★ 【死に至る病】#4 Deny ★
<オープニング>

 人足が途絶え、電力供給も止められ、全ての明かりが消えて久しい廃れたテーマパークに、小さな光が灯る。
 やがて、子供たちの弾けるような歓声までもがひとつふたつと増えていき、かつての賑わいをそこに蘇らせる。
 けれど、ソレはけして同じものではありえない。
 同じであろうはずがない。
 子供たちの手や足や服は一様に赤く汚れ、その足元には、でたらめに繋ぎ合わされたせいで奇妙に捩じくれたモノがごろりと転がっていた。
 存在を全否定されたかのような、一切の秩序を認めないひどい有様だ。
「ねえ、どうしよう。完璧にはすんごく遠いよ」
「これも失敗だね」
「じゃあさ、こうしたらどうかな?」
 ザワザワ……クスクス……ヒソヒソ……
 さざめき笑い、秘密の言葉をかわすその声には、無邪気でありながら途方もなく陰惨で、そして興奮と冷静さが混じりあう。
「じゃ、決定ね」
 少女が微笑み、互いに頷きあい、子供たちはそれぞれの得物を掲げた。
 これは実験。これは報復。これはやりきれない思いの浄化。
 呪文のように声ともつかない声が彼らをとりまき、そして――
 明らかに人工的に作り出されたとしか思えない『異形』は、断末魔の咆哮をあげることなく、己の血に沈み事切れた。



 銀幕ジャーナルの編集部は、あらゆる音を発して喧騒を作り出す。
 その只中で、普段なら怒号を放っている編集長は、周囲から怯えた視線を向けられつつも自身のデスクでじっと沈黙を守っていた。
 フィルムにならないムービースターの死――この『異常』も、事件が相次ぐこの銀幕市の中では半ば日常化しつつあるのかもしれない。
 だが、自分たちがこの状況に慣れてはいけないのだと盾崎は思う。
「……それにしても、どれだけでたらめな美的感覚なんだ……」
 彼の手元にはいま、いやにぶれたり、おかしな角度から被写体を捉えた写真が何十枚にも渡って並んでいる。
 明らかに隠し撮りと思われるソレらに映し出されているのは、おぞましく奇妙な物体……いや、奇怪な『生物』ばかりだ。
 そのうえ、二三種の獣の四肢が接ぎ合わされている、というのは『まだ』まともな部類ときている。
 一体どこから何を召喚し、どう参考にすれば、こうも醜く変わり果てることができるのだろうかと、首を傾げたくなるほどの代物が多い。
 しかも写真は、生きて動いているらしい彼らだけでなく、『解剖後』だと如実に語る場面をも捉えていた。
 陰惨にして醜悪。
 にもかかわらず、どこまでも無秩序な遊戯心が感じられるから始末が悪い。
 いますぐにでもこの状況に詳しい説明を求めたいところだが、あいにくこの取材を行った者は現在、銀幕市立中央病院で入院加療中だ。
 盾崎は苦りきった顔でもう一度溜息をつく。
「……新たに調査員を募るしかないか」
 廃園となったはずの真夜中のテーマパーク、そこにまつわる奇怪な噂。
 夜毎繰り広げられるのは、歪んだカタチと異常な死だ。
 何故、こんなことになったのか。
 何故、こうしなければならなかったのか。
 真相を探り当て、この異常事態の解決を果たせる者を求めて、盾崎は電話に手を伸ばす。

種別名シナリオ 管理番号121
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
クリエイターコメント【死に至る病】をテーマとしたシリアルキラー連作『第4弾』のご案内に参りました。
今回のお相手は、『キメラをつくりし者たち』です。
基本は、廃園となって久しい真夜中の遊園地で繰り広げられる『実験』を止めていただくことになるかと思います。
状況によっては、シリーズ中、最も後味の悪いものになるかもしれません。
また、参加者様によっては『実験対象』となる可能性もありますのでお気をつけくださいませ。

なお、このシナリオはシリーズキャンペーンものではありますが、どこから参加頂いても大丈夫ですし、全てに参加しなくてはいけないということもございません。
それでは、お気に召しましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

参加者
流鏑馬 明日(cdyx1046) ムービーファン 女 19歳 刑事
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
来栖 香介(cvrz6094) ムービーファン 男 21歳 音楽家
クレイジー・ティーチャー(cynp6783) ムービースター 男 27歳 殺人鬼理科教師
<ノベル>

 夜の闇に沈む世界。失われた時間の狭間。明滅する光を頼りに、来栖香介は固く閉じた鉄柵を軽やかに乗り越えて、着地。お気に入りの廃墟探索の開始。
 降り立つそこは、すでに世間から忘れ去られて久しいテーマパーク、のはずだった。
「ん?」
 きゃらきゃらと楽しげな笑い声を上げて、薄ぼんやりとした光の中を走り回る子供たちの影を捉える。
 そして。
 カン――ッ
 不意に足元を照らす、巨大な明かり。
 頭上を掠めるのは、生きた異形に他ならない。
 いつか何かでみたことのある、チグハグな四肢を持ったチグハグな存在が、頼りない二対のボロボロな翼でよろよろと空を横切っていく。
「キメラ……?」
 香介の呟きは、異形を追いかけて上がる子供たちの歓声に掻き消された。
 ソレに重なる、ぱたぱたと弾む足音。
 複数の、年齢はバラバラだが小学生以上はいないと思われる子供たちの、ひどく楽しげな様子が目を引いた。
「なにしてんだ?」
 誰とはなしに声を掛けてみた。
 はしゃいで跳ね回る子供たちをわざわざ制止するつもりはなく、けれど聞こえた誰かが足を止め、この問いに答えてくれたらいいと思いながら。
 そして。
 香介の『声』は、はしゃぎ回る子供たちの耳と心に届いてしまう。
「お兄さん、誰?」
「お兄さん、なにしにきた人?」
 ピタリと足を止めた彼等の内の幾人かが、特別警戒するわけでもなく、むしろ好奇心に瞳を輝かせて彼の元へとやってきた。
「あんた知ってる。ムービースターぎわくの『くるすきょうすけ』だろ? ルシフ、いねえの?」
「俺はムービースターじゃねえし、ルシフはどっかその辺だろ」
「わあ、はじめてみた」
「それより……お前たちが作ったのか、アレ」
 とうとう失墜したらしいキメラと、その傍に寄り添う7本足の虎ともライオンともつかない頭を持った動物を見やった。
「すごいな」
 純然たる評価。そして、感心にして関心。自分にはできないことをする子供たちへの、素直な称賛だ。
 くすぐったそうに子供たちはお互いを肘などでつつきあいながら、笑い、そして仲間に押し出された形で一歩を踏み出した少年がひとつの提案を差し出す。
「実験。見たいなら、見せてあげる。ジャマしないって約束する?」
 向けられた彼等の表情は、幼さとごくわずかな不安の残る、可愛らしく純粋なものだった。



 日が暮れた銀幕市は、ただでさえ不明瞭な夢と現実の境界がことさら曖昧になるような気がする。
 流鏑馬明日はひとり足早に裏路地を歩きながら、別件での聞きこみの際に漏れ聞いた言葉を反芻していた。

『そう言えばねぇ、ここ数日、あの子たちを見ないのよ』
 夕食のよい香りが漂ってくる玄関で、主婦は不安な顔を覗かせていた。
『ほら、最近なにかと物騒でしょう? だからだとは思うんだけど……少し前まではけっこうこの辺で夜遅くまで遊んでる子たちもいたのよ?』
 親たちが帰ってくるまでの時間、あるいは塾が始まるまで、塾や習い事が終わってからの時間。
 近所の子供たちを巻き込んで、明らかに人間ではない子供たちがずいぶんと元気にはしゃぎまわっていたのだ。
 けれどその子たちの姿が消えた。
『それにしても、時代なのかしらね? 昔は日暮れとともに子供たちは家に帰ったものだけど、今の子たちって日が暮れた後からじゃないと遊べないなんて』

