★ 【Be Happy Campaign】賞金稼ぎとあいのうた ★
<オープニング>

 銀の櫂を振り下ろす。
 相手が悲鳴を上げる。
 殴る。何度も何度も何度も。手が痺れても何度も。
 悲鳴が終わった。

 星の綺麗な、生温い夜だった。
 フィンチは袋小路の突き当たりに立っていた。
 豊かな巻き毛とモカベージュのコートに包まれた、優美なたたずまいの青年だ。
 紫紺の瞳は慈愛を宿しているのに、手には血痕も鮮やかな銀の櫂。
「五つ……ノルマ達成」
 唇をほころばせて、美しい声でさえずる。
 出来たてのプレミアフィルムを拾ってバックパックに収めた。背負い直すと、フィルム同士がぶつかって音を立てる。
 フィンチは来た道を戻りながら、首を傾げた。
 五人を殺すのに、一晩の時間を見積もっていた。けれど終わってみれば、まだ日付も変わらない。
 朝にならなければ彼女は帰らないのに、することがない。
 もっとスターを殺しておこうか。
 手首をしならせて、櫂を振り上げる。ちょうど表通りに出た時だったので、通行人がぎょっとした顔になっていた。
 はにかんだ表情で、先端を地面につける。敵意がないとわかれば、彼をとりまく不審な眼差しは霧散した。
 どれだけ奇異でも危険そうに見えても、危害を加える存在でなければ注視されない――おかしな場所。
「猫の国では犬が異端。犬の国へ行ったら猫が異端」
 即興で歌っていると頭の中がぐるぐるしてきて、笑いがこみあげてくる。
「仲間はずれが異端。なら……兎の国の鼠居留地に兎がいたら、異端はどっち?」


   * * *


「セブンー、セブンー、セブンー、おい邑瀬!」
 特撮ヒーローを呼ぶ歌は、突如として名指しに変わった。邑瀬文は渋々、携帯電話から目を離す。
 奥さんからのメール(十文字相当)に対する名残惜しい気持ちは、声の主を見て消え飛んだ。
 受付カウンターに肘を突いた女性が、鬼のような形相をしている。
 邑瀬はなんとか営業用スマイルを取り戻し、歩み寄る。
「海見(うみ)さん、どうしましたか? 家賃なら月々銀行振り込みで――」
「人の話は、ちゃんと聞こうね?」
 真顔でぶった切られて、邑瀬の頬が痙攣した。海見は切なげなため息を漏らす。
「最近、ものすごく入居率が悪いのね。空き部屋がとっても多いの。どうにかして」
 海見はかなりの不動産所有者で、邑瀬は彼女の持つマンションに住んでいた。
 魔法がかかって以後、対策課と提携してムービースターを受け入れているのだが……目に見えて、紹介数が減っている。
 実体化したスターの行動傾向が変わってきたこともあるが、特に海見の物件は避けられている。
 その理由を、海見は知っている。その上でなお、人を寄こせと言っている。
 邑瀬は困惑の笑みを浮かべた。
「そう言われましても、人がいなければ紹介のしようがありませんから。ムービースター優先枠を減らして、一般入居者を募ってみてはいかがでしょう」
「邑瀬の文。現実見えてる? ご近所付き合いがどれだけ簡単になったか、思い出せる?」
 自虐のにじむ揶揄に、邑瀬は応じられなかった。
 四月の第一週は急な引っ越しが重なりすぎて、一帯の運送屋が銀幕市にかき集められたと聞くから。
 なので終了へと向かわせる。
「責任者と相談して、増やすよう努力します」
 信じていない目の海見が口を開こうとした時、日だまりのような人影が飛び込んできた。
「海見さん」
 青年が、背後からのしかかるようにして海見に抱きつく。潰された彼女は平手でカウンターを叩いた。
「ちょっと、フィンチ、どく! 重い、暑い」
「はーい」
 フィンチは言われた通りに離れた。邑瀬は一瞬思案して、目を細める。
「珍しいですね。海見さんがムービースターと仲良くしているなんて」
「いいじゃない」
「どんな心境の変化かと思いまして。恋ですか?」
「違う」
 即答した声は、寒気がするほど嫌悪に満ちていた。
 フィンチは優しい顔のまま、銀の櫂を構えた。
「海見さん、こいつ殺す?」
「余計なことするな。帰るわよ。……邑瀬さん、よろしく」
 念を押してから、海見はきびすを返した。

