ。一瞬のうちに相手の姿を認めると、ベルヴァルドは左手を振るった。大きな黒い闇が、水が噴き出すかのように屋根から立ち昇る。
 闇が、瞬く間に大きな人間の姿を形作る。それは彼の使い魔だった。
 ──ガゴッ! と大きな衝撃音をさせて、使い魔が受け止めたのは大きな拳だった。体長10メートルほどもある使い魔の漆黒の身体に、敵の拳が──彼と同じぐらいのサイズの拳がめり込んでいた。
 オゥォォ……ン。次に使い魔が上げた声は悲鳴に近いものだった。
 どぅと、漆黒の魔物が倒れていく。その振動がベルヴァルドにも伝わったが、彼はただピクリと眉を寄せただけだった。
 振り向いてゆっくりと、相手を見上げる。
 屋根の上に浮いていたのは、まさに異形の存在であった。
 体長はほぼ、使い魔と同じぐらいである。しかし上半身は人間に近く、下半身はまるで百足のように無数の足がうごめいている。眼は5つ、腕は4本だ。6枚の羽根は昆虫のようで、カゲロウのものに近い。そして全身は透き通った甲殻に覆われ、その下を流れる青い血が透けて紫のラインが見えていた。
 邪神、ヒュプラディウス・レヴィネヴァルド。「Chaoxistences -天界に舞う邪神-」に登場する恐怖の存在、そのままの姿がそこにあった。

「我が一撃を受けても滅びぬとは──。貴殿の名を聞こうか」

 異形の邪神は朗々たる声を上げ、屋根の上に立つベルヴァルドを見下ろす。
「これはこれは」
 対する悪魔は笑みすら浮かべていた。
「私はベルヴァルド。金燕会ごときに、君のような存在を召喚する力があったとはね。フフフ、こうでなければ面白くありません」
 パチン。彼が指を鳴らすと、砂が崩れるように使い魔の姿がさらさらと崩れるように消えていった。
「私自身がお相手いたしましょう。そうでなくては君に失礼だ。……上映会の邪魔にならぬよう、静かに葬って差し上げますよ」
「──待て」
 まさにベルヴァルドが上空に飛び上がろうとした瞬間、邪神は声を上げた。
「貴殿が、この会場の人間を滅さんとしていたのではないのか」
「私が? まさか」
 ゆっくりした動作で拳を引く邪神。
「我は、自らの意思でここへ来た。──濃い、死の匂いがここに充満していたのでな」
「自らの意思で?」
 邪神の言葉に、ベルヴァルドも動きを止めた。
「では、金燕会とは無関係なのですか」
 邪神は、うなづいたようだった。

 急にその巨大な姿が希薄になり、透明になって消えていく。一陣の風が吹き、ベルヴァルドの目の前に一人の少女が降り立った。
「我の思い違いのようだな。──失礼した」
 銀髪に紫色の瞳を持った少女は、本来の姿と同じ口調のままで厳かに言った。
「我はヒュプラディウス・レヴィネヴァルド。レヴィで構わん」
「おやおや。これは可愛らしいお嬢さんだ」
 ベルヴァルドはニコリともせずに言った。「先ほどとは似ても似つかないですね。私の使い魔はしばらく使い物にならないでしょうが、お気になさらず。……さて」
 悪魔はスーツの襟を正し、今度は相手を見下ろした。
「それで、君はここで何をなさるおつもりです?」
「小型爆弾を探して破壊する。盾崎という男が、助けを求めていたので聞いてやった」
「爆弾。──ほう。そんなものが仕掛けられているのですか」
 したり顔でうなづくベルヴァルド。
「SAYURIは幸運ですね。彼女は今や命を狙われているヒロインというわけだ。……クク、銀幕市でしか味わえぬ貴重な体験ではありませんか。果たして彼女は、この境遇を知っても冷静な女優でいられるのでしょうか? そして──君のような存在が、そのような人間を助けようと自ら動くとはね。どれもこれも、とても面白いことです」
「面白い?」
「興味深いということです」
「貴殿は、どうなのだ?」
 半ば、いらついたような様子でレヴィネヴァルド。“彼女”は、不愉快だと言わんがばかりに悪魔を射るように見つめた。
「私ですか? フフフ。そうですね、どうしましょうか」
 ベルヴァルドは、口の端を歪めて笑った。後ろで手を組み、カツ、カツ、と屋根の上を優雅に歩き出す。
「爆発を阻止して、SAYURI他150余名の命を救うのも良いのですが。あえて爆弾を爆発させて、湧き出る無数の魂をいただくのも悪くないですね」
「何?」
 二人の視線が激突する。静かに緊張が走ろうかというその瞬間。
 キキーッというブレーキ音とともに赤いフェラーリが会場の正面玄関に走り込んでくるのが見えた。バン、バン、と扉が開いて、二人の人物が車から飛び出して、会場の中へと猛然と駆け込んでいく。
 人にあらざる者2名は、それが誰であるのかを当然のように察知していた。
「ご安心を、レヴィ殿。私は困難なことに挑戦するのが好きなのです。このちっぽけな人間の身体を使って、広い会場の中の小さな爆弾を探す……。しかも数十分以内に。こんな愉快なことはありませんよ」
「ふん、我に貴殿の考えは理解できん」
 つまらなさそうに、少女の姿をしたレヴィネヴァルドが返す。
「我には、“面白い”も“つまらない”もない。乞われれば動く。ただ、それだけだ」
「結構」
 ベルヴァルドは、恭しく少女に一礼した。
「頼もしい味方たちも駆けつけたようです。──さあ、参りましょう」


 ──── 25分前 ────


 まさにカトレアの如き美しい花魁の姿がスクリーンいっぱいに映し出され、観客を魅了している。カメラがゆっくりと彼女の白い頬と、その目線を舐めるように描写していた。花魁──高尾太夫が愛した男に別れを告げる名シーンだ。
 さすがに綺麗だな、と萩堂天祢 (しゅうどう・あまね)は、ぼんやりとスクリーンを見つめていた。映画「ラスト・オイラン」は、ようやくクライマックスシーンになろうとするところだった。
 最後尾の一番左端の座席に座り、彼は時計をチラリと見る。19時5分である。スーツの袖の中に時計を戻し、ふうとため息をつく萩堂。この映画が終われば、約束の相手に会えるのだろうか。そんなことを思っていると、どうにも映画に集中できない。
 彼の事務所に、SAYURIのマネージャーから電話がかかってきたのは3日前だ。
 ──あんたが、ミスタ・キョウスケ・クルスのマネージャーさんかね。電話の向こうで、ヘタな日本語を使いながら相手は言った。ウチのクイーンがミスタ・クルスの演奏をえらくお気に入りのようでね。一度会えないか。
 萩堂はいわゆる芸能プロダクションの社員である。来栖香介は、彼が担当している音楽家で、あらゆる楽器を使いこなす才能溢れる青年である。SAYURIのための歓迎パーティで、彼はヴァイオリンを披露したのだが、どうやらそれが功を奏したらしい。
 話を聞けば、SAYURIは自分の次回作に来栖香介のヴァイオリンを挿入したいと言い出したのだという。一人、ビルの上に取り残されるヒロインの悲哀を表すのに彼のヴァイオリンがピッタリだと彼女は思ったのだそうだ。

 来栖香介のハリウッドデビュー──。

 萩堂は興奮し、電話を切ると、真っ先に香介に会いに行った。そして面倒くさがる彼を焚きつけて、急遽、ヴァイオリンの曲をいくつかスタジオで録音させて、それを持ってここハルモニー・ホールにやってきたのだ。
 映画の上映後。SAYURIのマネージャーと会って、新曲の入ったメモリスティックを渡しながら具体的な打ち合わせをする予定になっていた。このまま話がうまく行けば、ハリウッドにも出向かなければならないだろう。あの破天荒な来栖香介を、外国でどうやってお行儀良くさせようか……。そんなことを考えてばかりいて、萩堂はとにかく映画に集中することができなかった。