 不吉な予感に鳥肌が立ち、思わず自身の腕を撫でさする。
 銀幕市全体を揺るがすほどの大規模な事件、陰惨な事件、生々しい血の匂いが立ち込める事件が後を絶たないこの街で、子供たちはどこで何をしているのだろうか。
 子供たちが消えた。
 そして、その失踪に紛れて、人型ではない、端的に言えば獣系のムービースターの失踪が囁かれている。
 さらに警察署には、最近になって、ずいぶんと前に閉園したはずのテーマパークから奇妙な声を聞いたり、不可思議な光を見たという通報が入っている。
 これらの情報に果たして関連性はあるのか否か。
 刑事の身でありながら、自分は今回も単独行動を許され、疑惑の現場へと向かっている。
 何が起きているのか、何が起ころうとしているのか、これから赴く場所で待っているのはけして明るく楽しいモノではない。

『パパを待ってるのよ』

 何の脈絡もなく、不意に、明日の頭の中に幼い少女の声が蘇る。
 以前、ドクターに会うため病院を訪れた時に出会った彼女の声だ。
 パジャマ姿の子供たちの中でも一際目を引くキレイな少女。金色の髪がわずかに揺れ、窓から差し込む夕日をキラキラと反射していた。
 あの子は無事に退院できたのだろうか。
 そして、何故いま自分はあの子のことを思い出しているのだろうか。
「……パル、嫌な予感ほど当たるって本当だと思う?」
 不安が頭をもたげる。
 急速に膨れ上がり、追い立てられる様に足が速くなる。
 カバンの中にしっかりと収まっていた純白のバッキーは、ごそりと身じろぎし、そんな彼女を心配そうに眺めていた。



 きらびやかなネオンすら届かない夜の裏路地を歩くのは、人ならざるふたつの影だ。
 ひとりは軽快な足取りで、もうひとりは一切の気配と音を殺して、時に肩を並べ、時に前後しながら進んでいく。
「へえ、いいネェ。先生、コレにはちょっと感動しちゃったナァ」
 クレイジー・ティーチャーは、盾崎から貸し出された写真に目を輝かせ、嬉しそうに見入っている。
「ほら、ココなんてよく見ると、それぞれ長さの違う上腕をみっつも繋げて、三節棍……だっけ? 中国の武器みたいに仕上げているんダヨ。面白い発想だと思わないカイ」
 まるで、写真を掲げてくるりと踊りそうなくらいに彼の声は弾み、その『解説』は止まらない。
「ンン〜こっちは斬新なアイデアを買いたいところだけど、この縫合じゃァ、可動域を制限しちゃう上に簡単にほどけてちぎれるネ」
「ずいぶん愉しそうだな」
 シャノン・ヴォルムスの声が、止まらないおしゃべりの合間にするりと差し込まれる。
 磨きあげられた銃を手に、弾の感触を指先で確かめながら充填する彼の、理解しがたいモノを前にした訝しげな視線。
「愉しいヨ。ワクワクするね。だって、どれもこれもスッゴク好奇心あふれた意欲作ばかりじゃないカ」
「……まさかお前が犯人じゃないだろうな?」
 もしそこにギャラリーがいたら確実に全員が抱くだろう思いを代表した、至極当然な問いだった。
「イヤだナァ、シャノンクン。これでもボクは『プロ』だよ?」
 この仕事ぶりで自分だと判断されるのは心外だと言わんばかりに、真顔で否定する。
「あ、そうそう! ミンナはやっぱり分かってくれてるんだネェ。先生、ちょっと照れちゃうヨ」
 その真顔はすぐに破顔して、子供じみた笑みにとって変わられた。
 周囲で揺らめき跳ねる生徒の魂に嬉しそうに頷いて見せてから、おもむろに数枚の写真をシャノンの目の前に突きつける。
「なんだ?」
 選ばれたのはどれも、縫合部分がクローズアップされているものばかりだ。
「見たところ、犯人は子供だネ。しかもクセとか好みを見る限り、2人や3人じゃない。もっとたくさんってカンジだ」
「ソレは『プロ』の勘か?」
「そうだネ。実験を繰り返してきた殺人鬼としての経験と、あとは本職……教師としての勘、かな?」
 首を傾げて、笑う。
「断言してもいいヨ。これを作ったのはせいぜい小学生くらいの子供たちダ。まあ、微妙に一部違うのも混じってるみたいダケドネ?」
 それでも既成概念が少ない分、発想が柔軟かつ斬新だよね、と嬉しそうにコメントを続ける。
「……ガキどもの悪趣味な遊びにつきあってやれるほど、俺は寛大じゃない」
 できることなら、可能な限りの情報収集はしておきたい。
 だが、シャノンはそれだけの時間がないことを感じていた。写真は語る。次第に規模が大きく、混ぜられた生物の種類も多く、つまりは遊びの生贄となった者たちの数が飛躍的に増えているのだという事実を。
「この狂ったガキどもが自分の遊び場を逸脱する前に、俺はこいつらを一掃する」
 足を止め、見上げた先。
 鋭い視線の先には、白々しい夢を振り撒くテーマパークのさびれた看板が浮かび上がっていた。
「へえ、面白いネ。ここって規模の割にはお約束のアトラクションは一通りあるんだね……OK、ミンナはオバケ屋敷が希望カイ? え、ああ、ン〜、単独行動はチョットだけ控えようカ?」
 案内板をしげしげと眺めて、クレイジー・ティーチャーはくるりと回って振り返る。
「じゃ、行くネ、シャノンクン。ボクの可愛い生徒たちが早くってせがむからサ」
 ひらりと手を振って、引率の先生は軽やかに地を蹴り、断末魔とも歓声ともつかない声のするアトラクションへと全速力で駆けていった。
 シャノンは器用に片眉を上げ、呆れた溜息をひとつつく。
 そして、一度目を閉じ、ゆっくりと手の中にある『武器』の感触を確認した。
「言っておくが、俺は手加減をしない」
 忍び寄る歪な影を標的に、流れる動作で両手を突きだし、銃口から銀の軌跡を弾き出す。