 自分の机に戻った邑瀬は、広げっぱなしの資料に目を留めた。
 最近のデータを推理でつなぎ合わせると、不愉快な動きが見えてくる。
「悩み事ですか?」
 よほど深刻な顔をしていたのか、植村が声をかけてきた。はぐらかそうとして、思い直す。彼はここの責任者だ。
「植村さん、ムービースターに反対する勢力があることは、ご存知ですよね」
「ええ」
「解釈の違いにより、小さなグループがひしめいている状態でしたが――ちょうど〈まだらの蜂〉が誕生した直後から、足の引っ張り合いが消えています。同時に、音信不通になったムービースターが急増しています。けれど対策課に持ち込まれるフィルムの数は、目立った変化がない」
「…………」
「ここからは完全な推測ですが。反対する人達が団結して、ムービースターを抹殺している可能性があります。それもかなり大規模な組織でしょうね。まったく情報には現れてこないんですから」
 自分が解放されようと必死で、聞いている相手のことを考えていなかった。
 息を吐いてようやく、植村が険しい顔をしていることに気づいた。
「どうして、そんなに悪意を持った考え方ができるんですか」
「根が性悪なもので。ついでに、思い詰める性格なものでして」
 はぐらかすように笑う。
 考えすぎだ。たぶん、そこまで悪い事態にはなっていない。
 ――そこまで悪意を過信してはいけない。
「ところで植村さん、さきほど海見さんがいらっしゃいまして。紹介を増やせとせっつかれました」
「アパートの大家さんでしたね。あの方にはそれなりの人数を紹介しているはずですが」
「退去率が高いんですよ、なにせ」
 邑瀬は言葉を切って、不穏な単語を強調した。
「キラーアパート」
 紡がれた不吉な響きに、植村はぎくりと体をこわばらせる。
 邑瀬はのんびりとした口調で続けた。
「って、ご近所さんが噂しているますから。複数の物件とはいえ、海見さんのところの入居者が三人もキラー化しては……あまりいい感情は持たれないでしょうねえ」
 一介の住人である邑瀬さえ、くちさがない言い方をされることもある。所有者ともなれば、さらに遠慮のない攻撃にさらされているのではないか。
 邑瀬は比重を増していく予感から、目をそむけた。
 たぶん何かが起きている。けれど、表面化しなければ手が出せない。
 事件の5Wと1Hが、何もわからないままでは傍観者にもなれない。


   * * *


 足早に歩く海見に、フィンチが並んだ。
 自然な動作で手を繋いで、自分のコートに入れる。
「寒くない」
「気持ちが冷えてるから」
 ね、と笑いかけてきた。意味不明もここまで来ると、理解しようという気持ちすら失せる。
「海見さん、家賃取り立ててきたよ」
「そう」
 海見だと払い渋られるばかりだった家賃の回収も、フィンチに代わってから滞納がなくなった。
 彼はうっとりと目を細める。
「後藤のおばあさんがね、いつものように死ね死ね死ねって言ってくれてさ。死ね死ね死ね死ねって。嬉しいや。ムービースターなんて全部死んじゃえばいいんだ」
 海見は痛ましい思いで、唇を噛んだ。彼女や周囲の人間が主張するのはいい。人間だから。けれどスター自身が明言する姿は、矛盾を具現化されたようでつらい。
 爛漫な笑顔で、フィンチは銀の櫂を振る。
「死なないから殺すよ。殺す殺す殺す殺す。頼まれた標的を殺すとお金をもらえるから、海見さんも――」
「私のせいにしないで」
 ぴしりと拒絶すると、フィンチはしゅんとなった。
「そうだね、ごめんね。僕が殺したいから殺してる。お金をもらっているのはそのついで」
「わかればいいの」
 安堵と同時に、苦い思いが広がる。子供騙しの理屈も行動も正しくないのだろう、すべて。
 正義という毒で死ぬぐらいなら、間違った信念を貫いて生きる。
「ねえ、海見さん」
 フィンチが肩を寄せてきた。
「今夜は一緒に、フィルム狩りしてくれる? 海見さんのお友達がさ、殺せ殺せって襲ってくるんだ。傷つけたらいけないから、逃げるのが大変で」
「教えたでしょ。手をあの形にして」
「合言葉は『Be happy』……ね。やったよ。やったけど信じてもらえないんだ。スターが同志だなんて、おかしいって」
 海見はため息をついた。
 組織の巨大化にともなう、グレーゾーンの縮小化。前は融通が利いた、は言い訳にならない。大勢が各個の判断で行動すれば混乱が生じる。だから明確な線引きが必要だ。
 強い人を守るため、海見に出来る小さなこと。
「わかった、一緒に行くよ。……今夜はムービースターが三人、かな。イメージダウンするような行動が多くて、配給会社と俳優の事務所が怒ったんだって」
「どうしようもないね。自分の役割をわきまえない行動を取るなんて」
「Be happy」
「Be happy」
 しあわせになろうねと繰り返して、二人は家路についた。