 ふと、前方で席を立った男がいた。そのまま、するすると萩堂の横を抜けて会場の外に出ていこうとする。
 何気なくその男の顔を見て、萩堂はハッとした。
 スタジオ・ミュージシャンの一人で来栖香介のバックバンドのギタリストだったのだ。
 最近、来栖が練習をサボり気味で、彼にもずいぶん迷惑をかけているようだし──。そう思いながら萩堂は腰を浮かせている。ちょっと声をかけて、様子を聞こう。
 見れば、ギタリストは扉の向こうに姿を消していた。萩堂も席を立ち、ギタリストを追って会場の分厚い扉に手をかける。
 
 ギイ、と扉を開けたとき。
 萩堂は壮年の男と鉢合わせした。
「!」
 ギョッと目を見開くと、相手も驚いたようにサッと身を引く。
「失礼」
 男が身を引くと、その後ろに金髪の若い少年が立っているのが見えた。二人ともいかにもムービースターといった風体だ。
 萩堂は彼らの情報を頭の中で再生した。彼らは確か──。
「柊木さんに、オーファン・シェルバルトさん?」
 彼らの名前を口にすると、おやと男が──柊木が眉を上げた。そのまま彼はニコリと微笑むと、ちょっと、と言いながら萩堂の腕を引いて、扉を閉めさせた。
「君は?」
「萩堂と言います。来栖香介のマネージャーをしています」
「ああ、あの……」
 二人の人物は顔を見合わせた。さすが来栖香介は有名人だ。柊木もオーファンもその名前に覚えがあったようだった。
「萩堂君、ちょっと困ったことになった」
 柊木は鋭い目つきで辺りを見回しながら言った。その様子に、さすがの萩堂も浮ついた気持ちを抑えた。何か、大変なことが起こっているのか。
「落ち着いて聞いてくれ」
壮年の男は萩堂の目を真っ直ぐに見て続けた。「この会場に小型爆弾が仕掛けられた。上映が終了すると同時に爆発する仕掛けになっているらしい。我々はそれを解除するべくここに来たんだ。──分かるね。君にも手伝ってもらいたい」
「私もですか」
「観客たちに爆弾のことを知らせてしまったら大パニックが起こるだろう。それこそ犯人の思うツボだ。だから我々は少人数で行動し、爆発を未然に防ぎたいと考えている。少しでも人手が必要なんだ」
 爆弾、爆発、解除……。突然、相手の口から飛び出したそんな単語に、萩堂は目をしばたたかせた。
「私に何が出来るのでしょうか」
「そりゃ、いろいろとな」
 応え、柊木はニヤリと笑った。隣りの少年と目配せしてから萩堂のスーツのポケットを指差す。
 え? と、ばかりに自分のポケットを見てみれば。そこにはバッキーのグーリィが顔を出しキョロキョロと辺りを見回していた。
「そいつは悪いムービースターを食べてくれるんだろ?」
 オーファンが言った。萩堂は、グーリィを見、そして少年を見る。……仕方ない。彼はゆっくりとうなづいた。
「お話は分かりました。お手伝いしましょう」
 正直、まだ話に付いていけていない自分を意識しながら、萩堂は二人の顔を代わる代わる見た。自分はムービースターではないが、こういう目をした相手に対し、礼を欠くような男では決して無い。そして、自分が何か手を貸せるのなら、喜んで貸そうではないか。
「でも、少しお待ちください。鞄を席に置いたままですので、取りに言ってきます」
「分かった」

 萩堂は、席に戻った。
 そして悲痛な叫びを上げようとし、慌てて自分の口をふさいだ。
 あの、鞄が──!

 来栖香介の新曲の入ったメモリスティックの入った鞄が、席から忽然と消えていたのだった。


 ──── 24分前 ────


「何を今さら言っているの? つまらないことは言わないで頂戴」
 コツ、コツ、コツ。ハイヒールの踵の音を廊下に響かせながら、SAYURIは背の低いマネージャーの後ろを歩きながら、つぶやいた。
「このわたし本人が姿を現すというのに、満員にならないわけがなくてよ? 立ち見が出て当然なのよ」
 彼女が高らかにそう言うのを聞いて、マネージャーの男は諦めたようにハイハイと答えた。ハルモニー・ホールの楽屋へ向かう廊下。蛍光灯の味気ない白い光が、コンクリートの壁をぼんやりと照らしている。
「SAYURI、トークショーが終わったら君は先にホテルに戻ってくれ。ボクは例のミスタ・クルスのマネージャーと会うことになってるんだ」
「……? 誰?」
「ミスタ・クルスだ。こないだのホテルのパーティでヴァイオリンを弾いてた……」
「あ、ああ」
 SAYURIはようやく思い出したように笑った。「分かったわ。ならわたしは先に──」
 トン。
 言いかけたSAYURIはマネージャーの背中にぶつかって、キャッと小さな悲鳴を上げた。
 前を歩いていた彼が急に立ち止まり、彼女はその背中に胸をぶつけてしまったのだ。
「どうしたの、急に止まったりして──」
 少し声を荒げたSAYURIだったが、その問いは途中でかき消える。
 SAYURIも理解したのだ。マネージャーが急に立ち止まった理由を。
 ひっ。彼女は息を呑んだ。

 廊下の真ん中に若い女が一人。じっとこちらを見ていたのだ。

 チカ、チカ、と蛍光灯が点滅し、廊下に立つ女の姿を浮き上がらせる。
 それは、何の変哲もない容貌をした20代半ばぐらいの若い女だった。もう春だというのに分厚い黒いダッフルコートに灰色のマフラー姿。肩には艶やかな黒い羽の鴉が乗っている。
 女が顔を上げると、その能面のような表情が顕わになった。陰鬱な、色のない黒い瞳で。彼女は真っ直ぐにSAYURIを見つめていた。
 薄暗い廊下に立つその姿は、大女優の目にひどく禍々しく映った。
「SAユ…RI、さ…ん」
 女が言った。「アな、たに…教、え…たいこ、とがあ、りマス」
「あ、貴女は?」
「私は西村、と申しま…す」

 そう。彼女は西村と呼ばれるムービースターだった。
 恋愛映画「おしまいへのアンダンテ」の中で、彼女はこの世で人々に混ざってその魂達を見守り、命のおしまいを告げていた。一見するとただの人間にしか見えないが、彼女は死神なのであった。肩の鴉は彼女の使い魔である。
 西村は、気付いていた。あのSAYURI歓迎パーティの日から。
 紫のチャイナドレスを着た女の後姿。その身体にまとわりつく“死の気配”。

「あ…なた、は、命を、ねら…われ、て…い…るん、で、す」

 死神は、そろりと一歩。前に踏み出し言った。
「な、」
 思わず、大女優は目の前のマネージャーの肩に両手を置く。「何よそれは! どういう意味よ」
 恐怖のためか、SAYURIはめったに見せない剣幕で、西村に食ってかかる。
「分かー…ら、ないの、で…す、か。あなた…の…行、動が、言動、が…災、厄…を、呼び…、込んー、で、いる…と、い…うこ、とです」
 たどたどしく、彼女は言葉を紡いだ。
「先、日の…パーテ…ィの、時も、あな、た…は、あーの、数々…の、災厄、に何も、気…付け、なか…った」
「な、何の話をしているの?」
 西村は銀幕ベイサイドホテルでのパーティの裏舞台で、女ヴィランズたちが起こしていた騒動のことをSAYURIに話した。
 だから、と死神は強調する。
「人の命の、は、そ…の人固有…の大切、な…もの。他人…の人生に…入…り込…むことは、軽々…しい…こと、で、はな…いので、す」
 思いのほかSAYURIは気圧されていた。口調こそたどたどしいが、西村の言葉には何か強いものがあり、彼女はそれを無視することは出来なかったのだ。
「演技と…は、他人…の、一生…に入…り込む事。一…生懸命…生、きて…いる、人の…人生に、入、り込…んでお、いて、簡…単とのた…ま…うあな…たの演技、は……最低です」
「よしてよ」
 西村の言葉を切るように、SAYURIは言った。暗い廊下に彼女の張りのある声が響く。しかしその声は少し──震えていた。
「わたしは女優よ。嫉妬、ねたみ、憎しみ……。そんなもの受けて当然じゃないの。そんなことにいちいち反応していたら、女優業なんて続けられるわけなくてよ」
 西村は無言で答えなかった。
「脅かすのはやめてちょうだい!」
 自分でも声が震えていることに気付いたのか、SAYURIはさらに声のトーンを上げた。
「大体、貴女は災厄、災厄って言うけど、それは具体的に何なのよ。さあ言って御覧なさいよ」
 そう言われて、西村は言葉に詰まった。彼女はこの会場に充満している死の気配を察知している。しかし、それが何によって引き起こされるのかまでは、まだ分かっていなかったのだ。
「ほうら、言えないじゃない」
 勝ち誇ったかのようにSAYURI。
「どうせ、わたしに嫉妬して脅かしてやろうとでも思ったんでしょうけど? お生憎さま。わたしはハリウッド女優。そんなヤワな精神はしていなくてよ。そうじゃなきゃ、この世界で生き残っていけないんだから──」
 いきましょう、とSAYURIは黙り込んだままのマネージャーを置いて、ゆっくりと歩き出した。
 西村を見ることもなく、女王は堂々とその横を通りぬけた。
 俯く西村。
 そして、女王は楽屋へと姿を消した。