 どこかで銃弾が4発放たれ、巨大な何かを打ち倒したらしい。
 それを耳で捕らえながら、香介は空を仰いだ。
 そこに浮かび上がるいくつもの光球は、間違っても電気によって生じたものではない。そもそも既に廃園となったこの場所に電気の供給など望めるはずもないのだ。
「これ、俺の魔法。一族の中じゃまだまだだけど、ここの仲間内ならけっこうなもんなんだぜ?」
 香介の手を引き、子供たちの先頭に立つリィと名乗った少年が自慢げに笑った。
 彼らの足元には、意識を失い、その巨体を地に伏したモノ達が転がっている。それはまるで幻獣に類する異世界の生物の博覧会だった。
「どうやってこいつ等を?」
「カンタンだよ。アイツらは召喚されたらこなくちゃいけないし、そうじゃなくても、子供好きだからお願いすればついてきてくれる」
「おっきいのも小さいのも、この銀幕市で『実体化』したヤツラは『不安定』だからな」
「だからカンタン」
 得意満面なカオで、子供たちは解説してくれる。
「ふうん?」
「あ、マリア」
 少年の声が弾み、釣られて視線を向けた。
 魔法の光に照らし出されるのは、人形のような少女だった。
 繭のように身体を包む長い髪とワンピースのレースとリボンが、風にもてあそばれて素足に絡みながら踊る。
「……お客様?」
 彼女は裸足で佇み、微笑んで、首を傾げた。
「キョースケっていうんだ。どうしてもキメラを作るところが見たいって言うから、連れて来てやったんだ」
「俺は別にそこまでは言ってねえけど」
「なんだよ、同じことだろー?」
「……そう、香介という名前なのね……」
 問い掛ける彼女の瞳はひどく透き通っていて、魔性のソレを思わせる。一瞬、自分の中身を丸ごとスキャンされた気になった。
「……アナタなら、いいわ。ここで見ていて」
「よかったな。マリアからのお許しが出たぜ? そこで見てていいってさ」
 一体何が始まろうというのか。
 マリアを中心に、数人の子供たちが転がるそれぞれの生物に手を伸ばした。
 悲鳴らしい悲鳴も上げない。痛覚などとっくに麻痺してしまったのか、それともこの行為に痛みは伴わないのか。
 腕が、足が、頭が、胴が、粘土細工のように捩れてちぎれ、その形や大きさまでもが変化する。
 そうして。
 子供たちは作り上げる。
 創作意欲が命じるままに。
「今度こそすっごいのを作り上げようぜ?」
「今度こそ完璧なのにしような!」
 完璧、それが合言葉であるかのように飛び交う。
 冷静に考えれば充分に凄惨な光景でありながら、そこには一片の罪悪感も存在しない。ひたすらに楽しげで、ひたすらに純粋で、ひたすらにまっすぐだ。
 ただ、その明るさは、ほのかなアンバランスさを香介に与えた。しかも、微妙な齟齬を覚えるのは彼らの言動だけではなく、もっと別の……
「ああ、そうか」
 ようやく、抱いていた違和感の正体のひとつに行き当たった。
 フィルムに戻らないムービースターの死――数ヶ月前から騒がれて来た『異常事件』のひとつを自分は目の当たりにしているのだ。
「なるほどな……コレもあの事件の一部ってヤツか……へえ……」
 異常が日常にすりかわる銀幕市の、嫌悪を抱く『愛している』という言葉を捧げたいほど気に入っているこの街の、病巣に自分はいま触れている。
 だが、嫌悪は感じない。むしろ――
「ねえ、香介」
「ん?」
 マリアは視線を合わせず、問う。
「……神様ってどこにいるのかしらね」
 ポツリともらしたその呟きは、凄惨にしてまばゆい光を見つめる横顔に深い影を落としていた。
 彼女の翳りが持つ意味を深追いすれば、触れてはいけない自分の傷を疼かせ、痛みを誘発することは分かっている。
 だから、あえて気づかないふりをして、そして可能な限り素っ気なく、答えを返した。
「手の届かないとこじゃねえの?」
「あら、やっぱりそう思う?」
 彼女は微笑んだ。
 全身のあらゆる箇所を引き千切れた生物が、子供たちの手の中でぐにゃぐにゃに捏ねられ、更には華奢な針と糸で繋ぎ合わされ、最初の姿からは想像もつかないものへと変じるのを眺めながら。



 続けざまに空を引き裂く銃声と、それに伴って弾ける光、ほとばしる断末魔の叫び、響き渡る轟音が地面を揺るがす。
 ジャケットの裾と、金の髪とを躍らせて、シャノンはきらびやかで白々しい電飾の世界に舞う。
 迸るのは非情に徹し、ただ己の信念によってのみ裁きを与えるモノの圧倒的チカラ。
 現実離れした異常な音の世界で、明日はパルと共に彼の『仕事』を目の当たりにした。
 いままさに咆哮と血飛沫を上げながら巨大なモンスターが崩れ落ちていく。
「流鏑馬か」
 目を細めて、たったいま決着をつけた彼は、半ば闇に紛れてしまっている黒い服の明日を視認する。
「シャノン、いったいどうしてここへ?」
 ムービースター特有の、神々しくも禍々しい美を備えたハンターは、ゆっくりと地面に崩れ落ちるバケモノに視線を投げ掛けた。
「歪んだ生命に『終わり』を告げている」
 言葉に重なるように、カラン……と乾いた音を立てて、醜悪な獣が一巻のフィルムに戻った。
「いまのモンスターは何?」
「ガキどものおぞましい罪の具現だ。コイツをけしかけた奴等はとっととどこかに行ったようだがな」
 ちらりと視線を走らせる。
 先程から、小さな影がいくつか視界の端をちらついていた。監視でもしているつもりか。だが、やつらはこちらの射程範囲内にはけして近寄らず、すぐに姿を消してしまった。
 逃げ足だけは早いなとひとりごち、彼は明日に1枚だけ手元に残っていた写真を寄越す。
「盾崎からの依頼できた」
 いやに手ぶれが気になる写真の中では、巨大なキメラが腹を割かれ、無残な姿を晒していた。
「……子供たちがコレを……」
 刑事として動く明日の瞳に『感情』は乗らない。
 けれど、不安が彼女の中では渦を巻く。
 ばらばらだった情報の断片が、急速にひとつの『事件』として収束して行くのを感じていた。
「生への冒涜。醜悪なのはこの造形を見れば十分だ。邪にして悪、禁じられた遊びに手を伸ばしたものは、等しく正さねばならない」
 説得で止まるわけがないと断じ、その意思は明確だ。
「放っておけば、この遊びは更にエスカレートするだろう……俺は、俺の知り合いが犠牲になることの方が耐えられない」
 ポツリとこぼれた呟きは、そのまま彼の真意だった。
 自らもまた自然の摂理に背いた存在であることを自覚しながらも、シャノンは引き金を引く。自らの存在理由ゆえに。
 だが、それに反論する言葉を、明日は持てない。
 いつだって、救いたいと願う想いは果たされないまま、『彼ら』や『彼女ら』は進んで血の海に沈んで行くのだ。
 覚悟は決めてきた。
 自分の立場を明日は理解している。
 彼は本気。彼が止めるという『方法』は、とても哀しく取り返しのつかないやり方だ。そして自分もまた、最悪、その手段に訴えるつもりで来た。
「アナタが殺せば彼らはフィルムに戻るのね……でも、子供たちの手に掛かったモノはそのまま……」
 鑑識を呼びたい。検死に回したい。科捜研にも連絡して、とにかく可能な限りの分析をして、遺体となった彼らが発する『声』を正確に掴みたかった。
「でも、どこに」
「そう遠くないどこかで、愚かな遊びに耽っているんだろう。あるべき姿を歪められた者たちの悲鳴が聞こえる」
 そう告げた彼の背後に、またしても巨大な影がその両手を大きく広げた。
「――死への帰還こそが、俺の慈悲だ」
 シャノンは地を蹴り、ほぼ垂直に跳躍した。
 靴底に鉛を仕込んだ重い一撃が、どの動物にも例えられないキメラの頭部を粉砕、テーマパークにフィルムをまたひとつ増やす。