種別名シナリオ 管理番号503
クリエイター高村紀和子(wxwp1350)
クリエイターコメント一話完結シリーズ、始まりました。
メインテーマは、『スターに対する憎しみ』。

補足をば。
・海見とフィンチはムービースターを殺している
・その行為によって対価を得ている
・『好意的な人々』の協力により、彼らの凶行は表沙汰になっていない



という前提を踏まえた上で、自由なプレイングをお待ちしています。

参加者
萩堂 天祢(cdfu9804) ムービーファン 男 37歳 マネージャー
ベアトリクス・ルヴェンガルド(cevb4027) ムービースター 女 8歳 女帝
宝珠 神威(chcd1432) ムービースター 女 19歳 暗殺者
<ノベル>

 些細な喧嘩がいつも以上にエスカレートしたことや、その相手のシュウ・アルガのことが頭から抜け落ちる。
 ベアトリクス・ルヴェンガルドはマンションを見上げた。
「空き部屋は沢山ありますので、気が済むまでゆっくりしていってください」
 案内人の邑瀬はのんびりと言う。
 ダウンタウン北に建つ、タワーブロック銀幕。入居当時は高級な物件だったが、今はかなり値下がりしている。
「こちらへどうぞ、陛下」
うやうやしく導かれて、ベアトリクスはエレベーターに乗った。内臓を揺さぶられるような不快感に襲われる。
 到着した最上階には廊下がなく、空間を置いた先に玄関ドアがあった。『海見』と刻印されたプレートが、無愛想に添えられている。
「管理人さんはこちらにお住まいです。困ったことがあったら駆け込んでください」
 説明して、邑瀬はチャイムを鳴らす。
 ベアトリクスの気後れや後悔を、許さないとはねのける機械音がした。思わず身をすくませる。
 じきに現れたのは、三十をいくばくか越えた女だった。
「……何?」
「海見さん、待望の入居者です。こちらは――」
「余はルヴェンガルド帝国百八十七代皇帝ベアトリクスである」
 呼びにくければ、と続けようとして口ごもった。
 海見の目は、雄弁に彼女を侮蔑していた。面と向かって罵倒するわけではない。ただ、ベアトリクスに向けられる眼差しが、痛いほどの感情を宿している。
「ムラセ……」
 困惑して仲介者を見上げたが、彼は適当な笑みを返すばかりだった。
「ベアトリクスさんは、皇帝たる者が誰かの庇護下に甘んじているわけにはいかないと。気高い志のもと、まずは生活から独り立ちを始めることになさいました」
「そうである。余はもう幼い子供とは違うのだからな。ひとりで暮らすことだってできるのだ」
 御年八歳の、幼女皇帝は胸を張る。未来の為政者にふさわしい威厳は、しかし管理人にはあっさり無視された。
「一四〇七号室、隣を使えば。一般用だけど、埋まる予定なんて全然ないから」
 海見は邑瀬と話している。ベアトリクスを無視している。新しい入居者で、同じ建物で暮らす人物で、何かがあったら助け合う存在なのに。
 ベアトリクスはうさぎのぬいぐるみの形をしたリュックサックを抱きしめ、居心地の悪さに耐えた。
 支配者たる者、悪意にさらされることもある。泰然と構えることすら出来ずに、何が皇帝か。
 ――けれど、隣人に無視されるのはとてもつらい。