 ──── 22分前 ────


「オーファン」
先頭を切って歩きながら、柊木は口を開く。「君が爆弾を仕掛けるとしたらどこに仕掛ける?」
「最も効果的な場所、だと思います」
 若きエージェントもその後ろを歩きながら答えた。にわかに結成された爆弾処理班チームは、関係者以外立ち入り禁止となっているはずの場所に入り込み、先を急いでいた。
「つまりは、客席ですか」
 そこで絶望的な声を上げるのは萩堂。彼は無くなってしまった自分の鞄の捜索をいったん諦め、爆弾処理に身を投じることにしたのだ。会場さえ吹っ飛ばなければ、大事なメモリースティックも、SAYURIも彼女のマネージャーも全て吹っ飛ばずに無事で済むのだから。
「そうだ。一般客の荷物にまぎれていたら、もう探しようがない。お手上げだ。しかし私はその可能性は低いと思っている」
 廊下を抜け、階段を登りながら柊木。会場に到着するまでの短い間に、オーファンと彼は車の中で犯行声明をチェックしていた。いわゆるカレン・イップからのビデオレターである。あの中身、彼女のセリフを思い出しながら、その真意を読み取ろうとする。
「なぜなら、あの女──カレン・イップは、わざわざビデオ・レターで犯行を予告しているからだ。ああいった輩は、砂の中に石を隠すことよりも、探し回っている人間の帽子の中に石ころを隠すようなことが好きだからな。──あの女は知恵比べゲームを楽しみたいのだろう」
「迷惑な話です」
 心底そう思っていると言わんがばがりに、萩堂が同意する。その肩にポンと手を触れるのはオーファンだ。
「なら、こちらはプリティ・ボーイに対抗して、クール・ガイズだね」
 こんな時でも少年はユーモアを忘れない。柊木がフッと笑い、萩堂はため息を付きながら苦笑した。


 ──── 21分前 ──── 


 暗闇の中、ぼそぼそと聞こえてくる会話。

「上映が終わるまでということは、映写機と連動させた仕組みではないかと思うのだ」
「ほう、なるほどね」
「セオリー通りなら、普通の時限式の可能性もあるが」
「セオリー、ですか」
 闇の中で誰かが笑った。
「君のような存在が言うには意外な言葉ですね」
「我とて、漫然と銀幕市の暮らしを送っているわけではない」
 声が──少女の声の調子は全く変わらない。
「手を尽くしておるのだ。人間の暮らしを理解しようと、古い映画のあらすじを読んでいる」
「……読む? と、言いますと?」
「パンフレット、というのだろう。映画の写真とあらすじが書いてある」
「ああ」
 納得したように、男の声。
「しかし、君は映画のパンフレットを読むだけなのですか? 映画本編は見ないのですか?」
「読めば分かる。我はあの冊子を読んでこの世界のすべを学んでいる」
「それではつまらないではありませんか」
 そう言いかけて、フフ、と男は笑った。まあ、わたしにはどうでもいいことなのですが、と最後に付け加える。

「そこまでだ!」

 ──パァッと、まぶしく差し込む光。ドアが開け放たれ、そこに立っていたのは銃を手にした男たちだった。
 ゆっくりと、しかし緩慢ではない動きで、暗闇の中に居た二人が動く──。


 ──── 20分前 ──── 


「ベルヴァルド! どうしてここに!?」
「……おや、そういう君は、オーファン」
 暗闇に覆われていた映写室の中に、ドアから一条の光が差し込む。明かりに照らされたのは、悪魔ベルヴァルドと、邪神──と言っても今は可愛らしい少女の姿をしたレヴィネヴァルドの二名である。
 その二人が目を細めて見つめるのは、光の中に立つ男三人。
 柊木の手には愛用のシグザウエルP230があった。銃声を最小限にとどめるサプレッサーが取り付けられている。
 隣りに立つオーファンの手にも銃。こちらは少し近未来的な型のオートマチック・ピストルだ。そして三人目の萩堂は両手で、パステル・ブルーの何かを握り締めている。言うまでもない、バッキーのグーリィだ。
 三人は、一斉に武器を下げた。
「そなたたちも、爆弾を?」
 相手の様子を見て、言葉を発したのはレヴィネヴァルドだ。光の中の三人はそれぞれ頷いた。暗い映写室で一同に会した5人の人物。何人かは顔見知り同士である。
 一瞬の逡巡の後、柊木が口を開いた。にっこりと微笑んで。
「これは頼もしいな」
 二人の同行者に部屋の中に入るように促し、警視長は扉を閉める。「爆弾処理チームが5名が合流したというところかな」
 そして──シュボッ。暗闇の中で、彼はライターの火をつけた。
「さて、始めようか」


 ──── 18分前 ──── 


 5人は自己紹介もそこそこに、徹底的に映写機を調べた。
 柊木の経験眼、オーファンの電子探知機、ベルヴァルドの目をもって上映を止めないように大きな円盤とその周辺を調べたのだが……結果は、限りなくグレーに近いシロ。
「ここではないのか。──意外だな」
 レヴィネヴァルドが、ぽつりと言った。
 どうやら何か細工をされたような形跡はあるのだが、電子的なトリガーになるようなものはなく、爆弾そのものはこの映写室には無いというのが、メンバー全員の結論だった。
 ベルヴァルドが魔術で宙に浮かべた、青く燃える炎の下で。
 メンバーはお互いの顔を見合わせた。さて、ここに爆弾がないとしたら一体どこにあるのか。
「戦略を……練る必要があるな」
 そこで口火を切ったのはやはり柊木だった。
 彼は口に煙草をくわえたまま、足早に近くのテーブルの傍に歩いていった。そして上に載っていた缶ビールの残骸と何かの書面を、腕一本でザラザラと床に落とし、ポケットから出した白いチョークでテーブルに図面を描き出していく。
「ワォ。……さすが柊木さんはスゲェや」
 感嘆したように言うオーファン。テーブルの周りに集まった面々は、柊木が描いたこの「ラ・シネマ」の簡単な見取り図を見下ろした。
「とにかく時間がない」
 歯切れ良く言うと、柊木はひとり一人の顔を代わる代わる見つめた。
「ペアを組んで、爆弾をくまなく探してみることにしないか」
 カツ、と警視長は図面の中を一つずつポイントする。「ロビー、天井裏、客席、楽屋、舞台の裏手。だいたいこんなところか」