「アア、なんか秋祭りを思い出すネェ」
 懐かしげに目を細める。
 遠くに不穏な音を聞きながら、クレイジー・ティーチャーは生徒にせがまれるまま『お化け屋敷』の看板を掲げた小屋に辿り着いた。
 そこで彼は、見知った子供たちの姿を認める。
「あれ?」
「あ、センセー! こんばんは」
 声を掛ければ、輪の中から無邪気なアイサツが返ってくる。
「確かキミはマサキクンじゃないか。ウン、そうだ。この間、先生の課外授業に来てくれたでしょ? キミの絵に花丸つけたの覚えてるヨ」
 そうして、にっこりと笑い掛けた。
「面白いことしてるって聞いてさ、先生、ここまで見に来ちゃった」
「センセーなら教えてあげる」
「やめろよ。コイツだってオレ達の敵じゃん」
「ちがうよ! クレイジーセンセーはオレ達の味方だもん」
 お気に入りの先生をかばうように、マサキは必死に弁護する。
 疑わしげな視線がふたりを取り巻く。
「ン〜先生、これでもミンナのコト、ちゃあんと分かってるつもりなんだけどネェ」
 そういって白衣のポケットから一枚だけ写真を取り出す。
「ほら、これはマサキクンの作品でしょ? それから、こっちはカヨクンかな? クセを見る限り、このキメラ制作に関わったのは6人だね」
 どう、そう問いかけるようにゆっくりと全員の目を覗きこんでいく。
「すげぇ!」
「正解だ」
「見せてくれるカイ?」
「こっち」
 嬉々として彼が導いてくれたのは、ミラーハウスの裏手だった。
「まだオレたちじゃうまく作れないんだけどさ」
「かわりにいろいろカイボウして、ヒミツをさぐるんだ」
 そこには、手足を拘束されて、うつ伏せに地面に貼り付けられた異形がいた。
 イエティの身体に鷲のような翼が魚のひれと同じ位置で取り付けられ、巨大な蟹のハサミを模した節足が2本、ドラゴンのようなウロコに覆われた足が4本、胴体から伸びている。
 けれどその歪さよりも目を引くのは、取り巻く子供たちの行為そのもの。
 鋭い刃物を持って、心赴くままに切り裂いていく。実験、解剖、知的好奇心を満たすためのお楽しみ会。
「へえ、懐かしいネ」
 この手は覚えている。あまりにも馴染んだ感触だ。かつて小動物を純粋な好奇心でもって解体した。硫酸に漬け、肉が溶けて行くさまを眺めもした。動物だけでは飽き足らず、不死の存在となってからは自らの身体すらも刻んでみた。
 だから、彼は子供たちを断罪はしない。
 行為そのものは、かつて自分が辿ってきた懐かしき日々と今日までの軌跡に重なるものだから。
 片目だけを器用に細めて、クレイジー・ティーチャーは笑う。
「先生、チョット聞きたいコトがあるんだけど、いいカナ?」
「なあに、センセー」
「なに?」
「ン〜……ミンナはどうしてこういうコトをしてるのかナァ?」
「そりゃあモチロン、楽しいからだよ。だってさ、なんで動いてんのかなぁって思うじゃん」
「こういう生物でも血は赤いのかな、とかね」
 クスクス、顔を見合わせて彼らは笑う。
「将来有望だヨ」
 機嫌よく頷く。協力するのも悪くない。何より先ほどから自分だって、初めて見る生物たちを解剖したくてたまらなくなっているのだから。
 けれど、楽しい気分が害される。
「だから先生、俺達に協力してよ」
「クレイジー・ティーチャーは無敵のゾンビだって聞いたぜ」
「その秘密を教えてよ」
「その身体をちょうだい」
「ボクたちの」「オレ達の」「目的のために――」
 どこに隠し持っていたのか、解体を目的とした大振りの凶器を手にした子供たちの腕が一斉に伸びる。
「やめてよ、ダメだよ、センセーはやめて!」
 だが、仲間の誰にもマサキの声は届かない。
「ネエ、先生、知ってた? カナヅチって麻酔代わりになるんだよ?」
 にこやかな笑顔を前に、クレイジー・ティーチャーもまたにこやかに頷いて見せた。
「知ってるサ、モチロンね。だって」
 ぐしゃ。
 台詞を遮るように、金属の塊が彼の眉間めがけて振り下ろされた――



 嬉しげにきゃっきゃと笑い声を弾ませながら、子供たちはぐにゃりと倒れた生物らしきモノを香介とマリアにお披露目する。
「この辺、オレのパパも倒せないって言ってた怪物をモチーフにしてみた」
「僕はねぇ、一族の言い伝えに聞いた闇の魔道士をイメージしてみた」
「こっちじゃまずお目にかかれないモンばっかだな。初めてみたぜ」
 やはり香介の中からは素直な賞賛しか出て来ない。
 マリアに紹介してくれたリィが嬉しげに手を自分の作品を解説してくれた。
「カンペキなのができたらさ、マリアや皆と一緒にコレでパレードをするんだ」
「ソレはチョット面白そうだ」
 釣られて、知らず知らず口元に笑みを浮かべる香介。
「じゃあ、キョースケもいっしょに行くか? キョースケならいいぜ? なあ、マリア?」
「ええ」
 できるなら、そのイマジネーションに応えるだけの音楽を作り出してみたい。彼らのパレードを盛り上げる曲を奏でてみたい。
 だから、コレは悪くない誘いだった。
 捩れて歪んで原形を留めていない生物は、けれど、それゆえに子供たちの純粋な願いを具現化しているようだった。
 きっと楽しい、きっと面白い、きっととても清々しい気分で見下ろすことができる気がした。
「香介」
「ん」
「コレ、アナタにあげる」
 知らず曲を口ずさんでいたらしい。
 我に返って歌をやめた香介の、音楽家であり芸術家らしい美しい手を、マリアはそっと両手で包みこみ、小さな何かを見えないように握らせた。
 クスクスと笑う彼女に促がされるようにして、香介は握った己の手を開く。
 そこには、虹色に光を反射する真珠が一粒、収まっていた。
「これは?」
「パパが昔あたしにくれたネックレス、だったもの。人魚の涙と呼ばれているの。一度だけ誰かを、あるいは何かを、永遠にそこへ閉じ込めることが出来るのよ」
 人差し指を唇に押し当て、このことは皆にはナイショねと笑って、彼女はふわりと香介の傍を離れ、子供たちの輪に向けて声をあげた。
「それじゃあ、みんな、今夜もこの子たちが完璧かどうかの実験をしましょうか」
 声が、魔力となるのか。
 存在を捻じ曲げられたキメラ達が、子供たちの歓声を受けながらゆっくりとその身を起こす。
 だが。
「誰がそれを許可するというんだ」
 厳しい声が突き刺さる。
 そして、轟音。
 起き上がりかけたキメラの一体が無様に地に転げ、土煙が辺り一体にもうもうと立ち込めて。
 キメラのブレスで吹き飛ばせば、そこに現れたのは、ふたり。
「来栖……?」
「シャノン、か」
 土の煙幕が晴れた後、罪の子供たちに囲まれて佇むその姿は見知った男のものだ。
 幾度かの場面を共有し、忘れ難く忌まわしいながらもばかげた楽しい桜の思い出を共にする彼が、なぜここにいるのか。
「それに、流鏑馬、あんたも……」
「あたしは止めにきたの。この子達がこれ以上危険な領域へ踏み込む前に、刑事として、解決しなくちゃいけないから」
「そういや、いつもの相棒はどうした?」
「……彼? 彼なら、今回は欠席、届けは事前に受け取っている」
 だからひどく淋しいのだ、という感情をムリヤリ呑みこんで、無表情に答えを返した。
「来栖、貴様、何を考えてそこにいる?」
 凄絶にして陰惨な悲鳴を聞きつけ、ここに辿り着いたシャノンは、だからこそ、少女たちの奇妙にしておぞましき行為に紛れて立つ香介を見咎める。
「……見たところ、ずいぶんと和気藹々としているが……俺に撃たれたくなければそこをどけ」
「否定するのか?」
 香介は問う。
「何を?」
「あんたは、否定するのか? こいつらのことを」
「当然だ。ガキどもの行為は、誰かが止めなければならない、禁忌を犯した醜悪な遊びだ」
 誰にどのような目で見られようとも、いかなる相手であろうとも、平等の捌きを与えると言い放つシャノン。
 その彼の前に、気まぐれな音楽家は立ちはだかった。
「いいじゃねえか。面白そうだ。見届けるのも悪くない。そういう奴がいたって、いまの銀幕市なら受け入れるだろ?」
 歪めた口元に浮かぶのは、病んだ笑み。
「最強のキメラくらい、作らせてやりゃあいいじゃん。こいつら、けっこう真剣なんだ」
 来栖の言葉に、わずかながらも心が揺れる。心が侵されていく。心の中に潜んでいるものが頭をもたげ、じっとこちらを窺っている。
「これは赦されざる罪だ。一片の罪悪もなくこのようなおぞましい行為を繰り返すモノに何故時間をくれてやる必要がある?」
 平然と言ってのけたシャノンへと、今度は子供たちが声を張り上げる。
「じゃあ、教えてよ! 『罪の意識』って何?」
「ナニがダメなの? 殺していいモノとダメなモノって、ダレが決めるの?」
「どうしてあんたがオレたちを断罪するの?」
 問いがいくつも重ねられる。
「というわけで。こいつ等の理屈はともかく……あんたとは一度思いきりやりあってみたかったんだ」
「奇遇だな、来栖。俺もだ」
 香介とシャノン、互いの足が頭上で交差する。風を切る鋭い音のあとに、バシリと鈍い音で打ち払う。
 子供とキメラ、そして何より敵にまわっているらしい香介を警戒しながら、明日は子供たちの言葉の中に違和感を覚える。
「完璧なモノを、ボクたちは作らなくちゃいけないんだ。お前なんかに分かるもんか」
「オトナなんかに分かるもんか」
「オレたちは、オレたちを守ってくれる場所を作るんだ」
「秘密基地だろ」
「あ、そうだった、秘密基地だ」
「ここでいっぱいスッゴク強くてスッゴク完璧なモンスターをつくって、ボクたちは悪いやつらを倒すパレードをやるんだ」
 マリアといっしょに、香介もいっしょに、みんなでいっしょに自分たちの居場所を作るのだと言って、彼らは声を張り上げる。
 ふだんから、明日は『凶悪犯』と呼ばれる人間たちと対峙して来た。
 だが、恐慌に至るまでの事情や心情は様々だ。理解できることもあれば、理解できないこともある。
 だが、この子たちのことは分からない。
 どす黒い復讐に支配されたモノ、歯止めの気かない狂った興味で悦楽を求めるモノ、友達のためだと言ってチカラを貸しているモノ、純粋で残酷な好奇心しかないモノ……それぞれのスタンスが混ざり合って、ただひとつの目的、マリアとの『パレード実行』に帰着するのだ。
「……思考の同調……? もしくは……」
 言葉を切り、口をつぐんだ明日の頭をふと過ぎったのは、『集団感染』の文字だった。