 萩堂天袮(しゅうどうあまね)は立ち尽くす。
 夜の訪れを知らせる風に、生臭さが混ざっていた。
 たまたま通りがかっただけだった。この裏道を使えば時間の短縮になるから、と。
 市全体が殺伐とした空気に包まれていても、明確な理由なく自分が襲われることはない――と、どこかで過信していたのかもしれない。
 理不尽な加害者と遭遇すれば、自分という個の持つ意味は無に帰してしまうのに。
「こんばんはこんばんはこんばん、わ」
 血塗れた銀の櫂を握りなおし、長い金髪の男が挨拶をした。天祢に背を向けたままだ。
 多量の血痕と、あちこちに散らばった被害者の欠片。
 けれど死体はなく、代わりにプレミアフィルムが落ちている。
「黙っていてくれる? 『人間』は殺しちゃ駄目だって、言われてるんだ」
 彼は振り返ってにぃまりと笑った。
 バッキーのグーリィが、耳を伏せて相手を威嚇する。天祢は改造スタンガンに手をやったが、ふとしたことを思い出した。
「Be happy」
 右手の、指を三本広げて形を作る。途端に犯人の顔が和らいだ。彼も血塗れた手を同じ形にする。
「Be happy.……仲間でよかった」
 気安い安堵の表情に、ざわりとした不快感を覚える。
 当初から、実体化と表裏一体でアンチ思想はあった。それが近頃、大規模に組織立ったという噂も聞いた。
 天祢はごくありきたりな普通の人間で、どちらの側に与するつもりもない。
 けれど、第三者でいられない場面に遭遇したら。――用心のつもりで仲間内の合図を聞いておいたのが、命を救った。
 とても不愉快な認識をされてしまったが。
「じゃあね、またね、カラタチさんによろしく」
 フィルムを拾い、彼は何事もなかったかのように去ろうとする。
 すれ違う時に。
「一度、」
 天祢は声を発した。
「ん?」
「一度、聞いてみたかったんです。あなた達はそれでいいんですか?」
 実体化した人達と一緒にいると、彼らの言い分がわからない。スターだけを差別する理由が。確かに現実にはありえないような超常能力の持ち主もいるが、人として付き合う上で何の障害にもならない。
 泣いて笑い、怒って喜ぶ。どこに違いがあって、集団はスターを廃そうとするのだろうか。
 真剣な顔で、彼は答えた。
「だって、僕らムービースターは罪の子だもの。生まれてきたことが間違いだもの。さらなる罪を重ねる前に裁かれなきゃいけないでしょ。けど、裁くために人の手が汚れたらいけないから、僕が殺すんだ」
 天祢は目を伏せた。
「そういう考え、なのですね」
 幸せの形は人によって違うから、彼らがそれでいいと決めているのなら口出しをすることはない。どんなに歪んだ論理でも、己の正義を貫く相手に、横槍を入れるつもりはない。
 同時に、共感したくもない。
「殺して殺して殺してね、嘘がなくなれば夢が覚めて、朝が来れば――銀幕市の一日がまた始まるんだ。きっとそうなんだ。僕は夜明け前に死ぬんだけど」
 笑った。
 その無邪気さは、虫唾が走るほど醜悪だった。
「またね。海見さんと合流したいんだけど……居場所、知らない?」
「いいえ」
 そう、と呟いて櫂の男は去っていった。
 天祢は得た情報を反芻する。
 右手をあの形にして、『Be happy』と言う。それが仲間の合図だ。カラタチ、ウミ。それらが集団内の人物。特に『カラタチ』は重要なウェイトを占めているような口ぶりだった。
 対象の内側――銀幕市にいる限り、完全なる傍観者ではいられない。
 もしも巻き込まれるなら、あがく。
 非力だと自負しているが、諦めはしない。