「──楽屋…に、は、何も…な、いぃようですよ」

 その時、扉の方から聞こえてきた女の声に、男たちは一斉に振り向いた。半開きになっていた映写室のドア。そこに控えめに覗いた無表情な女の顔。
「西村さんではないですか」
 ベルヴァルドが声を上げた。彼は既知の死神の姿を見つけて微笑んだ。
「貴女もいらしていたとは……さあ、どうぞこちらへ」
「た…く、さんの人が、死……ぬ気、配がひどく、し…て」
 西村は扉を閉め、おずおずと皆に近寄りながら言った。いつもの彼女らしい小さな声だ。その肩には彼女の使い魔たる鴉がきちんと鎮座しており、カァと声を上げる。
「爆…弾が、しか、けら…れてい、るので、すか?」
「そうだ」
 柊木がうなづいた。そのまま彼は西村に手短かに説明した。カレン・イップのビデオレターのこと。小型爆弾が会場のどこかに仕掛けられていること。それがあと20分弱で爆発してしまうこと。
「止めな、くて、は」
 会場地図に目を落として話に聞き入っていた西村は顔を上げた。口調とは裏腹に、彼女の瞳にはいつになく真剣な色が宿っている。
「さYU、RIさんに…は、警、告をし…ました。爆弾…なら、仕掛…け、た、当人た、ちか、ら聞き…出しま、しょう」
「当人たちって?」
「──ああ、会場の中をうろつく不届き者たちのことですね」
 ベルヴァルドが楽しそうに微笑む。
 それを聞いて、柊木はため息を。西村は悲しそうな顔をした。萩堂は息を呑み、オーファンは眉を上げる。レヴィネヴァルドは、フンと言ったきり黙りこんだ。
「分かった。舞台の裏手を当たろう。私は、SAYURIに避難するよう声をかけてみる。そのあとは客席を当たるよ。連絡手段は」
「柊木さん、こんなの使ってみたらどうかな?」
 そこでオーファンが小さなビーズのようなピアスをいくつか取り出した。「無線代わりになるし、離れていても連絡が取れる」
「よし、採用だ」
 ニッと笑う柊木、面々がピアスを受け取るのを見る。レヴィネヴァルドやベルヴァルドの二名は、必要ないと、それを辞退した。
「イチキュウイチゴウ、これより爆発物の探索を開始する。敵に遭遇した時は爆発物の設置箇所を聞き出すことを最優先に」
「了解!」
 柊木の言葉に、サッと6人は散開した。


 ──── 15分前 ────


「いやいや、それは誤解です」
 オーファンから“あんたも強いの?”と無邪気に聞かれて、萩堂は言った。
「私はあの人ほど腕っ節が強いわけではありませんよ」
 あの人とは、つまり来栖香介のことである。若きエージェントと、敏腕マネージャーはペアを組んで主に舞台裏への廊下を歩いている。彼らは、方向として上手(かみて)、すなわち舞台に向かって右側から探索を開始していた。
「……ええ、だから、こういうものを持ち歩いているんです。最近、物騒ですからね」
 と、ニッコリ微笑んだ萩堂がオーファンに見せたのは、掌に握りこんだ改造スタンガンである。
「了解。敵は何人いるか分かんないからね。用心に越したことはないさ。白兵戦に持ち込まれちまったら、それの出番になっちゃうけど」
 右手には銃を持ったまま、オーファンは左腕の腕時計のピピピピ……という電子音を注意深く聞いている。
「その時計は?」
「様々な電波や周波数を感知できるんだ」
 音を聞き逃すまいと、少年は低く小さな声で答えた。「遠隔操作の爆弾にしろ、時限式にしろなんらかの電波を発してるはずだから、それを感知できると思うんだ」
「便利なものをお持ちなんですね」
 暗い廊下。
 前方に曲がり角が見えてきた。萩堂は半歩、オーファンに先んじて曲がり角を曲がろうとして──突然、仰け反るように身を引いた。
 
 シャッ。

 前髪を数本飛ばして、萩堂はまさに動物的カンで、その一撃をかわした。
 白いものが目の前をよぎった。──剣、か? 剣で斬られそうになったのか、と彼が思ったとき、オーファンが敵と彼の間に身体を滑り込ませた。

 それはまさに、ほんの一瞬のことだった。

 オーファンは銃を持ったままの右手で、萩堂を押すように突き飛ばし、一方、左腕の肘を待ち伏せ相手の胸に打ち込んだ!
 ゴッ。という鈍い音。
 黒尽くめのスーツの男が後ろに倒れこむ絵が見えたかと思うと、その後ろから飛び上がるようにもう一人の男が姿を現した。
 キッとそれを見上げるオーファン。相手の手には無骨な刃の──青龍刀が一振り。まさに獲物に襲い掛からんと振り下ろされようとしている。
「クソッ!」
 オーファンは右手の銃を戻し、撃った。
 弾がピシッと男の首をかすった。飛び散る鮮血。しかし、男の刀は止まらない。
「危ない!」
 しまった、とオーファンが身を屈めようとした寸前。誰かが彼の身体をぐいと後ろに引いた。その勢いによろけながらも少年は数歩後ろに下がる。
 間一髪!
 誰も居ない空間に着地した青龍刀の男。空振りした刀をもう一度振るおうと刀を構え──。
 ビリリリッ。
 男は身体を振るわせたかと思うと、力を失ったようにへなへなとその場に崩れ落ちる。その肩には電気を発する改造スタンガン。
 萩堂の咄嗟の攻撃だった。
「どうです、まあまあでしょう?」
 振り返り、少し誇らしげに言う萩堂。「ムービースターでなくともこれぐらいは──」

 ──タンッ!

 萩堂の顔をかすめて飛ぶ銃弾。
 彼の背後で、ギャッという悲鳴が上がり、そして静かになる。オーファンは真っ直ぐ手を伸ばし銃を構えていた。その硬い表情が、ふわり。解けるように笑顔を形作った。
 若きエージェントは、銃を手元に戻し肩をすくめてみせた。
「まあね。俺たちいいコンビかも」


 ──── 13分前 ────


 奇妙だな。確かに楽屋の周辺には、敵は潜んでいないようだ。
 柊木は楽屋に向かう廊下を足早に歩きながら、頭を回転させ続けていた。ここに入り込むためには萩堂から拝借した彼の名刺を使った。萩堂はSAYURIのマネージャーと約束があったとのことで、係員たちはすんなりと彼を楽屋の方へと通してくれた。
 楽屋も怪しいといえば怪しい。しかし楽屋は“裏舞台”である。そう考えるとどうもしっくり来ないのだ。柊木が最も怪しいと考えているのは舞台であった。
 カレンの性格を考えれば、SAYURIが“表舞台”に立っているときに確実に殺害できる場所に爆弾をしかけるだろう。彼女の中では、SAYURIは公衆の面前でドラマティックに死なねばならないのだから。
 すなわち最も爆弾を仕掛ける場所にふさわしいのは、彼女が上映終了後に登壇する舞台であり、その近くにある何かだと、柊木は考えたのである。
 さて、それはそれとして。柊木は楽屋の前にたどり着く。ドアの前に立って、コンコンとノックをしながら言う。
「失礼、入っていいか?」
 中から何か声がしたが否定の声ではなかった。柊木は構わずドアを開けて部屋の中に入った。

 そこはごく一般的な楽屋であった。メイク用の鏡の前ではなく、SAYURIとマネージャーらしき男はソファに腰掛けていた。
 マネージャーは振り返り、アンタ誰だよと声を荒げたが、SAYURIは柊木の顔を見て、ハッと思い出したように目を見開いた。
「待って、この人は……」
「柊木芳隆。パーティの時にお会いしましたな」
 ドアを閉めると、全く遠慮せずに、柊木はSAYURIの傍まで歩いていった。
「お聞きになられたかもしれないが、あなたはカレン・イップという女ヴィランズに命を狙われている。よって、この会場から避難してもらいたい」
「……なっ、何を!」
「それじゃあ、やっぱり本当なのね」
 マネージャーは柊木に食ってかかろうと腰を浮かせたが、SAYURIはそれを手で制し、青ざめたように来訪者の顔を見上げた。
 厳かに柊木がうなづくと、大女優は諦めたように長く息を吐いた。
「分かったわ」
 彼女はゆっくりと立ち上がり、柊木の顔を見る。
「残念だけど。仕方がありませんわね。……それで、もちろん、貴方もご一緒してくださるのでしょう? 柊木さん」
「私が? ……いいえ。私は同行しません」
 ゆっくりと首を横に振る柊木。そして彼は突き放すように冷たく言った。
「あなたはここに来た時と同じように、マネージャーと二人でここを去るべきだ。この会場さえ離れれば、あなたには何の危害も加えられないのだから」
「どうしてよ!」
 突然、激昂したようにSAYURIは叫んだ。その豹変振りは、大女優さながらの迫真のものであった。
 しかし彼女のそれは演技ではなかった。彼女は、本当に、目の前の相手にこのようなことを言われるとは思いもよらなかったのだ。
 大女優の肩に乗っていたストールが床にするりと落ちた。しかし彼女はそれに注意を払うこともなく、目の前の男を睨みつけた。
「貴方、警察官だとおっしゃっていたのじゃなくて!? 人を守るのが貴方の仕事じゃありませんの?」
彼女はほっそりとした白い手を伸ばし、柊木の手に触れた。「……なら、わたしを守ってください」
「あなたの言うことは聞けませんな」
 フッ。そこでやっと、柊木は微笑んだ。
「私の仕事は確かに人を守ることだ。それはあなたの言う通り。……しかし、私はあなたと一緒に行くことはできない」
彼は目の前の女性の瞳を真っ直ぐに覗き込む。「仲間たちがいるからだ。この会場に仕掛けられた爆弾を処理するために、この中を駆け回る彼ら見捨てていくことは、私には到底できない。あなたの命も大事だが、この会場の中にはもっとたくさんの命が危険にさらされている。私は彼らを守りたい」
 警視長は微笑んだまま、そっとSAYURIの手を離した。腰をかがめ、床に落ちていたストールを拾い上げると、呆然としたままの大女優の肩にかけてやる。