「さてと……オイタが過ぎる子たちには、先生、お仕置きしなくちゃネ」
 額が割れ、白い骨が覗いているにもかかわらず、クレイジー・ティーチャーは、にぃっと、笑みのカタチに口の端を吊り上げた。
「覚悟はいいカナ?」
 せーの。
 数名に圧し掛かられ、関節を無視して左腕や右足をちぎられ、胸を刃物で裂かれながら、それでも、たったひと薙ぎで子供の身体を弾き飛ばす。
 ぐしゃ。
 カラン。
「ン〜……一撃必殺?」
 一瞬の出来事に思考が白紙となった者たちをなおも弾き飛ばし、常識はずれの腕力でフィルムへ戻していく。
 辛うじて縫合糸一本で繋がっていた腕が殴った反動で飛んでいこうと気にも止めずに、だくだくと頭から溢れる血を拭い、よたりと立ち上がる。
「センセーのくせにひどいぞ! 体罰はダメなんだ!」
「ナニを言ってるカナァ? 身を以って知るってことを教えてあげるのも大事な教師の役目ダヨ」
 クレイジー・ティーチャーの瞳が、子供たちを捉え、眇められる。
「それに……ダメだよ、どんなウソをついたって、先生にはちゃぁんと分かるんだからネ?」
 生徒か生徒ではないか。
 うそつきか、うそつきでないか。
 生徒たちへの愛はホンモノだ。例え狂ってしまっていても、それだけはけして穢れることも覆されることもない。
 だから彼は正確にムービースターの、それも純粋な好奇心ではない、どす黒い感情でもって子供たちを煽動するものたちばかりを選び、制裁を加えていった。
 転がるフィルム。
 一体どういう命令系統がなされているのかは謎だが、子供たちを守ろうと襲いかかる異形たちをも、手に馴染んだ金槌、あるいは隠しもっていた爆発物で吹き飛ばす。
「なんでだよ、なんでそんなカンタンにやっつけちゃうんだよ! ソイツはすごい強いんだぞ、ドラゴンもくっつけたんだぞ!」
「不適合を起こした生物は存外脆いものナンダヨ。残念、もっとちゃあんと勉強しようネ」
 血が弾ける。不穏な破裂音。ビシャリと、バケツをひっくり返したかのような水音が続く。
 頭から爪先、髪の毛一本に至るまで、ぐっしょりと、新鮮かつ歪んだ紅に染まっていく。
「さあ、次はどの子カナァ?」
 殺人鬼は、金槌と凶相によって場の支配権を得る。
 周囲から、これ以上ないほど盛大な悲鳴が上がった。
「逃がさないヨ」
 でたらめな生物たちを引き連れて、走りだした子供を、クレイジー・ティーチャーは凄絶にして凶悪な笑顔で追いかける。
「――って、アア、もう、バランス悪いったらナイネ」
 駆け出そうとした瞬間に転げたクレイジー・ティーチャーは、自ら、引き千切られた足や腕を拾いあげて器用に縫い合わせていく。
 そして、追いかける。教師として、殺人鬼として、彼の中の絶対規律を侵したものたちに教育的指導を叩きこむために。
「アア、そうだ。ねえ、マサキクン、それから他のコたちも。いい子はそろそろ家に変える時間ダヨ! 夜更かしも夜遊びもホントはダメなんだからネ?」
 金槌を振り回した殺人鬼は、呆然と立ち尽くす『可愛い生徒たち』へ、非常に常識的かつ教師らしい注意を促がすのを忘れなかった。
「ん〜パーティ会場はアッチかナァ?」
 追跡者として研ぎ澄まされた聴覚に、盛大な爆音と、一際甲高く響き渡る咆哮が届いていた。