「こんばんはー?」
 依頼を終えて帰る途中だった。通りで男に声をかけられた。宝珠神威(ほうじゅかむい)は笑顔を返す。うっとりするほどハンサムな顔立ちは、こういう時に武器になる。
 二十歳そこそこの男からは、同類の匂いがした。
 仕事として暗殺も請け負っているから、わかる。人を殺したことがある人と、そうでない人の違いが。
 男は間違いなく前者だった。さらに言うなら、殺すことに慣れている手合い。
「ねーねー、何してるの? 名前聞いてもいい?」
 なれなれしく近寄ってきた男を、神威は微笑んで制する。
「何をしているのかと聞かれれば、見ての通りです。人に名前を聞く時は、先に名乗ってください」
「僕はフィンチ。あなたはー?」
 どこかで聞いた名だ、と感じたと同時に思い出す。スター排除を目的とした過激集団の、走狗だ。
 蛇の道は蛇だから、神威は多くのことを知っている。公的機関が尻尾を掴んですらいない集団の、おおよその輪郭ぐらいは。
 好奇心がうずくままに、尋ねてみる。
「フィンチさん、なぜスターを殺すのですか?」
 言ってから、唐突さを繕うように右手の指三本をあの形にする。Be happy?と、故意に語尾を跳ね上げた合言葉も忘れずに。
 目元をひくりと痙攣させたのは一瞬、フィンチは駄々っ子のように唇を尖らせた。
「ずるいー。君、まだ名前を答えてくれてない」
「答える、なんて約束していませんよ。理由を教えてくれるのなら、名乗ってあげてもいいですね」
「小悪魔め……! 今度こそ、約束だからね。やーくーそーくー。理由を言ったら名前を教えてね」
「いいですよ」
 きっと、くだらないのだろう。おかしみは求めない。知的好奇心が満ちればいい。
 そう思って答えを待ったが、彼はなかなか言おうとしなかった。神威の肩越しに向こうを見ている。
 やがて呟いたのは、どうでもいい内容だった。
「でも、名前を知らないままでいいやって思ったら、答えなくてもいいんだ」
 ぞわぞわ、ぞわぞわりと夜が闇に食われていく。
 何もなくなった世界に一つだけ、巨大な金の鳥籠が存在していた。
 神威はそれに捕らわれていた。
 目にもあやな線条細工のブランコに座り、フィンチがにこにこと笑っている。
 神威も相変わらずのにこやかな笑顔を向ける。
 誰が殺されようが何をされようが、どうでもいい。――自分の身に火の粉が降りかからない限りは。
 被りそうなら、火の始末をするだけだ。
 逃げるなら、出会い頭に行動しなければ間に合わなかった。どうでもいい相手から逃げる必要などないから、相手が仕掛けてきたなら必然、迎え撃つという結論に至る。
「弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾!」
 矢継ぎ早に言霊を紡いで、銃弾を生む。
 逆さまに降り注ぐ鉄の雨を避け、敵はブランコから飛び降りた。対空中の相手を追撃する。
「弾だ――」
 神威は息を止めた。
 着弾音は高く澄み、血飛沫の代わりに硝子片が舞う。
 闇の色を変えるほどの粉塵が、鳥籠に満ちた。目や肌がちくちくと刺激される。
 なのに、着地した相手は高笑いしている。理屈は考えない。『そういう敵なのだから』。
「神威さん、死んで?」
 フィンチが銀の櫂をふりかぶった。神威は飛び退く。
 息を詰めたままでは、動きに精彩を欠く。ハンカチを取り出し、口元に当てると一気に逃げた。それでも吸い込んでしまったようで、喉が痛い。
「スパイスのー、ミックスブレンド。声が出せないと言霊が使えないんだよね?」
 楽しそうな笑い声が追ってくる。
 神威は対抗するための言霊を繰り返した。小さく小さく、多く多く。
 ぶゅんと、銀の櫂が彼女に迫る。
「殺されてね。宝珠、神威さん」
 呼ばれて。
 神威は立ち止まり、振り返り、笑った。
 なんと生温い封じ方だと、嘲るようににっこりと。
「水。水水雨雨雨――」
 湿って重みを増した粉塵は、もう空気と遊ばない。そして降り注ぐ水滴が、喉を刺激するものすべて洗い流してくれる。





 隣家のチャイムを鳴らしても、応答がない。
 何度か試して諦めて、ベアトリクスはエレベーターに乗った。
 三基のうち、稼働しているのは一基だけだ。住人が減ったからだと邑瀬は説明していた。
 数字上のことは知らないが、銀幕市の人口が増えているのを感じている。なのに――用意された住処がどうしてがらんとしているのだろう。
 仮の宿でも、雨露をしのぐ場所が必要だろうに。
 簡単な答えがありそうなのに、わからない。
 軽やかな音がしてドアが開く。無意識に進んで、すぐに足を止めた。目の前には玄関ホールが広がっている。
「あ……」
 振り返れば、階数表示は一階だ。
 ボタンを押し間違えたらしい。本当は海見のところへ行こうと思っていたのに。
 行って、話そうと思っていたのに。――何を、かは自分でもわからないけど、とにかく。
 ベアトリクスは、なかなか動けないでいる。
 下宿先では、廊下ですれ違ったら挨拶をした。時には話が弾んで部屋になだれ込むこともあった。美味しい食べ物は配って歩いた。そんな気安い空気が、このマンションでは死滅している。
 かろうじて隣人は知っているが、他は不明だ。もしどこかの部屋で殺人があっても、知らない人は普通の日々を過ごし続けるだろう。ずっと。
「…………」
 ベアトリクスはマンションを飛び出した。
 見上げた建物は、得体の知れない化け物のように映った。