「早く逃げるといい。上映終了まで、あと10分程度しかない」


 ──── 11分前 ────


 カァカァと、やたら威勢の良い鴉と一緒に、レヴィネヴァルドは天井裏を探していた。天井裏といっても大きなホールである。彼女が優に動き回れるほどの高さがある。
 しかし、暗い。
 邪神であり人智を超えた存在であるレヴィネヴァルドは、暗闇であっても何の行動の制限も受けないが、もう一人(?)の同行者は違うようだった。
 彼──西村の鴉は、主人の思いを受け自分も何か働かねばと思ったのだろう。レヴィネヴァルドに同行していた。暗闇で全く目が利かないというわけではなさそうなのだが、やはり不自由はしているようで。あちこちに身体をぶつけたりしている。
「主とともにおれば良いものを……」
 レヴィネヴァルドは、不可解なものを見るように鴉を見る。全く感情のある生命体というものは、彼女にとって奇妙で仕方が無い。
 そんなことを思いながら、ふとレヴィネヴァルドは赤い小さな光点が自分の胸あたりを移動しているのを見た。
「何だこ──」
 バシュッ。彼女がそう言い終わらないうちに衝撃が襲った。
 レヴィネヴァルドは後ろに吹っ飛びながら、気付いた。自分は撃たれたのだ。
 床に投げ出されたものの、彼女はすぐにむくりと起き上がる。ギュルムギュルムと奇妙な音がして、コロン。つぶれた鉛の弾が彼女の胸から飛び出して、床に落ちる。
 
 ──グン!

 立ち上がった彼女の腕あたりから何か棒状のものが出現した。右腕の腕輪が瞬く間に変形し、2メートルほどの棒に変化したのだ。
 彼女は、今だ伸び続けているその長い棍を、銃弾が飛んできた方向に向けて奮った。
 グゥンッ、と棒は物凄いスピードで伸び、暗闇の中の赤い光点を貫く。すぐ後に上がった悲鳴は、レーザーポインタで狙いをつけていた男のものか。
「確か、如意棒だったか。真似できそうだったので試したかったのだよ」
 正に容赦、手加減の一切無い攻撃をしかけて、レヴィネヴァルドはニコリともせずに言った。
「こんなところにまで連中がいるとはな。どれ」
 ビュゥン! 彼女は伸びて壁に突き刺さっている棒を捕まえたまま、棒を短くしたようだった。
 恐ろしい勢いで、弾丸のように敵に肉薄したレヴィネヴァルド。そのまま着地し、ガッと両手を広げる。
 彼女の目の前には5、6人の黒尽くめの男──おそらく金燕会の手下たちであろう、が、銃を構えてこちらを見ていた。
「まとめて相手をしてやろう」
 ヒッと誰かが短く悲鳴を上げた。
 床に落ちた懐中電灯。それが転がって少女のシルエットを壁に映し出す。メキ、ボキ、グシャァという骨が折れてきしむような音がして、少女の影に腕が一本、二本、と増えていく……。
「何を驚いているのだ。そっちが多人数だから、手を増やしたまでだ」
 その言葉を引き受けるようにパン、パンと続いた音は金燕会構成員の撃った銃声か。しかし少女の影は全く動じることなくそこに立ち尽くしている。
「鉛の弾など効かぬ」
 新たな腕が有り得ない長さに伸びて、男を一人掴み挙げてみせた。
「我は人間では無いのでな。この様な芸当もできる。欠点はこちらが悪役にしか見えないことだが」
「ヒィィ、や、やめ……」
「さて、こうして怪物に襲われた人間はホラー映画辺りのセオリーだと……どうなるのかね」
 レヴィネヴァルドは相変わらずの無表情のまま、ぶら下げた男に問うた。


 ──── 9分前 ────


 爆弾の隠されていそうな場所をひとつずつあたりながら、廊下を歩いていた西村は気配を感じて振り返った。
 黒いスーツの男が3人。いつの間にか彼女の後ろを歩いていた。場所は舞台の下手(しもて)側。オーファンと萩堂組の反対側である。
 ふと視線を前に戻して彼女は足を止める。目の前からも男が3人現れて、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくるのが見えたからだ。
 挟まれた? 彼女は壁に背中を付けて、双方を見る。
 男たちは──金燕会のヤクザたちは相手が武装もしていない女一人と見てとって油断したのだろう。ゆっくりと歩いて西村に近付いた。スラリ、と一人の男が手にしていた青龍刀を抜いた。それが合図になったかのように、男たちは銃や刀などを手にし目の前の女に狙いをつけた。
「あ、な…た、た…ちは、金燕…会の、方…がた…で、す…ね?」
「……だとしたら?」
 西村が問うと、前から来た男が一人、ニヤリと笑った。銃を持ったまま肩をすくめて見せる。それは肯定の笑みだった。
「そ、れ…な…らあ、な…たた…、ちに…聞…きた、い、こ…とが…あり…ま、す」
 間合いを詰めていたその男に、いきなり西村はつかつかと近付いた。武器を持つ相手に突然近寄るとは──。男は驚いて銃を構えたが、彼女は全く躊躇しない。
 ──ゴッ。
 男は思わず西村を蹴っていた。銃を撃つのではなく、彼女の腹あたりを足蹴にしたのだ。ドサァッ、と西村は床に投げ出された。しかし彼女は悲鳴も上げない。ただ顔をしかめながら、ゆっくりと起き上がる。
 その時だった。彼女が起き上がるのと同時に、西村を蹴った男がその場に崩れ落ちるように倒れこんだのだ。
 男はそのままピクリとも動かなくなってしまった。
 ザワ、と男たちが動揺しお互いの顔を見合わせる。一体、何が男に起こったのか。
「魂…を、強制剥…離、さ…せ…まし、た」
 そこで立ち上がった西村が静かに言った。

「命の…選択を…して、いいの…は、あな…た達じ…ゃな…い。その、命を…持つ、その…人、自身…で、す」

 彼女は静かに倒れた男に目を落とし、「彼は、今…、死…にま…した。24…時間経…って…も、このま、まな…ら本当…に、死、に…ます」
「このアマ、何を──しやがった!?」
 あまりの出来事に男たちが激昂し、一斉に西村に襲い掛かろうとした時。ザァァッと黒い影が彼らの足元に這うように広がった。
「フフフ」
 どこからか聞こえてくるは男が笑う声。
「お嬢さんひとりに大の男が5人とはね。全く君たちは──無粋だ」
 ──ガッ。
 一人の男の首を、誰かの手が掴んだ。グェッと声を上げる男。その首を、手が──虚空から生えた手がギリギリと締め上げる。
「ぉおお……」
 恐れをなして、他のヤクザたちは首を締められている男から離れていく。
 砂がサラサラと流れるように、一人の男の像が空間に描かれていった。黒いダブルのスーツを着た初老の紳士。虚空から現れたのは悪魔ベルヴァルドの姿だった。
「さて」
 実体化したベルヴァルドは、片手で男の首を絞めたまま、その身体を悠々と持ち上げた。哀れな犠牲者の足は宙に浮き、バタバタと力なく空を蹴っている。
「私たちは宝探しゲームを楽しんでいるところなのですが、ひとつヒントをいただけませんか?」
 言いながら、ゆっくりと男たちをねめつけるように見る。
「この方は、残念ながら今取り込み中のようなので、ご友人の君たちからお聞きしたいのだが?」
 そう、彼が言い終わるがいなや、男たちは回れ右を。残った四人の男たちは、猛然とその場から逃げ出していた。