 鋭い短剣の一閃を銃身で弾き、その勢いで振り下げこめかみを狙った拳が蹴りで返される。
 無意識に手を庇う香介と、趣味ではないという理由で銃と蹴りのみを組み合わせてワザを繰り出すシャノン。
 互いに、相手の好む距離感を避け、ぶつかりあう。
 金属音、破壊音、地を蹴り、遊具すらも足場として跳び、拳がめり込めば鈍い肉体の悲鳴が上がり、誰ひとり手出し無用だと言わんばかりの鮮烈な光景が繰り広げられる。
 時折、鮮赤が汗に混じって散った。
 切り裂き、打ち払い、薙ぎ倒して、反撃。
 うかつに近付けば、それだけで死に至るかもしれない激しさがそこにある。
 だが、彼らの口から苦痛を訴える声はけして漏れない。
 香介の口元には、愉悦の笑みすら浮かんでいる。
「香介、ガンバレ!」「やっつけちゃえ!」「すごい、香介、カンペキなんだ」「きょーすけ!」
 子供たちの無邪気な声援が重なる。
 彼らは本気だ。
 本気で、相手を潰そうとしている。
 急所狙いの攻撃を、明日は把握していた。
 けれど。
 彼女は、男たちから一歩引き、緊張感を持ちながらもゆっくりと思考の転換を始めていた。
 子供たちの辛辣な言葉を拾う中で、自分が知るべきことを探す。
 香介のように、彼らに心が秘めるモノを、一度は受け止めるべきなのだろうか。例えソレが過去の自分の傷を抉る結果となろうと。
「え」
 呼ばれた気がして、顔を上げる。
 その先にあるのは、火花とネオンと得体のしれないヒカリに満ちたテーマパークの中でも一際ネオンがきらめくメリーゴーランドだった。
 規模はとても小さいけれど、くるくるとまわり続ける、宝石を散りばめたオルゴールのごとき遊具は夢のようだ。
 それを背に、マリアは笑いかけてくる。
「アナタはあたしと遊んでくれる人? 資格はありそう、だけど」
 無邪気な問いかけは、このテーマパークを覆う『病んだ喧騒』をそっくり映し出していた。
「どうしてこんなことを?」
 子供たちが決めたルール。
 子供たちの心に満遍なく擦りこまれた想い。
 その全てが彼女から発せられている。
「復讐、かしら」
 あどけない笑みを浮かべて、彼女は細い首を小さく傾げた。
 小児病棟から続くエントランスで、彼女は微笑み、立っていたのだ。
 迎えに来ることはない者を待ち、それを受け入れた瞬間から、彼女は彼女の理論で復讐を開始した。
「あの人はあたしのパパを殺した。あの人はあの子のママを殺した。もうすぐ来るあの人も、他の人たちも、いっぱいいっぱい殺した。アナタは……まだ殺してない。でも、アナタも居場所を奪おうとする」
 庇護を求めるべき家族はおらず、住む家も持てず、時にはあらざるムービーハザードに巻き込まれて怪我をし、果てのない孤独に苛まれ、翻弄される者たち。
「こんな世界が現実だなんて認めたくもないわ」
「子供って損よね。何もできないんだもの。誰かの庇護を受けなくちゃ、生きていくのもままならないわ」
「知っている……あたしはいやってほど、その事実を知っているのよ、マリア……」
「そうみたいね。傷が見えるわ。子供の頃に抱えた傷、香介にもあったけど、アナタはまだ少し浅い。だけど、ねえ……だったらなおさら、そこで見ていて? 邪魔をしないで?」
 盛り上がる子供の輪から引いて、数人が明日を見上げ、首を傾げた。
「オレたち、完璧なモノをつくって、アイツらを見返してやるんだ」
「これは実験。これは好奇心。そしてこれは、報復」
「復讐するんだよ、ボクたちは」
「オレたちをひどい目に合わせた悪いやつらを、めいっぱいやっつけてやるんだ」
 そうじゃなきゃ、やりきれないだろ、と、暗い笑みを浮かべて彼らは低く冷たい声で告げる。
 その瞳に沈んでいるのは、怒りの炎。
 すぐそこでふたりの戦いに歓声を上げていた子供たちとおなじはずなのに、ひどく哀しく、恐ろしい。
「だから、作るの。あたし達を守ってくれる、強い強いモノを……もう戻ってこない、パパの代わりに、ね」
 俯き、肩を震わせる、いたいけな少女。
 親のいない世界に放り出された不安と恐怖。親だと思って慕ったモノを奪われた痛み。庇護者のいない子供たちの心に影を落とす、暗い思念、孤独、それを紛らわすために思いついた実験と、痛みを忘れさせてくれる好奇心。
 マリアの賛同者たちのほとんどは、彼女と同じモノを抱えているのかもしれないと明日は思いあたる。
「のぞみちゃんはいいな……ずっとずっと眠っていても、会いに来てくれるヒトがいるもの」
 うらやましいとこぼしたのは友達の名前、だろうか。
「マリア……」
 泣いているのかと思った。
 悲劇に打ちのめされ、翻弄され、捕らわれた闇の世界から抜け出したいと、そう救いを求めているのかと思った。
 手が伸びる。弱々しい少女の頭をせめて撫でてあげたいと、そんな思いに駆られて、手を伸ばしかける。
 だが。
「だからね、パレードをするの。あたしをひとりぼっちにした、みんなを苦しめた、悪い奴等はそろって滅んでしまえばいいと思うわ」
 笑顔が弾ける。鮮やかに。一片の穢れもなく、キレイな輝きを持ちながら、彼女は全てを壊すと宣言する。
「あたしたちはこの街を許さないから」
 コレは否定。
 彼女の心に潜む闇の名は、まごうかたなき呪詛。
「ナァンダ……結局、同じなんだ」
 不意に差し込まれたのは、骨と肉を砕く鈍い破壊音と、そして落胆と失望の声だった。
「アナタはだれ」
 咎めるマリアの問いは、明日によって明かされる。
「クレイジー・ティーチャー……あなたも来ていたのね」
 全身が血でずぶ濡れ状態の彼にも、赤い塗装を施したとしか思えない金槌にも、彼女は小さな驚きの声さえ出さず、彼の出現を受け止める。
 彼はたったいま、数人の子供たち……イヤ、子供の皮を被った別ものと、キメラとを一瞬で薙ぎ倒し、フィルムに変えたのだ。
 明日の心が軋んだ呻きを洩らしたけれど、けしてそれを表面化させずに、向きあう。 
「ヤア、明日クン。一応ネ、実験はボクの領分ダシ? 生徒のミンナと好奇心を満たしに来たんだヨ」
 だけど、と彼は心底つまらなさそうに顔をしかめた。
「スッゴク愉しそうな気がしてきて見たのに、けっきょくキミたちも同じなんだ」
 怒りに任せて殺す。憎しみによってヒトを殺す。報復のために、復讐のために、『好奇心』という皮を被って犯す罪は自分が楽しいと思える範囲にはない。
 純粋な興味が生み出すからこそ、実験は楽しく、そして美しい。
 そして、実験は純粋でなければならない。報復の手段として選ぶのは自分の好みでもなければ、求めるものでもないのだ。
「ジャア、帰る」
 急速に興味が失われていくのを感じながら、くるりとクレイジー・ティーチャーは踵を返した。
「……あんた、つまんないって言った?」
「お前、ボクたちのことをツマンナイって言ったのか?」
「言ったよ。ツマンナイ、くだらない、センセーは失望したヨ。好奇心を満たす実験だって言うからもっと面白い答えを期待してたのにサ。興醒めだ」
 ソレは明確な否定。許されざる罪。
 ひどい。ひどいヨ、ヒドイコト言うヤツは許さないんだから――
「おまえもやっつけてやる!」
 だが、その幼い腕が彼に届くより前に、少年は血を吐き、フィルムへと変じた。
「アレ、ボクまだなんにもしてないケド?」
 ナイフが、刺さるべき対象を失ってカランと滑り落ちる。
「シャノンクン?」
 香介の身体を地面に縫い止め、その隙をついて彼は跳躍し、明日とクレイジー・ティーチャーの傍、マリアの正面に降り立った。
「醒めない悪夢は、俺が終わらせてやる」
 引き金に指を掛ける。
 掛けた指に、迷いはない。
 迷うことはゆるさない。命を奪うものに、惑いがあってはならないとシャノンは考えている。それがせめてもの礼儀だ。
「アナタもあたしを否定するのね」
「先に全てを否定し、己を追い詰めたのはお前だろう?」
「あら、アナタだってヒトを殺しているじゃない。ムービースターは殺したって罪にならないって知ってるから、罪を犯したと判断すれば消去して構わないと思っているから、だからその銃で撃てるんだわ」
 冷ややかに、嘲るように、少女はシャノンを見据える。香介には、仲間には、けして向けることのない表情が浮かんでいる。
「戯言はもう聞き飽きた」
 弾がマリアの眉間を貫こうとしたその瞬間、巨大な影に遮られる。異形が両者の間に突如現れ、放たれたすべての弾を受けて、ズシン…と重い音を響かせて横倒しになった。
「く――っ」
 その血飛沫がシャノンの視界を奪う。焼けつく強烈な痛みが眼球を支配し、闇に閉ざされた。
「悪いな、シャノン。俺はこいつらと約束したんだ。だから、カンタンにマリアを断罪させるわけにはいかねえ」
 口元を歪め、キメラの巨体を投げ付けた香介が不敵に嗤う。
「キョースケ、えらい! そいつの血は毒の魔法が掛かってるんだよ。しばらくは眼が見えないんだからな!」
「ねえ、そんな状態でさ、誰がムービースターか分かる? 誰がエキストラか分かる? 誰がムービーファンなのか、ね、分かる?」
 くすくすくすくす……さざめく笑い声は、どこまでも広がり、不吉な闇の色を落としていく。
「どうする、シャノン? 間違って殺したら、そうだな、俺を撃つだけでもあんたは立派にヴィランズになれる」
「そうしたら、ショウタのパパが殺されたのと同じように、今度はあたしたちがアナタを退治するわ。アナタが殺した友達の復讐をしてあげる」
 宣言するマリアに手を握られ、肩や額から血を流しながらも、香介は問う。
「それでも撃てるか、シャノン?」
 物騒な賭けを持ち掛けているのか。
 そう判断したくなるほど挑発的な言葉に、シャノンはいっそ笑い出したくなった。
「あ、ソウダ。シャノンクーン、ボクはもうとっくに帰りたい気分だからネェ? 早く終わらせてくれるなら間違ってボクを撃っても構わないけど……デモ、ボクの生徒に手を出したら殺すカラ」
 にこやかに投げ掛けられた台詞の裏には、明確に『失敗は許さない』という意思があった。
 いつのまにかここまでやってきたマサキ達に引き止められ、クレイジー・ティーチャーはしかたなく地面に座り込んでいた。
 どうやら帰宅はとりやめ、そこで見物を決め込んでいたらしい。
 明日は何も言わない。何も言えない。マリアの、そして彼女を守り、立つ香介の、神々しいまでの存在感に目を細め、胸の痛みを堪えるだけだ。
 心優しいあの超人は、その場を視界に入れるコトすらきっと耐えられなかったに違いない。どれだけの傷を負っても、罪を赦し、身体を張って子供たちを守ろうと、説得しようと動いたと思う。
 でも、自分は違う。
 パルだけが彼女を理解する。彼女は、子供たちを止められないなら、バッキーに食べさせることで終わりを向かえるつもりでいた。例え自分が直接手を下すワケではないとしても、罪は罪だと知っている。
 マリア。居場所を奪われた少女。純粋な笑みを振り巻きながら、そこに呪詛を込めるアンバランスで壊れた罪の子供。
 彼女の結末を見届けるために、いま、自分はここに立っている。
 マリアは、沈黙。
 彼女の肩を抱いて隣に立つ、香介もまた沈黙した。
 ただ子供たちだけが方々からはやし立て、挑発し、更には標的の気配を掻き消すようにシャノンの腕に、肩に、足に、銃に纏わりつき、妨害する。
「マリアを殺すのか? 香介を殺すのか? キメラみたいに、殺すのか!」
「アンタだってヒトを殺すくせに」
「ひどいよ、僕たちの友達なのに」
「アンタだってムービースターのクセに」
「同族殺し! ヒトゴロシ!」
「貴様らが口にするのは、くだらない詭弁だ」
 子供たちの非難など意に介さずに、シャノンは銃を構える。
 同族殺しの業ならば、とっくの昔に背負っているのだ。逃れ得ぬ永遠の喪失感とともに。
 視界を閉ざされ、半ば強制的に聴覚も騒音によって閉ざされながら、それでもなお、シャノンの不遜とも取れる自信は揺らがなかった。
「己が業に身を委ね、永久の眠りに落ちるがいい」
 死の宣告。
 一切の制止を受け付けない、裁きの瞬間。
 弾丸が、彼の銃から放たれた。
 彼女をその腕に抱き、守る男の脇腹をかすめ、まっすぐに、ためらいもなく、撃ち抜く――