「ええ……伝えておきます。それでは失礼します」
 オファー内容の詳細を聞き終わると、天祢は携帯電話を切った。
 条件はあまり良くないが――来栖が気に入りそうな仕事だった。請けたらきっと、その仕事だけに集中してしまうだろう。だから返答期日ぎりぎりまで黙っておくことにする。
 携帯を畳んで帰路につく、途中で。
「ウミ!」
 忘れかけていた名前が耳に飛び込んできた。
 勢いよく振り返ると、地味な女と豪奢な巻き毛の少女が話していた。少女――ベアトリクス・ルヴェンガルドと直接の面識はないが、来栖を通じて知ってはいる。
 二人は深刻そうに話していた。
 天祢は逡巡して、女の顔を記憶しておくに留める。
 スターに敵対するつもりはないが、不特定多数の相手と対立したくもない。夢から覚めた後も、彼らはここで暮らしていく。戦って、決着がついても――生活はまだ続く。いつかムービースターがいなくなったとしても、天祢は銀幕市にいる。残ったわだかまりが、残った者に受け継がれたら。なんとも住み心地の悪い場所になるだろう。
「フィンチのロケーションエリアは、鳥籠。対象を限られた空間に閉じ込めるの」
 ぼそぼそと海見が説明している。天祢はメール受信を装って、携帯を取り出すと端に寄った。
 近くで、フィンチがスターを狩っているらしい内容が聞き取れた。当然のことながら、ベアトリクスは何故、と尋ねる。
 海見の答えは、フィンチとは異なっていた。
「銀幕市を捨てられないから」
「スターが気に入らぬのなら、引っ越せばよいではないか」
「簡単に言うけどね。目を逸らしたって、あんたたちが横行してる現実は変わらないの。あんたたちが大切なものを奪っていくから、『みんな』で力を合わせて戦ってるの」
「人間を殺して守るのは、間違っておる」
「人間じゃない」
「我らも人間である」
「人間じゃない」
「――『人間』でないと言うなら、そちらのような輩は犬畜生以下であろう!」
 ベアトリクスが叫んだ。天祢は思わずそちらを見た。街灯の加減か、彼女は泣き出しそうな表情をしている。
 海見がどぎつい言葉を吐き捨て、ベアトリクスは真剣に怒りを返す。口論する二人に、好奇の視線が投げかけられる――が、その程度だ。
 天祢もまた、割って入るつもりはない。相手が間違っていると決めつけている今、お互いの距離は縮まらない。広がる一方だ。
『ウミ』の顔も覚えたし、主張も聞いた。知ることと、深入りすることは似ている。全容がわかったら、第三者には戻れない。
 引き上げようと、携帯をぱちんと閉じる。同時に路地から破裂音がして、大量の水があふれた。
 洪水さながらの質量が通り過ぎると、通りに残ったのは五人だけだった。
 逃げるタイミングを見失った天祢。
 召喚した精霊で、身を守ったベアトリクスと守られた海見。
 ずぶ濡れでも笑みを浮かべ続ける宝珠神威と、その足元に転がるフィンチ。
「好戦的な方ですねー。まぁ、運動できなかったので良い機会です」
 感想を漏らして、神威は犬のように頭を振った。
 目立った怪我はない。フィンチを見ればずたぼろで、二人の戦力差がはっきりとわかる。
 神威は一瞬、待った。誰かのリアクションを。
 けれど何もなかったので、去っていった。
「あ……!」
 その背中を、遅まきながらベアトリクスが追いかける。
 天祢も家へ向かうことにした。

 人が死んで生まれて殺された時、そこにある光景すべてが記録されるわけではない。
 けれど、誰かがその人を覚えている。

クリエイターコメントだいぶお時間をいただいて、ようやくお届けにあがりました。
ろくでもない悪党のろくでもない主張、鼻で笑っていただければ幸いです。
突き放したような描写が強調されていますが、それは記録者の視点が悪意に満ちているからです。

PCの主義から著しく逸脱するような表現がありましたら、修正しますのでお申し付けください。
参加してくださった方はもちろん、読んでくださった方にもお礼を。
公開日時2008-05-15(木) 19:10
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