 残されたのはベルヴァルド、西村、そして地面に倒れている男と首を絞められている男の四人である。
 ベルヴァルドは、やれやれと嘆息した。……たった一人しか残らないとは。幾分か残念な気持ちを抑えながらも、彼は手の中で命を失っていく男の生命をゆっくりと味わい始める。
「べる…ヴァるど、さん」
 そこで西村が声を上げた。
「そー…の、方は…、助け…て、あげ、る、わーけ、にはいきませんか?」
 ベルヴァルドは内心舌打ちをした。彼女が口を開けば何を言い出すかは分かっていた。チラと西村を見ると、彼女は色の無い目でベルヴァルドを見つめている。
 悪魔はもう一度、死にかけている男を見た。口の端から泡を吹き、今にも魂を──あの甘美な味のするものを吐き出す寸前だというのに。
 フウ。もう一度、彼は嘆息した。
「西村さんには適いませんね」
 悪魔は獲物の首を掴んだまま、それを地上に下ろした。そして掴む場所を首からワイシャツの襟首に変えて、その身体を床に寝かせてやった。……とは言え、男がすでに意識を失っているのは変わらないのだが。
 スーツの裾をパンと払うと、ベルヴァルドは背筋を伸ばし西村を見た。
「それで、その男、どうするのです」
「聞、き…出、し…ます」
 西村は首を絞められていた男が生きているのを確認すると、自分が魂を奪った男の方に視線を戻した。彼女は倒れた男の背中に手を伸ばしていた。
「…聞い…て、く…ださい。あな、た…の魂…を強制、的に…剥離し…まし、た。24時間、以…内、に…元の…身体に戻…れ…ない、と…死…に、ます。だ…から、爆弾…を隠し、た、場所…を教、え…てく…ださ…い」
 男は魂を奪われているだけあって、床に横たわったまま一言も言葉を発しなかった。しかし西村は彼の背中に手を置いている。おそらくそれで会話をしているのだろう。
 だが、それにしても……。
 さすがのベルヴァルドも少し驚いた様子で西村を見ていた。彼女がこんなに荒っぽい行動に出るのを見たのが初めてだったからだ。見れば、普段無表情な彼女が辛そうな顔をしているではないか。
「……あ…り、がと、う…ござ…いま…す」
 ふいに、西村が言った。「御免な…さい。あ…なた、に…ひど、い…こ…とをし…てしまっ…て」
 彼女は男の背中にもう片方の手も載せた。ピク、男の身体が動いた。
 魂を奪われていた男は目を開くと、慌てて身体を起こした。そして西村と、ベルヴァルドの姿を見、恐れおののいたように、またペタンと尻餅をついてしまった。
 ベルヴァルドは男がもう何も出来ないことを見てとると、西村に視線を移した。彼女は俯き、ただ床の一点を見つめている。

「舞台…袖の、大きな…カト…レ、アの…アレ…ンジメ…ント…の、中…に隠…され…ているそ…う、で…す」

 ぽつり、西村が言った。
 ベルヴァルドは笑みを浮かべる。
「なるほど、貴女は怒っているのですね。人の命をもてあそぶ金燕会にも、そしてきっと、あのSAYURIにも」
 その問いには、彼女は答えなかった。


 ──── 5分前 ────


 スクリーンでは高尾太夫が大立ち回りを見せている。天下五剣のひとつ“鬼丸”を手にしたSAYURIは、あの絢爛な花魁装束のまま刀を振り下ろす。鹿鳴館の赤い絨毯の上で、鬼丸を下段に構えたSAYURIは神々しいまでに美しい。
 その横でヒュッ。舞台の袖のマイクスタンドの隣りに飾られていたはずのカトレアの花の大きなアレンジメントが消えた。
 スクリーンの中の高尾太夫の美しさに、観客の誰もが見とれていた。よって、この小さな出来事に気付いた者は誰もいなかった。


 ──── 4分前 ────


「なるほど、考えたもんだ」
 6名の目が、カトレアのアレンジメントの中にあった“プリティ・ボーイ”を見下ろしている。
「この中なら、確かに確実にSAYURIさんを亡き者に出来ただろうな」
 カトレアに水分を供給するための緑のスポンジの中から、オーファンが取り出して見せたそれは、煙草ケース程度の大きさのアルミの箱である。
 6名は、舞台の上手にあたる場所に集合していた。

 ──もうわたしに残された時間は少ないの。と、スクリーンの中のSAYURIが言った。
 確かに彼女の言う通り。上映終了まで、あと5分を切っていた。

「下手に動かすのは、危険だ。この場で処理を行うよりほかないな」
 押し殺したように言うのは柊木だった。ホールの職員に持ってこさせた工具の箱にちらりと目をやる。
「さて、誰がやる?」
「──」
 そこで何か言おうとしたのはレヴィネヴァルドだった。
 しかしベルヴァルドが、彼女の肩をそっと掴む。少女が怪訝な顔で見上げれば、悪魔はゆっくりと首を横に振った。
「解除方法……ですか? 誰かそういった技能をお持ちの方がやってみては」
 萩堂が口を挟む。柊木はフッと笑った。
「技能か。どうやらここに集まった面子の中にはそういったものを持ち合わせているのは誰も居ないようだがね」
 仕方ないと、柊木は自分で工具箱に手を伸ばす。
「待ってください。俺にやらせてもらえませんか」
 しかしそこで口を出した者がいた。──若きエージェント、オーファンだった。
「昔、一回だけこういったものを解体したことがあります」
「よし」
 柊木は工具箱から出したドライバーを掴み、オーファンに持ち手の方を差し出した。少年がそれを手に取ると、そのまま言う。「この会場内の150人の命が君の手にかかってる。心して取り掛かれ」
 無言でこくりとうなづくオーファン。
 少年はドライバーを受け取る。その背中を柊木はポンと優しく叩いてやった。
 若きエージェントは、右手にドライバー。左手に小型爆弾のアルミケースを手にして自分を取り囲む仲間の顔を見回した。
 そして、爆弾に目を落とす。


 ──── 3分前 ────


 カバーケースを外すと、細かく様々な配線が施された爆弾の本体が見えた。オーファンは一度、ドライバーを地面に置いて、自分の銃を取り出した。
 グリップのところにあるモード切替スイッチを入れ、冷凍銃モードに切り替える。そして出力は最弱に。
「まずはプリティ・ボーイには、カッカした頭をクールダウンしてもらわないとね」
 額に汗をかきながら、彼はニヤリと笑う。


 ──── 2分前 ────


 映画本編は終了したようだった。物悲しいエンディング曲がこの裏手にも聞こえてくる。スタッフロールが流れ出しているのだろう。
 いよいよもって本当に時間がない。オーファンはごくりとつばを飲み込んだ。
 冷凍銃で爆弾の中身を凍らせたあと、彼は細かく複雑な配線を丹念にひとつずつ見ていく。
「何らかの電波信号を受け取るような仕組みになってます」
「というと?」
「ここにはタイマーは付いていません」
 もっと細かい針のようなドライバーに持ち替えながら、少年は額の汗を腕でぬぐった。
「つまり、解除しなくても電波を受信する部分さえ壊せば、爆発を止められます」


 ──── 1分前 ────


「この二本のうちどちらかの線を切れば、電波を受信できなくなります」
「色は?」
 素早く、柊木が言った。「赤か、青か?」
 ゆるゆると首を振るオーファン。
「残念ながら、両方とも白です」


 ──── 20秒前 ────


「やめて下さいよ、柊木さん。そんな顔をするのは」
 オーファンは一息ついて、ペンチを白い線に近づける。
「俺は死にませんよ。まだ、貴方の“殺し文句”を聞いてないんですから」
 
 彼は周りの人物の顔を一人ひとり見上げた。

 柊木は、じっと見守るように彼を見ていた。その目には息子を見つめるような優しさが宿っている。
 ベルヴァルドは、オーファンを安心させるようにフッと微笑んだ。
 萩堂は、彼の肩に手を触れてうなづいた。
 西村も、張り詰めたような表情のまま、オーファンのもう一方の肩に触れた。
 最後に、レヴィネヴァルドが言った。
「フン。なるようになれだ。──切れ」