 長い時間、呼吸すらも許されないほどの緊迫した『静寂』が世界を支配していた。

 乾いた音を立てて、滑り落ちる一巻のフィルム。その上に散る鮮赤。そして、
「マリア」「マリアが死んだ」「マリアが」「マリア――っ」
 瞬間、堰を切ってあふれ出すのは、聴覚を突き刺す、箍の外れた子供たちの慟哭と悲鳴。
「どうしたの!」
「マサキクン?」
 彼女の名を叫び、彼女の死を叫び、己の存在理由を掻き消すように、それぞれが手にしていた武器で、それぞれの終焉を求める。
 辛うじて保たれていた正気が一気に瓦解し、狂気の坂を転げ落ちていく。
 まるでそうするようプログラムされた機械のごとく。
 死の連鎖。 
「レミングの……」
 集団自殺――という言葉が、香介の口から呟きとしてこぼれた。
 子供たちの死の傍で、脇腹から悲しみの赫を滴らせ、香介は血で汚れてしまったマリアのフィルムを拾いあげる。
 その表面は、『Deny』という文字のカタチに腐食していた。まるで癌細胞に侵された臓器のような黒々とした怖さが滲んでいる。
 マリアはもういない。
 守るべき対象と決めた子供たちは、なぜか少女の死に引き摺られるように次々、フィルムへと戻って行く。その表面に引っ掻いたような傷――少女と同じ『文字』を刻んで。
 誰にも止める術はなく、禁忌を犯した子供たちは、シャノンやクレイジー・ティーチャーの手を借りるまでもなく終焉を選んでしまった。
 リィも、ショウタも、マサキも、誰も彼もが彼女の後を追う。
 だから、形見となった一粒の真珠と彼女のフィルムを手に、気まぐれで自分は子供たちの味方をしてみただけだと、うそぶいて、笑みを刻む。
 やがて。
 子供たちの姿が全て、冷たいフィルムに変わる頃。
 喧騒が嘘のように引いてしまったテーマパークの、その至る所で乾いた金属音が連続して届いた。
「戻ったようだな」
 シャノンの瞳がゆるりと周囲を見回す。
 歪んだ生と死を押し付けられた異形たちもまた、罪深くおぞましい遊戯からようやく解放されたのだろう。
 ソレはまるで閉園を告げ、帰宅を促がす鐘のようにも思えて――わずかな感傷を呼び起こす。
「……大丈夫か?」
 ほのかな優しさを初めてその瞳に浮かべて、気遣わしげにシャノンは香介を見やる。
 彼は無表情な頷きだけを返した。
「ンー、大丈夫……先生、泣いてないヨ。怒ってもないしネ。だから、ミンナもそんなに泣かないコト」
 生徒と認めたものもまた死を迎えた、それが哀しいと、クレイジー・ティーチャーは独り言のように呟きながら。
「長い夜だったな」
 シャノンの言葉に釣られて見上げれば、血が滲むように、朝焼けが空を浸食していく。
 事件は解決したはずだ。もうキメラを作り出す者はいない。キメラを作る理由もない。子供たちの歪んだパレードは、朝日とともに消滅したのだ。
 なのに、ひどく、哀しい。ひどく怖い。何かの前触れであるかのように、心は平安を取り戻せないでいる。
「……あの人に、会いにいくべきなのかしら……」
 明日がこぼした小さな呟きは、魔法の光を失い、みすぼらしいテーマパークを吹き抜ける風にまかれて消えた。