 オーファンは微笑んだ。
 そして、グッとペンチを握りこんで線を──切った。


 ──── 0秒 ────


「やったか?」
 誰かが言った。
 静寂。

 爆弾は爆発しなかった。

「ふー……」
 止めていた息を吐いたオーファン。
「何とかなりまし──」
「──やったな、ワイルド・ボーイ!」
 
 少年を囲んでいた面々が、彼の身体に触れ祝福の言葉を浴びせた。
「素晴らしい。君になんとお礼を言ったらいいか」
 萩堂がオーファンの肩を叩きながら言う。
「これで上映会もつつがなく──」

 と、彼の言葉が終わらないうちに、ザワ、と観客がざわついている声が聞こえてきた。
「! 客席が!」
 ムービースターたちはすぐに異変を察した。
 素早く、ベルヴァルドが壁をすり抜けて、観客席の方に出る。その後を追いかけて他のメンバーも通用口から客席の方へと次々に飛び出してくる。
 いち早く観客席に出たベルヴァルドは、観客とともにスクリーンに映っている文字を見上げた。
 そこには、こんな文字が浮かび上がっていた。


 『Congratulations! I bless your new departures.』
 『おめでとう! 貴方がたの新たな門出を祝福いたします。』
 [count is 25...]


 見つめている間に、一番下の数字が“24”になり、どんどん減っていく。
 数字が“20”になったとき、客席フロアの電気が一斉に点いて、辺りが明るくなった。


 ──── 20秒前 ────


「何てことだ!」
 思わず頭を抱えて柊木が言った。
「さきほどのはダミーか!」
 舞台の近くに現れた男たちの姿に、観客の中の数人が腰を浮かせて席から立ち上がっている。混乱が、上映会の席上に静かに広まりつつあった。
 舞台の脇にいたムービースターたちはこの事態に驚愕し、スクリーンの中の減っていく数字を見つめている。
 その中で、西村も目を見開いていた。
 彼女は確かに──聞いたのだ。金燕会の手下から爆弾の場所を。
「魂、で…会…話し…たのです。彼…が嘘、を…つけ、る…わ…けがない──」
 悲痛な声で西村は言った。

「つ、まり…彼…ら、部下た、ちも…騙、され…て、いた…の…です」


 ──── 10秒前 ────


 その時、ワァァッと、観客が一斉に沸いた。
 何事か──! と見れば、舞台の上に一輪の花が咲いていた。

 一人の女が舞台に姿を現したのだ。

 白いフォーマルなドレスを着た女は、カウントの減り続けるスクリーンの前にすっくと立った。その手にはカトレアの花のついたマイクが握られている。
 彼女は……会場にいる誰もが知る人物は、静かに微笑んだ。背後のカウントをものともせずに、手にしたマイクを桜色の唇に近づける。
「みなさん、映画は楽しめたかしら?」

 それはもちろん大女優、SAYURIそのひとの姿だった。

「SAYURI──!」
 驚いた柊木が声を上げた。
「あなたは避難したはずでは!」
 舞台の下で彼女を見上げる男を見て、ふわり。SAYURIは微笑んだ。
「貴方に言われて目が覚めましたわ」
 大女優は小声で柊木にそう言うと、またマイクを口に近づけた。
 観客に、彼女の言葉を伝えるために。
「わたしはSAYURIです。過酷な運命から高尾太夫が逃げなかったように、このわたしも逃げません」


 ──── 5秒前 ────


「──あれだ!」
 放心したような柊木の隣りで、突然叫んだのは、レヴィネヴァルドだった。

 ──ギュンッ!

 まるでロケット砲のように、彼女はSAYURIめがけて飛んだ。そのあまりの素早さに、誰も反応出来なかった。
 弾丸のようにSAYURIの横に降り立った邪神は、タンッとステップを踏むように反転すると、大女優の手から何かを奪い取った。

 それは、カトレアの花がついたマイクだった。


 ──── 3秒前 ────


 アッと思う間もなく、ダンッ。レヴィネヴァルドはそのまま飛び上がった。
 真っ直ぐ上空へ。
 バリバリバリッ。大きな音をさせて天井をつき破り、少女は大きく足を開いてドンッと屋根の上に着地した。
「間に合うか──!」

 ビュゥッ!

 手にしたマイクを大きく振りかぶり、邪神は力を込めてマイクを上空へと放り投げた。


 ──── 2秒前 ────


「──惜しい。飛距離が足りませんね」

 そのレヴィネヴァルドの頬を、誰かがするりと撫でた。
「ベースボール映画でも見ながら、ご研究なさい」

 シャッ。黒い影はそのまま上空へと消えた。

 触れられた自分の頬に手を置いて、レヴィネヴァルドは夜空を見上げた。
「ベルヴァルド、貴殿、まさか──!」


 ──── 0秒 ────


 ──カッ。
 夜空にまばゆいほどの光があふれ出す。

 正真正銘の小型爆弾が、ハルモニー・ホールの上空で爆発したのだ。
 しかしその威力は弱く、屋根の上の瓦が数枚吹き飛ばす程度であった。爆弾は大きなホールを丸ごと吹き飛ばす代わりに夜空に彩りを演出した。

 そう、まるで花火のように。


 ──── 5秒後 ────


「何だって──! ベルヴァルドが?」
 レヴィネヴァルドの力を借りて上に上がった柊木は驚いたように声を上げた。萩堂、オーファン、西村の四人も同様に屋根の上に上ってきている。
「そうだ」
 大きな爆発の余韻が残り、上空から何か石や何かがパラパラと落ちてくる中、腕組みをしながらレヴィネヴァルドは淡々と言った。
「我が投げた爆弾の影響を抑えるため、自分の身体で爆弾を抱き込んだのだろう」
「抱き込んだ!?」
萩堂が恐る恐る言った。「それじゃあ、ベルヴァルドさんは?」
「木っ端微塵だな」
 そっけなく言うレヴィネヴァルド。
「そんな!」
 オーファンが、がくりと膝を付いた。「そんなのってアリかよ、ずるいよベルヴァルド、そんなカッコ良いことしたって……あんたが死んだら何にもならないじゃないか」
 言葉の末尾はくぐもって聞こえなかった。他の者も目を伏せる。みなベルヴァルドが最後にしたことを称え、そして彼が戻らぬことを悲しんでいるようだった。
 俯いた少年の目の前に、カラン、と何かが落ちた。
 それは、割れた眼鏡だった。
 黒い丸眼鏡、まさにベルヴァルドがしていたものだ。
 震える手で、オーファンはそれを拾う。彼は悪魔が眼鏡をしていないところをほとんど見たことがない。彼と一身同体ともいえる眼鏡が、ここに、落ちているということは。
 オーファンは絶叫した。
「ベルヴァルド──!」

「……何ですか」

 その声は後ろからした。
 半ベソ状態だったオーファンは我に返り、オーバーアクションで振り返った。
「まったく、何ですか騒々しい」
 そこに立っていたのは、いつもの黒いダブルのスーツを来た悪魔だった。普段と変わらない様子のベルヴァルドは迷惑そうに眉を寄せていた。
「ふん、遅いぞ」
 ニヤリと笑って彼に声をかけたのはレヴィネヴァルドだ。彼女と、そしておそらくは西村も、彼が死んではいないことを分かっていたのだろう。
 彼らにベルヴァルドは眉をひょいと上げただけで答えた。そのまま彼本来の赤い瞳で屋根の上の面々を見回して、最後にオーファンに目を留める。正確に言うと、彼が手にした自分の丸眼鏡に。
「それを返してください。それが無いとどうもしっくりこない」
「ベルヴァルド、生きてたんだね!」
 途端に笑顔になったオーファン。立ち上がってベルヴァルドに駆け寄ろうとする。
「まあ今回は、いた仕方ありませんね。私が木っ端微塵になるだけで済んだのですから、まあ良しとしましょう──って、やめなさい。男に抱きつかれるような趣味はありませんよ!」
 と、感激のあまり抱きつこうとするアメリカン・ボーイをベルヴァルドは慌ててかわした。
 その様子を見て、西村がプッと笑い出した。カァ、と彼女の鴉が驚いたように主人を見た。めったに笑うことのない主人が、笑っているのだ。
「これで、やっとひと段落ですね」
 萩堂も頬をゆるめてやっと微笑んだ。ああ、と隣りの柊木もうなづいて、落ち着いたとばかりに息を吐いた。
 下の会場からも、SAYURIが観客たちをなだめている声が聞こえてきた。さすがは大女優だ。マイクが無くとも張りのある声で、今のはちょっと趣向を凝らしたアトラクションだと観客に説明をしている。
 かくして、爆弾騒ぎは被害を出すことなく、150人余の命は無事に守られたのだった。