 今日も変わらず、ラウンジは白く穏やかな光の中にある。
 そして目の前には、今日も変わらず、穏やかな笑みをたたえた白衣の男が光の中に座っている。
 彼を呼び出していながら、明日は長く無言のまま向きあっていた。
 ドクターD。
 こうして見る分には、ただキレイなだけの人間だ。彫刻のように、作りモノのように、気まぐれな神か悪魔の造作としか思えない美しさを持っただけの『人間』だ。
「……彼、今回の事件を避けたわ……」
 会話のキッカケに、ポツリとこぼす。
 おびただしい血の色で汚れた『彼』の腕を思い出す。
 腕の中で命が失われて行くというのは、どれほどのモノなのだろうか。その喪失は、何に例えられるだろうか。
「子供たちを手に掛ける、あるいは、子供たちの死を受け止める……ソレを考えただけで、きっとどうしようもない気持ちになってしまったのね」
 優しい彼は、その優しさゆえに幾度となく深い傷を負ってきた。もし今回の事件に関わったとしたら、その時彼の心は致命傷を負ったかもしれない。
「引き摺られるから気をつけた方が良いと、わたしも彼には忠告させて頂きました」
 凪いだ瞳で、ドクターもまた彼の性格と危険性を肯定する。
 病んだ歪みを感じさせない、だからこそ、奇妙な不安を覚える相手。
「ドクター……あなたは心が痛む?」
「それはどういう意味で、なのでしょう?」
 憂いを含んだ彼の瞳。悲しげに揺れる、繊細な心。けれどソレがすべてホンモノだと、言い切ることがどうしても出来ない。
 いつもなら、自分はドクターに犯人の心の内部を解説させただろう。なぜ犯行へと至ったのか、その理由がどこにあるのかを、婉曲で分かりにくい言葉の中から拾いあげようとしただろう。
 だが、今日は違う。今日はソレが目的ではない。
「あなたが出演する映画、観たわ」
「光栄ですね」
 唐突と感じる話題の転換にも、彼は柔軟に受け止める。
「いまの銀幕市ほどではないけれど、それでも充分に不可解な世界であなたは生きていたのね」
 【ENDLESS RED】――終わりのない赤の世界。特殊な能力者たちが横行し、血にまみれた世界の只中で、彼は冷静に『心の病理』を見つめ、分析していた。
 ときにその能力は、他者の精神をとりこみ、内側から支配するほどだった。しかもその支配はひどく優しくて、やんわりと抱きしめ、信頼とも信望とも狂信ともつかない思いを相手に抱かせる。
 そして、明日は、ただひとりの理解者を得られた喜びは、他の何にも換えがたいのだということを知った。
 彼は分析官であり、捜査員であり、学者でありながら、『理解者』なのだ。
 ゆえに、その力を己のために振るうなら、想像を越えたものとなる。
「4つの事件。4つの異常心理。4つの文字……Delete、Decay、Deal、Deny……そしてあなたは『ドクターD』……」
 冷静に、慎重に、答えを急いで論理のほころびを生み出したりしないように、明日は自分を律しながら言葉を繋げていく。
「できすぎだわ」
 いっそバカバカしいくらいに目の前を突きつけられている符号は何を意味しているのか。
「気のせいじゃなければ……シリアルキラーとなった者たちに刻まれた文字、少しずつ進行している。まるで癌に侵された細胞みたいに」
 はじめは風化する紙が貼り付けられただけの異常。けれど、それは次第に深く、危険な代物へと変じていた。
 あの時、クレイジー・ティーチャーはフィルムを見、呟いた。まるで誰かがこっそりと『癌』の研究でもしているみたいだと。
「何故犯人はこんなことをするのかしら?」
「似た質問を以前にもある方から受けましたが……あなたが望む回答をご用意できるかどうか」
「わざわざ用意する必要はないわ」
 真実を述べるのに、用意された言葉などいらないと明確に拒絶してみせる。
「この一連の事件群は、総じて、銀幕市特有の闇と病によって生み出されたもの。銀幕市だからこそ生まれえたモノなのですよ」
 そして、病は進行していく。
 着実に、周囲を巻き込みながら、心も躰も蝕み、浸食していく。
「根本的な治療なくして、完全なる治癒はない。対処療法は所詮、その場しのぎなのですから」
「でも、あなたにはそれができるはずじゃないかしら? 一連の事件の主犯、そして賛同者にはいずれもフィルムに異常が認められた。これが心の病だというのなら、あなたにだけはそれを止める力があるはず」
 言外に、犯人の意思ひとつではないかという問いを含ませて、明日はまっすぐに彼を見つめる。
「お答えいただく必要はありませんが……流鏑馬さん、あなたにとって世界はどのように映っているのでしょう?」
「え」
「もしもそれを『現実』と信じていきたいのであれば、銀幕市を覆い尽くすだろう『恐るべき病』にあなた自身が侵される前に、逃げた方がいい」
 憂いに沈みながらも、ひどく優しい瞳で彼は言う。
「あなたはここから逃げることが出来る。ならば、日常が日常であるうちに、非日常を日常と刷り込まれる前に、あなたは正常な世界へ戻られた方がいいでしょう」
 彼の目には、自分の内側が透けて見えているのだろうか。
 明日はここに赴任してきて、思ったのだ。慣れてはいけないと。銀幕市が見る『夢』を『揺らぎのない日常』として受け入れてはいけないと。
 現実にはあり得ない現象を目の当たりにし、現実にはあり得なかったはずの人々と親しくなる度に、言い聞かせる。
 深入りしてはいけない。彼らをひとりの人間として認めるけれど、ソレを日常として自分が寄りかかってはいけない。もし夢が醒めた時、自分がどうなってしまうか分からないから。だから、呪文のように繰り返して来た。いまも思い出したように繰り返している。
 しかし、ソレとコレとは別なのだ。
「あたしは刑事としてここにいる。刑事としてこの事件に関わっている。少なくとも目を背け、見ないふりや忘れたふりはできないわ」
 一度目を閉じて。深呼吸をひっそりと繰り返して、そしてキレイすぎる白衣の男を見据えて尋ねる。
「これから聞くことに嘘で返さないでほしいと言ったら、あなたは承知してくれるかしら」
「わたしはこれまで、あなたに偽りを述べたことはありませんよ。そしてこれからも、けして嘘はつかないと誓いましょう」
 見つめ返す眼鏡の奥の瞳は、底知れない深さを思わせながらも、けして淀みはない。
 淀みはないと感じさせてくれる。例えソレが仮面だとしても、いまこの瞬間は、彼を信じたいと思った。
 だから、たった一言、ストレートに問う。
「この一連の事件、黒幕は、あなた?」
 視線は逸れない。問いかけを彼は正面から受け止めた。わずかな揺らぎもない瞳で受け止め、返す。
「本当の意味での黒幕は、この銀幕市という存在そのもの、ですよ」
 その後に続くわずかな沈黙は、偽りの答えを模索するためではなく、忠告を繰り返すか否かを思案してのものだったらしい。
「もう一度だけ言いましょう。お逃げなさい、流鏑馬明日さん。病に捕らわれる前に」
 優しい、とすら感じる。
 深い深い眼差しの前に、明日は彼が真実を述べ、心の底から自分を案じてくれていることを知る。
「そう……そうですね。ここへも、いらっしゃらない方がよろしいでしょう」
 ふわり。
 鼻先を甘い香りが過ぎった。
「……あ」
 ソレが何かを知るより先に、明日の意識が急速に失われていく。
 夜の帳のようにやんわりとした眠りに落ちていきながら、彼女は子守り歌にも似た囁きを耳にする。
「あなたを優しく包む安全な部屋へちゃんと送り届けますから、今はゆっくりとおやすみなさい」
 世界が、揺り籠代わりの闇に閉ざされた――



END

クリエイターコメント はじめまして、こんにちは。この度はシリアルキラー連作【死に至る病】の第4作目にご参加くださり、誠に有難うございます。
 今回は相手が相手なので、結末時の後味の悪さはOPで既に宣言済みではあるのですが、それでも些かやりすぎた感があり……皆様、いかがでしたでしょうか?(ドキドキ)
 長らくお待たせした分も含めて、少しでも心に残るものとなっていれば幸いです。

>流鏑馬明日さま
 三度目のご参加有難うございます!
 アクティブな男性陣の中、明日さまにはめいっぱい頭脳労働に従事して頂くことに。
 ドクターとの対峙を明示してくださったため、最終回に向けての伏線も兼ねつつ、ラストシーンの演出に重点を置いております。
 刑事としての推理と勘と蓄積された情報を、このようなカタチで展開いたしましたがいかがでしたか?
 また、今回は【欠席届】という形で某さま不在に言及されていて、どちらかが欠けても、おふたりでこの事件に関わって下さっているんだなと思い、感激した次第ですv

>シャノン・ヴォルムスさま
 誰よりも罪に厳しいシャノン様には、ちょっとばかり他の方よりダーティな役を引き受けて頂きました。
 視点を変えると、どうにも悪役めいてしまうのですが、そして、本当は子供に甘い面があるのではと思ってもいるのですが。
 ある意味辛い立場となりつつも、それでも信念の強さを前面に押し出すカタチとなったのですが、果たしてイメージどおりの描写となっておりますでしょうか?
 ちょっとした掛け合いの中に、精神的な強さと揺らぎなさが垣間見える演出となっていればと思います。

>来栖香介様
 今回、非常に面白いスタンスを披露してくださり、有難うございます。
 おかげさまで子供たちに大人気です。出来る事ならもう少し、過去のエピソードも絡めたいと思いつつ、いろいろ仕込ませて頂きました。
 なお、見方を変えると『告白イベント』ととも取れそうなエピソードもありますが、そのせいなのかどうにもエライ目にもあっておりますが、いろいろ含めてお許しくだされば幸いです。 
 どこか壊れた感覚をお持ちの来栖様の内面を、うまく描写できていればと思います。

>クレイジー・ティーチャーさま
 生徒を愛し、青少年の健全なる育成に心血を注がれる先生の登場に、ハート鷲掴みです。
 大変気前の良いプレイングを頂きましたので、景気よくたわむれ、力の限り教育的指導を叩きこんでいただきました。
 重苦しい雰囲気の中、先生のシーンでは、状況の物騒さはさておいて、妙に明るくほのぼのとした空気を感じておりました。
 ただよくよく考えると誰よりもスプラッタな外見となっておりまして……無事、テーマパークからお帰りになられますようにと、ひそかにお祈りしている次第です。

 それではまた、非日常が日常と化す銀幕市のどこか、あるいはこの物語の終着点でお会いできるのを楽しみにしております。
公開日時2007-05-26(土) 21:10
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