 ブルブルブル……。

 その時、柊木の携帯電話が鳴った。
 彼は失礼、と言いながら少し仲間たちから離れた。スーツの胸ポケットから携帯電話を取り出して、通話をオンにする。
「柊木だ」
 彼が出た後、少しだけ間があった。
『……やるじゃないか。プリティ・ボーイの癇癪を抑えちまったようだね』
 低い女の声だった。柊木は口の端を歪め、笑みを浮かべる。
「君は誰かね」
『名乗る必要があンのかい?』
 受話器の向こうで、女は笑った。
「女の嫉妬ほど浅ましいものはないな。カレン・イップ」
『ハッ、言うじゃないか。薔薇の棘だって女の魅力のひとつさ』
 金燕会の現頭目にして、今回の爆弾騒ぎの首謀者は喉の奥で笑ったようだった。
『お前の名前を覚えといてやる、柊木芳隆』
「そいつはどうも」
『……これからは、窓の大きなレストランで食事をするときには気をつけるんだね、あばよ』
 電話が切れた。
 柊木は微笑みを浮かべたまま、携帯電話を元の胸ポケットにしまい、皆のもとへと戻る。
「誰から、ですか?」
 警視長の様子に気付いて、萩堂が不思議そうに尋ねてきた。柊木は腕を伸ばしウゥーンと身体を伸ばしてから答えた。
「うん、まあ新しい呑み友達みたいなモンかねぇー」
 彼の口調は普段の調子に戻っていた。ひとつの事件を終え、いつものように柔らかな雰囲気に戻った柊木は、夜空を見上げながら胸ポケットから煙草の箱を引っ張り出す。
 ゆっくりと煙草に火をつけて一言。

「いやいや、これから長い付き合いになりそうだよ」


 ──── 30分後 ────


 萩堂の鞄は見つかった。何のことはない、隣りの席の人間が間違えて持ち歩いていたようなのだ。
 とにかくホッと胸をなで下ろした彼はSAYURIのマネージャーに改めて会いに行った。しかし運悪く、そこにはSAYURI本人が同席しており、彼は、今回の事件のことを根掘り葉掘り聞かれて羽目になってしまった。
 当然、いろいろ答えているうちに時間がなくなり、結局、萩堂は例のメモリースティックを渡すだけに終わってしまった。
 ……後日、また機会を見つけて気まぐれなSAYURIにアタックし直させねばならないだろう。こうした地味なサポート活動こそが、自分の役どころなのだから。
 萩堂は、ため息をつきつつ携帯電話のフリップを開く。
 さて、ウチのアーティストに今日の大変な出来事のことでも話してやろうではないか。そして今夜の食事を食べたのかどうか確認してやらないと。
 そんなことを思いながら、敏腕マネージャーは、短縮ダイヤルのボタンを押した。


 ベルヴァルドは、ハルモニーホールを出ていこうとする西村を呼び止めた。彼によると、先日のパーティの時に食事に行く約束をしたのだという。
 何かやたらと騒ぐ肩の上の鴉をなだめてから、西村は困ったように悪魔を見た。
 料亭、と聞くと、さらに困ったような顔をする。自分はそんな高級なところで食事などしたことがない。
 心配などご無用ですよ、と悪魔が言ったが、彼女はあまり気乗りしない様子だった。
 さすがに目の前で人間を一人殺しかけたのがまずかったかな、と、そうベルヴァルドが思ったとき、カァ、とそれに呼応するように鴉が鳴いた。
 憎憎しげに鴉を見るベルヴァルド。
 西村が、ごめんなさい、と言った。
 その次にカァと、鳴いた鴉の言葉を訳すと、こうだ。
 ──フラレたな。悪魔野郎。
 ベルヴァルドはいつかこの鴉をとっちめてやる、とそう思った。


 赤いフェラーリF430で、帰路についたのはオーファンと柊木だ。
 二人の話は弾んだ。柊木は自分の息子といっても通る年齢のオーファンの、腕と度胸を褒めちぎった。
 ハンドルを握っていたオーファンは、あまりにも柊木が自分を褒めるので、恥ずかしくなりとうとう白状してしまった。
 実は、爆弾処理など一度もやったことがなかった、ということを。
 電子機器のことは分かっていたし、構造を理解していたが実際に解除したのは今回が初めてだったのである。
 柊木はそれを聞いて微笑んだ。
 いいじゃないか、それで。今までやったことがないからといって諦めてたら、ヒーローになんかなれないぞ。
 そこで柊木の自宅に着き、彼は微笑みながら別れを言い車を降りていった。
 数分後。
 オーファンは、はたと思い出した。例の“殺し文句”を聞き忘れたことに──。


 そしてレヴィネヴァルドは、いつもの古本屋を訪れていた。
 しかしこんな時間だ。店主は閉店のためにシャッターに手をかけている。
 その隣りに立ったレヴィネヴァルドが、よほど悔しそうな顔をしていたのだろうか。店主は親切にも、何か今日中に探したい本があるならどうぞ、と言った。
 レヴィネヴァルドは礼を言いながら、店主に問うた。
 ベースボールというものを知っているか。
 店主は答えた。そりゃ当然です。私ぐらいの年代の日本人でしたらみんな好きですよ。お嬢さんも野球をやりたいの?
 彼女が黙っていると、店主はニッコリ笑って言った。
 私は草野球をやってるんです。今度の日曜日、お嬢さんも見に来たらどう?
 レヴィネヴァルドは──邪神の仮の姿たる少女は、古本屋店主の顔を見上げ、厳かにうなづいていた。




                 (了)

クリエイターコメント冬城です。ここまでお読みいただいてありがとうございます。
とても長くなってしまって申し訳ありません。。。
今回は、プレイングを基本的に全て使用しているかと思うのですが、一部スッ飛ばしたり、ブーストしているところもあります。どうかご笑覧くださいませ(笑)。


>萩堂 天祢様
一人ムービーファンということで、見せ場をなるべくたくさん作ろうと思ったのですが、まずはプレイングを正確に反映するところから書かせていただきました。うまく巻き込まれた感を出せていれば良いのですけども。。

>ベルヴァルド様
プレイングは全て反映したつもりですが、こんな感じでいかがでしょうか。。
ご不満ございましたらご遠慮なく。言っていただかないと、どんどんベルヴァルドさんがエスカレートしていきますよ(笑)。

>ヒュプラディウス レヴィネヴァルド様
怪獣大決戦状態で、スイマセン。
映画のパンフレットのネタを、キャラクター性を出すために強めに入れ込みました。
少女状態のルックスの描写がなかったので、勝手に書いてしまいました。すいませんです。。

>西村様
あなた様の気合の入ったプレイング、ライターとしてとても嬉しかったです。
全て入れたつもりですが、いかがでしょうか。

>柊木芳隆様
具体的な戦闘シーンがなく、大変申し訳ありません。
他PCさんとのバランスを考えまして、今回は、柊木様の戦略家としての側面を強調して、描かせていただきました。
ご不満等ございましたらご遠慮なくおっしゃってくださいね。

>オーファン・シャルバルト様
エージェントらしかったでしょうか?? 自分の力不足に、そわそわしております。。
冒頭の部分は、おまけです(笑)。

ではでは。
ご参加いただいた皆様、そしてお読みいただいた銀幕の皆様。
ありがとうございました(^^)。

p.s.
個人的にアンケートもやっております。
よろしかったらお答えください。
http://talkingrabbit.blog63.fc2.com/blog-entry-255.html
公開日時2007-04-09(月) 12:10
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